青の記録 ―二つの記憶が交わる時―   作:きままに投稿

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第20話 胸の奥に燻る熱

 

 

 午後の喫茶店「ひだまり」は、昼時の忙しさを越えて少しずつ落ち着きを取り戻していた。

 

 翔はカウンターで注文された飲み物を用意し、出来上がったグラスを客席へ運ぶ。戻る途中で空いた皿を回収し、そのまま流しへ置いたところで、ポケットの中から短い電子音が鳴った。

 

 何度か聞くようになった音だった。

 

「……風紀委員会か」

 

 手を拭いて端末を取り出す。

 

 表示されているのはアコの名前。

 

 翔は店内の様子を確認してから通話を繋いだ。

 

「もしもし」

 

『風間さん。今、動けますか?』

 

 挨拶より先に来た声で、ただ事ではないと分かった。

 

「何があった?」

 

『複数地点で、例の黒い装置によるものと思われる異常を確認しました』

 

 翔の表情が引き締まる。

 

「複数?」

 

『現在確認できているのは三件――』

 

 そこで向こうから別の声が入り、アコが僅かに黙った。

 

『……訂正します。四件です』

 

「四件……」

 

『ほぼ同時に発生しています。偶然とは考えにくいでしょう』

 

 以前見つけた倉庫。

 

 そこに残されていた、複数人分の固定具や装甲板。

 

 嫌な予想がそのまま現実になった。

 

「ヒナたちは?」

 

『既に分散して対応しています。ヒナ委員長が北側、イオリとチナツが南側へ。残る一件が、あなたの現在地から最も近い商業区です』

 

「分かった。行く」

 

『まだ協力要請を――』

 

「今しただろ」

 

『……そういうことにしておきます』

 

「場所送って」

 

『すぐに』

 

 通話を切り、翔はカウンターへ向き直った。

 

「マスター」

 

「行くんだろ」

 

 ニャン次郎は既に話の内容を察していたらしい。

 

「四ヶ所で同時に出た」

 

「随分まとめて来たな」

 

「店、大丈夫?」

 

「今なら一人でも回る。閉店まで帰ってこなかったら、その分は後で働いてもらう」

 

「了解」

 

 翔がエプロンを外しかけたところで、ふと視線が店の奥へ向いた。

 

 保管してある赤いメモリ。

 

 ヒート。

 

 数日前、古い施設から持ち帰ったばかりのガイアメモリ。

 

 まだ使っていない。

 

 使えるかどうかも分からない。

 

 翔は少し迷った後、店の奥へ入り、ケースの前で足を止めた。

 

「……持っていくのか」

 

 後ろからニャン次郎の声がした。

 

「使うつもりはない」

 

「なら何で持つ」

 

「分からない」

 

 翔はケースを開け、赤いメモリを見る。

 

「でも、今起きてるのはガイアメモリ絡みだ。何があるか分からないのに、ここへ置いていく方が気になる」

 

 ニャン次郎は少し黙った。

 

「使うなとは言わん」

 

 翔が振り返る。

 

「ただ、分からない力だってことだけは忘れるな」

 

「うん」

 

 ヒートメモリを小さな保護ケースへ入れ、鞄の内側へ収める。

 

 ジョーカーメモリとロストドライバーは、いつものように取り出せる位置へ。

 

「行ってきます」

 

「ああ。無茶するなよ」

 

「最近それ言われてばっかりだな」

 

「言われる理由を考えろ」

 

「……行ってきます」

 

 二度目は少し早口になった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 商業区へ近づくにつれ、騒ぎは遠くからでも分かるようになった。

 

 銃声。

 

 警報。

 

 何かが建物へぶつかる鈍い音。

 

 通りの奥から逃げてくる市民たちとすれ違いながら、翔は端末を取り出した。

 

「アコ、着いた」

 

『こちらでも位置を確認しました。現場の風紀委員と合流してください』

 

「相手は?」

 

『大型の獣人男性です。身体の一部が大きく硬化しており、胸部付近に外部装置が確認されています』

 

「装置が見えてるなら撃てないの?」

 

『そこが問題です』

 

 通りを曲がったところで、その意味が分かった。

 

「……なるほど」

 

 大柄な猪の獣人だった。

 

 元から厚みのある身体がさらに膨れ、胸から肩、両前脚にかけて灰黒色の硬い組織が重なっている。太い牙の間から荒い息を吐きながら、風紀委員の銃撃を受けてもほとんど止まらない。

 

 胸の中央。

 

 黒い装置そのものは確かにある。

 

 だが。

 

 その表面を覆うように、湾曲した装甲板が取りつけられていた。

 

 さらに身体が動くたび、胸部を覆う硬化した組織が重なり、装置を隠してしまう。

 

『回収した試作部品と同じ系統の防護と思われます』

 

「前より露骨に守ってるな」

 

『こちらが外部装置を狙うことを前提にしていると考えてください』

 

 風紀委員の一人が翔へ駆け寄ってくる。

 

「外部協力者の方ですね?」

 

「うん。避難は?」

 

「この通りの西側はほぼ完了しています。ただ、東側にまだ取り残された市民がいます!」

 

 翔は周囲を見る。

 

 変身した獣人が立っているのは、ちょうど避難路を分断する位置だった。

 

「俺が引きつける。撃てそうなら装置を狙って」

 

「分かりました!」

 

「無理に撃たなくていい。本人に当たりそうならやめて」

 

「はい!」

 

 翔は近くの路地へ入り、人目が切れたところでロストドライバーを腰へ当てた。

 

 ベルトが展開され、腰へ固定される。

 

 黒いメモリを起動する。

 

《JOKER!》

 

「変身」

 

 ジョーカーメモリを差し込み、ドライバーを展開する。

 

 漆黒の身体に紫の意匠。

 

 赤い複眼。

 

 黒い仮面。

 

 仮面ライダージョーカーとなった翔は路地を飛び出し、猪の獣人が風紀委員へ突進する寸前、その進路へ割り込んだ。

 

 正面から受け止めるのではなく、伸びてきた前脚へ腕を添えて身体を捻る。

 

 突進の勢いを横へ逸らされた巨体が、道路脇の空箱や看板を巻き込みながら大きくよろめいた。

 

「やっぱり重いな……!」

 

 獣人が振り向きざまに前脚を振るう。

 

 ジョーカーは上体を沈めて避け、その懐へ潜り込むと腹部へ短い拳を打ち込んだ。

 

 手応えはある。

 

 相手の身体も揺れた。

 

 しかし、胸部を守る硬化組織は崩れない。

 

『胸部装置、現在露出していません』

 

「見えてる!」

 

 ジョーカーは返ってきた前脚を受け流し、そのまま肩を押して相手の身体を半回転させる。背中を道路側へ向けさせ、避難中の市民から攻撃方向を外した。

 

 猪の獣人が咆哮する。

 

 胸部の硬化組織が一瞬だけ左右へ開いた。

 

 その奥。

 

 装甲板に覆われた黒い装置が覗く。

 

「今!」

 

 風紀委員の銃口が一斉に向いた。

 

 数発の弾丸が装甲へ命中する。

 

 火花。

 

 だが。

 

「弾いた……!」

 

『防護材が追加されています』

 

「本当に対策してきたな……!」

 

 胸の装甲が再び硬化組織の下へ隠れる。

 

 ジョーカーは歯を食いしばった。

 

 倒すだけなら、やりようはある。

 

 関節を狙う。

 

 勢いを利用して転ばせる。

 

 強い一撃を重ねる。

 

 時間をかければ、装甲そのものを破壊することもできるかもしれない。

 

 問題は。

 

「時間がない……!」

 

 通りの向こうには、まだ逃げ切れていない市民たちがいる。

 

 変身した獣人は自分の意思で暴れているようには見えない。

 

 荒い呼吸。

 

 焦点の合わない目。

 

 強化された身体を無理に動かされているような不自然さ。

 

 この相手も助けるべき被害者だ。

 

 だから強引に倒せばいいわけではない。

 

 猪の獣人が再び身体を沈める。

 

「まずい!」

 

 ジョーカーが前へ出た。

 

 突進を止めるのではなく、横から肩へ飛びついて方向をずらす。

 

 巨体は正面の建物を避けたものの、その前脚が道路脇の古い支柱へ直撃した。

 

 支柱が折れる。

 

 その上に取りつけられていた大きな金属製の庇が、軋みを上げた。

 

「離れろ!」

 

 風紀委員の声が飛ぶ。

 

 だが、庇の下にはまだ避難途中の市民がいた。

 

 犬の獣人の親子。

 

 幼い子供が、突然の音に足を止めている。

 

 父親が子供を抱えるように身を翻した。

 

 金属が落ちる。

 

 ジョーカーは地面を蹴った。

 

「っ……!」

 

 大きな破片の一つは両腕で受け止めた。

 

 だが、全部ではない。

 

 崩れた部材の一部が父親の肩から背中へ当たり、そのまま身体を地面へ押し倒した。

 

 「お父さん!」

 

 子供の泣き声が響いた。

 

 その声を聞いた瞬間、翔の胸の奥が強く揺れた。

 

 目の前で子供を庇い、傷ついた父親。

 

 その光景に、翔は自分の父の最期を重ねていた。

 

 高校一年の頃。

 

 警察官だった父は、犯人から幼い少女を庇って命を落とした。

 

 翔自身が、その瞬間を見たわけではない。

 

 それでも、父が最後まで誰かを守ろうとしたことを、翔はずっと忘れたことがなかった。

 

「……っ」

 

 胸の奥が強く締めつけられる。

 

 同時に、腹の底から熱いものが込み上げた。

 

 まただ。

 

 また、何も関係のない人が巻き込まれている。

 

 誰かが作った力のせいで。

 

 誰かが始めた実験のせいで。

 

「……こんなこと」

 

 低い声が漏れる。

 

 拳が固くなる。

 

 けれど。

 

「お父さん! ねえ、お父さん!」

 

 泣き声が聞こえた。

 

 翔はすぐに拳を開いた。

 

 今、向ける場所はそこではない。

 

 ジョーカーは獣人から距離を取り、倒れた親子のもとへ駆け寄った。大きな金属片を持ち上げ、近くの風紀委員と一緒に負傷した父親を引き出す。

 

「救護班!」

 

「向かっています!」

 

 父親の胸が動いている。

 

 呼吸はある。

 

「大丈夫。息してる」

 

 翔は泣いている子供へ声を掛けた。

 

「本当……?」

 

「うん。今、治療してもらえるから」

 

 絶対に大丈夫だとは言わない。

 

 それでも、今分かることだけを伝えた。

 

 子供が父親の服を掴んだまま離れない。

 

 風紀委員が二人のそばにつき、翔は立ち上がった。

 

 視線の先。

 

 猪の獣人は再び動き始めている。

 

 その後ろでは、庇が崩れた影響で建物の一部まで歪み始めていた。

 

『風間さん、北側でも装置の防護を確認しました』

 

 アコの声が入る。

 

『ヒナ委員長が対応中です。南側もイオリたちが交戦しています』

 

「こっちも同じ」

 

 翔は猪の獣人を見る。

 

 ジョーカーなら戦える。

 

 負けるとは思わない。

 

 だが。

 

 装甲を剥がすまでに時間がかかる。

 

 その間にまた何かが崩れれば。

 

 次に誰かが巻き込まれれば。

 

「……間に合わない」

 

『何です?』

 

「このままじゃ、止めるまでに時間がかかりすぎる」

 

 拳を見る。

 

 ジョーカーの力が足りないわけではない。

 

 ただ、今必要なのは。

 

 硬い装甲を、使用者自身へ強い衝撃を与えずに崩す方法。

 

 翔の脳裏に、赤いメモリが浮かんだ。

 

「…………」

 

『風間さん?』

 

「アコ」

 

『はい』

 

「少しだけ通信切る」

 

『待ってください。何を――』

 

 返事を待たず、ジョーカーは近くの路地へ飛び込んだ。

 

 変身を解除する。

 

 漆黒の姿が消え、翔は鞄を開いた。

 

 保護ケース。

 

 その中にある赤いメモリ。

 

 ヒート。

 

 使える保証はない。

 

 ニャン次郎にも言われた。

 

 ドライバーが受け付けることと、自分が使えることは別。

 

 しかも、どれほどの力が出るのかも分からない。

 

 翔は一度目を閉じる。

 

 子供の泣き声が、まだ聞こえていた。

 

「……試したいから使うんじゃない」

 

 自分に言い聞かせる。

 

 時間がない。

 

 他の方法を探している間にも、建物は崩れていく。

 

「今、必要だからだ」

 

 赤いメモリを握る。

 

 施設で初めて手にした時。

 

 ほんの僅かに感じた温度。

 

 今は。

 

 手の中が確かに熱い。

 

 それがメモリなのか。

 

 自分の掌なのか。

 

 翔には分からなかった。

 

 スイッチを押す。

 

《HEAT!》

 

 電子音が響く。

 

 何の抵抗もなく起動した。

 

 翔が僅かに目を見開く。

 

「……いけるのか?」

 

 ロストドライバーへヒートメモリを差し込む。

 

「変身!」

 

 ドライバーを展開した。

 

 熱気が一気に広がった。

 

 ジョーカーの漆黒とはまるで違う、深い赤を基調とした姿が翔の身体を覆う。輪郭そのものはロストドライバーで変身したジョーカーに近い。

 

 だが。

 

「……熱い」

 

 火傷するような熱ではない。

 

 身体の内側から、力が一気に外へ溢れようとしている。

 

 拳を握る。

 

 それだけで周囲の空気が僅かに揺らいだ。

 

「使える……」

 

 驚いている時間はなかった。

 

 赤い戦士となった翔は路地を飛び出す。

 

 猪の獣人がこちらを見る。

 

 身体を沈めた。

 

 突進。

 

 翔も前へ出る。

 

 正面からぶつからず、横へずれながら肩へ掌を当てた。

 

「っ!」

 

 触れた瞬間。

 

 想像していたより遥かに強い熱が広がった。

 

 硬化した組織の表面が赤く焼け、獣人が大きく身体を振る。

 

「広がりすぎる……!」

 

 翔はすぐに手を離した。

 

 使える。

 

 だが、ジョーカーとは全く違う。

 

 ジョーカーなら、自分がどのくらい力を込めればどこまで届くのか、戦いの中で少しずつ身体が覚え始めている。

 

 ヒートは違う。

 

 僅かな意識だけで、想定以上の熱が生まれる。

 

「これじゃ本人まで傷つける」

 

 力任せには使えない。

 

 獣人の前脚が振り下ろされる。

 

 翔は後ろへ下がらず、内側へ踏み込んだ。前脚を肩で受け流し、身体の向きを変えながら脇へ抜ける。

 

 戦い方まで変える必要はない。

 

 新しいのは力の性質だけだ。

 

 なら。

 

 ジョーカーで覚えた動きを土台にする。

 

 翔は獣人の横へ回り込み、腰を押して進路を変える。

 

 壁ではなく、何もない道路側へ。

 

「こっちだ!」

 

 怒り狂ったように獣人が追ってくる。

 

 胸部の硬化組織が開く。

 

 装甲板。

 

 今。

 

 翔は拳を振り抜かなかった。

 

 代わりに、装甲板の端へ指先を触れる。

 

「ここだけ……!」

 

 熱を一気に広げない。

 

 狭く。

 

 装甲の継ぎ目だけへ。

 

 しかし。

 

「くっ……!」

 

 想像より熱が周囲へ逃げる。

 

 金属板の広い範囲が赤く変色した。

 

 それでも、使用者の身体へ届く前に手を離す。

 

 装甲が歪む。

 

 熱膨張した固定部が軋み、片側が僅かに浮き上がった。

 

「もう一回!」

 

 獣人の前脚を避け、今度は反対側。

 

 短く触れる。

 

 熱。

 

 すぐ離す。

 

 二つ目の固定部が変形した。

 

 胸部の装甲が斜めにずれ、その奥から黒い装置が露出する。

 

「今だ! 胸!」

 

 待機していた風紀委員が即座に反応した。

 

 銃声。

 

 一発目が装置の外装を砕く。

 

 二発目。

 

 黒いユニットが火花を散らした。

 

 さらに一発。

 

 装置が完全に割れる。

 

 猪の獣人の身体から、灰黒色の硬化が崩れていった。

 

 巨体が前へ倒れかける。

 

 翔はすぐに駆け寄り、肩を支えた。

 

「ゆっくり!」

 

 近くの風紀委員も加わり、元の姿へ戻った獣人を地面へ横たえる。

 

「呼吸あります!」

 

「救護班へ!」

 

「はい!」

 

 翔はその様子を確認してから、崩れた建物の方へ振り返った。

 

 親子の周囲には救護班が到着している。

 

 だが。

 

「こっち、まだ取れません!」

 

 負傷した父親の脚の近くに、歪んだ金属枠が食い込んでいる。

 

 持ち上げようにも、建物側と絡み合って動かせないらしい。

 

 翔は駆け寄った。

 

「退いて」

 

「でも、これかなり固く――」

 

「だからやる」

 

 赤い手を金属枠へ伸ばす。

 

 途中で止めた。

 

 近すぎる。

 

 父親の身体まで熱を伝えるわけにはいかない。

 

「ここじゃない……」

 

 枠の構造を見る。

 

 父親を押さえている部分ではなく、その少し離れた接合部。

 

「こっちなら」

 

 そこへ手を当てる。

 

 熱を絞る。

 

 さっきより弱く。

 

 狭く。

 

「……っ」

 

 簡単ではない。

 

 熱が思ったより広がろうとする。

 

 それを意識して抑えながら、接合部だけを加熱する。

 

 金属の色が変わる。

 

「今、引いて!」

 

 風紀委員が工具を差し込み、力を掛ける。

 

 熱で弱くなった部分が曲がった。

 

 隙間ができる。

 

「もう少し!」

 

 翔も熱を止め、今度は両手で枠そのものを掴んだ。

 

 風紀委員と一緒に持ち上げる。

 

 父親の脚が抜けた。

 

「取れた!」

 

 救護班がすぐに担架を寄せる。

 

 泣いていた子供が、運ばれていく父親の横へ走った。

 

「お父さん!」

 

 父親の目が薄く開く。

 

 痛みに顔を歪めながらも、子供を見て僅かに口を動かした。

 

 翔には声まで聞こえなかった。

 

 それでも。

 

 子供の表情が少しだけ変わった。

 

 翔はようやく息を吐いた。

 

「……よかった」

 

 まずは。

 

 間に合った。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 それからしばらくして。

 

 残る三地点でも人工メモリ使用者の停止が確認された。

 

 イオリたちは高速で移動する相手を追い込み、装置が背中側にあることを見抜いて射撃で破壊した。

 

 ヒナの側でも、防護された装置が攻撃動作の瞬間にだけ露出することを見抜き、その僅かな隙を撃ち抜いたらしい。

 

 どの現場でも以前より時間はかかった。

 

 それでも。

 

 止められないわけではなかった。

 

 避難誘導と負傷者の搬送が進む中、翔は人目の少ない路地へ入り、ヒートメモリをロストドライバーから抜いた。

 

 赤い姿が消える。

 

 手の中のメモリを見る。

 

「……本当に使えたんだな」

 

 身体に異常は感じない。

 

 ただ、初めて全力で走った後のような疲労と、まだ掌に熱が残っているような錯覚がある。

 

「翔」

 

 呼ばれて振り向く。

 

 路地の入口にヒナがいた。

 

 少し離れたところにはチナツもいる。

 

「終わった?」

 

「こっちは」

 

 翔は二人の方を見る。

 

「他は?」

 

「全部止まった」

 

「負傷者は?」

 

「いる。でも、今のところ危険な状態だという報告はない」

 

「……そっか」

 

 知らずに肩へ入っていた力が抜ける。

 

 ヒナはその様子を見てから、翔の手元へ視線を向けた。

 

「それがヒート?」

 

「うん」

 

「使ったんだ」

 

「……使った」

 

 ヒナの目が少し細くなる。

 

「分からないなら試さなくていいって言ったよね」

 

「言った」

 

「翔も、そのつもりだって」

 

「言った」

 

「じゃあ、どうして?」

 

 責める声ではなかった。

 

 だからこそ、翔も誤魔化さなかった。

 

「間に合わないと思った」

 

 ヒナが黙る。

 

「ジョーカーでも戦えた。でも装甲を壊すのに時間がかかって、その間にまた誰かが巻き込まれるかもしれなかった」

 

 翔は少し離れた通りを見る。

 

 救急車両の近く。

 

 先ほどの親子が治療を受けている。

 

「だから使った」

 

「使える保証はなかったのに?」

 

「……うん」

 

「それ、無茶って言うんじゃない?」

 

「……そうかも」

 

「そうかも、じゃない」

 

 少し前。

 

 二人で決めたことを思い出す。

 

 どちらかが無茶をしていたら、もう一方が止める。

 

 翔は苦笑した。

 

「早速止められたな」

 

「笑うところじゃない」

 

「ごめん」

 

「次も同じことしていいって意味じゃないから」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「ヒナまでそれ言うのか……」

 

「私が一番言っていいと思う」

 

「友達だから?」

 

 ヒナが一瞬だけ止まる。

 

「……そう」

 

 短く答えた。

 

「友達だから」

 

 翔もそれ以上は何も言わなかった。

 

 チナツが二人のそばまで来る。

 

「風間さん、少し状態を確認させてください」

 

「俺?」

 

「初めて使用したガイアメモリでしょう。何もないから大丈夫、とは判断できません」

 

「分かった」

 

 チナツが簡単に状態を確認していく。

 

 脈拍。

 

 呼吸。

 

 目立った皮膚の異常。

 

 変身解除後の意識状態。

 

「今のところ、明確な異常は見られません」

 

「よかった」

 

「ですが」

 

「分かってる。安全だって決まったわけじゃない」

 

「はい」

 

 アコの声が端末から入る。

 

『ヒートメモリについても、後ほど詳しく報告をお願いします』

 

「使った感じ?」

 

『それもです。何ができたのか、何が難しかったのか。特に制御面は重要です』

 

「……熱の広がり方が分からない」

 

『具体的には?』

 

「思ったよりずっと出る。少し熱を出したつもりでも、広い範囲まで熱くなる」

 

 ヒナが言う。

 

「なら、次に使う前にちゃんと確認した方がいい」

 

「うん」

 

 翔も素直に頷いた。

 

「俺もそう思う」

 

 ヒートは使えた。

 

 だからといって。

 

 使いこなせたわけではなかった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 夜。

 

 閉店後の「ひだまり」で、翔はカウンターの席に座っていた。

 

 目の前には二本のガイアメモリ。

 

 黒いジョーカー。

 

 赤いヒート。

 

 ニャン次郎はカウンターの向こうから赤いメモリをじっと見ている。

 

「使えたか」

 

「うん」

 

「身体は?」

 

「チナツにも見てもらった。今のところ変なところはない」

 

「今のところ、な」

 

「分かってる」

 

 ニャン次郎はヒートメモリを慎重に確認する。

 

「で、どうだった」

 

「難しい」

 

「何が」

 

「熱の調整」

 

 翔は自分の手を見る。

 

「思った以上に出る。少しだけって思っても、広がりすぎる」

 

「ジョーカーと同じ感覚で使ったか?」

 

「最初は」

 

「それで?」

 

「全然違った」

 

「当たり前だ」

 

「使う前に言ってくれよ」

 

「使うなって話はしただろ」

 

「……それはそう」

 

 何も言い返せなかった。

 

 ニャン次郎はヒートをケースへ戻そうとして、ふと翔を見る。

 

「他には?」

 

「他?」

 

「それだけじゃない顔してる」

 

 翔は少し黙った。

 

 昼間の光景を思い出す。

 

 子供を庇った父親。

 

 倒れる身体。

 

 泣き声。

 

「……親子が巻き込まれた」

 

 ニャン次郎は何も言わず続きを待つ。

 

「子供を庇って、父親が怪我した」

 

 翔の視線がカウンターへ落ちる。

 

「それ見た時、父さんのこと思い出した」

 

「親父さんを?」

 

「うん」

 

 少し間を置く。

 

「父さんも……誰かを庇って死んだんだ」

 

 ニャン次郎の動きが止まった。

 

 翔はそれ以上詳しく説明しなかった。

 

 今は、それだけで十分だった。

 

「だから」

 

 自分の手を握る。

 

「腹が立った」

 

「その親子に?」

 

「違う」

 

 すぐに否定する。

 

「こんなことをやってる奴に」

 

 名前はまだ断定できない。

 

 カイザーの可能性は高い。

 

 それでも、自分の目で見ていないことまで決めつけるつもりはなかった。

 

「また人を使って、また関係ない人まで巻き込んで」

 

 翔は静かに息を吐く。

 

「……本当に腹が立った」

 

 ニャン次郎はしばらく黙っていた。

 

「で?」

 

「で?」

 

「その怒った手で、何した」

 

 翔が少し考える。

 

「装甲を壊した」

 

「その後」

 

「人工メモリを止めて」

 

 さらに思い出す。

 

「……親子を助けた」

 

「なら、今日はそれでいい」

 

 翔が顔を上げた。

 

「怒るなとは言わないの?」

 

「言って止まるのか?」

 

「たぶん無理」

 

「なら無駄だ」

 

「それでいいのかよ」

 

「怒ったことと、何をするかは別だろ」

 

 ニャン次郎はヒートメモリをケースへ収めた。

 

「今日は助ける方に手を使った。それだけ覚えとけ」

 

「…………」

 

 翔はケースの中に横たわる赤いメモリを見る。

 

 施設で手にした時には、ほんの僅かな温かさしか感じなかった。

 

 今日は違った。

 

 もっと強く。

 

 もっと激しく。

 

 けれど。

 

 あの熱がヒートメモリのものだったのか。

 

 自分自身のものだったのか。

 

 まだ分からない。

 

「マスター」

 

「なんだ」

 

「ヒート、ちゃんと使えるようになった方がいいと思う」

 

「今日みたいなことがまたあると思うか」

 

「たぶん」

 

 翔は即答した。

 

「ジョーカーだけで足りないって意味じゃない。でも、助け方が増えるなら覚えておきたい」

 

 ニャン次郎は少し考える。

 

「なら、まずは出力を知るところからだな」

 

「うん」

 

「いきなり実戦で覚えようとするなよ」

 

「それは……もうやった」

 

「だから言ってる」

 

「はい」

 

 翔は苦笑した。

 

 ジョーカー。

 

 そしてヒート。

 

 使える力が一つ増えた。

 

 それでも。

 

 力が増えたことより、翔の中に強く残っていたのは別のことだった。

 

 泣いていた子供。

 

 子供を庇った父親。

 

 そして。

 

 あの時、自分が最初に何をしようとしたのか。

 

 怒りは、まだ消えていない。

 

 それでも翔は、その熱より先に。

 

 助けるために手を伸ばしたことだけは、忘れないでいようと思った。

 

 

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