青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
初の感想もありがとうございます!頂けてモチベが上がっております!
嬉しいついでで、今日は連続投稿しちゃうぞい。
翌朝。
喫茶店「ひだまり」は、いつもと変わらない時間に店を開けた。
翔も普段通りにカウンターへ立ち、注文を取り、飲み物を運び、空いた食器を片づけている。
身体に異常はなかった。
昨日、初めてヒートメモリを使用した後にチナツから簡単な確認を受け、その後も目立った体調の変化は起きていない。念のため朝起きてからも自分で確かめたが、腕が痛むわけでも、身体が妙に熱を持っているわけでもなかった。
少なくとも、今のところは。
それでも。
「翔」
「ん?」
「それ、もう拭けてるぞ」
ニャン次郎に言われ、翔は手元を見る。
洗い終えたグラスを、随分前から同じ場所ばかり布巾で拭いていた。
「……ほんとだ」
「朝から三回目だぞ」
「そんなに?」
「そんなにだ」
ニャン次郎はそれ以上何も言わず、次の注文に取りかかった。
翔もグラスを棚へ戻し、仕事へ意識を戻す。
だが、少し時間が空くと、どうしても昨日のことを思い出した。
複数の場所で同時に現れた黒い装置。
対策されていた外部ユニット。
初めて使ったヒートメモリ。
そして。
子供を庇って負傷した父親と、その傍で泣いていた幼い子供。
あの光景だけは、昨日から何度も頭へ浮かんでいた。
ポケットの中で端末が短く鳴る。
今度は通話ではなく、メッセージだった。
翔は客席の様子を確認してから画面を見る。
送信者はチナツ。
『昨日搬送された方々について、経過の共有です。人工メモリ使用者を含め、現在確認できている範囲では全員生命に危険はありません。商業区で負傷した親子についても、父親は治療を受けており、子供に大きな怪我はありませんでした』
翔は最後まで読み終えると、無意識に息を吐いた。
「……よかった」
胸の奥に張りついていたものが、少しだけ緩む。
「昨日の連中か?」
カウンターの向こうからニャン次郎が尋ねた。
「うん。みんな大丈夫だって」
「そうか」
「親子の父親も命に別状ないって。子供も大きな怪我はなかったみたい」
「なら、まずは一安心だな」
「うん」
翔はチナツへ簡単な礼を返し、端末をポケットへ戻した。
全員助かった。
それを知れたのは嬉しい。
昨日、自分があの場所へ向かった意味もあったと思える。
けれど。
安心したからといって、もう何も感じなくなったわけではなかった。
思い出せば、まだ腹が立つ。
あの黒い装置を作った誰か。
人を実験に使い、周囲まで巻き込み、それでも次の試験を続けている何者か。
被害者が助かったからといって、その怒りまで一緒に消えてくれるわけではなかった。
* * *
昼の混雑が落ち着き、休憩に入った翔は店の奥へいた。
棚の一角に置かれたケース。
その中には、二本のガイアメモリが収められている。
黒いジョーカー。
そして、赤いヒート。
翔はケースを開けず、その前でしばらく立っていた。
「昨日から何回そいつ見てるんだ」
背後から声を掛けられる。
「そんなに見てた?」
「見てた」
ニャン次郎が近づいてくる。
「気になるなら持って見ればいいだろ」
「……いや」
「じゃあ何だ」
翔は少し迷った。
自分でも、何を気にしているのか完全には整理できていない。
だからこそ。
「マスター」
「なんだ」
「昨日、俺が怒ったのって……ヒートのせいだと思う?」
ニャン次郎の表情が僅かに変わる。
「どういう意味だ」
「ヒートって、かなり攻撃的な力だろ。実際使ってみたら、思ったよりずっと出力も高かったし」
「それで?」
「もしかしたら、俺の感情にも何か影響したのかなって」
ニャン次郎はすぐには答えなかった。
代わりに、翔へ一つ尋ねる。
「お前、ヒートを使う前から怒ってたか?」
「え?」
「昨日の話だ。メモリを起動する前、お前は腹を立ててたのか」
翔は記憶を辿った。
金属の庇が崩れた。
父親が子供を庇った。
泣き声が聞こえた。
その光景を見て、自分の父親の最期を思い出した。
そして。
腹の底から熱いものが込み上げた。
「……怒ってた」
「なら順番が逆だろ」
「順番?」
「ヒートを使ったから怒ったんじゃない」
ニャン次郎はケースの中の赤いメモリを見る。
「怒ってたお前が、ヒートを使った」
翔は黙った。
言われてみれば、その通りだった。
ヒートメモリを手に取った時には、既に腹が立っていた。
メモリを使った後に突然生まれた感情ではない。
「……そっか」
「少なくとも、昨日の出来事だけでヒートがお前の感情をどうこうしたとは言えん」
「でも、絶対違うとも言えない?」
「そこまではな」
「やっぱりそうなるか」
「分からないものを勝手に決めるなって、何回言わせる気だ」
「分かってるよ」
翔は小さく苦笑した。
それでも、すぐに表情は戻る。
「たださ」
「なんだ」
「……あんなに腹立ったの、久しぶりだった」
翔は自分の手へ視線を落とした。
昨日。
握り締めた拳。
身体の内側へ溜まっていった熱。
「親子を見た瞬間、頭に血が上がったっていうか……何も考えたくなくなるくらい腹が立って」
その時は、泣いている子供の声が聞こえたから動けた。
まず助ける。
いつも通り、それを選ぶことができた。
けれど。
翔は少し間を置いた。
「ちょっと怖かったんだ」
「何がだ」
「あのままもっと怒ってたら、俺、何してたんだろうって」
ニャン次郎は何も言わない。
「昨日は止まれた。でも、もっと酷いことが起きてたら? 誰かが本当に取り返しのつかないことになってたら?」
翔の手がゆっくり握られる。
「ヒートもあれだけ力が強くて……もし俺まで止まれなくなったらって思うと」
「怖いか」
「……うん」
否定しなかった。
「ガイアメモリって、人を変えることもあるんだろ」
「ある」
「だったら余計に」
「だからって、全部メモリのせいにする気か?」
翔が顔を上げた。
ニャン次郎の声は厳しくない。
ただ真っ直ぐだった。
「……そういう意味じゃない」
「なら、自分が怒ってたことは認めろ」
「…………」
「誰かが傷つけられて腹が立った。目の前の親子を見て、昔のことを思い出した。それはメモリじゃなく、お前の感情だ」
翔は目を伏せる。
「……俺が怒ってたんだな」
「そうだろうな」
「そっか」
不思議と。
口に出してみても、何かが軽くなるわけではなかった。
でも。
得体の知れないものではなくなった気がした。
自分の中にあった。
自分自身の怒りだった。
「マスター」
「なんだ」
「昨日見た父親さ。子供を庇っただろ」
「ああ」
「あれ見て、父さんのこと思い出したんだ」
ニャン次郎は黙って耳を傾ける。
「父さん、警察官だったんだ」
「……そうなのか」
「うん」
翔はゆっくり言葉を続けた。
「俺が高校一年の時に死んだ。犯人から、小さい女の子を庇ったらしい」
「らしい?」
「俺はその場にいなかったから。後から聞いたんだ」
昨日の親子の姿は、父の最期そのものではない。
翔が父の死を直接見たわけでもない。
それでも。
誰かを守るために前へ出たという一点だけは、どうしても重なった。
「悲しくなかったわけじゃない」
翔は静かに言う。
「でも、最後まで誰かを助けたんだって聞いて……父さんらしいって思ったし、誇らしかった」
ニャン次郎は何も挟まなかった。
「だから昨日、目の前で似たようなことが起きそうになって……」
翔は一度唇を結ぶ。
「また誰かが、こんなくだらない実験のせいで大事な人を失うかもしれないって思ったら、すごく腹が立った」
「……そうか」
「うん」
短い返答だった。
それで十分だった。
しばらくして、ニャン次郎が言う。
「怒ることまで悪いことにするな」
翔が顔を上げる。
「誰かが傷つけられて腹が立った。それ自体の何が悪い」
「でも、怒ったまま戦うのは危ないだろ」
「それは別の話だ」
「別?」
「腹が立つのと、腹を立てたまま何をするかは別だって言ってる」
ニャン次郎が翔の手を見る。
「昨日のお前は、何した」
「何って……」
「最初にだ」
思い出す。
怒った。
拳を握った。
けれど、その直後に聞こえたのは子供の泣き声だった。
「……親子を助けた」
「その後は」
「人工メモリの使用者を止めて、また親子のところに戻った」
「じゃあ昨日は、それを選べたんだろ」
「でも」
翔はすぐには納得しなかった。
「次もそうできる保証はない」
「ないな」
あまりにあっさり認められて、翔が目を瞬く。
「そこ否定しないんだ」
「何の保証もないだろ」
「まあ……そうだけど」
「だから覚えとけ」
「何を?」
「怖いと思ったことをだ」
ニャン次郎の目が翔を見る。
「自分が怒った時、何をするか分からない。それが怖かったんだろ」
「うん」
「なら忘れるな。自分だけは絶対大丈夫だって思い込むより、その方がよっぽどましだ」
翔は少し黙った。
「でもな」
ニャン次郎は続ける。
「怖がってるからって、怒ったことまでなかったことにする必要はない」
「…………」
「腹が立ったなら、腹が立ったでいい」
「それでいいのかな」
「俺に聞くな」
「今まで散々言っといて?」
「最後に決めるのはお前だ」
「……ずるいな」
「何とでも言え」
翔は思わず笑った。
少しだけ。
本当に少しだけ、胸の中にあったものが整理された気がした。
* * *
翔はケースを開けた。
赤いヒートメモリを取り出す。
昨日の時のような微かな温かさは、今は感じない。
ただ一本のガイアメモリが手の中にある。
「こいつ、怒ってないと使えないわけじゃないよな」
「知らん」
「またそれ?」
「試してないことを俺に断言させるな」
「でも昨日は普通に使えた」
「昨日のお前は怒ってたんだろ」
「だから、怒ってない時にも使えるか確認しないと分からないってこと?」
「そういうことだ」
翔はヒートメモリを見る。
昨日。
ヒートを選んだ理由は、腹が立っていたからではない。
ジョーカーでは間に合わない可能性があった。
装甲を使用者ごと殴り壊すのではなく、熱で外側だけを崩せるかもしれない。
助けるために、別の方法が必要だった。
だから使った。
「……次は、落ち着いてる時に使ってみたい」
「試し変身はするなって言ったのは誰だったかな」
「状況が変わったんだよ」
「どう変わった」
「一回使った」
「それは知ってる」
「また使う必要が出るかもしれない」
翔は昨日の戦いを思い出す。
「なのに、ぶっつけ本番でしか使えない方が危ないだろ」
ニャン次郎は少し考えた。
「それはそうだな」
「だろ?」
「珍しく筋が通ってる」
「珍しくは余計だよ」
「ただし、場所は選べ」
「分かってる。ここでやったら店燃えるし」
「笑えん」
「俺も嫌だよ」
昨日の感覚では、炎そのものより熱の広がり方が問題だった。
狭い範囲だけを加熱したつもりでも、思った以上に周囲へ伝わる。
あの状態で街中の練習などできるはずがない。
「どっか広い場所ないかな」
「周りに燃えるもんがなくて、騒ぎにならないところか」
「あと、多少壊しても怒られない場所」
「もう壊す前提か」
「壊したいわけじゃない。壊れる可能性があるってこと」
「同じようなもんだ」
翔はふと思い出し、ポケットから貸与端末を取り出した。
「……聞いてみるか」
「誰に」
「風紀委員会」
連絡先を開く。
ヒナ。
アコ。
イオリ。
チナツ。
一瞬だけ迷い、アコを選んだ。
施設や場所の手配なら、彼女へ聞くのが一番だろう。
メッセージを打つ。
『相談がある。周りに燃えるものがなくて、多少熱を出しても問題ない訓練場所って借りられる?』
送信。
「もう少し書き方なかったのか」
「分かりやすいだろ」
「アコって子の苦労がちょっと分かった気がする」
「何でマスターまでアコ側なんだよ」
それから一分もしないうちに返信が来た。
『何をするつもりですか?』
「ほら」
「予想通りだな」
翔は続けて打ち込む。
『ヒートの練習。昨日みたいに実戦で初めて調整するのは危ないと思った』
今度は少し返事に時間がかかった。
やがて。
『目的は理解しました。場所についてはこちらで確認します。ただし、単独での訓練は認められません』
「……認められませんって」
「命令する権限ないんじゃなかったのか?」
「俺もそう思った」
続けてもう一通届く。
『正確には、風紀委員会の施設を貸す条件として監督をつけます。初めて使用した高熱能力を一人で試させるつもりはありません』
「……訂正された」
「仕事早いな」
「アコだし」
翔は少し考えてから、
『分かった。それでお願い』
と返した。
すぐに既読がつく。
「決まりだな」
「たぶん」
翔は端末をしまい、もう一度ヒートメモリを見る。
昨日感じた怒りは、まだ胸のどこかに残っている。
親子が助かったと知っても、完全には消えなかった。
無理に消す必要もないのかもしれない。
でも。
その熱を抱えたまま、何をしてもいいわけでもない。
なら。
まずは自分の手にある力くらい、自分で扱えるようにならなければならない。
「マスター」
「なんだ」
「昨日、怒ったこと自体は……もう気にしないことにする」
「そうか」
「でも、何してもいいって意味じゃないから」
「分かってるならいい」
「次はちゃんと使う」
翔はヒートメモリをケースへ戻した。
赤いメモリは静かに横たわっている。
怒ってもいい。
まだ、その先の答えまでは分からない。
それでも。
怒った自分を否定するところから始めなくてもいいのだと。
今は、そう思えた。