青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
数日後。
ゲヘナ自治区の外れにある旧演習場へ着いた翔は、入口から内部を見渡した。
背の低い岩山と土壁に囲まれた広い敷地には、古いコンクリート製の防壁や射撃用の標的が点在している。地面はほとんどが剥き出しで、周囲に草木も少なく、近くに民家らしい建物も見当たらない。
多少の熱や衝撃が発生する訓練を想定して選んだのだろう。ここなら、ヒートを試すには都合がいい。
「アコ、ちゃんと考えてくれたんだな」
『当然です』
「うわ」
耳元から即座に返事が来て、翔は僅かに肩を揺らした。
『何です、その反応は』
「いや、聞いてたのかと思って」
『到着した時点で通信は繋がっています』
「先に言ってくれよ」
『言いました』
「……そうだっけ?」
『言いました』
そこまできっぱり断言されると、翔もそれ以上は言えなかった。
今日の訓練では、アコが本部から各種計測結果を確認し、現地にはイオリとチナツが立ち会うことになっている。
「遅いぞ」
入口から少し離れたところで待っていたイオリが腕を組む。
「予定より五分早いけど」
「もっと早く来てもいいだろ」
「それでは集合時間を決めた意味がありませんよ、イオリ」
隣にいたチナツが端末から顔を上げた。
「おはようございます、風間さん」
「おはよう、チナツ。イオリも」
「おう」
挨拶を終えると、チナツはすぐに翔の様子を確認した。
「体調に変化はありませんか?」
「特にないよ。昨日も普通に寝られたし、今朝も熱っぽさとか痛みはなかった」
「分かりました。変身後にも確認します。違和感があれば、程度に関係なく教えてください」
「了解」
イオリはそんな二人のやり取りを聞きながら、翔の腰へ視線を落とした。
「ヒートは?」
「持ってきた」
翔は腰につけた小型のポーチを軽く叩く。
今日は最初から使うことが決まっている。いざ訓練を始めるたびに鞄の奥を探る必要もないため、ヒートメモリはすぐ取り出せる場所に入れてきた。
「なら、さっさと始めるぞ」
「その前に周辺の安全確認です」
「分かってるって」
チナツに止められ、イオリが少し不満そうに耳を動かす。
翔は二人と一緒に演習場の奥へ進んだ。
今日は誰かが襲われているわけではない。
助けなければならない負傷者もいない。
自分自身も怒ってはいない。
だからこそ、確かめられる。
平静な状態でもヒートへ変身できるのか。
あの大きな熱を、どこまで意識して扱えるのか。
次に必要になった時、実戦の真ん中で手探りをせずに済むように。
「じゃあ、まず――」
ドォンッ!
翔の言葉を遮り、演習場の奥で爆発が起きた。
足元へ小さな振動が伝わってくる。
「…………」
翔が止まる。
イオリの眉間に深い皺が寄った。
チナツもゆっくり爆発の方角を見る。
『……今の振動は何です?』
「こっちが聞きたい」
イオリが低い声で返した、その直後。
「第三区画、準備完了ー!」
遠くから明るい声が響いた。
続いて別の声。
「よし! では遠慮なく行きたまえ! 温泉開発の前には、古びた防壁の一枚や二枚など些細な障害にすぎない!」
「待てぇぇぇっ!」
イオリが走り出した。
「それ風紀委員会の備品だ!」
ドガァンッ!
二度目の爆発。
土煙が上がり、その向こうから何人もの生徒が姿を現す。
掘削機材。
爆薬。
巨大な火炎放射器。
そして、その中心で実に満足そうに笑っている小柄な少女。
「ハーッハッハッハッハ! 見たまえ諸君! この地層、この亀裂! 私の勘が告げている! この大地にはまだ見ぬ温泉が眠っているぞ!」
「……ああ」
翔には見覚えがあった。
温泉開発部。
ならばイオリの顔が到着した時より数段険しくなった理由も理解できる。
「訓練場って、着いた時には普通何も壊れてないものだよな?」
「普通はな!」
イオリが即答した。
「今日は運が悪かったと思ってください」
チナツが静かに続ける。
「今日“は”?」
「風間さん」
「はい」
「深く考えないでください」
「普段からあるんだ……」
「聞け!」
イオリの怒声に、先頭にいた少女――カスミがようやくこちらを向いた。
「おや?」
イオリ。
チナツ。
そして翔。
順番に目を向けたところで、カスミが興味深そうに笑う。
「これはこれは。風紀委員会が演習場を押さえていると聞いて来てみれば、随分と珍しい同行者がいるじゃないか。なあ、イオリちゃん」
「お前は何で風紀委員会が使うって聞いて来てるんだよ!」
「人が集まるところには理由がある。そして大地が騒ぐ場所には温泉がある。実に論理的な推論だろう?」
「どこがだ!」
「カスミ部長」
チナツが一歩前へ出た。
「この区域は本日、風紀委員会が使用許可を取っています。無断での侵入と掘削を中止し、直ちに撤収してください」
「残念ながら、それは聞けない相談だね」
「理由を聞いても?」
「温泉があるからだ!」
「まだ出ていません」
「可能性はある!」
「それは『ある』とは言いません」
「細かいことを気にしていては、大事業など成し遂げられないぞ!」
「少しは気にしろ!」
イオリの声が響く。
その時。
「あ、ほんとだ!」
カスミの後ろから、巨大な火炎放射器を担いだ赤みの強い髪の少女が顔を出した。
「男の子だ!」
「どうも」
「へえー、本当にいるんだね!」
「珍しいのは分かるけど、そこまで真っ直ぐ言われるとちょっと困るな……」
「あ、ごめん!」
少女は悪びれずに笑った。
「私、メグ! 温泉開発部の作業班長だよ!」
「風間翔」
「翔かー! ねえ、温泉好き?」
「自己紹介の次にそれ聞く?」
「大事だから!」
「嫌いではないけど」
メグの顔がぱっと明るくなる。
「カスミ部長! 一人増えた!」
「素晴らしい!」
「待って。何が増えた?」
「温泉開発部の新たな同志だよ、翔君!」
「入るって言ってない」
「温泉が嫌いではないのだろう?」
「それと入部は別だろ」
「細かいことを気にするな!」
「さっきからそれで全部押し切ろうとしてない?」
「翔! 今度一緒に掘ろうね!」
「メグまで話進めないで」
「お前ら勝手に人員増やしてんじゃない!」
とうとうイオリが間へ割って入った。
カスミは楽しそうに笑っていたが、不意に目を細める。
「それにしても興味深いね」
「何が?」
「風紀委員会が部外者を、わざわざ使用制限のある演習場へ連れてきている」
先ほどまでのふざけた調子とは少し違った。
「単なる見学者というわけではなさそうだ」
翔は余計な情報を出さないよう短く答える。
「ちょっと場所を借りてるだけだよ」
「なるほど」
カスミが頷く。
「つまり“ちょっと場所を借りられる程度には風紀委員会と繋がりがある”と」
「……そういう拾い方する?」
「情報というものは、相手が言わなかった部分にも転がっているものさ」
「カスミ!」
「おっと」
イオリに睨まれ、カスミは肩を竦めた。
「心配しなくても、今日の私は温泉にしか興味がないとも」
「その温泉が問題なんだよ!」
その間にも、温泉開発部の作業は完全には止まっていなかった。
「よーし、これ邪魔だからどかすねー!」
メグが大きなコンクリート片の前へ立つ。
「待て! 何する気だ!」
「どかすだけだよ?」
イオリが止めるより先に、メグが火炎放射器を構えた。
轟音とともに炎が噴き出す。
翔も思わずそちらを見る。
大量の炎。
最初は広い範囲へ熱を浴びせる。
しかし、そのまま当て続けてはいない。
メグは一度止めると少し横へ移動し、今度は距離を詰めて短く一点だけを炙った。さらに角度を変え、状態を確かめてからもう一度だけ炎を吹きつける。
「……使い分けてる」
「ん?」
メグが振り返る。
「その火。同じ当て方してないだろ」
「うん」
「何で?」
「全部バーッてやったら、いらないところまで壊れちゃうから!」
「……意外」
「何が!?」
「いや、その火炎放射器で全部一気にやるのかと」
「翔、私のこと何だと思ってるの!?」
「火炎放射器持って温泉掘ってる人」
「間違ってないけど!」
メグは少し考えてから、火炎放射器の先を示した。
「広く熱くしたい時は離れてバーッてするでしょ? ここだけって時は近づいて短く。それで、熱くなりすぎそうなら一回止める!」
「一回止める」
「うん。あと角度! 正面からやるのと横からやるのでも全然違うよ」
「全部感覚ですね……」
チナツが苦笑する。
「だが、理屈としては間違っていない」
カスミが口を挟んだ。
「熱量そのものだけを見ていても駄目だ。距離、時間、角度、そして何より、どこへ作用させるか」
翔がカスミを見る。
「必要なところだけ?」
「その通り!」
カスミは得意げに胸を張った。
「破壊というものは、最大火力を叩き込めばいいわけではない。目的も考えず全部を吹き飛ばすようでは三流さ」
「お前が言うな!」
イオリが反射的に叫ぶ。
「失敬な! 我々には明確な目的がある!」
「温泉だろ!」
「そうとも!」
「だから問題なんだよ!」
カスミはイオリの抗議を気にも留めず、翔へ向き直る。
「壊したいものを見るのではなく、その先の目的を見ることだよ、翔君。どこを崩せば十分なのか。それが分かれば、全部を壊す必要などない」
「……なるほど」
「感心するな!」
「いや、言ってること自体は間違ってないだろ」
「それが一番腹立つんだよ!」
『皆さん』
通信越しにアコの声が割り込んだ。
『話は終わりましたか?』
「行政官まで随分せっかちだね」
『カスミ部長が不法に演習場を掘っている時間を長引かせたくないだけです』
「不法とは心外だな。大地の恩恵を広く生徒たちへ――」
『それと、近くで巡回を終えたヒナ委員長にも連絡しました』
「…………」
カスミの言葉が止まった。
『こちらへ向かってもらっています』
「なるほど」
何事もなかったように頷く。
ただし。
その頬を、一筋の汗が流れた。
「メグ」
「なに、カスミ部長?」
「例の対処法だ」
「ああ! プレゼントのやつ?」
「大声で言うな!」
カスミが慌ててメグの方を振り返る。
イオリが眉を吊り上げた。
「……プレゼント?」
「今、非常に聞き捨てならない言葉が聞こえましたが」
チナツまで目を細める。
「気のせいだ!」
「かなりはっきり聞こえたけど」
「翔君まで余計なことを言わないでくれないか!?」
「でもカスミ部長、ヒナ委員長相手だとそれじゃ駄目なんじゃ――」
「メグ!」
「だって、何渡してもすぐ怪しまれそうだし」
「メグ!!」
「……何を渡す気だったんだよ」
「聞かなくていい!」
イオリが翔を止める。
「どうせろくなもんじゃない!」
カスミは咳払いを一つして、無理やり平静を取り戻した。
「まあ待ちたまえ。まだヒナ委員長が到着したわけではない」
『あと三分ほどだそうです』
「三分!?」
「近いね!」
「近いどころではない!」
カスミが思わず叫んだ。
『なお、無断侵入、設備付近での爆破、退去命令への拒否については既に報告済みです』
「……行政官」
『何ですか』
「どこまで伝えた?」
『全部です』
「全部?」
『全部です』
「温泉の可能性については?」
『それもです』
「何と?」
『 “またカスミ部長がやっています” と』
「簡潔すぎるだろう!?」
「十分だ!」
イオリが即答した。
数秒。
カスミは真剣な顔で何かを考えていた。
そして。
「総員!」
突然声を張り上げる。
「本日の開発目標を変更する!」
「どこ掘るの?」
メグが尋ねた。
「ここ以外だ!」
「ただ逃げるだけじゃないか!」
「違うぞ、イオリちゃん! これは温泉資源探索範囲の戦略的拡大だ!」
「意味変わってないだろ!」
温泉開発部の面々が一斉に機材をまとめ始める。
その速度だけは驚くほど早い。
「翔!」
メグも火炎放射器を担ぎ直しながら手を振った。
「今度一緒に温泉掘ろうね!」
「だからまだ入部してないって!」
「絶対楽しいよー!」
「勧誘するな!」
カスミも撤退しながら翔へ指を向ける。
「また会おう、翔君! 次は風紀委員長のいない場所で!」
「堂々と言うな!」
「では諸君、さらばだ!」
「待てカスミ!」
「ハーッハッハッハッハ!」
高笑いとともに、温泉開発部は演習場の奥へ消えていった。
しばらくして。
「……速かったな」
翔が呟く。
「逃げ慣れてるんですよ」
チナツが静かに答えた。
「否定できないのが腹立つ……」
イオリは深く息を吐く。
『追跡は別働隊に任せます。こちらは予定通り訓練を開始してください』
「了解です」
「じゃあ始めるか」
翔は演習場の中央へ歩きながら、先ほど見た光景を思い返した。
メグの炎。
カスミの言葉。
強さだけではない。
距離。
時間。
角度。
当てる場所。
「……使えるかもしれない」
「何が?」
「温泉開発部のやり方」
イオリが露骨に嫌そうな顔をした。
「認めたくない」
「そこまで?」
「そこまでだ」
「でも役に立ちそうだよ」
「言うな」
「事実ではあります」
「チナツまで!?」
少しだけ騒がしい空気を残したまま、訓練が始まった。
* * *
演習場の中央には、分厚い金属板が一枚設置された。
中央部分だけが四角く色分けされ、その周囲には複数の温度センサーが取りつけられている。
「では始めます」
チナツが計測用端末を見る。
「変身前の状態は正常です」
『こちらでも確認しています』
翔は腰のポーチへ手を伸ばし、ヒートメモリを取り出した。
ロストドライバーを腰へ当てると、ベルトが自動的に展開して身体へ巻きつく。
赤いメモリのスイッチを押した。
《HEAT!》
聞き慣れ始めた電子音。
翔は一度、自分の内側へ意識を向けた。
今は怒っていない。
訓練への緊張はあるが、それだけだ。
ヒートメモリをロストドライバーへ差し込む。
「変身」
ドライバーを展開した。
熱気が周囲へ広がり、深い赤を基調とした姿が翔の身体を包み込む。
変身は問題なく成立した。
「……普通だ」
「何が?」
イオリが尋ねる。
「気分。別に怒ってないけど、普通に変身できた」
チナツがすぐに確認する。
「精神状態に変化は?」
「特にない。少なくとも自分では感じない」
『分かりました。現時点では、強い怒りが変身条件になっているとは考えにくそうですね』
「やっぱり、あの時怒ってたのは俺自身か」
『そこまで単純に断定するのも早いです』
「分かってる」
翔は赤い手を握り、開いた。
力はある。
それでも、あの時のような激しい感情が湧いてくるわけではない。
『では最初の試験です。指定された中央部分だけを加熱してください。周辺区画は可能な限り温度を上げないように』
「了解」
金属板へ近づく。
中央へ掌を当てる。
「これくらいなら……」
熱を流した。
『待ってください。広がりすぎです!』
「え?」
「風間さん、右側と上部も急速に温度が上昇しています!」
「もう?」
翔はすぐに手を離した。
中央だけを狙ったつもりだった。
だが、指定範囲を越えて金属の色が僅かに変化している。
「……本当に広がるな」
「先日の使用時と同じ傾向ですね」
「じゃあ、もっと弱く」
二回目。
意識して出力を落とす。
先ほどよりは弱い。
しかし。
「周辺温度も上がっています」
「まだ駄目か」
さらに弱く。
それでも思ったように一点へ留まらない。
「難しいな……」
「お前、弱くすることばっかり考えてないか?」
イオリが言った。
「広がるんだから、まず出力下げるだろ」
「まあ、そうだけどさ」
翔は金属板を見る。
弱くする。
さらに弱くする。
だが。
先ほど見た炎が脳裏に浮かんだ。
メグは出力だけを変えていたわけではない。
「……強さだけじゃない」
「何?」
翔は掌全体を押しつけるのをやめた。
指先だけを中央へ触れさせる。
一瞬。
熱を流す。
すぐに離す。
「チナツ」
「中央部の温度が上がりました。周辺への広がりは先ほどより小さいです」
「やっぱり」
少し待つ。
同じ場所へ、もう一度だけ短く触れる。
熱を重ね、離す。
『今の方が効率がいいですね』
「ずっと流し続ける必要はないんだ」
立つ位置を変える。
掌ではなく指先。
角度を変える。
短く熱を入れては、状態を確認する。
「指定区画、目標温度へ到達しました」
「周りは?」
「許容範囲内です」
「……よし」
翔は小さく拳を握った。
「温泉開発部、役に立ったな」
「言うな」
イオリの返答が早い。
「でも」
「言うな!」
『何の話です?』
「行政官も聞いてただろ……」
『できれば記憶から消したいので』
「アコまで……」
* * *
次に用意されたのは、人体を模した大型の訓練用人形だった。
胸部には人工メモリの外部装置を模した黒い部品が取りつけられ、その上を金属製の装甲板が覆っている。
「今回の条件を説明します」
チナツが人形を示した。
「外部装置を覆っている固定具だけを熱で変形させてください。本体側の温度センサーが規定値を超えた時点で失敗です」
「中に本物の使用者がいるつもりでやるってことだな」
「はい」
「分かった」
翔は装甲板を見る。
壊すべきものを見るのではなく。
その先の目的を見る。
「……全部外す必要もないか」
固定箇所を探す。
左上。
右下。
二ヶ所。
「ここ」
左上の固定具へ指先を近づける。
一度。
短く熱を入れる。
離す。
もう一度。
「左側の固定具が変形しています」
「本体は?」
「問題ありません」
「次」
右下。
こちらは角度が悪い。
正面から無理に熱を入れず、身体を横へずらして指先を差し込める方向を探す。
短く熱を加えた瞬間。
「……っ」
少し強い。
自分でも分かった。
すぐに手を離す。
「温度上昇。ですが規定値以内です」
「危なかった」
『今の判断は良かったです』
アコの声が届く。
『出力を絞るだけでなく、危険だと判断した時点ですぐ止める。それも制御です』
「なるほど」
しばらく待つ。
金属に残った熱が逃げる時間を作り、それからもう一度だけ必要な場所へ熱を入れる。
ギィッ。
固定具が歪み、装甲板の片側が数センチ浮いた。
「開いた」
「まだです」
チナツが端末を確認する。
「模擬装置は見えていますが、射線が狭いですね」
「私ならいける」
イオリが前へ出た。
「本当?」
「誰に聞いてるんだよ」
銃を構える。
「もう少しだけ上を開けろ」
「どれくらい?」
「指二本分」
「細かいな」
「実戦なら、そのくらいの隙間しか作れないことだってあるだろ」
「……それもそうか」
翔は再び装甲へ近づいた。
板そのものではなく。
歪んだ固定具の根元。
一瞬。
離す。
状態を見る。
もう一度。
装甲板が僅かに持ち上がる。
「今!」
翔が横へ退いた。
直後。
銃声。
浮いた装甲の隙間を抜け、黒い模擬装置の中央だけを弾丸が撃ち抜いた。
「……おお」
「何だ、その反応」
「いや、やっぱりすごいなと思って」
「これくらい当然だ」
イオリは銃を下ろした。
「それより、最初からお前が全部壊す必要ないだろ」
翔が模擬装置を見る。
「外を開けば、こっちが撃てる」
「……そうだな」
「前にもやっただろ」
「うん」
ヒナと一緒に戦った時もそうだった。
自分が隙を作る。
撃てる誰かが撃つ。
力が変わっても、全部を自分一人で終わらせる必要はない。
「じゃあ次、もう少し小さい隙間でやってみる」
「何でわざわざ難しくするんだよ」
「イオリなら撃てるんだろ?」
「撃てるけど!」
「なら練習になる」
「お前、ちょっと調子出てきたな……」
チナツが小さく笑う。
「二人とも、続けるなら計測を再開しますよ」
「はい」
「分かった」
その後も何度か同じ訓練を繰り返した。
すべてが上手くいったわけではない。
熱を入れすぎて模擬人形のセンサーが警告を出したこともある。
固定具を狙ったはずが、装甲板そのものを必要以上に熱してしまったこともあった。
逆に慎重になりすぎて、ほとんど変形させられない時もある。
それでも、最初とは違っていた。
失敗するたびに、何を変えるべきか考えられる。
出力。
時間。
距離。
角度。
当てる場所。
そして、途中で止める判断。
熱を出さないようにすることだけが制御ではない。
必要なところへ。
必要な分だけ。
目的に合わせて使う。
少しずつではあるが、ヒートの扱い方が翔の中で形になり始めていた。
* * *
「今日はここまでにしましょう」
訓練を終え、翔がヒートメモリをロストドライバーから抜く。
赤い姿が消えた。
チナツがすぐに近づき、呼吸や脈拍、体温などを確認する。
「明確な異常はありません」
「よかった」
『訓練結果もこちらで確認しました』
アコの声が入る。
『初回としては十分でしょう。少なくとも、実戦で初めて使った時より熱の範囲を意識して絞れています』
「じゃあ結構上手くいった?」
『調子に乗らないでください』
「早いな」
『まだ静止目標です。実際の使用者は動きますし、装甲の形や位置も一定ではありません』
「分かってる」
「それに、今日はもう十分です」
チナツも端末を閉じる。
「初めての本格的な訓練です。異常が見つからなくても、長時間の使用は避けた方がいいでしょう」
「……了解」
まだ続けたい気持ちは少しある。
けれど、止められたなら聞いておくべきだ。
「今日は終わりだな」
「そうしろ」
イオリも頷いた。
翔はヒートメモリを腰のポーチへ戻す。
その時。
ゴゴゴゴゴ……。
遠くから、低い地鳴りのような音が聞こえた。
三人が揃ってそちらを見る。
「……何?」
「嫌な予感しかしない」
イオリが呟いた直後。
ドォンッ!
演習場から少し離れた岩場の向こうで、何かが大きく吹き上がった。
「まだいたのかあいつら!?」
イオリが叫ぶ。
やがて。
「ハーッハッハッハッハ! 見たまえ諸君! やはり私の読みは正しかった! 温泉だ! 温泉が出たぞ!」
「やったーっ!」
聞き覚えのある歓声。
岩場の向こうから白い湯気が上がっている。
「……本当に掘り当てた」
「風間さん、感心している場合ではありません」
「そうだった」
『退去したはずでは!?』
アコの声にも明確な苛立ちが混ざる。
「場所変えただけみたいだな」
『それを退去とは言いません!』
「温泉だから仕方ないんじゃない?」
『風間さんまで理解したような口調で言わないでください!』
その時だった。
「カスミ」
大声ではない。
それなのに、先ほどまで響いていた高笑いが一瞬で止まった。
「…………」
イオリの耳がぴくりと動く。
「来たか」
湯気の向こう。
巡回を終えた帰りだったのだろう。
ヒナがゆっくりと温泉開発部の方へ歩いていく。
「カスミ部長?」
メグの声がした。
「どうしたの?」
「……いや」
カスミは先ほどとは比べものにならないほど静かな声で答えた。
「何も問題はないとも」
「顔青いよ?」
「問題ないと言っているだろう」
「カスミ」
ヒナがもう一度名前を呼ぶ。
「はい」
返事だけは妙に早かった。
「さっき、ここから撤収したって聞いたけど」
「その件については少々説明が必要でね」
「そう」
ヒナは怒鳴らない。
「じゃあ説明して」
「…………」
カスミの口が止まった。
「まず我々は、この地域に存在する地下熱源の可能性を――」
「使用許可のない区域に入った?」
「それは地質調査の一環として――」
「爆破した?」
「安全な掘削作業のための――」
「退去するように言われた?」
「その表現には少々語弊が――」
「その後、場所を変えてまた掘った?」
「…………」
ヒナはじっと待っている。
「……探索範囲を戦略的に変更した」
「再侵入だね」
「言葉の選び方というものがあるだろう、ヒナ委員長!」
「じゃあ、風紀委員会でゆっくり聞く」
「待ちたまえ!」
カスミが一歩後ろへ下がる。
「話し合いは大切だ。そうだろう?」
「だから聞くって言ってる」
「ここで!」
「風紀委員会で」
「ここでいいじゃないか!」
「駄目」
「ちょうど見たまえ! 歴史的な温泉も湧いたことだし、まずは一番風呂でも――」
「いらない」
「即答!?」
翔は少し離れたところから、そのやり取りを眺めていた。
ヒナは声を荒らげていない。
銃を向けてもいない。
ただ、カスミが差し出す逃げ道を一つずつ塞いでいる。
「メグ」
「なに?」
「対処法その二だ」
「プレゼント?」
「声が大きい!」
「何を渡すつもり?」
ヒナがすぐに反応する。
「…………」
「カスミ?」
「メグ」
「ん?」
「対処法その二は中止だ」
「そっか!」
「そこはもう少し残念そうにしてくれないか!?」
「だってヒナ委員長には無理そうだし」
「本人の前で言うな!」
イオリがとうとう堪えきれず吹き出しかけ、慌てて咳払いした。
チナツも口元を僅かに押さえている。
「カスミ」
「……はい」
「行くよ」
ヒナが言う。
数秒。
カスミは周囲を見る。
右。
左。
後ろ。
どこを見ても風紀委員会の生徒がいる。
正面にはヒナ。
「…………メグ」
「なに?」
「どうやら私はここまでのようだ」
「カスミ部長!?」
「後は頼んだ」
「何を!?」
「温泉開発部の未来を!」
「イオリ」
「はい、委員長」
「連れてきて」
「了解!」
「待て! そこはもう少し私の覚悟に敬意を――」
「さっさと来い!」
イオリがカスミを引っ張っていく。
「メグ! 温泉を守れ!」
「はーい!」
「メグも来る」
ヒナが言った。
「はーい!」
「何故そっちはそんなに素直なんだ!?」
カスミの叫びが岩場へ響いた。
翔は思わず笑う。
「……ヒナ、本当に慣れてるな」
ヒナがこちらを見る。
「何に?」
「いや、何でもない」
「そう」
ヒナは演習場に残った標的や計測器を見る。
「訓練は終わった?」
「うん。ちょうど今」
「どうだった?」
翔は最初に使った金属板を見る。
指定部分を大きくはみ出すように、熱の跡が残っている。
その隣には、最後に使った訓練用人形。
歪んでいるのは装甲の固定具だけ。
僅かに開いた隙間の奥では、黒い模擬装置の中心をイオリの弾痕が正確に貫いていた。
「……最初よりは分かってきた」
「なら良かった」
「今日は無茶もしてない」
「それは普通のこと」
「先に言われた」
ヒナの口元がほんの僅かに緩む。
「じゃあ、そのまま続けて」
「分かった」
ヒナはカスミたちの方へ戻っていった。
向こうではまだ声がする。
「待ってくれヒナ委員長! せめて温泉の所有権についてだけでも交渉を!」
「後で聞く」
「後では遅いんだ!」
「何で?」
「先に誰かが入るかもしれない!」
「そこなんだ……」
メグの呟きが聞こえた。
「カスミ部長って温泉のことになると本当に元気だね!」
「君も同類だろう!」
翔が笑っていると、戻ってきたイオリがじろりと睨んだ。
「何笑ってんだよ」
「いや……あの人たちに教わったことになるんだなと思って」
「言うな」
「でも実際役に立った」
「言うな!」
「事実ですよ、イオリ」
「チナツまで!?」
翔はもう一度、二つの標的を見比べた。
「でも、これなら」
「ん?」
「次はもう少し早く助けられるかもしれないな」
イオリが僅かに目を瞬く。
「……そこかよ」
「そこだろ」
「普通、もっと火力が出せるとか考えないのか?」
「火力だけ上げてどうするんだよ」
「いや、まあ……」
イオリは頭を掻く。
「お前ならそう言うと思ったけど」
強い熱を、ただ弱くするだけではない。
必要な場所を見る。
必要な時間だけ使う。
危ないと思ったら止める。
そして、自分一人で最後までやろうとせず、任せられるところは誰かへ任せる。
それもまた、力を扱うということなのだろう。
ヒートそのものが弱くなったわけではない。
力の性質が変わったわけでもない。
変わり始めたのは、その熱を扱う翔自身の方だった。
まだ、使いこなせたとは到底言えない。
それでも。
次にこの熱が必要になった時、最初に使った時より少しだけ上手く扱える。
その少しが、誰か一人を助けるための時間に変わるなら。
今日ここへ来た意味は、それで十分だった。