青の記録 ―二つの記憶が交わる時―   作:きままに投稿

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総力戦ペロロジラとりあえずTMTクリアで良しにしました。
TAも何回かやりましたが今回は厳しいですな。
タイムを出すために運要素が多すぎる。そしてフレンドにマコトの星4が一人しかいない。
同じスコアが幾つも団子になってますし、いやぁ最近のチナトロ争いは壮絶ですなぁ。


第25話 エピローグ 「仮面ライダー」後編

 

 

 夜。

 

 最後の客を見送り、「ひだまり」の扉に掛けられた札が、営業中から閉店へと裏返された。

 

 カラン、と。

 

 扉のベルが最後に小さく鳴り、やがて店内へ静けさが戻ってくる。

 

 つい少し前まで、そこにはキララとエリカの声があった。

 

 他の客たちの笑い声があった。

 

 カップの触れ合う音や、椅子を引く音、注文を呼ぶ声が重なっていた。

 

 それらがなくなった今、聞こえるのは洗い場を流れる水音と、翔が片づける食器の音くらいだった。

 

「……これで最後っと」

 

 洗い終えたカップを布巾で丁寧に拭き、棚の定位置へ戻す。

 

 翔は軽く腰を伸ばした。

 

 一日中立っていたせいか、僅かに身体が重い。

 

 戦った後のような疲労とは比べるべくもないが、こういう一日の終わりに感じる疲れは、今ではすっかり馴染みのものになっていた。

 

 カウンターの奥では、ニャン次郎が翌日の仕込みに必要な材料を確認している。

 

 冷蔵庫を開けて中を覗き込み、保存容器を一つずつ確認し、不足しているものを脇に置いたメモへ書き込んでいく。

 

「マスター、洗い物終わった」

 

「ああ」

 

「そっちは?」

 

「もう少しだ」

 

「じゃあ、俺も手伝うよ」

 

 濡れた手をタオルで拭きながら、翔が厨房へ向かおうとした。

 

 その時だった。

 

「仮面ライダー」

 

「…………」

 

 ぴたりと足が止まる。

 

 数秒。

 

 翔はゆっくりとニャン次郎を振り返った。

 

「……急に何?」

 

「随分と広まったな」

 

「ああ……」

 

 何のことか理解した途端、翔の肩から僅かに力が抜ける。

 

「それか」

 

「今日だけで何度聞いたと思ってる」

 

「店でも?」

 

「客が何人も話していた」

 

「やっぱり……」

 

 翔は頭を掻いた。

 

 今日一日だけでも、その名前は嫌というほど耳にした。

 

 商業区を歩いていた時。

 

 買い物をしていた時。

 

 通りすがりの生徒たちの会話。

 

 店へ戻ってからは、客たちの雑談。

 

 そして極めつけが、先ほどまでこの店にいたキララとエリカだ。

 

「思ってたより広まるの早くない?」

 

「人前で名乗ったんだ。映像まで残っている」

 

「それは分かってるけどさ」

 

 翔はカウンター席を一つ引き、そこへ腰を下ろした。

 

 閉店後ならではの静かな店内を見回してから、少し困ったように笑う。

 

「何か変なんだよな」

 

「何がだ」

 

「俺のことなのに、俺の知らないところで仮面ライダーの話がどんどん増えてるのが」

 

 ニャン次郎が作業の手を止めずに耳を傾ける。

 

「黒い方が好きだとか」

 

「ああ」

 

「赤い方が強そうだとか」

 

「ふむ」

 

「ライダーキックが格好いいとか」

 

 そこまではいい。

 

 実際に見たものについて好き勝手に感想を言う程度なら、翔にも理解できる。

 

 風紀委員会の仲間なのか。

 

 どこから来たのか。

 

 正体は誰なのか。

 

 そういう疑問が出るのも当然だろう。

 

「でもさ」

 

 翔の眉間に皺が寄った。

 

「途中から明らかにおかしくなってくるんだよ」

 

「例えば?」

 

「『ヒートの炎なら料理を一瞬で仕上げられるから、美食研究会が探してる』」

 

「……」

 

「何、その間」

 

「ありそうだと思ってな」

 

「そこは否定してくれよ」

 

「何故だ?」

 

「俺、調理器具じゃないんだけど」

 

「火力としては申し分なさそうだが」

 

「マスターまでそっち側に行くなよ」

 

 真顔で返され、翔は額を押さえた。

 

 想像してしまう。

 

 ヒートへ変身した自分を前に、料理について真剣に語り始める美食研究会。

 

 ……妙にあり得そうなのが嫌だった。

 

「あと」

 

「まだあるのか」

 

「『仮面ライダーは近いうちに万魔殿へ入る』って話」

 

 ニャン次郎の耳がぴくりと動いた。

 

「ほう」

 

「しかも、『マコト議長が誰よりも早く才能を見抜いて、直々に迎え入れようとしてる』らしい」

 

「大出世だな」

 

「俺、マコト議長と会ったことすらないんだけど」

 

 少なくとも翔の記憶に、万魔殿から正式な勧誘を受けた事実などない。

 

「何で一回も話したことない人に才能見抜かれてるんだよ……」

 

「優れた指導者には先を見る目があるんじゃないか?」

 

「それ、本気で言ってる?」

 

「さてな」

 

「絶対面白がってるだろ」

 

 ニャン次郎は答えない。

 

 その沈黙が答えだった。

 

 翔は小さくため息をつく。

 

「で、一番意味分からなかったのが――」

 

「まだ上があるのか」

 

「あるんだよ」

 

 一度言葉を切る。

 

 思い返すだけでも理解に苦しむ。

 

「『黒い仮面ライダーと赤い仮面ライダーは兄弟で、仲が悪いから絶対に同時に出てこない』」

 

 ニャン次郎の動きが止まった。

 

「…………」

 

「マスター」

 

「何だ」

 

「今、笑いそうになっただろ」

 

「なってない」

 

「嘘つけ」

 

「なかなか想像力豊かな話だとは思った」

 

「俺一人だよ!」

 

 翔は思わずカウンターを軽く叩いた。

 

「そもそも目の前でジョーカーからヒートに変わってる映像あるだろ!」

 

「映像が全員に正しく理解されるとは限らん」

 

「じゃあ何のための映像だよ!」

 

「噂とはそういうものだ」

 

「それ、今日何にでも使える便利な言葉になってない?」

 

「便利だからな」

 

「認めるんだ……」

 

 力なく項垂れる。

 

 今日一日で、自分の知らない「仮面ライダー」が何人誕生したのだろう。

 

 美食研究会に狙われる高火力調理器具。

 

 万魔殿へ加入予定の謎の精鋭。

 

 黒い兄と赤い弟。

 

「……明日になったら、また設定増えてそう」

 

「可能性はあるな」

 

「勘弁してくれ……」

 

 翔が深々と息を吐く。

 

 そんな姿を見て、ニャン次郎の口元がほんの僅かに緩んだ。

 

「今、笑った」

 

「笑ってない」

 

「いや、見たからな?」

 

「気のせいだ」

 

「絶対楽しんでるだろ」

 

「多少は」

 

「やっぱり!」

 

 思わず声が大きくなる。

 

 けれど、その直後には翔自身も堪えきれず笑ってしまった。

 

 誰かが勝手に作った噂だ。

 

 訂正しようにも、正体を明かすわけにはいかない。

 

 なら、今はもう笑うしかない。

 

 閉店後の店内に、二人の声が短く響いた。

 

 やがて。

 

 笑い声は自然に小さくなっていく。

 

 翔はカウンターへ置いた自分の手を見た。

 

「……でもさ」

 

 先ほどまでとは違う声だった。

 

 その変化に気づいたのか、ニャン次郎も何も茶化さなかった。

 

「一番変だったのは、そういう噂じゃないんだよな」

 

「キララたちか」

 

「……うん」

 

 すぐに分かったらしい。

 

 翔は少しだけ目を伏せた。

 

「仮面ライダーに、ちゃんとありがとうって言いたいってさ」

 

「そうか」

 

「目の前にいるのに」

 

 思わず苦笑が漏れる。

 

 けれど、今度の笑いはすぐに消えた。

 

「ヒーローみたいだったって」

 

 その言葉も、まだ耳に残っている。

 

 怪人を倒すより先に、自分たちを助けに来てくれた。

 

 だから。

 

 ヒーローみたいだった。

 

「俺は……あの時、そんなこと考えてなかった」

 

 ニャン次郎は黙っている。

 

「別に、格好よく見せようとしたわけでもないし。ヒーローっぽいことしようって考えてたわけでもない」

 

 あの瞬間に見ていたものは、もっと単純だった。

 

 崩れ落ちてくる氷。

 

 その下にいるキララとエリカ。

 

 助けなければならない。

 

 ただ、それだけだった。

 

「でも、二人にはそう見えてた」

 

 カウンターの木目を指先でなぞる。

 

「街でライダーキック真似してた子もいたし」

 

 ふと、昼間の光景を思い出す。

 

 小さな身体で勢いよく跳び、危うく転びそうになって親に支えられていた子ども。

 

 楽しそうに「仮面ライダー」と口にしていた。

 

「俺が何となく名乗った名前なのにさ」

 

「何となく、か?」

 

「……いや」

 

 翔は少し考えて、言い直した。

 

「あの時は、それ以外の名前が出てこなかったんだと思う」

 

 何者だ。

 

 そう問われた。

 

 その瞬間、迷うことなく口から出た言葉。

 

 仮面ライダー。

 

 あの時の選択を後悔してはいない。

 

 名乗らなければよかったとも思わない。

 

 ただ。

 

「一回口にしたら、それで終わりじゃないんだな」

 

「どういう意味だ?」

 

「だって」

 

 翔は顔を上げた。

 

「俺がいないところでも、みんなその名前を使ってる」

 

 噂になって。

 

 笑い話になって。

 

 憧れになって。

 

 感謝の言葉の向かう先にもなっている。

 

「俺がどういうつもりで名乗ったかだけじゃ、もう決まらないんだなって」

 

 自分の知らない場所で。

 

 自分の知らない誰かの中で。

 

 仮面ライダーという名前に、少しずつ何かが重ねられていく。

 

 ニャン次郎はしばらく翔を見た後、再び手元へ目を戻した。

 

「名前なんて、そんなものだろ」

 

「そういうもの?」

 

「名乗るのは自分でも、呼ぶのは他人だ」

 

「……」

 

「どういう意味で呼ぶかまで、お前が決めることはできん」

 

 翔は黙って、その言葉を聞いた。

 

「格好いいと思う奴もいる」

 

「うん」

 

「胡散臭いと思う奴もいる」

 

「それはちょっと嫌だな」

 

「正体不明で仮面を被っている奴だからな」

 

「マスター」

 

「事実だ」

 

「……まあ、そうだけど」

 

 小さく笑った。

 

 けれど。

 

 その笑みも、今度は長く続かなかった。

 

 翔は少し迷ってから口を開く。

 

「じゃあさ」

 

「何だ」

 

「これから……『仮面ライダーなら助けてくれる』って思う人も出てくるのかな」

 

 ニャン次郎の耳が動く。

 

「名前がもっと広まったら」

 

 言いながら、自分でも胸の奥に引っかかっていたものの正体が少しずつ見えてくる。

 

「今日のあの子みたいに、仮面ライダーって聞いて何か思ってくれる人が増えて」

 

 嬉しくないわけではない。

 

 キララとエリカの言葉も。

 

 あの子どもの笑顔も。

 

 嫌ではなかった。

 

 むしろ。

 

 少しだけ、嬉しかった。

 

 だからこそ。

 

「何かあった時に、『仮面ライダーが来てくれる』って思われたら」

 

 翔は一度言葉を止める。

 

「……俺、それに全部応えられるのかな」

 

 閉店後の「ひだまり」に、時計の針が進む音が聞こえた。

 

「全部の場所に行けるわけじゃない」

 

「ああ」

 

「知らないところで何か起きてたら、そもそも気づけない」

 

「ああ」

 

「気づいても……」

 

 言葉が僅かに詰まる。

 

「間に合わないことだってある」

 

「あるだろうな」

 

 ニャン次郎は否定しなかった。

 

 優しい嘘で覆うこともしなかった。

 

 だから、翔も続けられた。

 

「助けられないことだって」

 

「ある」

 

 短い返答。

 

 胸の奥へ沈む。

 

 そんなことは分かっていた。

 

 自分は万能ではない。

 

 ジョーカーがあっても。

 

 ヒートがあっても。

 

 ロストドライバーを腰に巻いても。

 

 全てを救える存在になったわけではない。

 

「……それが、ちょっと怖い」

 

「期待されることがか?」

 

「違う」

 

 翔はゆっくり首を振った。

 

「期待に応えられなくなるのが」

 

 言葉にすると、思ったよりも重かった。

 

 戦いが怖いわけではない。

 

 傷つくことが怖いのとも少し違う。

 

 誰かが自分を信じたとして。

 

 その時、自分がそこにいなかったら。

 

 伸ばされた手に気づけなかったら。

 

 間に合わなかったら。

 

 その名前だけが、自分よりずっと大きなものになってしまったら。

 

「翔」

 

「ん?」

 

「全部に応えようとするな」

 

 顔を上げる。

 

「……でも」

 

「名前に追い回されるぞ」

 

「名前に?」

 

 ニャン次郎はそこで初めて、完全に作業の手を止めた。

 

 カウンター越しに翔を見る。

 

「仮面ライダーだから負けられない」

 

「……」

 

「仮面ライダーだから、どんな相手でも一人で何とかしなきゃならない」

 

「……」

 

「仮面ライダーなら、誰でも助けられるはずだ」

 

 一つずつ。

 

 言葉が並ぶ。

 

 どれも。

 

 いつか自分が考えてしまいそうな言葉だった。

 

「そういうものを一つずつ背負ってみろ」

 

 ニャン次郎の声は静かだった。

 

「そのうち、お前は目の前にいる奴じゃなくて――『仮面ライダーならどうするか』ばかり見るようになる」

 

「…………」

 

 翔は返せなかった。

 

「お前が名乗ったんだろ。その名前を」

 

「……うん」

 

「なら」

 

 ニャン次郎は言った。

 

「名前に、お前を動かさせるな」

 

 静かな声だった。

 

 強く言い聞かせるでもない。

 

 励ますような口調でもない。

 

 ただ、当たり前のことを言うように。

 

 それがかえって、翔の胸へ深く入った。

 

「……難しいな」

 

「そうか?」

 

「そうだろ」

 

 翔は小さく笑う。

 

「せっかく名乗ったのに、『名前を意識しすぎるな』って」

 

「名乗ったからこそだ」

 

「……そっか」

 

 視線を落とす。

 

 カウンターへ置かれた自分の手。

 

 変身すれば黒い仮面を纏い、拳を振るう手。

 

 今は、洗い物で少しふやけただけの普通の手だった。

 

「じゃあ、どうすればいい?」

 

 今度の問いに、ニャン次郎はほとんど間を置かなかった。

 

「目の前を見ろ」

 

「……目の前?」

 

「その時、お前の前に誰がいる」

 

「……」

 

「何が起きてる」

 

「……うん」

 

「それを見て、自分にできることを考えろ」

 

 それだけだった。

 

 仮面ライダーとは何か。

 

 どうあるべきなのか。

 

 そんな大げさな答えは返ってこなかった。

 

 でも。

 

 翔には、その方がしっくりきた。

 

 街のどこかで誰かが何を期待しているかではなく。

 

 自分が立派に見えるかでもなく。

 

 今、そこにいる誰かを見る。

 

 そして。

 

 その時にできることを、自分で選ぶ。

 

「……なるほど」

 

 翔はゆっくり息を吐いた。

 

 胸に溜まっていたものが、全て消えたわけではない。

 

 たぶん、これから先も考える。

 

 間に合わなかったら。

 

 助けられなかったら。

 

 もっと強ければ。

 

 もっと早ければ。

 

 そんなことを。

 

 それでも今は、そのたびに戻ってこられる場所が一つ増えた気がした。

 

「仮面ライダーだから、じゃなくて」

 

 翔が静かに言う。

 

「その時、俺がどうしたいかを決める」

 

 ニャン次郎は頷いた。

 

「ああ」

 

「それで――」

 

 一度だけ言葉を探す。

 

「それを見た誰かが、また仮面ライダーって呼んでくれるなら」

 

 少し笑った。

 

「……悪くないかもな」

 

「なら、話は終わりだな」

 

「え?」

 

 ニャン次郎は何事もなかったように材料へ視線を戻した。

 

「玉ねぎを切れ」

 

「急に現実へ戻すなよ」

 

「明日のスープは待ってくれん」

 

「さっきまで結構いい話してたのに」

 

「いい話をしても仕込みは終わらん」

 

「余韻とかないの?」

 

「腹は余韻では膨れん」

 

「現実的すぎるだろ……」

 

 呆れながらも、翔は席を立った。

 

 厨房へ回る。

 

 まな板の横には、すでに玉ねぎがいくつも並べられていた。

 

「……これ全部?」

 

「全部だ」

 

「結構あるな」

 

「明日は客が増えるかもしれん」

 

「何で?」

 

「今日の様子を見る限り、『仮面ライダー』の話をしに来る奴もいるだろう」

 

「やめてくれよ……」

 

 翔は包丁を手に取る。

 

「そのうち『仮面ライダーゆかりの店』とか言われ始めたらどうするんだよ」

 

「その時は値上げを考える」

 

「マスター!?」

 

「冗談だ」

 

「今、一瞬本気だっただろ!」

 

「さてな」

 

「絶対ちょっと考えただろ!」

 

 ニャン次郎は知らん顔で別の材料を取り出す。

 

 翔はしばらく疑わしげに見ていたが、やがて諦め、一つ目の玉ねぎへ包丁を入れた。

 

 トン。

 

 トン。

 

 一定の間隔で、刃がまな板を叩く。

 

 閉店した店に、いつもの音が戻ってくる。

 

 窓の外では、夜のゲヘナがまだ眠ることなく明かりを灯している。

 

 あの街のどこかでは、今も誰かが黒い仮面の話をしているのかもしれない。

 

 赤い姿のことを。

 

 あの蹴りのことを。

 

 聞いたこともない噂を増やしながら。

 

 ――仮面ライダー。

 

 今日だけで何度耳にしたか分からない名前。

 

 それなのに。

 

 先ほどまで感じていた妙なくすぐったさは、少しだけ薄れていた。

 

「マスター」

 

「何だ」

 

「これ切ったら?」

 

「人参」

 

「その次」

 

「じゃがいも」

 

「まだあるの?」

 

「明日の分だ」

 

「……了解」

 

 次の玉ねぎを手に取る。

 

 その拍子に、窓ガラスへ自分の姿が映った。

 

 エプロン姿で。

 

 片手には包丁。

 

 目の前には大量の玉ねぎ。

 

 街で噂になっている姿とは、似ても似つかない。

 

「…………」

 

 翔はそれを見て、ほんの少しだけ笑った。

 

「何だ?」

 

「いや」

 

 首を横に振る。

 

「何でもない」

 

 そしてまた、包丁を下ろす。

 

 トン、トン、と。

 

 その音の向こうで、店の外を誰かが通り過ぎていった。

 

 話し声が微かに聞こえる。

 

 何を話しているのかまでは分からない。

 

 もしかしたら。

 

 また、あの名前かもしれない。

 

 翔はもう耳を澄ませなかった。

 

 今はただ、目の前の玉ねぎを切った。

 

 明日もこの店を開けるために。

 

 窓の向こうで夜が更けていく中、「ひだまり」の灯りはもうしばらく消えなかった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 同じ頃。

 

 ゲヘナ自治区から離れた、とある施設。

 

 外の様子を窺える窓はなく、室内を照らしているのは天井の白い照明と、壁一面を占める大型モニターの光だけだった。

 

 その前に、一体のロボットが立っている。

 

 先日の戦闘で損傷した、カイザーの幹部。

 

 あの商業区でICE AGEメモリを使用し、仮面ライダーと交戦した張本人だった。

 

 モニターには、大量の数字と報告書が並んでいる。

 

 損失した機材。

 

 放棄された施設。

 

 押収された人工ガイアメモリ。

 

 実験に投入した対象。

 

 回収できた戦闘記録。

 

 その中には当然、黒と赤、二つの姿を使い分ける仮面の戦士の映像も含まれていた。

 

 しばらくして。

 

 画面が切り替わった。

 

『ふむ』

 

 映し出された男が、報告書へ目を通しながら小さく唸る。

 

 カイザーPMC理事。

 

 視線は資料へ落としたまま。

 

 だが、その口元にはいつものように、どこか余裕を感じさせる笑みがあった。

 

『随分と派手にやったようだな、君』

 

「……申し訳ありません」

 

 幹部は頭を下げる。

 

「計画は予定通り進まず、施設も失いました。さらに、本物のガイアメモリまで――」

 

『ん?』

 

 理事が顔を上げた。

 

『何故謝る?』

 

「……」

 

『私は謝罪を求めた覚えはないのだがね』

 

「しかし、今回の実験は――」

 

『ああ、失敗した』

 

 さらりと言った。

 

『施設は風紀委員会に踏み込まれ、人工メモリは押収された。君自身も敗北し、ICE AGEも破壊された』

 

 一つずつ。

 

 まるで商品の在庫を確認するように、損失を並べる。

 

『なるほど。確かに、報告書だけを見れば随分と景気の悪い話だ』

 

「……はい」

 

『では、データは?』

 

「……データ?」

 

『そうだ』

 

 理事は指を一本立てた。

 

『私は施設の墓標を眺めたいわけではない。そこから何を持ち帰ったのかを聞いている』

 

 幹部は一瞬黙った後、手元の端末を操作した。

 

「人工ガイアメモリについては、複数の実戦データを確保しています」

 

『続けたまえ』

 

「使用時の出力変化。使用者への負荷。長時間使用時の挙動。複数個体を同時投入した際の制御効率。風紀委員会との交戦記録も残っています」

 

『ふむ』

 

「ICE AGEについても、実戦投入時の出力は記録されています」

 

『それで?』

 

「……仮面ライダーとの交戦記録も」

 

 その言葉で。

 

 理事の指が止まった。

 

『仮面ライダー』

 

 ゆっくりと、その名を口にする。

 

 画面の片隅。

 

 戦闘映像が呼び出された。

 

 黒い仮面。

 

 紫を帯びた身体。

 

 ジョーカー。

 

 映像が切り替わる。

 

 深い赤。

 

 熱気を纏う姿。

 

 ヒート。

 

 さらに。

 

 氷に覆われた道路を駆け、跳躍し。

 

 ICE AGEへ真正面から蹴りを叩き込む。

 

 爆発。

 

 メモリブレイク。

 

『……なるほど』

 

 理事が椅子の背へ身体を預けた。

 

『随分と大仰な名前を名乗ったものだ』

 

「危険な存在です」

 

『そうだろうな』

 

 答えは軽い。

 

 幹部は僅かに顔を上げた。

 

「私が使用したICE AGEを正面から撃破しました」

 

『見れば分かる』

 

「ジョーカーだけではありません。戦闘中にヒートへ切り替えています」

 

『それも見れば分かる』

 

「……」

 

『君』

 

 理事は笑った。

 

『そんなに身構える必要はない』

 

「ですが」

 

『私は彼の危険性を否定しているわけではないよ』

 

 理事の手元で映像が停止する。

 

 黒い仮面の横顔。

 

『ただし――』

 

 指先が画面を軽く叩く。

 

『名前など、どうでもいい』

 

「……」

 

『仮面ライダーだろうが何だろうが、企業が見るべきものは肩書きではない』

 

 画面に別の数値が並ぶ。

 

『出力』

 

 ジョーカー。

 

『運用効率』

 

 ヒート。

 

『使用者への負荷』

 

 ロストドライバー。

 

『そして、その力がどこまで再現できるのか』

 

 理事の笑みが少しだけ深くなった。

 

『重要なのはこちらだ』

 

「……再現、ですか」

 

『当然だろう?』

 

 理事は肩をすくめる。

 

『一人の強者がいる。それだけでは商品にはならん』

 

「……」

 

『だが、その強さを構成している条件が分かれば話は変わる』

 

 メモリ。

 

 ドライバー。

 

 使用者。

 

 そして、その組み合わせ。

 

『ジョーカーを使用し、その後ヒートへ切り替えても戦闘を継続している。少なくとも映像上、急激な機能低下は見られない』

 

「はい」

 

『面白いデータだ』

 

「では、対象の身元を特定し、確保を――」

 

『何故?』

 

 理事の一言に、幹部の言葉が止まった。

 

「……何故、とは」

 

『何故、今こちらから捕まえに行かなければならない?』

 

「放置すれば、今後の研究を妨害される可能性があります」

 

『可能性はあるな』

 

「ならば」

 

『だが、君』

 

 理事は愉快そうに片手を広げた。

 

『今、我々はゲヘナで何をしたばかりだったかな?』

 

「……」

 

『研究施設一つが露見した』

 

「はい」

 

『風紀委員会が調査に入った』

 

「はい」

 

『万魔殿にも報告が上がっている』

 

「……はい」

 

『そんな状況で、今度は彼を捕まえるために人員を動かす?』

 

 小さく笑う。

 

『君は随分と景気のいい予算の使い方をするな』

 

「……」

 

『放っておきたまえ』

 

「ですが」

 

『何も見ないとは言っていない』

 

 映像の中では、仮面ライダーがICE AGEと戦っている。

 

『また戦うだろう』

 

「……」

 

『ガイアメモリが関わる限り、彼が動く可能性は高い。なら、その度に新しいデータが得られる』

 

 理事は満足そうに画面を見る。

 

『こちらが費用をかけて実験場を作らずとも、向こうから実演してくれるというわけだ』

 

「……利用する、と?」

 

『利用できるものを利用する』

 

 あまりにも当然のように。

 

『それが企業というものだよ』

 

 幹部は何も答えなかった。

 

 数秒後。

 

 理事が手元の資料を閉じる。

 

『さて』

 

 声音が少し変わった。

 

『では、次の話をしよう』

 

「はい」

 

『今回使用した施設』

 

「……はい」

 

『管理責任者は誰になっている?』

 

 唐突な問いだった。

 

「私です」

 

『予算の執行責任者は?』

 

「私の名義です」

 

『現場の人員配置』

 

「私の権限で行いました」

 

『人工メモリの実験計画について、最終的な現場承認を行った者は?』

 

「……私です」

 

『なるほど』

 

 理事は満足そうに頷いた。

 

「……ですが」

 

『何だね?』

 

「今回の研究は、私個人の判断で始めたものではありません」

 

『もちろんだとも』

 

 即答だった。

 

 否定されなかったことに、幹部が僅かに間を置く。

 

「ガイアメモリに関する研究方針は、上層部からも承認されています」

 

『そうだな』

 

「ならば――」

 

『社内では』

 

 理事が続けた。

 

「……」

 

『君の言っていることは正しい』

 

 笑っている。

 

 何一つ否定していない。

 

 それなのに。

 

 幹部の中で、何かが引っかかった。

 

『では、一つ聞こう』

 

 理事が指を組む。

 

『その承認記録のうち、ゲヘナ側へ提出可能な資料はどれだ?』

 

「……」

 

『どうした?』

 

「それは……」

 

 幹部は答えを探す。

 

 上層部からの指示。

 

 研究部門との連絡。

 

 資金の移動。

 

 複数部署を跨ぐ内部資料。

 

 存在はしている。

 

 だが。

 

「機密指定のものが、多数含まれています」

 

『そうだろう』

 

 理事は満足そうに頷いた。

 

『取引情報。研究資料。契約書。社内人事。その他諸々』

 

「……」

 

『一つの施設で問題が起きたからといって、それらをすべて外部へ公開するわけにはいかん』

 

「ですが」

 

『君も管理職なら分かるだろう?』

 

 穏やかな口調。

 

 諭すようですらあった。

 

『企業には守るべき情報というものがある』

 

「……」

 

『我々は何も、調査を妨害しようというわけではない』

 

 理事は大げさに両手を広げる。

 

『むしろ、協力しようではないか』

 

「協力……」

 

『そうとも』

 

 そして。

 

 口元の笑みを崩さないまま。

 

『調査には協力したまえ。提示可能な記録の範囲で、な』

 

「…………」

 

 その言葉で。

 

 幹部にも理解できた。

 

 風紀委員会が施設の記録を辿る。

 

 万魔殿がカイザー側へ照会を行う。

 

 そこまではいい。

 

 問題は、その先。

 

 外部から確認可能な資料だけを追えば。

 

 研究施設。

 

 予算。

 

 人員。

 

 実験承認。

 

 その全ての線は。

 

 自分のところで止まる。

 

「……私に、責任を負えということですか」

 

『おや』

 

 理事が眉を上げた。

 

『随分と物騒な言い方をする』

 

「しかし」

 

『誰が君一人へ全ての責任を負わせると言った?』

 

「……」

 

『調査があれば、事実を話せばいい』

 

「事実を」

 

『君が施設を管理していた』

 

「……はい」

 

『君が予算を執行した』

 

「はい」

 

『君が現場を指揮していた』

 

「……はい」

 

『何一つ嘘ではないだろう?』

 

 理事は笑っている。

 

「上層部の承認については」

 

『聞かれれば答えればいい』

 

「では資料も」

 

『公開可能なものは、な』

 

「…………」

 

『何か問題でも?』

 

「……いいえ」

 

 理事は満足そうに頷いた。

 

『結構』

 

 まるで。

 

 最初から正しい答えが一つしかなかったかのように。

 

 短い沈黙。

 

 それを破ったのは幹部だった。

 

「では、次の実験についてですが」

 

『次?』

 

「……はい」

 

 僅かな間。

 

 通信越しなのに、その一言だけで空気が変わった。

 

「人工ガイアメモリの改良が必要です。今回得られたデータを用いれば、安定性の向上も――」

 

『ああ』

 

 理事は思い出したように頷く。

 

『その方式なら終了だ』

 

「……終了?」

 

『そうだ』

 

「しかし、まだ改善の余地があります」

 

『あるだろうな』

 

「なら何故」

 

『君』

 

 理事は少し呆れたように笑った。

 

『同じ手をもう一度使うつもりかね?』

 

「……」

 

『人工メモリを使用者へ投入し、実戦でデータを取る』

 

 指先で机を叩く。

 

『一度なら成果になる』

 

 もう一度。

 

『二度目も、状況次第では価値がある』

 

 三度目。

 

『だが、同じ方法を続けて毎回風紀委員会に踏み込まれていては――』

 

 笑う。

 

『さすがに採算が合わん』

 

「採算……」

 

『当然だろう?』

 

 施設。

 

 設備。

 

 人員。

 

 騒動への対応。

 

 政治的な摩擦。

 

『技術がどれほど魅力的でも、運用するたびに余計な問題まで買い込んでは商品にならない』

 

 理事はあっさりと言った。

 

『今回の方式は、ここまでだ』

 

「……では」

 

 幹部は少し考えた。

 

「施設を変更し、より秘匿性の高い場所で続行を」

 

『必要ない』

 

「……?」

 

『もう移してある』

 

 今度こそ。

 

 幹部は完全に言葉を失った。

 

「……何を、ですか」

 

『必要なものをだよ』

 

 理事は平然としている。

 

『研究データ。人工メモリの設計資料。今回の実験結果。それまで蓄積した解析情報』

 

「いつ」

 

『君がゲヘナで随分と注目を集めている間に』

 

「…………」

 

『安心したまえ。成果を捨てたわけではない』

 

 理事はむしろ、励ますように笑った。

 

『君の仕事は十分に役立っている』

 

「……」

 

『人工メモリはまだ改良できる。本物との差も、以前より明確になった。そして何より、新しい観測対象まで現れた』

 

 画面の端。

 

 黒い仮面の映像が残っている。

 

『十分な成果だと思わんかね?』

 

「では、新しい研究施設はどこに」

 

『それを君が知る必要はない』

 

「……何故です」

 

 初めて。

 

 幹部の声に明確な戸惑いが混じった。

 

「この研究は、これまで私が――」

 

『だからこそだよ』

 

 理事は遮った。

 

『君はよく働いた』

 

「……」

 

『実に有用なデータを集めてくれた。危険性も、限界も、改善点も分かった』

 

「なら、私は引き続き」

 

『今の君は目立ちすぎる』

 

「……」

 

『ゲヘナ側が君を探している』

 

 理事は人差し指を軽く振った。

 

『そんな人物を次の研究拠点へ出入りさせれば、どうなる?』

 

「……調査が及ぶ可能性があります」

 

『その通り』

 

 嬉しそうに頷く。

 

『やはり君は話が早い』

 

「しかし」

 

『何を心配している?』

 

 理事は笑った。

 

『君の働きを否定しているわけではない』

 

「……」

 

『むしろ高く評価しているとも』

 

「では、私は」

 

『しばらく大人しくしていたまえ』

 

「……待機、ということですか」

 

『そう考えてもらって構わん』

 

 幹部は黙った。

 

『今は調査への対応を優先する』

 

「……はい」

 

『不用意に動かない』

 

「はい」

 

『そして、余計な資料を外へ出さない』

 

「承知しました」

 

『うむ』

 

 理事は満足そうに頷く。

 

「……いつまででしょうか」

 

『何がだね?』

 

「待機は」

 

 ほんの一瞬。

 

 理事の笑みが深くなった。

 

『必要になれば』

 

 穏やかな声だった。

 

『こちらから連絡する』

 

「…………」

 

『それでは、引き続き頼んだぞ。君』

 

 通信が切れた。

 

 モニターから理事の姿が消える。

 

 部屋に残ったのは、淡い光と機械の駆動音だけ。

 

「…………」

 

 幹部はその場から動かなかった。

 

 研究は終わっていない。

 

 成果も失われていない。

 

 自分が集めたデータも。

 

 自分が進めてきた計画も。

 

 すべて、次へ使われる。

 

 理事自身がそう言った。

 

「……必要になれば」

 

 先ほどの言葉を、もう一度口にする。

 

 必要になれば、連絡が来る。

 

 ならば。

 

 今は待てばいい。

 

「…………」

 

 幹部が手元の端末を閉じる。

 

 その時。

 

 暗くなりかけた大型モニターの片隅に、一つだけ映像が残っていた。

 

 戦闘記録。

 

 停止したフレームの中。

 

 黒い仮面が、こちらを向いている。

 

 ――仮面ライダー。

 

 幹部はしばらくその姿を見つめた。

 

 やがて何も言わず背を向け、部屋を出ていく。

 

 扉が閉じる。

 

 誰もいなくなった室内で。

 

 モニターに残った黒い仮面だけが、しばらく消えずに映り続けていた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

光のほとんど届かない空間に、一枚の映像だけが浮かんでいた。

 

 氷に覆われた道路。白く霞む冷気。崩れた建物と、その中央で対峙するICE AGEドーパントと黒い仮面の戦士。

 

 遠方から記録された映像らしく、画面は時折揺れ、激しい戦闘のたびに輪郭が乱れる。それでも、そこで何が起きたのかを読み取るには十分だった。

 

「…………」

 

 その映像を、一人の人物が黙って見つめている。

 

 細身の身体を包む黒いスーツ。整然とした身なりとは対照的に、その頭部は人間とも獣人とも異なる、ひどく異質な姿をしていた。

 

 周囲には、戦闘映像とは別にいくつもの資料が展開されている。

 

 カイザーが使用した施設。

 

 人工的に再現されたガイアメモリ。

 

 これまで確認されてきた使用例。

 

 そして今回、真正のガイアメモリを使用して変貌したICE AGEドーパント。

 

 ガイアメモリという存在そのものは、彼にとって完全な未知ではない。

 

 キヴォトスの古い時代から断片的に痕跡を残す、由来の判然としない技術。

 

 この世界で知られる神秘とは異なる性質を持ちながら、単なる兵器や工業製品という言葉だけで片づけるには、あまりにも多くの不可解さを孕んでいる。

 

 観察し、考察する価値のあるもの。

 

 だからこそ、これまでも関心を向けてきた。

 

 だが今。

 

 彼の視線が追っているのは、ガイアメモリそのものではなかった。

 

「もう一度、見てみましょうか」

 

 穏やかな声とともに、映像が巻き戻される。

 

 赤いヒートから、黒いジョーカーへ。

 

 ICE AGEドーパントとの戦闘が続く中、画面の端で氷塊が崩れた。

 

 その下には、冷気を受けて動けなくなった二人の生徒がいる。

 

 黒い戦士はそれに気づくと、目の前の敵から離れ、迷わず二人のもとへ向かった。

 

「……ほう」

 

 映像が止まる。

 

「ここで、そちらを選びますか」

 

 責めるような響きはなかった。

 

 むしろ、その声音には僅かな愉悦が混じっている。

 

「戦闘の最中に敵へ背を向ける。しかも、自身を攻撃できる相手がすぐそこにいる状況で」

 

 停止した映像には、二人の生徒を庇う黒い背中が映っていた。

 

「戦術だけを見れば、決して効率的な選択ではない。場合によっては、自ら状況を悪化させる危険すらあるでしょう」

 

 そこで少し間を置く。

 

「ですが――クックックッ……」

 

 低い笑い声が、暗い空間に静かに響いた。

 

「だからこそ、興味深い」

 

 映像が再び動き出す。

 

 救助を終えた戦士は、二人をその場から退かせると、再びICE AGEドーパントへ向き直った。

 

「敵を倒すことより、救助を優先した」

 

 そう口にしてから、人物は僅かに首を傾ける。

 

「……いえ」

 

 すぐに自分の言葉を否定した。

 

「それでは、少々正確さに欠けますね」

 

 もう一度、先ほどの映像へ視線を向ける。

 

「彼は『どちらを優先するか』と比較していたのでしょうか」

 

 敵を倒す。

 

 誰かを助ける。

 

 二つを天秤に載せ、悩んだ末に後者を選んだ。

 

 そう考えることもできる。

 

 だが、映像に残された動きには、それほど長い逡巡は見えなかった。

 

「助けるべき者が目に入った。だから、そちらへ向かった」

 

 人物の口元が、ほんの僅かに持ち上がる。

 

「もしそうであるなら――彼にとって、これは選択ですらないのかもしれません」

 

 画面を先へ進める。

 

 今度は、戦いの最中で黒い戦士が激しい怒りを露わにした場面。

 

 ICE AGEドーパントへ叩き込まれる拳には、それまで以上に明確な感情が乗っていた。

 

 そして、次の一撃を振り上げ――その寸前で、自ら動きを止める。

 

「……なるほど」

 

 人物の視線が、そこで留まる。

 

「怒りが消えたわけではない」

 

 先ほどとは違い、映像を何度も巻き戻したりはしなかった。

 

 その一瞬が何を示しているのか。

 

 彼にとっては、それだけで十分だった。

 

「彼が目にしたものを考えれば、怒りを覚えること自体に不思議はない。むしろ、自然と言っても良いでしょう」

 

 それでも。

 

「感情のまま力を振るうことは、自ら止めた」

 

 少し考える。

 

「怒りを否定したわけでも、捨てたわけでもない。その感情を抱えたまま――どう力を使うのかを、自分で選んだ」

 

 静かな声に、少しずつ興味が滲んでいく。

 

「力に己を定義させず、激情にも己を明け渡さない」

 

 一拍。

 

「そう表現することも、できるでしょうか」

 

 映像はさらに先へ進んだ。

 

 戦いの終盤。

 

 ICE AGEドーパントから投げかけられた問いに対し、黒い戦士ははっきりと答える。

 

『俺は――仮面ライダーだ!』

 

 そこで。

 

 映像が止まった。

 

「…………」

 

 暗い空間に静寂が戻る。

 

 人物は、すぐには何も口にしなかった。

 

 画面の中で立つ黒い戦士を、じっと見つめる。

 

 やがて。

 

「……仮面ライダー」

 

 初めて、その名を口にした。

 

 もう一度、確かめるように。

 

「仮面ライダー……なるほど」

 

 ガイアメモリの名称ではない。

 

 ジョーカーでも、ヒートでもない。

 

 使用しているドライバーの名でもない。

 

 少なくとも、目の前の記録を見る限り、それは彼が扱う力そのものへ付けた名前ではなさそうだった。

 

「では、あなたはその名を――何に与えたのでしょうね」

 

 返事が返るはずもない映像へ、穏やかに問いかける。

 

 他者を危険から庇った。

 

 怒りを抱きながらも、その感情だけに己を委ねることはなかった。

 

 そして最後に、自分が何者なのかを問われた時。

 

 彼は力の名ではなく。

 

 自らを指して、仮面ライダーと名乗った。

 

「仮面を纏い、それでも己を失わず、力を他者のために振るう者」

 

 人物は考えるように、指先を顎へ添えた。

 

「いわば――“守護者”とでも呼ぶべきでしょうか」

 

 その言葉を、自ら耳で確かめるような沈黙。

 

 だが。

 

「……いえ」

 

 すぐに小さく首を振った。

 

「これはいけませんね」

 

 口元に、どこか可笑しそうな笑みが浮かぶ。

 

「一度の観測だけで対象の本質まで定義してしまうなど、少々結論を急ぎすぎました」

 

 停止していた映像を閉じる。

 

「観察する側が最初から答えを決めてしまえば、その後に見えるものまで歪んでしまう。研究者としては、あまり感心できる態度ではありません」

 

「クックックッ……」

 

 自分自身を窘めるように笑いながらも、その声は楽しげだった。

 

「とはいえ――“守護者”」

 

 先ほど口にした言葉を、もう一度転がす。

 

「現時点での仮説としては、そう悪くない」

 

 黒いスーツの異形。

 

 未知を前にして、恐れるより先に問いを立て、その答えを探ることそのものを楽しむ者。

 

 ゲマトリアの一員――黒服は、そこでようやく戦闘映像から視線を外した。

 

「さて」

 

 声色を切り替え、別の資料を呼び出す。

 

「こちらも見ておきましょう」

 

 表示されたのは、ガイアメモリに関する複数の記録だった。

 

 古い資料に残された断片。

 

 過去に発見されたもの。

 

 所在を失ったもの。

 

 そして近頃、カイザーによって解析され、利用され始めたもの。

 

「カイザーの方々も、随分と熱心なことで」

 

 人工ガイアメモリに関する記録へ目を通しながら、黒服はどこか愉快そうに言った。

 

「未知の技術を発見すれば、まず利用法を考える。兵器になるか。商品になるか。利益へ変えられるか」

 

 資料を流していく。

 

「実に彼ららしい」

 

 声音に露骨な侮蔑はない。

 

 ただ、自分とはまるで異なる方向から同じ対象を眺める者たちを観察している。

 

 そんな距離感だった。

 

「もっとも、私たちとしても困ることばかりではありません。彼らが実験を行い、数値を集めてくださるのであれば、そこから得られるものもある」

 

 僅かに肩を揺らす。

 

「役割分担、とでも申しましょうか」

 

 黒服は資料を送っていく。

 

 人工メモリを使用した事例。

 

 真正のガイアメモリが用いられた事例。

 

 それぞれの使用者。

 

 発生した現象。

 

 やがて。

 

 その手が止まった。

 

「…………」

 

 いくつかの記録を戻す。

 

 確認する。

 

 もう一度、別の資料を見る。

 

「ふむ」

 

 先ほどまでの楽しげな調子は変わらない。

 

 だが、その中へ新たな疑問が混じった。

 

「これは少々、気になりますね」

 

 ガイアメモリが実際に人へ使用された事例は、すでに一つではない。

 

 カイザーが人工メモリの実験を進めたことで、その数はさらに増えている。

 

 しかし。

 

「確認できる使用者の中に、生徒がいない」

 

 黒服はその一点を静かに口にした。

 

 この事実だけで、何かを断定するつもりはない。

 

「カイザーが意図的に避けた――それもあり得るでしょう」

 

 自ら一つの可能性を示す。

 

「単に使用する機会がなかった。あるいは、彼らの実験目的に合致しなかっただけ」

 

 それも否定しない。

 

「もちろん、私の把握していない事例が存在する可能性もある」

 

 黒服にとって、仮説とは信じ込むためのものではない。

 

 観測されたものへ、次の問いを投げるためのものだった。

 

「ですが」

 

 生徒たちとガイアメモリに関する記録を見比べる。

 

 キヴォトスにおいて、神秘と切り離して生徒という存在を考えることはできない。

 

 ならば。

 

 この不自然な空白には、何か理由があるのか。

 

「これほど多くの生徒が存在する場所で、使用例が一つも確認できない」

 

 一拍。

 

「選ばないのか」

 

 静かな声。

 

「あるいは――」

 

 黒服の口元が、ゆっくりと吊り上がる。

 

「選べないのか」

 

「…………」

 

 暗闇の中に、再び低い笑い声が響いた。

 

「クックックッ……どちらなのでしょうね」

 

 今は、まだ答えがない。

 

 ガイアメモリと神秘の間に、何かが存在するのか。

 

 単なる偶然なのか。

 

 それとも、まったく別の理由が隠れているのか。

 

 どれもまだ仮説にすら届かない。

 

「分からない」

 

 黒服はそう口にして。

 

 楽しそうに続けた。

 

「実に結構」

 

 分からないことを、不快には思わない。

 

 最初から答えの決まったものを確認するだけなら、探求とは呼べない。

 

「分からないからこそ、調べる価値がある」

 

 すぐに答えを求める必要はない。

 

 観察を続ければいい。

 

 必要なら仮説を立て。

 

 間違っていれば捨て。

 

 そこからまた、新しい問いを作ればいい。

 

「さて……」

 

 黒服はガイアメモリの資料を閉じた。

 

「では、最後に」

 

 新たな画面を呼び出す。

 

「こちらも確認しておきましょうか」

 

 映し出されたのは、先ほどまでの研究資料とは少し毛色が違うものだった。

 

 一人の少年について集められた、断片的な情報。

 

 黒服の視線が、その冒頭に記された名前で止まった。

 

「……風間翔」

 

 最近になってゲヘナ自治区で姿を確認されるようになった、珍しい男子。

 

 特定の学園へ所属している形跡はなく、現在は自治区内の喫茶店で働いている。

 

 そこまでなら。

 

 ただ珍しい人物が一人増えただけの話だった。

 

「ほう」

 

 黒服が資料を送る。

 

 いくつかの事件の周辺で確認されている少年の姿。

 

 風紀委員会との接触。

 

 その後に現れる、仮面を纏った戦士。

 

 いずれも、それ一つだけを切り取れば決定的なものではない。

 

「これだけなら偶然でしょう」

 

 一つ目の記録を流す。

 

「こちらも、まあ……そういうことはある」

 

 次。

 

「これも一件だけなら、取り立てて気にするほどではありませんね」

 

 そう言いながらも。

 

 声は少しずつ楽しげになっていった。

 

 偶然。

 

 偶然。

 

 さらに偶然。

 

 決定的な証拠はない。

 

 仮面の下を確認したわけでもなければ、変身そのものが明瞭に記録された資料があるわけでもない。

 

 それでも。

 

「一つなら偶然」

 

 黒服は指を一本立てた。

 

「二つ重なることもある」

 

 さらに一本。

 

「ですが、それが三つ、四つと続くのであれば――」

 

 画面には、風間翔という少年に関する記録と、仮面ライダーが現れた事例が並んでいる。

 

「“偶然”という言葉は、少々便利すぎるものになってしまいますね」

 

 クックックッ、と楽しそうに笑う。

 

 断定はしない。

 

 今はまだ、それでよかった。

 

「仮に」

 

 黒服は少年の名前へ目を向ける。

 

「あなたが、あの仮面の下にいるとして」

 

 そこから生まれるのは、答えではない。

 

 新たな問いだった。

 

「何故、あなたなのでしょう」

 

 何故、あのドライバーを持つ。

 

 何故、ガイアメモリを扱うことができる。

 

 何故、性質の異なるメモリを使い分けている。

 

 そして。

 

 黒服は先ほどの戦闘映像を小さく呼び戻した。

 

『俺は――仮面ライダーだ!』

 

「何故、その名を選んだのでしょう」

 

 答えは、どこにも記されていない。

 

 風間翔について集められた情報をどれほど眺めても。

 

 戦闘映像を解析しても。

 

 その瞬間に少年が何を考えていたかまでは知りようがない。

 

「あなたが本当に彼なのか。それすら、まだ確定してはいない」

 

 黒服は自ら釘を刺すように言った。

 

「ですから、今ここで答えを決めてしまう必要もない」

 

 しばらく二つの画面を見比べる。

 

 黒い仮面。

 

 風間翔。

 

 やがて、また低い笑い声が漏れた。

 

「クックックッ……」

 

 それは敵を見つけた者の笑いではなかった。

 

 新しい問いに巡り合った者の笑いだった。

 

「素晴らしい」

 

 すぐには理解できない。

 

 簡単には説明できない。

 

 だからこそ。

 

「答えが分かってしまっている問いほど、退屈なものはありませんから」

 

 黒服は指先を動かした。

 

 人工ガイアメモリの資料が閉じる。

 

 ICE AGEドーパントの記録も。

 

 カイザーについての資料も。

 

 生徒とガイアメモリの使用例も。

 

 最後まで残ったのは。

 

 黒い仮面の戦士と、一人の少年の名前だった。

 

「仮面ライダー」

 

 まず、戦士が自ら名乗った名前を口にする。

 

 そして。

 

「風間翔」

 

 その下にいる可能性がある少年の名を。

 

 黒服は静かに椅子の背へ身体を預けた。

 

 今すぐ接触する必要はない。

 

 まして、強引に答えを引き出す理由もない。

 

 観察できるものがあるのなら、まずは観察する。

 

 それによって今の仮説が崩れるなら。

 

 それもまた、歓迎すべき結果だ。

 

「あなたが何者なのか」

 

 暗闇の中、黒服は画面へ語りかける。

 

「何故、その力を持っているのか」

 

 僅かな間。

 

「そして――これから何を見せてくださるのか」

 

 分からない。

 

 だからこそ。

 

 口元に浮かぶ笑みは消えない。

 

「……ええ」

 

 満足そうに頷いた。

 

「今は、それで良いでしょう」

 

 最後にもう一度だけ、少年の名を見る。

 

「風間翔」

 

 穏やかな。

 

 それでいて、どこか底の知れない声で。

 

「覚えておきましょう」

 

 指先が画面へ触れる。

 

 光が消えた。

 

 再び暗闇に包まれたその場所には、もう戦闘映像も資料も残っていない。

 

 ただ。

 

 未知の問いに巡り合った探求者の、静かな愉悦だけが残っていた。

 

 

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