青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
どうなってんだ最近のブルアカは!トリニティ水着イベントも復刻ですし最近の流れは熱いですねー。
唯一悩みは、去年ノーピックを叩いて入手できていない水着ハスミを確保するか否か。対抗戦でも強いし、今後に持っていた方が何処で楽できそうなんですよね。
石は2天分は貯蓄があるが・・・・・・どうしようか、本当に。
昼過ぎのゲヘナ商業区は、今日も相変わらず騒がしかった。
店先では生徒たちが値段を巡って店主とやり合い、少し離れた通りからは何かが弾けるような音まで聞こえてくる。もっとも、その程度でいちいち足を止めていては、この街では買い物一つ終わらない。
「……今日も派手にやってるなぁ」
風間翔は呆れ半分に呟きながら、手元の買い物メモへ目を落とした。
今日は「ひだまり」で使う食材の買い出しに来ている。野菜に卵、牛乳。それからマスターに頼まれていた珈琲豆も忘れないようにしなければならない。
問題があるとすれば、買い物そのものではなく。
「っ……」
階段を下りきったところで、右脚に鈍い張りが走った。
(まだ残ってるな……)
昨日、スミレによって行われた、本人曰く「移行メニュー」。
翔の感覚では、どう考えても本格的なブートキャンプだった。
走り、跳び、担ぎ、また走る。それを一周やったところで終わったと思えば、「一周目です」と告げられ、当然のように二周目へ突入した。
今朝になれば多少は楽になっていたものの、脚や肩にはまだしっかりと疲労が残っている。
(次から三周って言ってたよな……)
脳裏に爽やかな笑顔のスミレが浮かぶ。
「考えるのやめよう」
未来の自分へ押しつけることにして、翔は再び歩き出した。
その時だった。
前方から乾いた銃声が数発。
「危な――!」
誰かの叫び。
直後、何か大きなもの同士がぶつかる激しい音が商業区へ響いた。
翔の表情が変わる。
買い物袋を抱え直し、音のした方向へ駆ける。右脚が少し痛んだが、走れないほどではない。
角を曲がった先で、翔は眉を寄せた。
「何だこれ……!」
小型の配送車両が道路脇へ乗り上げ、その側面へ屋台の一部が倒れ込んでいる。周囲には弾かれた荷物や商品が散乱し、通りの一角が完全に塞がれていた。
少し離れた場所では、銃を持った生徒たちが気まずそうに互いを睨んでいる。
どうやら近くで始めた小競り合いが大きくなり、通行中の配送車まで巻き込んだらしい。
数人の生徒が路上へ座り込み、倒れた荷物の脇では鳥型の獣人市民が片方の翼を庇ってうずくまっている。
騒ぎを起こしたらしい生徒たちにも怪我人が出ていた。
「大丈夫!?」
翔はまず、一番近くにいた生徒のところへ向かった。
「う、うん……ちょっと転んだだけ……」
「頭は打った?」
「打ってない」
「なら無理に立たなくていい。痛いところは?」
「腕……」
「分かった。救急が来るまでそのままで」
次に、うずくまっている鳥型の獣人市民へ目を向ける。
呼びかけには反応する。片翼を痛めているようだが、意識ははっきりしていた。
「誰か救急呼んだ!?」
「今呼んだ!」
「分かった!」
翔は立ち上がり、周囲を確認する。
車両から火や煙は出ていない。
一方、倒れた屋台はかなり不安定だった。折れた支柱の一部が看板へ引っかかり、辛うじて形を保っている。
近づこうとした生徒へ翔は声を飛ばした。
「そこから先は入らない方がいい! まだ崩れるかもしれない!」
「わ、分かった!」
そうしているうちに、遠くからサイレンが近づいてきた。
数台の救急車両が通りへ滑り込む。
扉が開き、救急医学部の生徒たちが次々と降りてきた。
その先頭にいた少女を見て、翔は目を瞬いた。
「あ」
白い髪と、感情の起伏をあまり感じさせない落ち着いた顔。
氷室セナ。
以前、一度だけ騒動の現場で顔を合わせたことがある。
セナは事故現場を一望すると、すぐに口を開いた。
「状況を確認します。死体は――」
「……また言ってる」
「……」
セナの視線が翔へ向く。
一拍置いて。
「失礼。負傷者はどちらですか」
「そこは前と変わってないんだな」
「何か問題が?」
「いや……直す気はあるんだよな?」
「言い直しています」
「そういう問題なのかな……」
もっとも、いつまでも話している場合ではない。
セナもすぐに翔の顔を見直した。
「……以前の」
記憶を探るように僅かに間を置く。
「風間翔さん、でしたか?」
「うん。覚えてたんだ」
「以前、現場でお会いしていますので」
そこで話を切り、セナはすぐ仕事へ戻った。
「現在の状況を教えてください」
「あっちに三人。全員意識はある。一人は転んだ時に腕を打ってる。そこの鳥の人は翼を痛めてるみたい。あと、倒れた屋台の奥にも人がいるかもしれない。ただ、支柱がかなり不安定だからまだ近づいてない」
「分かりました」
セナは翔の報告を聞くと、すぐ救急医学部の生徒たちへ指示を飛ばした。
「二名はそちらを。搬送前に頭部への衝撃がないか確認してください。こちらの方は翼の固定を優先します。屋台周辺にはまだ入らないでください」
「はい!」
「分かりました!」
誰を先に見るか。
どこへ人員を回すか。
現場へ到着したばかりだというのに、迷いがない。
そんな中。
「待ってください!」
別方向から声が飛んだ。
風紀委員会の生徒だった。
「そいつ、さっきの騒ぎを起こした側です。事情を聞きたいので、先に――」
指された生徒は道路脇で足首を押さえている。
セナは一度そちらを確認した。
「事情聴取は処置の後にしてください」
「ですが――」
「その方は現在、負傷者です」
声は平坦だった。
しかし、譲る様子はない。
「必要であれば搬送先をお伝えします。治療後にそちらでお願いします」
「……分かりました」
風紀委員の生徒が引き下がる。
セナはそれ以上何も言わず、すぐに負傷者のもとへ向かった。
翔はその背中を少しだけ見つめた。
誰が騒ぎを起こしたのか。
どちらに非があったのか。
少なくとも、今のセナには関係がないらしい。
怪我をしているから処置する。
判断基準は、それだけなのだろう。
(こういうところ、徹底してるんだな)
救急医学部が来た以上、専門的なことは彼女たちへ任せた方がいい。
そう思って一度下がろうとした翔の耳へ、慌ただしい声が次々と届いた。
「担架、こっちお願いします!」
「先にこちらの固定を!」
「搬送路にまだ荷物があります!」
事故の規模に対して、救急医学部の人数は決して多くない。
一人の部員が救急バッグを運びながら別の生徒へ指示を出し、別の部員は担架を用意しながら負傷者へ声をかけている。
その横では、倒れた商品の箱が搬送路を塞いだままだ。
翔は少し周囲を見渡した。
怪我の処置はできない。
勝手な判断で負傷者を動かすべきでもない。
けれど、荷物を運んだり、道を空けたりするくらいならできる。
それに事故直後からここにいた分、どこに誰がいたかも把握している。
(邪魔にならないことなら、手伝えるか)
買い物袋へ目を落とす。
多少帰りが遅くなるくらいなら、マスターには後で謝ればいい。
そう考えたところで。
「風間翔さん」
「え?」
振り返ると、セナがこちらを見ていた。
「少し手を貸していただけますか」
「ちょうど俺もそうしようかと思ってた」
「そうですか」
セナは近くの救急バッグを示す。
「では、まずそれをこちらへ運んでください」
「了解」
持ち上げると、見た目以上に重い。
翔は指定された場所まで運んだ。
「ここ?」
「はい。次に、搬送路へ出ている荷物を端へ寄せてください。危険そうなものには触れなくて構いません」
「分かった」
折れた板。
転がった箱。
散乱した商品。
安全なものだけを選び、通路の端へ動かしていく。
「これくらいでいい?」
「はい。十分です」
そこで終わりかと思った。
「では次に、こちらを」
「まだあるんだ」
「あります」
「……ですよね」
負傷者の私物を一ヶ所へまとめる。
次は空いた担架を運ぶ。
さらに救急医学部の生徒が使う備品を取りに行く。
最初に任されたのは、どれも専門知識を必要としない軽作業だけだった。
それでも翔が余計な判断を挟まず、分からないところでは聞きながら一つずつこなしていくうちに。
「風間翔さん」
「今度は何?」
「こちらの担架をお願いします」
「俺が?」
「はい。反対側は私が持ちます」
翔は少しだけ目を瞬いた。
「さっきより仕事重くなってない?」
「先ほどまでの動きを見て、問題ないと判断しました」
「……それ、少しは信用されたってことでいい?」
「そう受け取っていただいて構いません」
「そっか」
翔は担架の片側へ回った。
「じゃあ、任された」
* * *
「そちら、少し上げてください」
「こう?」
「はい。その高さで」
セナと一緒に担架を運ぶ。
足元には細かな瓦礫が散っている。
負傷者を揺らさないよう速度を合わせ、段差の前では少し腰を落とした。
「足元に段差があります」
「見えてる」
「では、そのままゆっくり」
「了解」
身体の使い方は、以前よりかなり楽になっている。
腕だけで重さを支えるのではなく、脚と腰を使って自然に力を分散させる。
(……スミレの訓練、こういう時にも効くんだな)
あれほど地獄にしか見えなかった訓練も、こうして役に立っているのだから文句ばかり言うわけにもいかない。
車両まで担架を運び終えたところで、セナが翔の足元へ視線を落とした。
「風間翔さん」
「ん?」
「以前より足運びが安定していますね」
「そこまで分かるの?」
「一緒に担架を持っていますので」
「まあ……最近、結構鍛えてるから」
「トレーニングですか?」
「うん」
翔の脳裏へ、晴れやかな笑顔でラップ数を増やしていくスミレが浮かぶ。
「かなり本格的な」
「良いことだと思います」
「本人に言ったらもっと増やされそうだから、内緒にしといて」
「?」
「何でもない」
その時だった。
「……たすけ……」
小さな声。
翔とセナがほぼ同時に振り向く。
倒れた屋台の奥。
荷物と板材の陰に、まだ一人、獣人市民が倒れている。
「まだ一人いる」
翔はそちらへ数歩進み、すぐに止まった。
頭上には歪んだ骨組み。
隣の看板は傾き、支柱の一部が屋台の残骸へ寄り掛かっている。
正面からそのまま入るのは危ない。
「……正面は避けた方がいいな」
翔が周囲を見回す。
右側には僅かな隙間がある。
左は壁沿いに一本、まだ形を保っている柱が残っていた。
「セナ」
「はい」
「あそこに一人。右からなら入れそうだけど」
セナも位置を変え、屋台を観察する。
「右側は避けましょう」
「やっぱり?」
「あちらへ看板の荷重が掛かっています。崩れた場合、退路を塞がれる可能性があります」
翔は改めて右側を見る。
「……そこまでは分からなかった」
「左側から回ります」
セナが壁沿いを示す。
「あちらにはまだ支柱があります。完全に安全とは言えませんが、正面と右側よりは安定しています」
「分かった」
「私が頭上を確認します。風間翔さんは足元と負傷者を」
「了解」
二人で慎重に入り込む。
翔も一歩ごとに足元だけでなく、頭上と退路を確認していく。
「聞こえる?」
「……うん」
「今助ける。無理に動かなくていいから」
片脚が荷物の下へ挟まっている。
セナがすぐに状態を確認する。
「骨折の可能性があります。身体は引かず、上の荷物だけ動かしましょう」
「持ち上げればいい?」
「はい。必要な分だけ。急には動かさないでください」
「分かった」
二人で位置を合わせ、ゆっくりと荷物を持ち上げる。
待機していた救急医学部の生徒が負傷者を引き出した。
「下がりましょう」
「うん」
二人が距離を取った直後。
上から金属片が一つ落下し、さっきまでいた場所へ転がった。
「……危なかったな」
「はい」
「右から入ってたら、もっと面倒だった?」
「可能性は高かったでしょうね」
「そっか」
翔は落ちた金属片へ目をやり、それからセナを見る。
「今の進入路、参考になった」
「そうですか」
「危ないかどうかだけじゃなくて、崩れた後にどこへ逃げるかまで見るんだな」
「救助する側が安全に動けなければ、搬送にも影響しますので」
「なるほど」
翔は一度、先ほど通った経路を振り返った。
「次から覚えとく」
「良いと思います」
「……やっぱり専門家は違うな」
「救急医学部ですので」
「そこはもう少し得意げでもいいと思うけど」
「そうでしょうか」
「うん」
セナは少し首を傾げた。
どうやら本人には、あまりその自覚はないらしい。
* * *
最後の負傷者が搬送された頃には、事故発生からかなり時間が経っていた。
「これで全員?」
「現時点で確認できた負傷者は全員です」
「よかった……」
翔はようやく息を吐く。
これで買い物へ戻れる。
そう思って歩き出したところで。
「風間翔さん」
「ん?」
「少し待ってください」
「まだ何か――」
セナの視線が翔の右脚へ向いている。
「先ほどから、右脚を若干庇っていますね」
「…………」
「事故の際に負傷しましたか?」
「いや」
「痛みは?」
「あるにはあるけど」
「では確認します」
「待って。これ怪我じゃないから」
「痛みがあるのでしょう?」
「筋肉痛」
「……筋肉痛?」
「昨日のトレーニングで」
「ああ」
「だから大丈夫」
「それはこちらで確認します」
「そこは譲らないんだな」
「はい」
「強い……」
結局、翔はその場で簡単な確認を受けることになった。
「急性の損傷は見られません」
「ほら」
「ですが、筋疲労はかなり残っています」
「……はい」
「今日はこれ以上、無理に走らないでください」
「さっき結構走ったけど」
セナの動きが一瞬止まった。
「それについては、申し訳ありません」
「あ、謝るんだ」
「負傷しているとは思っていませんでしたので」
「いや、俺も自分で手伝うって決めたし。そこは気にしなくていいよ」
「そうですか」
「うん」
「では」
セナが立ち上がる。
「救急医学部へ戻ります」
「分かった。じゃあ俺も買い物に――」
「風間翔さんも来てください」
「え?」
「搬送した方々の受け入れがあります」
「俺も?」
「ここまで手伝っていただいたので、あと少しだけお願いします」
「……少し?」
「はい」
「その言葉、信用していい?」
「おそらく」
「おそらく!?」
* * *
結局、翔が救急医学部を出られたのは、それからさらにしばらく後だった。
もちろん医療行為を任されたわけではない。
空いた担架を元の位置へ戻し、使用済みの備品を決められた場所へ運び、負傷者の私物を整理して届ける。
専門知識のいらない範囲だけ。
それでも、やることは思っていたより多かった。
「これ、ここでいい?」
「はい。ありがとうございます」
荷物を置いたところで、先ほど搬送されてきた生徒の声が聞こえた。
「……足、大丈夫なのかな」
診察を待つ間、不安そうに自分の足を見ている。
そこへセナが近づいた。
「検査結果を確認してからになりますが、今のところ緊急性の高い状態ではありません」
「ほ、本当?」
「はい」
表情はほとんど変わらない。
声もいつもの調子だ。
「こちらで対応しますので、今は無理に動かず休んでいてください」
「……分かった」
それだけで、生徒の強張っていた表情が少し緩んだ。
セナは次の患者へ向かう。
今度は腕を痛めた生徒。
その次は、翼を固定された獣人市民。
誰をどこへ運び、何を確認し、次に何が必要なのか。
全て把握しているようだった。
「セナ」
「何でしょう」
「さっきの人たち」
「はい」
「誰がどこにいるか、全部覚えてる?」
「当然です」
「即答だな」
「患者の状態を把握するのは、私たちの仕事ですので」
「……そっか」
翔は少しだけ周囲を見渡した。
最初に会った時より、セナのことが少し分かった気がする。
淡々としている。
時々、かなり物騒な言い間違いもする。
けれど、患者を見る目は細かい。
本人が不安がっていれば説明し、必要以上に動こうとすれば止める。
一人一人を、きちんと見ている。
「風間翔さん」
「ん?」
「今日は助かりました」
「……お」
「何でしょう」
「いや。ちゃんと礼言うんだなって」
「失礼ですね」
「ごめん」
「特に搬送時は助かりました。指示を変えず、分からない部分は確認していましたので」
「そこまで見てたの?」
「見ています」
「……本当に細かいな」
「褒めていますか?」
「褒めてる」
「そうですか」
どう受け取ったのか、やはり表情からは分かりづらい。
「それに、搬送要員としては十分に有用でした」
「やっぱり褒め方が業務的だな」
「褒めています」
「分かってるって」
翔が笑う。
セナは相変わらずだった。
「では、私はこの後も待機がありますので」
「まだ仕事?」
「待機です」
「今夜も?」
「はい」
翔は壁の時計を見る。
「……長いな」
「事故がなければ、特にすることはありません」
「それでもずっとここにいるんだろ?」
「そうですね」
「大変じゃない?」
「慣れていますので」
少しだけ間を置いて。
「待機は嫌いではありません」
「へえ」
意外な答えだった。
詳しく聞こうかとも思ったが、まだ周囲では救急医学部の生徒たちが働いている。
「じゃあ今日はありがとう」
「こちらこそ」
「またな、セナ」
「はい」
そこで、昼の二人は別れた。
* * *
その日の夜。
喫茶店「ひだまり」。
「マスター、これ使っていい?」
閉店後。
厨房から聞こえた翔の声に、カウンターを拭いていたニャン次郎が顔を上げた。
「何だ」
「余ってる野菜。あとパン少し」
「構わんが」
「ありがとう」
小鍋へスープを移し、野菜を足す。
夜中でも食べやすいよう、味は少し軽めにする。
パンには卵と野菜を挟んだ。
豪華なものではない。
仕事の合間にすぐ食べられる程度でいい。
ニャン次郎が厨房を覗き込む。
「誰かに持ってくのか」
「うん」
「女か」
「その言い方やめろよ」
「違うのか」
「昼間世話になった人。まだ仕事してるらしいから」
「ほう」
「何だよ、その反応」
「別に何も言っとらん」
「顔が言ってるんだよ」
「猫の顔を随分器用に読むようになったな」
「毎日見てるからな」
翔は保温容器へスープを入れ、サンドイッチと一緒に袋へまとめた。
「じゃ、ちょっと行ってくる」
「遅くなるなよ」
「分かってる」
店を出る。
昼間とは違い、夜のゲヘナは少しだけ静かだった。
本当に、少しだけだが。
* * *
救急医学部の建物には、まだ明かりが点いていた。
扉を開ける。
「こんばんは」
備品棚の前にいたセナが振り向いた。
「……風間翔さん?」
「まだいた」
「待機中ですので」
「そう言ってたな」
翔は持ってきた袋を少し掲げた。
「差し入れ」
「……私にですか?」
「他に誰かいる?」
セナが周囲を見た。
「現在、この部屋には私だけですね」
「じゃあセナに」
「お気遣いは不要ですが」
「昼、まともに食べてなかっただろ」
「……見ていましたか」
「ずっと一緒に動いてたからな。食べてるところ一回も見なかったし」
「業務がありましたので」
「だから持ってきた」
テーブルへ袋を置く。
「ひだまりの余った材料で作っただけだから、そんな大したものじゃないけど」
「風間翔さんが?」
「うん」
「……そうですか」
セナの視線が袋へ移る。
「迷惑だった?」
「いいえ」
今度はすぐ答えた。
「いただきます」
「それならよかった」
スープを器へ移し、サンドイッチを並べる。
翔も少しだけ一緒に食べることにした。
「どう?」
「美味しいです」
「よかった」
「特にスープが」
「夜だし、あんまり重くない方がいいかなと思って」
「よく考えていますね」
「一応、喫茶店で働いてるから」
「そうでしたね」
少し食べてから、セナがふと翔の右脚へ視線を落とした。
「ところで」
「ん?」
「脚の痛みは?」
「……まだ聞くの?」
「先ほど診たばかりですので」
「大丈夫。むしろ今は昼より楽」
「そうですか」
「本当にちゃんと見てるな」
「患者でしたので」
「俺、もう患者扱いなの?」
「昼間は」
「今は?」
セナは少し考えた。
「差し入れを持ってきた方です」
「そのままだな」
「間違っていますか?」
「間違ってないけど」
翔は笑った。
やがて会話が途切れる。
時計の音。
遠くを通る車両の音。
時折、備品棚の中で何かが小さく触れ合う音がする。
無線は鳴らない。
「ずっとこうやって待ってるの?」
翔が聞いた。
「はい」
「何も起きなかったら?」
「何も起きなかった、ということになります」
「暇じゃない?」
昼間にも「待機は嫌いではない」と言っていた。
セナは少しだけ考える。
「暇で済むのであれば、それが一番良いですね」
「……ああ」
翔も意味に気づく。
「救急が暇ってことは、事故がないってことか」
「はい」
「そりゃそうだ」
「救急医学部が忙しいということは、その分だけ負傷者がいるということですから」
「なるほどな……」
翔はスープを一口飲む。
「じゃあ、こういう日は当たり?」
「何を基準にしているのか分かりませんが」
「何も起きない日」
「それなら、そうかもしれません」
「セナはこういう時間、嫌いじゃないんだよな?」
「はい」
「一人でも?」
「普段はそうですので」
セナは何気なく答えた。
そこへ翔が少しだけ眉を上げる。
「毎回一人?」
「交代の関係で、そうなることも多いです」
「結構長いだろ」
「慣れています」
「……寂しくない?」
聞いてから。
少し踏み込みすぎただろうか、と翔は思った。
だがセナは特に嫌そうな顔を見せなかった。
もっとも、嫌そうな顔自体が分かりづらいのだが。
「特に意識したことはありません」
「そっか」
短い沈黙。
その後。
セナが続ける。
「ただ」
「うん?」
「今日は、普段より時間が短く感じます」
「……それって」
「会話をしていますので」
「なるほど」
「それに」
セナは手元のスープを見る。
「食事もあります」
「そっちも大きそうだな」
「はい」
「即答かよ」
翔は思わず笑った。
セナの表情はほとんど変わらない。
けれど。
「セナってさ」
「はい?」
「やっぱり、顔に出にくいよな」
「何がでしょう」
「嬉しいとか。困ってるとか」
「そうでしょうか」
「うん。今だって、俺が突然来て邪魔じゃなかったのか最初分からなかったし」
セナの手が僅かに止まる。
「邪魔ではありません」
「そっか」
「むしろ」
ほんの少しだけ間を置いて。
「来ていただいて良かったと思っています」
翔が瞬きをする。
セナはそのまま続けた。
「普段は一人で待機していますので。こうして誰かと食事をしながら待つのも、悪くありませんね」
「……そっか」
「はい」
顔にはあまり出ない。
でも。
言葉にはする。
その辺りが少し分かってくると、最初よりずっと話しやすい。
「セナって、最初に思ってたより分かりやすいかも」
「先ほど、分かりづらいと言われたと思いますが」
「顔はね」
「では、何がでしょう」
「やること」
「……」
「何考えてるか全部は分かんないけど、何を大事にしてるかは見てれば分かる」
セナは少しだけ翔を見る。
「そうですか」
「うん」
「なら」
一拍。
「それで構いません」
その時だった。
無線から短い電子音が響いた。
二人の間にあった静かな空気が、一瞬で切り替わる。
『救急医学部へ。第七商業区、東側道路で小型輸送車二台の衝突事故。負傷者複数――』
セナはすぐに立ち上がった。
「出動します」
ついさっきまで食事をしながら話していたのが嘘のように、動きに迷いがない。
翔も椅子から立つ。
「セナ」
「何でしょう」
「人手、足りてる?」
救急バッグへ手を伸ばしていたセナが振り返った。
「……何故ですか?」
「昼に手伝っただろ」
「はい」
「医療のことは分からないけど、担架を運んだり、荷物をどかしたりならできる」
「…………」
「それで足りてるなら、俺はここに残る。でも、人手が必要なら一緒に行くよ」
昼からずっと、セナが仕事をする姿を見てきた。
そして今は。
仕事を離れたわけではないにせよ、一人で待っている時の彼女とも少し話した。
まだ知らないことは多い。
だからこそ、もう少し見てみたいと思う。
その上で、自分にもできることがあるなら手を貸したかった。
セナはしばらく翔を見る。
「風間翔さんは、救急医学部ではありません」
「うん」
「専門的な処置をお願いすることもできません」
「それも分かってる。俺にできることだけでいい」
「現場では、私たちの指示に従っていただきます」
「了解」
「……」
セナは僅かに視線を落とし。
すぐに戻した。
「分かりました」
「いいの?」
「昼間の動きを見ていますので」
今度は、名前を確かめる必要もない。
「風間翔さんも来てください」
「ああ」
セナが救急バッグを持つ。
翔も扉へ向かった。
ほんの少し前まで、二人で静かに食事をしていた部屋を出て。
今度は並んで、夜のゲヘナへ向かう。
* * *
現場では、小型輸送車二台が道路を塞ぐように止まっていた。
一台は横向きになり、もう一台は街路樹へ衝突している。
幸い火災は起きていない。
だが、周囲には数人の負傷者がいた。
「こちら二名!」
「意識確認を!」
救急医学部が動き出す。
「風間翔さん」
「うん!」
「奥の負傷者をお願いします。状態を見るだけで構いません。動かさないでください」
「分かった!」
翔は奥へ向かう。
途中で速度を落とし、頭上と足元を確認する。
割れた部品。
路面に漏れた液体。
車両の位置。
昼間、セナと一緒に見たものを思い出しながら、安全に通れる場所を選ぶ。
「聞こえる?」
「う、うん……」
「よかった。痛いところは?」
「肩……」
「分かった。動かないで。そのままでいい」
無理に起こさない。
少し離れたところからセナが声を飛ばす。
「風間翔さん、状態は?」
「意識あり! 肩を痛めてる。頭は打ってないって!」
「分かりました。そちらへ一名向かわせます」
「了解!」
昼より短い。
互いに必要なことだけを伝えれば、それで動ける。
その後も。
「担架を奥へ!」
「持っていく!」
「こちらの荷物を移動してください!」
「分かった!」
翔は医療行為には手を出さない。
その代わり、必要な場所へ必要な物を運び、搬送の邪魔になるものをどかし、負傷者を運ぶ時には救急医学部の生徒と歩調を合わせる。
一度。
セナと目が合った。
特に言葉はない。
セナは次の患者へ。
翔も次の作業へ向かう。
それだけで十分だった。
* * *
全てが落ち着き、救急医学部へ戻った頃には日付が変わっていた。
「……疲れた」
翔は椅子へ腰を下ろす。
「お疲れさまでした」
「セナも」
「はい」
セナは戻ってきたばかりだというのに、既に搬送記録を確認している。
「本当にすぐ次の仕事するんだな」
「記録までが業務ですので」
「分かってるけど……」
翔はテーブルを見る。
夜に持ってきたスープが少し残っている。
「もう冷めてるな」
「いただきます」
「冷めてるよ?」
「問題ありません」
「温め直そうか?」
「今は、このままで」
セナがカップへ残ったスープを注ぐ。
一口。
「……美味しいです」
「冷めてても?」
「はい」
「そっか」
翔も少し笑った。
「それにしても」
「何でしょう」
「よく分かったよ」
「何がですか?」
「さっき言ってた、暇な方がいいって話」
セナが翔を見る。
「そうでしょう?」
「うん。あれなら何もない方がいい」
「救急医学部としては、その方が助かります」
「出番ない方がいい部活って珍しいよな」
「それが理想ですので」
「確かに」
二人の間に、短い笑いに近い空気が流れる。
大きく表情を変えたわけではない。
それでも。
昼よりは少しだけ、セナが何を考えているのか分かるようになった気がした。
* * *
「じゃあ」
翔が時計を見る。
「今度こそ帰る」
「はい」
「セナもちゃんと休めよ」
「交代後に休みます」
「本当に?」
「はい」
「ならいいけど」
扉へ向かう。
「風間翔さん」
「ん?」
振り返る。
セナがそこに立っている。
「今日は、ありがとうございました」
「昼も?」
「昼も」
一拍。
「夜もです」
「……どういたしまして」
「それと」
「うん」
セナは少しだけ言葉を選んだ。
「今後、現場で人手が必要になった際には、またお願いしてもよろしいでしょうか」
「俺、救急医学部じゃないけど?」
「知っています」
「本当に使う気なんだ」
「今日、問題なく動けていましたので」
「そこまで言われたら断りづらいな」
「困りますか?」
「いや」
翔は少し笑う。
「できる範囲なら手伝うよ」
「十分です」
「あと」
「何でしょう」
「また差し入れ持ってきてもいい?」
セナが少しだけ目を瞬いた。
「……ええ」
「待機中なら?」
「はい」
一拍。
「歓迎します」
「そっか」
翔は扉へ手をかける。
「じゃあまたな、セナ」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい、風間翔さん」
扉が閉じる。
再び救急医学部には、静かな時間が戻ってきた。
いつ鳴るか分からない無線。
整然と並べられた備品。
窓の外に広がる夜のゲヘナ。
普段と同じ待機。
セナはテーブルへ目を向ける。
二人で食べた夜食の容器が残っていた。
「…………」
それを片付けようとして。
僅かに手が止まる。
昼に一度会っただけだった相手が。
夜には食事を持って、またここへ来た。
そして。
また来てもいいかと聞いた。
セナは空になったカップを見つめた後、いつものように洗い場へ運ぶ。
何も起きないのであれば。
その方が良い。
けれど。
次の静かな待機時間も。
今日と同じようになるのなら。
それも悪くはない。
そう思いながら。
セナは次の出動へ備え、再び備品の確認を始めた。