青の記録 ―二つの記憶が交わる時―   作:きままに投稿

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第29話 砂漠へ

 

 

 ――あれから、数日。

 

「…………」

 

 シャーレの執務室。

 

 先生は椅子の背もたれへ身体を預けたまま、机の端に置かれたシッテムの箱をぼんやりと眺めていた。

 

 窓から差し込む昼前の光が、机の上に積み重なった書類の角を白く照らしている。

 

 その光景を見ていると、ここ数日の出来事が妙に遠い昔のようにも思えた。

 

 シャーレへ向かう途中で、いきなり大勢の不良たちとの戦闘に巻き込まれ。

 

 ようやく建物へ辿り着いたと思えば、ロビーで大人しく待っているように言われたその直後に抜け出して。

 

 聞こえた物音を辿った先では、狐のお面をつけた少女――ワカモと鉢合わせた。

 

 そして彼女は。

 

「……何だったんだろうね、あれ」

 

『はい?』

 

 画面の向こうで、アロナが首を傾げた。

 

「ううん。こっちの話」

 

『気になります』

 

「私も気になってるんだよねえ」

 

 顔を見た途端、明らかに様子がおかしくなり。

 

 何か言おうとしては詰まり。

 

 最後には「失礼いたします!」と勢いよく逃げていった。

 

 こちらは挨拶をして、怪我がないか聞いただけだったはずなのだが。

 

「……やっぱり分からないなあ」

 

『先生?』

 

「何でもないよ」

 

 それから見つけた、連邦生徒会長が自分へ残したというシッテムの箱。

 

 その中で目を覚ました青い髪の少女が、今は当然のように目の前にいる。

 

 あの後は、リンたちと建物の確認や手続き。

 

 シャーレの権限についての説明。

 

 必要な書類。

 

 また書類。

 

 さらに書類。

 

 気づけば、先生としての仕事はすっかり始まっていた。

 

 ちなみに。

 

 勝手にロビーからいなくなった件については。

 

 リンから静かに注意された。

 

 ユウカからは、あまり静かではない注意を受けた。

 

「次からは、ちゃんと言ってから動こうと思います」

 

『どうして急に反省してるんですか?』

 

「人は過ちから学ぶんだよ、アロナ」

 

『何をしたんですか……?』

 

「色々あったんだよ」

 

 先生は椅子を戻し、机へ向き直る。

 

 すると。

 

 目の前には、現実が待っていた。

 

「……今日も多いねえ」

 

 報告書。

 

 申請書。

 

 各学園からの問い合わせ。

 

 相談。

 

 そしてシャーレへ寄せられた、大小様々な依頼。

 

『先生のお仕事ですから!』

 

「先生って、もう少しこう……生徒と話したり、一緒にご飯食べたりする仕事だと思ってた」

 

『それも大事なお仕事ですよ?』

 

「やった」

 

『書類仕事がなくなるとは言ってません!』

 

「そんなあ」

 

 机に突っ伏す。

 

 額のすぐ横に、まだ手をつけていない書類の山がある。

 

 見なかったことにはできそうにない。

 

 そんな先生を画面越しに見ていたアロナが、ふと何かを思い出したように声を上げた。

 

『あっ。そういえば先生』

 

「うん?」

 

『ひとつ、気になる手紙があります』

 

「手紙?」

 

 先生が顔を上げる。

 

『はい。アビドス高等学校という学校からです』

 

「アビドス……」

 

 聞き覚えのない名前だった。

 

 先生が差し出された封筒を手に取る。

 

 紙は少しくたびれていた。

 

 決して豪華なものではない。

 

 封を開き、中の便箋へ目を落とす。

 

 最初は気楽な顔をしていた先生だったが。

 

 一行。

 

 また一行と読み進めていくうちに、その表情から少しずつ笑みが消えていった。

 

 学校周辺で繰り返される襲撃。

 

 不足する物資。

 

 限られた人数。

 

 助けを求める、短い文章。

 

 丁寧に書かれている。

 

 だからこそ。

 

 余裕がないことが、かえって分かった。

 

「……これ、いつ届いたの?」

 

『少し前ですね。シャーレ自体が正常に動いていなかった時期と重なっています』

 

「そっか」

 

 先生はもう一度、最後まで読み直した。

 

 差出人。

 

 アビドス高等学校、対策委員会。

 

 奥空アヤネ。

 

「…………」

 

 手紙を静かに机へ置く。

 

 そのまま先生は立ち上がった。

 

『先生?』

 

「行こうか」

 

『え?』

 

「アビドス」

 

『今からですか!?』

 

「うん」

 

『まだ今日の仕事が――』

 

 アロナが言いかける。

 

 先生は手紙を軽く持ち上げた。

 

「困ってるんだよね?」

 

『……はい』

 

「じゃあ、行こう」

 

 迷いはなかった。

 

『せ、せめて準備をしてください!』

 

「してるよ?」

 

『今、鞄にお菓子を入れましたよね!?』

 

「移動中にお腹空くかもしれないし」

 

『先に必要なものを入れてください!』

 

「あ、はい」

 

 言われて取り出した。

 

「これは?」

 

『必要です!』

 

「こっちは?」

 

『それもです!』

 

「じゃあこれは?」

 

『どうしてトランプを持っていこうとしてるんですか!?』

 

「暇になった時用」

 

『置いていってください!』

 

「はーい」

 

 そんな調子で。

 

 先生はその日のうちに、アビドスへ向けてシャーレを出発した。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「……アロナ」

 

『はい!』

 

「キヴォトスって」

 

『はい』

 

「広いねえ」

 

『今さらですか!?』

 

 車窓の外。

 

 流れていく街並みを眺めながら、先生はぼんやり呟いた。

 

 D.U.を離れてから、すでにいくつか交通機関を乗り継いでいる。

 

 最初は高い建物が並んでいた。

 

 巨大な広告板。

 

 行き交う車。

 

 歩道を埋める生徒たち。

 

 それが少しずつ減っていき。

 

 窓の外へ現れる空の割合が、段々と大きくなっていった。

 

「地図で見ると、もうちょっと近く感じたんだけどなあ」

 

『地図では移動時間は短くなりませんよ?』

 

「知ってる」

 

『あと、まだ着きません』

 

「それは今聞きたくなかった」

 

『先生!?』

 

 やがて舗装された道路の端に、砂が目立つようになった。

 

 風が吹くたび、細かな砂粒が路面を薄く走っていく。

 

 遠くの建物もまばらになり。

 

 使われていない看板。

 

 閉じた店舗。

 

 半ば砂に埋もれたフェンスまで見える。

 

「……ここまで来ると、結構変わるね」

 

『アビドス周辺は砂漠化が進んでいるそうです』

 

「これが……」

 

 先生は窓越しに、遠くの乾いた土地を見る。

 

 手紙に書かれていた言葉が。

 

 少しだけ現実の景色を伴って見えてきた。

 

 その時だった。

 

「……ん?」

 

 進行方向。

 

 道路の先に、何台かの車両が不自然に止まっている。

 

 その周囲。

 

 薄い煙が風に流されていた。

 

『先生?』

 

「何かあったみたい」

 

 近づくにつれて。

 

 事故ではないと分かった。

 

 道路脇の壁には弾痕。

 

 舗装には何かが叩きつけられたような割れ目。

 

 焦げた臭いが、乾いた風に混じっている。

 

「……戦闘?」

 

 先生が足を止めた。

 

 道路の端には、壊れた銃器がいくつも転がっている。

 

 折れた銃身。

 

 砕けた外装。

 

 吹き飛んだ部品。

 

 ただ。

 

 その中に一つだけ。

 

 先生の視線を強く引くものがあった。

 

「……これ」

 

 しゃがみ込む。

 

 大型の銃器。

 

 いや。

 

 銃器と呼んでいいのかすら分からない。

 

 妙に分厚い外装。

 

 通常の火器には必要なさそうな構造。

 

 そして。

 

 破損した内部から、細長い部品の一部が覗いている。

 

 形は違う。

 

 だが。

 

「アロナ」

 

『はい?』

 

「これ、シャーレの近くで見たやつと似てない?」

 

 あの時。

 

 不良たちが持っていた。

 

 撃ち出された瞬間に空気そのものを叩きつけるような、異常な威力の武器。

 

『記録と照合してみます』

 

 画面上で情報が切り替わる。

 

 先生は壊れた武器へ顔を近づけた。

 

『先生』

 

「ん?」

 

『触らないでくださいね?』

 

「……触ろうとしてないよ?」

 

『手、伸びてましたよ』

 

 そっと引っ込める。

 

「ちょっとだけ」

 

『駄目です!』

 

「はーい」

 

 数秒後。

 

『形状は違います。でも、一部にかなり似た構造があります』

 

「やっぱり」

 

 先生は顎へ手を当てる。

 

 偶然。

 

 と言い切るには、少し似すぎていた。

 

 その時。

 

「……最悪」

 

 小さな声が聞こえた。

 

「ん?」

 

 振り返る。

 

 道路脇。

 

 少し離れた場所に、ヘルメットを被った少女たちが何人か座り込んでいた。

 

 一人は地面にへたり込み。

 

 一人は膝を抱えたまま不機嫌そうに俯き。

 

 もう一人は、真っ二つになった武器を前にして呆然としている。

 

 服は砂埃まみれ。

 

 ヘルメットにも擦った跡がある。

 

 ただ、大きな怪我をしている様子はない。

 

 転んだらしい一人の膝に、小さな擦り傷がある程度だ。

 

「大丈夫?」

 

「大丈夫に見える!?」

 

 即座に返ってきた。

 

「大きな怪我はなさそうだけど」

 

「そういう意味じゃないわよ!」

 

「そっかあ」

 

「何その反応!」

 

 先生は少女たちの前へしゃがみ込む。

 

 視線の先には。

 

 壊された武器。

 

 それも一つや二つではない。

 

 通常の銃も地面に落ちているが、そちらは撃てないほど壊れてはいなかった。

 

 一方で。

 

 先ほど先生が見ていた特殊な武器だけは。

 

 どれも徹底的に破壊されている。

 

「これ、あなたたちの?」

 

「だったわよ!」

 

「だった」

 

「壊されたの!」

 

 少女が頭を抱えた。

 

「あんな高かったのに……」

 

「誰に?」

 

「黒い奴!」

 

「黒い?」

 

「そう! 真っ黒で、変な仮面つけてて!」

 

 隣の少女も悔しそうに続ける。

 

「いきなり出てきて、『その武器は使わない方がいい』とか言ってきたのよ!」

 

「……へえ」

 

「『危険だから置いていけ』って! 何なのよ、いきなり!」

 

「それで?」

 

「それで?」

 

「どうしたの?」

 

「…………」

 

 少女たちの視線が泳いだ。

 

「……撃った」

 

「誰が?」

 

「…………私たちが」

 

「そっかあ」

 

「その顔やめて!」

 

「どんな顔?」

 

「なんか全部分かってますみたいな顔!」

 

「そんな顔してた?」

 

『ちょっとしてました』

 

「アロナまで」

 

 先生は困ったように笑う。

 

「じゃあ、その人から先に襲ってきたわけじゃないんだね」

 

「だから! 武器を捨てろって言ってきたから!」

 

「うん」

 

「こっちは金払って買ったのよ!」

 

「うん」

 

「ムカつくでしょ!?」

 

「そこで撃っちゃうんだ」

 

「…………」

 

 返事はなかった。

 

「それで?」

 

「避けられた」

 

「全部?」

 

「……全部」

 

「その後は?」

 

「こっちが撃っても全然当たらないし!」

 

 別の少女が立ち上がりかけ、途中で面倒になったのかまた座る。

 

「近づいてきたと思ったら、銃を叩き落とされるし!」

 

「普通の銃は?」

 

「地面に落とされただけ!」

 

「じゃあ壊されたのは」

 

 先生の目が、特殊な武器へ向く。

 

「これだけ?」

 

「……そうよ」

 

 風が吹いた。

 

 壊れた部品の隙間から、細かな砂がさらさらと流れていく。

 

「ふーん……」

 

 先生の表情が少し変わった。

 

 目の前の少女たちへではない。

 

 壊された兵器へ。

 

 普通の武器は必要以上に壊していない。

 

 少女たちもほぼ無傷。

 

 狙われたのは。

 

 これだけ。

 

「その人、何者なの?」

 

「知らないわよ」

 

「最近たまに噂になってる奴じゃない?」

 

 一人が言った。

 

「ブラックマーケットの方でも聞いたことある」

 

「ああ……」

 

 別の少女が忌々しそうに呟く。

 

「仮面ライダー」

 

「…………」

 

 先生が瞬きをした。

 

「仮面……ライダー?」

 

『先生?』

 

「いや」

 

 もう一度、頭の中で響かせる。

 

 仮面。

 

 ライダー。

 

「……名前、格好いいね」

 

『そこですか!?』

 

「名前は大事だよ」

 

『今は他に考えることがあります!』

 

「分かってるって」

 

 先生は立ち上がった。

 

 もう一度。

 

 壊れた兵器を見る。

 

「アロナ」

 

『はい?』

 

「この仮面ライダーって人、調べられる?」

 

『公開されている情報なら探せます!』

 

「お願い」

 

『はい!』

 

 アロナが検索を始める。

 

 その間。

 

 先生は少女たちへ視線を戻した。

 

「ところで」

 

「何よ」

 

「その膝、大丈夫?」

 

「これくらい平気よ!」

 

「転んだ?」

 

「……逃げようとして」

 

「そっか」

 

 先生は鞄を探る。

 

 簡単な消毒用品を取り出した。

 

「ほら」

 

「い、いいって!」

 

「砂入ってるよ」

 

「…………」

 

「化膿したら面倒でしょ」

 

「…………貸して」

 

「はい」

 

 少女が渋々受け取る。

 

 先生は周囲を見渡した。

 

 破壊された武器。

 

 放置された車両。

 

 道路の真ん中に散らばった破片。

 

「これ、このままにはできないよねえ」

 

『そうですね』

 

「ヴァルキューレに連絡しようか」

 

「は!?」

 

 少女たちが一斉に振り向いた。

 

「ちょっと待って!」

 

「何で!?」

 

「いや、危ないものが散らばってるし」

 

「自分たちで何とかするから!」

 

「でも」

 

「大丈夫! 全然大丈夫だから!」

 

「急に元気になったね」

 

「なってない!」

 

 先生は不思議そうに首を傾げながら、通信を入れた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「……思ったより、時間かかったなあ」

 

 すでに日は傾いていた。

 

 長く伸びた影が、道路の上を斜めに横切っている。

 

『先生が最後まで残ってたからですよ』

 

「仕方ないでしょ」

 

 ヴァルキューレが到着するまで待ち。

 

 危険な兵器の場所を説明し。

 

 周囲へ飛び散った部品が回収されるのを確認して。

 

 道路の安全確認が終わる頃には、かなり時間が経っていた。

 

『でも、ヴァルキューレって聞いた途端、すごく慌ててましたよ?』

 

「それと怪我してることは別でしょ」

 

『……それは、そうですけど』

 

 先生は肩を竦める。

 

 自分が何者だろうと。

 

 相手が何者だろうと。

 

 目の前で困っていれば、できることくらいはする。

 

 それだけだった。

 

「それより」

 

 西の空を見る。

 

 橙色が、少しずつ濃くなっている。

 

「今日中にアビドス着けるかなあ」

 

『……頑張りましょう!』

 

「今ちょっと間があったよね?」

 

『ありません!』

 

「ほんとかなあ」

 

『あっ、先生!』

 

「ん?」

 

『さっきの仮面ライダーについて、いくつか見つかりました!』

 

 先生の足が止まる。

 

「見せて」

 

 シッテムの箱へ視線を落とした。

 

 表示されたのは、断片的な映像ばかりだった。

 

 遠くから撮られたもの。

 

 監視カメラらしい低画質の記録。

 

 誰かが慌ててスマートフォンを向けたらしく、ひどく手ぶれしている動画。

 

 その中に。

 

 黒い影があった。

 

「……これ?」

 

『はい』

 

 先生が画面を覗き込む。

 

 黒。

 

 全身を覆う、夜のような色。

 

 赤く光る複眼。

 

 余計な装飾のほとんどない、研ぎ澄まされたような黒一色の姿。

 

 映像の中。

 

 銃口が向けられる。

 

 黒い戦士は、撃たれるより僅かに早く身体をずらした。

 

 弾丸が通り過ぎる。

 

 そのまま低く踏み込み。

 

 一人。

 

 二人。

 

 攻撃を受け流す。

 

 けれど。

 

 倒れた少女へ追撃はしない。

 

「……あ」

 

『どうしました?』

 

「ほら」

 

 先生が画面を指差した。

 

「普通の銃は、弾いてるだけ」

 

『……本当ですね』

 

 次の瞬間。

 

 画面の端。

 

 別の生徒が特殊な大型武器を構える。

 

 黒い戦士の動きが変わった。

 

 迷わずそちらへ踏み込む。

 

 銃口を逸らし。

 

 脇へ回り。

 

 一撃。

 

 外装が砕けた。

 

「こっちは真っ先に壊してる」

 

『さっきの現場と同じです』

 

「うん」

 

 先生の目が細くなる。

 

 先ほど聞いた話。

 

 危険だから使うな。

 

 そう言った。

 

 そして実際に。

 

 その武器だけを、狙って壊している。

 

「……何か知ってるんだろうね」

 

『可能性は高そうです』

 

「この武器のこと」

 

 別の動画へ切り替わる。

 

 今度はかなり遠い。

 

 音も割れている。

 

 画面の中。

 

 黒い戦士が走る。

 

 敵の攻撃を掻い潜り。

 

 地面を蹴った。

 

 高く。

 

 一気に。

 

「お」

 

 宙で身体が捻られる。

 

 脚が伸びる。

 

 そして。

 

 一直線に。

 

 蹴り抜いた。

 

 画面が大きく揺れた。

 

「…………」

 

『先生?』

 

「……今の」

 

『はい?』

 

「もう一回見せてもらってもいい?」

 

『え?』

 

「最後のところ」

 

『ここですか?』

 

「そこ」

 

 巻き戻る。

 

 もう一度。

 

 黒い戦士が跳ぶ。

 

 風を切り。

 

 蹴り抜く。

 

「…………」

 

『先生?』

 

「すごいね」

 

『そうですね。かなり高い戦闘能力だと思います』

 

「それもだけど」

 

 先生は画面から目を離さない。

 

「……なんか、格好よくない?」

 

『そこですか!?』

 

「いや、ちゃんと見てるよ」

 

『絶対最後の蹴りに夢中になってました!』

 

「ちょっとだけ」

 

『二回見ましたよ!?』

 

「二回くらいいいじゃん」

 

『駄目とは言ってませんけど!』

 

 先生は少し笑った。

 

 もう一度。

 

 画面に表示された名前を見る。

 

「仮面ライダー、かあ」

 

 妙に耳に残る。

 

 妙に気になる。

 

 黒い仮面の戦士。

 

 危険な武器を追う、正体不明の誰か。

 

 その時の先生は。

 

 まさか、その人物と近いうちに同じ戦場へ立つことになるとは。

 

 まだ想像もしていなかった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 結局。

 

 その日のうちに、先生がアビドス高等学校へ辿り着くことはできなかった。

 

 日が沈んだ頃には、周囲の景色はすっかり暗くなっていた。

 

 元々少なかった交通もさらに減り。

 

 遠くに見える街灯もまばらになる。

 

「……今日はここまでかな」

 

『その方がいいと思います』

 

「初日から予定狂っちゃったなあ」

 

『先生のせいではありませんよ』

 

「でも、手紙を出した子たち、待ってたりしないかな」

 

『先生が来ることは、まだ知らないと思います』

 

「そっか」

 

 先生は暗くなった空を見上げた。

 

「じゃあ」

 

 小さく息を吐く。

 

「明日の朝、一番に行こう」

 

『はい!』

 

 乾いた夜風が吹く。

 

 遠く。

 

 砂の向こうに。

 

 アビドス自治区が眠っていた。

 

 その夜。

 

 先生が知らない場所で。

 

 一人の少女が、いつものアルバイトを終えていた。

 

 そして。

 

 いつも通りの帰り道を。

 

 家へ向かって歩いていた。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 翌朝。

 

 アビドス高等学校。

 

 朝の光が、砂に霞んだ窓から部室へ差し込んでいる。

 

 古びた机。

 

 椅子。

 

 壁際に置かれた装備。

 

 いつもと変わらない朝。

 

 ただ一つ。

 

 足りない。

 

「…………」

 

 アヤネが時計を見る。

 

 もう一度。

 

 端末を見る。

 

 着信履歴。

 

 応答なし。

 

 メッセージ。

 

 未読。

 

「……まだ来てない?」

 

 シロコが聞いた。

 

「はい……」

 

 アヤネは小さく頷く。

 

「朝から何度か連絡してるんですけど……出ないんです」

 

「寝坊、とかでしょうか~?」

 

 ノノミが言う。

 

 いつもの柔らかな声。

 

 けれど。

 

 語尾が僅かに弱かった。

 

 シロコが首を横へ振る。

 

「セリカはしない」

 

「ですよね……」

 

 アヤネも同じだった。

 

 セリカなら。

 

 文句は言う。

 

 朝が早ければ機嫌も悪い。

 

 愚痴だって言う。

 

 それでも。

 

 学校へ来ないという選択はしない。

 

「昨日は?」

 

 声がした。

 

 机に突っ伏していたホシノが、顔を伏せたまま聞く。

 

「昨日の夜、連絡あった?」

 

「え?」

 

 アヤネが振り向く。

 

「バイトに行く前までは……」

 

「帰る時は?」

 

「…………」

 

 指が止まった。

 

「ありません」

 

 その一言が。

 

 妙に重く部屋へ落ちた。

 

 アヤネの頭に。

 

 昨日の光景が浮かんだ。

 

 部室。

 

 夕方。

 

 時計を見たセリカが。

 

『あ』

 

 小さく声を上げて。

 

『どうしたの?』

 

『バイト。もう行かないと』

 

 いつものように立ち上がった。

 

『今日もですか?』

 

『当たり前でしょ。少しでも稼がないと』

 

 鞄を手に取って。

 

 ノノミが笑いながら手を振った。

 

『いってらっしゃ~い』

 

『はいはい』

 

 扉の前で。

 

 一度だけ振り返って。

 

『遅くなるから、先に帰ってていいわよ』

 

『セリカちゃん、気をつけてくださいね』

 

『分かってるって』

 

 そう言って。

 

 出ていった。

 

 それだけ。

 

 いつもと変わらなかった。

 

 だから。

 

 誰も止めなかった。

 

 止める理由なんて、どこにもなかった。

 

 ――昨日までは。

 

「……バイト先」

 

 シロコが立ち上がる。

 

「確認してくる」

 

「お願いします!」

 

 アヤネもすぐに端末へ視線を戻した。

 

「私も連絡してみます。昨日、何時に上がったのか――」

 

「私も行きますね」

 

 ノノミの表情から笑みが消えていた。

 

「手分けした方が早いですから」

 

「お願いします!」

 

 椅子が引かれる。

 

 装備が持ち上げられる。

 

 慌ただしい音の中。

 

 ホシノだけが。

 

 まだ動かなかった。

 

「ホシノ先輩?」

 

 アヤネが呼ぶ。

 

「…………」

 

 少し遅れて。

 

 ホシノがゆっくりと顔を上げた。

 

 いつもなら眠たそうに細められている目。

 

 そこから。

 

 普段の気の抜けた色が消えている。

 

「アヤネちゃん」

 

「はい」

 

「セリカちゃんの最後の位置、分かったらすぐ教えて」

 

「……はい」

 

「シロコちゃん」

 

「うん」

 

「一人で先に行きすぎないでね」

 

「……分かった」

 

「ノノミちゃんも」

 

「はい」

 

 ホシノが立ち上がった。

 

 壁際へ置いていたショットガンを手に取る。

 

 声は。

 

 いつもと大して変わらなかった。

 

「おじさんも探しに行くよ」

 

 それだけなのに。

 

 アヤネには。

 

 いつものホシノとは違って見えた。

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

「……今度こそ着けそうだね」

 

『はい!』

 

 同じ朝。

 

 アビドス自治区。

 

 朝日を受けた砂が、白く眩しく光っていた。

 

 昨日まで続いていた舗装路は、次第に砂に侵食され。

 

 道の両脇には。

 

 使われなくなった建物。

 

 錆びた標識。

 

 半ば埋まったガードレール。

 

 風が吹くたび。

 

 砂がさらさらと路面を横切っていく。

 

 先生は目元へ手をかざした。

 

「……すごいなあ」

 

『砂ですか?』

 

「うん」

 

 想像していたより。

 

 ずっと広い。

 

 ずっと静かだった。

 

 昨日読んだ手紙。

 

 あの短い文章の向こうにあった場所へ。

 

 ようやく足を踏み入れた。

 

「学校は?」

 

『この先です!』

 

「よし」

 

 先生は歩き出す。

 

 昨日の予定なら。

 

 もっと早く、ここへ来ていた。

 

 妙な武器。

 

 黒い仮面の戦士。

 

 ヴァルキューレへの引き継ぎ。

 

 ほんの少しずつ積み重なった出来事が。

 

 先生の到着を、一日だけ遅らせた。

 

 ただ、それだけだった。

 

 けれど。

 

 その一日を挟んだ向こう側で。

 

 昨夜。

 

 一人の少女が姿を消している。

 

 今。

 

 仲間たちがその少女を探し始めている。

 

 そして先生は。

 

 まだ、そのことを知らない。

 

 乾いた風が吹き抜ける。

 

 遠く。

 

 砂の向こうに、アビドス高等学校の校舎が見え始める。

 

 本来なら。

 

 そこで彼女たちと出会い。

 

 そこから始まるはずだった出来事が。

 

 先生の到着を待たず。

 

 すでに動き始めていた。

 

 ほんの一日の遅れ。

 

 それだけで。

 

 知っているはずの物語は。

 

 静かに、その順番を変え始めていた。

 

 

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