青の記録 ―二つの記憶が交わる時―   作:きままに投稿

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第34話 交差

 

 

「……お腹空きましたね~」

 

 一通りの話が終わったところで、ノノミがぽつりと言った。

 

 その一言に、シロコがすぐ顔を上げる。

 

「ん。私も空いた」

 

「シロコ先輩、さっきまでずっと黙ってたのに食事の話になったら反応早くない?」

 

「大事だから」

 

「否定しないんだ……」

 

 セリカが呆れたように言う。

 

 先生も壁の時計へ目を向けた。

 

「もうこんな時間なんだ」

 

「話し込んでましたからね」

 

 アヤネが机の上へ広げられていた資料をまとめ始める。

 

 借金の記録。

 

 疑似メモリ兵器の破片。

 

 翔が持ち込んだ流通経路の情報。

 

 それに、途中から増えていった書き込みやメモ。

 

「じゃあ、お昼にしようか」

 

 先生がそう言うと、セリカがすぐに口を開いた。

 

「だったら柴関でいいんじゃない?」

 

「柴関?」

 

「ラーメン屋。ここからそんなに遠くないわよ」

 

「ああ」

 

 先生もすぐに思い出したらしい。

 

「柴大将のお店だね」

 

「先生、行ったことあるの?」

 

「この前ね」

 

「じゃあ話が早いわね」

 

 セリカが立ち上がる。

 

「アヤネも行くでしょ?」

 

「はい。午前中の分はだいたい片づきましたし」

 

「ホシノ先輩は?」

 

「おじさんも行くよ~。若い子たちだけ美味しいもの食べに行くなんてずるいしねえ」

 

「ホシノ先輩も若いでしょうが」

 

「いやいや~、おじさんだから」

 

「一つしか違わないでしょ!」

 

 いつもの調子で言い合いが始まる。

 

 翔はその様子を眺めていたが、全員が席を立ち始めたところで、自分も端末をしまった。

 

「じゃあ俺は一旦――」

 

「翔も行くでしょ?」

 

 先生が当然のように言った。

 

「……俺も?」

 

「お昼食べないの?」

 

「食べるけど」

 

「なら一緒に行けばいいじゃん」

 

 あまりにも自然に言われ、翔は一瞬だけ言葉に詰まる。

 

「いや、俺は部外者だし。一緒でいいのか?」

 

「今さらじゃない?」

 

 セリカが横から口を挟んだ。

 

「さっきまで一緒に話してたんだから、ラーメン食べるくらい別にいいでしょ」

 

「でも、学校のことはどこまで話すか決めるって――」

 

「それと昼ご飯は別でしょ」

 

「……それもそうか」

 

「何でそこで悩むのよ」

 

「いや、普通は少しくらい気を遣うだろ」

 

「翔って変なところで気にするよね」

 

「先生に言われたくないんだけど」

 

「え?」

 

「何で本気で分からない顔するんだよ」

 

 先生が首を傾げる横で、ノノミが楽しそうに笑った。

 

「では、みんなで行きましょう~」

 

 ホシノも特に反対することはなかった。

 

 先ほど決めたのは、何もかも無条件に話すということではない。

 

 どこまで情報を渡すかは、その都度こちらで決める。

 

 それさえ守るのなら、昼食まで拒む理由もなかった。

 

 結局、翔もそのまま同行することになった。

 

 校舎を出る。

 

 強い陽射しが、白く乾いた道路へ降り注いでいた。

 

 建物が並んではいるものの、人通りは少ない。遠くでは砂に半ば埋もれた道路標識が、風を受けて僅かに揺れている。

 

 学校へ来た時は一人だった道を、今度は七人で歩いていく。

 

「そういえば」

 

 先生が隣を歩く翔へ視線を向けた。

 

「翔はこれからもしばらくアビドスにいるの?」

 

「そのつもり。まだ調べたいことが残ってるから」

 

「疑似メモリ兵器?」

 

「それもある」

 

 翔は携帯端末の入ったポケットへ軽く触れた。

 

「流通経路だけならブラックマーケットを追えばいいんだけど、昨日使われた装置はそっちに出てる物とちょっと違う。だったら、もう少しこの辺を見た方がいいと思ってる」

 

「泊まるところは?」

 

「一応、宿は取ってるよ」

 

「そっか」

 

 先生は頷いた。

 

「じゃあ、一つだけ約束ね」

 

「約束?」

 

「危ない場所に行く時は、先に連絡して」

 

「……何で?」

 

「何でって」

 

 先生は不思議そうに翔を見る。

 

「今日から情報を共有することになったでしょ?」

 

「まあ」

 

「それに、何かあった時にどこにいるか分からないと困るから」

 

「いや、そこまでしてもらわなくても――」

 

「駄目」

 

 柔らかな声音だった。

 

 だが、そこだけは妙にきっぱりしていた。

 

「昨日みたいな兵器を追ってるんでしょ?」

 

「……そうだけど」

 

「だったらなおさら。別に毎回許可を取ってって言ってるわけじゃないよ。ただ、行き先くらいは残しておいて」

 

 先生は少しだけ笑う。

 

「何かあった時、まず翔を探すところから始めるのは嫌だから」

 

「……」

 

 翔は少しだけ黙った。

 

「分かった」

 

「うん」

 

「でも、助けられる前提なのはどうなんだ?」

 

「何かあった時の話だからね」

 

「何もないのが一番だろ」

 

「それはそう」

 

 先生は満足そうに頷いた。

 

 少し前を歩いていたホシノが、ちらりと二人を見る。

 

「先生も大変だねえ」

 

「何が?」

 

「来たばっかりなのに心配する相手が増えて」

 

「ホシノも入ってるよ?」

 

「えっ」

 

「もちろん」

 

「おじさんは大丈夫だよ~」

 

「そういう人ほど大丈夫じゃないって、昨日知ったから」

 

「……先生、意外と根に持つねえ」

 

「覚えてるだけだよ」

 

 ホシノが苦笑する。

 

 その横で、シロコが翔へ声を掛けた。

 

「翔」

 

「ん?」

 

「さっき見てた経路だけど」

 

「ああ」

 

「もう少し北側に、歩いて抜けられる道がある」

 

「地図には載ってなかったぞ」

 

「昔の道だから。今はほとんど使われてない」

 

「車は?」

 

「厳しい。でも歩くなら通れる」

 

「なるほど」

 

 翔は端末を取り出し、忘れないうちに位置を記録する。

 

「今度確認してみる」

 

「案内してもいい」

 

「いいのか?」

 

「ん。私の方が早いから」

 

「助かる」

 

「でも一人では行かないでね」

 

 先生がすぐ横から入ってきた。

 

「聞いてたのかよ」

 

「聞こえたから」

 

「先生、結構しっかりしてるんだな……」

 

「どういう意味?」

 

「いや、さっきとの落差が」

 

「さっき?」

 

「仮面ライダーの話してた時」

 

「あれはあれ、これはこれだよ」

 

「そういうもんなのか……」

 

 先生が何故か胸を張る。

 

「切り替えは大事だからね!」

 

「その使い方で合ってるのかな……」

 

 そんな話をしながら歩いている途中だった。

 

 道路脇にある小さな商店の前で、風に煽られた空き箱がいくつも崩れた。

 

「あっ!」

 

 店先にいた犬の獣人が慌てて手を伸ばす。

 

 一つが道路へ向かって転がった。

 

 翔はほとんど反射的に足を止める。

 

「ちょっと待ってて」

 

 それだけ言うと、左右を確認してから転がった箱を追い、道路へ出る手前で拾い上げた。

 

 店先では他にも二つほど倒れている。

 

 翔はそれらも起こし、今度は風で簡単に崩れないよう端を揃えて積み直した。

 

「悪いねえ、坊主」

 

「いえ。これで大丈夫ですか?」

 

「ああ、助かったよ」

 

「じゃあ」

 

 軽く頭を下げ、小走りで皆のところへ戻ってくる。

 

「悪い、待たせた」

 

「別にそんなに待ってないわよ」

 

 セリカが言う。

 

 それから、少しだけ翔を見る。

 

「翔って、そういうの毎回やってるの?」

 

「毎回って?」

 

「今みたいなの」

 

「困ってたから手伝っただけだろ」

 

「……そう」

 

 セリカはそれ以上何も言わなかった。

 

 少し後ろを歩いていたホシノは、戻ってきた翔を何となく目で追った。

 

「困ってたから手伝っただけだろ」

 

 何でもないことのように言って、翔はまた歩き出す。

 

「……」

 

 その横顔を見ていたホシノの足が、ほんの一瞬だけ遅れた。

 

 胸の奥を、何かが掠める。

 

 懐かしいような。

 

 少しだけ、困るような。

 

 けれど、それが何なのか確かめるより先に。

 

「ホシノ?」

 

 先生の声が飛んできた。

 

「ん~?」

 

「どうしたの?」

 

「なんでもないよ~」

 

 いつもの調子で答え、ホシノも歩き出す。

 

 そのまま振り返ることはなかった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「いらっしゃ――お?」

 

 柴関ラーメンの暖簾をくぐった瞬間、カウンターの奥にいた柴大将が顔を上げた。

 

「やあ、セリカちゃん」

 

「こんにちは、柴大将」

 

 セリカが片手を上げる。

 

 柴大将はその姿を上から下まで確かめると、安心したように息をついた。

 

「もう出歩いて大丈夫なのかい?」

 

「大丈夫ですってば」

 

「大丈夫なわけないでしょう! 昨日何時間も拘束されてたんですよ!?」

 

 後ろからアヤネが即座に口を挟む。

 

「アヤネ!」

 

「ははっ。そりゃ心配もされるな」

 

「柴大将まで……」

 

「まあまあ。立ち話も何だし、まずは座りな」

 

「だから大丈夫ですって!」

 

「セリカちゃん、諦めた方がいいと思いますよ~」

 

「ノノミ先輩まで……」

 

 先生も店へ入る。

 

「こんにちは」

 

「ああ、先生も一緒か」

 

「今日はみんなでお昼です」

 

「そりゃいい」

 

 そして最後に翔が暖簾をくぐったところで、柴大将が少し目を瞬かせた。

 

「そっちの子は?」

 

「ああ、俺は――」

 

「ゲヘナから調査に来てる翔」

 

 セリカが先に答えた。

 

「来てるっていうか、正式には風紀委員会の外部協力者だけどな」

 

「風紀委員会っていうと、あのゲヘナの風紀委員会かい?」

 

「はい。風間翔です」

 

「なるほどねえ」

 

 柴大将はそれ以上深く聞かなかった。

 

「まあ、セリカちゃんたちの知り合いなら、ゆっくりしていきな」

 

「ありがとうございます」

 

 そこで翔は店内へ目を向けた。

 

 そして一瞬だけ、視線を止める。

 

 奥のテーブル。

 

 四人の少女が座っていた。

 

 赤い角を持つ少女が、何故か妙に得意げな顔で大盛りのラーメンを前にしている。

 

 その隣では、小柄な少女が楽しそうに笑っていた。

 

 反対側では、長い黒髪の少女が静かに箸を進め、その横で黒と赤の髪をした少女が周囲を気にしながら座っている。

 

(……便利屋68)

 

 予想していなかった顔ぶれに、翔の視線が僅かに止まる。

 

(もうアビドスに来てたのか)

 

「どうしたの?」

 

 先生が振り返る。

 

「いや」

 

 翔はすぐに視線を戻した。

 

「何でもない」

 

 店内はそれほど広くない。

 

 対策委員会の人数も多いため、全員が同じ席に座ることはできなかった。

 

「悪いな。今日はちょっと混んでるんだ」

 

 柴大将が店内を見渡す。

 

「カウンターとテーブルに分かれてもらえるか?」

 

「私はどこでもいい」

 

 シロコが答える。

 

「じゃあ私とアヤネちゃんとホシノ先輩はこっちにしましょうか~」

 

 ノノミがテーブルを指す。

 

「先生とセリカちゃんは?」

 

「私、カウンターでいいよ」

 

「私も」

 

 セリカが続く。

 

 翔も周囲を見る。

 

「じゃあ俺もカウンターで」

 

 結果、先生、セリカ、翔がカウンターへ並び、シロコたちはすぐ後ろのテーブルへ座ることになった。

 

 便利屋68の席は、その斜め後ろ。

 

「今日は景気づけよ!」

 

 背後から大きな声が聞こえた。

 

「こういう大仕事の前には、しっかり食べておかないとね!」

 

「アルちゃん、さっき前金はなるべく残そうって言ってなかった?」

 

「これは必要経費よ!」

 

「ラーメンのトッピングが?」

 

「当然でしょ!」

 

「何の経費?」

 

「……士気」

 

「あははっ、今考えたでしょ」

 

「考えてないわよ!」

 

 ムツキが楽しそうに笑う。

 

 カヨコはラーメンを食べながらため息をついた。

 

「社長、前金全部使わないでよ」

 

「分かってるわ!」

 

「アル様がお望みでしたら、わ、私の分も――」

 

「ハルカはちゃんと食べなさい!」

 

「は、はいっ!」

 

 賑やかな声に、先生が思わず振り返った。

 

「楽しそうだね」

 

 その声が聞こえたのか、アルと目が合う。

 

「……何かしら?」

 

「いや」

 

 先生は悪びれもせず笑った。

 

「仲良さそうだなって」

 

「ふっ」

 

 アルが箸を置き、胸を張る。

 

「当然よ! 私たちは数々の困難を共に乗り越えてきた同志なんだから!」

 

「へえ」

 

 先生が素直に感心する。

 

「格好いいね」

 

「…………」

 

 アルの表情が止まった。

 

 ムツキが横で吹き出す。

 

「くふっ」

 

「な、何よ?」

 

「いやあ、アルちゃんって褒められると弱いよね~」

 

「弱くない!」

 

 先生はそんなやり取りを眺めながら首を傾げる。

 

「何かのグループ?」

 

「グループ?」

 

 アルが眉を上げる。

 

「ふっ、そんな生ぬるい集まりと一緒にしないでもらえるかしら」

 

「社長」

 

 カヨコが静かに止める。

 

 だが遅かった。

 

「我々は――」

 

 アルが立ち上がる。

 

「便利屋68!」

 

 店内へ堂々と宣言した。

 

 数秒の沈黙。

 

 柴大将が厨房から顔を出す。

 

「お嬢ちゃん、元気なのはいいけど、店の中じゃもう少し静かにな」

 

「……はい」

 

 アルが大人しく座った。

 

 先生が目を瞬かせる。

 

「便利屋なんだ」

 

「……ええ」

 

「でもアウトローなの?」

 

「そうよ!」

 

「便利屋とアウトローって両立するんだ」

 

「するわよ!」

 

「どうやって?」

 

「え」

 

 アルが固まる。

 

 先生は純粋に疑問そうだった。

 

「依頼を受けて問題を解決するのが便利屋でしょ?」

 

「そ、それは……まあ」

 

「でもアウトローだから、ルールには縛られない?」

 

「そ、そう!」

 

「でも引き受けた依頼はちゃんと守る?」

 

「当然よ!」

 

「律儀なんだね」

 

「…………」

 

 ムツキがテーブルへ突っ伏した。

 

「もう無理……!」

 

「ムツキ!」

 

「くふふふっ……!」

 

 カヨコは片手で額を押さえている。

 

 ハルカはどうしていいか分からず、アルと先生を交互に見ていた。

 

 翔も思わず口元を緩めた。

 

「先生」

 

「ん?」

 

「たぶんその辺でやめた方がいい」

 

「何で?」

 

「見ろよ」

 

 アルの顔が真っ赤になっている。

 

「あ」

 

「『あ』じゃないわよ!」

 

 先生が申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「ごめんね?」

 

「べ、別に怒ってないわ!」

 

「怒ってるじゃん」

 

 セリカが呟く。

 

「聞こえてるわよ!」

 

「何よ!」

 

「何でもないわ!」

 

「どっちなのよ!」

 

 店内が一気に騒がしくなった。

 

 柴大将は慣れた様子でラーメンを作り続けている。

 

「それで、注文は決まったかい?」

 

 その一言で、ようやく全員が本来の目的を思い出した。

 

「私は醤油」

 

 セリカが即答する。

 

「先生は?」

 

「おすすめで」

 

「おすすめか」

 

 柴大将が少し笑う。

 

「うちは全部おすすめだよ」

 

「格好いい……」

 

「先生、そこで感動するの?」

 

 セリカが呆れる。

 

 翔は壁のメニューを見上げた。

 

「どうしようかな……」

 

「初めて?」

 

 横から声がした。

 

 翔が振り返る。

 

 便利屋68の席。

 

 カヨコがこちらを見ていた。

 

「ここは初めて」

 

「なら、醤油でいいと思う」

 

「醤油?」

 

「外さないよ」

 

 翔はカヨコの前に置かれた丼を見る。

 

「それも醤油?」

 

「うん」

 

「じゃあ、それにする」

 

「そう」

 

 それだけだった。

 

 カヨコはまたラーメンへ視線を戻す。

 

 翔も柴大将へ注文を伝えた。

 

「醤油お願いします」

 

「あいよ」

 

 先生が横から翔を見る。

 

「決めるの早いね」

 

「食べてる人が美味いって言ってるなら間違いないだろ」

 

「確かに」

 

「先生はおすすめで頼んだだろ」

 

「私は柴大将を信じたから」

 

「なんか重いな……」

 

 そんな会話をしている間、カヨコの視線が一度だけ翔の方へ戻った。

 

 男の子が珍しいというだけなら、それほど気にすることでもない。

 

 引っかかっているのは、先ほど聞こえた言葉だった。

 

 ――ゲヘナの風紀委員会。

 

 箸を持つ手が僅かに止まる。

 

 隣のアルはまだ気づいていない。

 

 ムツキはラーメンを食べながら楽しそうに先生たちの会話を聞き、ハルカは先ほどアルが褒められたことが嬉しかったのか、どことなく満足そうにしている。

 

 カヨコだけが、もう一度翔を見る。

 

 その視線に気づいた翔がこちらを向いた。

 

「?」

 

「……何でもない」

 

「そっか」

 

 翔はそれ以上聞かず、前へ向き直った。

 

 詮索してこないらしい。

 

 少しだけ意外だった。

 

 やがてラーメンが運ばれてくる。

 

「はい、お待ち」

 

 最初に置かれたセリカの丼を見て、彼女が眉を寄せた。

 

「……柴大将」

 

「何だい?」

 

「これ、多くないですか?」

 

 いつもより明らかにチャーシューが多い。

 

 煮卵まで一つ増えている。

 

 だが、それはセリカだけではなかった。

 

「……あれ?」

 

 先生が自分の丼を見る。

 

「私、煮卵頼んだっけ?」

 

「頼んでないわよね?」

 

「ん」

 

 後ろのテーブルでは、シロコも自分の丼をじっと見ている。

 

「チャーシューも増えてる」

 

「私たちのもです~」

 

 ノノミが嬉しそうに声を上げ、アヤネも困ったように柴大将を見る。

 

「柴大将、これ……」

 

 翔も自分の丼へ視線を落とした。

 

「俺のも増えてるんですけど」

 

「ああ」

 

 柴大将は何でもないことのように答えた。

 

「今日はセリカちゃんが無事だった祝いだ。アビドスのみんなも先生も、それからそっちの兄ちゃんも。トッピングくらいサービスさせてくれ」

 

「いや、でも俺は――」

 

「一人だけ外すのも野暮だろ?」

 

 そう言われてしまえば、翔も言葉に詰まった。

 

「……じゃあ、ありがたく」

 

「ああ。そうしな」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 セリカが慌てる。

 

「こんな人数分サービスしたら駄目でしょ!?」

 

「気にすんな。こういう時くらいはな」

 

「でも――」

 

「セリカちゃん」

 

「……何ですか」

 

「無事で良かったよ」

 

 柴大将はそれだけ言うと、もう次の作業へ手を動かし始めた。

 

「……」

 

 セリカの勢いが止まる。

 

 数秒してから、小さく息を吐いた。

 

「……ありがとうございます」

 

「おう」

 

 先生はそのやり取りを見て、感心したように呟いた。

 

「柴大将、格好いい……」

 

「先生は何でそこで一番感動してるのよ!」

 

「だって格好いいものは格好いいし」

 

「もう……」

 

 セリカが自分の丼へ視線を戻す。

 

 そこでまた止まった。

 

「……柴大将」

 

「今度は何だい?」

 

「私のチャーシューだけ、みんなより一枚多くないですか?」

 

「気のせいだ」

 

「絶対気のせいじゃない!」

 

「冷めるぞ」

 

「誤魔化した!」

 

 ノノミが後ろから楽しそうに笑う。

 

「良かったですね~、セリカちゃん」

 

「ノノミ先輩!」

 

 先生もようやく箸を取った。

 

「いただきます」

 

 一口。

 

 目を見開く。

 

「……美味しい」

 

「だろ?」

 

「セリカがここで働いてる理由分かったかも」

 

「いや、私はそれだけで働いてるわけじゃないから!」

 

「賄いある?」

 

「ありますけど!」

 

「いいなあ」

 

「先生、食べ物に釣られすぎじゃない?」

 

 セリカが呆れる。

 

 だが、先生は気にせずもう一口食べる。

 

 少し離れたテーブルでは、アヤネもようやく表情を緩め、ノノミとシロコがそれぞれの丼へ箸を伸ばしている。

 

 ホシノは食べながら、ときおり店内へ視線を巡らせていた。

 

 先ほどから騒がしい四人。

 

 ゲヘナの制服。

 

 便利屋68と名乗った少女たち。

 

 今のところ、こちらを気にしている様子はあっても、敵意までは感じない。

 

 だから特に口を出すことはなかった。

 

 先生も普通にラーメンを食べている。

 

 ただ、何気なく会話を交わしながらも、その視線は四人の振る舞いを自然に拾っていた。

 

 勢いよく前へ出るアル。

 

 その反応を楽しむように眺めるムツキ。

 

 アルの一言で大きく表情を変えるハルカ。

 

 そして、一歩引いたところから店内全体まで見ているカヨコ。

 

 その時は、ただ目に入ったものを覚えているだけだった。

 

「先生」

 

「ん?」

 

「麺伸びるわよ」

 

 セリカに言われ、先生は慌てて丼へ戻る。

 

「それは困る」

 

「なら食べなさいよ」

 

「はい」

 

 それからしばらくは、本当にただの昼食だった。

 

 事件の話も。

 

 カイザーの話も。

 

 疑似メモリ兵器の話もない。

 

 同じ店で偶然顔を合わせた客同士。

 

 それだけだった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 先生が手を合わせる。

 

「美味しかった」

 

「また来てくれよな」

 

「もちろん」

 

「先生、今度は仕事中に寄り道しないでくださいね?」

 

 アヤネが釘を刺す。

 

「しないよ?」

 

「何で疑問形なんですか」

 

 柴大将へ会計を済ませ、一行は店を出る。

 

「じゃあ午後はどうする?」

 

 先生が尋ねる。

 

 翔は少し考えた。

 

「俺は一度宿に戻って、さっきもらった情報と地図を整理する。夕方くらいにもう一回周辺を見たい」

 

「一人で?」

 

「街中だよ」

 

 先生の視線を受け、翔は先回りする。

 

「危ないところには行かない」

 

「ならよし」

 

「先生、本当にそこ気にするな」

 

「約束したばっかりだからね」

 

「はいはい」

 

「返事が軽い」

 

「ちゃんと分かってるって」

 

 そんなやり取りをしながら、アビドスの一行は店から離れていった。

 

 暖簾が風に揺れる。

 

 店内。

 

 便利屋68の席では、カヨコが窓の外へ視線を向けていた。

 

 砂色の通りを歩いていく少女たち。

 

 その制服。

 

 胸元の校章。

 

 そして、その中にいる翔と先生。

 

「社長」

 

「何よ?」

 

「あの子たちの制服、気づいた?」

 

「制服?」

 

 アルが窓の外を見る。

 

「何が?」

 

「アビドスだよ、あの子たち」

 

 ムツキがあっさり言った。

 

「…………え?」

 

 アルの表情が固まる。

 

「ちょ、ちょっと待って」

 

 もう一度窓を見る。

 

 遠ざかっていく制服。

 

 それからカヨコを見る。

 

「アビドス?」

 

「うん」

 

「依頼書の?」

 

「そう」

 

「…………」

 

 アルの口がゆっくりと開いた。

 

「な、何ですってええええっ!?」

 

「社長、声」

 

 カヨコが即座に止める。

 

 ムツキは肩を揺らして笑っている。

 

「あははっ、アルちゃん全然気づいてなかったんだ」

 

「だ、だって普通にラーメン食べてたじゃない!」

 

「それは向こうも同じでしょ」

 

「そういう意味じゃないわよ!」

 

「ア、アル様」

 

 ハルカがおそるおそる口を開く。

 

「あの方たちが、今回のお仕事の対象ということですよね?」

 

「……そうなるわね」

 

「でしたら」

 

 ハルカの目がすっと据わった。

 

「わ、私が今から追いかけて――」

 

「待ちなさいハルカ!」

 

「ひ、一人残らず片づけてきます!」

 

「だから待ちなさいって言ってるでしょ!?」

 

「でもアル様のお仕事を邪魔する方たちなら……!」

 

「あははっ。ハルカちゃん、やる気満々だね~」

 

「ムツキも煽らない!」

 

 アルが頭を抱える。

 

「う、うそでしょ……あの子たちがアビドスだなんて……」

 

「いい人たちだったね~」

 

「今それ言わないで!」

 

 ムツキが楽しそうに笑う横で、カヨコは窓の外から視線を戻した。

 

「社長。問題はそれだけじゃない」

 

「……何?」

 

「さっきの男の子」

 

「男の子?」

 

「風紀委員会から正式に調査を頼まれてるって話してた」

 

「…………」

 

 アルの動きが止まる。

 

「……風紀委員会?」

 

「うん」

 

「ゲヘナの?」

 

「他にどこの風紀委員会があるの」

 

「…………」

 

 アルの顔がみるみる引きつった。

 

「ちょ、ちょっと待って。それってつまり、今あの学校には風紀委員会の人間が関わってるってこと?」

 

「正確には外部協力者って言ってたけどね」

 

「そこ重要!?」

 

「重要だよ」

 

 カヨコは淡々と続ける。

 

「風紀委員会がこの辺りで何かを調べてる。その調査を任された人がアビドスと一緒に動いてる」

 

「……」

 

「そこへ私たちがアビドスへの妨害工作を仕掛ける」

 

「……」

 

「内容次第じゃ、風紀委員会の調査にこっちが引っかかる」

 

 アルが両手で頭を押さえた。

 

「何でそんな面倒なことになってるのよ……!」

 

「依頼を受けた時には知らなかったからね」

 

「社長、大丈夫?」

 

「大丈夫に見える!?」

 

「見えない」

 

「即答しないで!」

 

 ムツキが横から顔を覗き込む。

 

「アルちゃん、もしかしてヒナちゃんのこと考えてる?」

 

「っ!?」

 

 分かりやすく肩が跳ねた。

 

「あはっ、図星」

 

「ち、違うわよ!」

 

「じゃあ大丈夫?」

 

「……」

 

「もしヒナちゃんまで来たら?」

 

「それは無理よ!」

 

 即答だった。

 

 カヨコがため息をつく。

 

「落ち着いて、社長。今この場にヒナがいるわけじゃない」

 

「そういう問題じゃないでしょ! 話があっちまで行ったらどうするのよ!」

 

「可能性はあるね」

 

「ほら!」

 

「だからまず状況を確認する」

 

「……」

 

「まだ風紀委員会と敵対するって決まったわけでもない」

 

「ア、アル様!」

 

 ハルカが勢いよく身を乗り出した。

 

「ご安心ください!」

 

「何が!?」

 

「もし風紀委員会がアル様の前に立ちはだかるというのなら、たとえ相手が空崎ヒナだろうと、私が――」

 

「絶対やめなさい!」

 

「ですが!」

 

「ハルカ、落ち着いて」

 

 カヨコが静かに止める。

 

「まだ戦う話じゃない」

 

「……そ、そうですか」

 

 ハルカは少し残念そうに座り直した。

 

 アルがその顔を見る。

 

「何でちょっと残念そうなのよ……」

 

「そ、そんなことは……!」

 

「絶対あるでしょ!」

 

 ムツキがくすくす笑う。

 

 だが、アル自身も笑っていられる状況ではなかった。

 

「社長」

 

「何?」

 

「依頼書、もう一回見せて」

 

 アルは鞄から折り畳まれた依頼書を取り出した。

 

 カヨコが受け取り、内容を確認する。

 

 高額な報酬。

 

 相手は弱小校。

 

 そう説明されていた。

 

 だが、現地へ来てみれば話に出ていなかったものが多すぎる。

 

「……カヨコ」

 

「何?」

 

「これ……やめた方がいいと思う?」

 

 アルの声から、珍しく勢いが消えていた。

 

 ムツキの笑みも少しだけ薄れる。

 

 ハルカは不安そうにアルを見る。

 

 カヨコはすぐには答えず、依頼書をもう一度読む。

 

「正直に言えば」

 

「うん」

 

「かなり嫌な感じはする」

 

「……」

 

「報酬が高すぎる。依頼人は表に出てこない。直接連絡もない」

 

 指が下へ動く。

 

「それに、この条件」

 

 黒い仮面を装着した戦士を確認した場合。

 

 交戦を避け、出現地点、時刻、行動内容を報告すること。

 

「仕事の内容より、こっちを気にしてるようにも見える」

 

「黒い仮面……」

 

 アルも文字を目で追う。

 

「その上、現地に来てみれば風紀委員会の調査員までいる」

 

「偶然かな?」

 

 ムツキが尋ねる。

 

「分からない」

 

 カヨコは首を振った。

 

「だからこそ、何も考えずに突っ込むのはやめた方がいい」

 

「じゃ、じゃあ……」

 

 ハルカがおそるおそる口を開く。

 

「お仕事は、取りやめに……?」

 

 アルの肩がぴくりと動いた。

 

「…………」

 

「アルちゃん?」

 

 ムツキが顔を覗き込む。

 

「今ならまだ断れるかもよ?」

 

「……」

 

「前金は返さなきゃいけないかもしれないけど」

 

 四人の視線が、ゆっくりとテーブルの上へ落ちる。

 

 追加トッピング。

 

 大盛り。

 

 景気づけ。

 

 空になった丼。

 

 沈黙。

 

「……少しは残ってるわよ」

 

 アルが小さく言った。

 

「少しなんだ」

 

「必要経費だったの!」

 

「あははっ、今その言い訳する?」

 

「うるさいわね!」

 

 アルは頭を抱えた。

 

 断る。

 

 そうすればいい。

 

 依頼人も姿を見せない。

 

 条件も怪しい。

 

 その上、風紀委員会まで絡んでいる可能性がある。

 

 普通に考えれば、手を引く理由は十分だった。

 

 それでも。

 

「……でも」

 

 アルが顔を上げた。

 

「一度引き受けたのよ」

 

 カヨコは何も言わず続きを待つ。

 

「便利屋68として」

 

「うん」

 

「それを、相手が思ってたより厄介そうだからって理由で投げ出すなんて……」

 

「格好つかない?」

 

 ムツキがにやりと笑った。

 

「そうよ!」

 

「やっぱりそこなんだ」

 

「大事でしょ!」

 

 カヨコが小さく息を吐く。

 

「格好の問題じゃないと思うけど」

 

「社長としては大問題なの!」

 

「はいはい」

 

「何よその返事!」

 

 ムツキがまた笑い始める。

 

「やっぱりアルちゃんだね~」

 

「何よ!」

 

「別に~」

 

 アルは腕を組む。

 

 まだ少し顔は引きつっている。

 

 だが、答えは決めたらしい。

 

「……やるわ」

 

 ハルカが目を見開く。

 

「アル様……!」

 

「ただし!」

 

 アルは人差し指を立てた。

 

「いきなり突っ込むような真似はしない。まずは情報収集よ!」

 

「へえ」

 

 カヨコが僅かに眉を上げる。

 

「何よ」

 

「いや。まともな判断だなって」

 

「どういう意味よ!」

 

「あははっ、アルちゃん成長したね~」

 

「ムツキまで!」

 

「流石です、アル様!」

 

「ハルカは素直ね!」

 

「は、はい! ありがとうございます!」

 

「褒めたわけじゃ……まあいいわ」

 

 カヨコはそんな三人を見ながら、小さく息を吐いた。

 

 少なくとも、無策で行くよりはいい。

 

「じゃあ」

 

 依頼書を折り畳む。

 

「まずアビドスの状況を確認しよう」

 

「ええ」

 

「あの先生がどこまで関わってるのか」

 

「うん」

 

「それと」

 

 カヨコが窓の外へ目を向ける。

 

 もう、翔たちの姿は見えない。

 

「あの男の子が、何を調べてるのかも」

 

 アルの表情がまた少し固くなった。

 

「……カヨコ」

 

「何?」

 

「お願いだから、それ以上嫌な材料を増やさないで」

 

「私が増やしてるわけじゃないよ」

 

「分かってるわよ!」

 

 ムツキの笑い声が店内へ響く。

 

 柴大将が厨房から顔を出した。

 

「話はいいけど、食べ終わったならそろそろ席を空けてくれるかい? 次のお客さんが来そうなんだ」

 

「す、すみません!」

 

 ハルカが真っ先に頭を下げる。

 

「ああ、そうね。行くわよ、みんな」

 

 アルも慌てて立ち上がる。

 

「はーい」

 

「了解」

 

「はい、アル様!」

 

 便利屋68は荷物をまとめ、席を立つ。

 

 店を出る直前。

 

 カヨコだけが一度、依頼書へ視線を落とした。

 

 高すぎる報酬。

 

 見えない依頼人。

 

 黒い仮面。

 

 そして、風紀委員会から来たという少年。

 

「……本当に、ただの仕事ならいいけど」

 

 小さくそう呟き、カヨコも暖簾をくぐった。

 

 

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