青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
「……お腹空きましたね~」
一通りの話が終わったところで、ノノミがぽつりと言った。
その一言に、シロコがすぐ顔を上げる。
「ん。私も空いた」
「シロコ先輩、さっきまでずっと黙ってたのに食事の話になったら反応早くない?」
「大事だから」
「否定しないんだ……」
セリカが呆れたように言う。
先生も壁の時計へ目を向けた。
「もうこんな時間なんだ」
「話し込んでましたからね」
アヤネが机の上へ広げられていた資料をまとめ始める。
借金の記録。
疑似メモリ兵器の破片。
翔が持ち込んだ流通経路の情報。
それに、途中から増えていった書き込みやメモ。
「じゃあ、お昼にしようか」
先生がそう言うと、セリカがすぐに口を開いた。
「だったら柴関でいいんじゃない?」
「柴関?」
「ラーメン屋。ここからそんなに遠くないわよ」
「ああ」
先生もすぐに思い出したらしい。
「柴大将のお店だね」
「先生、行ったことあるの?」
「この前ね」
「じゃあ話が早いわね」
セリカが立ち上がる。
「アヤネも行くでしょ?」
「はい。午前中の分はだいたい片づきましたし」
「ホシノ先輩は?」
「おじさんも行くよ~。若い子たちだけ美味しいもの食べに行くなんてずるいしねえ」
「ホシノ先輩も若いでしょうが」
「いやいや~、おじさんだから」
「一つしか違わないでしょ!」
いつもの調子で言い合いが始まる。
翔はその様子を眺めていたが、全員が席を立ち始めたところで、自分も端末をしまった。
「じゃあ俺は一旦――」
「翔も行くでしょ?」
先生が当然のように言った。
「……俺も?」
「お昼食べないの?」
「食べるけど」
「なら一緒に行けばいいじゃん」
あまりにも自然に言われ、翔は一瞬だけ言葉に詰まる。
「いや、俺は部外者だし。一緒でいいのか?」
「今さらじゃない?」
セリカが横から口を挟んだ。
「さっきまで一緒に話してたんだから、ラーメン食べるくらい別にいいでしょ」
「でも、学校のことはどこまで話すか決めるって――」
「それと昼ご飯は別でしょ」
「……それもそうか」
「何でそこで悩むのよ」
「いや、普通は少しくらい気を遣うだろ」
「翔って変なところで気にするよね」
「先生に言われたくないんだけど」
「え?」
「何で本気で分からない顔するんだよ」
先生が首を傾げる横で、ノノミが楽しそうに笑った。
「では、みんなで行きましょう~」
ホシノも特に反対することはなかった。
先ほど決めたのは、何もかも無条件に話すということではない。
どこまで情報を渡すかは、その都度こちらで決める。
それさえ守るのなら、昼食まで拒む理由もなかった。
結局、翔もそのまま同行することになった。
校舎を出る。
強い陽射しが、白く乾いた道路へ降り注いでいた。
建物が並んではいるものの、人通りは少ない。遠くでは砂に半ば埋もれた道路標識が、風を受けて僅かに揺れている。
学校へ来た時は一人だった道を、今度は七人で歩いていく。
「そういえば」
先生が隣を歩く翔へ視線を向けた。
「翔はこれからもしばらくアビドスにいるの?」
「そのつもり。まだ調べたいことが残ってるから」
「疑似メモリ兵器?」
「それもある」
翔は携帯端末の入ったポケットへ軽く触れた。
「流通経路だけならブラックマーケットを追えばいいんだけど、昨日使われた装置はそっちに出てる物とちょっと違う。だったら、もう少しこの辺を見た方がいいと思ってる」
「泊まるところは?」
「一応、宿は取ってるよ」
「そっか」
先生は頷いた。
「じゃあ、一つだけ約束ね」
「約束?」
「危ない場所に行く時は、先に連絡して」
「……何で?」
「何でって」
先生は不思議そうに翔を見る。
「今日から情報を共有することになったでしょ?」
「まあ」
「それに、何かあった時にどこにいるか分からないと困るから」
「いや、そこまでしてもらわなくても――」
「駄目」
柔らかな声音だった。
だが、そこだけは妙にきっぱりしていた。
「昨日みたいな兵器を追ってるんでしょ?」
「……そうだけど」
「だったらなおさら。別に毎回許可を取ってって言ってるわけじゃないよ。ただ、行き先くらいは残しておいて」
先生は少しだけ笑う。
「何かあった時、まず翔を探すところから始めるのは嫌だから」
「……」
翔は少しだけ黙った。
「分かった」
「うん」
「でも、助けられる前提なのはどうなんだ?」
「何かあった時の話だからね」
「何もないのが一番だろ」
「それはそう」
先生は満足そうに頷いた。
少し前を歩いていたホシノが、ちらりと二人を見る。
「先生も大変だねえ」
「何が?」
「来たばっかりなのに心配する相手が増えて」
「ホシノも入ってるよ?」
「えっ」
「もちろん」
「おじさんは大丈夫だよ~」
「そういう人ほど大丈夫じゃないって、昨日知ったから」
「……先生、意外と根に持つねえ」
「覚えてるだけだよ」
ホシノが苦笑する。
その横で、シロコが翔へ声を掛けた。
「翔」
「ん?」
「さっき見てた経路だけど」
「ああ」
「もう少し北側に、歩いて抜けられる道がある」
「地図には載ってなかったぞ」
「昔の道だから。今はほとんど使われてない」
「車は?」
「厳しい。でも歩くなら通れる」
「なるほど」
翔は端末を取り出し、忘れないうちに位置を記録する。
「今度確認してみる」
「案内してもいい」
「いいのか?」
「ん。私の方が早いから」
「助かる」
「でも一人では行かないでね」
先生がすぐ横から入ってきた。
「聞いてたのかよ」
「聞こえたから」
「先生、結構しっかりしてるんだな……」
「どういう意味?」
「いや、さっきとの落差が」
「さっき?」
「仮面ライダーの話してた時」
「あれはあれ、これはこれだよ」
「そういうもんなのか……」
先生が何故か胸を張る。
「切り替えは大事だからね!」
「その使い方で合ってるのかな……」
そんな話をしながら歩いている途中だった。
道路脇にある小さな商店の前で、風に煽られた空き箱がいくつも崩れた。
「あっ!」
店先にいた犬の獣人が慌てて手を伸ばす。
一つが道路へ向かって転がった。
翔はほとんど反射的に足を止める。
「ちょっと待ってて」
それだけ言うと、左右を確認してから転がった箱を追い、道路へ出る手前で拾い上げた。
店先では他にも二つほど倒れている。
翔はそれらも起こし、今度は風で簡単に崩れないよう端を揃えて積み直した。
「悪いねえ、坊主」
「いえ。これで大丈夫ですか?」
「ああ、助かったよ」
「じゃあ」
軽く頭を下げ、小走りで皆のところへ戻ってくる。
「悪い、待たせた」
「別にそんなに待ってないわよ」
セリカが言う。
それから、少しだけ翔を見る。
「翔って、そういうの毎回やってるの?」
「毎回って?」
「今みたいなの」
「困ってたから手伝っただけだろ」
「……そう」
セリカはそれ以上何も言わなかった。
少し後ろを歩いていたホシノは、戻ってきた翔を何となく目で追った。
「困ってたから手伝っただけだろ」
何でもないことのように言って、翔はまた歩き出す。
「……」
その横顔を見ていたホシノの足が、ほんの一瞬だけ遅れた。
胸の奥を、何かが掠める。
懐かしいような。
少しだけ、困るような。
けれど、それが何なのか確かめるより先に。
「ホシノ?」
先生の声が飛んできた。
「ん~?」
「どうしたの?」
「なんでもないよ~」
いつもの調子で答え、ホシノも歩き出す。
そのまま振り返ることはなかった。
* * *
「いらっしゃ――お?」
柴関ラーメンの暖簾をくぐった瞬間、カウンターの奥にいた柴大将が顔を上げた。
「やあ、セリカちゃん」
「こんにちは、柴大将」
セリカが片手を上げる。
柴大将はその姿を上から下まで確かめると、安心したように息をついた。
「もう出歩いて大丈夫なのかい?」
「大丈夫ですってば」
「大丈夫なわけないでしょう! 昨日何時間も拘束されてたんですよ!?」
後ろからアヤネが即座に口を挟む。
「アヤネ!」
「ははっ。そりゃ心配もされるな」
「柴大将まで……」
「まあまあ。立ち話も何だし、まずは座りな」
「だから大丈夫ですって!」
「セリカちゃん、諦めた方がいいと思いますよ~」
「ノノミ先輩まで……」
先生も店へ入る。
「こんにちは」
「ああ、先生も一緒か」
「今日はみんなでお昼です」
「そりゃいい」
そして最後に翔が暖簾をくぐったところで、柴大将が少し目を瞬かせた。
「そっちの子は?」
「ああ、俺は――」
「ゲヘナから調査に来てる翔」
セリカが先に答えた。
「来てるっていうか、正式には風紀委員会の外部協力者だけどな」
「風紀委員会っていうと、あのゲヘナの風紀委員会かい?」
「はい。風間翔です」
「なるほどねえ」
柴大将はそれ以上深く聞かなかった。
「まあ、セリカちゃんたちの知り合いなら、ゆっくりしていきな」
「ありがとうございます」
そこで翔は店内へ目を向けた。
そして一瞬だけ、視線を止める。
奥のテーブル。
四人の少女が座っていた。
赤い角を持つ少女が、何故か妙に得意げな顔で大盛りのラーメンを前にしている。
その隣では、小柄な少女が楽しそうに笑っていた。
反対側では、長い黒髪の少女が静かに箸を進め、その横で黒と赤の髪をした少女が周囲を気にしながら座っている。
(……便利屋68)
予想していなかった顔ぶれに、翔の視線が僅かに止まる。
(もうアビドスに来てたのか)
「どうしたの?」
先生が振り返る。
「いや」
翔はすぐに視線を戻した。
「何でもない」
店内はそれほど広くない。
対策委員会の人数も多いため、全員が同じ席に座ることはできなかった。
「悪いな。今日はちょっと混んでるんだ」
柴大将が店内を見渡す。
「カウンターとテーブルに分かれてもらえるか?」
「私はどこでもいい」
シロコが答える。
「じゃあ私とアヤネちゃんとホシノ先輩はこっちにしましょうか~」
ノノミがテーブルを指す。
「先生とセリカちゃんは?」
「私、カウンターでいいよ」
「私も」
セリカが続く。
翔も周囲を見る。
「じゃあ俺もカウンターで」
結果、先生、セリカ、翔がカウンターへ並び、シロコたちはすぐ後ろのテーブルへ座ることになった。
便利屋68の席は、その斜め後ろ。
「今日は景気づけよ!」
背後から大きな声が聞こえた。
「こういう大仕事の前には、しっかり食べておかないとね!」
「アルちゃん、さっき前金はなるべく残そうって言ってなかった?」
「これは必要経費よ!」
「ラーメンのトッピングが?」
「当然でしょ!」
「何の経費?」
「……士気」
「あははっ、今考えたでしょ」
「考えてないわよ!」
ムツキが楽しそうに笑う。
カヨコはラーメンを食べながらため息をついた。
「社長、前金全部使わないでよ」
「分かってるわ!」
「アル様がお望みでしたら、わ、私の分も――」
「ハルカはちゃんと食べなさい!」
「は、はいっ!」
賑やかな声に、先生が思わず振り返った。
「楽しそうだね」
その声が聞こえたのか、アルと目が合う。
「……何かしら?」
「いや」
先生は悪びれもせず笑った。
「仲良さそうだなって」
「ふっ」
アルが箸を置き、胸を張る。
「当然よ! 私たちは数々の困難を共に乗り越えてきた同志なんだから!」
「へえ」
先生が素直に感心する。
「格好いいね」
「…………」
アルの表情が止まった。
ムツキが横で吹き出す。
「くふっ」
「な、何よ?」
「いやあ、アルちゃんって褒められると弱いよね~」
「弱くない!」
先生はそんなやり取りを眺めながら首を傾げる。
「何かのグループ?」
「グループ?」
アルが眉を上げる。
「ふっ、そんな生ぬるい集まりと一緒にしないでもらえるかしら」
「社長」
カヨコが静かに止める。
だが遅かった。
「我々は――」
アルが立ち上がる。
「便利屋68!」
店内へ堂々と宣言した。
数秒の沈黙。
柴大将が厨房から顔を出す。
「お嬢ちゃん、元気なのはいいけど、店の中じゃもう少し静かにな」
「……はい」
アルが大人しく座った。
先生が目を瞬かせる。
「便利屋なんだ」
「……ええ」
「でもアウトローなの?」
「そうよ!」
「便利屋とアウトローって両立するんだ」
「するわよ!」
「どうやって?」
「え」
アルが固まる。
先生は純粋に疑問そうだった。
「依頼を受けて問題を解決するのが便利屋でしょ?」
「そ、それは……まあ」
「でもアウトローだから、ルールには縛られない?」
「そ、そう!」
「でも引き受けた依頼はちゃんと守る?」
「当然よ!」
「律儀なんだね」
「…………」
ムツキがテーブルへ突っ伏した。
「もう無理……!」
「ムツキ!」
「くふふふっ……!」
カヨコは片手で額を押さえている。
ハルカはどうしていいか分からず、アルと先生を交互に見ていた。
翔も思わず口元を緩めた。
「先生」
「ん?」
「たぶんその辺でやめた方がいい」
「何で?」
「見ろよ」
アルの顔が真っ赤になっている。
「あ」
「『あ』じゃないわよ!」
先生が申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんね?」
「べ、別に怒ってないわ!」
「怒ってるじゃん」
セリカが呟く。
「聞こえてるわよ!」
「何よ!」
「何でもないわ!」
「どっちなのよ!」
店内が一気に騒がしくなった。
柴大将は慣れた様子でラーメンを作り続けている。
「それで、注文は決まったかい?」
その一言で、ようやく全員が本来の目的を思い出した。
「私は醤油」
セリカが即答する。
「先生は?」
「おすすめで」
「おすすめか」
柴大将が少し笑う。
「うちは全部おすすめだよ」
「格好いい……」
「先生、そこで感動するの?」
セリカが呆れる。
翔は壁のメニューを見上げた。
「どうしようかな……」
「初めて?」
横から声がした。
翔が振り返る。
便利屋68の席。
カヨコがこちらを見ていた。
「ここは初めて」
「なら、醤油でいいと思う」
「醤油?」
「外さないよ」
翔はカヨコの前に置かれた丼を見る。
「それも醤油?」
「うん」
「じゃあ、それにする」
「そう」
それだけだった。
カヨコはまたラーメンへ視線を戻す。
翔も柴大将へ注文を伝えた。
「醤油お願いします」
「あいよ」
先生が横から翔を見る。
「決めるの早いね」
「食べてる人が美味いって言ってるなら間違いないだろ」
「確かに」
「先生はおすすめで頼んだだろ」
「私は柴大将を信じたから」
「なんか重いな……」
そんな会話をしている間、カヨコの視線が一度だけ翔の方へ戻った。
男の子が珍しいというだけなら、それほど気にすることでもない。
引っかかっているのは、先ほど聞こえた言葉だった。
――ゲヘナの風紀委員会。
箸を持つ手が僅かに止まる。
隣のアルはまだ気づいていない。
ムツキはラーメンを食べながら楽しそうに先生たちの会話を聞き、ハルカは先ほどアルが褒められたことが嬉しかったのか、どことなく満足そうにしている。
カヨコだけが、もう一度翔を見る。
その視線に気づいた翔がこちらを向いた。
「?」
「……何でもない」
「そっか」
翔はそれ以上聞かず、前へ向き直った。
詮索してこないらしい。
少しだけ意外だった。
やがてラーメンが運ばれてくる。
「はい、お待ち」
最初に置かれたセリカの丼を見て、彼女が眉を寄せた。
「……柴大将」
「何だい?」
「これ、多くないですか?」
いつもより明らかにチャーシューが多い。
煮卵まで一つ増えている。
だが、それはセリカだけではなかった。
「……あれ?」
先生が自分の丼を見る。
「私、煮卵頼んだっけ?」
「頼んでないわよね?」
「ん」
後ろのテーブルでは、シロコも自分の丼をじっと見ている。
「チャーシューも増えてる」
「私たちのもです~」
ノノミが嬉しそうに声を上げ、アヤネも困ったように柴大将を見る。
「柴大将、これ……」
翔も自分の丼へ視線を落とした。
「俺のも増えてるんですけど」
「ああ」
柴大将は何でもないことのように答えた。
「今日はセリカちゃんが無事だった祝いだ。アビドスのみんなも先生も、それからそっちの兄ちゃんも。トッピングくらいサービスさせてくれ」
「いや、でも俺は――」
「一人だけ外すのも野暮だろ?」
そう言われてしまえば、翔も言葉に詰まった。
「……じゃあ、ありがたく」
「ああ。そうしな」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
セリカが慌てる。
「こんな人数分サービスしたら駄目でしょ!?」
「気にすんな。こういう時くらいはな」
「でも――」
「セリカちゃん」
「……何ですか」
「無事で良かったよ」
柴大将はそれだけ言うと、もう次の作業へ手を動かし始めた。
「……」
セリカの勢いが止まる。
数秒してから、小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「おう」
先生はそのやり取りを見て、感心したように呟いた。
「柴大将、格好いい……」
「先生は何でそこで一番感動してるのよ!」
「だって格好いいものは格好いいし」
「もう……」
セリカが自分の丼へ視線を戻す。
そこでまた止まった。
「……柴大将」
「今度は何だい?」
「私のチャーシューだけ、みんなより一枚多くないですか?」
「気のせいだ」
「絶対気のせいじゃない!」
「冷めるぞ」
「誤魔化した!」
ノノミが後ろから楽しそうに笑う。
「良かったですね~、セリカちゃん」
「ノノミ先輩!」
先生もようやく箸を取った。
「いただきます」
一口。
目を見開く。
「……美味しい」
「だろ?」
「セリカがここで働いてる理由分かったかも」
「いや、私はそれだけで働いてるわけじゃないから!」
「賄いある?」
「ありますけど!」
「いいなあ」
「先生、食べ物に釣られすぎじゃない?」
セリカが呆れる。
だが、先生は気にせずもう一口食べる。
少し離れたテーブルでは、アヤネもようやく表情を緩め、ノノミとシロコがそれぞれの丼へ箸を伸ばしている。
ホシノは食べながら、ときおり店内へ視線を巡らせていた。
先ほどから騒がしい四人。
ゲヘナの制服。
便利屋68と名乗った少女たち。
今のところ、こちらを気にしている様子はあっても、敵意までは感じない。
だから特に口を出すことはなかった。
先生も普通にラーメンを食べている。
ただ、何気なく会話を交わしながらも、その視線は四人の振る舞いを自然に拾っていた。
勢いよく前へ出るアル。
その反応を楽しむように眺めるムツキ。
アルの一言で大きく表情を変えるハルカ。
そして、一歩引いたところから店内全体まで見ているカヨコ。
その時は、ただ目に入ったものを覚えているだけだった。
「先生」
「ん?」
「麺伸びるわよ」
セリカに言われ、先生は慌てて丼へ戻る。
「それは困る」
「なら食べなさいよ」
「はい」
それからしばらくは、本当にただの昼食だった。
事件の話も。
カイザーの話も。
疑似メモリ兵器の話もない。
同じ店で偶然顔を合わせた客同士。
それだけだった。
* * *
「ごちそうさまでした」
先生が手を合わせる。
「美味しかった」
「また来てくれよな」
「もちろん」
「先生、今度は仕事中に寄り道しないでくださいね?」
アヤネが釘を刺す。
「しないよ?」
「何で疑問形なんですか」
柴大将へ会計を済ませ、一行は店を出る。
「じゃあ午後はどうする?」
先生が尋ねる。
翔は少し考えた。
「俺は一度宿に戻って、さっきもらった情報と地図を整理する。夕方くらいにもう一回周辺を見たい」
「一人で?」
「街中だよ」
先生の視線を受け、翔は先回りする。
「危ないところには行かない」
「ならよし」
「先生、本当にそこ気にするな」
「約束したばっかりだからね」
「はいはい」
「返事が軽い」
「ちゃんと分かってるって」
そんなやり取りをしながら、アビドスの一行は店から離れていった。
暖簾が風に揺れる。
店内。
便利屋68の席では、カヨコが窓の外へ視線を向けていた。
砂色の通りを歩いていく少女たち。
その制服。
胸元の校章。
そして、その中にいる翔と先生。
「社長」
「何よ?」
「あの子たちの制服、気づいた?」
「制服?」
アルが窓の外を見る。
「何が?」
「アビドスだよ、あの子たち」
ムツキがあっさり言った。
「…………え?」
アルの表情が固まる。
「ちょ、ちょっと待って」
もう一度窓を見る。
遠ざかっていく制服。
それからカヨコを見る。
「アビドス?」
「うん」
「依頼書の?」
「そう」
「…………」
アルの口がゆっくりと開いた。
「な、何ですってええええっ!?」
「社長、声」
カヨコが即座に止める。
ムツキは肩を揺らして笑っている。
「あははっ、アルちゃん全然気づいてなかったんだ」
「だ、だって普通にラーメン食べてたじゃない!」
「それは向こうも同じでしょ」
「そういう意味じゃないわよ!」
「ア、アル様」
ハルカがおそるおそる口を開く。
「あの方たちが、今回のお仕事の対象ということですよね?」
「……そうなるわね」
「でしたら」
ハルカの目がすっと据わった。
「わ、私が今から追いかけて――」
「待ちなさいハルカ!」
「ひ、一人残らず片づけてきます!」
「だから待ちなさいって言ってるでしょ!?」
「でもアル様のお仕事を邪魔する方たちなら……!」
「あははっ。ハルカちゃん、やる気満々だね~」
「ムツキも煽らない!」
アルが頭を抱える。
「う、うそでしょ……あの子たちがアビドスだなんて……」
「いい人たちだったね~」
「今それ言わないで!」
ムツキが楽しそうに笑う横で、カヨコは窓の外から視線を戻した。
「社長。問題はそれだけじゃない」
「……何?」
「さっきの男の子」
「男の子?」
「風紀委員会から正式に調査を頼まれてるって話してた」
「…………」
アルの動きが止まる。
「……風紀委員会?」
「うん」
「ゲヘナの?」
「他にどこの風紀委員会があるの」
「…………」
アルの顔がみるみる引きつった。
「ちょ、ちょっと待って。それってつまり、今あの学校には風紀委員会の人間が関わってるってこと?」
「正確には外部協力者って言ってたけどね」
「そこ重要!?」
「重要だよ」
カヨコは淡々と続ける。
「風紀委員会がこの辺りで何かを調べてる。その調査を任された人がアビドスと一緒に動いてる」
「……」
「そこへ私たちがアビドスへの妨害工作を仕掛ける」
「……」
「内容次第じゃ、風紀委員会の調査にこっちが引っかかる」
アルが両手で頭を押さえた。
「何でそんな面倒なことになってるのよ……!」
「依頼を受けた時には知らなかったからね」
「社長、大丈夫?」
「大丈夫に見える!?」
「見えない」
「即答しないで!」
ムツキが横から顔を覗き込む。
「アルちゃん、もしかしてヒナちゃんのこと考えてる?」
「っ!?」
分かりやすく肩が跳ねた。
「あはっ、図星」
「ち、違うわよ!」
「じゃあ大丈夫?」
「……」
「もしヒナちゃんまで来たら?」
「それは無理よ!」
即答だった。
カヨコがため息をつく。
「落ち着いて、社長。今この場にヒナがいるわけじゃない」
「そういう問題じゃないでしょ! 話があっちまで行ったらどうするのよ!」
「可能性はあるね」
「ほら!」
「だからまず状況を確認する」
「……」
「まだ風紀委員会と敵対するって決まったわけでもない」
「ア、アル様!」
ハルカが勢いよく身を乗り出した。
「ご安心ください!」
「何が!?」
「もし風紀委員会がアル様の前に立ちはだかるというのなら、たとえ相手が空崎ヒナだろうと、私が――」
「絶対やめなさい!」
「ですが!」
「ハルカ、落ち着いて」
カヨコが静かに止める。
「まだ戦う話じゃない」
「……そ、そうですか」
ハルカは少し残念そうに座り直した。
アルがその顔を見る。
「何でちょっと残念そうなのよ……」
「そ、そんなことは……!」
「絶対あるでしょ!」
ムツキがくすくす笑う。
だが、アル自身も笑っていられる状況ではなかった。
「社長」
「何?」
「依頼書、もう一回見せて」
アルは鞄から折り畳まれた依頼書を取り出した。
カヨコが受け取り、内容を確認する。
高額な報酬。
相手は弱小校。
そう説明されていた。
だが、現地へ来てみれば話に出ていなかったものが多すぎる。
「……カヨコ」
「何?」
「これ……やめた方がいいと思う?」
アルの声から、珍しく勢いが消えていた。
ムツキの笑みも少しだけ薄れる。
ハルカは不安そうにアルを見る。
カヨコはすぐには答えず、依頼書をもう一度読む。
「正直に言えば」
「うん」
「かなり嫌な感じはする」
「……」
「報酬が高すぎる。依頼人は表に出てこない。直接連絡もない」
指が下へ動く。
「それに、この条件」
黒い仮面を装着した戦士を確認した場合。
交戦を避け、出現地点、時刻、行動内容を報告すること。
「仕事の内容より、こっちを気にしてるようにも見える」
「黒い仮面……」
アルも文字を目で追う。
「その上、現地に来てみれば風紀委員会の調査員までいる」
「偶然かな?」
ムツキが尋ねる。
「分からない」
カヨコは首を振った。
「だからこそ、何も考えずに突っ込むのはやめた方がいい」
「じゃ、じゃあ……」
ハルカがおそるおそる口を開く。
「お仕事は、取りやめに……?」
アルの肩がぴくりと動いた。
「…………」
「アルちゃん?」
ムツキが顔を覗き込む。
「今ならまだ断れるかもよ?」
「……」
「前金は返さなきゃいけないかもしれないけど」
四人の視線が、ゆっくりとテーブルの上へ落ちる。
追加トッピング。
大盛り。
景気づけ。
空になった丼。
沈黙。
「……少しは残ってるわよ」
アルが小さく言った。
「少しなんだ」
「必要経費だったの!」
「あははっ、今その言い訳する?」
「うるさいわね!」
アルは頭を抱えた。
断る。
そうすればいい。
依頼人も姿を見せない。
条件も怪しい。
その上、風紀委員会まで絡んでいる可能性がある。
普通に考えれば、手を引く理由は十分だった。
それでも。
「……でも」
アルが顔を上げた。
「一度引き受けたのよ」
カヨコは何も言わず続きを待つ。
「便利屋68として」
「うん」
「それを、相手が思ってたより厄介そうだからって理由で投げ出すなんて……」
「格好つかない?」
ムツキがにやりと笑った。
「そうよ!」
「やっぱりそこなんだ」
「大事でしょ!」
カヨコが小さく息を吐く。
「格好の問題じゃないと思うけど」
「社長としては大問題なの!」
「はいはい」
「何よその返事!」
ムツキがまた笑い始める。
「やっぱりアルちゃんだね~」
「何よ!」
「別に~」
アルは腕を組む。
まだ少し顔は引きつっている。
だが、答えは決めたらしい。
「……やるわ」
ハルカが目を見開く。
「アル様……!」
「ただし!」
アルは人差し指を立てた。
「いきなり突っ込むような真似はしない。まずは情報収集よ!」
「へえ」
カヨコが僅かに眉を上げる。
「何よ」
「いや。まともな判断だなって」
「どういう意味よ!」
「あははっ、アルちゃん成長したね~」
「ムツキまで!」
「流石です、アル様!」
「ハルカは素直ね!」
「は、はい! ありがとうございます!」
「褒めたわけじゃ……まあいいわ」
カヨコはそんな三人を見ながら、小さく息を吐いた。
少なくとも、無策で行くよりはいい。
「じゃあ」
依頼書を折り畳む。
「まずアビドスの状況を確認しよう」
「ええ」
「あの先生がどこまで関わってるのか」
「うん」
「それと」
カヨコが窓の外へ目を向ける。
もう、翔たちの姿は見えない。
「あの男の子が、何を調べてるのかも」
アルの表情がまた少し固くなった。
「……カヨコ」
「何?」
「お願いだから、それ以上嫌な材料を増やさないで」
「私が増やしてるわけじゃないよ」
「分かってるわよ!」
ムツキの笑い声が店内へ響く。
柴大将が厨房から顔を出した。
「話はいいけど、食べ終わったならそろそろ席を空けてくれるかい? 次のお客さんが来そうなんだ」
「す、すみません!」
ハルカが真っ先に頭を下げる。
「ああ、そうね。行くわよ、みんな」
アルも慌てて立ち上がる。
「はーい」
「了解」
「はい、アル様!」
便利屋68は荷物をまとめ、席を立つ。
店を出る直前。
カヨコだけが一度、依頼書へ視線を落とした。
高すぎる報酬。
見えない依頼人。
黒い仮面。
そして、風紀委員会から来たという少年。
「……本当に、ただの仕事ならいいけど」
小さくそう呟き、カヨコも暖簾をくぐった。