青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
翌朝。
アビドス自治区の空は、まだ朝焼けの色をわずかに残していた。
日が昇り始めたばかりの通りには人影も少なく、乾いた風が砂を薄く転がしている。昼になれば容赦なく照りつける陽射しも、この時間だけはまだ大人しい。
そんな静かな街を、翔は一定の速度で走っていた。
黒いトレーニングウェアの背中にはすでに汗が滲んでいる。呼吸は深いが乱れてはいない。腕を振るたび、以前より厚みを増した肩と背中の筋肉が布越しにもはっきりと動いた。
キヴォトスへ来たばかりの頃と比べれば、身体つきはかなり変わった。
元々まったく運動をしていなかったわけではない。それでも今は、ただ細身だった頃とは違う。
余計な肉が落ち、肩、腹、脚に必要な分だけ筋肉がついている。見栄えを意識して作った身体というより、走り、踏ん張り、殴り、倒れないための身体だった。
「……よし」
小さく息を吐き、翔は角を曲がった。
ここ数日はまともにトレーニングの時間を取れていない。
ゲヘナからアビドスまでの移動に、ブラックマーケット周辺での調査。セリカの救出現場へ入り、その翌日にはアビドス高等学校で先生たちと情報を整理した。
身体を動かしていなかったわけではない。
むしろ動きっぱなしだった。
だが、移動や実戦と、身体を鍛えるための訓練は別だ。
そのせいもあって、今朝はいつもより早く宿を出ていた。
まず8kmほど走って身体を温めた。
そこから100mのダッシュを十本。
人目の少ない公園脇へ移動して、腕立て伏せを200回。スクワットを200回。途中にバーピーを50回挟み、最後に三分間のプランクを3セット。
それを終えて、今は仕上げの5kmを走っているところだった。
本人の感覚では、久しぶりなのでかなり抑えたメニューである。
もっとも。
「……これ、軽めって言っていいんだよな?」
走りながら呟いて、翔は少しだけ眉を寄せた。
頭の中に浮かんだのは、ミレニアムで笑顔のまま負荷を追加してきた少女だった。
スミレにトレーニングを見てもらうようになってから、自分の中の基準が少しずつおかしくなっている気はする。
以前なら八キロを走った時点で一度長めに休憩を取っていたし、ダッシュの後に二百回の腕立て伏せなんてやろうとも思わなかった。
今では、それくらいなら次のメニューへそのまま移れる。
翌日まで強く残っていた疲労も、最近は随分抜けるのが早くなった。
それに――。
翔は走る速度を維持したまま、一度だけ自分の脚へ視線を落とした。
今朝も、想像していたほど重くない。
ここ数日、まともな筋力トレーニングはできていなかった。
それなのに、八キロのランニングと十本のダッシュ、数百回単位の自重トレーニングを終えた脚は、まだ五キロの仕上げに応えている。
(……前だったら、もう少し脚に来てた気がするんだけどな)
一瞬だけ引っかかった。
だが、答えはすぐに見つかる。
(まあ、今まで鍛えてきた成果か)
継続して負荷を掛けてきたのだから、身体が慣れてくるのも当然だろう。
少なくとも翔には、他に理由など思いつかなかった。
呼吸を整えるように長く息を吐く。
それだけで、少し上がっていた心拍もゆっくりと落ち着いていった。
「……あと五キロなら普通にいけるな」
自然にそう判断してから、翔は少し考える。
以前なら、その判断自体がおかしいと思ったかもしれない。
けれど今は、身体にまだ余裕がある。
「まあ、無理してる感じもしないしな……」
そんなことを考えながら走っていると、背後から軽い駆動音が近づいてきた。
一定のリズムで回るチェーンの音。
翔が少し道路の端へ寄る。
直後、細いタイヤを備えたロードバイクが滑るように横を抜けていった。
「……ん?」
見覚えのある青灰色の髪が揺れた。
数メートル先へ進んだロードバイクが減速する。
乗っていた少女が振り返った。
「翔?」
「シロコ?」
砂狼シロコだった。
スポーツウェア姿で、普段と変わらない無表情に近い顔をしている。ロードバイクを軽く旋回させると、そのまま翔の横まで戻ってきた。
「おはよう」
「おはよ。朝から走ってたのか?」
「ん。いつものトレーニング」
シロコはそう答えてから、翔の格好へ視線を向けた。
「翔も?」
「ああ。ここ数日、まともにできてなかったから」
「そうなんだ」
「今日は軽めだけどな」
「ん」
あっさりとした返事だった。
翔は少し拍子抜けして、シロコを見る。
「何も聞かないんだな」
「何を?」
「いや……軽めって言っても、それなりにやってるから」
「どれくらい?」
「最初に八キロ走って、百メートルを十本。その後に腕立て二百、スクワット三百、バーピー五十。プランク三分を三セットやって、今は最後の五キロ」
「ん」
「……それだけ?」
「普通だと思う」
「普通なのか」
「ん」
迷いのない即答だった。
翔は少しだけ安心した。
「そっか。やっぱこのくらい普通か」
最近、自分のトレーニング基準が少しおかしくなっているのではないかと思っていたが、どうやら考えすぎだったらしい。
目の前にいるシロコも、朝から当たり前のようにロードバイクで走り込んでいる。
なら、この程度で妙に達成感を覚えている方が問題なのかもしれない。
「……まだまだだな、俺も」
「?」
「いや。もうちょっと鍛えないとなって」
「ん。トレーニングは大事」
「だよな」
二人の間で、何の疑問もなく話が成立した。
もしここに、ごく普通の運動習慣を持つ第三者がいたなら、何か言いたいことがあったかもしれない。
残念ながら、今ここにいるのは二人とも、その辺りの基準をあまり信用してはいけない側だった。
「でも、前よりかなり動けるようにはなってるんだ」
翔は軽く腕を曲げた。
以前より筋肉がついたのは自分でも分かっている。服を着ていればそこまで目立たないが、こういう薄手の格好では誤魔化しようがない。
「疲れにくくなったし、最近は翌日まで残ることも減った」
「ん。順調」
「やっぱそうだよな」
シロコが当然のように肯定する。
翔の中で、先ほど抱いた小さな違和感は完全に薄れた。
シロコは再びロードバイクのペダルへ片足を戻す。
「まだ走る?」
「あと少しだけな」
「じゃあ、一緒に行く」
「ロードバイクで?」
「ん」
「一応言っとくけど、お前のペースには合わせられないからな」
「分かってる」
数秒後。
「もう少し速くても大丈夫?」
「早い早い早い」
「まだそんなに出してない」
「ロードバイクとランニングを同じ基準で考えるな!」
「ん。分かった」
本当に分かっているのか怪しい。
それでもシロコは速度を落とし、翔の横をゆっくりと並走し始めた。
朝の街を二人で進む。
しばらくは特に会話もなかった。
妙な気まずさもない。
翔は走り、シロコはペダルを踏む。
時折すれ違う住民へ軽く頭を下げながら、静かな通りを進んでいく。
やがて翔が口を開いた。
「そういえば、昨日言ってた道なんだけど」
「北側の?」
「ああ」
シロコが視線だけを翔へ向ける。
「気になってる」
「どうして?」
「昨日、学校で見せてもらった装置と、セリカが運ばれた時の経路。その辺をもう一回整理してたんだけど……北側へ抜ける道がちょっと引っかかる」
まだ断定できる段階ではない。
だから翔も、「何かある」とは言わなかった。
「実際に見ないと分からないけどな」
「調べる?」
「そのつもり」
「なら案内する」
即答だった。
翔が横を見る。
「いいのか?」
「ん。昨日も言ったから」
「……そうだったな」
シロコらしい。
一度口にしたことを、本人は特別なこととも思わず覚えている。
「じゃあ頼む」
「今から行く?」
「いや」
翔はすぐに首を横へ振った。
「?」
「先生に連絡する」
「先生?」
「昨日言われただろ。危ない場所に行くなら先に連絡しろって」
シロコが小さく頷く。
「ん」
「昨日約束した次の日に破るのも格好悪いしな」
「先生、心配するから」
「……シロコにも言われるのか」
「事実」
「はいはい」
翔は走る速度を少しずつ落とした。
やがて足を止めると、呼吸を整えながらポケットから携帯端末を取り出す。
画面を操作し、先生の連絡先を開く。
「こんな朝早くから出るかな」
「先生なら起きてるかも」
「その根拠は?」
「先生だから」
「一番信用できそうで信用できない根拠だな……」
そんなことを言いながら発信する。
数回、呼び出し音が鳴った。
やがて。
『……もしもし』
返ってきた声を聞いて、翔は目を細めた。
「先生?」
『うん。おはよう、翔』
「今起きた?」
『起きてたよ』
「声が完全に寝起きなんだけど」
『……朝は誰だってこんな感じだよ』
「そういうことにしとく」
『それで、どうしたの?』
欠伸を噛み殺しているような声だったが、用件を聞く頃には少しずつ普段の調子へ戻り始めていた。
翔はシロコへ一度視線を向ける。
「昨日シロコが教えてくれた、北側の古い道なんだけどさ」
『うん』
「ちょっと気になる。今日、現地を見ておきたい」
短い沈黙。
そして先生が最初に確認したのは、調査内容ではなかった。
『一人で行かないよね?』
「……そこ最初に聞く?」
『昨日約束したから』
「今シロコと一緒にいる」
『そっか』
声が少し明るくなった。
『ちゃんと連絡できて偉い』
「子供扱いするなよ」
『してないよ?』
「絶対してるだろ」
隣でシロコが静かにこちらを見ている。
少しだけ、その口元が緩んでいるようにも見えた。
「それで、シロコに案内してもらおうと思ってる」
『分かった』
「一応伝えとこうと思って」
『うん。じゃあ私も行くね』
「……ん?」
『私も行く』
「いや、別にそこまで――」
『危ないかもしれない場所なんでしょ?』
「まだ危ないって決まったわけじゃない」
『だから確かめに行くんだよね?』
「……」
返す言葉がなくなった。
『待ち合わせ決めよっか』
「先生さ」
『何?』
「思ったより押し強いよな」
『生徒が危ないところへ行こうとしてる時だけね』
「俺、生徒じゃないんだけど」
『細かいことは気にしない』
「そこ細かくないと思うけどな……」
翔は小さく息を吐いた。
ただ、嫌ではなかった。
「分かった。じゃあ場所送る」
『はーい』
通話が切れる。
翔は端末を下ろした。
「先生も来るって」
「ん」
「予想してた?」
「少し」
「俺だけか、分かってなかったの」
「たぶん」
「……そうかよ」
シロコは再びロードバイクへ跨がった。
「じゃあ、トレーニング続ける?」
「いや、今日はここまでにする」
翔は腕時計を確認すると、宿のある方向へ視線を向けた。
「一回戻って、シャワー浴びて着替えてくる。調査道具も持っていきたいし」
「ん。じゃあ私も一度戻る」
「待ち合わせは先生に送った場所でいいか?」
「大丈夫」
「じゃあ、また後で」
「ん。また後で」
シロコがペダルを踏み込む。
ロードバイクはすぐに速度を上げ、静かな朝の通りを遠ざかっていった。
その背中を少し見送ってから、翔も宿へ向かって走り出す。
昨日、シロコから聞いた北側の道。
まずはそこを、自分の目で確かめてみることにした。
* * *
それから一時間ほど後。
翔は宿でシャワーを浴びて汗を流し、普段の服へ着替えると、調査に必要なものだけをまとめて外へ出た。
風紀委員会から支給された携帯端末と、小型の無線機。簡単な記録用具に、現場で見つけたものを保管するための袋。大がかりな装備は持たず、動きやすさを優先した持ち物だ。
待ち合わせ場所に指定したのは、アビドス高等学校から少し離れた交差点だった。
人通りはまだ少ない。
遠くから吹いてくる乾いた風が、道路の端に溜まった砂を細くさらっていく。
交差点へ着くと、すでにシロコの姿があった。
朝のスポーツウェアから普段の格好へ戻り、愛用の銃も携えている。
「早いな」
「ん。さっき来たところ」
「それ、待ってた人がよく言うやつじゃない?」
「?」
「いや、何でもない」
シロコがわずかに首を傾げる。
その隣には先生もいた。
「おはよう、翔」
「おはよう。……もう完全に起きてるな」
「当然です」
先生は何故か少し得意げに胸を張った。
「さっきまで寝起きだった人とは思えない」
「何のことかな?」
「記憶消すの早すぎない?」
先生が綺麗に視線を逸らした。
その仕草に翔が呆れ半分で息を吐いたところで、少し後ろから気の抜けた声が飛んでくる。
「おはよ~、翔くん」
片手をひらひら振っていたのはホシノだった。
「ホシノも来たのか」
「うへ~。その言い方だと、おじさんが来ちゃ駄目だったみたいだねえ」
「いや、そういう意味じゃないけど」
翔が苦笑する。
ホシノはいつもの眠たげな表情のまま、肩に掛けたショットガンの位置を軽く直した。
「先生から聞いてねえ。北の方を見に行くんだって?」
「ああ」
「一応ここはうちの自治区だからさ。何があるのか、おじさんも自分の目で見ておいた方がいいかな~って」
「それなら助かる。俺よりこの辺のことは詳しいだろうし」
「まあねえ」
相変わらず気の抜けた返事だった。
けれど、翔にはそれだけが理由ではないことも何となく分かっていた。
昨日話したばかりの、ゲヘナとの距離。
風紀委員会から正式に調査を任されている外部の人間が、アビドス自治区の奥まで入っていく。
なら、自分も同行して何を見つけ、何を持ち帰ろうとしているのか確かめておきたい。
ホシノの立場なら、むしろ当然だった。
翔もそこには触れない。
「それで」
先生が翔を見る。
「本当に一人で行かなかったね」
「まだ言うのかよ」
「確認しただけ」
「約束しただろ。さすがに次の日に破ったりしないって」
「えらいえらい」
「だから子供扱いするなって」
「してないよ?」
「その言い方で説得力あると思う?」
横でホシノが小さく笑った。
「先生、ずいぶん翔くんのこと気に入ってるねえ」
「危ないことしそうだから」
「昨日もそれ言われたんだけど」
「昨日の今日だからだよ」
先生に即答され、翔は言葉に詰まった。
そのやり取りを眺めていたホシノが、一度だけ翔へ視線を向ける。
「でもまあ、ちゃんと連絡したんだ」
「……何だよ」
「別に~」
口元だけ、ほんの少し緩む。
「思ってたより、言われたことはちゃんと聞くんだなって」
「俺を何だと思ってたんだ?」
「無茶するタイプ?」
「否定しきれないのが嫌だな……」
「ん。否定できないと思う」
「シロコまで乗るなよ」
朝から二対一だった。
いや、先生まで数えれば三対一かもしれない。
「それじゃあ」
先生が軽く手を叩く。
「シロコ、案内お願いしてもいい?」
「ん」
シロコが短く頷き、先頭に立った。
* * *
アビドス自治区の北側へ進むにつれ、街の景色は少しずつ変わっていった。
最初は住宅や小さな商店が残っていた。
けれど数区画も進めば人影は減り、代わりに閉じたシャッターや色褪せた看板が目立ち始める。
さらに先へ進むと、並んでいるのは低い倉庫や古びた事業所ばかりになった。
窓ガラスの割れた建物。
半分ほど砂に埋まった駐車場。
文字が読めなくなった案内板。
舗装された道路にも細かな亀裂が走り、その隙間を砂が埋めている。
かつてはもっと多くの人や車が行き交っていたのだろう。
その痕跡だけが残り、今は静けさの方が目立っていた。
「こっち」
シロコが脇道へ入る。
大通りを外れた途端、足元の状態はさらに悪くなった。
路面には砂が薄く積もり、場所によっては元の舗装がほとんど見えない。
「昨日言ってたのは、この道?」
「ん」
シロコが頷く。
「昔は物流車両もよく通ってた。北側の倉庫とか工場に繋がってるから」
「昔は?」
「今はほとんど使われてない」
今度はホシノが後ろから答えた。
「この辺に残ってる会社も、もうそんなに多くないからねえ。特に、大きい荷物を頻繁に運ぶようなところはほとんど残ってないはずだよ」
「なるほど」
翔は歩きながら周囲へ目を配った。
砂の積もり方。
路面の傷。
脇へ追いやられた古い標識。
道路そのものは大型車が通れる幅を保っているが、今も日常的に使われている道には見えない。
少なくとも――最近までなら。
「……シロコ」
「ん?」
「ちょっと待って」
翔が足を止めた。
三人も続いて止まる。
翔は道路脇へ数歩寄ると、その場へしゃがみ込んだ。
「どうしたの?」
先生が横から覗き込む。
「これ」
翔が指した先には、砂の上へ深く刻まれた轍があった。
一見すれば、ただ車が通った跡。
だが、その幅は普通の乗用車より明らかに広い。
しかも、一筋だけではなかった。
「何台か通ってるな」
翔は手を触れず、目だけで跡を追う。
「全部同じ車両?」
先生が尋ねる。
「そこまでは分からない。でも、一回だけじゃないと思う」
古い轍の上へ、別のタイヤ痕がわずかに重なっている。
完全に同じ位置ではない。
砂の崩れ方も違っていた。
雨の少ない土地だから跡自体は残りやすい。
それでも、いくつかは比較的新しいものに見える。
「少なくとも最近になって、ここを大きめの車が何度か通ってる」
「……変」
シロコが呟いた。
「やっぱり?」
「ん。この先に、大型車が何度も行くような場所は今はほとんどない」
シロコも隣へしゃがみ込み、轍の伸びる先を見る。
「この道を通る必要があるなら、北側の倉庫か昔の物流区画くらい」
「おじさんも、この辺で最近何か始まったって話は聞いてないねえ」
ホシノの声からも、さっきまでの気の抜けた調子が少しだけ薄れていた。
「じゃあ」
先生が三人を順番に見る。
「使われてないはずの道を、最近になって何度か大型車が通ってる」
「そうなるな」
翔が立ち上がる。
「これだけじゃ、セリカを連れ去った車と同じとは言えないけど」
「でも、調べる理由にはなる」
先生の言葉に翔が頷く。
「ああ。それには十分だ」
そのまま四人は道を進んだ。
先頭はシロコ。
翔は足元と周囲の建物を確認しながら、その少し後ろを歩く。
先生は二人の会話を聞きながら周囲へ視線を巡らせ、ホシノは最後尾から時折後ろも確認していた。
しばらくすると、翔の視線が道路脇で止まった。
「……ん?」
砂の中に、灰色のものが半分ほど埋まっている。
翔は足を止め、手袋を取り出した。
「また何かあった?」
先生が寄ってくる。
「多分」
砂を軽く避けて拾い上げる。
手のひらより少し小さい、灰色の破片だった。
見た目ほど柔らかくない。
軽く指で押してみても、簡単には潰れなかった。
表面には細かな凹凸が規則的に並んでいる。
「ゴミ?」
ホシノが覗き込む。
「多分、梱包材の一部」
「それが何か変なの?」
「似た材質を見たことがある」
翔は破片を光へ翳した。
ブラックマーケットで調べた武器や部品。
疑似メモリ兵器そのものではないが、精密な機構を持った装置を箱の中で固定するために使われていた緩衝材に近い。
「疑似メモリ兵器を運ぶ時に使ってたもの?」
先生が聞く。
「そういう使われ方もしてた」
翔はすぐに言葉を続けた。
「ただし、これ自体が疑似メモリ兵器専用ってわけじゃないと思う。精密機器とか、衝撃を避けたい機械なら同じようなものを使っててもおかしくない」
「じゃあ、これだけだと証拠にはならない」
「ああ」
先生の言葉に頷く。
「これ一つならな」
「でも」
シロコが前方へ視線を向ける。
「最近、大型車が何度も通ってる」
「ああ」
「普段は使われてない道なのに」
「ああ」
「それで、何か機械を運んだかもしれない跡が落ちてる」
翔が小さく笑った。
「そうやって並べると、だいぶ怪しく聞こえるな」
「怪しいと思う」
「俺もそう思う」
先生は翔の手にある破片と、道の先を交互に見た。
「今分かってるのは、ここを最近何度か大型車が通ったこと。それと、何かの機械を運んだ可能性があること」
「そうだな」
「じゃあ次は、その車がどこへ行ったのかを見よう」
簡単な言葉だった。
けれど、それだけで四人が次に見るべきものがはっきりする。
まだ分からないことを無理に答えへ変えない。
あるものだけを並べて、次に確かめられる場所へ進む。
翔は手にしていた破片を記録用の袋へ入れた。
「行こう」
「ん」
シロコが再び先頭へ立つ。
四人はさらに北へ進んだ。
轍は途中でいくつかに分かれていた。
古いもの。
途中で別の道へ逸れるもの。
砂に消えかけているもの。
その中から、シロコが比較的新しい痕跡を選んでいく。
「こっち」
「分かるのか?」
「ん。深さが違う」
言われて見ると、確かに他のものより砂の崩れが新しい。
「この先は昔の物流区画」
シロコが道の先を指す。
「倉庫がいくつか残ってる」
「今も使われてる?」
「ほとんど使われてないよ」
ホシノが答えた。
「一部は個人で倉庫代わりにしてる人もいるけどねえ。大きな施設は、もうずっと放置されてたはず」
「ずっと?」
「少なくとも最近、ここで何かやってるなんて話は聞いたことないかな~」
話している間にも、周囲の建物はさらに大きくなっていった。
古い倉庫。
使われなくなった荷台。
傾いた街灯。
道端には、かつて駐車位置を示していたらしい白線が砂の下から僅かに覗いている。
そして十分ほど進んだところで、先頭を歩いていたシロコが足を止めた。
「あそこ」
砂の向こう。
低い建物群のさらに奥に、大きな施設が横たわっていた。
横に長い建屋。
正面には複数の搬入口が並び、その端には二階建ての管理棟らしき建物が繋がっている。
色褪せた外壁には砂がこびりつき、窓の一部は割れている。
高い位置に残された看板も風雨と砂に削られ、文字の大半は読めなかった。
「物流施設?」
翔が目を細める。
「ん。昔の中継所」
シロコが答える。
「ここで一回荷物を分けて、北側の倉庫とか工場へ運んでたらしい」
「へえ……」
先生が建物を見上げた。
「結構大きいね」
「昔はこの辺も今より人がいたからねえ」
ホシノが少しだけ懐かしむように周囲を見る。
「今じゃ、見る影もないけど」
翔は施設へ視線を戻した。
一見すれば、完全に放棄された建物だった。
シャッターは錆びつき、搬入口の端には砂が吹き溜まっている。
人の気配もない。
けれど。
「……ホシノ」
「ん~?」
「ここ、本当に使われてないんだよな?」
「そのはずだけど」
翔はゆっくり正面へ近づいた。
並んだ搬入口。
そのほとんどは、長く開けられていないのが一目で分かるほど錆びている。
だが一つだけ。
状態が違う。
下端へ積もっている砂が薄い。
金属製のシャッターの縁には、最近擦れたような痕が残っていた。
さらに地面を見る。
先ほどから追ってきたタイヤ痕が、その搬入口の前まで続いている。
「……」
ホシノもそれに気づいた。
眠たげだった目が、ほんの少し細くなる。
「ここ、最近開いてるねえ」
「だよな」
シロコが搬入口の前へしゃがむ。
「タイヤ痕もここで止まってる」
「中に入ったってことか」
「多分」
翔は周囲を見渡した。
静かだった。
風が割れた窓や建物の隙間を抜ける、低い音だけが聞こえてくる。
人の声もない。
機械が動いている様子もない。
それなのに、使われていないはずの施設には明らかに最近誰かが出入りしている。
先生が翔の隣まで歩いてきた。
「昨日の事件と関係あると思う?」
「まだ分からない」
翔はすぐには頷かなかった。
「道と車の痕だけなら偶然かもしれない。梱包材も決め手にはならない」
「うん」
「でも」
翔はシャッターへ視線を戻した。
「ここまで重なるなら、一度中を見る価値はある」
「ん」
シロコも短く同意する。
ホシノは建物を見上げたまま、肩に掛けていたショットガンへ手を添えた。
「おじさんとしても、知らないうちにこんなところが使われてたっていうのは、ちょっと気になるかな~」
口調はいつも通り。
ただ、その手はすぐに武器を構えられる位置へ移っている。
先生は三人の様子を確認すると、搬入口へ視線を戻した。
「じゃあ、中に入る前に一回確認しようか」
「確認?」
「誰がどこを見るか。何かあった時にどう動くか」
そこまで言って、先生の表情から少しだけ軽さが消えた。
「今までは痕跡を追ってただけ。でも、ここから先は誰かがいる可能性がある」
翔も自然と表情を引き締める。
シロコが周囲を確認し、ホシノは黙って搬入口を見た。
「まず、勝手にばらけないこと」
先生が続ける。
「何か見つけても、一人で奥まで追わない。分からないものには触らない。危ないと思ったら、調査より先に離れる」
「了解」
「ん」
「は~い」
三人の返事を聞いて、先生が頷く。
翔は改めて目の前の建物を見上げた。
使われていないはずの旧道。
そこへ残された新しい轍。
機械類の輸送に使われた可能性のある梱包材。
そして最近動かされた形跡のある搬入口。
まだ何も確定してはいない。
それでも。
ここまで来て、ただの偶然で済ませる気にはなれなかった。
* * *
同じ頃。
アビドス自治区の一角。
人通りの少ない通りから一本奥へ入った建物の陰で、便利屋68の四人は簡単な打ち合わせをしていた。
壁際に置かれた古い木箱を机代わりにして、その上にはカヨコの携帯端末が置かれている。
画面に表示されているのは、昨日から四人で集めた情報だった。
「……本当に、かなり小さい学校なのね」
腕を組んだアルが、画面を覗き込みながら呟く。
「現在確認できる在籍生徒はかなり少ない。自治区自体も、見た通りかなり寂れてる」
カヨコが淡々と答えた。
「校舎も大きいのにね~」
ムツキが隣から画面を覗き込む。
「昔はもっと人がいたのかな?」
「多分」
「何だかもったいないですね……」
ハルカが小さく言う。
アルはふむ、とそれらしく頷いた。
「つまり、現在のアビドス高等学校は少人数で活動を続けている、と」
「うん」
「……アルちゃん、昨日まであの子たちがアビドスだって気づいてなかったけどね」
「ムツキ!」
アルの肩がびくりと跳ねた。
「そ、それは今関係ないでしょ!」
「え~? 情報収集の話なんだから関係あるんじゃない?」
「ないわ!」
「くふふっ」
楽しそうに笑うムツキの横で、ハルカがアルを庇うように身を乗り出す。
「だ、大丈夫ですアル様! 私も気づいていませんでしたので!」
「それ全然フォローになってないわよ!」
「す、すみません!」
ハルカが勢いよく頭を下げる。
いつもの調子だった。
だが。
「問題はそこじゃない」
カヨコの一言で、空気が少しだけ変わった。
アルも咳払いを一つして姿勢を整える。
「……分かってるわよ」
カヨコが画面を切り替える。
「アビドスには今、先生っていう大人が入ってる」
「昨日、一緒にラーメンを食べてた人ね」
アルが言う。
「ん。それと――」
カヨコの指が画面を滑る。
「翔」
ムツキが反応した。
「昨日の男の子?」
「そう」
「ゲヘナから調査に来たって言ってたよね」
カヨコが頷く。
「ただし、本人はゲヘナの生徒でも風紀委員でもないらしい」
「でも、風紀委員会から正式に調査を頼まれてる」
アルが昨日の会話を思い出しながら言う。
「そう」
カヨコはそこで一度言葉を切った。
「風紀委員じゃないのに、風紀委員会の名前で自治区外まで調査に来てる」
「……それって、そんなに変なの?」
アルが眉を寄せる。
「変っていうより、軽い仕事じゃないってこと」
カヨコが答える。
「そこら辺の届け物とか、ちょっとした聞き込みなら、わざわざ外部の人間に正式な調査権限まで持たせて他自治区へ出す必要はない」
「つまり」
ムツキが少しだけ楽しそうに目を細める。
「風紀委員会も何か面倒なものを追ってるってこと?」
「可能性は高いと思う」
カヨコは視線を画面へ落としたまま答えた。
「それで、その翔が今いるのがアビドス」
アルの表情から、少しだけ余裕が消える。
「……私たちの仕事先と被ってる」
「うん」
「それって……」
「まだ何とも言えない」
カヨコは先回りするように言った。
「偶然かもしれない。風紀委員会の調査と、私たちの依頼がまったく別件って可能性もある」
「じゃあ問題ないじゃない」
「そうならね」
短い返事だった。
アルは少し黙る。
ハルカが不安そうに口を開いた。
「も、もし風紀委員会が、この仕事について調べていた場合は……」
その言葉にアルの顔がわずかに引きつる。
「ちょ、ちょっと待ちなさい! まだヒナが出てくるって決まったわけじゃないでしょ!」
「社長」
「何よ!」
「誰もヒナの名前は出してない」
「…………」
沈黙。
ムツキが口元を押さえた。
「アルちゃん、やっぱり考えてたんだ」
「笑わない!」
「くふふふっ」
「だ、大丈夫ですアル様! もし風紀委員長さんが来ても私が――」
「ハルカは絶対何もしないで!」
「は、はい!」
アルが慌てて止める。
カヨコは小さく息を吐きながら、再び端末へ視線を戻した。
「少なくとも、今の時点で風紀委員会そのものと揉める理由はない」
「当然よ」
「なら、翔にも余計なことはしない方がいい」
アルがカヨコを見る。
「……警戒しろってこと?」
「そういうこと」
「分かったわ」
今度は素直に頷いた。
カヨコもそれ以上は言わない。
問題はもう一つあった。
「それと」
指先で別の画面を開く。
「依頼の方」
空気が再び締まった。
便利屋68が今回受けた仕事。
アビドス高等学校への妨害工作。
報酬はかなり高額。
依頼主は直接姿を見せず、やり取りは仲介窓口を通して行われている。
ただ、それ自体は彼女たちにとって珍しいものではない。
表に名前を出したくない依頼人。
身元を伏せたまま仕事だけ投げてくる仲介業者。
そういう案件は、便利屋という商売をしていればある程度は出てくる。
だから問題なのは、匿名であることそのものではなかった。
「報酬が高い」
カヨコが言う。
「まあ、それはいいことじゃない?」
アルが返す。
「普通ならね」
「……普通なら?」
「依頼内容に対して高すぎる」
アルの眉が動く。
「弱小校への妨害工作。少なくとも最初に聞かされてた内容だけなら、ここまで払う理由がよく分からない」
「危険手当じゃない?」
ムツキが軽く言う。
「あり得る」
「じゃあ――」
「でも」
カヨコは画面を切り替えた。
「これがある」
表示された一文。
アルもムツキもハルカも、もう一度そこへ目を向ける。
「『黒い仮面を着けた戦士を確認した場合、交戦を避け、発見場所、時刻、行動内容を速やかに報告すること』」
アルが読み上げる。
「……やっぱり、これだけ妙に具体的ね」
「でしょ?」
ムツキが笑う。
「アビドスの邪魔をする仕事なのに、この人が出てきた時のことだけ細かいんだよね~」
「依頼人の知り合い、とかでしょうか……?」
ハルカが恐る恐る言う。
「分からない」
カヨコは首を横に振った。
「でも、この条件だけを見るなら、依頼人はその黒い仮面の戦士が現れる可能性を最初から考えてる」
「……」
「しかも、倒せじゃない。近づくな、戦うな、報告しろ」
アルは少し考え込む。
「警戒してる?」
「多分」
「相当だね~」
ムツキの笑みが少し深くなる。
「どんな人なんだろ」
「会いに行く気じゃないでしょうね」
「まさか~」
「その顔で言われても信用できないわよ!」
アルがすぐに釘を刺す。
その時だった。
カヨコの端末が短く震えた。
通知音が一つ。
四人の視線が集まる。
「……追加指示」
カヨコが画面を開いた。
「来たの?」
「うん」
文章は短かった。
北部旧物流区画。
指定された旧物流中継所へ向かい、施設を使用不能にすること。
対象は中央管理端末、搬入口制御設備、および一部荷役設備。
必要に応じて破壊して構わない。
「……ずいぶん具体的になったわね」
アルが端末へ顔を近づける。
「今まではアビドスへの妨害ってだけだったのに」
「実行段階に入ったってことじゃない?」
ムツキが言う。
「それ自体はおかしくない」
カヨコも頷いた。
「ただ――」
別の地図を開く。
昨日から集めていた自治区内の情報と、依頼人から送られてきた座標を重ねる。
「この場所、今のアビドスはほとんど使ってない」
「……え?」
アルが瞬いた。
「北側の物流区画自体がかなり前から縮小してる。指定された中継所も、今は事実上放置されてるみたい」
「じゃあ」
ハルカが不思議そうに画面を見る。
「使われていない場所を……壊すんですか?」
「そういう指示」
「でも」
アルが文章を読み直す。
「ここには『今後アビドス側の活動に利用される可能性があるため』って書いてあるわよ」
「うん」
「なら、これから使うつもりなんじゃない?」
「その可能性はある」
カヨコは否定しなかった。
「アビドス側だけが知ってる計画があるかもしれない。依頼人が独自に掴んだ情報がある可能性もある」
「ほら!」
アルが少し勢いを取り戻す。
だが、カヨコは続けた。
「でも、こっちで調べた範囲では、その兆候がない」
「……」
「学校側が物流拠点の再利用を進めてるって話もない。施設の整備が始まった形跡も確認できてない」
ムツキが首を傾げる。
「じゃあ、本当に何で壊すんだろうね?」
「分からない」
「依頼人が心配性なんじゃない?」
アルが言う。
「それもあるかもしれない」
「……カヨコ、さっきから否定はしないのね」
「分からないことを決めつけても仕方ないから」
「それはそうだけど……」
「でも、気になる」
カヨコが静かに言う。
「今は使われてない施設に、高い報酬を払ってまで破壊指示を出す」
視線を画面から上げる。
「私は、その理由を見てから動いた方がいいと思う」
しばらく誰も口を開かなかった。
アルが腕を組む。
依頼を受けたのは自分だ。
便利屋68の名で仕事を引き受けた。
だからこそ、一度受けた依頼を、何となく怪しいというだけで投げるつもりもない。
「……現場に行きましょう」
やがてアルが言った。
声はいつもの大仰なものではなかった。
「社長?」
「一度引き受けた仕事を、怪しいからってだけでほっぽり出すわけにはいかないわ」
アルは三人を見る。
「でも、何も分からないまま壊すのも違う」
カヨコが僅かに目を細める。
「だから、まず自分たちで見る」
「うん」
「本当に依頼人の言う通り、アビドスへの妨害になる場所なのか。何か他にあるのか」
アルは胸を張った。
「そこを確かめてから決めればいいでしょ!」
ムツキが楽しそうに笑う。
「いいんじゃない?」
「当然よ!」
「さすがアル様です!」
ハルカもぱっと表情を明るくする。
「どんな罠が待ち受けていても、私が必ず――」
「まだ、罠って決まってないわ!」
「す、すみません!」
「でも、罠だったら面白そうだよね~」
「ムツキまで煽らない!」
いつもの騒がしさが戻る。
カヨコはそんな三人を見ながら、もう一度依頼書へ視線を落とした。
高額な報酬。
匿名の依頼人。
黒い仮面の戦士への妙に具体的な指示。
使われていないはずの施設への破壊命令。
そして。
同じアビドス自治区には、風紀委員会の正式な依頼を受けて動いている翔がいる。
まだ一本の線にはならない。
けれど、偶然として無視するには、少しずつ重なりすぎていた。
「社長」
「何?」
「今日は、本当に書かれてること以上はしないでね」
「分かってるわよ」
「何かおかしかったら、一度止まる」
「それも分かってる」
「勝手に格好つけて突っ込まない」
「カヨコ!」
「大事だから」
「私を何だと思ってるのよ!」
「社長」
「答えになってない!」
ムツキがまた笑う。
ハルカだけは真剣に何度も頷いていた。
* * *
四人が北部の旧物流区画へ入った頃には、朝の涼しさもだいぶ薄れていた。
日差しはすでに強くなり始め、風が吹くたびに細かな砂が道路を這う。
通りの両側には、使われなくなった倉庫や古びた事業所が並んでいた。
割れた窓。
錆びついたシャッター。
傾いた街灯。
砂に半ば埋もれた駐車区画。
人の姿はほとんどない。
「うわあ」
ムツキが辺りを見回す。
「本当に何もないね」
「……ここを壊して、本当に困るのかしら」
アルも歩きながら周囲を見る。
「依頼書では困ることになってる」
「カヨコ、その言い方やめてくれない!?」
「でも事実」
「そうだけど!」
カヨコは端末へ表示された地図と、実際の道路を交互に確認している。
指定地点まではもう遠くない。
「アル様」
後ろを歩いていたハルカが低い声で言った。
「何かあれば、私が先に様子を見てきます」
「一人では行かない」
「ですが――」
「カヨコがさっき言ったでしょ。今日は勝手なことしないの」
「……はい!」
少し残念そうではあったものの、ハルカは素直に頷いた。
ムツキが横から笑う。
「アルちゃん、ちゃんと聞いてるね」
「当たり前でしょ! 私は社長なんだから!」
「じゃあ罠だった時も落ち着いていられる?」
「もちろんよ!」
「本当に?」
「本当!」
「爆発しても?」
「それは状況によるわよ!」
「くふふっ」
「もう!」
そんなやり取りをしながら進んでいたカヨコの足が、ふいに止まった。
「見えた」
残りの三人も前を見る。
砂の向こう。
低い建物が並ぶ物流区画の奥に、大きな施設が横たわっている。
横に長い建屋。
正面へ並んだ複数の搬入口。
端に繋がった管理棟。
遠目にも、長い間使われていない建物だと分かる。
「……あれね」
アルが目を細めた。
カヨコが端末の座標と見比べる。
「うん。指定地点と一致してる」
「思ってた以上にボロボロだね~」
ムツキが言う。
「本当に壊すところ残ってるのかしら」
「中央管理端末は内部に残ってる想定らしい」
「想定?」
「依頼書にはそう書いてある」
「……ますます変な仕事ね」
アルが小さく呟いた。
それでも足は止めない。
「とにかく」
一歩前へ出る。
「まず中の様子を確認するわよ」
「あれ?」
ムツキの声が飛んだ。
「何?」
「んー……」
ムツキは施設の方へ目を凝らしている。
その口元がゆっくりと上がった。
「先客がいるみたい」
「え?」
アルたちの視線が一斉に同じ方向へ向いた。
旧物流施設の搬入口付近。
砂埃の向こうに、いくつかの人影が見えていた。