青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
旧物流施設の搬入口前。
先生が三人へ簡単な確認を始めようとした、その時だった。
「……ん?」
シロコが先に顔を上げた。
視線は、自分たちが来た道とは少し外れた方向へ向いている。
ホシノも一拍遅れてそちらを見た。
「誰か来るねえ」
翔も振り返る。
砂の薄く積もった道路を、四つの人影がこちらへ歩いてくる。
まだ少し距離はある。
だが、その姿には見覚えがあった。
(……また会ったな)
先頭を歩く少女。
その後ろから続く三人。
昨日、柴関ラーメンで同じ店内にいた面々だった。
「昨日のラーメン屋にいた人たち」
シロコが淡々と言う。
「ああ」
「知り合い?」
「いや……昨日会っただけ」
「ん」
それだけで会話が終わる。
やがて向こうも、こちらの存在にはっきり気づいたらしい。
先頭を歩いていたアルの足が止まった。
「…………」
数秒。
「何であなたたちがいるのよ!?」
第一声がそれだった。
「また会ったね」
先生が普通に片手を上げる。
「何でそんな気軽なの!?」
「昨日一緒にラーメン食べたし」
「同じ店にいただけでしょ!」
「細かいことは気にしない」
「気にするわよ!」
昨日と変わらない調子で返され、アルが早くも振り回されていた。
その隣でムツキが楽しそうに笑う。
「すごい偶然だね~」
「偶然で片づけていいのかしら……」
カヨコは笑っていない。
目の前の施設。
翔。
先生。
シロコ。
ホシノ。
そして自分たちが指定された座標。
視線だけで順番に確認していく。
ハルカもアルを庇うようにすぐ前へ出かけたが、その瞬間、カヨコが小さく手を上げた。
「ハルカ」
「……はい」
短く呼ばれただけで、ハルカは足を止めた。
翔はそのやり取りを横目で見ていた。
便利屋68の四人は全員、武器を持っている。
こちらも同じだ。
シロコはいつでも銃を構えられる位置に手を置き、ホシノもショットガンへ軽く手を添えている。
ただし。
誰も銃口は上げていない。
まだ、戦う理由はない。
「とりあえず」
先生が一歩前へ出た。
「何しに来たのか、聞いてもいい?」
声は柔らかい。
けれど、その立ち位置は自然と両者の間に入る形になっていた。
アルが少し身構える。
「……仕事よ」
「仕事?」
「ええ」
それ以上は言わない。
ホシノの目が僅かに細くなった。
「アビドスの中で?」
「……そうよ」
「へえ」
声色そのものは、さっきまでとほとんど変わらない。
それなのに、その一言で空気が少しだけ硬くなった。
「おじさんたちの自治区で、何のお仕事かな~?」
「それは……」
アルが一瞬詰まる。
すぐに表情を取り繕った。
「い、依頼人との契約があるから、詳しいことは言えないわ」
「そっかあ」
ホシノは笑った。
「じゃあ、ちょっと困るねえ」
「何がよ」
「何するか分からない人たちを、うちの自治区で好きに動かせないでしょ?」
「……っ」
アルの肩が僅かに強張った。
ホシノは笑ったままだ。
ショットガンも構えていない。
声を荒らげてもいない。
なのに――今までとは何かが違う。
(……何よ、この感じ)
背中を嫌な汗が伝った。
どこかで覚えがある。
同じゲヘナで、絶対に不用意なことをしてはいけない相手。
(ヒナ……?)
一瞬だけ頭に浮かんだ名前に、アル自身が内心ぎょっとする。
目の前の少女とヒナでは、見た目も雰囲気もまるで違う。
それでも、本能のどこかが同じ警鐘を鳴らしていた。
(この子……もしかして、かなりまずい?)
「私たちは便利屋よ。依頼された仕事をしに来ただけ」
アルは努めて平静を装って言い返した。
「その仕事の内容が分からないから聞いてるんだけどねえ」
「それは……!」
アルが言い返そうとする。
その横で、カヨコが静かにホシノを見た。
表情は穏やか。
武器も構えていない。
にもかかわらず、社長が一瞬言葉を詰まらせた。
カヨコはそれだけで十分だった。
「社長」
「何?」
「一回、話聞いた方がいいと思う」
「カヨコ?」
「私たちも現場を確認しに来たんだから」
アルは一度口を閉じた。
カヨコの言いたいことは分かる。
最初から、いきなり施設を壊すつもりで来たわけではない。
それに。
どう見ても今、翔たちも同じ施設を調べている。
「……分かったわ」
アルが少しだけ肩の力を抜く。
「でも、こっちだけ話すのはなしよ」
「もちろん」
先生がすぐに答えた。
「私たちも、話せる範囲で話すよ」
「話せる範囲?」
「全部言わなきゃいけない理由は、お互いないでしょ?」
「……まあ、それはそうだけど」
アルが少し意外そうに先生を見る。
もっと一方的に問い詰められるものだと思っていたのかもしれない。
翔が一歩前へ出た。
「その仕事、この施設が関係してるのか?」
アルの視線が翔へ向く。
「……どうしてそう思うの?」
「ここまで来てるから」
「それだけ?」
「それだけでも十分だろ」
「……」
アルがカヨコを見る。
カヨコは僅かに頷いた。
「関係あるわ」
アルが答える。
「詳しくは言えないけど、この施設が仕事の対象になってる」
「やっぱりか」
翔の表情が僅かに変わった。
カヨコはそれを見逃さなかった。
「そっちは?」
「俺たちは昨日の事件を追ってここまで来た」
「昨日の事件?」
ムツキの笑みが少し薄くなる。
アルも首を傾げた。
ハルカは状況が分からないまま、アルと翔を交互に見る。
「何があったの?」
カヨコが尋ねた。
翔は一瞬ホシノを見る。
勝手に話していい内容か確認するような視線だった。
ホシノは少し考えた後、小さく頷く。
「昨日、うちの子が一人さらわれたんだよねえ」
「……誘拐?」
アルの声から、完全に勢いが消えた。
「そう」
先生が続ける。
「もう助け出せたけど、連れ去られた時に特殊な装置が使われてた」
カヨコの目が僅かに動く。
「特殊な装置?」
「翔が追ってるものと関係してる可能性がある」
先生は必要以上には説明しない。
翔も続けた。
「セリカが運ばれた経路と、昨日見せてもらった装置。そこから北側を調べてたら、この道に行き着いた」
「セリカ……」
アルが名前を繰り返す。
昨日、柴関ラーメンで会った赤い髪の少女。
「昨日のあの子?」
「ああ」
「……昨日、誘拐されてたの?」
「そう」
アルの顔から少しだけ血の気が引いた。
ムツキも今度は笑っていない。
ハルカは目を見開いている。
「そ、それは……」
何か言おうとして、言葉が続かない。
カヨコだけは、その場で考える方を優先していた。
「……その事件と、ここが繋がってる根拠は?」
翔はすぐに答える。
「まだ根拠ってほどじゃない」
「?」
「使われてないはずの道に、最近何度も大型車が通った跡が残ってた」
翔が少し道の方を指す。
「その途中で、精密機器の輸送に使うような梱包材も見つけた」
「それだけ?」
「今のところは」
「じゃあ、まだここが事件に使われたとは限らない」
「ああ」
翔は否定しなかった。
「だから調べに来た」
カヨコは黙る。
使われていない物流区画。
昨日の誘拐事件。
その事件を追っている翔。
そして、自分たちへ出された、この施設を対象とする依頼。
まだ、決定的なものは何もない。
どれも、偶然だと言おうと思えば言える。
けれど。
昨日より、明らかに気持ちが悪い。
「カヨコ?」
アルが横目で見る。
「……何でもない」
短く答える。
先生は便利屋68側の反応を見てから、ホシノへ顔を向けた。
「ホシノ」
「ん~?」
「少なくとも、今はまだ何も壊されてないよね」
「まあねえ」
「私たちも、この施設が昨日の事件に関係してるって確定したわけじゃない」
「それもそうだねえ」
先生は今度はアルたちへ向き直った。
「君たちも、まず現場を確認するつもりだったんでしょ?」
アルが僅かに目を見開いた。
「……何で分かるの?」
「今ここで何も壊してないから」
「……」
「だったら」
先生はいつもの調子で言った。
「先に中を確認してから考えてもいいんじゃない?」
「一緒に?」
アルが少し警戒する。
「別に、仲良く手を繋いで歩こうって意味じゃないよ」
「何よそれ」
「同じ場所に用事があるなら、今ここで撃ち合う必要はないってこと」
先生が両手を軽く広げる。
「中を見て、本当に何も関係なかったら、それからお互いの仕事を考えればいい」
「もし関係あったら?」
「その時は、その時点でもう一回話す」
アルが黙る。
その横でカヨコがすぐに口を開いた。
「社長」
「……何?」
「私はそれでいいと思う」
「カヨコまで?」
「元々、私たちも中を確認してから判断するつもりだった」
「そうだけど……」
「今ここで揉める理由もない」
カヨコの視線が一度、翔へ向く。
「それに」
「それに?」
「風紀委員会の調査と、私たちの仕事が本当に関係あるのか。確かめるにはちょうどいい」
アルが唸る。
その言葉には逆らいづらかった。
それに、さっきホシノから感じたものを思い返せば、ここで無理に押し通す気にもなれない。
「……分かったわ」
ようやく頷く。
「ただし」
指を一本立てる。
「こっちの仕事の邪魔はしないで」
ホシノがすぐに返す。
「そっちも、勝手にうちのもの壊さないでねえ」
「それは……」
「今のところ、ここもアビドス自治区内だから」
「うっ」
アルが詰まる。
「それはそうね」
カヨコが小さく言った。
「カヨコ!?」
「事実だから」
「またそれ!?」
ムツキが堪えきれず笑う。
「くふふっ。アルちゃん、今日はずっとカヨコちゃんに正論で刺されてるね~」
「うるさい!」
少しだけ空気が緩んだ。
翔はその隙に口を開く。
「もう一つだけ」
「何よ」
アルが少し警戒しながら見る。
「中で昨日の事件に関係しそうなものが出たら、その場では壊さないでほしい」
「……」
「証拠かもしれない」
「でも、こっちの仕事で壊す必要があるものだったら?」
「だから、その時話そうってこと」
先生が間に入る。
「翔も、君たちが依頼を受けてるものを勝手に持っていかない」
「分かってる」
「君たちも、こっちが確認する前に壊さない」
アルはまだ少し不満そうだった。
けれど。
「社長」
カヨコが言う。
「それくらいならいいと思う」
「……分かったわよ」
アルが渋々頷いた。
「ただし、本当に何も関係なかったら、こっちは仕事を続けるから」
「その時は止めない」
翔が答える。
「……ずいぶんあっさりしてるのね」
「お前らがどんな仕事受けるかまで、俺が決めることじゃないだろ」
アルが少しだけ意外そうな顔をした。
何か言いかけたが、結局口にはしなかった。
「じゃあ」
先生が施設へ向き直る。
「決まりだね」
「決まりなの?」
「今決まったよ」
「先生って結構強引ね……」
「よく言われる」
「誰に!?」
「いろんな人に」
アルが思わず頭を抱える。
「もう……!」
その横でムツキは完全に楽しんでいた。
「なんか面白くなってきたね~」
「ムツキ」
「分かってるよ。勝手なことはしないって」
「本当に?」
「多分」
「多分じゃ駄目!」
ハルカは周囲を警戒しながら、アルへ近づく。
「アル様。私はいつでも大丈夫です」
「だから今は戦いに行くんじゃないからね」
「はい!」
力強い返事だった。
少しだけ不安が残る。
先生は一度全員を見渡した。
「じゃあ改めて」
搬入口へ視線を向ける。
「中で何があるか分からないから、ばらけないこと」
シロコが頷く。
「ん」
「ホシノは後ろもお願い」
「はいはい~」
「翔は設備とか痕跡を見る方に集中して。危ないと思ったらすぐ言って」
「了解」
それからアルたちを見る。
「君たちも、何か見つけたら一人で触らないでね」
「何で私たちまで指示されてるのよ!」
アルが反射的に言う。
先生が首を傾げた。
「嫌?」
「……」
アルが一瞬黙る。
カヨコが横から言う。
「今だけならいいんじゃない?」
「カヨコまで!」
「安全確認の話だし」
「それはそうだけど……!」
アルは最後まで納得しきれない顔だった。
それでも拒否はしなかった。
翔たちは搬入口へ向かう。
便利屋68の四人も、少し距離を空けてその後に続いた。
完全な協力ではない。
信用し合っているわけでもない。
むしろ互いに相手の動きを気にしている。
それでも、少なくとも今この場で銃を向け合う理由はなくなっていた。
翔が、最近動かされた形跡のあるシャッターへ近づく。
「……開くかな」
「私がやる?」
シロコが言う。
「いや、待って」
翔はすぐには触れず、まず端とレール部分を確認した。
完全に閉じているわけではない。
下部に僅かな隙間がある。
周囲に細工された形跡も、目につく範囲では見当たらない。
「少なくとも、見えるところに罠はなさそうだ」
「見えないところには?」
ムツキが楽しそうに聞く。
「あるかもしれない」
「おお~」
「嬉しそうにするところじゃないだろ」
翔が呆れたように返す。
そのやり取りを聞きながら、先生が周囲へ目を配った。
「中から音はする?」
全員が一度黙る。
風が抜ける音。
どこかで金属板が小さく軋む音。
遠くで砂が擦れる微かな音。
それ以外は何も聞こえない。
「人の気配はなさそう」
カヨコが言った。
「少なくとも、入口の近くにはね」
「ん。動いてる感じもない」
シロコも施設の奥へ耳を澄ませながら続ける。
「じゃあ」
翔がシャッターの端へ手を掛ける。
少しずつ力を込めた。
錆びた金属が、低い音を立てる。
固着していた部分が僅かに震え、やがて重いシャッターがゆっくりと持ち上がっていく。
隙間が広がるにつれ、内側から冷えた空気と古い埃の匂いが流れ出した。
外の強い日差しとは対照的に、その先は暗い。
広い床。
規則的に並んだ支柱。
長く使われていない搬送設備の影。
そのさらに奥には、管理棟へ続いているらしい通路が見える。
光の届く範囲だけを見るなら、誰かが待ち構えている様子はない。
だが、それで安全だと断定できるほど施設は小さくなかった。
先生が薄暗い内部を見つめる。
「……行こうか」
誰もすぐには返事をしなかった。
シロコが先の暗がりへ目を凝らし、ホシノは後方にも一度視線を送る。
カヨコは端末の地図と建物の内部を見比べ、アルはそんな彼女を横目で確認した。
そして翔も、入口から見える床や設備に新しい痕跡がないか目を走らせる。
それから、一人ずつ暗い施設の中へ足を踏み入れていった。
昨日の事件を追う者たちと。
その施設を壊すよう依頼された者たち。
まだ互いの目的が、どこで本当にぶつかるのかも知らないまま。
* * *
施設の中は、外から見た以上に広かった。
天井は高く、太い支柱が一定の間隔で並んでいる。かつて荷物を運んでいたらしい搬送レールや古いコンベアが床の各所を横切り、そのほとんどが長い間動かされていないことを示すように、表面には厚い埃が積もっていた。
窓の多くは砂で曇り、割れた隙間から入り込んだ日差しが細い筋となって床へ落ちている。
誰かが生活しているような気配はない。
けれど。
「……ここ」
先頭を歩いていたシロコが足を止めた。
床へ視線を落とす。
翔たちもその周囲へ集まった。
「何かあった?」
先生が尋ねる。
「埃が薄い」
シロコが短く答えた。
言われてみれば、確かにそうだった。
周囲の床には長い年月で積もった砂と埃が広がっているのに、その一帯だけ表面が擦れている。
幅も広い。
人が何人か歩いただけではできそうにない跡だった。
翔がしゃがみ込む。
「車両か……それか、大型の台車」
「外にあった跡と同じ?」
ホシノが聞く。
「幅は近い。でも、断定はできないな」
翔は床を指で軽くなぞった。
埃の下から、まだ比較的新しい擦過痕が覗いている。
「ただ、最近何か重いものがここを通ったのは間違いないと思う」
「最近、ねえ」
ホシノが周囲を見回す。
その声はまだ穏やかだったが、目は笑っていなかった。
「ずっと使われてない場所にしては、随分元気だねえ」
「ん」
シロコも同意するように頷く。
少し離れた位置では、カヨコが端末へ表示された施設図と実際の内部を見比べていた。
「この先」
「何?」
アルが覗き込む。
「荷役区画。そこを抜けると管理棟に繋がってる」
「中央管理端末も?」
「その奥」
「……そう」
アルの返事が、僅かに重くなる。
翔はそのやり取りを聞きながら、近くに転がっていたものへ目を留めた。
「これ……」
灰色の小さな破片。
拾い上げる。
指で押すと僅かに沈む、硬質の緩衝材だった。
「さっき外で見つけたのと同じ?」
先生が聞く。
「ああ。種類は近い」
翔は表面を確認する。
「精密機器を固定する時に使うやつだと思う」
「疑似メモリ兵器?」
先生の声に、便利屋68側の視線が動いた。
翔はすぐに首を横へ振る。
「そこまでは言えない」
「違うの?」
「この素材自体は、特殊なものじゃない。普通の精密機器にも使える」
そう答えながら、床へ視線を落とす。
「ただ、外の道でも同じようなものが落ちてた。ここにもあるってことは、何か大きな機材を運び込んだ可能性は上がる」
「……ちゃんと分けて考えるんだね」
不意にカヨコが言った。
「ん?」
「使われてた可能性と、それが昨日の事件に関係あるかは別ってこと」
「ああ」
翔は何でもないように頷く。
「似てるだけで同じ物だって決めたら、後で全部ずれるからな」
「そう」
カヨコはそれだけ言うと、また端末へ目を戻した。
アルが小さく首を傾げる。
「カヨコ?」
「何でもない」
再び歩き出す。
* * *
荷役区画へ入ると、痕跡はさらに増えた。
壁際には古い電源設備が並んでいる。
ほとんどは錆びつき、表示灯も消えていた。
だが。
「これ、最近使ってる」
シロコが指差した。
一つだけ、端子部分に付着した埃が不自然に薄い。
その下には太い電源ケーブルがまとめられていた。
翔が近づく。
「触るなよ」
「ん」
シロコはすぐに手を引いた。
翔は目視だけで状態を確認する。
「接続跡が新しい」
「どのくらい?」
先生が尋ねる。
「正確には分からない。でも、何ヶ月も前って感じじゃない」
ケーブルの根元には、何度か抜き差しされたらしい擦れが残っている。
さらに近くには、大型機材を床へ固定するための金具がいくつか外されたまま放置されていた。
その周辺だけ、床の色が違っている。
「ここに何か置いてた?」
ムツキが覗き込む。
「多分」
翔は金具と床の跡を見比べる。
「結構大きいな」
「車に積めるくらい?」
「物によるけど、運ぶなら大型車両は欲しい」
「外の跡と繋がるね~」
「可能性はな」
そこで翔の目が止まった。
電源設備の端子。
表面の一部が黒く焼けている。
「……」
「どうしたの?」
先生が聞く。
「電力を結構食う機材を繋いだ跡がある」
「それって」
ホシノの声が低くなる。
翔はすぐには答えなかった。
昨日見た、セリカを拘束していた装置。
あれも複数台を同時に使い、強い電磁出力を維持していた。
もちろん、同じ方式だと決めつけるには材料が足りない。
「昨日の装置も、かなり電力を使うタイプだった」
便利屋68の空気が少し変わる。
「じゃあ」
アルが口を開く。
「ここで、その装置を……?」
「まだ分からない」
翔は即答した。
「電力を使う機械なんて他にもある」
「でも、可能性はある」
カヨコが静かに言う。
「ある」
翔も否定しない。
ホシノは壁際の設備を見たまま、僅かに目を細めた。
「昨日、セリカちゃんに使ったものをここへ運び込んでたとしたら」
「ホシノ」
先生が声をかける。
「分かってるよ」
ホシノはいつもの調子に戻すように肩を竦めた。
「まだ決まったわけじゃないもんねえ」
そう言いながらも、ショットガンへ添えた手は離していなかった。
アルはそれを見て、何も言わず視線を逸らした。
さっき入口で感じたものを、少しだけ思い出していた。
「管理棟、もう近い」
カヨコが言った。
全員の視線が奥へ向く。
薄暗い通路の先。
ガラス張りの小さな部屋が見えていた。
* * *
管理室の中には、複数の端末が並んでいた。
古いものばかりだ。
大半は完全に電源が落ちている。
机には埃が積もり、壁際の書類棚もほとんど空だった。
それでも。
「……これだね」
カヨコが一台の端末の前で止まる。
「何が?」
先生が聞く。
カヨコは端末を指差した。
「中央管理端末」
「これ?」
「依頼書に書いてある対象の一つ」
その言葉で、翔たちの視線が集まった。
「これを壊せって?」
翔が確認する。
「うん」
カヨコの返事は短い。
アルが少し気まずそうに腕を組んだ。
「正確には、施設を使用不能にするための対象の一つよ」
「端末だけ?」
「搬入口の制御設備と、荷役設備の一部も」
「……ずいぶん管理機能を狙ってるね」
先生が端末を見ながら言った。
「そうなんだよね」
カヨコも同じ場所を見る。
端末は古い。
だが、よく見るとモニターの縁や操作盤の一部だけ埃が薄かった。
翔が近づく。
「最近触られてる」
アルの表情が僅かに変わる。
「分かるの?」
「周りと比べれば」
翔は画面の横にある電源表示を見る。
「しかも、完全には死んでない」
「動く?」
「試してみる」
「待って」
先生が止める。
「危なくない?」
「ネットワークに繋がってるか分からないし、まず状態だけ見る」
翔は風紀委員会から借りている調査端末を取り出した。
直接操作する前に、端子と配線を確認する。
いくつかは切断されている。
だが、ローカル側の電源系統はまだ生きていた。
「施設全体の電源は落ちてるんじゃなかったの?」
アルが聞く。
「全部じゃない」
翔は答える。
「最低限の管理系だけ残ってるみたいだ」
「何のために?」
「普通なら、設備の状態監視とか記録保持」
「記録……」
カヨコが小さく繰り返す。
翔が端末を起動する。
しばらくして。
古い画面が、鈍い光を放った。
「動いた」
先生が少し身を乗り出す。
「見られそう?」
「管理ログなら」
翔は操作する。
特別な保護はかかっていない。
施設の管理者が通常確認するための履歴が残っている。
「……これ」
画面を見た翔の声が少し低くなった。
「何?」
ホシノが近づく。
「昨日、動いてる」
「どれが?」
「搬入口」
表示された記録。
昨日の夜。
複数回の開閉履歴。
さらに。
「大型車両用ゲートも」
シロコが画面を見る。
「時間は?」
「セリカが攫われた後と重なる」
ホシノの表情から、笑みが消えた。
アルも黙る。
先生が静かに聞く。
「他には?」
翔が記録を辿る。
「一時的に電力消費が上がってる」
「荷役設備?」
「それもある。でも、それだけじゃ説明つかないくらい」
カヨコが画面へ目を細める。
「さっきの電源設備」
「ああ」
「そこに繋いだ何かも動かしてた可能性がある」
「あるな」
「車両の情報は?」
シロコが尋ねる。
翔は少し操作してから首を横へ振った。
「登録番号がない」
「消されてる?」
「最初から入れてないか、消したか」
「利用者は?」
「それも残ってない」
先生が少し考える。
「じゃあ、分かるのは」
指を一つずつ折る。
「昨日、この施設の搬入口が何度か使われた」
「大型車両用のゲートも動いた」
シロコが続ける。
「電力も一時的に大きく使われた」
カヨコも加える。
「でも、誰が使ったかは分からない」
「そういうこと」
翔が頷いた。
「これだけで誘拐に使われたって断定はできない。でも」
「偶然にしては重なってるねえ」
ホシノが静かに言う。
今度は誰も否定しなかった。
その時。
「……待って」
カヨコの声が落ちる。
「どうした?」
アルが見る。
カヨコは自分の端末を開いた。
依頼書。
指定対象。
そして目の前の中央管理端末。
何度か見比べる。
「これ」
指差す。
「この端末、壊せって言われてる」
先生がカヨコを見る。
「……この記録が入ってる端末を?」
「うん」
部屋の空気が変わった。
ムツキの笑みも薄くなる。
ハルカもアルを見る。
「アル様……」
「……分かってるわ」
アルは答えた。
けれど、声にいつもの勢いはない。
「たまたまかもしれないでしょ」
「可能性はある」
カヨコは否定しなかった。
「でも」
依頼書を閉じる。
「昨日この施設を使った記録が残ってる端末を、今日になって壊せって言われてる」
「……」
「しかも、施設自体はほとんど使われてない」
アルが黙る。
言い返したい。
何か別の理由があると言いたい。
けれど、自分でも分かっていた。
さすがに。
ここまで来ると、ただの偶然と言い切るには苦しい。
「依頼人、これ知ってたのかな~」
ムツキがぽつりと言う。
「知らなかった可能性もある」
カヨコが答える。
「でも、知ってた可能性もかなり上がった」
「……」
「社長」
「何よ」
「少なくとも、今ここで壊すのはやめた方がいい」
アルはしばらく黙っていた。
そして。
「……分かったわ」
小さく答える。
「今は、ね」
「うん」
それだけで十分だった。
翔がアルたちを見る。
「お前ら」
「何よ」
「この施設が昨日の事件と関係あるかもしれないって、事前に聞かされてたか?」
「……いいえ」
アルが答える。
「何も」
カヨコも続ける。
「ここが使われてない施設だってことも、自分たちで調べた」
「そうか」
翔は短く頷いた。
「じゃあ、今の時点でお前らを責める理由はないな」
「……え?」
アルが少し目を見開く。
「依頼人から何も聞かされてなかったんだろ」
「そうだけど……」
「だったら、お前らが昨日の件を知ってた前提で話しても仕方ない」
「……」
アルは何か言おうとした。
だが、言葉が出ない。
「意外?」
ムツキが横から楽しそうに聞く。
「な、何がよ!」
「もっと怒られると思ってた顔してる」
「してないわよ!」
「してたよね~」
「してない!」
「くふふっ」
少しだけ空気が戻る。
先生はその様子を見てから、中央管理端末へ視線を戻した。
「じゃあ、この記録は残しておこう」
「コピーする?」
翔が聞く。
「うん」
「俺の端末に落とす」
「私も」
カヨコが言う。
「依頼内容と一緒に残しておきたい」
「いいと思う」
先生が頷く。
アルも反対しなかった。
翔が転送操作を始める。
画面上に進行表示が出る。
十パーセント。
二十。
三十。
「……こういうの、ちゃんと残ってるんだね」
ムツキがモニターを覗き込む。
「古い施設ほど、逆にローカル記録が残ることもある」
翔が答える。
「新しいところだと全部外部管理だったりするから」
「詳しいね~」
「調べ物してれば覚える」
「ふーん」
四十。
五十。
その時。
画面が一度だけ揺れた。
「……ん?」
翔の指が止まる。
「どうした?」
先生が聞く。
「今、何か入った」
「何か?」
カヨコも画面を見る。
一瞬。
通信表示が点灯していた。
「外と繋がった?」
「分からない」
翔が操作する。
「この端末、外部回線は切れてたはずなんだけど」
「じゃあ今のは?」
「確認する」
六十。
突然。
管理ログの一部が消えた。
「……は?」
アルが声を漏らす。
次の瞬間。
また一行。
その下も。
「ログが」
シロコが言う。
「消えてる」
「勝手に?」
先生の声が変わった。
翔がすぐに操作を止める。
「誰か触ってる」
「ここに人はいないよね」
ホシノが周囲を見る。
「少なくとも、この部屋には」
カヨコが答える。
さらに記録が消える。
一つずつではない。
今度は纏まって。
「……まずい」
翔が低く言った。
「外から消されてる」
カヨコも同時に気づく。
「誰かがまだこの施設にアクセスできる」
その瞬間。
天井近くの警告灯が赤く点いた。
遅れて。
施設の奥から、重い機械音が響いた。
「何!?」
アルが振り返る。
遠くで金属の擦れる音。
一つ。
二つ。
いくつものシャッターが、同時に動き始めている。
先生の表情から、さっきまでの柔らかさが消えた。
「全員、動くよ」
その一言で。
空気が完全に変わった。