青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
最近少しバタついてて、オデュッセイアの新ストーリーをようやくじっくりと読了出来ました!シルバーウィーク万歳!
今回のストーリーは動物を飼ったことがある人ならみんな感じ入る物があるんじゃないですかね。私も以前一緒に過ごしていたペットを思い出しましたよ……。
校舎の陰。
前線から完全に視線が切れた場所まで移動すると、ジョーカーは足を止めた。
周囲を見回す。
人影はない。
追ってくる足音も聞こえない。
そこでようやくロストドライバーへ手を掛け、展開していたバックルを戻した。
黒い装甲が光へほどけるように消え、翔の姿へ戻る。
「……危なかった」
思わず声が漏れた。
脳裏に浮かぶのは、先生へ一直線に飛んでいったロケット弾だ。
あと少し気づくのが遅ければ。
変身するための死角を探すのに手間取っていれば。
考えたくもない。
翔はジョーカーメモリをしまい、ロストドライバーも外した。
先生が無事だったことは、自分の目で確認している。
それでも胸の奥に残った緊張は、すぐには消えてくれなかった。
服装を簡単に整えると、戦闘前に待機するよう言われた場所へ一度戻る。
すぐに皆の前へ姿を見せるのは避けたかった。
遠くでは、もう銃声は聞こえない。
代わりに、耳元の通信機からアヤネの声が聞こえた。
『翔さん、聞こえますか?』
「ああ、聞こえる」
『戦闘は終わりました。武装集団も撤退しています』
「先生たちは?」
『皆さん無事です。先生も怪我はありません』
分かっていた。
それでも改めて聞くと、自然と肩から力が抜ける。
「……そっか」
『今なら戻ってきても大丈夫だと思います』
「分かった。今から行く」
通信を切る。
一度だけ深く息を吐いてから、翔は学校前へ向かった。
* * *
「おーい」
声を掛けながら戻ると、最初にこちらへ気づいたのは先生だった。
「あ、翔」
その声に、シロコたちも振り返る。
「終わった?」
「うん。もう大丈夫」
先生が頷いた。
「そっちは?」
「ずっと後ろにいたよ。途中ですごい音したけど」
「……ああ」
先生が何とも言えない顔をする。
「ロケットランチャーを撃たれた」
「は?」
翔は眉を寄せた。
「先生に?」
「うん」
「おい」
「無事だったから」
「そういう問題じゃないだろ」
少し強めに返すと、先生が困ったように笑う。
「それ、さっきもみんなに言われた」
「でしょうね」
セリカが腕を組んだまま頷いた。
「本っ当に危なかったんだから!」
「先生、前に出すぎ」
シロコも続ける。
「今回は後ろにいたつもりなんだけどなあ」
「撃たれる位置にいた」
「……はい」
先生が少し小さくなる。
翔はその様子を見てから、周囲へ目を向けた。
「それで、あいつらは?」
「撤退したよ」
ホシノが答える。
「黒い仮面の人が出てきてから、一気に崩れちゃってねえ」
「また来たのか?」
何も知らないように尋ねる。
「来たどころじゃないわよ」
セリカが身を乗り出した。
「先生に向かって飛んできたロケットを蹴り飛ばしたの!」
「……ロケットを?」
「そう!」
「すごかったよ」
先生の声だけ、妙に弾んでいる。
翔はじっと先生を見る。
「先生」
「何?」
「何で嬉しそうなんだよ」
「いや、だって実際すごかったし」
「さっき死にかけたんだろ?」
「それとこれは別」
「別にするなよ……」
思わず本音が漏れる。
先生は少し不満そうだったが、シロコが隣で頷いた。
「翔の言う通り」
「味方がいない……」
「当然でしょ!」
セリカが即答した。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩む。
その中で、ノノミが傭兵たちの退いていった方向へ目を向けた。
「でも、少し不思議でしたね~」
「何が?」
翔が尋ねる。
「傭兵の方たちです。黒い仮面の方が現れた途端、かなり慌てていましたから」
「何人か、前にも会ったことがあるみたいだった」
シロコが補足する。
「特殊兵器を持ってても何もできなかったって言ってた」
「……ブラックマーケット辺りで噂になってるのかもな」
「噂?」
先生が反応する。
「ああ。誰がどこで誰にやられたとか、ああいう場所ならすぐ広まりそうだろ」
「武器を壊されるって話も?」
「多分。話が伝わるうちに、かなり盛られてる可能性もあるけど」
翔は僅かに視線を逸らした。
少なくとも、今まで普通の銃器まで片っ端から壊したことはない。
狙っていたのは疑似メモリ兵器だ。
けれど今日は違った。
先生へ危害を加えようとした武器は、実際にいくつも壊した。
これで噂の方が現実へ追いついてしまったことになる。
今後さらに話が大きくなることを考えると、少し頭が痛かった。
「でもさあ」
ホシノがぽつりと言った。
「今日の相手、例の変な兵器は持ってなかったよねえ」
翔の視線が戻る。
「俺も気になってた」
「疑似メモリ兵器?」
セリカが尋ねる。
「ああ。あれだけ人数を集めてたのに、見た限りじゃ一つもなかった」
「ロケットランチャーは十分変な武器だと思うけど……」
「そういう意味じゃなくて、技術の話」
翔が苦笑する。
「少なくとも、疑似メモリ兵器らしい装備は見当たらなかった」
「昨日の施設では、あれだけ気になる痕跡が見つかったのにね」
先生が呟く。
「今回の襲撃では使われてない」
「単純に用意できなかっただけかもしれないよ~?」
ホシノが言う。
「うん。それも十分あると思う」
先生は素直に頷いた。
「だから、それだけなら別におかしくはないんだけど……」
「依頼の条件」
シロコが言った。
先生がそちらを見る。
「黒い仮面の人が出たら、戦わないで報告するように言われてた」
『場所や時間も、でしたよね?』
通信越しにアヤネの声が入る。
『昨日のお話では、何をしていたか、それから誰を守ったかまで報告するよう指定されていたと』
「そうだったね」
先生の表情が少しだけ変わった。
翔も黙って考える。
疑似メモリ兵器がない。
それでも黒い戦士は現れた。
きっかけは、先生へ向けられたロケット弾。
そして依頼した側は、黒い戦士が誰を守ったのかまで知りたがっている。
「……もし」
翔が口を開く。
「依頼した側が、あの黒い戦士の行動を知りたかったんだとしたら」
「今日の襲撃そのものが、そのためにも使えた?」
先生が続けた。
「ああ」
「ちょっと待って」
セリカが眉を寄せる。
「じゃあ、最初から仮面ライダーを出すために襲ってきたってこと?」
「そこまでは言えない」
翔は首を横へ振った。
「便利屋68が受けてた仕事は、アビドスに圧力を掛けることだった。少なくとも、本人たちはそのつもりで戦ってたと思う」
「ロケットを撃ったのも、便利屋68の指示じゃなかった」
シロコが言う。
「うん」
先生も頷く。
「アル、本気で止めようとしてたからね」
「でも、その依頼を出した側が、別のことも知りたがってた可能性はある……?」
ノノミが尋ねる。
「それなら筋は通ると思う」
翔は答えた。
「疑似メモリ兵器を使わない状況でアビドスを襲う。それでもあの黒い戦士が出てくれば、『特殊兵器だけを追ってるわけじゃない』って分かる」
「それで、誰を守ったのかまで聞いてた」
先生が呟く。
「今日なら答えは先生」
シロコが即座に言った。
「私?」
「ロケットが飛んだ直後に出てきた」
「……まあ、そうなんだけど」
「その後も」
ホシノが口を挟む。
「先生を狙ってた武器を優先して壊してたよねえ」
「自分を撃った人にも反撃してた」
シロコが続ける。
「でも、武器を下ろした人は追わなかった」
「……よく見てるな」
「見てた」
即答された。
翔は少しだけ目を逸らす。
「そうなると」
先生が顎へ手を当てる。
「誰かが知りたかったのは、『あの人がいるかどうか』だけじゃなくて、『どういう時に動くのか』なのかもしれないね」
「アビドスが襲われた時とか?」
セリカが言う。
「あるいは先生が危険になった時」
翔が続けた。
「どっちなのかは、今日だけじゃ分からないけど」
「両方かもしれないしねえ」
ホシノが言う。
「そう」
先生も頷く。
「だから今は、そのくらいかな」
「また可能性なのね」
セリカが半眼で翔を見る。
「また可能性」
「ほんっと慎重ね」
「昨日それでいいって言った奴がいたからな」
翔がシロコを見る。
「ん」
シロコは表情を変えない。
「今もその方がいいと思う」
「そうかよ」
「おじさんも賛成かなあ」
ホシノがのんびりと続ける。
「何か企んでそう、くらいで覚えておけば十分じゃない?」
「その言い方だとかなり雑だけど」
先生が苦笑する。
「でも、今はそれくらいでいいと思う」
誰が。
何のために。
黒い仮面の戦士の行動を知りたがっているのか。
そこまではまだ見えない。
けれど、便利屋68へ妙に細かな報告条件を付けた相手がいることだけは確かだった。
「そういえば」
ノノミがふと思い出したように言う。
「便利屋68の皆さん、この後その依頼人へ報告するんでしょうか~?」
「直接じゃなくて、仲介人だったはず」
翔が答える。
「多分、そっちには連絡するんじゃないか?」
「黒い仮面の人が出たんだもんね」
先生が呟く。
「向こうが一番聞きたがってた情報だし」
その言葉に、一瞬だけ全員が黙った。
今回の襲撃が終わったからといって、何もかもが終わったわけではない。
むしろ。
誰かが欲しがっていた情報は、今まさに持ち帰られようとしている。
「……何か嫌ね」
セリカが顔をしかめた。
「こっちで何か起きるたびに、知らない誰かへ情報が渡ってくみたいで」
「うん」
先生の声から、先ほどまでの軽さが少し消える。
「だから、こっちも覚えておこう」
「何を?」
「今日、何が起きたか」
先生は傭兵たちが去った方角を見る。
「向こうが何を知ったのか分からなくても、私たちは私たちで残しておけるから」
『戦闘記録はこちらでも保存しておきます』
アヤネが答える。
『接近経路や人数、使用された装備も、確認できる範囲で整理しておきますね』
「お願い」
「俺も後で見たい」
『はい、翔さんにも共有します』
「ありがとう」
そこで一度、本筋の話が途切れた。
少しだけ静かになったところで、先生が翔を見る。
「ところで」
「ん?」
「さっき、仮面ライダーと話したんだけど」
「……へえ」
急に変わった話題に、翔はできるだけ普通の顔を保つ。
「また今度って言ってくれた」
「何が?」
「また会う約束」
「それ、約束なのか?」
「私はそう受け取った」
「勝手だな……」
「何で翔がそんなに呆れてるの?」
「いや、普通そう思うだろ」
「でも、また今度って言ったんだよ?」
「社交辞令かもしれないだろ」
「仮面ライダーにも社交辞令あるの?」
「知らないよ!」
思わず声が強くなった。
先生が不思議そうにこちらを見る。
「……翔、なんか詳しそう」
「詳しくない」
「即答」
「今のは誰でも分かるだろ」
「先生、さっきからそればっかりね」
セリカが呆れたように言う。
「大事なことだから」
「絶対違うでしょ……」
ノノミがくすくすと笑い、ホシノも肩を揺らす。
シロコだけは少し考えるように先生を見てから、ぽつりと言った。
「また会えたら聞けばいい」
「ほら、シロコもこう言ってる」
「会えるかどうかがまず分からないだろ」
「約束したから大丈夫」
「だから約束じゃ――」
翔は途中で諦めた。
どう言っても先生の中では、すでに約束になっているらしい。
もっとも。
本当にまた会うことになるのは、翔自身が一番よく分かっていた。
それを口にするわけにはいかないが。
笑い声が混じる中、翔はもう一度、傭兵たちが消えていった先へ目を向ける。
便利屋68は、今日の出来事を持ち帰る。
そして、その報告を待っている誰かがいる。
その相手が何を考え、次に何をするのか。
まだ何も分からない。
だからこそ、こちらも一つずつ確かめていくしかなかった。
* * *
アビドス高等学校から十分に距離を取った頃には、追ってくる気配も完全になくなっていた。
砂に半ば埋もれた道路脇。
便利屋68は一度足を止め、撤退してきた傭兵たちの状況を確認していた。
重傷者はいない。
だが、戦闘前と同じ状態とも言い難かった。
「……私の銃」
一人の少女が、機関部の潰れたアサルトライフルを両手で抱えている。
「これ、直るかな……」
「そっちはまだいいじゃん。私の見てよ」
「うわ」
「何その反応!?」
別の場所では、銃身の大きく曲がった武器を囲んで何人かが頭を抱えていた。
「だから言ったじゃん! あいつには手を出さない方がいいって!」
「前は普通の銃は壊さなかったって言ってたでしょ!」
「私だって何で今回壊したのか知らないよ!」
「これ自前なんだけど!」
「私も!」
あちこちから不満と悲鳴が聞こえてくる。
「……もう」
アルは額へ手を当てた。
「アルちゃん、大変そうだね~」
「他人事みたいに言わないで!」
ムツキは楽しそうだったが、アルには笑っている余裕などない。
視線を巡らせる。
やがて、少し離れた場所で気まずそうに座っている少女を見つけた。
「……あなた」
「え」
ロケットランチャーを撃った本人だった。
アルが近づくと、少女は露骨に視線を逸らす。
「こっち見なさい」
「……はい」
「私、何回言った?」
「何を?」
「勝手なことするなって!」
「……何回か」
「何回かじゃないわよ!」
アルの声が響き、周囲の傭兵たちがちらりとこちらを見る。
「しかも、よりによって先生へロケットランチャーって何なのよ!」
「だって……ずっと指示出してたの、あの先生だったし」
「だからって撃っていいことにはならないでしょ!」
「当てるつもりはなかったし……」
その一言で、アルの表情がさらに険しくなる。
「実際に当たりそうになったでしょうが!」
「……」
「黒い仮面の戦士が間に入らなかったら、どうなってたと思ってるのよ」
少女は黙り込んだ。
「……ごめん」
ようやく出た言葉に、アルもそれ以上は怒鳴らなかった。
小さく息を吐く。
「謝るなら私じゃないわ。今度あの先生に会ったら言いなさい」
「……うん」
「まったく……」
アルが戻ってくると、カヨコが端末を手に待っていた。
「社長」
「何?」
「そろそろ報告した方がいい」
「……そうね」
今回の依頼には、通常の戦闘結果とは別に報告を求められている項目がある。
黒い仮面の戦士。
いつ、どこへ現れたか。
何をしたか。
誰を守ったか。
改めて考えても、妙に細かい条件だった。
「今日だけで、聞かれてたことほとんど分かっちゃったね~」
ムツキが横から言う。
「嬉しそうに言わないで」
「嬉しくはないよ?」
「顔がそう見えないのよ!」
「社長」
カヨコが淡々と話を戻す。
「報告するなら、見たことだけでいい」
「分かってるわよ」
アルは携帯端末を取り出した。
「黒い仮面の戦士が現れた。先生へ飛んだロケット弾を止めた。その後、先生を狙った武器と、自分を攻撃した武器を破壊した」
「撤退中は追ってこなかった」
「それもね」
ハルカが少し考えてから口を開く。
「先生をお守りするために現れたのでしょうか?」
「そこまでは分からない」
カヨコが答えた。
「でも、出てきたタイミングはそう見える」
「……そこなのよね」
アルが眉を寄せる。
「昨日からずっと気になってたけど、何で依頼人はそんなことまで知りたがるのよ」
「危険な相手だから居場所を知りたい、だけなら」
カヨコが続ける。
「場所と時間で十分」
「誰を守ったか、まではいらないね~」
ムツキが笑みを薄くする。
「つまり、あいつがどう動くのか知りたい?」
「かもしれない」
「またそれ?」
「断定できないから」
「……分かってるわよ」
アルは不満そうに口を尖らせた。
昨日の旧物流施設。
何に使われていたか知らされないまま、設備の破壊を依頼された。
そして今日。
アビドスへ圧力を掛ける仕事の裏で、黒い仮面の戦士について妙に細かな報告を求められている。
一つ一つなら偶然で済ませられる。
だが、続くとさすがに気になる。
「とにかく、聞くわ」
アルが端末を操作する。
「何を?」
ムツキが尋ねる。
「今日の報告。それと、昨日の施設も含めて、こっちに隠してることがあるんじゃないかって」
「契約やめる?」
「まだそこまで言ってないってば!」
アルがすぐに否定する。
「引き受けた仕事を途中で投げるつもりはないわよ。でも、必要なことまで隠されたまま仕事するのは別!」
「アルちゃん真面目~」
「うるさい!」
呼び出し音が数度鳴った。
やがて、通話が繋がる。
『――はい』
聞き覚えのある仲介人の声だった。
「便利屋68よ」
『確認しています。作戦は終了しましたか?』
「ええ。終了したわ」
『結果を』
アルは一瞬だけ眉をひそめた。
まず聞くのはそこらしい。
「アビドス側への攻撃は継続したけど、最終的には撤退した。追加で用意された傭兵も一緒よ」
『理由は?』
「理由って……」
アルの声に苛立ちが混じる。
「そっちがわざわざ報告しろって言ってた黒い仮面の戦士が出てきたからよ」
通話の向こうが僅かに静かになった。
『詳しくお願いします』
「……やっぱりそこ食いつくのね」
『契約上必要な報告事項です』
「はいはい」
アルは一度息を吐く。
「場所はアビドス高等学校の前。時間はさっき。こっちの傭兵の一人が勝手に先生へロケットランチャーを撃った直後に現れたわ」
『先生、というのはシャーレの?』
「そうよ」
『続けてください』
今度はカヨコがアルを見る。
やはり。
妙に反応が早い。
「最初にやったのは、そのロケットを止めること」
『どのように?』
「蹴って逸らしたわよ!」
アルが思い出したように声を上げる。
「何なのよあれ!?」
『……続けてください』
「そこ何か反応しなさいよ!」
「社長」
「分かってるわよ!」
アルは咳払いする。
「その後、まだ先生を狙ってた傭兵の武器を壊した。それから、本人へ撃ち始めた連中の武器も何本か」
『人的被害は?』
「少なくとも、あいつ自身が生徒を狙って攻撃したところは見てないわ。武器を壊されたくらい」
『撤退時の追撃は?』
「なし」
『アビドス側との接触は?』
「先生と少し話してたわね」
そこで通話の向こうが一瞬だけ止まった。
『内容は?』
「知らないわよ。そこまで聞こえる距離じゃなかったし」
『他には?』
「それくらいよ」
アルの眉がさらに寄る。
「ねえ」
『何でしょう』
「今度はこっちから聞かせてもらうわ」
声から軽さが消えた。
「昨日の施設もそう。今回の黒い仮面の戦士の件もそうだけど、こっちに必要な情報を隠してない?」
『何を根拠に?』
「昨日、私たちが壊すように言われた設備と、あの施設で実際に使えなくなっていった設備がほとんど同じだった」
アルは指を折る。
「しかも施設は直前まで誰かに使われてた。今日は今日で、普通の妨害依頼のくせに黒い仮面の戦士が誰を守ったかまで報告しろって?」
『以前説明した通り、あの施設については旧式の保安設備が残っている可能性が――』
「それ、昨日も聞いたわ」
アルが遮った。
「聞きたいのはそこじゃないの」
カヨコがアルへ視線を向ける。
少し感情的ではある。
だが言っていること自体は間違っていない。
「あなたたち、本当は何を調べてるの?」
短い沈黙。
仲介人はすぐには答えなかった。
『依頼の目的は、これまでお伝えしている内容が全てです』
「……本当に?」
『便利屋68にお願いしていたのは、アビドスに対する継続的な圧力と妨害です』
「じゃあ黒い仮面の戦士については?」
『作戦中に遭遇する可能性が確認されていたため、危険回避の目的で情報収集を依頼していました』
「危険回避に、誰を守ったかまでいる?」
カヨコが横から尋ねた。
今度は少し長い間があった。
『今後遭遇した場合の行動傾向を把握するためです』
「ふーん」
ムツキが小さく笑う。
納得した笑い方ではない。
「便利な説明だね~」
『何か?』
「別に?」
アルも不満そうではあったが、それ以上押しても答えは出そうにないと判断したのか息を吐いた。
「……まあいいわ」
『では』
「でも次からは、現場に関係することを隠さないでちょうだい」
アルははっきりと言った。
「こっちは仕事として引き受けてるの。何も知らされないまま危険なところへ放り込まれるのは困るわ」
『承知しました』
「本当に分かってる?」
『はい』
「ならいいけど」
アルは端末を持ち直した。
「それで、次は?」
『次、とは?』
「次の仕事よ」
当然のように言った。
「今日の分は失敗扱いになるんでしょうけど、契約そのものはまだ――」
『その件ですが』
「何?」
『今回をもって、貴社との契約を終了いたします』
「……」
アルの動きが止まった。
ムツキが瞬きをする。
ハルカも目を見開き、カヨコだけが僅かに眉を動かした。
「……は?」
『本日をもって、アビドス関連業務から便利屋68には撤退していただきます』
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
アルが端末を握り直す。
「何でそうなるのよ!」
『本日の作戦結果を踏まえた判断です』
「結果って……!」
『こちらは追加の戦力を手配し、その現場指揮も便利屋68へ一任しました』
淡々とした声。
『しかし、アビドスへの圧力を維持できず、部隊は撤退。作戦目標を十分に達成できなかったと判断しています』
「それは傭兵が勝手に――!」
『現場指揮を含めての契約です』
アルの言葉が止まる。
『個々の傭兵が指示に従わなかったことも含め、現場で発生した事象についてはこちらでは結果を基準に判断します』
「……」
理屈としては通る。
少なくとも、契約上は。
だからこそ余計に腹が立つ。
「じゃあ、報酬は?」
カヨコが尋ねた。
『前金の返還は必要ありません』
アルが僅かに息を吐く。
だが、続く言葉ですぐに表情が戻った。
『加えて、昨日までの追加業務と本日の実働分について規定額を支払います』
「残りは?」
『契約途中終了のため、お支払いできません』
「……いくらになるの?」
アルの声が低くなる。
仲介人が金額を告げた。
全員が一度黙った。
ムツキが指を折り始める。
「前金と、昨日の分と、今日の分だから……」
「……半分にも届いてない」
カヨコが先に答えた。
「え?」
アルが固まる。
「ちょっと待って」
もう一度計算する。
「嘘でしょ?」
「アルちゃん」
ムツキがにこりと笑う。
「昨日使った爆薬」
「……」
「今日使った分も」
「……」
「弾薬」
「やめて」
「移動費」
「やめてって言ってるでしょ!」
「それと――」
「ムツキ!」
「はいはい♪」
アルの顔から血の気が引いていく。
ハルカも不安そうにアルを見る。
「アル様……もしかして」
「言わないで、ハルカ」
「はい……」
通話の向こうから仲介人の声がする。
『以上で精算となります』
「ちょっと待ちなさい!」
『何でしょう』
「こっちはまだ契約を続けるつもりだったのよ!」
アルが思わず声を上げた。
「昨日の施設の件だって、今日のことだって、納得してないことはあるわ。でも、だからって引き受けた仕事を途中で投げるつもりは――」
『それは理解しています』
「だったら!」
『しかし、依頼側の判断は変わりません』
あまりにも淡々とした返答だった。
アルの口が止まる。
『これまでの業務については感謝しております』
「……」
『振込処理は追って行います。それでは』
「待っ――」
通話が切れた。
静寂。
アルは端末を耳に当てたまま動かなかった。
「……」
「アルちゃん?」
ムツキが顔を覗き込む。
アルはゆっくり端末を下ろした。
「……私たち」
声が小さい。
「うん?」
「……私たちが切られたの?」
誰もすぐには答えなかった。
アルの顔が少しずつ赤くなる。
「何でよ!」
ついに爆発した。
「こっちは最後までちゃんと仕事するつもりだったのに!」
「まあまあ、アルちゃん」
「まあまあじゃないわよ!」
「社長」
カヨコが静かに呼ぶ。
「何よ!」
「変」
「何が!?」
「タイミング」
アルが止まる。
カヨコは、通話の切れた端末を見る。
「昨日の施設のことを聞いても、向こうは契約を切らなかった」
「……ええ」
「今日も、作戦失敗だけなら追加の指示を出すことはできたはず」
「でも、切った」
ムツキが続ける。
「しかも、黒い仮面の戦士について全部聞いた後にね~」
アルの表情から怒りが少し引いていく。
代わりに、別の色が浮かんだ。
「……まさか」
「分からない」
カヨコはすぐに言った。
「でも」
アビドスの方角を見る。
「向こうが欲しかったものは、もう手に入ったのかもしれない」
アルは何も答えなかった。
黒い仮面の戦士が現れた。
疑似メモリ兵器など使っていない戦場に。
先生が危険になった、その瞬間に。
依頼人が細かく知りたがっていた情報を、こちらはたった今すべて報告した。
そして直後に契約終了。
「……」
アルの眉間へ、深い皺が寄る。
「……ほんっとに」
端末を強く握る。
「気に入らないわね」
今度の声には、先ほどまでの単なる悔しさとは違うものが混じっていた。
カヨコもそれ以上は言わなかった。
まだ推測に過ぎない。
けれど。
少なくとも一つだけ確かなことがある。
便利屋68にとって、この仕事はここで終わった。
そして、自分たちが知らないところでは。
何かが予定通りに進んだのかもしれなかった。
* * *
その頃。
アビドスから遠く離れた場所では、別の報告が上がっていた。
整然とした会議室。
壁際の大型モニターには、今回の作戦に関する簡潔な記録が表示されている。
参加戦力。
交戦時間。
撤退時刻。
損耗。
そして、黒い仮面の戦士の出現記録。
「便利屋68との契約は終了しました」
担当者の報告に、机の奥に座る男が僅かに頷いた。
「精算は?」
「前金に加え、昨日までの追加業務と本日の実働分のみ。総契約額の半分を下回る額です」
「問題は」
「ありません。追加戦力と現場指揮権を与えた上で、アビドスへの圧力維持に失敗したという形で処理しています」
「結構」
カイザー理事は、それ以上便利屋68について興味を示さなかった。
視線はすでに別の資料へ向いている。
「それより、例の戦士だ」
「はい」
担当者がモニターの表示を切り替える。
「今回、疑似メモリ兵器は一切投入していません」
「確認済みか?」
「現場へ供与した装備は全て通常兵器です。追加傭兵についても同様です」
「それでも現れた」
「はい」
画面上に、時系列が表示される。
傭兵部隊による攻撃。
アビドス側の防衛。
長期化。
現場の一部傭兵が独断でロケットランチャーを使用。
目標。
シャーレの先生。
そして、その直後。
黒い仮面の戦士が出現。
「出現の契機は?」
理事が尋ねる。
「先生へのロケット攻撃です。発射後、極めて短い時間で戦場へ介入しています」
「最初の行動は」
「ロケット弾の迎撃」
「その後は?」
「先生へ銃口を向けていた者の武器を優先して破壊。その後、自身へ攻撃を継続した者の武器も破壊しています」
「人的被害は?」
「戦士本人による重傷者は確認されていません」
「撤退した者への追撃」
「なし」
理事は無言のまま画面を見る。
担当者が続ける。
「便利屋68からの報告では、武器を下ろした者には手を出さず、戦闘停止後は追撃も行っていません」
「……なるほど」
理事が指先で机を軽く叩く。
「疑似メモリ兵器が存在しない状況でも出現した」
「はい」
「しかも、最初に守ったのは先生」
「結果だけを見れば、そうなります」
「結果だけでいい」
理事は淡々と言った。
「我々が必要としているのは、彼が何を考えているかではない。何に反応して動くかだ」
担当者が黙る。
「これまで奴は、疑似メモリ兵器が流れた場所へ現れていた」
ブラックマーケット。
輸送経路。
試験投入された兵器。
その周辺で何度も確認されてきた黒い仮面の戦士。
そこだけを見れば。
疑似メモリ兵器そのものを追跡しているとも考えられた。
「だが今回は違う」
理事が画面を見る。
「こちらは疑似メモリ兵器を使っていない」
「はい」
「それでも出てきた」
「……はい」
「なら、少なくとも一つは切れる」
理事が椅子へ背を預ける。
「奴は、疑似メモリ兵器だけを追っているわけではない」
担当者が手元の端末へ記録する。
「アビドスそのものに反応している可能性は?」
「ある」
「先生個人は?」
「それもある」
理事はそこで僅かに目を細めた。
「今日だけでは切り分けられん」
「では、追加観測を?」
「不要だ」
担当者の指が止まる。
「……不要、ですか?」
「現時点ではな」
理事はあっさり答えた。
「我々が知りたかったのは、疑似メモリ兵器がなくても現れるかどうかだ」
それは確認できた。
しかも。
今回の出現は、極めて分かりやすい。
「先生への攻撃に反応した」
「はい」
「それだけでも十分だ」
理事は画面から視線を外す。
「便利屋68をこれ以上雇い続ける理由はない」
「作戦そのものは失敗していますが」
「だからこそ切りやすい」
迷いのない返答だった。
「追加戦力まで与えた。それでもアビドスへの圧力を維持できなかった。契約終了の理由としては十分だろう」
「……なるほど」
「目的を達成した後まで金を払い続ける必要はない」
そこに怒りはなかった。
便利屋68への失望も。
個人的な嫌悪も。
単純に必要がなくなった。
それだけだった。
「それと」
理事が続ける。
「今回の件で一つ問題が増えた」
「黒い仮面の戦士でしょうか」
「違う」
理事の指先が、別の項目を示す。
先生へ向けて発射されたロケットランチャー。
「これだ」
「……傭兵の独断行動」
「我々の指示ではない」
「もちろんです」
「だが、外から見れば区別はつかん」
担当者の表情が引き締まる。
「便利屋68が止めようとしていたことは確認されています」
「それは便利屋68の事情だ」
理事は淡々としている。
「こちらにとって重要なのは、必要以上に目立つ行動が起きたという事実だ」
「今後の運用を変更しますか?」
「少なくとも、同じ形は使わん」
疑似メモリ兵器を直接投入する。
外部の不良集団へ任せる。
あるいは、今回のように傭兵を大量に集める。
どれも痕跡が残る。
「便利な駒ほど、使い方を誤ればこちらへ道を作る」
理事は低く言った。
「黒い仮面の戦士だけではない。先生もいる」
「……はい」
「アビドスも、以前より動きが読みにくくなっている」
カイザーにとって。
アビドスは本来、弱体化し続ける自治区だった。
債務。
人口減少。
戦力不足。
時間を掛ければ、いずれ抵抗する力を失う。
そのはずだった。
だが今は、先生がいる。
黒い仮面の戦士がいる。
さらに、疑似メモリ兵器の流通を追っている外部協力者までアビドスに滞在している。
「予定外が増えたな」
理事が呟く。
「風間翔については?」
「ゲヘナ風紀委員会の外部協力者として、アビドス周辺で調査を続けています」
「黒い仮面の戦士との関係は」
「現時点では確認できていません」
「なら、まだ触るな」
即答だった。
「監視だけでいい」
「承知しました」
「余計な刺激を与える必要はない」
理事は再びモニターへ目を向けた。
表示されているのは。
先生へ迫るロケット弾。
その前へ割り込む黒い影。
「……少なくとも」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「守る対象はあるらしい」
それがアビドスなのか。
先生なのか。
あるいは、その両方なのか。
まだ分からない。
だが、分からないものを、分からないままにしておく必要もない。
「しばらく様子を見る」
「はい」
「こちらから次の手を打つ必要はない」
理事は画面を閉じた。
「向こうが動けば、その時に見ればいい」
会議室から光が一つ消える。
便利屋68を使った観測は、そこで終わった。
カイザーにとって。
今回の作戦は、失敗ではなかった。
* * *
アビドス自治区から離れる道の途中。
先ほどの戦闘から撤退した傭兵たちの一部は、便利屋68とは別の方向へ歩いていた。
仕事は終わった。
報酬がどうなるかは後で連絡が来るらしい。
だが今の彼女たちにとって、それ以上に深刻なのは手元の装備だった。
「……最悪」
一人の少女が、潰れた銃の機関部を覗き込む。
「これ絶対修理代高いって」
「だから撃つなって言ったじゃん」
「だって、あの黒いのが本当にあそこまで強いなんて知らなかったし」
「知ってる子たちは止めてたでしょ」
「『特殊兵器すら壊された』って話だけ聞いて、普通の銃なら大丈夫かなって……」
「大丈夫じゃなかったね」
「見れば分かる!」
ぎゃあぎゃあと言い合いながら歩いていく。
少し後ろでは、以前にも黒い仮面の戦士と遭遇したことのある少女が深いため息を吐いていた。
「だから嫌だったんだよ……」
「何が?」
「あいつが出てくるの」
「でも、今回は特殊兵器なんてなかったじゃん」
「それなのに出てきたから言ってるの!」
少女は振り返る。
「あの先生にロケット撃った途端だよ!? いきなり飛び込んできて、蹴って弾逸らして、その後こっちの武器まで壊して!」
「ロケット撃ったのは私たちじゃないけどね」
「同じ部隊にいたら向こうから見れば一緒でしょ!」
「でも、あれ撃った子も怒られてたじゃん。便利屋の人に」
「そりゃ怒られるでしょ。勝手に先生狙ったんだから」
その一言だった。
「――今」
声がした。
傭兵たちの足が止まる。
「え?」
周囲を見回す。
誰もいなかったはずの道。
崩れかけた建物の陰から、一人の少女が姿を現した。
狐の面。
長い黒髪。
静かな足取りでこちらへ近づいてくる。
狐坂ワカモだった。
本来なら、彼女がここにいる理由などなかった。
少なくとも、アビドスで起きている事件そのものには。
彼女が今日この周辺まで来ていた理由は、もっと単純だった。
先生がアビドスにいる。
その話を耳にしたから。
会いたかった。
顔を見たかった。
できることなら、もう一度言葉を交わしたかった。
そこまで来ておきながら、いざアビドスへ近づくと足が止まった。
先日、初めて先生と出会った時の自分を思い出したからだ。
あの時ですら、まともに平静を保てなかった。
今、何の前触れもなく姿を見せれば、また何を口走るか分からない。
だから少しだけ。
本当に少しだけ遠くから様子を窺って、それから帰ろう。
そう思っていた。
その時だった。
アビドス高等学校の方角から、立て続けに銃声が響いた。
爆発音。
煙。
そして、明らかに一発だけ異質な重い轟音。
考えるより先に、ワカモは走っていた。
けれど、たどり着く前に銃声は止んだ。
代わりに見つけたのが、こちらへ撤退してくる武装した少女たちだった。
何があったのか。
先生は無事なのか。
そう声を掛けようとした矢先。
彼女たちの口から聞こえてきたのが、今の言葉だった。
「今、何と仰いました?」
柔らかな声だった。
だからこそ、何人かが反射的に一歩下がった。
「な、何って……」
「先生を」
ワカモが僅かに首を傾げる。
「狙った、と聞こえたのですが」
「……」
誰もすぐには答えなかった。
その沈黙だけで、ワカモの笑みがほんの少し深くなる。
「聞き間違いでしたでしょうか?」
「いや、その……」
一人が隣を見る。
別の少女が首を横へ振る。
「わ、私たちは撃ってないからね!?」
「ええ」
ワカモは穏やかに頷く。
「では、どなたが?」
「一緒に雇われてた子が……」
「雇われて?」
声色は変わらない。
だが、その二文字を聞いた瞬間だけ、ワカモの視線が鋭くなった。
「先生を襲うよう頼まれたということでしょうか?」
「ち、違う違う!」
少女たちが慌てて両手を振る。
「先生個人を狙えなんて依頼じゃなかった!」
「アビドスへの攻撃! 妨害っていうか、圧力掛ける仕事!」
「先生にロケット撃ったのは、あの子が勝手にやったの!」
「便利屋の人たちも止めてたから!」
次々と飛び出す言葉。
ワカモは黙って聞いていた。
「……ロケットを」
小さく呟く。
「先生へ?」
「……うん」
返事をした少女が、すぐに付け足した。
「でも当たってない!」
「黒い仮面の奴が止めたから!」
ワカモの目が動く。
「黒い仮面……?」
「知らない?」
「最近ブラックマーケットで噂になってる奴。めちゃくちゃ強いやつ」
「先生にロケットが飛んだ瞬間に出てきて、蹴って逸らしたんだよ」
「……」
ワカモはしばらく何も言わなかった。
胸の奥で張り詰めていたものが、ほんの僅かに緩む。
「先生は」
声が少しだけ変わる。
「ご無事なのですね?」
「う、うん」
「怪我してるようには見えなかったよ」
「そう……」
ワカモが静かに息を吐いた。
「よかった……」
その言葉だけは、先ほどまでとは違い、心の底から零れ落ちたものだった。
だが安堵は長く続かなかった。
先生は無事だった。
今回は。
もし、その黒い仮面の人物が間に合わなかったら。
もしロケットの軌道が僅かに違っていたら。
そもそも。
武装した集団がアビドスへ送り込まれなければ、先生がそんな危険に晒されることもなかった。
「……では」
ワカモが顔を上げる。
「その依頼をした方は、どなたなのでしょう?」
「え」
「先生を直接狙う依頼ではなかったことは分かりました」
穏やかに話す。
「ですが、その方が大勢の武装した方々をアビドスへ送り込んだ結果、先生はロケット弾を向けられることになった」
傭兵たちが黙る。
「今回はご無事でした」
笑みは消えない。
「では、次もそうだと?」
「……」
「同じ方が、もう一度同じことをしないと、どなたが保証してくださるのでしょう?」
誰にも答えられなかった。
それで十分だった。
「依頼人、私たちも知らないよ」
一人が慌てて言う。
「私たちは追加で集められただけだから!」
「仲介経由だったし」
「仲介……」
ワカモが静かに繰り返す。
「その方なら、依頼主についてご存じなのですか?」
「分かんない。でも仕事まとめてた便利屋の人たちは、そこと直接連絡取ってたと思う」
「便利屋……」
「便利屋68」
その名を、ワカモは覚えた。
「その方々が、先生への攻撃を命じたわけではないのですね?」
「違う!」
「むしろ止めてたって!」
「撤退の指示も出してた!」
「そうですか」
ワカモは素直に頷いた。
ならば、彼女たちを追う理由は薄い。
少なくとも。
先生を傷つけようとした張本人として扱う理由はない。
「ご協力、ありがとうございます」
「……え?」
「もう行っていただいて構いませんよ」
あまりにあっさりと道を譲られ、傭兵たちは顔を見合わせた。
「ほ、本当に?」
「ええ」
ワカモは微笑む。
「皆様が先生を傷つけようとなさったわけではないのでしたら」
「……」
「ただし」
全員の足が止まった。
「次に先生へ武器を向ける時は」
声は穏やかなまま。
「もう少し、よくお考えになった方がよろしいかと」
「は、はい!」
「気をつけます!」
「じゃ、じゃあ!」
少女たちは急ぎ足で離れていく。
少し距離が開いたところで、小さな声が聞こえてきた。
「今日なんなの……」
「黒い仮面の次は狐って……」
「もうアビドスの仕事やりたくない……」
その声もやがて遠ざかった。
ワカモは追わなかった。
彼女たちを追っても意味はない。
知りたい相手は、その先にいる。
「便利屋68……仲介人……」
口の中で言葉を転がす。
誰が何のためにアビドスを襲わせたのか。
そんな事情そのものに興味があるわけではない。
アビドスの問題を解決したいわけでもない。
ただ一つ。
先生を危険に晒した者が、まだどこかにいる。
そしてその者が仕事としてアビドスへの攻撃を依頼していたのなら。
今回で終わる保証は、どこにもない。
「……また」
ワカモの声から、僅かに温度が消えた。
「また先生へ同じことをなさるかもしれないのですね」
それだけは。
見過ごせなかった。
先生自身に知らせに行くことも考える。
けれど。
その姿を思い浮かべただけで胸が騒ぐ。
それに、今から先生の前へ現れて「心配なので参りました」などと言えるほど、ワカモは自分の感情を上手く扱えていない。
「……先生のお手を煩わせるほどのことでもありませんね」
誰に向けた言葉でもない。
少なくとも、本人はそう納得した。
「危険が残っているのなら」
自分が先に確かめればいい。
先生のところへもう一度武装した集団が送り込まれる前に。
誰がそれを頼んでいるのか分かればいい。
もし本当に、また先生へ危険が及ぶようなことを考えているのなら。
その時は――少し、考え直してもらえばいい。
「それにしても……」
そこで、もう一つの話が頭へ戻ってくる。
黒い仮面の戦士。
先生へ飛んだロケットを止めた人物。
「先生を、お救いになったのですね」
それなら。
むしろ感謝すべき相手だ。
「いつかお会いできましたら、お礼を――」
言いかける。
傭兵たちが話していたことを思い出した。
先生を助けた後。
その人物は先生と言葉を交わしていた。
「……先生と?」
ワカモの動きが止まる。
危険から救ったのだから、会話くらいする。
当然だ。
当然なのだが。
「……どのようなお話を?」
誰もいない道で、そんな疑問が零れた。
数秒。
「……?」
自分でも、なぜそこが気になったのか分からない。
先生を救ってくれた恩人。
まずはそれでいいはずなのに。
黒い仮面の人物について、別の意味でも少しだけ気になることが増えてしまった。
ワカモは小さく首を傾げ、それから再び歩き出す。
今、優先することはそちらではない。
「仲介人……でしたか」
便利屋68を雇い。
その先で、誰かがアビドスを狙った。
ならば。
まず、その繋がりを辿ればいい。
「先生が次もご無事だと、運任せにする必要はありませんもの」
仮面の奥で、目が細くなる。
先生へ会いに行くためだったはずの足は。
その時にはもう、別の痕跡を追い始めていた。