青の記録 ―二つの記憶が交わる時―   作:きままに投稿

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第42話 取引

 

 

 その日の夜。

 

 アビドス自治区の小さな宿。

 

 夕食とシャワーを済ませた翔は、借りている部屋の机に端末を置き、昼間までに整理した記録を開いていた。

 

 画面に並んでいるのは、昨日の襲撃についてまとめた情報だ。

 

 襲撃に参加した人数。

 

 便利屋68。

 

 追加で雇われていた複数の傭兵。

 

 使用された武装。

 

 そして、今回の戦闘では疑似メモリ兵器らしい装備が一つも確認されなかったこと。

 

 一通り内容を確認すると、翔は耳に装着した通信機を操作した。

 

 数回の呼び出し音。

 

 やがて接続される。

 

『はい。アコです』

 

「翔だけど。今、大丈夫か?」

 

『ええ。定例報告ですね』

 

「ああ」

 

 翔は椅子へ座り直す。

 

「昨日、アビドス高等学校が襲撃された」

 

『……襲撃?』

 

 アコの声が僅かに低くなる。

 

「便利屋68と、追加で雇われた傭兵。全部合わせると数十人規模だった」

 

『便利屋68が……』

 

「ああ。前に話した通り、こっちで何か仕事を受けてたみたいだ」

 

『使用された装備は?』

 

「ほとんど通常兵器。少なくとも俺が確認した範囲じゃ、疑似メモリ兵器は一つもなかった」

 

 通信の向こうで、何かを書き留める音が聞こえる。

 

『一つも、ですか』

 

「ああ。人数の割には徹底してた」

 

『……分かりました。続けてください』

 

「先生の指揮でこっちが押してたんだけど、長引くうちに追加の傭兵の一部が焦り始めてさ」

 

 翔は少しだけ表情を険しくする。

 

「そのうちの一人が、勝手にロケットランチャーを撃った」

 

『どこへですか?』

 

「先生に」

 

 通信の向こうが静かになった。

 

『……シャーレの先生へ?』

 

「ああ」

 

『負傷は?』

 

「ない。無事だ」

 

『直撃しなかったのですね』

 

「俺が止めた」

 

 アコが一瞬黙る。

 

『……変身したんですか?』

 

「ああ」

 

『人目は?』

 

「できるだけ視線は切った。先生たちから離れた場所で変身して、そのまま割って入った」

 

『正体が露見した可能性は』

 

「今のところはなさそう。戻った後も特に疑われてない」

 

『そうですか』

 

 アコはそこで一度息を吐いた。

 

『先生を助けるためなら、その状況では仕方ありませんね』

 

「俺もそう判断した」

 

『それで、先生を撃ったのは便利屋68ですか?』

 

「いや」

 

 翔はすぐに否定する。

 

「追加で雇われてた傭兵の一人だ。便利屋は止めようとしてた」

 

『止めようとしていた?』

 

「直前まで、勝手なことするなって何度も怒鳴ってたよ。ロケットを撃つよう指示したわけじゃない」

 

 再び記録する音がする。

 

『……では、発射そのものは傭兵の独断行動』

 

「そう見ていいと思う」

 

『ですが』

 

 アコの声が少し硬くなった。

 

『便利屋68がその傭兵部隊の現場指揮を任されていたのであれば、完全に無関係とは言えません』

 

「まあな」

 

『事実関係は分けます。ですが、これは少々厄介です』

 

「厄介?」

 

『当然でしょう』

 

 アコの声は冷静だった。

 

 ただし、先ほどまでより明らかに重い。

 

『便利屋68はゲヘナ学園の所属です』

 

「ああ」

 

『その便利屋68が関与する自治区外での大規模な武装行動。その最中、シャーレの先生へロケットランチャーが発射された』

 

「撃った本人は便利屋68じゃないぞ」

 

『分かっています。ですが外から見れば、そこまで綺麗に切り分けてもらえるとは限りません』

 

 翔は黙る。

 

『シャーレの先生は、連邦生徒会から大きな権限を委ねられている人物です。その方が、ゲヘナ所属の生徒が関わった武装襲撃の最中に重傷――最悪の場合は死亡したとなれば』

 

「……自治区同士の揉め事じゃ済まないか」

 

『済みません』

 

 即答だった。

 

『ゲヘナ学園そのものの管理責任を問われてもおかしくありませんし、風紀委員会にも説明が求められます』

 

「便利屋68は風紀委員会の指示で動いたわけじゃないだろ」

 

『それでもです』

 

 アコは淡々と続ける。

 

『「問題児が勝手にやりました」で済ませられる相手ではありません。まして今回は、先生個人を狙った指示ではなかったにせよ、実際に致命傷になり得る攻撃が飛んでいる』

 

「……なるほどな」

 

 アコが先生の安全を気にした理由が、翔にも少し見えてきた。

 

 個人的な心配というより。

 

 何かあった場合に発生する問題が、大きすぎるのだ。

 

『それで、便利屋68は現在?』

 

「戦闘の後、そのまま撤退した。今どこにいるかまでは分からない」

 

『追跡は?』

 

「してない。向こうも引いていったし、先生も追う必要はないって判断したから」

 

『そうですか』

 

「ただ、あいつらは依頼人側に昨日のことを報告するはずだ」

 

『……なるほど』

 

 アコの声が少し考えるものに変わる。

 

「あと、俺が出た途端に傭兵の一部がかなり怯えてた」

 

『以前にも翔さんと遭遇していた者が?』

 

「多分。疑似メモリ兵器でも通じなかったって話してた奴もいた」

 

『ブラックマーケット周辺で、仮面ライダーについての噂が広がっている可能性がありますね』

 

「しかも今回、普通の武器もいくつか壊したからな……」

 

『……今まで通常兵器には手を出していなかったでしょう』

 

「先生狙って撃ち続けてたから、今回は残す方が危ないと思った」

 

『妥当だと思います』

 

「そのせいで噂は酷くなりそうだけど」

 

『それは諦めてください』

 

「軽く言うなよ」

 

 思わず苦笑する。

 

 少しだけ空気が緩んだところで、翔は次の情報へ移った。

 

「それと、便利屋68の契約には俺についての報告条件が付いてたらしい」

 

『翔さんについて?』

 

「正確には仮面ライダーについて。現れた場所、時間、何をしたか、誰を守ったか。見つけても交戦するなって条件付き」

 

 通信の向こうが僅かに静かになる。

 

『……随分と具体的ですね』

 

「だろ?」

 

『危険な相手との遭遇を避けるだけなら、「交戦するな」と場所の報告だけで十分です』

 

「ああ」

 

『誰を守ったのかまで知りたがっている……』

 

「俺たちもそこが引っ掛かってる」

 

『依頼人は、仮面ライダーの行動原理を探っている可能性がありますね』

 

「まだ可能性だけどな」

 

『ええ。そこは分けて考えましょう』

 

 アコはすぐに同意した。

 

「こっちは昨日の戦闘記録と、前に見つけた物流施設のデータを合わせて引き続き調べる」

 

『お願いします』

 

「ああ」

 

『こちらでも便利屋68について確認します』

 

「そっちは頼む」

 

 話はほぼ終わった。

 

 そう思ったところで。

 

『翔さん』

 

「ん?」

 

『先生は、まだアビドスに滞在していますか?』

 

「ああ。いるよ」

 

『いつまで滞在する予定かは?』

 

「そこまでは聞いてない。アビドスの問題が片付くまではいるんじゃないか?」

 

『……そうですか』

 

「何かある?」

 

『先ほど話した通りです』

 

 アコの口調は変わらない。

 

『便利屋68が活動していた地域に先生が残っている以上、こちらとしても所在と安全状況は把握しておく必要があります』

 

「政治的にも?」

 

『それもあります』

 

 アコは否定しなかった。

 

『先生に何かあれば、ゲヘナだけの問題では済まなくなる可能性がありますから』

 

「なるほど」

 

『ですから、何か状況が変わったら報告してください』

 

「分かった」

 

『翔さん自身も無茶はしないように』

 

「それはいつも言われてるな」

 

『言っても無茶をするからです』

 

「否定できない」

 

『威張らないでください』

 

 いつもの調子が戻る。

 

「じゃあ、今日の報告はこれくらいかな」

 

『はい。お疲れさまでした、翔さん』

 

「アコもな」

 

『何か分かれば連絡してください』

 

「了解」

 

 通信を切る。

 

 部屋に静けさが戻る。

 

 翔は通信機を外し、机へ置いた。

 

「……ゲヘナ所属、か」

 

 便利屋68本人たちが先生を狙ったわけではない。

 

 だが。

 

 組織同士の話になれば、「誰が直接撃ったか」だけでは済まない。

 

 そういう面倒さは、翔にも理解できた。

 

 アコが思った以上に今回の件を重く見ているのも、そのためなのだろう。

 

 翔はそれ以上深く考えず、端末へ視線を戻した。

 

 旧物流施設。

 

 便利屋68への依頼。

 

 自分の行動を観察したがっている何者か。

 

 まだ調べるべきことは多かった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 翌日。

 

 昼を少し過ぎた頃。

 

 アビドス高等学校では、昨日の戦闘の後始末がまだ続いていた。

 

 校舎前に残った弾痕。

 

 吹き飛ばされた簡易バリケード。

 

 地面に散った薬莢や、傭兵たちが置いていった装備の一部。

 

 大きな被害こそ避けられたものの、片付けるものはいくらでもある。

 

「……これで、昨日の分はだいたい整理できました」

 

 アヤネが端末から顔を上げた。

 

 教室の机には、昨日の戦闘記録と旧物流施設から回収したデータが並んでいる。

 

「お疲れさま」

 

 先生が声を掛ける。

 

「ありがとうございます。まだ細かいところは残っていますけど……」

 

「今日はそこまで根を詰めなくてもいいよ」

 

「でも――」

 

「昨日もずっとやってたでしょ?」

 

「……はい」

 

 少し迷った末、アヤネは素直に頷いた。

 

 その近くでは、翔も自分の端末を確認していた。

 

「そういえば翔」

 

 先生がこちらを見る。

 

「ん?」

 

「風紀委員会への報告、終わった?」

 

「ああ。昨日の夜に済ませたよ」

 

 翔は端末を閉じる。

 

「便利屋68の事と、傭兵の数。使ってた武器。疑似メモリ兵器がなかったことも一通り」

 

「先生が狙われたことも?」

 

 セリカが尋ねる。

 

「そこも」

 

「……何て言ってた?」

 

「結構重く見てたな」

 

 翔は昨夜の会話を思い出す。

 

「撃ったのが便利屋68本人じゃなくても、ゲヘナ所属の生徒が関わった戦闘で先生が死にかけたってことになると、面倒な話になるらしい」

 

「面倒な話……ですか?」

 

 ノノミが首を傾げる。

 

「政治とか責任問題とか、そういうやつ」

 

「なるほど……そういうことなんですね~」

 

 ノノミは少し困ったように頷いた。

 

 先生は少し考え込む。

 

「私って、そんなに大事な立場なんだね」

 

「今さら?」

 

 セリカが呆れた。

 

「連邦生徒会からシャーレ任されてるんでしょ?」

 

「そうなんだけど、普段あんまり実感なくて」

 

「もう少し持ってください」

 

 アヤネが困ったように言う。

 

「はーい」

 

「返事が軽い……」

 

翔はそのやり取りを聞きながら、机に広げられた資料へ視線を落とした。

 

 旧物流施設。

 

 カイザー。

 

 アビドスの借金。

 

 そこまで考えたところで、一つ気になっていたことを思い出す。

 

「そういえばアヤネ」

 

「はい?」

 

「学校の土地って、今どこまでアビドス名義なんだ?」

 

 唐突な質問に、アヤネが目を瞬いた。

 

「土地……ですか?」

 

「ああ。借金の担保とかで、昔に売った土地もあるんだろ?」

 

「それは……あります」

 

 アヤネは少し考える。

 

「砂漠化が進んだ地域を手放した記録はいくつも残っていますし、債務整理の過程で所有権が移った土地もあったはずです。ただ……」

 

「ただ?」

 

「古い生徒会の資産記録がかなり複雑なんです。今の資料だけでは、どこまで学校名義のまま残っているのか、全部は確認できていません」

 

「そっか」

 

 翔は短く答えた。

 

 やはり曖昧なままらしい。

 

「何か気になることでも?」

 

「カイザーのこと調べてるなら、土地の方も一回ちゃんと見た方がいいかなって。借金だけ追ってて、担保に何を取られてるのか分からないままなのも怖いだろ」

 

「……確かにそうですね」

 

 アヤネも端末へ目を落とす。

 

「少し落ち着いたら、昔の資産台帳も確認してみます」

 

「頼む」

 

 それ以上、翔は何も言わなかった。

 

 今ここで確かなのは、過去にアビドスが土地を手放しているということだけだ。

 

 正確な範囲は、記録を見れば分かる。

 

 そのやり取りを聞きながら、ホシノは教室の後ろで椅子へ深く腰掛けていた。

 

 やがて、壁掛け時計へちらりと目を向ける。

 

「ん~……」

 

 小さく伸びをしてから、ゆっくり立ち上がった。

 

「どうしたの?」

 

 先生が尋ねる。

 

「ちょっと用事があってねえ」

 

「今から?」

 

「うん」

 

 ホシノはいつものような気の抜けた調子で答える。

 

「そんなに時間はかからないと思うよ」

 

「一人で行くの?」

 

 シロコが聞いた。

 

「大した用じゃないからねえ」

 

「そう」

 

 シロコもそれ以上は聞かなかった。

 

「夕方くらいには戻るつもりだよ」

 

「じゃあ、気をつけてくださいね。ホシノ先輩」

 

 アヤネが声を掛ける。

 

「はいは~い」

 

 ホシノは軽く手を振った。

 

「あ、ホシノ」

 

 先生がもう一度呼び止める。

 

「ん?」

 

「無理はしないでね」

 

「先生にそれ言われると、何とも言えないねえ」

 

「えっ」

 

「昨日、撃たれたばっかでしょ?」

 

「……それはそうなんだけど」

 

「説得力ないわよ」

 

 セリカが呆れた声を上げた。

 

「厳しいなあ」

 

「当然でしょ」

 

 少しだけ教室に笑いが起きる。

 

 ホシノもいつものように笑った。

 

「じゃ、おじさん行ってくるねえ」

 

「いってらっしゃいです~」

 

 ノノミが柔らかく声を掛ける。

 

「夕方までには戻ってきてよね」

 

「分かってるって」

 

 セリカにも軽く返し。

 

 ホシノはそのまま教室を出ていった。

 

 扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。

 

 誰も、それ以上は特に気に留めなかった。

 

 ちょっとした用事。

 

 ホシノ自身がそう言ったのだから、今はそれで十分だった。

 

「じゃあ、こっちはこっちで続きやろうか」

 

 先生が手を叩く。

 

「はい」

 

 アヤネが頷いた。

 

「終わったら柴関ラーメン行かない?」

 

 セリカがすぐに提案した。

 

「いいですね~。私も賛成です」

 

 ノノミが笑う。

 

「ん。私も」

 

 シロコも頷いた。

 

「翔は?」

 

 先生が尋ねる。

 

「行くよ。夕方ならちょうど腹減ってそうだし」

 

「決まりだね」

 

 先生はそう言って、机の上の資料へ視線を戻した。

 

 それからしばらく、教室には端末を操作する音や紙をめくる音が続いた。窓から差し込む午後の日差しも、少しずつ傾き始めている。

 

 夕方までには一段落させようと、それぞれが再び作業へ戻っていった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 校舎を離れたホシノは、人通りの少ない道を一人で歩いていた。

 

 向かう場所は決まっている。

 

 数時間前。

 

 ホシノの個人端末へ、一通のメッセージが届いていた。

 

 送信元は表示されていない。

 

 本文も短い。

 

『アビドス高等学校の債務について、お話があります』

 

 その下には時刻と、自治区内の座標。

 

 そして最後に、

 

『可能であれば、お一人でお越しください』

 

 とだけ書かれていた。

 

「……うへ~。改めて考えても怪しいよねえ」

 

 歩きながら、ホシノは小さく呟いた。

 

 もちろん、無視することもできた。

 

 送信元不明。

 

 人目の少ない場所への呼び出し。

 

 どう考えても、まともな連絡ではない。

 

 それでも来たのは、メッセージに添えられていた情報のせいだった。

 

 アビドスが現在抱えている債務。

 

 返済状況。

 

 そして、学校側でしか把握していないはずの数字の一部。

 

 ただの悪戯で済ませるには、知りすぎている。

 

 アヤネたちへ話せば、止められるか。

 

 あるいは、一緒に行くと言い出すだろう。

 

 先生も同じだ。

 

 だからホシノは、「ちょっとした用事」とだけ告げて学校を出た。

 

 何かあるなら。

 

 まず、自分が確認すればいい。

 

 砂に呑まれかけた建物。閉ざされた店舗。風が吹くたび、道路の端に積もった砂が薄く舞い上がる。

 

 アビドスでは珍しくもない景色だ。

 

 ホシノの足取りも、普段と大きくは変わらない。

 

 ゆっくりと、どこか気怠そうに。

 

 けれど、その目だけは眠たげな表情とは裏腹に、周囲を静かに警戒していた。

 

 やがて、端末に記されていた座標へ辿り着く。

 

 人気のない一角に建つ、古びた建物。

 

 ホシノは入口を見上げた。

 

「……ここかあ」

 

 念のため周囲を確認してから、中へ入った。

 

 室内は薄暗かった。

 

 割れた窓から差し込む午後の光。その中に、黒いスーツに身を包んだ異様な人影が立っている。

 

「お待ちしていました、ホシノさん」

 

 見覚えのない人物だった。

 

 全身を覆う黒。その姿は、キヴォトスで見慣れた生徒や住民達ともまるで違っている。

 

 ホシノは入口から数歩進んだところで立ち止まった。

 

「うへ~……やっぱり、こういう怪しい待ち合わせって苦手なんだよねえ」

 

「それは申し訳ありません」

 

 口ではそう言うものの、相手に悪びれた様子はない。

 

「ですが、人目のある場所でする話でもありませんので」

 

「……あのメッセージ、そっちが送ったんだ?」

 

「ええ」

 

「学校の借金のこと、ずいぶん詳しく知ってたみたいだけど」

 

「そのお話も含めて、本日はお呼びしたのです」

 

「ふーん……」

 

 ホシノは盾を手放さない。

 

 ショットガンにも、すぐ手が届く距離を保ったままだ。

 

 相手はその警戒を見ても、穏やかな態度を崩さなかった。

 

「で?」

 

 眠たげな目のまま、その人物を見る。

 

「わざわざおじさんを呼び出して、何の用?」

 

「取引です」

 

「取引?」

 

「ええ。あなたにとって、決して悪い話ではないと思いますよ。小鳥遊ホシノさん」

 

 自分の名前まで把握している。

 

 ホシノの表情は変わらなかったが、警戒は一段深くなった。

 

「うへぇ……怪しい人の『悪い話じゃない』って、だいたい悪い話なんだよねえ」

 

「クックックッ……でしたら、まず内容を聞いてから判断していただければ」

 

「……聞くだけね」

 

「もちろんです」

 

 相手は静かに笑う。

 

「アビドス高等学校が抱えている債務についてです」

 

 その言葉に、ホシノの目が僅かに細くなった。

 

「あなた方が現在抱えている負債。その半分以上を、こちらで処理することができます」

 

「……半分以上?」

 

「はい」

 

「ずいぶん景気のいい話だねえ」

 

「それだけの用意がある、ということです」

 

「もちろん、ただじゃないんでしょ?」

 

「まさか」

 

 相手はあっさり否定した。

 

「相応の条件はあります」

 

「だよねえ」

 

 ホシノの声に驚きはなかった。

 

「それで?」

 

 眠たげな目を僅かに細める。

 

「何が欲しいの?」

 

「あなたです」

 

 短い沈黙が落ちる。

 

 ホシノは相手を見たまま、しばらく何も言わなかった。

 

「……おじさん?」

 

「はい」

 

「おじさん一人で?」

 

「ええ」

 

「こっちに来れば、借金の半分以上をどうにかしてくれるってこと?」

 

「正確には、我々が指定する組織へ所属していただくことになります」

 

「所属ねえ……」

 

 ホシノは小さく繰り返す。

 

「それで、その後は?」

 

「契約の内容に従っていただくだけです」

 

「何するの?」

 

「詳細については、契約が成立した後にご説明しましょう」

 

「……いやいや」

 

 ホシノが小さく手を振る。

 

「そこを聞かないで決めるほど、おじさん素直じゃないよ?」

 

「ええ。そうでしょうね」

 

 あまりにもあっさり返され、ホシノの眉が僅かに動いた。

 

「ですが、今のあなたに必要なのは、我々の目的をすべて知ることではない」

 

 相手は静かな声のまま続ける。

 

「アビドスを救うための選択肢が存在する。その事実ではありませんか?」

 

「……うへ~」

 

 ホシノは嫌そうに眉を下げた。

 

「ずいぶん都合のいい言い方するねえ」

 

「そうでしょうか?」

 

「何をするかは教えない。でも決めるのはおじさん。そういうことでしょ?」

 

「私は事実を申し上げているだけですよ」

 

 相手は平然としていた。

 

「我々はアビドスの債務を作ったわけではありません」

 

「……」

 

「あなた方に借金を背負わせたわけでもない」

 

「……」

 

「ただ、その負担を大きく減らす手段を持っている。そして、その対価を提示している」

 

 理屈だけを並べれば、間違ってはいない。

 

 だからこそ。

 

「……やな大人だねえ」

 

「交渉ですから」

 

 相手は笑みを崩さない。

 

 ホシノは一度視線を落とした。

 

 借金の半分以上。

 

 それが消えれば。

 

 アヤネが。

 

 ノノミが。

 

 セリカが。

 

 シロコが。

 

 今よりずっと楽になる。

 

 学校を維持できる可能性も、大きく上がる。

 

 相手は急かさなかった。

 

 黙ってホシノを見ている。

 

 その沈黙すら、答えを待っているというより、何を考えるのかを観察しているようだった。

 

「まあ」

 

 しばらくして、相手が口を開く。

 

「すぐに決断していただく必要はありません」

 

「へえ」

 

「それに、あなたがどうしてもご自身を差し出したくないというのであれば」

 

 僅かな間。

 

「別の形で条件を満たしていただくことも可能です」

 

 ホシノが顔を上げた。

 

「……別の?」

 

「ええ」

 

 相手は静かに続ける。

 

「最近、アビドス周辺で確認されている黒い仮面の戦士」

 

 ホシノの表情から、ほんの僅かに力が抜ける。

 

 驚いたのではない。

 

 警戒が、一段深くなった。

 

「仮面ライダー、と呼ばれているようですね」

 

「……」

 

「その戦士をこちらへ引き渡していただけるのであれば、先ほどの提案について同様に検討しましょう」

 

 ホシノはしばらく黙っていた。

 

「……おじさんの代わりに?」

 

「ええ」

 

「つまりさ」

 

 ホシノの声から、少しずつ緩さが消えていく。

 

「あの人をそっちに渡せば、おじさんはここに残れて、借金も減るってこと?」

 

「その通りです」

 

「……それって、売れって言ってるのと同じじゃない?」

 

「“売る”とは穏やかではありませんね」

 

「でも、やってることは同じでしょ」

 

 相手は否定しない。

 

「しかし、あの戦士はアビドスの生徒ではありません」

 

「……」

 

「シャーレにも所属していない」

 

「……」

 

「少なくとも、こちらで確認できている限りでは、あなた方と正式な関係を持つ人物ではない」

 

 相手は言葉を選びながら続ける。

 

「その一人と引き換えに、あなた自身はここへ残ることができる」

 

「……」

 

「後輩たちの傍にもいられる」

 

「……」

 

「そして、アビドスの負担も大きく減る」

 

 そこで、相手は僅かに首を傾けた。

 

「悪い選択肢でしょうか?」

 

「うん。無理」

 

 答えは早かった。

 

「随分と即答ですね」

 

「あの人には助けてもらってるからねえ」

 

 盾を持つ指に、僅かに力が入る。

 

「セリカちゃんの時も」

 

「……」

 

「昨日だって、先生を助けてくれた」

 

 ホシノの笑みが消える。

 

「そんな人を、自分たちだけ楽になるために渡すなんて」

 

 静かに首を横へ振った。

 

「おじさんにはできないよ」

 

 相手は数秒、何も言わなかった。

 

 やがて。

 

「なるほど」

 

 小さく呟く。

 

「少なくとも、あなたにとってあの戦士は、単なる部外者ではないということですね」

 

「……そういう言い方、好きじゃないなあ」

 

「失礼しました」

 

「それよりさ」

 

 ホシノは相手を見据えた。

 

「どうして仮面ライダーのこと知ってるの?」

 

 空気が変わる。

 

「呼び方まで知ってるよね」

 

「そう呼ばれているという情報を把握しているだけですよ」

 

「どこから?」

 

「情報源をお教えする義務はありません」

 

「ふーん」

 

 ホシノはそれ以上、軽口を挟まなかった。

 

「じゃあ、あの人が誰なのかは?」

 

「知りません」

 

「どこの誰かも?」

 

「現時点では」

 

「男か女かも?」

 

「断定できるだけの情報はありませんね」

 

「……それなのに欲しいんだ」

 

「未知の存在であるからこそ、価値がある場合もあります」

 

「何の価値?」

 

「それを知ることも含めて、でしょうか」

 

「……」

 

 やはり肝心なところは答えない。

 

 だが、それで終わるつもりもなかった。

 

「昨日の襲撃」

 

 不意にホシノが切り出す。

 

「何でしょう?」

 

「便利屋68と、たくさんの傭兵がうちを襲ったよね」

 

「……」

 

「あの人が出てきたら戦わない。どこに出たか、何をしたか、誰を助けたかまで報告する」

 

 ホシノの目が細くなる。

 

「そういう条件が付いてたって聞いた」

 

「よく調べていますね」

 

「ねえ」

 

 今度は、返事を待たずに続ける。

 

「あれ、そっちがやらせたの?」

 

「いいえ」

 

 相手はすぐに答えた。

 

「私は昨日の襲撃を指示していません」

 

「……『私は』?」

 

「言葉通りの意味ですよ」

 

「じゃあ、誰?」

 

「それをお答えする必要はありません」

 

「関係ないなら、関係ないって言えばいいじゃん」

 

「私は関係がないとは申し上げていません」

 

「……」

 

 ホシノの目から、完全に眠たげな色が消えた。

 

「そう」

 

 短く返して。

 

「じゃあ、セリカちゃんが攫われた時は?」

 

「……」

 

「あの時も、おかしな武器が使われてた」

 

「……」

 

「最近出回ってる、あれ」

 

 相手の反応を逃さない。

 

「知ってる?」

 

「存在については」

 

「どこから来たのかも?」

 

「さて」

 

「セリカちゃんを攫わせた人」

 

「……」

 

「昨日うちを襲わせた人」

 

「……」

 

「仮面ライダーを調べてる人」

 

 問いを重ねるごとに、声が静かになっていく。

 

「……全部、どこかで繋がってるんじゃないの?」

 

 しばらく。

 

 相手は黙っていた。

 

 やがて、僅かに笑う。

 

「非常に鋭いですね、ホシノさん」

 

「褒めてほしいんじゃないよ」

 

「では、何と答えれば満足されますか?」

 

「簡単だよ」

 

 ホシノは相手を見たまま言う。

 

「関係ないって言って」

 

「……」

 

「セリカちゃんのことも」

 

「……」

 

「昨日の襲撃も」

 

「……」

 

「あの武器も」

 

「……」

 

「仮面ライダーを調べてる人たちも」

 

 一拍。

 

「何にも関係ないって」

 

 相手は答えなかった。

 

 その沈黙だけで、ホシノには十分だった。

 

「……そっか」

 

「少々、結論を急ぎすぎではありませんか?」

 

「だったら説明してよ」

 

「私は、あなた方が遭遇したすべての出来事について責任を負っているわけではありません」

 

「またそれ?」

 

「重要なことです」

 

 相手はまるで契約書の文言でも確認するような口調で言う。

 

「世の中には、目的や利害が一時的に一致する者同士が協力することもある」

 

「……協力」

 

「ええ」

 

「誰と?」

 

「そこから先は、今回の取引には関係のない話です」

 

「……」

 

「仮に私が何らかの人物や組織と交流を持っていたとしても、それが昨日の襲撃を私の責任にする理由にはならないでしょう?」

 

 ホシノはしばらく黙っていた。

 

「……ほんと、ずるいねえ」

 

「心外ですね」

 

「自分でやってないから、自分の責任じゃないって?」

 

「事実と責任の所在を正確に分けているだけです」

 

「うへ~……」

 

 呆れたような声だった。

 

 けれど、目はまったく笑っていない。

 

「やっぱり、おじさんこういう大人苦手だなあ」

 

「残念です」

 

「別に好かれようとも思ってないでしょ」

 

「クックックッ……さて」

 

 ホシノは小さく息を吐いた。

 

「じゃあ、もう一つだけ」

 

「どうぞ」

 

「どうして仮面ライダーを欲しがるの?」

 

「先ほど申し上げました」

 

「全然答えてないよ」

 

「未知の存在だからです」

 

「それだけ?」

 

「十分な理由だと思いますが」

 

 相手の声に、ほんの僅かな興味が混じる。

 

「我々の知る体系とは異なる力を扱い、通常の兵器では困難な現象すら容易に覆す」

 

「……」

 

「そして、何らかの基準に従って行動している」

 

「誰を助けるか、とか?」

 

「ええ」

 

 そこだけは、相手が素直に肯定した。

 

「興味深いと思いませんか?」

 

「全然」

 

「そうですか」

 

「あの人を渡す気はないよ」

 

「承知しました」

 

「居場所が分かっても教えない」

 

「ええ」

 

「呼び出すために誰かを危ない目に遭わせるのもなし」

 

「そこまで言わずとも」

 

「ううん」

 

 ホシノは僅かに目を細める。

 

「念のため言っといた方がよさそうだから」

 

 相手は静かにホシノを見た。

 

「では、その選択肢は除外しましょう」

 

「……あっさりだねえ」

 

「無理強いをするつもりはありませんから」

 

「じゃあ」

 

 ホシノも目を逸らさない。

 

「おじさんがそっちに行く話も断るよ」

 

 今度は相手が僅かに沈黙した。

 

「よろしいのですか?」

 

「よくはないよ」

 

 ホシノは小さく肩をすくめた。

 

「借金が減るなら助かるし、おじさん一人で済むなら……って、考えなかったわけでもない」

 

「でしたら――」

 

「でもね」

 

 相手の言葉を遮る。

 

「何を考えてるのか分からない相手のところに、自分から行くほど素直じゃないんだよねえ」

 

 いつもの調子に少しだけ戻った声。

 

 けれど、その目だけは鋭いままだった。

 

「あの人も渡さない」

 

「……」

 

「おじさんも行かない」

 

 ホシノははっきり告げた。

 

「どっちもお断り」

 

 相手はしばらく彼女を見ていた。

 

 やがて。

 

「分かりました」

 

 それだけだった。

 

「……それだけ?」

 

「取引が成立しなかった。それ以上でも、それ以下でもありません」

 

「無理やりどうこうしたりはしないんだ?」

 

「先ほど申し上げたでしょう」

 

 相手は穏やかに両手を広げた。

 

「決めるのは、あなたです」

 

「……」

 

「私は選択肢を提示したに過ぎません」

 

「うへ~……最後までその言い方なんだ」

 

「何か問題でも?」

 

「別に」

 

 ホシノは小さく鼻を鳴らした。

 

「ただ、ますます信用できなくなっただけ」

 

「それは残念です」

 

「はいはい」

 

 相手はそれ以上、引き留めようとはしなかった。

 

「では、本日の取引は不成立ということで」

 

「そうして」

 

 ホシノは踵を返しかける。

 

「ただし」

 

 背後から声が掛かった。

 

 足を止める。

 

「……まだ何かあるの?」

 

「もし、お考えが変わることがあれば」

 

 相手は懐から薄いカード状の端末を取り出し、近くの机へ静かに置いた。

 

「こちらへ」

 

 ホシノは振り返り、それを見る。

 

「……連絡先?」

 

「そのようなものです」

 

「いらないって言ったら?」

 

「そのまま置いていかれればよいでしょう」

 

「……」

 

 ホシノは少し考えてから近づき、カードを手に取った。

 

 表示されているのは簡素な接続情報だけ。

 

 所属も。

 

 企業名も。

 

 目の前の人物の名前すらない。

 

「うへ~……見るからに怪しいねえ」

 

「そうでしょうか?」

 

「怪しくないと思ってるなら、そっちの方が問題だよ」

 

 カードを眺めた後、制服のポケットへ入れる。

 

「勘違いしないでね。考え直したわけじゃないから」

 

「もちろんです」

 

「……」

 

 何を考えているのか。

 

 最後まで、その表情からは読めなかった。

 

「じゃ、おじさん帰るね」

 

「ええ。お気をつけて、ホシノさん」

 

 ホシノは一度だけ振り返った。

 

「……そっちもね」

 

 それだけ返して、建物を出た。

 

 外へ出ると、強かった陽射しも少しずつ傾き始めていた。

 

 ホシノは制服のポケットへ手を入れる。

 

 指先に触れる、薄いカード。

 

 昨日の襲撃を自分が指示したとは言わなかった。

 

 セリカの誘拐とも無関係だとは言わなかった。

 

 特殊な武器の存在も知っていた。

 

 そして、仮面ライダーについても。

 

「……」

 

 偶然で片付けるには、繋がりすぎている。

 

 それでも、まだ何も掴めてはいない。

 

 ホシノはカードに触れたまま少しだけ考え込み、それからポケットから手を抜いた。

 

 そのまま何事もなかったように、夕方のアビドスへ戻っていった。

 

 

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