青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
夕方。
昼から続けていた後片付けにもようやく区切りがつき、先生たちはアビドス高等学校を後にした。
陽はすでに傾き始め、砂に覆われた街並みを赤みがかった光が照らしている。昼間に比べれば暑さもいくらか和らいでいた。
ただ、ホシノはまだ学校へ戻っていなかった。
「ホシノ先輩、まだ帰ってこないわね……」
歩きながらセリカが端末を確認する。昼に出ていってから連絡はなく、こちらから送ったメッセージにもまだ返事はない。
「夕方くらいには戻るって言ってましたけど……」
アヤネも少し心配そうだった。
「ん。遅い」
シロコが短く呟く。
「もう少し待ってみようか。私たちが柴関にいることだけ送っておくよ」
先生が端末を取り出した。
「何かあったらホシノからも連絡してくるだろうしね」
「……そうですね」
アヤネが頷く。
翔も昼間のホシノの様子が気にはなっていたが、今のところ追いかけるほどの理由はない。本人が大した用事ではないと言って出ていった以上、むやみに詮索するのも違うだろう。
そうして歩いているうちに、見慣れた暖簾が見えてきた。
柴関ラーメン。
「大将、こんばんはー」
セリカが慣れた様子で暖簾をくぐる。
「お、セリカちゃん。いらっしゃい」
厨房から顔を出した柴大将は、その後ろから入ってくる先生たちを見ると、少し首を傾げた。
「あれ? セリカちゃん、今日はシフトじゃなかったよな?」
「今日はバイトじゃないわよ。片付けも終わったし、みんなで食べに来たの」
「なんだ、そういうことか。ははっ、じゃあ今日はセリカちゃんもお客さんだな」
「そういうこと」
セリカが答えると、柴大将は楽しそうに笑った。
「昨日はまた外が騒がしかったみたいだけど、みんな大丈夫だったか?」
「はい。みんな無事です」
アヤネが答える。
「そりゃよかった。いやぁ、また大変だったみたいだな」
柴大将はほっとしたように笑ってから、先生へ目を向ける。
「先生も怪我はないか?」
「大丈夫です。この通り」
「ははっ、元気そうなら何よりだ」
そこで人数を見回し、柴大将が気づいたように首を傾げる。
「あれ、ホシノちゃんは?」
「ちょっと用事で出てるの。夕方には戻るって言ってたんだけど」
セリカが答える。
「そうか。まあ、後から来たらちゃんと食わせてやるよ」
「それは絶対喜ぶと思う」
先生が笑う。
「だろ?」
柴大将も笑いながら人数分の水を用意した。
翔たちは、いつものように空いている席へ腰を下ろす。
「さて、何にしようかな~」
ノノミがメニューを開く。
「ノノミ先輩、どうせチャーシュー麺でしょ?」
セリカが呆れ半分に言う。
「えへへ、分かっちゃいました?」
「何回来てると思ってるのよ」
「ん。私は塩」
シロコはほとんど迷わず決めた。
「私は味噌ラーメンにします」
アヤネも続く。
「翔は?」
先生が尋ねる。
「今日は塩ラーメン。大盛りで」
「シロコと同じだ」
「別に合わせたわけじゃないぞ」
「ん。塩は正解」
「何の判定だよ」
シロコは少しだけ満足そうだった。
「先生は?」
今度はセリカが聞く。
「今日は柴関ラーメンにしようかな」
「この前もそれ食べてなかった?」
「美味しかったから」
「まあ、それならいいけど」
「セリカは?」
「私は味噌にしよっかな」
「アヤネと同じだね」
「そういう日もあるでしょ」
注文が決まったところで、セリカが厨房へ声を掛ける。
「大将ー、注文いい?」
「おう、聞くぞー」
それぞれの注文を伝え終えると、柴大将は手際よく調理へ戻っていった。
その時だった。
店の外から、聞き覚えのある声がした。
「ねえアルちゃん。本当に四人とも一杯ずつ頼んで平気なの?」
「平気よ!」
「今の残金を考えると、そこそこ痛いけど」
「カヨコまで何よ! 昨日あれだけ働いたのよ!? 食事まで削ってたら次の仕事もできないでしょ!」
「次の仕事、ねえ」
「何よムツキ、その言い方!」
店内の面々が揃って入り口を見る。
暖簾が持ち上がった。
「いらっしゃ――」
柴大将が声を掛けかけたところで、入ってきたアルが店内を見て固まった。
そして。
「……」
「……」
アルとセリカの視線がぶつかる。
「げっ」
「ちょっと!? 何よ今の『げっ』って!」
「あんたたち、なんでここに居るのよ!?」
「こっちの台詞よ!」
アルの後ろから、ムツキがひょいと顔を出した。
「あははっ。本当にまた会った」
「……昨日ぶり」
カヨコはそれだけ言って小さく息を吐く。
最後に入ってきたハルカは、店内の顔ぶれを見るなり明らかに縮こまった。
「あ、あの……アル様……」
「待って!」
アルが慌てて両手を上げる。
「今日は違うわよ!」
「何がよ」
セリカが訝しげに見る。
「仕事じゃない! 依頼でも襲撃でも何でもないわ! 私たちはただ食事をしに来ただけ!」
「……本当に?」
「本当よ!」
力いっぱい答えるアルを、先生が席から眺めている。
「じゃあ、いいんじゃない?」
「え?」
「食事に来たなら食事すれば」
アルが瞬きをする。
「昨日のことは昨日のことだし、今ここで何かするつもりはないんでしょ?」
「そ、それはもちろん……」
シロコも便利屋68の四人を見ていたが、武器へ手を伸ばす様子はなかった。
「ん。今は敵意もなさそう」
「シロコ先輩が言うと妙に怖いのよ……」
セリカが呟く。
柴大将はそんな一同を交互に見てから、軽く眉を上げた。
「なんだなんだ、知り合いか?」
「知り合いっていうか……」
セリカが何とも言えない顔をする。
「昨日ちょっと色々あったのよ」
「ふーん?」
柴大将は一瞬だけ四人を見る。
だが、それ以上は聞かなかった。
「まあ、食いに来たんだろ? だったら立ってないで座りな。席なら空いてるぞ」
「……はい」
妙に素直な返事をして、アルたちは空いた席へ向かう。
だが、腰を下ろす直前。
「……先生」
アルが振り返った。
「ん?」
「昨日のことなんだけど」
それまでの慌ただしい調子が、少しだけ消える。
アルは一度言葉を選ぶように黙ってから、先生を正面から見た。
「先生を狙った、あの攻撃。あれは私の指示じゃないわ。私は止めたし、撃つなとも言った」
「うん。聞こえてたよ」
「……そう」
アルは僅かに視線を落とす。
「でも、あの場で傭兵たちをまとめる役目を引き受けてたのは私よ。勝手にやったことだから私には関係ない、とは言わないわ」
カヨコが何も言わずアルを見る。ムツキも今だけは茶化さなかった。
「危険な目に遭わせたことは事実だから」
アルは先生へ頭を下げた。
「……ごめんなさい」
セリカが少し驚いたように目を見開く。
先生はそんなアルをしばらく見てから、ゆっくり頷く。
「うん。分かった」
アルが顔を上げる。
「アルが止めようとしてたことも、アルの命令じゃなかったことも分かってるよ。それでも、自分の責任として謝ってくれたことは受け取っておく」
「……ありがとう」
アルは少しだけ肩の力を抜いた。
その姿を見ながら、翔は何も言わずにいた。
(……こういうところは、ちゃんとしてるんだな)
格好をつけたり、妙なところで意地を張ったりする一方で、都合が悪くなれば全部他人へ押しつけるような人間ではないらしい。
「じゃあ、これで昨日のことはひとまずおしまい」
先生が言う。
「せっかくラーメン食べに来たんだし」
「え、ええ。そうね!」
アルも大きく頷いた。
便利屋68の四人が席に着く。
「よし、そっちの四人も決まったら声かけてくれよ」
厨房へ戻りながら柴大将が言った。
「ありがとうございます!」
アルがメニューを開く。
横からムツキが覗き込んだ。
「ほんとに一人一杯頼むんだ?」
「頼むわよ!」
「社長、さっきも言ったけど――」
「分かってるわ、カヨコ!」
アルは先回りするように答える。
「確かに今は節約しないといけないけど、食べるものまでまともに食べないなんて駄目よ。四人ともちゃんと一杯ずつ!」
「おお~、社長っぽい」
「『っぽい』じゃなくて社長なの!」
「わ、私は少なくても大丈夫です、アル様……!」
「ハルカもちゃんと食べるの!」
「は、はいっ!」
しばらくして、アルが厨房へ声を掛けた。
「すみません、注文いいかしら!」
「おう、決まったか?」
「柴関ラーメンを四つお願いします!」
「あいよ、柴関四つな!」
柴大将はいつも通りの調子で返した。
やがて、便利屋68の前にも湯気の立つ丼が並ぶ。
ただし。
四人の前に置かれたそれは、どう見ても普段より少し盛りがいい。
ハルカが恐る恐る丼と柴大将を見比べた。
「あ、あの……これ、ちょっと多いような……」
「ん?」
柴大将が丼を見る。
「ああ。悪い悪い、ちょっと手元が狂って多くなっちまったみたいだ」
「えっ……」
「もう作っちまったしな。まあまあ、気にすんな」
「で、でも……」
「こんな時くらい、ちゃんと食っとけって」
柴大将は笑いながらそう言うと、さっさと厨房へ戻っていく。
ハルカはしばらくその背中を見つめていた。
「……アル様」
「ええ」
アルも意味には気づいているらしい。
カヨコも何も言わず、ムツキだけが少し楽しそうに笑っている。
「……いただきましょう」
アルがそう言うと、四人は揃って箸を手に取った。
* * *
しばらくの間、店内には麺を啜る音が続いた。
昨日まで銃を向け合っていた相手同士が、今日は同じ店でラーメンを食べている。
考えてみれば妙な光景だ。
けれど、いざ食事が始まってしまえば、さっきまであった微妙な緊張も少しずつ薄れていった。厨房から漂うスープの匂いと、湯気の立つ丼を前にしてまで睨み合っているのも馬鹿らしいのだろう。
「ん。やっぱり塩は正解」
シロコが満足そうに箸を進める。
「だから何の判定なんだよ」
隣で同じ塩ラーメンを食べていた翔が返す。
「美味しいならいいじゃないですか~」
ノノミはチャーシューを口へ運びながら楽しそうに笑った。
「ノノミ先輩、ほんとにそれ好きよね」
「はい。何回来ても食べたくなっちゃうんです」
「分からなくはないけど」
セリカも味噌ラーメンの麺を持ち上げる。
向かいでは、先生が柴関ラーメンのスープを一口飲み、満足そうに息を吐いた。
「うん。やっぱりこれ好き」
「この前も同じこと言ってなかった?」
「好きなものは何回食べてもいいんだよ、セリカ」
「別に駄目とは言ってないわよ」
そんな会話から少し離れた席では、便利屋68の四人も食事を進めていた。
もっとも、最初こそ勢いよく食べ始めていたアルは、丼の中身が減っていくにつれて、なぜか表情が難しくなっていた。
「……」
「アルちゃん、どうしたの?」
ムツキが尋ねる。
「美味しいわよ」
「それは見れば分かるけど」
「じゃあ何よ」
「食べながらお財布のこと考えてる顔してる」
「なっ……!」
アルの箸が止まった。
「ち、違うわよ!」
「社長」
カヨコが淡々と口を挟む。
「さっきから三回くらい端末の残高見てる」
「数えてたの!?」
「やっぱり気にしてたんだ」
「ムツキ!」
店内にアルの声が響く。
その様子を見ていた先生が首を傾げた。
「そんなに厳しいの?」
「うっ」
今度こそアルが固まった。
「いや、その……」
「社長」
「分かってるわよ!」
何か言おうとしたカヨコを制し、アルは一度咳払いしてから姿勢を正した。
「……昨日の仕事、切られたのよ」
翔の箸が止まった。
「切られた?」
「ええ」
アルは見るからに不本意そうに頷く。
「撤退した後、仲介人に報告を入れたら、その場で契約終了よ」
「急ですね……」
アヤネが驚いたように言う。
「しかも、報酬は満額じゃない」
カヨコが補足した。
「前金と、それまでにやった分だけ。全部合わせても予定してた額の半分には届かなかった」
「それは……大変ですね~」
ノノミが眉を下げる。
「だから一人一杯で大丈夫なのかって聞いてたのね」
セリカもようやく納得したらしい。
「だ、大丈夫よ! 今すぐどうこうなるほどじゃないんだから!」
「今すぐはね」
ムツキが笑う。
「ムツキ!」
アルが抗議する。
だが翔は、そちらには加わらなかった。
仲介人へ報告した直後に契約を切られた。
昨日までなら、それだけを聞いても「作戦に失敗したから切られた」で済ませただろう。
けれど今は、それとは別の引っ掛かりがある。
「契約を切られたのって、報告した直後なんだよな?」
「そうよ」
「何を報告した?」
アルは僅かに怪訝そうな顔をした。
「何って……依頼された内容よ。戦闘の結果とか、撤退したこととか」
「それと」
カヨコが続ける。
「黒い仮面の戦士が現れたこと」
翔は視線を上げた。
「……やっぱりそこも?」
「契約条件だったから」
カヨコは頷く。
「出現した場所、時間、何をしたか、誰を守ったか。そこまで報告した」
箸を持つ翔の手が、僅かに止まる。
場所と時間だけなら、危険人物との接触記録とも考えられる。
だが、「何をしたか」「誰を守ったか」まで指定されている。
昨日も引っ掛かっていた部分だ。
そして今回、疑似メモリ兵器は一つも投入されていない。
それでも自分は変身した。
疑似メモリ兵器を追うためではなく、先生へ飛んだ一発を止めるために。
その事実まで相手へ渡った直後に、便利屋68の契約が終わった。
「それを送った後に、契約終了?」
先生が尋ねる。
「正確には、報告を一通り終えた後」
カヨコはそう答えてから、僅かに目を細めた。
「向こうは、もう私たちに用がなくなったみたいだった」
「……」
先生と翔の視線が一瞬だけ合った。
昨日、戦闘の後に話したことを、先生も思い出しているのだろう。
依頼人が仮面ライダーの行動を観察していたのではないか。
あの時点では、まだ推測でしかなかった。
けれど。
便利屋68から今聞いた話は、その推測と妙に噛み合っている。
「それって……」
アヤネが慎重に口を開く。
「必要な情報が集まったから、契約を終わらせた……という可能性もあるんでしょうか?」
「あると思う」
先生が答えた。
「ただ、それだけで決めつけるのはまだ早いかな」
「ん。でも、タイミングは変」
シロコが言う。
「私もそう思う」
カヨコは静かに頷いた。
「仕事の失敗だけが理由なら、黒い戦士について細かく報告させた直後に切る必要はない」
「……やっぱり、最初からあれを見たかったってこと?」
セリカが顔をしかめる。
「可能性は高くなった、くらいだな」
翔は答えながらも、胸の奥に残った違和感を完全には拭えなかった。
疑似メモリ兵器を使わずに襲撃する。
仮面ライダーが現れたかを確認する。
現れた場合、誰を守ったのかまで報告させる。
そして役目を終えた便利屋68を切る。
もし本当にそこまでが一続きなら、昨日の戦闘で見られていたのは戦況そのものではない。
自分だ。
――何をすれば、仮面ライダーが出てくるのか。
その答えの一つを、昨日こちらから見せてしまったことになる。
「誰が何のためにやってるのかまでは、まだ分からないけど」
翔はそう続ける。
「そうだね」
先生もそこで話を区切った。
「今ある情報だけで先走るのはやめておこう」
「ええ」
カヨコも同意する。
アルは話についていくように何度か視線を動かしてから、ふと眉を寄せた。
「ちょっと待って」
「何?」
ムツキが見る。
「つまり私たち、最初から別の目的のために使われてたってこと?」
「可能性はあるね」
「……」
アルの表情が徐々に険しくなる。
「しかも必要な情報が取れたから切られて、報酬も半分以下?」
「社長」
「何よ」
「ラーメン伸びるよ」
「今それ!?」
ムツキが吹き出し、張り詰めかけた空気が少しだけ緩む。
翔も箸を動かそうとした、その時だった。
耳元で短い電子音が鳴った。
「ん?」
風紀委員会から支給された通信機だ。
表示された相手を確認する。
「……アコ?」
昨日の夜に報告したばかりだった。
もっとも、便利屋68についてはこちらでも確認すると言っていたので、何か見つかったのかもしれない。
翔は通信を繋ぐ。
「もしもし」
『翔さん』
聞き慣れた声が返ってくる。
「どうした?」
『今、どちらにいますか?』
「今?」
用件より先に居場所を聞かれた。
それだけで、少し引っ掛かる。
「柴関ラーメンだけど」
その言葉に、便利屋68の四人が僅かに反応した。
『柴関ラーメン……』
「ああ。先生とアビドスのみんなも一緒」
『……先生も?』
ほんの僅かな間。
昨夜の通信で、アコが最後に確認してきたことを翔は思い出した。
――先生は、まだアビドスに滞在していますか?
『分かりました』
「何が?」
『いえ。位置が確認できれば十分です』
ますます妙だ。
翔は箸を置いた。
「アコ。今どこにいる?」
『柴関ラーメンの近くです』
「……は?」
予想していなかった答えに、思わず声が漏れた。
『正確には、周辺に風紀委員会の部隊を展開しています』
そこで初めて、翔の表情が変わった。
「……ちょっと待て」
店内の何人かがこちらを見る。
「展開って、どういう意味だ?」
『そのままの意味です』
翔は席を立ち、そのまま窓へ近づいた。
夕方の通り。
いつもなら人影もまばらな交差点に、風紀委員会の制服を着た生徒たちがいる。
一人や二人ではない。
路地の入口。
道の向こう。
車両が通れそうな広めの道路。
柴関を中心に、逃げ道になりそうな場所を押さえるように配置されている。
ただし、誰も店へ銃口を向けてはいなかった。
店の真正面を兵員で塞いでもいない。
周囲の一般人を巻き込まないよう、距離を取っているのも分かる。
その辺りはアコらしい。
――だからこそ、これは偶然通りかかった部隊ではないとはっきり分かった。
「……本当に来てる」
昨夜、自分はアコへ状況を報告した。
便利屋68。
先生への攻撃。
そして先生が今もアビドスにいること。
あの時は、風紀委員会として把握しておく必要がある、という説明に納得した。
まさか、その翌日に本人が部隊を連れて柴関まで来るとは思っていなかったが。
「翔?」
先生も席を立つ。
「どうしたの?」
「……風紀委員会が来てる」
「えっ!?」
真っ先に反応したのはアルだった。
「何で!?」
「それは俺が聞きたいよ」
『こちらにも聞こえていますよ』
耳元からアコの声が飛ぶ。
「だったら説明しろ」
『便利屋68の所在を確認しましたので、確保に来ました』
「確保!?」
アルが立ち上がった。
「ちょっと待ちなさいよ! 私たち今ご飯食べてるだけよ!?」
『昨日、大規模な武装行動を行った方が言う台詞ですか?』
「うっ……!」
アルが言葉に詰まる。
それは反論しづらい。
だが、翔には別の部分が引っ掛かった。
便利屋68を捕まえる。
それ自体は、風紀委員会の仕事として理解できる。
昨日の襲撃まで考えれば、むしろ今まで放置されていた方がおかしいくらいだ。
ただ。
それだけなら、昨夜の通信でアコが先生の居場所を気にした理由までは繋がらない。
そして今も。
柴関にいると伝えた時より、「先生も一緒だ」と伝えた時の方が、明らかに反応があった。
カヨコは窓の外へ視線を向けた。
「……囲まれてる」
「ええ!?」
ハルカが青ざめる。
「お店には銃向けてないみたいだけど」
ムツキはむしろ面白そうに外を覗いた。
「出口は押さえられてるね」
「感心してる場合じゃないでしょ!」
セリカが言う。
翔はもう一度、外の配置を見る。
かなりの人数だ。
便利屋68の四人を確保するだけなら、必要以上にも見える。
もちろん昨日の戦闘で傭兵まで指揮していた相手なのだから、多めの兵力を連れてくる理由はある。
けれど。
今の状況に、翔の記憶が引っ掛かった。
以前ゲームで見た時も、アコはこうして風紀委員会を動かしていた。
その時――。
「……アコ」
『何ですか』
「これ、ヒナにはちゃんと許可取ってるんだよな?」
返事が途切れた。
翔は通信機を耳に当てたまま、目を細める。
通信障害ではない。
向こうは聞いている。
「アコ?」
『……』
普段なら、違うなら違うとすぐ返してくる。
特にこういう疑いを掛けられて、黙ってやり過ごすような性格ではない。
そのアコが黙っている。
嫌な確信だけが急速に強くなった。
「質問に答えろ」
『今はそれより、便利屋68の確保と先生の安全を――』
やっぱり。
「やっぱり無許可じゃねえか!」
翔の声が店内に響いた。
「えっ!?」
アルが思わず立ち上がる。
「無許可で私たち囲んでるの!?」
『聞こえていますよ、陸八魔アル』
「だったら答えなさいよ!」
『あなたに説明する義務はありません!』
「あるでしょ!?」
店内が一気に騒がしくなる。
「え、えっと……」
アヤネが困ったように両者を見比べる。
「風紀委員会が、許可も取らずにここまで来てるってことですか?」
「たぶんそう」
翔は額に手を当てる。
アコが仕事のできる人間なのは知っている。
現場で何度も一緒に動いたからこそ、その辺りは疑っていない。
だが同時に、思い込むと妙な方向へ突っ走るところがあることも知っている。
今回、その矛先にあるのが便利屋68だけなら、まだ話は単純だった。
昨夜の反応を思い返す限り、どうもそれだけではない。
「先生」
翔が振り返る。
「たぶん、あいつ先生のことも目的に入れてる」
「私?」
『翔さん!?』
通信の向こうでアコの声が一段高くなる。
その反応だけで十分だった。
「ほら」
『「ほら」ではありません!』
「いや今ので分かるだろ」
『分かりません!』
「無理あるって」
先生は少し考えるように首を傾げ、それから窓の外を見た。
「つまり、便利屋68を捕まえに来たついでに、私も何とかしたい?」
『ついでではありません!』
即座に返事が飛ぶ。
翔は一瞬黙った。
「……アコ」
『何ですか』
「それ、余計に駄目な答えだからな」
『……っ』
先生は口元を押さえた。
「先生、笑うな」
「ごめん。でもちょっと……」
「今わりと面倒な状況なんだからな?」
「うん。それは分かってる」
そう言いながら、先生の目はもう外の状況を見ていた。
ふざけた調子は残っていても、周囲の配置や人数を確認する視線は冷静だ。
「店には銃を向けてないね」
「ああ。そこは徹底してる」
「一般の人を巻き込むつもりもなさそう」
「多分、アコがそこは止めてる」
昨日、自分から先生が危険に晒されたと伝えたばかりだ。
その翌日に、風紀委員会が民間の店へ発砲でもすれば何のために来たのか分からない。
そこまで無茶をするとは思っていない。
問題は別にある。
ヒナに無断で部隊を動かし、柴関一帯を包囲し、その場にいた先生まで確保しようとしていることだ。
充分すぎるほど大事だった。
「……なんだか、また大変なことになってきたね」
先生が窓の外を見ながら、少し困ったように笑った。
「先生」
「なに?」
「他人事みたいに言ってるけど、思いっきり巻き込まれてるからな」
「やっぱり?」
「やっぱりじゃない」
翔は呆れながら、通信機へちらりと目をやる。
「ただ、今回は先生が何かやらかしたわけじゃない。アコが勝手に部隊を動かしてるんだから、そこまで自分の責任みたいに考えなくていい」
「なるほど」
『勝手にとは何ですか、勝手にとは!』
間髪入れず、耳元からアコの抗議が飛んできた。
翔は一瞬黙る。
「……まだ繋がってたのかよ」
『当然です! 話の途中でしょう!』
「いや、さっきから普通に会話へ入ってくるから忘れてた」
『忘れないでください!』
ムツキが堪えきれずに笑い出し、アルは頭を抱えた。
そんな店内とは対照的に、窓の外の風紀委員会は静かだった。
配置された生徒たちは持ち場を崩さず、無闇に店へ近づこうともしない。
ただ、その包囲の向こうから数人の生徒がこちらへ歩いてくる。
先頭に立つ銀髪の少女。
その横には、見慣れた褐色肌の少女と、赤い髪の少女。
翔は小さく息を吐いた。
どうやら通信だけで済ませる気はないらしい。
* * *
数人の風紀委員が、夕暮れの通りをこちらへ歩いてくる。
先頭にいるのはアコだった。
その少し後ろにイオリとチナツ。さらに数名の風紀委員が続いているが、全員が武器を下げたままだ。周囲に展開している部隊も配置を維持しているだけで、柴関ラーメンへ銃口を向ける者はいない。
翔は窓際に立ったまま、その様子を見ていた。
ヒナに無断でこれだけの部隊を動かしたことについては、後で間違いなく揉める。
それでも、少なくとも店そのものを力ずくで制圧するつもりはないらしい。
やがてアコたちは店の前まで来ると、暖簾をくぐった。
「……失礼します」
真っ先に入ってきたアコが、店内を見回す。
便利屋68。
対策委員会。
翔。
そして、先生。
確認するように視線が順番に動いていく。
「アコ」
翔が呼ぶ。
「本当に来たのかよ」
「来なければ、外にいる風紀委員は何だと思っているんですか」
「そこじゃない」
「分かっています」
アコは何事もなかったような顔で返した。
「分かっててやってるのが一番困るんだけど」
「その件は後で聞きます」
「今、聞いてくれ……」
その横を通りながら、イオリが翔を見る。
「翔? やっぱりここにいたのか」
「ああ」
「調査でアビドスに残ってるとは聞いてたけど……」
イオリの視線が、そのまま便利屋68へ移った。
「何でこいつらと一緒にラーメン食べてるんだ?」
「色々あって」
「色々で済ませるな」
「説明すると長い」
「はぁ……?」
露骨に眉を寄せるイオリ。
その隣で、チナツも翔へ軽く会釈した。
「翔さん、ご無事で何よりです。昨日、大きな戦闘があったと聞きましたので」
「チナツもな。わざわざここまでお疲れ」
「いえ、私は――」
そこまで言って。
チナツの視線が、翔の後ろで止まった。
「……え?」
先生もチナツを見る。
一拍。
「先生!?」
「あ、チナツ」
先生がいつもの調子で軽く手を上げる。
「久しぶり」
「な、なぜ先生がここに……!?」
「アビドスから依頼を受けてるから」
「いえ、それは報告で聞いていましたけど……まさか、この場にいらっしゃるとは……」
チナツは驚いたまま、先生とアコを交互に見る。
そこで、イオリが首を傾げた。
「……先生?」
先生を見る。
それからチナツを見る。
「この人が?」
「はい」
チナツが頷く。
「シャーレの先生です」
「……この人がシャーレの?」
「そうみたい」
本人が答えた。
「初めまして」
「いや、何で本人が『そうみたい』なんだ……」
イオリが思わず突っ込む。
「私もたまに実感なくて」
「……よく分からない人だな」
「よく言われる」
「そうだろうな……」
「そこ納得するんだ」
先生が少しだけ複雑そうな顔をした。
その一方で、アコは黙ったまま先生を見ていた。
直接顔を合わせるのは、これが初めてだ。
昨夜の翔からの報告。
連邦生徒会から与えられている権限。
そして昨日、本当に命を落としかねない攻撃を受けたという事実。
それらを目の前の人物と結びつけるように、アコは数秒だけ先生を見ていた。
やがて一歩前へ出る。
「初めまして、先生」
「うん。初めまして」
「ゲヘナ学園風紀委員会、行政官の天雨アコです」
「ああ」
先生が少し笑う。
「さっきまで翔と通信してた子だね」
「……その言い方だと、私がとんでもないことをしているように聞こえるのですが」
「してるだろ」
翔が横から口を挟んだ。
「翔さんは少し黙っていてください」
「何でだよ」
イオリが二人を見比べる。
「……ずいぶん仲いいな、お前ら」
「どこが!」
「どこを見たらそうなるんですか!」
二人の声が重なった。
イオリは少し間を置く。
「ほら」
「何が『ほら』ですか!」
アコが今度はイオリへ向く。
先生が小さく笑い、チナツは困ったように額へ手を当てた。
少しだけ騒がしくなった店内で、柴大将だけは特に口を挟まなかった。
ただ、入口付近に立った風紀委員たちへ視線を向ける。
「話すのは構わねえけどさ」
厨房から声が飛んだ。
「店の出入りだけは塞がないでくれよ?」
「……失礼しました」
アコはすぐに一歩横へずれる。
「外の部隊にも、店舗や一般の方へ迷惑を掛けないよう指示しています」
「ならいいんだけどな」
柴大将はそれだけ言って、再び厨房へ戻った。
翔は小さく息を吐く。
少なくとも、その辺りは徹底している。
問題はここからだ。
「それで?」
セリカが席からアコを見る。
「風紀委員会が柴関の周りを勝手に囲んで、何の用なの?」
声音から、先ほどまでの軽さが消えていた。
「セリカ……」
アヤネが僅かに制する。
しかし、セリカは引かない。
「便利屋68を追ってきたのは聞いた。でも、ここはゲヘナじゃないでしょ?」
「ええ。その点は承知しています」
アコは否定しなかった。
「だったら、何で勝手に――」
「今は便利屋68の確保が先です」
「何よそれ!」
抗議するセリカから視線を外し、アコは便利屋68の四人を見る。
「陸八魔アル」
アルの肩が僅かに跳ねる。
「鬼方カヨコ、浅黄ムツキ、伊草ハルカ」
「はいっ!?」
ハルカだけが反射的に返事をした。
「返事しなくていいのよ、ハルカ!」
「す、すみません!」
「何で私に謝るの!?」
「ふふっ」
「ムツキも笑わない!」
騒ぎ始めた四人を前に、アコは眉間へ指を当てかけて止めた。
「……便利屋68には、昨日この周辺で行われた大規模な武装行動について、確認すべき事項があります」
「だからって、こんな人数で囲む必要ある!?」
「あなた方四人を少人数で確保しようとする方が無謀でしょう」
「ぐっ……」
アルが言葉に詰まる。
翔としても、そこは否定できなかった。
便利屋68は四人とも相応の戦闘力を持つ。
昨日に至っては、外部の傭兵まで率いて対策委員会と正面から戦っている。
本気で逃走を防ぐなら、人数を揃える判断そのものは理解できる。
――ヒナへ黙ってここまで来たことを除けば。
「それから」
アコが続ける。
視線が先生へ向いた。
翔は、やはりと思った。
「先生にもお話があります」
「やっぱりそっちもあるんだ」
先生はさほど驚かなかった。
「ええ」
アコは一度姿勢を正した。
「先生。現在のシャーレは、連邦生徒会長から大きな権限を与えられている一方、その立場にはまだ不透明な部分も多く残っています」
「うん」
「連邦生徒会長が不在の現在、先生の判断が各学園へ及ぼす影響も無視できません」
先ほどまで翔やイオリと言い合っていた時とは違う。
声も、表情も。
完全に行政官としてのものへ切り替わっていた。
「加えて」
そこで僅かに眉を寄せる。
「昨日、先生は実際に命を落としかねない攻撃を受けています」
店内の空気が少しだけ変わった。
アルの表情も曇る。
「その攻撃自体が便利屋68の命令ではなかったことは、翔さんから報告を受けています」
アコはアルを一方的に責めるような言い方はしなかった。
「ですが、先生が現在置かれている状況を、安全だとは到底判断できません」
「それで?」
先生が促す。
「しばらくの間、先生には風紀委員会の保護下へ移っていただきたいと考えています」
やっぱり。
翔は内心で息を吐いた。
便利屋68の確保。
先生の安全確保。
昨夜からのアコの反応が、そこでようやく一本に繋がる。
アコの中では、どちらも風紀委員会として必要な仕事なのだろう。
ただし。
「……アコ」
「何ですか」
「それ、先生に拒否権あるんだよな?」
「もちろんです」
その返事に、少しだけ安心する。
「ですが」
続いた。
「こちらの提案を受けていただくのが、最も合理的だと考えています」
「やっぱり押す気満々じゃねえか」
「当然でしょう。昨日あれだけのことがあった場所に、そのまま先生を残しておく方が問題です」
「でも、私はアビドスの依頼で来てるからね」
先生が言った。
アコが先生を見る。
「それでもです」
「心配してくれてる?」
「安全管理上の判断です」
「そっかあ」
「何ですか、その反応は」
「いや、優しいなって」
「違います!」
即答だった。
翔は思わず目を逸らす。
アコが仕事として考えていること自体は本当なのだろう。
ただ、それにしては反応が分かりやすすぎる。
「でも」
先生の声が少しだけ変わった。
柔らかさはそのまま。
ただし、先ほどまでの冗談めいた調子は消えている。
「私は行けないよ」
アコの表情が止まった。
「……理由を伺っても?」
「アビドスから支援要請を受けて、ここに来たから」
先生は対策委員会の面々を見る。
「まだ何も終わってない」
アヤネが先生を見上げる。
シロコも。
ノノミも。
セリカも。
「借金のこともあるし、昨日みたいな襲撃もある。それに、誰かが裏で仮面ライダーの行動まで調べてる可能性も出てきた」
「ですが――」
「先生として来た以上」
先生は静かに続ける。
「途中で『危ないから帰ります』はできないかな」
声を張ったわけではない。
それでも、断る意思だけははっきりしていた。
翔は横から先生を見る。
普段は妙なことを言う。
仮面ライダーの映像を見れば子供みたいに食いつく。
さっきまでラーメンを食べて笑っていた。
けれど、こういう時だけは迷わない。
生徒のために来たのなら、途中で置いていかない。
危険だからという理由だけで、やるべきことを投げない。
その辺りは、翔がゲームで知っていた先生と変わらなかった。
アコも先生を見ていた。
何か言おうとする。
しかし、一度口を閉じた。
「……分かりました」
意外にも、ここでは食い下がらなかった。
「その件については、後ほど改めてお話しします」
「うん」
「ですが」
アコの視線が便利屋68へ戻る。
「こちらは別です」
「まだ終わってなかったの!?」
アルが思わず叫んだ。
「当然です!」
「先生の話で流れたと思ったのに!」
「勝手に終わらせないでください!」
「社長」
カヨコが静かに呼ぶ。
「何よ!」
「逃げる?」
「……」
アルが黙った。
店外の風紀委員。
店内のアコ、イオリ、チナツ。
そこから逃げ出すのは、どう考えても簡単ではない。
「今はやめた方がいいと思うよ」
ムツキが楽しそうに笑う。
「分かってるわよ……!」
アルは悔しそうに椅子へ座り直した。
その様子を見ていたイオリが口を開く。
「じゃあ、こいつらは連れて帰るんだな、アコちゃん?」
「ええ。そのつもりです」
「ちょっと待ってください」
声を上げたのはアヤネだった。
全員の視線が集まる。
アヤネは僅かに緊張しながらも、席を立った。
「便利屋68がゲヘナ所属なのは分かっています。昨日の件について、風紀委員会が事情を確認したいということも理解できます」
「でしたら――」
「でも」
アヤネはアコを正面から見る。
「ここはアビドス自治区です」
アコはすぐには答えなかった。
「私たちへの連絡もなしに部隊を展開して、店を囲んで、それから『便利屋68を連れて帰ります』と言われても……はい、どうぞとは言えません」
「そうよ」
セリカも続く。
「便利屋68に話があるなら、先にこっちに話を通すのが普通でしょ?」
「ん」
シロコも小さく頷いた。
「順番が逆」
「……」
アコは三人を見た。
「アビドス自治区であることについては、否定していません」
アヤネが僅かに眉を寄せる。
「では――」
「ただ」
アコが続けた。
「この周辺の土地については、あなた方が把握されていない権利関係が存在するようですが」
「……え?」
アヤネの表情が止まった。
「権利関係……?」
「何それ」
セリカも怪訝そうにする。
翔だけが、僅かに眉を動かした。
昼間。
自分からアヤネへ尋ねたことを思い出す。
学校の土地は、今どこまでアビドス名義なのか。
借金の担保や債務整理で、過去に手放した場所はある。
しかし古い資産記録は整理されておらず、正確な範囲まではまだ確認できていなかった。
そして。
翔自身にも覚えがある。
アビドスの土地。
カイザー。
柴関ラーメン。
そこが繋がっていたことだけは、確かに記憶に残っている。
「……アコ」
翔が呼ぶ。
「何ですか?」
「それ、どこまで知ってる?」
今度はアコが少しだけ翔を見る。
「少なくとも、こちらへ来る前に確認できる程度のことは」
「……そうか」
やはり。
思っていたより、もう話は進んでいるらしい。
「ちょっと翔」
セリカがこちらを見る。
「何か知ってるの?」
「確かなことはまだ何も」
「でも今の反応――」
「昼間、アヤネに土地の名義を一度調べた方がいいって話しただろ」
「あ……」
アヤネが気づく。
「さっきの話……」
「ああ」
翔は頷いた。
「俺も気になってた。でも、まだ記録を確認してない」
ここで記憶だけを根拠に答えを言うつもりはなかった。
誰が所有しているのか。
どこからどこまでなのか。
いつ移ったのか。
現実に残っている記録で確かめればいい。
「アコさん」
アヤネが改めて尋ねる。
「その『権利関係』というのは、どういう意味ですか?」
「それについては、そちらでも正式に確認してください」
「……教えてくれないんですか?」
「私から断片的な情報だけを伝えるより、あなた方自身で資産記録を確認した方が確実です」
アコはそこで一度言葉を切った。
「それに」
「?」
「土地の所有関係と、今回こちらが事前の説明なしに部隊を展開した件は、別の問題です」
翔は少しだけ目を見開いた。
意外だった。
土地の話を、そのまま自分たちの行動の正当化には使わない。
「その点については、後ほど説明します」
「……後ほどなんですね」
先生が口を挟んだ。
「先生」
「なに?」
「今、ちょっと痛いところだった?」
「突かれていません」
「本当に?」
「本当です!」
「その……」
そこへ、チナツがおそるおそる口を挟んだ。
「私も、事前に事情を説明して協力を求めるべきだったとは思います」
アコがゆっくり振り返る。
「チナツさん?」
「い、いえ! 便利屋68を確保する必要がないと言っているわけではありません」
チナツは慌てて付け加える。
「ただ、ここはゲヘナの管理区域ではありませんし……部隊を展開するのであれば、先に説明をするべきだったのではないかと」
「……」
「アコ行政官?」
沈黙。
翔は少しだけ口元が緩みそうになる。
土地の所有権がどうなっていようと、それだけでアコの無断行動まで消えるわけではない。
しかも、その指摘が味方のチナツから飛んできた。
「……その件については」
アコがゆっくり答える。
「後で正式に整理します」
「また後でだ」
先生が言った。
「先生」
「はい」
「楽しんでません?」
「少しだけ」
「楽しむところではありません!」
店内へアコの声が響いた。
その横で、イオリだけが少し納得していない顔をしていた。
「……でもさ、アコちゃん」
「何ですか、イオリ」
「私たち、便利屋68を捕まえるって聞いて来たんだけど」
「ええ」
「先生まで連れて帰る話は聞いてない」
店内が少し静かになる。
アコの視線が一瞬だけ止まった。
「それは……現地の状況に応じた判断です」
「でも、さっき翔に先生がいるか聞いてたよな?」
「……」
「最初からそのつもりだったんじゃないの?」
翔は思わずイオリを見る。
普段は勢いで突っ走ることも多い。
けれど、何も考えていないわけではない。
イオリ自身はあくまで「便利屋68を確保する任務」としてここまで来ている。
知らされていなかった目的が後から出てくれば、引っ掛かるのは当然だった。
「アコちゃん?」
「……後で説明します」
「そればっかりじゃん」
「イオリ!」
「何だよ。私だって聞いてなかったんだから気になるだろ」
「それは……!」
アコが言葉に詰まる。
その隣でチナツも何とも言えない顔をしていた。
先生は明らかに笑いを堪えている。
翔は小さく息を吐いた。
もっと険悪な状況になるかと思っていた。
実際、何も解決はしていない。
便利屋68をどうするのか。
先生をどうするのか。
アコがヒナへ無断で部隊を動かしたこと。
そして、新しく浮かび上がった土地の権利関係。
昼間に抱いた小さな引っ掛かりが、思ったより早く輪郭を持ち始めている。
とはいえ。
まずは目の前だ。
「とりあえず」
先生が言った。
「みんな立ったままだと話しづらいし、座る?」
アコが先生を見る。
「……先生」
「なに?」
「この状況で、どうしてそんなに普段通りなんですか?」
「うーん……ラーメン屋だから?」
「答えになっていません!」
アコの声が、湯気の残る柴関ラーメンに響いた。
先生は困ったように笑い、イオリは未だ納得のいかない顔をしている。チナツはそんな二人の間で小さく息を吐き、便利屋68の四人はそれぞれ落ち着かない様子で店内と窓の外を見比べていた。
ただラーメンを食べに来ただけだったはずの夕食は、いつの間にか随分と騒がしいものになっている。
そして窓の外には、今も風紀委員会の部隊が残ったままだった。
当然。
このまま何事もなく終わるはずもなかった。