青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
時は強盗が起こるより少し前。
「――ですので、今回の融資については見送らせていただきます」
「なっ……」
ブラックマーケットの銀行、その一角に設けられた融資相談用の部屋で。
アルは机の向こうに座る銀行員を、信じられないものを見るような目で見つめていた。
「なんですってぇ!?」
思わず立ち上がったアルの声が室内へ響く。
銀行員は表情一つ変えない。
「提出いただいた資料を精査した上での判断です」
「精査したからって、どうしてそうなるのよ! 便利屋68にはちゃんと活動実績があるわ!」
「活動実績については確認しております」
「だったら!」
「同時に、現在の財務状況も確認しております」
「うっ」
そこでアルの勢いが目に見えて弱まった。
少し離れたところでは、ムツキが楽しそうに笑っている。
「くふふっ、効いてる効いてる」
「ムツキ!」
「だって本当のことだもん」
ソファに座るカヨコは小さく息を吐き、ハルカは落ち着かない様子で両手を握り締めていた。
今回の一件で、便利屋68の懐事情はかなり厳しくなっている。
アビドスへの妨害というカイザー側からの仕事は、途中で一方的に打ち切られた。前金こそ支払われていたものの、それだけでは十分とは言えない。追加で雇われた傭兵たちをまとめるために使った経費や、移動、弾薬、車両の維持費まで考えれば、期待していた利益どころではなかった。
しかも、次の大きな依頼がすぐに入る保証もない。
「でも! これから仕事が入れば返せるでしょう!?」
「その『これから』について、安定した収入を証明できる資料はございますか?」
「……」
「担保となる資産は?」
「……」
「継続的な取引実績は?」
「……」
質問されるたび、アルの肩が少しずつ落ちていく。
カヨコが目を伏せた。
「社長。それ以上はたぶん傷が深くなるだけ」
「分かってるわよ!」
「分かってる顔には見えないけど」
「カヨコまで!?」
銀行員は淡々と書類を閉じた。
「残念ですが、現状では返済能力を信用するだけの材料が不足しています」
「し、信用……」
アルがよろめく。
「ア、アル様!」
ハルカが慌てて駆け寄り、その身体を支えた。
「大丈夫ですか!? こ、こんな銀行、私が――」
「待ちなさいハルカ」
「は、はい!」
何をするつもりだったのかは聞かない方がいい。
カヨコもそう判断したらしく、口を挟まずに立ち上がる。
「行こう。ここで粘っても結果は変わらない」
「でも……」
「お金がないなら、別の仕事を探すしかないでしょ」
「そうだけど……」
アルは悔しそうに唇を噛んだ。
ハードボイルドなアウトローを目指して会社を作ったというのに、現実にやっていることといえば家賃や経費を気にし、銀行に頭を下げて融資を頼み、それすら断られている。
あまりにも理想とかけ離れていた。
「……こんなの、全然アウトローじゃないじゃない」
「銀行に融資を頼みに来た時点で、だいぶ真っ当だよね」
「ムツキ!」
「くふふっ」
ムツキはまったく悪びれない。
アルは最後に銀行員を睨んだものの、さすがにそこで暴れるほど無謀ではなかった。
「覚えてなさいよ……! いつか便利屋68がキヴォトス中に名を轟かせた時、今日融資しなかったことを後悔するんだから!」
「承知しました」
「その余裕の返事が腹立つ!」
思わず頭に血が上がったアルの脳裏へ、一瞬だけ物騒な考えが浮かんだ。
いっそのこと、このまま銀行を襲って金を持ち出してしまえば――。
そこまで考えて、アルは室内の外へ目を向ける。
入口には武装したマーケットガード。建物の各所にも警備が配置され、外へ出たところでブラックマーケット中に追跡網を張られることになる。自分たち四人なら多少の警備程度は蹴散らせる自信があるが、銀行一つを襲った後、この無法地帯そのものを敵に回して無事に脱出できるかは別問題だった。
「……」
アルの眉間に深い皺が寄る。
勢いだけで手を出すには、割に合わない。
「……帰るわよ」
「いいの、アルちゃん?」
「いいのよ!」
どこか悔しそうに言い切り、アルは肩を怒らせながら部屋を出た。
カヨコたち三人もその後に続く。
廊下を歩いている間も、アルの機嫌は戻らなかった。
「何よ、信用がないって……」
「実際、この前の仕事も途中で切られたしね」
「カヨコ、今それ言う!?」
「事実確認」
「今しなくていいでしょう!?」
先日の依頼を思い返せば、さらに気分が沈む。
カイザー側から請け負ったアビドスへの妨害工作。途中から追加の傭兵まで任され、何とか仕事を成立させようとしたものの、依頼主は必要な情報を最初から全部明かしてはいなかった。
黒い仮面の戦士――仮面ライダージョーカー。
以前の襲撃で現れたあの存在についても、依頼書には「確認した場合は交戦を避け、行動を報告すること」とだけ記されていた。
結果として作戦は失敗。
そして、依頼主はそれを理由に契約を打ち切った。
「だいたい、あの依頼だって変だったのよ。こっちに色々隠してたくせに、最後は失敗したからって一方的に――」
「まあまあ、アルちゃん」
ムツキが肩を叩く。
「世の中には悪い大人がいっぱいいるってことで」
「それをアウトローな私たちが言うの!?」
「くふふっ。だからこそ分かるんじゃない?」
「変なところで説得力出さないでよ!」
アルが振り返ると、ムツキはますます楽しそうに笑った。
そんなことを言い合いながら四人が銀行の外へ出ると、周囲が妙に騒がしかった。
先ほどまで普通に行き交っていた人々が足を止め、銀行の方を振り返っている。警備員たちも慌ただしく動き始めていた。
「……何?」
アルが眉を寄せる。
「何かあったみたいだね」
カヨコが周囲を見る。
間もなく、銀行の内側から怒号が響いた。
「強盗だ!」
「逃がすな!」
四人の動きが揃って止まった。
「……強盗?」
つい数分前、自分の頭にも浮かんだ単語を聞き、アルが目を瞬く。
ムツキが楽しそうに銀行を振り返った。
「へえ。本当にやる人いたんだ」
「ちょっと待って」
アルは思わず銀行を見る。
警備員たちが次々と外へ飛び出し、何人かはすでに別の通りへ向かって走っている。
どうやら強盗はもう銀行を離れているらしい。
「嘘でしょ……?」
「アルちゃん?」
「この銀行、本当に襲ったの……?」
自分はたった今、同じことを考えた末に諦めたばかりだ。
マーケットガードの数。
逃走経路。
襲撃後にブラックマーケット全体から追われる危険。
それらを考えれば、とても割に合わない。
にもかかわらず、誰かが本当に実行した。
「どんな奴らよ……!」
興味が、さっきまでの落ち込みを押し退けていく。
「アル様……」
「見てみたいわ」
「え?」
「この銀行を襲うような奴よ? どんなアウトローなのか気になるじゃない!」
「やっぱりそうなるんだ」
カヨコが呟く。
「当然でしょ!」
アルはすでに周囲を見回していた。
するとムツキが、通りの奥を指差す。
「アルちゃん。もしかして、あれじゃない?」
「どれ?」
「あそこ」
人波の向こう。
かなり離れた先を、何人かの人影が駆けていくのが見えた。
ピンク、ブルー、グリーン、レッド。それぞれ色の違う覆面を被った武装した少女たちと、その中に混じる、頭から紙袋を被った一人。
さらに、大人の女性も一緒に走っている。
「……あれ?」
アルの目が大きくなる。
直後、後方から警備員たちが同じ方向へ走っていく。
それだけで十分だった。
「まさか……あの人たちが?」
「たぶん」
カヨコが答える。
アルは遠ざかっていく覆面集団へ目を凝らした。
「本当に……やったのね」
自分が危険すぎると判断してやめたことを、あの集団は実行した。
しかも、すでに銀行を抜け出し、追跡を振り切ろうとしている。
アルの目に一気に光が戻った。
「なんてアウトローな人達なの……!」
「くふふっ。すごい食いつき」
「当たり前でしょ! このブラックマーケットの銀行よ!? それを襲って逃げ切ろうとしてるのよ!」
アルは遠ざかる一団を見つめたまま、興奮を隠そうともしない。
その横で、カヨコは少しだけ目を細めた。
「……」
「どうしたの、カヨコちゃん?」
「いや。あの人たち、どこかで見たような気がして」
「え?」
ムツキも改めて一団を見る。
距離がある上、全員が顔を隠している。それでも、走り方や持っている銃、背格好には見覚えがあった。
そして何より、集団の中にいる大人の女性。
「……あれ、先生じゃない?」
カヨコが小声で言う。
ムツキの口元が楽しそうに吊り上がった。
「やっぱり? 私もそう思った」
「だったら、あの子たちもたぶん……」
二人の視線が遠ざかる覆面姿へ向かう。
その会話を聞いたアルも目を瞬いた。
「先生?」
「たぶんね」
「じゃあ、まさか……」
アルも改めて一団を見るが、その頃には向こうは次の角へ差しかかっていた。
姿が見えなくなる。
「あっ、待ちなさい!」
反射的に一歩踏み出したアルを、カヨコが横目で見る。
「何するの、社長」
「決まってるでしょ!」
アルは覆面集団が消えた角を指差した。
「追いかけるわよ!」
「やっぱり?」
「話を聞くの! どうやってあの銀行を襲ったのか。それに、本当に先生たちならなおさら聞きたいことがあるわ!」
「今は絶賛逃走中だけど?」
「だから見失ったら終わりでしょう!」
アルはそう言うなり走り出した。
「アル様! お、お待ちください!」
ハルカも慌てて後を追う。
「くふふっ。面白くなってきたね」
ムツキは楽しそうに駆け出し、カヨコは一度だけ銀行側を振り返った。
警備員たちも同じ方向へ向かっている。
今追いかければ、まず間違いなく面倒事に近づくことになる。
「……まあ、そうなるよね」
小さく息を吐き、カヨコも三人の後を追った。
こうして便利屋68は、逃走する覆面集団を追いかけ始めた。
その先で、自分たちまで追われる側に数えられることになるとは、まだ誰も知らなかった。
* * *
銀行からかなり距離を取った頃には、後ろから聞こえていた警備員たちの声も少しずつ遠ざかっていた。
『この先を左です。そのまま二ブロック抜ければ、大通りへ出られます!』
通信機から聞こえるグレーの案内に従い、ブルーが先頭で角を曲がる。レッド、グリーン、ファウストが続き、先生とピンクも速度を落とさず後を追った。
「もう少し?」
『はい。このままなら――』
グレーの言葉が途中で止まった。
「グレー?」
『……待ってください』
声色が変わる。
先生もすぐに気づいた。
「何かあった?」
『少し後ろから、皆さんと同じ方向へ走ってくる人たちがいます』
「警備?」
『いえ……四人です。銀行の警備とは別みたいです』
ブルーが走りながら振り返る。
「追跡者?」
「分からない。グレー、武装は?」
『しています。でも制服が揃っていません。少なくとも銀行の警備員には見えません』
「この状況でこっちを追ってくる武装集団って何なのよ……」
レッドが嫌そうに呟いた。
それから十数秒ほどして、その答えは向こうからやって来た。
「待ちなさーい!」
通りの奥から声が響く。
レッドの肩が跳ねた。
「何!?」
先生が振り向くと、少し離れた後方から四人の少女がこちらへ走ってきていた。
先頭を走っているのは、見覚えのある赤い髪の少女。
「……あれ?」
先生が目を瞬く。
ピンクも振り返り、少し間を置いてから呟いた。
「おやぁ?」
「待ってって言ってるでしょー!」
アルだった。
その後ろからムツキ、カヨコ、ハルカもついてきている。
「なんであいつらがいるのよ!?」
レッドが思わず声を上げる。
「レッド、声」
「今はそれどころじゃないでしょ!」
ブルーは少し考えてから、淡々と言った。
「追いつかれる」
「いや、そこで冷静に分析しないで!」
「止まる?」
「止まらないわよ!」
ファウストだけは紙袋越しにも分かるほど慌てていた。
「ど、どうしましょう先生! 知り合いの方ですよね!?」
「うん。知り合いではあるんだけど……」
先生も困った。
なぜ便利屋68が銀行強盗中の自分たちを追いかけているのか、まったく分からない。
「とりあえず今は逃げよう。話は安全なところに出てから」
「賛成」
ブルーが即答する。
しかし後ろのアルは諦めない。
「ちょっと! 話を聞きたいだけよ!」
「今!?」
思わずレッドが振り返った。
「今しかないじゃない!」
「こっちは逃げてる最中なのよ!」
「だから追いかけてるんでしょ!」
「意味分かんない!」
後方でムツキの笑い声が聞こえる。
「くふふっ。ちゃんと返事してくれたよ、アルちゃん」
「今のは会話に入るの!?」
カヨコの冷静な声まで続いた。
追われる側と追う側の距離は、少しずつ縮まっている。
このまま大通りまで出れば、一度足を止めて事情を聞くこともできるかもしれない。
そう先生が考えたところで、通信機から鋭い声が飛んだ。
『先生!』
「どうしたの、グレー」
『前方に車両! 複数です!』
先生の表情が変わった。
「銀行の警備?」
『違います。もっと大型です。装甲車両が三……いえ、四台。さらに後続あり!』
「所属は?」
僅かな間。
『……カイザーPMCです!』
走っていた全員の空気が変わった。
「カイザー?」
レッドが息を呑む。
「何でこんなところに……」
グリーンの声からも柔らかさが消える。
先生は即座に周囲を確認した。
正面は広い交差点。その先が大通りへ続いている。
だが、その出口を塞ぐように黒い装甲車両が次々と姿を現した。
車体側面には、見覚えのある企業章。
間違いない。
カイザーPMCだ。
「止まって!」
先生の声に、覆面組が一斉に速度を落とす。
直後、先頭の装甲車両が横向きに停まり、道路を塞いだ。後続車両から武装したPMC兵が次々と降車し、瞬く間に射線が組まれていく。
「……用意が良すぎない?」
ピンクが呟く。
先生も同じことを考えていた。
銀行側の警備が追ってくるなら分かる。
だが、これは違う。
カイザーPMCが、こちらの逃走経路を読んだように先回りしている。
「グレー。別ルートは?」
『確認します!』
アヤネがすぐに答える。
その間にも後ろから足音が近づいてきた。
「やっと追いついた!」
アルたち便利屋68だった。
「ちょっとあなたたち――」
「止まって!」
先生が強く制した。
「え?」
アルが足を止める。
カヨコは一瞬で状況を察し、前方のPMC部隊を見る。
「……まずいね」
「カイザー……?」
ハルカも銃を構え直す。
ムツキは周囲を見渡しながら、いつもの笑みを少しだけ薄くした。
「ずいぶん大人数だね」
「アル達は、どうしてここに?」
先生が尋ねると、アルは胸を張った。
「決まってるでしょ! その人たちに話を――」
「社長」
カヨコが遮った。
「たぶん今、それどころじゃない」
「え?」
アルが前を見る。
PMC部隊の銃口がこちらを向いていた。
覆面集団だけではない。
便利屋68にも。
「……ちょっと待って」
アルの顔が引きつる。
前方のPMC兵の一人が通信機へ何かを報告する。
『対象を確認。武装集団複数。銀行襲撃犯と合流した模様』
「は?」
アルの声が裏返った。
「違うわよ!?」
返答はない。
『共犯者と判断。全員を拘束する』
「ちょっと待ちなさい! 私たちは今来たばっかりよ! 銀行強盗なんてしてないわ!」
「その四人は関係ない!」
今度は先生が前へ出た。
「銀行に入ったのは私たち。この子たちは今ここへ追いついただけだよ」
PMC側から返事はなかった。
兵士たちは先生の言葉を聞いているはずなのに、便利屋68へ向けられた銃口が下がる気配もない。
「……聞く気ないね」
先生が小さく呟く。
「だから言ってるでしょ! 私たちは関係ないって!」
アルがなおも訴えるが、カヨコは前方の動きを観察したまま静かに言った。
「社長、たぶんもう説明の問題じゃない」
「何よそれ!」
「向こうは私たちが何者か確認するより、まとめて拘束する方を選んだってこと」
実際、PMC側ではすでに兵士たちが展開を終えつつあった。
後方では銀行の警備も近づいている。
前にはカイザー。
後ろには追手。
そしてその間には、事情も知らずに自分たちを追いかけてきた便利屋68までいる。
先生は一度だけアルたちを見てから、すぐ通信機へ手を当てた。
「グレー。便利屋68も一緒に抜けられる道を探して」
『はい!』
「ちょっと!」
アルが食ってかかる。
「何で私たちまで逃げる前提なのよ!」
「ここに残ったら捕まるよ?」
「それは……」
アルがPMC部隊を見る。
すでに重装備の兵士まで降りてきている。
「……そうだけど!」
「巻き込んじゃった以上、このまま置いてはいけないから」
「勝手に巻き込まれたみたいに言わないでよ! 追いかけてきたのは私たちだけど!」
「どっちなの?」
「今はそこじゃないわよ!」
先生は少しだけ苦笑したが、すぐに表情を戻した。
「とにかく、隙を作る。アルたちは抜けられるなら先に離れて」
「そう言われてもね」
カヨコはすでに銃へ手をかけていた。
「向こうはそのつもりじゃなさそうだけど」
PMC兵たちが一斉に銃を構える。
アルも自分の銃を持ち直した。
「もう……何なのよ! 話を聞きに来ただけなのに!」
「アル様!」
「分かってるわ、ハルカ!」
ムツキは小さく笑う。
「銀行にお金借りに来ただけだったのに、今度は銀行強盗の仲間扱いかあ」
「笑ってる場合じゃないわよ!」
その時、PMC側から警告が響いた。
「武器を捨てろ! 抵抗すれば実力行使に移る!」
先生は答えず、相手の配置を見ていた。
前方中央に厚い部隊。
両側の路地にも少数。
車両は道路を塞ぐように配置されている。
単純な包囲に見えるが、完全ではない。
まだ抜けられる。
「グレー」
『はい。私も見つけました』
先生の口元が僅かに緩んだ。
「右側の細い路地?」
『はい! 大型車両は入れません。そこから二本先の通りへ抜けられます!』
「よし」
先生は全員へ視線を走らせる。
「突破するよ」
レッドが構え直す。
「結局こうなるのね……!」
「できるだけ短く終わらせる」
ブルーが静かに前を見る。
「道を開ければいい?」
「うん。ただし深追いしないで。目的は逃げること」
「了解」
ピンクも盾を構え、グリーンが後方を確認する。
便利屋68側では、アルがまだ納得しきれない顔をしながらも銃口を前へ向けた。
「……後で絶対話してもらうわよ!」
先生は苦笑した。
まだ、余裕はある。
この程度の包囲なら崩せる。
少なくとも、この時点ではそう判断できた。
しかし、カイザー側の目的は彼女たちをただ追い払うことではなかった。
奪われた記録を取り戻すために用意されていたのは、通常のPMC部隊だけではなかった。
* * *
最初に動いたのはカイザーPMCだった。
「抵抗を確認! 制圧しろ!」
号令と同時に、前方へ展開していた兵士たちが一斉に発砲する。
「ピンク、前!」
「はいはいっと!」
先生の声を受け、ピンクが大型の盾を構えて一歩前へ出た。銃弾が盾へ立て続けに叩きつけられ、激しい金属音を響かせる。
その陰へレッドとファウストが入り、ブルーは右側の建物沿いへ素早く移動した。
「ブルー、右奥の三人。グリーンは中央を押さえて。レッドはピンクの後ろから右の路地を開けて!」
「了解」
「は~い!」
「分かったわ!」
ブルーのライフルが短く火を噴き、右側から回り込もうとしていたPMC兵が足を止める。それとほぼ同時に、グリーンの機関銃が中央へ弾幕を張り、前進しようとしていた部隊を装甲車の陰へ押し戻した。
ピンクは盾で正面からの射線を受けながら距離を詰め、間合いへ入った兵士をショットガンで牽制する。
その横をレッドが抜けた。
「そこ、どきなさい!」
短い連射。
右側の路地を塞ごうとしていた兵士たちが慌てて遮蔽物へ退く。
「今!」
先生の声に全員が動いた。
この場に留まって敵を倒し続ける必要はない。右側の細い路地へ入るために、ほんの数秒だけ道を開ければいい。
「ファウスト、走れる?」
「は、はい! もう紙袋にも慣れてきました!」
「慣れなくていいと思うけど」
「私もそう思います!」
こんな状況でも律儀に返事をするファウストを先生の近くへ置いたまま、一行は少しずつ右へ寄っていく。
便利屋68の四人も、自分たちへ向けられた銃撃を受けて黙ってはいなかった。
「もう! 何で私たちまで撃たれなきゃいけないのよ!」
アルが遮蔽物から身を乗り出し、遠方からこちらを狙っていたPMC兵へ正確に撃ち返す。
「言い分はあとで聞いてもらえば?」
カヨコはそう答えながら、別方向から詰めてくる相手へ銃口を向けた。
「聞く気があるなら最初から撃ってきてないわよ!」
「それもそうだね」
「冷静に納得しないで!」
その近くでは、ムツキが楽しげな笑みを浮かべながら爆発物を放る。
「じゃあ、とりあえず逃げ道だけ作っちゃおっか」
爆発。
PMC兵たちが慌てて散り、その隙間へハルカが踏み込んだ。
「アル様たちの邪魔を……しないでください!」
近距離から散弾が放たれ、さらに敵の陣形が崩れる。
先生は便利屋68へ細かな指示を飛ばしてはいなかった。
その必要もなかった。
彼女たちは四人だけで何度も危険な仕事をこなしてきた集団だ。こちらの動きに合わせろと命令するより、互いの狙いを一つだけ共有した方がいい。
「アル!」
「何よ!」
「右の路地から抜ける! 私たちはそこを開けるから、行けそうなら一緒に!」
「最初からそう言いなさい!」
「さっき言ったよ!」
「こんな状況じゃ聞こえないのよ!」
言い返しながらも、アルは右へ身体を向ける。
カヨコもすぐに意図を理解した。
「ムツキ、ハルカ。右へ寄るよ」
「はーい」
「分かりました!」
覆面組と便利屋68。
本来なら一緒に戦う理由すらなかった二つの集団が、カイザーPMCに囲まれたことで同じ出口を目指して動き始める。
そして、数分も経たないうちに戦況は明確に傾き始めていた。
正面から押さえるピンク。
射線の隙間を正確に突くブルー。
火力で敵を動かすグリーン。
機動力を活かして側面を削るレッド。
先生の近くから援護するファウスト。
さらに便利屋68の四人が、それぞれ独自に敵の薄い箇所へ攻撃を重ねる。
数ではカイザー側が上でも、全員を同時に相手取る必要はない。
装甲車と建物の位置を利用して射線を切り、狭い場所へ誘導し、一度に戦える敵の数を減らす。敵が横へ広がればグリーンが押さえ、密集すればムツキが崩す。離れた位置から指揮や狙撃を行おうとすればブルーやアルが牽制する。
やがて右側を塞いでいた部隊が後退した。
『先生! 今です!』
グレーの声が飛ぶ。
『その路地へ入れば、次の通りまで抜けられます!』
「みんな、右へ!」
先生の指示に合わせ、一行が一斉に動き出した。
あと十数メートル。
そこまで行けば、装甲車は追ってこられない。
ブルーが先行し、路地の入口へ銃口を向ける。
「入口、クリア」
「よし。そのまま――」
先生が続けようとした瞬間だった。
金属が弾けるような音とともに、青白い光が路地の奥で瞬いた。
「ブルー!」
先生が叫ぶより早く、ブルーが横へ跳ぶ。
直後、さっきまで彼女がいた地面を電撃が走った。
「……っ」
壁沿いの配線や金属製の柵へ電流が飛び移り、激しい火花が散る。
ブルーはすぐに体勢を立て直したものの、路地の入口から一度距離を取らざるを得なかった。
「何よ、今の!」
レッドが声を上げる。
カイザー兵の後方で、それまで見なかった装置が展開されていた。
銃とは異なる大型の機械。
その中央部分で、見覚えのある形状をした部品が光っている。
「……あれ」
ピンクが僅かに目を細めた。
先生もそれを知っていた。
細部は違う。
だが、旧物流施設やセリカの誘拐で見た装置と、どこか共通した作りをしている。
「疑似メモリ兵器……」
先生が呟いた。
「こんなところで!?」
レッドが振り返る。
「ってことは、やっぱりカイザーが――」
「まだ断定しない」
先生は即座に止めた。
「でも、少なくとも今この場でカイザーPMCが使ってる。それは確か」
それだけでも大きな情報だった。
しかし、今は調査結果を喜んでいる場合ではない。
『先生、別の車両からも何か降ろしています!』
グレーの声に緊張が混じる。
「数は?」
『確認できるだけで……五種類。いえ、まだ増えるかもしれません!』
先生が前を見る。
カイザー兵たちが一度大きく後退していた。
逃げているのではない。
射線を開けている。
「全員、散って!」
先生の声とほぼ同時に、正面の装置から空気を叩くような衝撃が放たれた。
轟音。
目に見えない圧力が道路を走り、積まれていた木箱や簡易バリケードをまとめて吹き飛ばす。
「うわっ!?」
アルが咄嗟に腕で顔を庇う。
「アル様!」
ハルカが支え、二人で後方へ踏ん張る。
ピンクは盾を地面へ押しつけて衝撃を受け止めたが、それでも数歩分押し戻された。
「っ……これは、きついねえ」
その直後、別の装置が起動する。
今度は道路の左右へ光が走り、半透明の壁がせり上がるように形成された。
「障壁?」
ブルーが短く呟く。
右の路地へ続く入口、その半分が光の壁に塞がれる。
「壊せる?」
「試す」
ブルーが数発撃ち込む。
着弾部分へ波紋のような光が広がるだけで、障壁そのものは消えない。
グリーンも機関銃を向けようとするが、先生が止めた。
「待って。正面を空けすぎる」
敵の狙いが見えてきた。
一つ一つの兵器だけなら、対処はできる。
電撃装置だけなら射線から外れればいい。
衝撃波なら距離や遮蔽物で対応できる。
障壁も集中攻撃すれば破壊できる可能性がある。
だが、それらを同時に使われれば話が変わる。
避けた先を別の装置が潰す。
「グレー、別の出口!」
『探しています!』
先生は周囲を確認する。
左側の裏路地。
建物と建物の間に狭い通路がある。
「左へ切り替える! ピンク、中央を抑えて。ブルーとレッドは――」
金属音。
今度は道路脇から複数の細いワイヤーが射出された。
「危ない!」
レッドが横へ飛ぶ。
ワイヤーの先端が壁や地面へ突き刺さり、直後に強い電磁力が発生した。
近くに転がっていた金属片が一斉に引き寄せられ、通路を塞ぐように絡み合っていく。
「またこれ!?」
レッドが声を荒らげた。
以前、自分を捕らえたものと完全に同じではない。
だが、拘束を目的とした装置だということは一目で分かる。
「レッド、近づかないで!」
「分かってる!」
左右を障壁と拘束装置。
正面からは衝撃波。
位置を変えれば電撃が追ってくる。
それでも、まだ詰んではいない。
「グレー。上は?」
『建物の裏手に非常階段があります! 二階を通れば反対側へ――』
アヤネの声が止まった。
「グレー?」
『……待ってください』
今までとは違う声だった。
『何か、周囲の様子が……』
先生も気づく。
空気が少しずつ冷え始めている。
「……寒くない?」
アルが腕を擦る。
最初は、風が変わっただけにも思えた。
だが違う。
吐く息がうっすら白くなり、路面に残っていた水溜まりの縁へ薄い膜のような氷が生まれていく。
金属製の柵には細かな霜が浮かび始めていた。
カヨコが足元へ目を落とす。
「……これも装置?」
先生は敵陣の奥を見る。
他の疑似メモリ兵器よりも大きな筐体。
低い駆動音を響かせながら、白い冷気を絶え間なく周囲へ吐き出している。
「たぶん」
しかし、先ほどまでの兵器とは少し性質が違う。
電撃や衝撃波のように、一度の発動で大きな効果を出すものではない。
装置が動き続けるほど、周囲から徐々に熱が奪われていく。
「全員、長居しないで!」
先生が即座に言った。
「これ、時間をかけるほどまずくなる!」
その言葉を証明するように、数十秒前には薄く曇る程度だった路面へ、少しずつ霜が広がっていった。
すぐに身体を凍らせるほどではない。
だが足元は確実に滑りやすくなり、壁や遮蔽物の金属部分も急速に冷えていく。
「足元、滑る」
ブルーが位置を変えながら呟く。
レッドも踏み込む直前に足を止めた。
「最悪……これじゃ走りにくいじゃない」
「それが狙いかもね」
先生は答える。
瞬間的な威力では、他の兵器より低い。
だが逃走戦では厄介だった。
時間が経つほど、こちらの移動できる場所そのものが減っていく。
ピンクの盾にも白い霜が付き始めていた。
「うへぇ。冷たくなってきたねえ」
盾を一度持ち上げる。
まだ問題なく動く。
だが地面へ接していた下端には薄い氷がまとわりつき、持ち上げた際にぱきぱきと砕け落ちた。
「ピンク、その場に留まりすぎないで」
「分かってるよ」
ピンクは盾を構え直し、数歩位置を変える。
それでも敵からの銃撃と衝撃波を受け止めるため、どうしても一か所へ留まる時間は長くなる。
その間にも冷気は止まらない。
『先生、非常階段の下にも霜が広がり始めています!』
「まだ使える?」
『今なら! でも、このまま冷え続けたら階段そのものが凍って危険になります!』
「分かった。候補には残して!」
『はい!』
まだ道は完全には塞がれていない。
だからこそ厄介だった。
すぐには使えなくならない。
だが判断が遅れれば遅れるほど、選択肢が一つずつ悪くなる。
再び衝撃波が放たれる。
「来る!」
全員が身を伏せる。
積まれていた木箱が砕け、破片が道路へ散乱する。
その破片にも、時間とともに霜が積もっていく。
そこへ電撃が走り、動ける範囲をさらに狭めた。
「くっ……!」
先生は壁際へ身を寄せる。
「先生!」
ブルーがすぐ前へ出ようとする。
「大丈夫! 前を見て!」
先生は立ち上がりながら状況を確認した。
まだ戦える。
全員、大きな負傷はない。
だが、このまま長引けば不利になる。
相手は倒すためだけに攻撃しているわけではない。
動かし、避けさせ、その先を塞ぎ、最後に拘束する。
そして凍結装置だけは、その間ずっと戦場へ影響を蓄積し続けている。
「……厄介だね」
先生が呟く。
ブルーが短く問い返す。
「突破できる?」
「できる」
先生は即答した。
ただし、続ける。
「今のまま正面からは無理。あの装置の組み合わせを崩す必要がある」
視線を巡らせる。
電撃。
衝撃波。
障壁。
拘束。
そして、ゆっくりと戦場そのものを奪っていく凍結。
どれか一つでも止めれば、盤面は変わる。
「まず凍結装置を止めたい」
「一番危険?」
レッドが問い返す。
「今すぐ一番危険なわけじゃない。でも放っておいたら、一番面倒になる」
先生は白くなり始めた路面を見る。
「今なら走れる。でも数分後も同じとは限らない。新しい退路を見つけても、そこを凍らされたら意味がない」
「距離がある」
ブルーが敵陣の奥を見る。
「しかも障壁の後ろ」
レッドが続ける。
「近づこうとしたら衝撃波で飛ばされるわよ」
「だから順番に崩す」
先生はすぐに指示を組み直す。
「グリーン、障壁を張ってる装置へ集中。ブルーはその周辺の兵を抑えて。レッドは拘束装置の射角から外れて右へ。ピンクは一か所に留まりすぎないで」
「了解」
「は~い!」
「分かった!」
「おじさんも動き続けた方が良さそうだねえ」
ピンクが盾を持ち上げる。
先ほどより、下端にまとわりついた氷が増えていた。
まだ引き剥がせる。
だが、同じ場所で長時間受け続ければどうなるかは明らかだった。
ファウストもライフルを構える。
「私は?」
「私の近くから援護。無理して前に出ないで」
「はい!」
先生は便利屋68へ顔を向ける。
「アルたちは――」
「言っとくけど、何もしないで待ってるつもりはないわよ!」
アルが先に言った。
「こっちは勝手に仲間扱いされて撃たれてるんだから!」
「……そっか」
「何よ、その顔!」
「いや。頼もしいなって」
「当然でしょ!」
カヨコが小さくため息をつく。
「社長、話してる暇ないよ」
「分かってるわよ!」
便利屋68もそれぞれ構え直した。
先生は彼女たちへ命令はしない。
ただ一つだけ伝える。
「私たちは障壁を崩す。そっちも抜けるなら、その瞬間が一番動きやすいと思う」
「それで十分」
カヨコが答えた。
次の瞬間、グリーンの機関銃が火を噴いた。
弾丸が障壁へ集中し、光の壁全体へ激しい波紋が広がる。
「ブルー!」
「了解」
障壁装置を守ろうと身を乗り出したPMC兵へ、ブルーが牽制射撃を重ねる。
レッドはその隙に右側へ走り、拘束ワイヤーの射線を外れていく。
アルたちも独自に動き始めた。
まだ突破口はある。
先生はそう判断していた。
だが、カイザー側もそれを見逃してはいなかった。
「凍結装置、出力上昇!」
敵陣から声が飛ぶ。
低い駆動音が一段高くなった。
吐き出される冷気の量が増え、周囲の温度がさらに下がっていく。
それでも、世界が一瞬で凍りつくようなことはない。
代わりに、変化は確実に積み重なっていった。
路面を覆っていた霜が少しずつ厚みを増す。
水溜まりは完全に凍り、金属製の遮蔽物には白い氷がまとわりつき始める。
開きかけていた右側の通路にも霜が伸び、その先の地面が徐々に滑りやすくなっていく。
「……時間を稼がれてる」
カヨコが気づいた。
「うん」
先生も頷く。
カイザー側は、凍結装置だけで一気にこちらを止めようとしているわけではない。
障壁。
拘束。
電撃。
衝撃波。
それらでこちらを足止めする。
その間に凍結装置を動かし続け、戦場を少しずつ自分たちに有利な状態へ変えていく。
「ピンク!」
「分かってる!」
ピンクが盾を持ち上げる。
今度は少し重い。
下端と地面の間にできていた氷が抵抗し、力を込めると遅れて砕けた。
「……さすがに長居はしたくないねえ」
まだ動かせる。
だが、あと数分同じ状況が続けば分からない。
『先生! このまま冷却が続けば、さっきの非常階段も使えなくなります!』
「あとどれくらい?」
『正確には分かりません! でも、さっきより明らかに凍結速度が上がっています!』
「了解!」
先生は唇を結ぶ。
攻略の順番を組み立てる時間そのものが、相手の武器になっている。
それでも止まるわけにはいかない。
先生が次の手を考えようとした、その時。
白い霜に覆われ始めた路面のさらに向こうから、何かが砕ける音が響いた。