青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
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ゲヘナ自治区。
その地下には、地上で暮らす生徒たちのほとんどが知らない空間がいくつも存在している。
使われなくなった古い地下通路。
都市整備の過程で放棄された区画。
複雑に張り巡らされた配管。
照明すら失われた場所も少なくない。
そんな地下の一角。
水滴が落ちる音だけが、暗闇の中に響いていた。
ぴちゃん。
ぴちゃん。
一定の間隔で落ちる水滴。
その間に。
ずるり。
重い何かが地面を擦る音が混じる。
「ヴ……ァ……」
低い呻き声。
それは獣のものにも聞こえた。
けれど、完全な獣の声でもなかった。
もっと濁っている。
喉の奥で何かを押し潰しながら、無理やり絞り出したような声。
暗闇の奥。
二つの足がゆっくりと進む。
僅かに残っていた非常灯の光が、その姿を照らした。
白目を剥いた、巨大なティラノサウルスの頭部と鋭い牙を並べた大きな顎。
それが上半身の大部分を占めている。
巨大な頭部からは、人間ほどの大きさを持つ手足が生えている。
左腕だけは爬虫類を思わせる異形へ変貌し、指先には肉を容易に引き裂けそうな鋭い爪。
手足には、血管をそのまま浮かび上がらせたような不気味な模様が走る。
背後から伸びているのは、肉というより骨を思わせる脊椎状の尾。
異様。
その一言だけでは足りないほど、常識から外れた姿だった。
――T-REXドーパント。
「ヴァ……ァ……」
巨大な顎から、荒い呼吸が漏れる。
その怪物は。
元々、怪物だったわけではない。
数日前までは、キヴォトスのどこにでもいる一人の獣人男性だった。
けれど今。
彼だったものの身体には、以前の面影などほとんど残されていなかった。
ガイアメモリの強大な力。
そして、その中に含まれる毒素。
生体コネクターさえ持たない身体で無理やり使用した結果。
もはや彼自身がメモリを使っているのか。
それとも。
メモリの方が彼の身体を使っているのか。
その境界すら、曖昧になりつつあった。
「グ……ヴァ……」
T-REXドーパントが立ち止まる。
その少し離れた場所。
「……っ」
少女が口元を押さえた。
息を殺す。
制服は土と埃に汚れている。
脚には擦り傷。
その傍らには、他にも何人かの生徒がいた。
壁にもたれかかっている者。
横たわり、気を失っている者。
脚を負傷し、動けなくなっている者。
誰も。
好んでここへ来たわけではない。
地上で突然地面が崩れた。
地下から飛び出してきた怪物から逃げている最中、古い地下区画へ転落した。
あるいは。
地中を進む異形が地盤を破壊したことで、巻き込まれた。
理由はそれぞれ違った。
ただ。
彼女たちには一つだけ共通点があった。
――風紀委員会が探していた行方不明者。
ここ数日。
ゲヘナ自治区で、一人。
また一人と。
突然姿を消していた生徒たち。
風紀委員会が街中を探しても。
最後に目撃された場所を調べても。
痕跡がほとんど見つからなかった理由。
それは。
彼女たちが、ずっと街の下にいたからだった。
「……う……」
横たわっていた少女が、小さく呻いた。
「しっ……!」
隣にいた少女が慌ててその肩へ手を置く。
「静かに……」
小さな声。
けれど。
その僅かな音に。
「……ヴァ?」
T-REXドーパントの頭部が動いた。
「……!」
全員の身体が強張る。
巨大なティラノサウルスの頭が、ゆっくりとこちらを向く。
「ヴ……」
白い眼。
そこから、何を見ているのか。
分からない。
ただ。
少女たちは声を出さない。
呼吸さえ止めるように、身を寄せ合う。
「…………」
数秒。
長い。
異様に長く感じた。
やがて。
T-REXドーパントの頭部が、別の方向へ向いた。
「ヴァ……ァァ……」
爬虫類状の左手が地面へ触れる。
何かを感じ取ったように。
巨大な身体が低くなる。
次の瞬間。
ドン――。
「……!」
地面が大きく揺れた。
T-REXドーパントの身体が、まるで水中へ沈み込むように地面へ潜っていく。
土砂が跳ねる。
爪が地面を掻く。
脊椎状の尾が最後まで残り。
やがて。
それすら暗闇へ消えた。
「…………」
誰も動かなかった。
遠く。
地面の下を進んでいく振動だけが残る。
「……行った?」
「多分……」
震えた声。
その瞬間。
誰かが堪えきれず、泣き出した。
「帰りたい……」
「大丈夫」
自分自身も震えながら。一人の少女が、その背中を抱いた。
「きっと……誰かが探してるから」
そう言うしかなかった。
ここがどこなのかも分からない。
地上へ戻る道も分からない。
そして。
あの怪物が、いつ戻ってくるのかも。
分からなかった。
* * *
同じ頃。
ゲヘナ自治区から離れた場所。
カイザーが所有する非公開研究施設。
薄暗い管制室には、複数のモニターが並んでいた。
「対象の反応を再捕捉」
研究員が端末を操作する。
「ゲヘナ自治区地下を移動中です」
中央の大型モニター。
そこにはゲヘナ自治区の地図が表示されていた。
複数の地点に、赤い印。
道路の陥没。
地下設備の破損。
原因不明の振動。
そして。
正体不明の怪物を見たという、断片的な目撃情報。
それらを重ね合わせる。
一つの移動経路が浮かび上がった。
「やはり、地中移動能力を使用しているか」
「はい」
研究員が頷く。
「研究施設での実験時に確認したものと同じ能力です。ただ、現在は当時よりも行動範囲が大幅に広がっています」
「原因は?」
「現段階では断定できません」
別の研究員が答える。
「メモリへの身体適応が進行している可能性。または、単純に施設外へ出たことで能力を制限する要素がなくなった可能性もあります」
「なるほど」
少し離れた場所。
カイザー上層部に属する男が、椅子に座ったままモニターを見ている。
そこに焦りはなかった。
研究施設から実験体が逃げ出した。
本来なら、大きな失態だ。
にもかかわらず。
その目に浮かんでいるのは、不安でも怒りでもない。
計算。
ただそれだけだった。
「生命反応は?」
「確認できています」
「状態は?」
「かなり不安定です」
研究員がデータを拡大する。
「生体反応は通常時から大きく逸脱しています。メモリによる肉体への侵食も進行しているものと思われます」
「自我は?」
「確認できません」
「呼びかけへの反応は?」
「なし」
「命令には?」
「従いません」
研究員が一瞬だけ言葉を止める。
「……使用者としての意識は、ほぼ失われている可能性があります」
「そうか」
短い返事。
それだけ。
「回収部隊は?」
「すでにゲヘナ自治区へ入っています」
「接触は?」
「まだです」
「急がせろ」
「はい」
研究員が指示を入力しかける。
その時。
「ただし」
低い声が続いた。
「優先順位を間違えるな」
研究員が手を止める。
「……と、いいますと?」
「回収対象だ」
男はモニターへ視線を向ける。
画面の片隅。
そこには。
《T-REX》
という文字が表示されていた。
「最優先はメモリだ」
「実験体ではなく?」
「実験体は代替が利く」
即答。
「……」
研究員は黙る。
「生存状態で回収できるなら、それに越したことはない。継続して経過を観察できるからな」
「はい」
「だが、実験体を保護するためにメモリを失うなどという真似はするな」
「……了解しました」
「死亡した場合は?」
「……」
「聞いている」
「遺体を回収します」
「全部は必要ない」
男は淡々と続ける。
「変異した組織を優先しろ」
「組織……」
「血液。筋肉。神経。骨格。可能なら脳もだ」
「……」
「コネクターなしで長時間メモリを使用した身体が、どこまで変質するのか」
男の目が細くなる。
「貴重な資料になる」
そこに。
一人の被験者に対する同情などなかった。
最初から。
彼らにとっては、そうだった。
高額報酬で集めたテスター。
それ以上でも、それ以下でもない。
「それから」
「はい」
「ゲヘナ自治区での行動記録も残しておけ」
「実験体のですか?」
「そうだ」
「ですが、これは予定外の事態です」
「予定外だから何だ?」
男が研究員を見る。
「得られる情報を捨てる理由にはならない」
「……」
「地中での移動速度。活動可能時間。建造物に対する破壊力」
一つずつ。
指示が並べられていく。
「そして」
ゲヘナの地図。
「生徒たちとの戦闘能力」
「……実戦データとして利用するおつもりですか?」
「せっかく実戦環境へ出たんだ」
男は何でもないことのように答える。
「利用しない手はない」
「……了解しました」
「ただし」
声が低くなる。
「風紀委員会には、こちらの存在を悟られるな」
「はい」
「回収部隊にも徹底させろ」
研究員が頷く。
通信が飛ばされる。
モニターに映る赤い点は。
ゆっくりと。
ゲヘナ自治区中心部へ近づいていた。
* * *
昼過ぎ。
ゲヘナ自治区。
「……ったく」
翔は紙袋を片手に歩いていた。
「マスター、自分で忘れたなら自分で買いに来いよな……」
ぶつぶつと文句を言いながら。
それでも歩みはいつも通りだった。
昼の営業中。
食材の一つが足りないことにニャン次郎が気づいた。
そして。
『翔』
『ん?』
『買い出し』
『……今から?』
『今からだ』
それだけ。
「人使い荒いっての……」
紙袋を持ち直す。
とはいえ。
この辺りを一人で歩くことにも随分慣れてきた。
最初の頃は、見るものすべてが珍しかった。
銃を持った生徒。
ロボット。
獣人。
何の前触れもなく響く爆発音。
今では。
「……ゲヘナだし」
自分でも驚くほど、その一言で済ませられることが増えた。
「慣れって怖いな……」
そんな独り言を漏らした。
その時。
ドン――。
「……?」
翔が足を止める。
鈍い音。
遠い。
けれど。
爆発音とは少し違った。
もっと。
地面の奥から響いてきたような。
周囲の生徒たちも顔を上げる。
「今の何?」
「また誰か暴れてるんじゃない?」
「爆発?」
「分かんない」
特に慌てる様子はない。
それだけなら。
ゲヘナでは、そう珍しくもない。
翔も最初は同じだった。
「……まあ、何かあったら風紀委員会が――」
ドンッ。
「……!」
今度は。
明らかに近い。
靴の裏から。
振動。
翔の表情が変わった。
「地震……?」
違う。
地面全体が揺れているわけではない。
何かが。
近づいてくる。
地面の――。
「下……?」
次の瞬間。
ズガァァァンッ!!
「きゃあっ!?」
「な、何!?」
通りの一角。
アスファルトが大きく盛り上がった。
亀裂。
道路が裂ける。
破片が周囲へ飛び散る。
「危ない!」
翔が咄嗟に叫ぶ。
生徒たちが一斉に離れる。
そして。
地面を突き破って。
巨大な何かが飛び出した。
「ヴァァァァァァァァァッ!!」
咆哮。
「っ!」
翔は反射的に腕で顔を覆った。
空気そのものに殴りつけられたような衝撃が全身を襲う。
周囲の窓ガラスが一斉に砕け散り、路上の看板が吹き飛んだ。
「きゃああああっ!」
「逃げて!」
「何なの、あれ!?」
悲鳴が上がる。
生徒たちが我先にとその場から逃げていく中。
翔は、ゆっくりと顔を覆っていた腕を下ろした。
「…………」
言葉が出なかった。
巨大な、白目を剥いたティラノサウルスの頭部。
その異様な頭部から伸びる、人間大の手足。
左腕だけは爬虫類を思わせる形へ変貌し、その指先には鋭い爪が並んでいる。
手足には血管のような不気味な模様。
背後から伸びる、脊椎を思わせる長い尾。
「……は?」
翔の呼吸が止まった。
見たことがある。
いや。
――こんなものを、現実で見たことがあるはずがない。
それでも。
見間違えるはずがなかった。
あまりにも特徴的な、その姿を。
「…………」
ほんの一瞬。
目の前の光景とはまるで違う記憶が、翔の脳裏をよぎった。
まだ幼かった頃。
父が好きだった特撮作品を、よく二人で見ていた。
父は昔からその作品が好きだったらしく、家にはDVDやBlu-rayがいくつも揃っていた。
休日になると、その中から一本を選ぶ。
父が棚からケースを取り出して。
翔が今日はこれがいいと選んで。
二人で並んで画面を見る。
そんなことが何度もあった。
最初は、父が見ているから一緒に見ていただけだった。
けれど。
いつの間にか翔自身も、その作品が好きになっていた。
何度も。
何度も繰り返し見た。
だから覚えている。
仮面ライダーW。
そして。
その物語に登場した、ガイアメモリによって人間が変貌する異形――ドーパントたち。
中でも。
目の前にいる怪物は。
一度見たら忘れられるような姿ではない。
「……嘘だろ」
翔の口から、掠れた声が漏れた。
記憶の中にある名前。
それが。
目の前の異形と重なる。
「T-REX……」
巨大なティラノサウルスの頭部。
人型から大きく逸脱した異様な体型。
爬虫類状の左腕。
脊椎のような尾。
間違いない。
「……ドーパント?」
自分で口にした言葉なのに。
まるで現実感がなかった。
ここはキヴォトスだ。
翔が元の世界で遊んでいた『ブルーアーカイブ』の世界。
少なくとも。
自分の知っている限り。
この世界に、ガイアメモリなんてものは存在しない。
ドーパントだってそうだ。
あれは父と一緒に見ていた作品の中に登場する存在だった。
テレビの向こう側にしかいないはずの怪物。
それが。
今。
自分の目の前にいる。
「なんで……」
どうして。
なぜ、キヴォトスにドーパントがいる。
自分がこの世界へ来てしまったことだけでも、未だに分からないことだらけなのに。
さらに。
自分の知っている二つの世界が、あり得ない形で重なっている。
「…………」
翔はT-REXドーパントを見つめた。
困惑。
混乱。
そして。
ほんの僅かに。
幼い頃、父と並んで見ていた記憶が胸の奥を掠める。
けれど。
それに浸っている余裕などなかった。
「助けて!」
「っ!」
悲鳴。
その一声が、翔の思考を強制的に現実へ引き戻した。
翔が振り向く。
道路脇。
倒れた看板の下に、一人の生徒がいた。
「……っ!」
次の瞬間には。
もう身体が動いていた。
「おい!」
翔は走り出した。
今目の前にいるものが、なぜこの世界に存在しているのか。
そんなことは分からない。
けれど。
今は――。
考えている場合じゃない。
「大丈夫か!?」
翔は少女の傍へ駆け寄り、すぐにしゃがみ込んだ。
「う……」
意識はある。
ただ。
脚が看板の下敷きになっている。
「待ってろ」
翔は看板へ両手をかける。
「今どける!」
「でも……!」
「いいから!」
力を込める。
「っ……!」
重い。
持ち上がらない。
「くそ……!」
もう一度。
足を踏ん張る。
「う……おおっ!」
僅かに。
看板が浮く。
「今だ!」
「っ!」
少女が必死に脚を引き抜く。
抜けた。
翔が看板を放す。
大きな音を立てて地面へ落ちた。
「立てる?」
「た、多分……」
少女が起き上がる。
けれど、足を引きずった。
「無理すんな」
翔は少女の腕を自分の肩へ回す。
「肩貸す」
「あ、ありがとう……」
「行くぞ」
二人が動き始める。
その時。
「……っ!」
少女の顔が強張った。
視線。
翔の後ろ。
「……?」
振り返る。
「ヴァ……」
T-REXドーパント。
巨大な頭部が。
こちらを向いていた。
「……」
心臓が跳ねた。
怖い。
当たり前だ。
翔に。
ヘイローはない。
銃もない。
神秘もない。
目の前の怪物の攻撃をまともに受ければ。
どうなるか。
想像するまでもない。
「走れる?」
「え……」
「少しでいい」
翔は少女を支え直す。
「向こうまで行くぞ」
「でも……!」
「行く!」
走る。
少女を引っ張る。
背後。
「ヴァァァァァァァッ!!」
咆哮。
「っ!」
衝撃。
翔の背中を叩きつけた。
「ぐっ!」
身体が浮く。
咄嗟に。
翔は少女を抱き込むようにする。
地面へ。
転がった。
「っ……!」
背中。
腕。
肩。
全身に痛みが走る。
「大丈夫!?」
「……っ」
息が詰まる。
「大……丈夫」
嘘だった。
肺がうまく動かない。
背中が焼けるように痛い。
それでも。
少女を見る。
「立てる?」
「う、うん」
「なら」
翔は少女の肩を押した。
「行け」
「でも――」
「いいから!」
少女が迷う。
「向こうに人がいる!」
逃げていく生徒たち。
安全な方向。
「そこまで走れ!」
「……!」
少女が頷く。
「ありがとう!」
走り出した。
「…………」
翔はその背中を見る。
「……よし」
一人。
助けられた。
それでいい。
そう思った直後。
「きゃあっ!」
「!」
また悲鳴。
少し離れた場所。
別の生徒が転んでいた。
その向こう。
T-REXドーパントが暴れている。
「……っ」
立つ。
背中が痛む。
膝が震える。
それでも。
翔は歩いた。
「大丈夫か!」
少女へ駆け寄る。
「立てる?」
「う、うん……!」
「なら向こうへ! ここから離れろ!」
「でも、あなた……」
「俺はいい!」
「……分かった!」
少女が走っていく。
翔は辺りを見る。
他に。
誰か。
何か。
自分にできること。
「…………」
逃げ遅れた生徒。
負傷者。
泣いている者。
風紀委員の姿も見え始めている。
翔は次へ向かおうとした。
その時。
「そこの人!」
「!」
風紀委員の一人が走ってきた。
「ここから離れてください!」
「いや、でも、まだ――」
「負傷していますよね!?」
「これくらいなら大丈夫だ!」
「大丈夫じゃありません!」
強い声。
「ここから先は私たちが対応します!」
「でも……!」
「あなたまで倒れたら、救助する人が増えるだけです!」
「…………」
何も。
言い返せなかった。
正しい。
その通りだ。
今の自分がここに残れば。
次は。
自分が誰かに助けられる側になる。
「……っ」
翔は拳を握った。
風紀委員は。
すぐ別の場所へ走っていった。
「…………」
目の前。
誰かが逃げている。
助けを求めている。
翔は。
助けたい。
それだけだった。
昔から。
父から教えられてきた。
困っている人がいるなら。
自分にできることがあるなら。
手を伸ばせ。
だから。
さっきも手を伸ばした。
一人。
助けられた。
もう一人も。
逃がすことができた。
何もできなかったわけじゃない。
なのに。
「ヴァァァァァァァァァッ!!」
怪物が吠える。
風紀委員たちが銃を構える。
その間に。
翔は入れない。
「…………」
自分の手を見る。
普通の。
ただの手。
誰かを引き起こすことはできる。
瓦礫を持ち上げることも。
肩を貸すことも。
でも。
あの怪物を止めることはできない。
翔は。
それを。
嫌というほど理解してしまった。
助けたい。
なのに。
自分の手では。
届かない。
「……くそ」
小さな声。
悔しい。
戦えないことが、ではない。
自分が弱いから、でもない。
ただ。
助けたい人がいる。
それなのに。
自分では。
助けられないものがある。
その事実だけが。
胸の奥へ重く沈んだ。
「こちらへ!」
風紀委員の声。
「負傷者は避難してください!」
「…………」
翔はもう一度。
T-REXドーパントを見る。
そして。
ゆっくりと。
避難区域へ下がった。