青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
翔が騒ぎの中心へ近づくにつれ、ブラックマーケットの様子は目に見えて変わっていった。
銀行の方向から逃げてくる者がいる一方で、何が起きているのか確かめようと遠巻きに通りの奥を覗き込む者もいる。その先からは断続的な銃声と爆発音に混じって、時折、空気そのものを叩きつけたような低い轟音まで響いていた。
「……あっちか」
先生との通話が切れてから、それほど時間は経っていない。しかし聞こえてくる音は、銀行の警備から逃げ回っているだけとは思えない規模へ膨らんでいる。
足を止めずに人通りの少ない通りへ入ったところで、遠くの建物の向こうから青白い光が瞬き、遅れて火花が散るのが見えた。
「……今の、電撃か?」
さらに進むと、今度は肌に触れる空気の異変にも気づく。季節の寒さでは説明できないほど周囲の気温が下がり、道路の端には薄く霜が浮かび始めていた。排水溝のそばに残っていた水にも、ごく薄い氷の膜が張っている。
そこまで確認したところで、翔の表情から先ほどまでの呆れが完全に消えた。
「疑似メモリ兵器か……!」
速度を上げて角を曲がり、細い路地を抜ける。やがて大きな交差点を見通せる位置まで辿り着くと、翔はすぐに壁際へ身を寄せ、戦場の様子を窺った。
「……やっぱりいた」
先生を中心に、色違いの覆面を被ったアビドスの四人と、頭に紙袋を被ったヒフミがいる。そこまでは翔も予想していたが、その少し離れた位置でアル、ムツキ、カヨコ、ハルカまで銃撃戦に巻き込まれているのを見て、思わず眉を寄せた。
「便利屋68までいるのかよ……」
どうしてそうなったのかはさっぱり分からない。
だが、事情を考えるより先に確認しなければならないものがあった。
先生たちを取り囲んでいるのはカイザーPMCだった。装甲車両と多数の通常兵に加え、その後方には複数の大型装置が展開されている。
道路へ電撃を走らせる装置が進行方向を制限し、別の装置から放たれた衝撃波が遮蔽物ごと相手を押し返す。さらに半透明の障壁が路地を塞ぎ、壁や地面へ撃ち込まれたワイヤーが金属片を巻き込みながら進路を潰していた。
そして敵陣のさらに奥には、他より一回り大きな装置がある。
「凍結まで再現したのか……」
そこからは白い冷気が絶えず吐き出されていた。
一瞬で戦場を凍りつかせるような出力ではない。しかし長時間稼働し続けた結果、路面のあちこちにはすでに霜が広がり、場所によっては薄氷までできている。放置された車両や金属柵も白く染まり始め、ホシノの盾にもかなりの霜が付着していた。
それでも盾はまだ動かせている。時折位置を変えるたびに下端へまとわりついた氷が砕けているのを見る限り、すぐに装備を封じるような性能ではないのだろう。
問題は、これが他の疑似メモリ兵器と同時に運用されていることだった。
「……嫌な使い方するな」
これまで風紀委員会と対処してきた経験から見ても、一つ一つの装置だけなら対処不能というほどではない。電撃なら射線から外れればよく、衝撃波も発射の兆候を読めれば避けられる。障壁や拘束装置も、構造さえ分かれば壊しようはある。
ところが、今のカイザーPMCはそれらを別々に使っていなかった。
電撃で移動先を絞り、衝撃波で立ち位置を崩し、その先を障壁や拘束装置で封じる。そうして相手が突破方法を探している間も凍結装置だけは動き続け、戦場から少しずつ安全に移動できる場所を奪っていた。
「ちゃんと組み合わせてきてる……」
単純に高性能な兵器を並べただけではない。それぞれの弱点を別の装置で補い、時間が経つほど逃げる側が不利になるよう構成されている。
厄介ではあるが、それでも先生たちはまだ崩れていなかった。
翔が様子を見ている間にも、先生の指示に合わせてシロコが敵兵の射線を潰し、ノノミが障壁へ火力を集中させている。セリカは拘束装置に狙われないよう位置を変え、ホシノは盾で銃撃を受けながら同じ場所へ留まりすぎないよう細かく前線を動いていた。
便利屋68も先生の直接的な指揮下に入っているわけではないらしく、それぞれの判断で迫ってくる敵を抑えている。
不利ではある。
だが、押し潰されてはいない。
先生は今も突破口を探しており、カイザー側もそれが分かっているからこそ、凍結装置を動かしながら時間を稼いでいるのだろう。
「このまま長引いたらまずいな……」
今ならまだ走れる路面も、数分後にはどうなっているか分からない。逃走経路そのものを奪われれば、いくら先生でも選択肢を失っていく。
その時、カイザー側から再び衝撃波が放たれた。轟音とともに資材が吹き飛び、先生たちが一斉に身を低くする。そこへ電撃まで重なり、アルたちも今いた場所から追い出されるように包囲の中央へ押し込まれていった。
「っ……!」
翔は思わず一歩踏み出しかけたが、すぐに足を止めた。
このまま風間翔として飛び出すわけにはいかない。
先生たちの目の前でロストドライバーを使えば、その場で仮面ライダーの正体が露見する。周囲にはカイザーPMCだけでなく、銀行からの追手やブラックマーケットの住人もいる。正体を隠すという意味では、あまりにも目撃者が多すぎた。
翔は周囲へ素早く目を走らせ、少し後ろにある閉鎖された店舗と倉庫の隙間へ視線を止めた。人一人が入るには十分な幅があり、交差点側からは建物の陰になっている。
「……あそこなら」
すぐに身を翻してその隙間へ入り、壁際から一度だけ通りを確認する。人影がないことを確かめると、翔は上着の内側から一本のガイアメモリを取り出した。
黒いボディに紫の意匠が刻まれた、何度も握ってきたメモリ。
同時に腰へ手を当てると、ロストドライバーが装着された。
遠くからまた衝撃音が響く。
「銀行強盗の話は後で聞くからな、先生」
今は、それどころではない。
翔はメモリのスイッチを押した。
『JOKER!』
電子音が狭い路地に響く。
メモリをロストドライバーへ装填し、翔はスロットを展開した。
「変身」
黒い力が全身を包み、紫の光が身体の輪郭を走る。
次の瞬間、そこに立っていたのは仮面ライダージョーカーだった。
翔は黒い拳を一度握り締めると、再び銃声の響く交差点へ向き直った。
「……行くか」
* * *
「グリーン、あと少し!」
「は~い!」
先生の指示を受け、グリーンが障壁へ機関銃の射撃を集中させる。着弾するたびに半透明の壁へ大きな波紋が広がり、展開された直後と比べれば明らかに光が薄くなっていた。
ブルーは障壁装置を守ろうと動くPMC兵を牽制し、レッドも別方向から拘束装置の射出機構を狙っている。
あと少しで障壁を崩せる。
そこから凍結装置へ攻撃を届かせられれば、まだ戦場を立て直せる可能性がある。
ただ、その間にも冷却は進み続けていた。
「さっきより重くなってきたねえ」
ピンクが盾の位置を変えると、下端へまとわりついていた薄氷がぱきぱきと砕ける。まだ動かせるとはいえ、同じ場所で撃ち合い続ければいずれ無視できない抵抗になる。
「ピンク、あと少しだけ!」
「了解」
先生は敵陣の奥にある凍結装置を見据えた。障壁を崩した後、どこから狙えば最短で停止させられるかを考えようとした、その時だった。
「先生!」
レッドの声に反応して視線を動かすと、カイザー側の電撃装置が向きを変えていた。
狙われているのはグリーンだった。障壁へ火力を集中させているため、動きが一瞬だけ止まっている。
「グリーン、そこから離れて!」
「え――」
青白い電光が迸る。
直撃する寸前、横合いから飛び込んできた黒い影が、電撃装置の側面へ強烈な蹴りを叩き込んだ。
金属のひしゃげる音とともに大型装置が横転し、放たれかけていた電撃は大きく軌道を逸らして近くの街灯へ直撃する。激しい火花が散る中、黒い影は勢いを殺しながら路面へ着地した。
「……え?」
グリーンが目を瞬く。
先生も一瞬だけ言葉を失ったが、その姿を見間違えるはずはなかった。
黒一色を基調とした身体に、紫の複眼。
「ジョーカー……!」
その名前に反応して、便利屋68の四人も一斉に振り向いた。
「っ……あいつ!」
アルの表情が強張る。
以前アビドスを襲撃した際、自分たちの前へ現れた黒い仮面の戦士。その時は敵対する側に立っていたため、アルが反射的に身構えるのも無理はなかった。
一方で、ムツキは黒い戦士の姿を見るなり目を細めた。
「わあ。また会ったね~」
「仮面ライダー……」
ハルカも驚きを隠せない様子で見つめている。
その中で、カヨコだけはジョーカー本人よりも、彼が現れた状況へ意識を向けていた。
前に姿を見せた時も、アビドス側が危険な状況へ追い込まれた時だった。
そして今回も同じ。
「……また、このタイミング」
小さな呟きは銃声に紛れ、誰の耳にも届かなかった。
ジョーカーの突然の介入に、カイザーPMC側も即座に反応する。
「仮面の戦士を確認! 対象を追加しろ!」
いくつもの銃口が新たな標的へ向けられた。
ジョーカーは横転した電撃装置から足を離し、向けられる銃口を見ながら拳を構える。その途中で先生たちへ一度だけ顔を向けた。
「……随分と派手なことになってるじゃないか」
先生が何とも言えない表情になる。
「それ、私たちに言ってる?」
「半分はな」
「半分なんだ……」
「残りはこいつ等だ」
ジョーカーがカイザーPMCへ向き直った直後、一斉に銃撃が始まった。
黒い戦士は飛来する弾丸の軌道を見ながら前へ踏み込み、すぐそばの遮蔽物を利用して射線を外す。そのまま間合いを詰めると、疑似メモリ兵器を守っていた一人を拳で退かせ、次の兵士が構えた銃を腕で逸らした。
ただ敵を倒すために飛び込んだわけではない。
狙いは、先生たちの退路を塞いでいる疑似メモリ兵器だった。
包囲を崩すための新たな一手が、戦場へ加わった。
* * *
ジョーカーが戦場へ飛び込んだことで、カイザーPMCの陣形に初めて大きな乱れが生じた。
それまで先生たちを中心に組まれていた射線の一部が新たな標的へ向き、疑似メモリ兵器を守っていた兵士たちも配置を変えざるを得なくなる。わずかな変化ではあったが、逃げ道を一つずつ潰されていた側にとっては十分な隙だった。
「グリーン、今のうちに障壁を!」
「はい~!」
先生の声に応じ、グリーンが再び機関銃を構える。薄くなっていた障壁へ弾丸が集中し、光の壁が大きく揺らいだ。
ジョーカーはその音を聞きながら、真正面から自分へ向けられた銃撃を建物の柱へ身を寄せてやり過ごす。弾幕が僅かに緩んだ瞬間を逃さず飛び出し、すぐ近くにあった電撃装置へ駆け寄った。
先ほどの蹴りで横転させただけでは、完全には停止していない。火花を散らしながらも中央部の光はまだ残っていた。
「まず一つ!」
拳を装置の制御部分へ叩き込む。
金属板が大きくへこみ、内部で何かが破裂した。青白い火花が何度か散った後、今度こそ装置の光が消える。
「一基停止!」
ジョーカーが声を上げる。
「助かる!」
先生はそう返しながら、すぐに次の指示へ移った。
「ブルー、右側の射線が薄くなった! レッドはそのまま拘束装置を狙って!」
「了解」
「分かってる!」
先生はジョーカーへ細かな指示を出さない。
彼が自分の指揮下にいるわけではないと分かっているからだ。
ジョーカーも先生から命令を待つつもりはない。先生が生徒たちを動かし、自分はその動きから戦場全体の狙いを読む。それだけで十分だった。
ただ、状況について一つだけ分からないことがある。
ジョーカーは次の装置へ向かいかけたところで、少し離れた場所にいる便利屋68へ視線を向けた。
アルたちもカイザーPMCへ応戦している。
前にアビドスで会った時とは立場が違う。だが、なぜ銀行強盗をした先生たちと一緒にいるのかまでは分からない。
「先生!」
「何!?」
先生は遮蔽物の陰から答える。
「何があった! なんで便利屋68まで一緒にいる!」
「説明するとちょっと長い!」
「短く!」
「銀行に入ったのは私たち! 便利屋68は関係ない!」
その言葉に、ジョーカーの動きが一瞬止まった。
「……は?」
「本当に無関係! 後から追いついてきて、仲間だと勘違いされたの!」
「……巻き込まれただけか」
アルが反応した。
「そうよ! さっきからずっとそう言ってるじゃない!」
「俺は今聞いたんだよ!」
「じゃあもっと早く来なさいよ!」
「無茶言うな!」
言い返しながら、ジョーカーは状況を飲み込む。
先生たちが銀行へ入った理由は後で聞けばいい。
だが、便利屋68が無関係なら話は別だった。
少なくともこの場で彼女たちがカイザーPMCに拘束される理由はない。
しかも、自分たちで危険へ首を突っ込んだ先生たちとは違い、アルたちは完全に巻き込まれただけだ。
ジョーカーはアルたちの方へ向き直った。
「お前らはここから離れろ!」
「はあ!?」
アルが声を上げる。
「何で貴方にそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
「戦えるかどうかの話じゃない!」
ジョーカーは銃撃を避けながら前へ出ると、アルたちの方向へ飛んできた一発を腕で逸らした。
「お前らはこの件と関係ないんだろ! だったらここに残る必要はない!」
「だからって――」
「社長」
カヨコが遮る。
視線はジョーカーへ向いたままだった。
「言ってること自体は正しいよ」
「カヨコまで!?」
「私たちは銀行強盗の仲間じゃない。でも向こうはそう思ってない。抜けられるなら抜けた方がいい」
「うっ……」
アルが言葉に詰まる。
ムツキはそんな二人の横で、いつものように楽しげな笑みを浮かべていた。
「でもさあ」
「何よ、ムツキ」
「あの人、前に会った時は私たちと敵同士だったのに、今回は普通に助けるんだね」
アルがジョーカーを見る。
確かにそうだった。
前にアビドスを襲撃した時、自分たちは対策委員会の敵として彼と対峙した。今回も、少なくともジョーカーから見れば、便利屋68を助ける義理などないはずだ。
それでも彼は、先生から「無関係だ」と聞いた直後に判断を変えた。
以前敵だったことなど、まるで関係ないと言わんばかりに。
「……」
アルは少しだけ黙る。
その間にも戦闘は続いていた。
ジョーカーは便利屋68を逃がすためだけに動いているわけではない。先生たちの退路を作るため、疑似メモリ兵器を優先して狙っている。
電撃装置を完全に破壊した後は、そのまま障壁装置へ向かった。
ただし、真正面からではない。
障壁を張る装置そのものはPMC兵の後方にあり、正面にはまだ複数の銃口が並んでいる。ジョーカーは路上に倒れた資材を蹴り上げて敵の視界を一瞬だけ遮ると、横へ大きく踏み込み、そのまま装甲車の側面を足場にして跳んだ。
「なっ――」
PMC兵が銃口を上げるより早く、ジョーカーは障壁装置の脇へ着地する。
すぐさま一人の兵士が殴りかかってきたが、腕を取って身体を回し、その勢いのまま地面へ投げる。続けて別の兵士の銃口を手で押し下げ、膝蹴りで距離を作った。
狙いは兵士ではない。
ジョーカーはそのまま装置へ向き直り、拳を構えた。
「これも止める!」
強烈な一撃が制御部へ叩き込まれる。
同時に、グリーンの射撃が外側から障壁へ集中した。
内と外から同時に負荷を受け、障壁全体が大きく歪む。
「ブルー!」
「了解」
ブルーの一発が、ひび割れるように揺らいだ一点へ正確に入った。
次の瞬間、光の壁が砕け散る。
「開いた!」
レッドの声が響いた。
「グレー、ルート!」
『右側、通れます! ただし凍結が進んでいます! 急いでください!』
「分かった!」
先生はすぐに全員へ声を飛ばす。
「今のうちに右へ寄って! ピンクが最後!」
「はいはい。殿はおじさんにお任せ~」
ピンクが盾を構え直す。
グリーンとファウストが先に右へ移動し、ブルーとレッドがその周囲を警戒する。
便利屋68にも、ようやく同じ退路が開いた。
「行くよ、社長」
カヨコが言う。
「ちょっと待ちなさい!」
「何?」
「このまま逃げるだけっていうのは……なんか負けたみたいで嫌なんだけど!」
「今そこ気にする?」
「気にするわよ!」
アルらしい返答だったが、そう言いながらも足はきちんと右側へ向いている。
ムツキが笑った。
「くふふっ。ちゃんと逃げるんだ」
「これは撤退よ! 逃げるのとは違うの!」
「はいはい」
「適当に流さないで!」
ハルカもアルの後を追う。
ジョーカーは彼女たちが動き出したのを確認してから、再び前へ向き直った。
当然、カイザーPMCもそのまま逃がすつもりはなかった。
「拘束装置、前へ! 退路を封鎖しろ!」
兵士たちの間から別の疑似メモリ兵器が展開され、複数のワイヤーが逃走路へ向かって射出される。
「させるか!」
ジョーカーはすぐさま進路へ割り込み、一番近いワイヤーを身体を捻ってかわす。続けて飛んできた一本を腕で弾き、そのまま射出装置の真正面へ踏み込むと、低い蹴りで基部を大きく傾かせた。
しかし、装置はまだ止まらない。
傾いたまま再び射出音を響かせ、別方向から新たなワイヤーを放つ。
ジョーカーは横へ避けようとしたが、その瞬間、踏み込んだ右足が路面の薄氷を噛まずに滑った。
「っ!」
わずかに体勢が崩れ、ワイヤーが肩のすぐ横を掠めて背後の壁へ突き刺さる。
体勢を戻しながら足元を見ると、路面の状態は現場へ到着した時とは明らかに違っていた。白い霜の下へ薄い氷ができ始め、走るたびに靴底が僅かに流れる。
その間にも、低い駆動音は止まっていない。
敵陣の奥にある凍結装置が冷気を吐き続けていた。
「やっぱり、あれを止めないと……!」
ジョーカーが前へ出ようとした直後、正面の衝撃波装置がこちらへ向いた。
発射音。
咄嗟に両腕を交差させたジョーカーへ、圧縮された空気の塊が真正面から叩きつけられる。
「ぐっ……!」
黒い身体が数メートル押し戻され、凍り始めた路面を靴底が滑る。なんとか倒れずに踏み止まったものの、その間にカイザー兵たちは凍結装置の前へ厚い防衛線を作り直していた。
「ジョーカー!」
「大丈夫だ!」
先生へ返しながら敵陣を確認する。
電撃装置は止めた。
障壁も破壊した。
拘束装置も一基は傾いており、間違いなくカイザー側の手札は減っている。
それなのに、戦場の圧迫感はむしろ強くなっていた。
理由は単純だった。
凍結装置だけは、最初から一度も止まっていない。
ジョーカーたちが別の装置を一つ壊すたび、その時間を使って路面の凍結が進む。ほんの少し前まで問題なく走れていた場所が滑りやすくなり、金属製の遮蔽物には厚い霜が付き、ついには右側の退路にも薄氷が目立ち始めていた。
『先生!』
グレーの声が通信へ飛び込む。
『右側の通路、凍結速度が上がっています! まだ通れますけど、走れる幅がどんどん狭くなってます!』
「全員、そのまま止まらないで!」
先生はすぐに答え、逃走中の面々へ手を振った。
「ブルー、レッド! グリーンとファウストを先に! ピンクは最後まで後方を見て!」
「了解」
「分かったわ!」
「はい~!」
隊列が再び動き始める。
だが、数歩進んだところでレッドの足元が大きく滑った。
「きゃっ――!」
ブルーが腕を掴み、倒れる寸前で引き戻す。
「大丈夫?」
「……大丈夫。でもこれ、走るのきついわよ!」
そのやり取りを見た先生の表情が僅かに強張る。
もう「少し滑りやすい」で済む段階を越え始めている。
さらに悪いことに、右側の通路へ移動する一行を見て、カイザー側も狙いを変えた。
「衝撃波、逃走路へ! 足を止めろ!」
装置の砲口が旋回する。
「全員、伏せて!」
先生の警告とほぼ同時に衝撃波が通路の入口へ叩き込まれ、道路脇に積まれていた資材がまとめて吹き飛んだ。
飛散した破片が逃走路へ散らばり、さらに凍った路面の上へ積み重なる。
『先生、通路が――!』
「まだ通れる!」
先生は即座に否定する。
「完全には塞がれてない! 左側へ寄れば抜けられる!」
判断は間違っていない。
まだ道はある。
だが、その道が残っている時間は急速に短くなっていた。
ジョーカーもそれを理解していた。
「先生!」
「何!?」
「あの凍結装置、先に止める!」
「でも、正面が厚くなってる!」
「それでもやる! このままだと、せっかく開けた道が死ぬ!」
拳を握り直し、敵陣へ向かう。
だがカイザー側も、その意図を完全に読んでいた。
「仮面の戦士を凍結装置へ近づけるな!」
兵士たちが一斉に射線を重ね、残っていた衝撃波装置までジョーカーへ向けられる。さらに拘束ワイヤーが地面と壁へ張り巡らされ、凍結装置までの最短経路そのものが封じられていった。
真正面から突っ込めば、衝撃波で押し返される。
回り込めば、拘束装置に捕まる。
立ち止まれば、足元の氷がさらに厚くなる。
先生が別のルートを探そうと視線を動かした、その時だった。
『先生! まずいです!』
グレーの切迫した声が通信から響いた。
「どうしたの!?」
『後方のカイザー部隊も合流します! あと一、二分もしたら、今いる通路の出口側まで回り込まれます!』
「……っ」
先生の顔から、今まで残っていた僅かな余裕が消えた。
前を見れば、退路は凍結で狭まり続けている。
後ろを見れば、新たな部隊が迫っている。
立ち止まって凍結装置を攻略する時間もなければ、無理に突破して全員を転倒の危険へ晒すわけにもいかない。
ジョーカーが動くたびにPMCの火力が集中し、その隙に凍結はさらに進行する。すでにピンクの盾には厚い霜がまとわりつき始め、持ち替えるたびに下端へできた氷を砕かなければならなくなっていた。
アルたちも、もはや悠長に口を挟む余裕はない。
「社長、走るよ!」
「分かってる!」
カヨコに促され、アルも足元を確かめながら移動する。その直後、背後へ銃弾が着弾し、ハルカが咄嗟にアルを押して射線から外した。
「アル様!」
「大丈夫! ハルカは!?」
「私は平気です!」
ムツキも普段の軽い笑みを薄め、通路とカイザー側を交互に見ていた。
「これ、思ってたよりまずいかもね」
アルは返事をしなかった。
少し前まで、ジョーカーが現れたことで流れが変わったように見えていた。
実際、電撃も障壁も壊れた。
それなのに、逃げ道だけは着実に消え続けている。
ジョーカーも同じ事実を前にしていた。
拳で壊せる装置なら壊せばいい。
兵士に守られているなら、その防衛線を抜けばいい。
だが今の問題は、凍結装置へ辿り着くまでの時間そのものだった。
冷気は止まらず、足元の氷は厚くなり続けている。
先生が再び通路へ目を向けた、その瞬間。
先頭を進んでいたブルーの足元で、乾いた亀裂音が響いた。
「……!」
ブルーが咄嗟に足を引く。
直前まで踏んでいた場所を薄い氷が覆い、その下で凍りついた水が路面を完全に塞ぎ始めていた。
『先生! 通路の凍結、限界です!』
グレーの叫びが通信から響く。
『このままだと、本当に通れなくなります!』
先生は答えなかった。
答える暇がなかった。
正面ではジョーカーへ向けて衝撃波装置が再び出力を上げ、後方からは増援のエンジン音が近づいている。
残された退路は、目の前で凍りつつある。
このままでは間に合わない。
ジョーカーは白く染まり始めた道路と、その奥で稼働し続ける凍結装置を睨みつけた。
* * *
白く染まり始めた道路を前に、ジョーカーは一度だけ敵陣の奥へ視線を向けた。
凍結装置まではまだ距離がある。その間にはカイザーPMCの兵士が防衛線を作り、衝撃波装置と拘束装置が互いを補うように配置されていた。
このまま正面から突破すること自体は、不可能ではない。
だが、間に合わない。
自分が兵士を退け、装置を一つずつ潰している間にも冷却は続く。実際、数分前まで問題なく走れた右側の通路は、すでに足元を選ばなければまともに走れない状態まで悪化していた。
後方からは増援も迫っている。
必要なのは、凍結装置まで辿り着いてから壊すことではない。今この場で、広がり続ける冷気そのものを力ずくで押し返す手段だった。
「……だったら」
ジョーカーの手がロストドライバーへ伸びる。
先生はその動きに気づいた。
「ジョーカー?」
「先生!」
「何?」
「今からヒートに変わる!」
「ヒート?」
聞き慣れない言葉に先生が眉を上げる。
「熱を使える! 凍結は俺が止める!」
先生の反応は早かった。一瞬だけ周囲を確認すると、すぐに頷く。
「分かった。じゃあ凍結は任せる。こっちは退路を確保する!」
「ああ!」
二人のやり取りを聞いていたアルが、思わず振り返った。
「ちょっと待って。ヒートって何よ?」
「さあ?」
カヨコも知らない。
ムツキだけは面白そうに目を細めていた。
「何かありそうだね~」
ジョーカーはロストドライバーからJOKERメモリを引き抜き、間を置かずに別のガイアメモリを取り出した。
赤い意匠を持つ一本。
スイッチを押す。
『HEAT!』
低く響く電子音とともにHEATメモリがロストドライバーへ装填され、スロットが展開される。
その瞬間、黒かったジョーカーの身体を赤い熱気が駆け抜けた。
変化は、見た目だけではなかった。
足元を覆っていた霜が音を立てるように消え、薄く張っていた氷が急速に水へ戻っていく。さらに熱が周囲へ広がると、凍結した路面や遮蔽物から一斉に白い蒸気が立ち上り、冷え切っていた空気まで押し返された。
黒を基調としていた姿は途切れることなく赤を中心とした形態へ切り替わっていた。
「姿が変わった!?」
アルが思わず叫ぶ。
「へえ~!」
ムツキはむしろ楽しそうだった。
カヨコは赤い戦士をじっと観察する。
「同じ仮面ライダーのまま……使う力を切り替えた?」
ハルカも目を見開いていた。
「仮面ライダーって……あんなこともできるんですか?」
その問いに答える者はいない。
姿を変えた翔自身には、周囲の驚きに構っている余裕はなかった。
身体の内側から湧き上がる熱は、先ほどまで戦場を支配していた冷気とは明らかに規模が違う。模倣された凍結能力に対し、今の翔が扱っているのはHEATという真正のガイアメモリが持つ力そのものだった。
「……よし」
両拳を握り、さらに熱を解放する。
次の瞬間、周囲の空気が大きく揺らいだ。
ピンクの盾にこびりついていた氷が表面から崩れ、そのまま水滴となって流れ落ちる。路面に残っていた薄氷もヒートを中心として急速に後退し、ほんの少し前まで白く凍りついていた右側の通路が黒い舗装面を取り戻していった。
『先生!』
グレーの驚いた声が通信機から響いた。
『温度が急速に戻っています! 右側の通路、凍結が解除されていきます!』
「そんなに……?」
先生自身も一瞬だけ目を見開く。
進行を止めたのではない。
すでに進んでいた凍結そのものを、真正面から押し返している。
敵陣では凍結装置が今も白い冷気を吐き出していたが、その冷気はHEATの周囲まで届く前に温められ、蒸気へ変わっていた。
「よし、今のうち!」
先生が気を取り直し、全員へ声を飛ばす。
「ブルー、レッド! 先頭をお願い! グリーンとファウストはその後ろ! ピンクは殿を続けて!」
「了解」
「今度こそ抜けるわよ!」
「は~い!」
「はい!」
ピンクも盾を軽く持ち上げる。
先ほどまで動かすたびに抵抗していた氷は、もうほとんど残っていなかった。
「いやぁ、これは助かるねえ」
先生は続けて便利屋68を見る。
「アルたちも今のうちに!」
「分かってるわよ!」
今度はアルも反論しない。
カヨコが通路の状態を確認すると、先ほどまでの薄氷はかなり消えている。濡れた場所こそ残っているが、少なくとも凍結によって足を取られる危険は大幅に減っていた。
「行ける。ムツキ、ハルカ」
「はーい」
「アル様、こちらです!」
「分かってるってば!」
全員が動き始めたのを確認しながら、HEATは敵陣へ一歩踏み出した。
カイザー側も当然、状況の変化に気づく。
「凍結効果、急速に低下!」
「凍結装置の出力を上げろ!」
大型装置の駆動音が高くなり、それまで以上の冷気が噴き出した。
しかし結果は変わらなかった。
白い冷気がHEATの熱気とぶつかった瞬間、大量の蒸気へ変わる。出力を上げるほど発生する蒸気の量が増えるだけで、凍結が再び広がる様子はない。
翔はその光景を見て、真正面から敵陣を見据えた。
「悪いけど――」
赤い拳にさらに熱が集まる。
「そんな偽物の冷気じゃ、ヒートは止められない!」
熱気がもう一段強まった。
凍結装置の周囲にまで温度上昇が及び始め、筐体へ付着していた霜が急速に溶けていく。それでも無理に最大出力を維持しようとした装置から、今度は白い冷気ではなく異常を知らせる煙が上がり始めた。
「冷却系温度上昇!」
「出力が安定しません!」
「停止しろ! このままでは装置が――」
遅かった。
内部から鈍い破裂音が響き、凍結装置の駆動音が途切れる。完全に爆発したわけではないが、安全機構が作動したのか、それまで吐き出されていた冷気が止まった。
戦場を時間とともに追い詰めていた凍結能力が、僅かな時間で機能を失った。
「……嘘でしょ」
アルが走りながら振り返る。
あれほど自分たちを苦しめていた装置だった。
先生たちが突破方法を探している間にも周囲を凍らせ続け、戦場そのものを支配しかけていた兵器が、赤い姿になった仮面ライダーにはまるで通用していない。
「すご……」
思わず漏れた言葉に、アル自身が気づいて口を閉じる。
ムツキは聞き逃さなかったらしく、楽しそうに横を見る。
「アルちゃん?」
「何でもない!」
しかし、凍結装置を封じたからといって戦闘そのものが終わったわけではなかった。
カイザー側にはまだ衝撃波装置も拘束装置も残っており、通常兵力も十分にいる。さらに後方から増援が迫っている以上、ここで立ち止まれば再び包囲される。
「凍結装置は捨てろ! 仮面の戦士を抑えろ!」
PMC兵たちの銃口がHEATへ集中する。
同時に、衝撃波装置が向きを変えた。
「先生!」
「見えてる!」
凍結による時間制限が消えたことで、先生にも余裕が戻っていた。
「ブルー、そのまま右! レッドはグリーンたちを先に通して! ピンク、後ろの射線だけ見て!」
凍結装置の無理な出力上昇とHEATの熱によって生まれた大量の蒸気が、通りの一部を白く覆っている。
先生はその視界不良まで利用した。
ブルーが先に通路へ入り、角の先を確認する。
「先、空いてる」
『そのまま進めます!』
グレーの返事が飛ぶ。
「グリーン、ファウスト!」
「行きます~!」
「はい!」
二人が続き、レッドも後退しながら銃撃を返して右側の通路へ入る。
便利屋68もそれに続こうとした。
その時、残っていた拘束装置が作動する。
蒸気の向こうから複数のワイヤーが飛来し、逃走中の一団へ伸びた。
「危ない!」
カヨコが叫ぶ。
アルが横へ跳び、一方は回避した。
だが、別の一本がハルカの進行方向へ伸びている。
「ハルカ!」
「っ……!」
ハルカが身を翻そうとした直後、赤い影がその間へ割り込んだ。
ヒートは飛んできたワイヤーを腕で受け止め、そのまま握り込む。
さらに腕へ熱を集中させると、金属製のワイヤーが瞬く間に熱を帯びた。
「なっ――」
拘束装置側の兵士が驚く。
翔は熱せられたワイヤーを強引に引き、装置を大きく傾かせた。そのまま懐へ飛び込み、赤熱した拳を基部へ叩き込む。
金属が大きく歪み、内部から火花が噴き出した。
拘束装置が完全に沈黙する。
「今だ!」
ヒートが叫ぶ。
「先に行け!」
ハルカは一瞬だけ赤い戦士を見つめた後、すぐにアルの後を追った。
「アル様!」
「分かってる!」
四人が通路へ入り始める。
その背後を守るように、ヒートは再び敵陣へ向き直った。
アルは走りながら一度だけ振り返る。
さっきまで黒かった仮面の戦士が、今度は赤い姿で自分たちと敵の間に立っている。
それでも、やっていることは変わらない。
危険な兵器を優先して潰し、誰かが狙われればその間へ入り、退路が開けば自分より先に他人を行かせる。
「……」
アルの足が少しだけ緩む。
「社長?」
カヨコの声に我に返る。
「何でもないわ!」
再び走り出す。
カヨコはそれ以上追及しなかったが、自分も一度だけ後ろを見る。
凍結装置はすでに沈黙している。
ヒートが今受けているのは、残ったPMC兵と他の疑似メモリ兵器からの攻撃だった。
「先生!」
ヒートが声を張る。
「凍結は止めた! 今のうちに全員出せ!」
「分かった!」
先生も即答した。
指揮する者と、独自に戦う仮面の戦士。命令する側と従う側ではなく、互いに自分の役目を理解し、その場で必要な部分だけを噛み合わせている。
先生は通路へ入りながら通信機へ手を当てた。
「グレー、次の出口は?」
『二本先です! そこから南側の搬入口へ出られます。大型車両は入りにくいので、そこまで抜ければかなり有利になります!』
「よし。そのまま案内お願い!」
『はい!』
先生が最後に振り返る。
ピンクも盾を構えながら少しずつ後退していた。
「ピンク!」
「もう行くよ~」
盾を悩ませていた氷はすでにほとんど溶けている。ピンクは最後にショットガンを一発撃ち、迫ってきたPMC兵を牽制すると、そのまま通路へ身体を滑り込ませた。
これで全員が退路へ入った。
だが、彼だけはまだ残っている。
「ジョーカー!」
先生が思わず以前の呼び名で叫ぶ。
赤い戦士が僅かに振り返った。
「先に行け!」
「でも――」
「ここで全員まとめて追われたら意味ないだろ!」
その直後、今度は衝撃波が放たれる。
ヒートは横へ飛んで直撃を避けると、そのまま追撃しようとしたPMC兵へ向き直った。凍結という最大の足枷は消えたものの、敵そのものがいなくなったわけではない。
「道は開けた! 今のうちに行け!」
先生は数秒だけ彼を見た後、すぐに決断する。
「……分かった。みんな、進むよ!」
「先生?」
「彼が作ってくれた時間を無駄にしない!」
ブルーたちが先へ走り、便利屋68もそれに続く。
アルだけがもう一度振り返った。
白い蒸気が残る通りの向こうで、赤い戦士はすでにカイザーPMCへ向き直っている。
少し前まで敵同士だった自分たちまで先に逃がし、自分は追手を食い止めるために残る。
アルは何かを言いかけたが、カヨコが肩へ手を置いた。
「社長、今は行くよ」
「……分かってるわよ」
珍しく素直に答える。
一行が通路の奥へ消えていくのを背中で感じながら、ヒートは正面のカイザーPMCを見据えた。
凍結装置はもう動かない。
それでも衝撃波装置は残り、多数のPMC兵が隊列を組み直しつつある。さらに遠くからは、新たな増援のエンジン音まで近づいていた。
ヒートへ変わったことで、凍結という脅威は完全にひっくり返した。
ならば次にやることは一つだった。
逃げていく全員が十分な距離を取るまで、残った追手をここで止める。
ヒートは熱を帯びた拳を構え直した。