青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
先生たちの姿が通路の奥へ消えたのを確認しても、ヒートはすぐにはその場を離れなかった。
凍結装置は停止し、厄介だった障壁もすでに破壊している。それでもカイザーPMCにはまだ多数の兵士が残り、拘束装置や衝撃波装置もすべて潰せたわけではない。ここで自分まで先生たちと同じ方向へ逃げれば、追手もそのまま後を追うだろう。
なら、もう少しだけ残る必要がある。
「仮面の戦士を包囲しろ! 逃がすな!」
指揮官の声が飛び、ヒートへ向けられる銃口が一気に増えた。
翔はそれを見て、構えを取り直す。
「……そうだ。こっちを見てろ」
銃撃が始まる。
ヒートは正面から受けず、装甲車の陰を利用しながら横へ走った。着弾が後を追い、金属板や路面へ激しい火花を散らす。
逃げるための動きではない。
わざと姿を見せ、相手が追える距離を保ちながら、先生たちが向かった通路とは逆側へ位置をずらしていく。
「対象、西側へ移動!」
「第二班、回り込め!」
カイザー側もすぐに反応した。
数人の兵士が先生たちの逃走路から離れ、ヒートを挟み込むように動き始める。
狙い通りだった。
ヒートは近づいてきた一人の銃身を掴んで上へ逸らし、その懐へ肩から踏み込む。体勢を崩した相手を道路脇へ押し退けると、背後から迫った兵士の攻撃を身を捻ってかわした。
振り向きざまに掌底を打ち込む。
熱を帯びた衝撃を装甲越しに受け、兵士が数歩後退した。
それ以上は追わない。
相手を倒し切る必要はなかった。
今の目的は、できるだけ多くの敵をここへ留めることだった。
「衝撃波装置、照準!」
聞き覚えのある駆動音に、ヒートが顔を上げる。
少し離れた場所で、最後まで残っていた衝撃波装置が砲口をこちらへ向けていた。
「まだ動いてたのか!」
発射直前、ヒートは地面を蹴る。
直後に放たれた衝撃が背後の装甲車へ叩きつけられ、巨体を大きく揺らした。
あれを残したまま離れれば、遠距離から先生たちの方向へ攻撃される可能性がある。
先に潰す。
翔は迷わず装置へ進路を変えた。
「近づけるな!」
PMC兵たちが前へ出る。
正面から数人を突破するより、別の隙を作った方が早い。
ヒートは一度右へ大きく踏み込み、装置へ一直線に向かうような動きを見せた。兵士たちの意識がそちらへ集中した瞬間に身体を沈め、左側に積まれていた資材の陰へ滑り込む。
そのまま死角を縫うように距離を詰めた。
「左だ!」
気づかれた時には、もう遅い。
ヒートは飛び出すと同時に装置の側面へ蹴りを叩き込んだ。
大型の筐体が大きく傾く。
それでも駆動音は止まらず、無理に砲口をこちらへ向けようとする。
「二発目は撃たせない!」
ヒートの拳に熱が集中した。
赤熱した一撃が制御部分へ突き刺さり、装甲板を大きくへこませる。内部で何かが弾け、隙間から火花と煙が噴き出した。
駆動音が途切れる。
衝撃波装置は、そのまま沈黙した。
「よし……!」
これで、逃走中の先生たちへ直接届き得る大型装置はほぼ潰した。
しかし、一息つく暇もなく銃撃が飛んでくる。
ヒートは停止した装置を盾代わりにしながら身を低くし、反対側へ抜ける。直後、さっきまでいた場所へ弾丸が集中した。
その向こうからは、新たなエンジン音が近づいてくる。
交差点へ滑り込んできた装甲車が急停止し、扉が開いた。中から追加のPMC兵が次々と降りてくる。
「……まだ増えるのかよ」
さすがに呆れた声が漏れた。
だが、同時に好都合でもあった。
新しく来た兵士たちも、真っ先にこちらを見ている。
「増援部隊、仮面の戦士を包囲! 逃走者は別班に任せろ!」
翔の目が細くなる。
別班。
その言葉だけは聞き逃さなかった。
このままでは一部が先生たちを追う。
なら、その判断を変えさせる。
ヒートは停止した衝撃波装置の陰から飛び出すと、あえて増援部隊の真正面へ姿を晒した。
「おい!」
声を張る。
兵士たちの銃口が揃ってこちらへ向く。
「そんな人数連れてきて、俺一人も捕まえられないのか!」
「……っ!」
「対象を逃がすな! 全班、包囲へ回れ!」
即座に指示が変わった。
先生たちの方向へ向かおうとしていた兵士まで足を止め、こちらへ振り返る。
翔は内心で小さく息を吐く。
挑発に乗ってくれるならありがたい。
「全班って……本当に分かりやすいな!」
今度ははっきりと西側へ走る。
追手が一斉に動いた。
銃声が背後から追いかけてくる。
ヒートは路上の遮蔽物を使って射線を切りながら、先生たちの逃走経路からさらに離れていった。
ただ逃げるのではなく、時折わざと姿を見せる。
追いつけそうで追いつけない距離を保ち、カイザー側に「まだ捕まえられる」と思わせ続ける。
曲がり角へ差しかかったところで、正面から別の小隊が現れた。
「挟んだぞ!」
「そう簡単にいくか!」
ヒートは速度を落とさず突っ込む。
先頭の兵士が銃を構えるより早く銃身を押し上げ、その脇を抜けた。二人目が腕を伸ばしてくるが、掴まれる寸前に身体を捻り、熱を帯びた肘を装甲へ当てて押し退ける。
そこへ横から拘束ワイヤーが飛んできた。
ヒートは咄嗟に身を伏せて一本目をかわす。続く一本は腕で弾いたが、ワイヤーはそのまま近くの街灯へ巻きつき、電磁力で固定された。
「まだあったのか!」
射出元を見る。
小型化された拘束装置が、兵士二人に守られながら通りの端へ設置されていた。
このまま置いていけば、追跡に使われる。
ヒートは一度敵との距離を取ると、装置へ向けて走った。
守っていた兵士が迎え撃とうとするが、一人目の攻撃を横へ流して体勢を崩し、もう一人の前へ踏み込む。熱を纏った拳を装甲へ当て、傷つけすぎない程度に強く押し返した。
空いた正面へそのまま蹴りを入れる。
拘束装置の外装がへこみ、内部から火花が散った。
それでも光が消えないのを確認すると、ヒートはもう一度拳を叩き込む。
今度こそ装置が沈黙した。
直後、すぐ近くの壁へ銃弾が集中する。
「長居はできないな……!」
翔は再び走り出した。
かなり引きつけた。
先生たちが逃げた方向とは、もう何本も通りが離れている。
それでも念のため、翔は走りながら何度か後方を確認した。
追ってくるPMC兵は多い。
逆に言えば、それだけの人数がこちらに集まっているということでもある。
先生たちが向かった方向へ急いでいる部隊は、少なくとも見える範囲にはいなかった。
「……ここまで来れば十分か」
ようやく、翔は誘導を続けるのをやめた。
ここから先は、自分が離脱する番だ。
追手をさらに西へ引っ張る必要はない。むしろ長く付き合えば、それだけ正体を探られる危険も増える。
翔は周囲の建物へ目を走らせた。
正面の大通りをそのまま走れば追跡される。右側には細い路地があり、その先はいくつかの建物の裏手へ繋がっていた。装甲車が入れる幅ではなく、曲がり角も多い。
あそこなら撒ける。
「対象、右へ行くぞ!」
もちろん向こうも気づく。
ヒートはそのまま右へ入ると見せかけ、路地の入口直前で急停止した。
後方から追っていた兵士たちの視線が右へ集まる。
その瞬間、翔は反対側に積まれていたコンテナへ飛び乗った。
「なっ!?」
縁を蹴って高く跳び、隣接する建物の低い屋根へ着地する。そのまま反対側へ駆け抜け、下の路地へ飛び降りた。
追手から姿が消える。
「屋根だ! 回り込め!」
声が遠くで響く。
翔は構わず走った。
細い路地を二つ抜け、さらに別の建物の裏手へ入る。追跡する足音が少しずつ遠ざかっていく。
すぐには変身を解かない。
完全に視線を切るまでは、このままの方が安全だった。
もう一度角を曲がったところで、ようやく銃声も聞こえなくなる。
翔は速度を緩め、周囲を確認した。
人影はない。
追手の気配もない。
「……撒いたか」
ここまで来れば、一度体勢を立て直せる。
先生たちも、グレーの案内があれば別の出口から十分離れられているはずだ。
翔は自分が走ってきた方向を一度だけ振り返った。
凍結装置をはじめ、あれだけの疑似メモリ兵器をカイザーPMCが直接運用していた。
偶然流れ着いた品では説明できない。
これまで追ってきた流通の痕跡と、今日目の前で見たものが、確実に同じ場所へ近づき始めている。
「……随分でかい証拠を見せてくれたな、カイザー」
ただし、その話を整理するのは後だ。
まずは先生たちと合流する。
それから――銀行強盗の説明も、きっちり聞かなければならない。
「……ほんと、何やってんだよ先生」
呆れた声を漏らしながらも、翔はすぐに移動を再開した。
* * *
南側の搬入口へ辿り着いたところで、先生はようやく全員の足を止めた。
古い倉庫群に挟まれたその一帯は道幅が狭く、大型の装甲車がそのまま入り込むには向いていない。さらに奥には細い通路がいくつも伸びており、ここまで来れば先ほどのように正面から包囲される危険はかなり減っていた。
『先生、周辺を確認しました。今のところ、すぐ近くにカイザーPMCの反応はありません』
「ありがとう、グレー。引き続き周りを見ててもらえる?」
『はい!』
通信を終えると、先生は改めて全員を見回した。
「怪我してる人は?」
「問題ない」
ブルーが短く答え、グリーンも笑顔で頷く。
「私も大丈夫です~」
「私も平気よ」
レッドもそう答えたが、走り続けたせいか僅かに肩で息をしていた。ピンクは盾の状態を確かめているものの、先ほど付着していた氷はほとんど残っていない。
ファウストも紙袋を被ったまま、ほっとしたように胸へ手を当てている。
「わ、私も大丈夫です……。さすがにちょっと疲れましたけど」
「うん。それは私も」
先生自身も息を整えながら答えた。
その少し離れたところでは、便利屋68の四人も互いの無事を確認していた。
「アル様、お怪我はありませんか!?」
「平気よ、ハルカ。あなたこそさっき狙われてたじゃない」
「わ、私は大丈夫です! あの方が助けてくださったので……」
ハルカの言葉に、アルが一瞬黙る。
「あの方」というのが誰なのか、確認するまでもない。
カヨコが周囲を見渡しながら口を開いた。
「追手が来てないってことは、まだ向こうで引きつけてるのかもね」
「一人であの人数相手に?」
アルが反射的に聞き返す。
「少なくとも、私たちがここまで来る時間は稼いでくれた」
「……そう」
アルはそれ以上何も言わなかった。
先生はそんな便利屋68を見てから、少し申し訳なさそうに頭を下げる。
「それと、アルたちには本当にごめん。完全にこっちの騒ぎに巻き込んじゃった」
「本当よ!」
アルが即座に食いついた。
「私たちはただ銀行にお金を借りに来ただけなのよ!? それなのに突然銀行強盗が飛び出してきたと思ったら、追いかけた先で仲間扱いされて撃たれて――」
「うん」
「変な兵器まで出てきて!」
「うん……」
「最後には仮面ライダーまで出てきたのよ!」
「そこは私が呼んだわけじゃないよ?」
「そこだけ否定しないで!」
先生が少し困ったように笑う。
カヨコが横から口を挟んだ。
「まあ、追いかけたのはこっちの判断だけどね」
「カヨコ!」
「銀行から出てきた時点で離れてれば、少なくともここまでは巻き込まれてなかったと思う」
「うっ……」
正論を突かれ、アルの勢いが止まった。
ムツキが楽しそうに笑う。
「アルちゃんがどうやって銀行強盗したのか聞きたいって追いかけたんだもんね~」
「それは……そうだけど!」
「社長、そこは否定しないんだ」
「だって気になるじゃない!」
そんなやり取りに、張り詰めていた空気が僅かに緩む。
だが先生はすぐに表情を戻し、肩から下げた鞄を確かめた。中には銀行から持ち出した記録が入っている。ここまで危険を冒して確保した以上、失うわけにはいかなかった。
「とにかく、ここにも長くはいられないね。カイザーが諦めたとは思えないし――」
そこまで言ったところで、ブルーが顔を上げた。
「誰か来る」
全員の視線が一斉に通路の入口へ向き、アルたちも反射的に武器へ手をかけた。
数秒後、建物の向こうから足音が聞こえてくる。
やがて路地の角から現れたのは、赤い姿だった。
「あっ」
先生の表情が明るくなる。
「仮面ライダー!」
呼ばれた赤い仮面の戦士は、全員が揃っていることを確認するように視線を巡らせた。
「無事みたいだな」
「そっちもね」
「何とかな」
ヒートは短く答えながら近づいてくる。
「追手の大半は西側に引っ張った。追跡に使えそうな疑似メモリ兵器もだいたい潰した」
「それなら、少しは余裕ができるかな」
「だからって、ここでのんびりはできないぞ。向こうもすぐ気づく」
「分かってるよ」
先生は頷き、改めてヒートを見る。
「ありがとう。助かった」
「礼はいい。それより先生」
声の調子が変わった。
先生もそれに気づき、表情を引き締める。
「……うん」
「さっき、銀行に入ったのは自分たちだって言ってたな」
「言った」
「そこで何をした?」
先生は僅かに間を置いた。
冗談を返す場面ではない。
「記録を持ち出した」
「記録?」
「現金が目的じゃない。今朝、カイザー融資の現金輸送車があの銀行に入るのを確認して、それを追って調べたら、カイザーに繋がる口座や会社の動きが出てきたの」
先生は肩から下げた鞄へ手を添える。
「その記録がここにある」
「カイザーの動きを調べるためか」
「うん。アビドスで起きていることと、カイザーがどう繋がってるのか確かめたかった」
ヒートは少しの間、何も言わなかった。
「それで、正面から銀行に?」
「……そう」
先生は言い逃れをしなかった。
「正規の方法では手に入らなかった。でも、それを理由にやったことまで軽く扱うつもりはないよ。無断で入って、記録を持ち出した。それは事実だから」
ヒートは先生の返答を聞いた後、鞄へ視線を落とした。
「……事情は分かった」
「うん」
「あれだけの兵力を出してまで追ってきた理由も、その記録なら説明はつく」
先生も同じように鞄を見る。
「私も、ここまで来るとは思ってなかった」
「それに、さっき使ってた疑似メモリ兵器も普通じゃない。何種類もまとめて運用して、互いの弱点を補うように使ってた」
「やっぱり、あれはかなり特殊なんだね」
「ああ。少なくとも、その辺に転がってるような代物じゃない」
先生の目つきが変わった。
銀行から持ち出した記録と、カイザーPMCが直接使用していた特殊な兵器。
この二つを別々の出来事として片づけるには、あまりにもタイミングが出来すぎている。
「……調べる価値はありそうだね」
「だろうな」
ヒートはそう答えた後、周囲へ視線を向けた。
「ただ、話を続けるなら場所を変えた方がいい。西に引っ張った奴らも、いつまでも俺だけ追いかけてるほど馬鹿じゃない」
「うん」
そこで、アルが声を掛けた。
「……ねえ」
ヒートが顔を向ける。
「何だ?」
「貴方に一つ聞きたいんだけど」
「手短にな」
アルはすぐには続けなかった。
赤い仮面の戦士を正面から見上げる。
少し前まで敵の前に一人で残っていたとは思えないほど、ヒートの態度は普段通りだった。自分たちを逃がしたことも、ハルカを庇ったことも、わざわざ口にする様子はない。
「どうして私たちまで助けたの?」
周囲の会話が自然と止まる。
「前に会った時、私たちは貴方と敵同士だったでしょ。今日だって貴方とは何の関係もない。たまたまあそこにいただけよ」
「ああ」
「なのに、私たちまで逃がして、自分は一人で残った」
アルはそこで言葉を切り、少し強く問いかけた。
「そこまでする義理、私たちにはないでしょ?」
ヒートは数秒だけアルを見た。
「義理か」
「そうよ。前に銃を向け合った相手なのよ、私たち」
「覚えてるさ」
あっさり返ってくる。
アルの眉が僅かに動いた。
「だったら――」
「でも、それはあの時の話だ」
静かな声だった。
「今日のお前らは俺たちを襲ってたわけじゃない。銀行の件にも関係なくて、勝手に仲間扱いされて撃たれてた。それだけだろ」
「……それでもよ」
アルは食い下がった。
「私たちを置いて逃げたって、別に貴方が悪いわけじゃなかったでしょ? 助けたって何か返せるわけでもないし、そのせいで貴方まで危険になる。普通に考えたら、損しかないじゃない」
「そうかもな」
否定されると思っていたアルが、僅かに目を見開く。
だが、ヒートの声は変わらなかった。
「でも、そこで損得を数えて見捨てるくらいなら、最初からこんな仮面は被ってない」
「……」
「前に敵だったとか、助けたところで何も返ってこないとか、そんなのは後でいい。目の前で巻き込まれてる奴がいて、俺に手を伸ばせるなら伸ばす。それが――俺の流儀だ」
「……流儀」
「ああ」
アルがその言葉を小さく繰り返す。
「じゃあ、あそこに残ったのも?」
「お前らが逃げ切る前に追手までついてきたら、せっかく道を開けた意味がないだろ」
「でも、一人で残ったら貴方が捕まるかもしれないじゃない」
その問いに、ヒートはすぐには答えなかった。
ほんの僅かに間が空く。
「……そうだな」
先ほどまでとは違い、少しだけ自嘲するような響きが混じった。
「昔の俺なら、それでもいいって言ってたかもしれない」
「え?」
「誰かを助けられるなら、自分がどうなっても構わない。危ない場所に飛び込んで、そいつを助けられたなら、それで十分だってな」
アルは何も言わず続きを待った。
「でも、それじゃ駄目だって、何度も言われた」
「誰に?」
「……色んな奴に」
ヒートは少しだけ肩を竦めた。
「無茶するなとか、ちゃんと帰ってこいとか。せっかく誰かを助けても、自分が帰ってこなかったら、それを待ってる奴を今度は自分が泣かせることになるってな」
アルの表情から、先ほどまでの勢いが少し消える。
ヒート自身も、その言葉を最初から理解していたわけではない。
危険だと分かっていても身体が先に動き、自分のことを後回しにしたことは何度もあった。その度に心配され、怒られ、それでもまた似たことをして、少しずつ覚えてきた。
今だって、完全にできているとは思っていない。
「だから今は、ちょっと考え方が変わった」
ヒートはアルへ向き直る。
「助けるなら、最後までだ」
「最後まで?」
「ああ。助けに入って、相手だけ逃がして、自分はそこで倒れましたじゃ格好つかないだろ」
どこか冗談めかした言い方だったが、その奥にあるものは軽くなかった。
「お前らを逃がす。追手を撒く。それから俺も帰る。そこまで全部やって、ようやく一件落着だ」
「……」
「まあ――」
ヒートは一拍置き、少しだけ気恥ずかしそうに続けた。
「俺も最初からそう考えられたわけじゃない。人に何度も言われて、ようやく覚えたことだけどな」
アルは黙ったまま、目の前の仮面の戦士を見ていた。
ただ無茶を恐れないわけではない。
危険だからと逃げるわけでもない。
必要なら自分から危険へ踏み込みながら、そのことを格好つける材料にも、自分を捨てる理由にもしていない。
そして、それを自分一人で最初から分かっていたような顔もしない。
誰かに言われ、失敗し、考え直し、それでも自分なりの流儀にして立っている。
それが、アルには妙に引っかかった。
「それに――」
ヒートが続ける。
「昨日敵だったからって、今日まで敵でいる必要はないだろ」
アルが顔を上げる。
「今日のお前らは、ただ巻き込まれただけだった。なら、それで十分だ」
そこまで言うと、ヒートは話を終えるように周囲へ目を向けた。
言い聞かせるつもりも、自分の考えを理解させるつもりもないらしい。
アルだけが、その横顔を黙って見ていた。
先ほどまで妙に引っかかっていたものが消えたわけではない。むしろ今までより、ずっと強く残っている。
ただ、その感覚に名前を付けるには、もう少しだけ時間が必要だった。
「……そう」
アルはそれだけ答えた。
いつものような勢いはない。
ムツキが隣からアルの顔を覗き込みかけたが、今回は何も言わなかった。カヨコも黙ったまま、アルとヒートを交互に見る。
ヒート自身は、アルの反応を深く気にしていない。
「そろそろ動こう」
「うん」
先生も頷き、通信へ意識を戻した。
「グレー、次のルートお願い」
『はい! 搬入口の南東側から細い道路へ出られます。その先で二手に分かれれば、追跡もかなり難しくなると思います!』
「じゃあ、それで行こう」
先生が全員へ合図する。
再び一行が動き出す。
アルも遅れて歩き出したが、その途中でもう一度だけ赤い仮面の戦士を見た。
今度も何も言わなかった。
ただ、先ほど聞いた「流儀」という言葉だけが、妙に耳に残っていた。
* * *
グレーの案内に従い、一行は南東側へ伸びる細い道路を進んでいた。
先ほどまで響いていた銃声や爆発音は、もうかなり遠い。カイザーPMCの主力はヒートが西側へ引きつけ、その間に十分な距離を稼ぐことができていた。
『後方に追跡してくる部隊は確認できません。迂回して先回りしようとしている車両も、今のところ見当たりません』
通信機から届いたグレーの報告に、先生がようやく息を吐く。
「ひとまず撒けたかな」
『はい。ただ、記録を諦めたとは思えません。できるだけ早くブラックマーケットを離れた方がいいです』
「了解。ありがとう、グレー」
周囲を見回した先生は、自分の顔を覆っている覆面へ触れた。
「人目も少ないし、これもそろそろ――」
「まだ外すなよ」
すぐ横からヒートに止められ、先生の手が止まる。
「まだ駄目?」
「追手を撒いたばっかりだろ。今まで隠してた意味を自分からなくしてどうするんだ」
「なるほど」
「先生、たまに妙なところで雑だな……」
「気をつけます」
素直に返事をする先生を見て、レッドが呆れたように息を吐いた。
「本当に次から気をつけてよね。ただでさえ今回は――」
そこまで言いかけたところで、ヒートがレッドだけではなく覆面姿の面々を順に見る。
「まあ、その辺は先生だけの話じゃないけどな」
「え?」
「銀行に入ったのは全員なんだろ。事情があったのも、それでもやったこと自体がなくならないのも同じだ。先生一人だけの責任にする話じゃない」
レッドが口を閉じる。
ブルーも僅かに視線を落とし、グリーンの笑みも少しだけ困ったものへ変わった。
「……それはそうですね~」
「ん。私も賛成した」
「おじさんも止めなかったからねえ」
「あ、あはは……私も一緒に入っちゃいましたし……」
ファウストも紙袋の奥から申し訳なさそうな声を漏らす。
先生も何かを庇うようなことは言わなかった。誰かに無理やり付き合わせたわけではなく、最後には全員が自分で決めて銀行へ入ったのだから、そこだけ自分が背負えばいいという話でもない。
ヒートも、それ以上全員へ説教を続けるつもりはなかった。
ただ、最後に先生を見る。
「でも先生」
「うん」
「あんたは大人なんだろ」
今度は先生も茶化さず、正面からその言葉を受け止めた。
「次にまた誰かが勢いで無茶なことを言い出したら、一緒に勢いに乗るだけじゃなくて、止めるところはちゃんと止めてくれよ。そういう役目まで生徒に任せるわけにはいかないだろ」
「……そうだね」
先生は少しだけ苦笑した。
「耳が痛いけど、その通りだと思う」
「ならいい」
そこで話は終わった。
ブルーたちも先生をからかうことはなく、再びグレーの指示に従って歩き出す。
しばらく進んだところで、アルが覆面姿の一行を見回した。
「そういえば、まだ聞いてなかったわね」
「何を?」
先生が振り返る。
「貴方たちよ」
アルは胸の前で腕を組む。
「銀行に押し入って、カイザー相手にあれだけ派手に立ち回って、その上わざわざ全員で覆面までしてるんでしょう?」
「まあ……そうだね」
「だったら、何か名前くらいあるんじゃない?」
先生の動きが止まった。
レッドも露骨に嫌そうな顔をする。
「……そこ聞くの?」
「何よ、その反応」
「いや、別に……」
「レッド」
ブルーが静かに呼びかける。
「何よ」
「ここまで来たなら、名乗るべきだと思う」
「なんでブルー先輩はちょっと乗り気なのよ!?」
さらにグリーンが嬉しそうに両手を合わせた。
「せっかくですから、ちゃんと名乗りましょう~」
「グリーン先輩まで!?」
ピンクも盾を肩へ預けながら、のんびり笑う。
「うへ~。そこまで聞かれたら仕方ないねえ」
「仕方なくないわよ!」
レッドの制止をよそに、グリーンが一歩前へ出た。
「それでは、改めまして~」
ピンクが続ける。
「我ら――覆面水着団!」
「覆面……水着団?」
アルの目が見開かれた。
初めて聞いた名前を確かめるように呟き、改めて目の前の覆面集団を見る。
「何よ、それ……」
レッドは当然、呆れられるものと思っていた。
しかし、次にアルの口から出た言葉は予想とは正反対だった。
「すっごくアウトローじゃない!」
「そっち!?」
レッドが思わず声を上げる。
アルは至って本気だった。
「正体を覆面で隠して銀行へ乗り込んだ挙げ句、堂々と『覆面水着団』を名乗るなんて……なかなかできることじゃないわ!」
「いや、水着は着てないけど」
カヨコが静かに指摘する。
「そこは今どうでもいいの!」
「名前の半分くらい占めてるけどね~」
ムツキが笑いながら続ける。
そんな便利屋68のやり取りを見て、ピンクまで完全に調子に乗った。
「目には目を、歯には歯を。無慈悲に、孤高に、我が道を行く――それが覆面水着団だよ~」
「な、なんですって……!」
アルが身を乗り出す。
「モットーまであるの!?」
「あるよ~」
「カッコいい……!」
「どこがよ!」
レッドが即座に噛みついた。
「こんなの真に受けないで!」
「どうしてよ! 無慈悲に、孤高に、我が道を行くのよ!? これ以上ないくらいアウトローじゃない!」
「そのアウトロー活動の内容が銀行強盗なのよ!?」
「そこも含めてでしょう!?」
「駄目に決まってるでしょ!」
二人のやり取りを見て、ムツキがとうとう声を上げて笑い出す。
「くふふっ、アルちゃん、覆面水着団のことすっごく気に入ってる~」
「当然よ! この名前、覚えたわ!」
「お願いだから覚えなくていい!」
その横では、ファウストが紙袋を両手で押さえながら小さく縮こまっていた。
「あはは……どうしてこうなっちゃったんでしょう……」
ヒートは一連のやり取りを横目で眺めながら、口を挟むべきか少し迷った末に何も言わないことにした。
少なくとも追手の姿はない。大声を出し続けなければ、この程度の余裕はあってもいいだろう。
やがて一行の前に、グレーが示していた分岐が見えてきた。
『先生、そこです。左へ行けば古い倉庫街を通って外周道路へ出られます。右側は商業区画へ繋がっていますが、途中の裏道を使えば人目を避けながら別の出口へ向かえます』
先生が足を止める。
「ここから分かれようか」
「私たちは右ね」
カヨコが周囲を確認しながら言う。
「これ以上まとまって移動するより、その方が追われにくいと思う」
「そうね。そうしましょう」
アルも頷いた。
そこでヒートが口を開く。
「俺も別方向へ行く」
先生が振り返った。
「一緒には来ないの?」
「せっかく追手を散らしたんだ。同じところに固まる必要はない。それに、この姿であんたたちとずっと一緒にいたら目立つだろ」
「それは確かに」
先生は納得すると、改めてヒートを見る。
「じゃあ、ここでお別れだね」
「ああ。記録は絶対なくすなよ」
「分かってる。ちゃんと持って帰るよ」
ヒートはブルーたちにも視線を向ける。
「まだ完全に安全になったわけじゃない。気を抜くなよ」
「ん。分かってる」
「仮面ライダーもね~。また一人で追手のところに戻ったりしないでよ?」
ピンクの言葉に、ヒートは僅かに肩を竦める。
「俺もちゃんと帰るさ」
その言葉を聞いたアルが、一瞬だけヒートを見る。
先ほど交わした会話が、また頭をよぎった。
誰かを助けるなら、その相手だけではなく自分も帰る。
最初からそう考えられたわけではなく、周りの人間から何度も言われて覚えたことだと、彼はそう話していた。
何故か、その言葉がまだ胸の奥に残っている。
何がそこまで気になるのかは、自分でも上手く説明できなかった。
「仮面ライダー」
気づけば、アルは呼び止めていた。
ヒートが振り返る。
「何だ?」
「あ……」
自分から声を掛けておきながら、一瞬言葉に詰まる。
聞きたいことなら、さっき聞いたはずだった。
それでも何か言わなければならないような気がして、アルは少しだけ視線を逸らす。
「……ちゃんと帰りなさいよ」
結局、口から出たのはそれだけだった。
ヒートは少し意外そうにアルを見る。
だが、すぐに小さく頷いた。
「ああ。そっちもな」
「言われなくても分かってるわよ」
アルは誤魔化すように腕を組んだ。
ヒートはそれ以上何も言わず、先生たちとは別の細い路地へ入っていく。
赤い姿が建物の陰へ消えるまで、アルは無意識にその背中を目で追っていた。
先生はヒートを見送ると、便利屋68へ向き直る。
「アルたちも気をつけてね」
「貴方たちこそよ。次に会った時、カイザーに捕まってましたなんて笑えないんだから」
「努力します」
「そこは『絶対に捕まらない』って言いなさいよ!」
最後まで締まらない先生の返答に、アルが声を上げる。
ピンクが軽く手を振った。
「それじゃあね~」
「またどこかで~☆」
グリーンも笑顔で続ける。
ブルーは短く頷き、レッドは少し疲れたように手を上げた。
「じゃあね。今度は変な理由で追いかけてこないでよ」
「貴方たちが突然銀行から飛び出してきたからでしょう!?」
「追いかけてきたのはそっちじゃない!」
「それは……そうだけど!」
言い返せなくなったアルの肩を、カヨコが軽く叩く。
「社長。そろそろ行こう」
「……分かったわよ」
便利屋68の四人は右側の道へ入り、先生たちと覆面水着団は左へ進む。
今度こそ、それぞれの姿が互いに見えなくなった。
* * *
人目の少ない裏道をしばらく進んだところで、アルは大きく息を吐いた。
「はあ……今日は本当にとんでもない一日だったわ」
「まだ帰れてないけどね~」
「分かってるわよ、ムツキ」
そう返しながらも、アルの表情にはどこか満足そうな色が残っている。
「それにしても……覆面水着団、ね」
「気に入ってるね~」
「当然でしょう?」
アルは胸を張る。
「銀行へ堂々と乗り込んで、カイザーPMCに囲まれても怯まず、挙げ句の果てにはあんなモットーまで掲げてるのよ? ただ者じゃないわ!」
「逃げてたけどね」
「カヨコ、そこは今言わなくていいの!」
「事実だけど」
「分かってるわよ!」
ムツキが横でくすくす笑っている。
そんな中、カヨコは少しだけ不思議そうにアルを見た。
「……社長」
「何?」
「もしかして、本当に気づいてない?」
アルが眉を寄せる。
「だから、さっきから何の話よ?」
カヨコは一拍置いてから、先ほど別れた方角へ視線を向けた。
「あの子たちのこと」
「覆面水着団がどうかしたの?」
「服装とか、声とか。何も気づかなかった?」
「だから覆面してたんでしょう!? そんなもの分かるわけ――」
「アルちゃん」
途中でムツキが割り込んだ。
いかにも面白いものを見つけた時の笑顔を浮かべている。
「あの子たち、アビドスだよ」
「…………」
アルの言葉が止まった。
「……何ですって?」
「アビドスの子たち」
ムツキがもう一度言う。
アルは数秒固まったまま、先ほどまで一緒に歩いていた覆面姿を頭の中で思い返した。
小柄で盾とショットガンを扱っていたピンク。
短い言葉で話し、正確な射撃をしていたブルー。
穏やかな口調のグリーン。
そして――やたら自分へ突っかかってきたレッド。
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
アルの表情が徐々に変わっていく。
「アビドスってことは……」
「うん」
カヨコは静かに先を促す。
「まさか、ピンクって……小鳥遊ホシノ?」
「たぶんね」
「じゃ、じゃあブルーは……砂狼シロコ?」
今度はムツキがにやにやしながら頷く。
「そうだと思うよ~」
「グリーンが十六夜ノノミで……」
そこまで辿り着いたところで、アルの動きが止まった。
残った一人。
赤い覆面。
聞き覚えのある声。
何度も自分へ容赦なく突っ込んできた相手。
「……まさか」
アルの顔が引きつる。
「あのレッドって……」
ムツキが待ってましたとばかりに笑う。
「バイトちゃん♪」
「やっぱり黒見セリカじゃない!」
アルの叫びが裏道に響いた。
「何で気づかなかったのよ、私!?」
「アルちゃん、覆面水着団って名前に夢中だったからじゃない?」
「ち、違うわよ!」
「『すっごくアウトローじゃない!』って言ってたけど」
「ムツキ!」
アルの顔が赤くなる。
カヨコも淡々と続けた。
「先生が一緒にいた時点で、もう少し疑ってもよかったと思うけど」
「先生がいることは分かってたわよ! だからって、あの覆面が全員アビドスの子だなんて普通思わないでしょ!」
「まあ、それはそうかもね」
「そこで納得しないで!」
「あ、あの……」
ハルカがおずおずと口を挟む。
「私も、最初はまったく分かりませんでした……」
「ハルカ……!」
アルの表情がぱっと明るくなる。
「そうでしょう!? 普通は分からないわよね!」
「は、はい! アル様がお気づきにならなかったのも、当然だと思います!」
「ハルカぁ……!」
「二人とも慰め合ってる~」
「ムツキは黙ってなさい!」
しばらく騒いでいたアルだったが、そこでふと何かを思い出した。
「……待って」
「今度は何?」
「ファウストは?」
三人が黙る。
アルの眉がぴくりと動いた。
「……何よ、その反応」
「そこは分からない」
カヨコが答える。
「私も知らな~い」
ムツキもあっさり続いた。
ハルカも申し訳なさそうに首を横へ振る。
「す、すみません……」
「一人だけ本当に正体不明なの!?」
アルは頭を抱えた。
「何なのよ、覆面水着団!」
その声にムツキの笑い声が重なる。
つい先ほどまでアルの中にあった、正体不明の凄腕アウトロー集団という覆面水着団の像は、ものすごい勢いで崩れていった。
けれど、その騒ぎが収まってからも、もう一人の仮面の男についてだけは妙に頭から離れなかった。
覆面水着団とは違い、その素顔は分からない。
彼がどんな人間なのかも、どうしてあんな風に他人のためへ迷わず踏み込めるのかも、まだ知らない。
ただ、敵だった自分たちまで助けたこと。一人で追手を引き受けたこと。そして、自分も帰るところまでが終わりなのだと語った言葉。
そのどれか一つではなく、全部が妙に胸の奥へ残っていた。
どうしてそこまで気になるのか、アル自身にもまだ分からない。
何か、自分がずっと求めていたものに近いような気はする。
けれど、それが何なのかまでは掴めなかった。
アルは無意識に一度だけ後ろを振り返る。
もちろん、赤い仮面の姿はもうどこにもなかった。