青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
地下施設の出口を抜けると、乾いた熱気と強い陽射しが一行を迎えた。
薄暗い地下に慣れていた目には眩しすぎるほどだったが、立ち止まっている余裕はない。背後では警報音がまだ鳴り続け、ときおり地面の下から伝わってくる振動に合わせて、搬入口の周囲から細かな砂が落ちていた。
「このまま離れるよ。アヤネ、追撃は?」
『施設周辺の通信反応が増えています。地上の車両も動き始めているみたいです!』
「大型車が入りにくいところは?」
『少し西に、崩れた建物が密集している区画があります。あそこなら車両はそのまま入れません!』
「じゃあ、そこまで行こう」
先生の指示を受け、シロコが先頭に立った。
ノノミとセリカが続き、ホシノは大盾を手に最後尾近くを歩く。
皆の制服には砂埃や擦れた跡が残り、先ほどまで地下で続いていた戦闘の激しさがそのまま刻まれていた。
数歩進むたびに先生が後ろを見る。
「先生」
シロコが前を向いたまま呼んだ。
「分かってる。戻らないよ」
「ん」
それだけ返して、シロコは前方へ意識を戻した。
先生はもう一度、遠ざかっていく搬入口を見る。
「あの人、翔は無事だって言ってたけど……」
セリカも地下施設の方へ目を向けた。
「だったら、今は出口を探してるんじゃない? あの中、あちこち崩れてたし」
「そうだね」
「……まあ、顔を見るまでは心配だけど」
最後だけ少し小さくなった声に、ノノミが柔らかく笑う。
「セリカちゃんも心配なんですね」
「そりゃするでしょ。一人だけまだ戻ってないんだから」
「ん。同意」
「シロコ先輩もでしょ?」
「もちろん」
即答したシロコを見て、セリカもそれ以上は何も言わなかった。
後方を歩いていたホシノが、三人の会話を聞きながら地下施設へ視線を戻す。
「まあ、ジョーカーがわざわざ無事だって教えてくれたんだし、今は翔くんが出てくるのを待つしかないねえ」
「うん」
先生も頷いた。
納得したというより、自分に言い聞かせているような返事だった。
やがて一行は、崩れた建物が連なる一角へ入った。半ば砂へ沈んだ壁の陰まで移動すると、先生はすぐ通信機を取る。
「アヤネ、翔の端末は?」
『まだ拾えていません。地下側の通信障害がかなり酷いみたいで……』
「そっか」
先生は壁際へ腰を下ろしたものの、視線だけは建物の隙間から見える来た道へ向けたままだった。
しばらくして、その身体が僅かに浮く。
「先生」
今度はシロコが横から呼んだ。
「……ちょっと入口の方を見るだけ」
「ここからでも見える」
「そうなんだけど」
「先生が動いたら、翔とすれ違うかもしれない」
「……それもそうだね」
先生は渋々座り直した。
「こういう時って、待ってる方が落ち着かないね」
「分かる」
セリカが壁へ背を預けながら答える。
「何かできるなら、その方がまだ楽よね」
「うん」
その会話を聞いていたホシノが、盾を傍らへ置いた。
「でも今は、ちゃんと戻ってこられる場所を残しておくのも仕事じゃない?」
先生がホシノを見る。
「……なるほど」
「おじさん、たまにはいいこと言うでしょ~」
「たまには?」
「そこ拾う?」
ほんの少しだけ空気が緩む。
その時だった。
『先生!』
通信機から飛び込んできたアヤネの声に、全員が一斉に顔を上げた。
『翔さんの端末を捕捉しました! 皆さんの南東側、こっちへ移動しています!』
「怪我は?」
『そこまでは分かりません。でも、移動速度は安定しています!』
先生が大きく息を吐いた。
「よかった……」
横ではセリカも肩の力を抜いていた。
「ほんっと……心配させるんだから」
「でも戻ってきてる」
シロコが言う。
「分かってるわよ」
「安心した?」
「したわよ。悪い?」
「悪くない」
「なら聞かないで!」
いつもの調子を取り戻し始めた二人を見て、ノノミもほっとしたように笑った。
「来ましたよ」
建物の隙間から人影が見える。
服を砂埃で汚した翔がこちらに気づき、軽く片手を上げた。
「先生たちも無事だったか」
そのまま近づこうとした翔のところへ、先生が先に歩いていく。
「翔、ちょっと止まって」
「え?」
「怪我は?」
「擦り傷くらい」
「頭は打ってない?」
「それは大丈夫」
「他には?」
「本当に大したことないって」
先生は翔の返事を聞きながら、袖や肩へ大きな出血がないことを確かめる。それから顔色を見て、ようやく表情を緩めた。
「……よし。本当に大きな怪我はなさそう」
「だから言っただろ」
「確認したかったの」
「そんなに心配だった?」
「一人だけ戻ってこなかったら心配するよ」
あまりにも当然のように返され、翔は少しだけ目を瞬いた。
「……それもそうか」
そこへセリカが近づいてくる。
「で、何でこんなに時間かかったの?」
「ジョーカーに教えられた通路へ入った後、途中が崩れてたんだ。引き返したらPMCがいる方へ戻ることになりそうだったから、そのまま保守通路を探して回ってきた」
「なるほどね。通信も駄目だった?」
「ああ。何度か試したけど、地下じゃ全然繋がらなかった」
『それはこっちでも確認しています』
アヤネが通信越しに補足する。
『翔さんの端末が復帰したのも、地上へ出て少し経ってからです』
「じゃあ、本当にどうしようもなかったのね」
「そういうこと」
セリカは一度息を吐いた。
「……ならいいわ」
「怒られるかと思った」
「別に怒る理由ないでしょ。ちゃんと戻ってきたんだし」
そこで少し間を置き、セリカが続ける。
「ただ、戻ってくるまでは心配したから」
「ああ。悪かった」
「謝らなくてもいいわよ。あんたのせいで道が崩れたわけじゃないし」
その返しに翔が少し笑う。
「それもそうだな」
「何よ、その反応」
「いや、セリカにしては随分素直だなって」
「余計なこと言わなくていい!」
セリカが声を上げる横で、シロコも翔の姿を確認するように一度目を向けた。
「途中でPMCには見つかった?」
「いや。何度か近くを通ったけど、隠れてやり過ごせた」
「ん。よかった」
「そっちは?」
「大丈夫。全員いる」
翔が周囲を見る。
先生、シロコ、セリカ、ノノミ、ホシノ。
一人も欠けていない。
「……よかった」
その言葉に、ノノミが微笑んだ。
「翔さんも含めて、これで全員ですね」
「ああ」
少し離れていたホシノも、盾を担いで近づいてくる。
「翔くん」
「ホシノも大丈夫そうだな」
「おじさんはこの通りだよ~」
軽く盾を持ち上げてみせてから、ホシノは翔を見る。
「そっちも無事でよかった」
「心配かけたみたいだな」
「そりゃあねえ。一人だけ帰ってこないんだから、心配くらいするよ」
「悪かった」
「だから謝らなくてもいいって。帰ってきたなら、それでいいよ」
ホシノはそう言って、いつものように笑った。
翔も頷き、先生たちの方へ向き直る。
その背中を、ホシノの目がほんの少しだけ追った。
翔が地下で別れた後、ジョーカーが現れた。
そのジョーカーは追撃を引き受け、翔を別の道へ逃がしたと言った。
そして今、翔がその通り別の出口から帰ってきた。
「ホシノ先輩?」
セリカに呼ばれ、ホシノはすぐ視線を外した。
「なに~?」
「アヤネちゃんが、まだ追手の反応があるって」
『はい。施設周辺の車両反応が増えています。今いる場所も、長く留まるのは危険だと思います』
「了解。それじゃ、行こっか」
先生も頷き、翔へ目を向ける。
「歩ける?」
「問題ない」
「じゃあ今度は一緒に行こう」
「もちろん」
一行は再び移動を始めた。
砂漠の風が、地下施設から漂ってきた埃を少しずつ薄めていく。
歩き始めてしばらくしたところで、先生がホシノの隣へ並んだ。
「ホシノ」
「ん~?」
「腕、大丈夫?」
「これくらい平気だよ」
ホシノが盾を持ち直してみせる。
「ほら」
「ならいいけど」
「先生は心配性だねえ」
「今日はみんな結構危なかったからね」
「それを言ったら先生もでしょ~」
「私は――」
先生が何か言いかける。
ホシノはその顔を見て、先に笑った。
「『大人だから』は禁止ね」
「まだ言ってない」
「言いそうだった」
「……ちょっとだけ」
「ほらねえ」
先生も苦笑した。
そのまま並んで数歩進んだところで、先生が声を少し落とす。
「さっきのこと、まだ気にしてる?」
ホシノの視線が一瞬だけ先生へ向いた。
「さっき?」
「理事に言われた時」
「ああ……」
ホシノは前へ視線を戻した。
「別に、大したことじゃないよ」
「そう?」
「ちょっと頭にきただけ」
「うん」
「……先生たちまで巻き込んだのは、ちょっと悪かったと思ってるけどねえ」
先生はすぐには答えなかった。
代わりに、少し前を歩くシロコたちを見る。
「でも、全員で帰ってきたよ」
「うん」
「なら、次は同じことをしなければいい」
ホシノが小さく笑った。
「簡単に言うねえ」
「簡単じゃないから、一人でやらなくていいんだよ」
「……」
ホシノは返事の代わりに、盾の位置を直した。
少し前からシロコが振り返る。
「ホシノ先輩」
「ん?」
「次は一緒に動いて」
ホシノが僅かに目を丸くする。
「……うん」
今度は誤魔化さなかった。
「そうするよ」
シロコはそれだけ聞くと前へ戻る。
ホシノも少し遅れて歩調を上げ、皆の隣へ並んだ。
* * *
アビドス高等学校へ戻った頃には、陽もかなり傾いていた。
教室へ入ったセリカは自分の席へ荷物を置くなり、大きく息を吐いた。
「……疲れた」
「お疲れ様です、セリカちゃん」
「ノノミ先輩もね。っていうか、みんなだけど」
ノノミも機関銃を壁際へ下ろし、肩をゆっくり回している。シロコは席へ着くより先に装備の確認を始め、ホシノはいつもの席へ盾を立て掛けると、そのまま椅子へ深く腰を下ろした。
「いやあ、今日はさすがにおじさんも疲れたねえ」
「今日は、って何よ。ホシノ先輩いつも疲れたみたいな顔してるじゃない」
「ひどいなあ」
口ではいつも通りに返しながらも、ホシノはすぐには立ち上がらなかった。
先生はその様子を横目で確認してから、アヤネのいる教卓側へ向かう。
「データは?」
「無事です。施設内でコピーした分は全部残っています」
アヤネが端末を操作すると、教室前方のモニターへ複数のファイルが並んだ。
「ただ、かなり量があります。暗号化されているものや、途中で破損しているファイルも多いので、全部確認するには時間が掛かりそうです」
「今日中に全部見る必要はないよ。まず、今後すぐ危険に繋がりそうなものだけ確認しよう」
「分かりました」
翔も近くの机へ腰を預け、モニターを見る。
地下施設で回収したデータの中には、疑似メモリ兵器について記された資料がいくつもあった。
アヤネが一つを開く。
『外部流通試験』
その下には、ブラックマーケットを中心とした流通経路らしき記録と、使用者から収集された戦闘データが並んでいた。
「やっぱり……」
翔が僅かに眉を寄せる。
「何か分かる?」
先生に聞かれ、翔は画面を指した。
「前にブラックマーケットを調べた時、同じ規格の疑似メモリ兵器がいくつも別の連中に渡ってた。出所を辿ろうとしても途中から仲介業者ばっかりになって、製造元までは掴めなかったんだけど……」
「ここがその先だった?」
「少なくとも、かなり近いと思う」
別の資料をアヤネが開く。
『外部流通試験結果を反映』
『実戦運用型、規格統合』
セリカが顔をしかめた。
「つまり、ブラックマーケットに流してたのって、売るためだけじゃなかったってこと?」
「実際に使わせてデータを取ってたんでしょうね」
アヤネが答える。
「耐久性、出力、使用環境……記録項目がかなり細かいです」
「それで改良したものを、自分たちで使ってた」
シロコが画面を見たまま言う。
「たぶん」
先生が頷いた。
「今日施設の中で見たものの方が、外に出回ってるものより扱いが安定してた。形も揃ってたしね」
「実験にブラックマーケットを使ったってこと?」
セリカの声が低くなる。
「そう考えると辻褄は合う」
翔が答えた。
「買った側が勝手に使って、実戦データまで作ってくれる。カイザーからすれば都合がいい」
「最低ね」
「同感」
アヤネが次のファイルへ移る。
今度は画面に、見覚えのない複雑な構造図が表示された。
『発掘個体の内部情報構造を模倣』
『完全再現には至らず』
『外部装置用制御媒体への転用を優先』
「発掘個体……」
ノノミが読み上げる。
先生が翔を見る。
「これが、昨日話してくれたガイアメモリ?」
「多分な」
翔は断定せず、図面の一部を見る。
「俺が知ってるガイアメモリとは外見も構造も違う。でも、疑似メモリ兵器が本物のメモリを研究して作られてるなら、この書き方は不自然じゃない」
「外部装置用への転用を優先……」
先生が資料を読み直す。
「それが、今まで見てきた疑似メモリ兵器?」
「ああ。ただ、カイザーがやってるのはそれだけじゃない」
セリカが翔を見る。
「まだあるの?」
「人工ガイアメモリ」
聞き慣れない言葉に、アヤネの手が止まった。
「疑似メモリとは違うんですか?」
「違う。疑似メモリは機械に組み込んで能力を外から出すためのものだけど、人工ガイアメモリは身体に使う」
「身体に……?」
ノノミの表情が曇る。
「真正のガイアメモリを再現しようとして作られた劣化品みたいなものだ。前にゲヘナで起きた事件でも、実際に使われてる」
先生が眉を寄せる。
「それを使った人も、ドーパントになる?」
「ああ。真正メモリほど安定してるわけでもないし、身体への負担も大きい。少なくとも、安全に使えるようなものじゃない」
「じゃあカイザーは、人に使う方と、兵器に使う方を別々に研究してるってこと?」
「そう見た方がいいと思う」
翔は画面へ視線を戻した。
「人体へ使う人工メモリと、機械に載せる疑似メモリ兵器。用途は違うけど、どっちも真正ガイアメモリの研究から派生したものなんだろうな」
シロコが尋ねる。
「ドーパントになると、暴走する?」
「必ずじゃない」
翔はすぐに否定した。
「ゲヘナで最初に出たT-REXは、完全にメモリの力に呑まれてた。でも、その後に現れた別のドーパントは、自分の意思で能力を使ってた」
「今日の理事も」
「ああ」
地下で見たMONEYの姿を思い出しながら、翔は頷く。
「あいつも、自分が何をしてるのか分かった上で力を使ってた。だから『メモリを使えば暴走する』って考え方は危ない」
「使う人や、使い方でも変わるってこと?」
先生が聞く。
「その辺はまだ分からないことも多い。ただ、理性を失う場合もあれば、能力を制御したまま動ける場合もある。それはもう確認されてる」
セリカが嫌そうに顔をしかめた。
「どっちに転んでも面倒じゃない」
「まあな」
「暴走されたら何するか分からないし、理性があったら能力を考えて使ってくる……」
先生が呟き、地下での戦闘を思い返すように目を細める。
「今日の理事みたいに、こっちが攻撃しづらい状況まで作れる」
「そういうこと」
アヤネが資料へ目を戻した。
「ということは……カイザーは、人体へ使う研究を危険だから止めて、疑似メモリ兵器へ移ったわけではないんですね」
「人工メモリが実際に使われてる以上、その可能性は低いと思う」
翔が答える。
「少なくとも、機械用の研究とは別に人体用の研究も続いてた。今も止まってるとは考えない方がいい」
その言葉で、教室の空気が少し重くなった。
これまで目にしてきた疑似メモリ兵器とは別に、カイザーは人間そのものへ作用する技術まで研究している。そして地下では、真正ガイアメモリを自ら扱う理事まで姿を見せた。
先生がモニターへ視線を戻す。
「MONEYについては?」
「名前しか知らない。能力は今日見たこと以上には分からない」
「じゃあ、あのコインも?」
「ああ。腹に溜め込んでたのと、飛ばして攻撃に使ってたのは見た。でも、それ以上は何とも言えない」
ホシノが椅子の背に身体を預ける。
「仮面ライダーも、途中からあのコインを気にしてたよねえ」
「うん」
先生が頷く。
「最初より攻め方が慎重になってた。あれを壊さないようにしてるようにも見えたかな」
「何か理由があったってこと?」
セリカが尋ねる。
「たぶん。でも、本人に聞けてないから断定はできないよ」
先生はそこで一度言葉を切る。
「分からないものを無理に壊して、取り返しのつかないことになるよりはいい。今回は全員で離脱できたんだから、それで十分だよ」
「……そうだねえ」
ホシノはそう返したものの、僅かに視線を落とした。
「でも、あそこで私が前に出なかったら、もう少し楽に逃げられたかもしれないけどねえ」
セリカがすぐ振り返る。
「ホシノ先輩、それさっきも気にしてたでしょ」
「気にしてないとは言ってないよ~」
「だったら一人で勝手に反省して終わらせないでよ」
ホシノが少し目を瞬く。
「セリカちゃん、今日は厳しいねえ」
「だって、理事がわざと怒らせようとしてたのは分かってるじゃない」
「分かってても引っ掛かったから言ってるんだけどねえ」
「それでもよ」
セリカは少し言葉を探し、それから腕を組み直した。
「……次は引っ掛からなきゃいいでしょ」
ホシノが先生を見る。
先生は口を挟まず、少しだけ笑っていた。
「先生も同じこと言ってたねえ」
「セリカの方が短くて分かりやすかったかも」
「ちょっと、何で比べるのよ」
「褒めてるよ」
「絶対適当でしょ!」
ノノミがくすりと笑う。
「でも、私も同じ意見です。今日は全員で帰ってこられましたし、次に同じことが起きたら、今度はみんなで気をつければいいと思います」
「ん」
シロコも頷いた。
「ホシノ先輩は一人じゃない」
ホシノは四人の顔を順番に見た。
「……そうだねえ」
今度は笑って誤魔化さず、素直に返した。
「次は気をつけるよ」
「そうして」
セリカが満足したように頷く。
翔はそのやり取りを少し離れたところから見ていた。
先生も、後輩たちもいる。ホシノ自身も、今はちゃんとその言葉を受け取っている。
ここで自分まで同じことを重ねて言う必要はなさそうだった。
「翔さん?」
アヤネに呼ばれ、翔はモニターへ意識を戻した。
「悪い。何かあった?」
「このファイルなんですけど……」
画面には、途中で大きく欠損した資料が表示されている。
読める文字は少ない。
その中に、一つだけ英字が残っていた。
『FOUNDATION X』
翔の表情が僅かに変わる。
「知ってる?」
先生が聞く。
「名前は」
「また?」
「今回は本当に名前だけに近い」
翔は画面へ近づいた。
「前にマス――いや、知り合いからガイアメモリのことを聞いた時にも出てきた。古い資料に残ってた名前だって」
言い終わったところで、妙に静かなことに気づいた。
翔がモニターから顔を上げる。
先生とセリカが、揃ってじっとこちらを見ていた。アヤネも端末を操作する手を止めている。シロコは無言のまま翔を見つめ、少し離れたところではホシノまで眠たげな目を僅かに細めていた。
「……何?」
「今、何て言いかけたの?」
先生が尋ねる。
「知り合い」
「その前」
「何のこと?」
「『マス』って聞こえたけど」
「気のせいじゃない?」
「いや、言ったでしょ」
すぐにセリカが突っ込んだ。
「言ってない」
「言ったわよ」
「言ってないって」
「翔さん、今かなり分かりやすく言い直しましたよね……?」
アヤネにまで指摘され、翔は一瞬だけ言葉に詰まる。
「……重要なのはそこじゃないだろ」
「誤魔化した」
シロコが淡々と言う。
「シロコまで……」
「へえ~。知り合い、ねえ」
ホシノが頬杖をつきながら翔を見る。
「な、何だよ」
「別に~?」
「絶対何か思ってるだろ」
「おじさんは何も言ってないよ」
先生もまだ少しだけ疑わしそうな目を向けていたが、やがて肩をすくめた。
「まあ、話したくないなら今は聞かないけど」
「助かる」
「今は、ね」
「……それ、後で聞く気だろ」
「どうだろうね?」
翔はじっと先生を見るが、先生は何食わぬ顔でモニターへ視線を戻した。
「それで、その知り合いから聞いた限りでは、カイザーとは別なんだよね?」
「ああ。少なくとも、俺が聞いた話じゃそうだった」
アヤネも資料へ意識を戻し、周辺部分を拡大する。
「これ以上は読めませんね……」
「無理に推測しない方がいいな」
翔が言う。
「名前が残ってるだけじゃ、今のカイザーとどう関係してるのかまでは分からない」
「じゃあ保留」
先生もすぐに切り替えた。
「分かってることと、分からないことを混ぜないようにしよう」
「はい」
アヤネがファイルへ印を付ける。
いくつか残っていた資料にもざっと目を通したが、すぐに意味を読み取れるものはもうなかった。
アヤネが一度作業を止め、椅子の背へ身体を預ける。
「ひとまず、今日確認できる範囲はこれくらいでしょうか」
「そうだね」
先生もモニターから離れた。
「続きは明日にしよう。今日はみんな休んだ方がいいよ」
「賛成……」
セリカが即答する。
「さすがにもう頭に入らないわ」
「私も少しお腹が空いてきました」
ノノミが笑い、シロコも装備の点検を終えて立ち上がる。
「ん。帰る準備する」
そこでホシノが窓の外へ目を向けた。
「……でも、静かだねえ」
「何が?」
セリカが聞く。
「カイザー」
その名前が出ると、緩みかけていた空気が少しだけ引き締まった。
ホシノは外を見たまま続ける。
「地下から出て、ここまで戻ってきて……結局、追っ手らしい追っ手は来なかったでしょ?」
「言われてみれば……」
アヤネが端末へ目を落とす。
「帰還してからも周辺監視は続けていますが、大きな部隊移動は確認できていません。こちらへ向かっている車両もありません」
「地下じゃあれだけ必死に止めようとしてたのに?」
セリカが怪訝そうに眉を寄せる。
「データまで持ち出したんだから、取り返しに来てもおかしくないわよね」
「ん」
シロコも窓の外を見る。
「何も来ない」
「諦めた……ということなら嬉しいですけど」
ノノミの言葉に、ホシノが小さく笑った。
「それならカイザーも随分聞き分けがよくなったねえ」
「ないわね」
セリカが即座に否定する。
「私もないと思う」
先生もあっさり続けた。
「全員一致ですね……」
アヤネが少し困ったように笑う。
翔は腕を組みながら、窓の向こうへ視線を向けた。
地下施設からここまで戻る間も、カイザーの姿はなかった。
帰ってからも同じだ。
「……何か変だな」
その呟きに先生が振り返る。
「翔もそう思う?」
「ああ。あの施設の中身まで見られて、データまで持ち出されてる。それなのに、何もしてこないのはちょっとな」
「何か準備してる?」
シロコが尋ねる。
「そこまでは分からない」
翔は首を振る。
「ただ、追ってこないからもう終わり、とは思わない方がいい気がする」
「そうだね」
先生は窓の外へ目を向けた。
夕暮れのアビドスには、普段と変わらない静けさが戻っている。
「何か仕掛けてくるなら、正面からとは限らないし」
「また嫌なこと言うわね……」
セリカが顔をしかめる。
「ごめん。でも、そのくらいで考えておいた方がいい」
「警戒は続けます」
アヤネが端末を操作する。
「夜間も自治区周辺の監視範囲を少し広げておきますね」
「お願い。ただし、アヤネもちゃんと休むこと」
「はい」
「そこは譲らないんだ」
ホシノが笑う。
「譲らないよ」
「さすが先生だねえ」
ホシノはそう言ってから、もう一度窓の外を見る。
遠くの砂漠に動くものはない。
カイザーPMCの車両も、兵士の姿も、銃声もない。
「……ほんと、何もしてこないっていうのも気味悪いねえ」
今度は誰も否定しなかった。
ただ静かな夕暮れだけが、窓の向こうに広がっていた。
* * *
同じ頃。
カイザーPMCの拠点にある会議室には、重苦しい空気が漂っていた。
大型モニターには、地下施設から送られてきた被害報告が並んでいる。
破壊された設備。
停止した警備システム。
無力化されたPMC部隊。
外部端末へコピーされた研究資料。
それだけでも十分に芳しくない報告だったが、その下にはさらに新しい項目が追加されていた。
『追撃部隊――通信途絶』
「……もう一度言ってみろ」
低く押し殺した声に、報告を担当していた幹部の肩が僅かに強張った。
「地下施設から離脱した対象を追跡するため、第二・第四機動部隊をアビドス方面へ派遣しました。しかし――」
「しかし?」
「途中で何者かの襲撃を受けました」
カイザー理事の眉が吊り上がる。
「仮面ライダーか」
「いえ」
幹部が端末を操作するとモニターへ一つの映像が表示された。
砂漠を横切る道路。
横転した装甲車。
煙を上げて停止した無人兵器。
その中央に、一人の少女が立っている。
狐を思わせる仮面。
長い髪。
周囲には、戦闘不能となったPMC兵たちが倒れていた。
記録映像の中で、少女がゆっくりとこちらを振り返る。
『――先生のところへ行くつもりですか?』
直後、映像が激しく揺れた。
爆発音と共に映像が乱れ、そのまま通信が途切れる。
会議室に沈黙が落ちた。
「……誰だ、これは」
「現場記録と照合中ですが――」
「結果が出ました」
別の職員が資料を開く。
「百鬼夜行連合学院に関係する生徒。七囚人の一人――狐坂ワカモです」
「七囚人だと?」
「はい」
幹部が頷く。
「追撃部隊はアビドス自治区へ到達する前に壊滅。車両の大半が走行不能、兵員も継続戦闘が困難な状態です」
「なぜ七囚人が我々の部隊を襲う」
「理由は不明です。ただ、生存者の証言では、部隊がアビドス方面へ向かっていると知った直後に攻撃を開始したと……」
「つまり」
理事の声がさらに低くなる。
「先生がいるからか」
「その可能性が高いかと」
拳が机へ叩きつけられた。
机上に置かれていたMONEYメモリが小さく跳ねる。
「また先生か……!」
地下施設では、シャーレの先生に指揮されたアビドスの生徒たちに突破された。
そこへ仮面ライダーが現れ、自らMONEYの力まで使ったにもかかわらず取り逃がした。
さらに、すぐさま送り出した追撃部隊まで、今度はまったく別の生徒に潰されている。
「施設へ侵入され、研究資料を持ち出され、こちらの部隊を蹴散らされた! 私自身まで出たというのに全員まとめて取り逃がし、その後を追わせれば七囚人だと!?」
報告を担当していた者たちは誰も口を挟まない。
「残っている部隊を集めろ」
「理事?」
「アビドスへ向かわせる。今度こそ学校ごと――」
「それでは、また同じことになるでしょうね」
場違いなほど穏やかな声が、理事の言葉を遮った。
理事が鋭く振り返る。
会議室の奥には、黒服が立っていた。
「……何だと?」
「兵力を増やしてアビドスへ送り込む。それ自体は、あなた方にとって難しい話ではないでしょう」
黒服はゆっくりモニターへ視線を移す。
「ですが、それで問題が解決するかは別の話です」
「我々が、たった数人の生徒に勝てないとでも言うつもりか?」
「いいえ。人数の話をしているのではありません」
ワカモの映像が消え、代わりに地下施設での戦闘記録が表示された。
先生の指示を受け、通路の各所へ展開していく対策委員会。
シロコが側面を取る。
セリカがそれを援護する。
ノノミが広い範囲へ射撃を浴びせる。
そして、その前方をホシノが支えている。
「シャーレの先生が指揮するアビドスは、あなたが考えている以上に厄介ですよ」
「先生か」
「ええ」
映像の中で先生が短く指示を出す。
押し寄せていたPMC部隊の進路が分かれ、それぞれ別方向から攻撃を受ける。
「数で上回っていても、一度にその全てを戦わせてもらえなければ意味がない。先生は地形と射線を利用し、こちらの部隊を分断する」
黒服は映像を進める。
「そして、それぞれの生徒を最も動きやすい場所へ置く。こちらが数を増やせば増やすほど、その数を活かせない状況を作ろうとするでしょう」
「なら先生を先に潰せばいい」
「それも容易ではありません」
「仮面ライダーか」
「彼も理由の一つです」
黒服はあっさり認めた。
画面の端に、黒い仮面の戦士の記録映像が表示される。
「ですが、仮面ライダーは不確定要素です。いつ現れるのか、何を基準に動いているのか、アビドスとどの程度の関係を持っているのか。未だ分からないことが多い」
そこへ先ほどのワカモの映像まで並ぶ。
「そして今度は七囚人まで現れた」
「偶然だ」
「そうかもしれません」
黒服は否定しなかった。
「ですが、偶然であろうと、先生の周囲にこちらの予測から外れる戦力が現れていることには変わりません」
理事が苛立たしげに舌打ちする。
「では何だ。仮面ライダーと七囚人を恐れて何もするなと言うのか?」
「いいえ」
黒服が画面を切り替えた。
そこに映し出されたのは、小鳥遊ホシノだった。
「不確定な相手ばかり追い掛けるよりも、確実に存在する問題から取り除く方が合理的ではありませんか?」
「……小鳥遊ホシノ」
「ええ」
戦闘映像が再生される。
ホシノが大盾で射撃を受け止め、その後ろからセリカが撃ち返す。
シロコが側面へ抜ける間も、ホシノは正面の敵を押さえている。
ノノミが射撃位置を変える間には、盾をバリケード代わりにして前線を維持する。
「先生の指揮能力は確かに脅威です」
黒服が言う。
「ですが、その指揮を実際の戦力として成立させている核を担っているのは――彼女ですよ」
理事の視線が画面へ向く。
「小鳥遊ホシノが前線を崩さないから、他の生徒が自由に動ける。敵の攻撃を受け止め、必要なら押し返し、先生や後輩への射線まで自ら塞ぐ」
別の映像へ切り替わる。
先生へ向けられた攻撃へ、ホシノが迷わず盾を差し込んでいた。
「単純な火力だけではありません。防御力、戦闘経験、判断力。そして他の対策委員会の生徒たちから寄せられている信頼」
黒服が画面上のホシノへ手を向ける。
「仮面ライダーや七囚人は例外としても、先生が指揮するアビドスは脅威です」
一拍置く。
「そして、その強さの核を担っているのが小鳥遊ホシノです」
理事の目が細くなる。
「……あの娘を取り除けば、戦力は大きく落ちる」
「少なくとも、現在のような戦い方は難しくなるでしょう」
「随分と都合のいい分析だな」
理事が黒服を見る。
「貴様は欲しがっていたはずだ。小鳥遊ホシノを」
「ええ」
黒服は否定しない。
「私は彼女に大変興味があります」
「こちらはアビドスを消したい。貴様はあの娘が欲しい」
「互いの目的が競合しているわけではありません」
理事は鼻を鳴らした。
「ならば捕らえればいい」
「力ずくで?」
「他に何があるか?」
「それが簡単なら、今日の地下施設で終わっていたでしょう」
理事の顔が険しくなる。
「挑発しているのか」
「まさか」
黒服は平然としている。
「ただ、小鳥遊ホシノを力ずくで捕らえようとすれば、対策委員会は抵抗する。先生も彼女を守る。そして例の仮面ライダーまで介入する可能性がある」
地下施設でジョーカーがホシノの前へ割り込んだ映像が映し出される。
「わざわざ彼女が最も強く抵抗する状況を作る必要はないでしょう」
「では、どうする」
「以前、私は彼女へ一つの選択肢を提示しました」
黒服の声が僅かに楽しげになる。
「自分自身か、仮面ライダーか」
「両方断られたのだろう」
「ええ。実に明快に」
「なら意味がない」
「そうでしょうか」
黒服が映像を巻き戻す。
理事がユメのことを持ち出した瞬間。
ホシノの足が、ほんの僅かに早く前へ出る。
そこから先の戦闘。
後輩を庇い、先生を守りながら撤退していく姿。
「今日、少し興味深いものを見ることができました」
「何がだ」
「小鳥遊ホシノは、自分自身への危険には極めて鈍感です」
「そんなことは見れば分かる」
「ええ」
黒服は頷く。
「ですが、自分以外への危険にはそうではない」
ホシノがセリカの前へ盾を入れる。
先生へ向かう攻撃を防ぐ。
シロコが後退する時間を作る。
「自分が傷つくことには躊躇しない。しかし、後輩が傷つきそうになれば即座に動く。先生が危険に晒されれば、自らその前へ出る」
黒服の声はあくまで穏やかだった。
「そして、自分の行動が原因で周囲を危険に巻き込んだと感じた時――彼女は、それを無視できない」
理事の指が机を一度叩く。
今度は怒りではない。
考えるような、一定の間隔だった。
「……本人を攻撃しても圧力にはならない」
「おそらく」
「むしろ抵抗する理由を与えるだけだ」
「そうでしょうね」
「対策委員会を狙えば守る。先生を狙っても同じ」
黒服は続きを言わなかった。
理事自身に考えさせるように。
やがて理事が端末を操作した。
アビドス自治区の地図が画面いっぱいに広がる。
中央にはアビドス高等学校。
その周囲には、いまだ残っている僅かな生活区画。
営業を続ける店舗。
物資の取引先。
資材や廃材を扱う事業者。
理事の目が細くなる。
「……守る対象そのものを利用すればいい」
黒服が僅かに首を傾ける。
「なるほど」
「白々しい奴だ」
「私は何も提案していませんよ」
「分かっている」
理事は通信回線を開いた。
「アビドス高等学校と継続的に接触している者を洗い出せ」
『対象は生徒ですか?』
「違う」
理事は即座に答える。
「自治区内に残っている住民と事業者だ」
『住民……ですか?』
「飲食店、物資取引、資材の売買、修理、廃材回収。何でもいい。対策委員会との接触頻度と関係性をまとめろ」
『承知しました』
通信を切る。
だが、理事の手はそこで止まらなかった。
別の回線を開く。
「人工メモリ研究班へ繋げ」
黒服の視線が僅かに動いた。
やがて回線が繋がる。
『研究主任です』
「人工ガイアメモリの実地運用について確認したい」
『現在も複数系統が試験段階にあります。ただし、使用者への負担は依然として大きく――』
「生体コネクターを介せば使用は可能なのだな?」
『直接使用と比較すれば安定します。しかし適合には個人差があります。低適合の被験者では能力の暴走、肉体への負荷、意識への影響などが――』
「使用できるかと聞いている」
回線の向こうで僅かな沈黙があった。
『……可能です』
「なら十分だ」
『ですが、安全性は保証できません』
「こちらも安全性を求めてはいない」
研究主任が言葉を失う。
「実地データが欲しいのだろう?」
『それは……研究上は』
「なら好都合だ」
理事の視線がアビドスの地図へ戻る。
「複数用意しておけ。能力傾向も分散させろ」
『使用者は?』
「こちらで用意する」
『……承知しました』
通信が切れた。
黒服はしばらく理事を眺めていたが、やがて口を開く。
「実に貴方らしい結論ですね」
「何が言いたい」
「研究成果を実用へ移す判断が非常に早い、と」
「使えない研究に価値はない」
「なるほど」
黒服はそれ以上何も言わなかった。
理事はモニター上のアビドス高等学校を見る。
「アビドスは潰す」
その声には、先ほどまでの怒鳴り声とは違う冷たさがあった。
「あの土地も、その下に眠るものも、いずれすべてカイザーのものになる」
「ええ」
「その邪魔をする最大の戦力が小鳥遊ホシノだというなら、先に切り離せばいい」
「私にとっても好都合です」
「貴様の研究など知ったことではない」
「もちろん」
理事は地図上に表示された生活区画へ視線を移す。
「自分が戦えば済むうちは、あの娘は折れん」
指先が一つの地点を叩く。
「なら、自分が戦い続ける限り周囲が傷つくと思わせる」
黒服は何も答えない。
「自分一人を差し出せば、それが止まる」
理事の口元に薄い笑みが浮かんだ。
「そう思わせればいい」
黒服は静かにその言葉を聞いていた。
カイザーがアビドスをどう処理するか。
土地を奪おうと、学校を消そうと、それ自体は彼にとって重要ではない。
彼が求めるものは、小鳥遊ホシノ。
そして今、力ずくで捕らえるよりも彼女らしい選択を引き出す道筋が生まれた。
黒服はモニターに映るホシノの姿を見つめる。
「……さて」
小さな声が漏れる。
「あなたは、どちらを選ぶのでしょうね」