青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
柴大将たちが搬送されてから数日後。
アビドス自治区に残る小さな医療施設の一室には、窓から午後の柔らかな光が差し込んでいた。
「だから、なんでそんなに早く店の心配してるのよ!」
病室にセリカの声が響く。
ベッドの上では、柴大将が上体を起こしていた。
顔色にはまだ疲労の色が残っているものの、意識ははっきりしている。首筋には生体コネクターを設置された痕が残っており、その周囲には治療用のガーゼが当てられていた。
「店を閉めっぱなしにもしてられねえからな」
「まだ退院も決まってないでしょ!」
「決まったら開ける準備をしねえとな」
「その前に休みなさいって言ってるの!」
柴大将は困ったように笑った。
「分かってるよ。すぐに厨房へ戻るなんて言ってねえだろ」
「今にも言いそうだから言ってるの!」
「セリカちゃん、少し落ち着きましょう?」
ノノミが苦笑しながら間に入る。
「だってこの人、さっきから店の話しかしてないんですよ!」
「気になるものは仕方ねえだろ」
「ほら!」
そのやり取りを見て、先生が小さく笑った。
「元気そうで安心したよ」
「先生たちには迷惑かけちまったな」
「迷惑なんてことはないよ」
先生は首を横に振る。
「無事だった。それで十分」
「……そうか」
柴大将は短く答えた。
その横で、シロコはベッド脇に置かれた紙袋へ目を向けた。
「それ、差し入れ?」
「うん。アヤネちゃんが選んでくれたの。病院でも食べられそうなものをって」
「そうなんだ」
シロコは紙袋を一度見てから、柴大将へ視線を戻した。
「食べられそう?」
「ああ。食欲は戻ってきてるよ」
「よかった」
短いやり取りを終えると、シロコはそれ以上騒ぐことなく元の位置へ戻った。
少し離れた場所に立つ翔も、ようやく肩の力を抜く。
事件直後に見た姿とはまるで違う。
生体コネクターの痕こそ残っているが、それ以外はいつもの柴大将に戻っていた。
「翔くんも来てくれたのか」
「まぁアビドスに来てから、何度か世話になってるし。顔見ておきたかったから」
「心配かけたな」
「それはセリカに言った方がいいと思う」
「ちょっと、何で私なのよ!」
「一番心配してたから」
「べ、別に一番ってわけじゃないわよ! いつも世話になってる人があんな目に遭ったら、心配するのは普通でしょ!」
柴大将が喉の奥で笑う。
「ありがとな、セリカちゃん」
「……急に真面目に言わないでよ」
セリカが視線を逸らした。
耳が少し赤くなっている。
「ちゃんと元気になって、店開けてくれればそれでいいから」
「ああ」
柴大将は穏やかに頷いた。
「戻ったら、また頼むよ」
「……言われなくても行くわよ」
その返事を聞いて、柴大将は満足そうに笑った。
病室には、事件の直後には想像できなかったほど穏やかな空気が流れていた。
ホシノも壁際でその様子を眺めながら笑っていた。
「いやあ、よかったよかった。これなら柴関ラーメンの復活も近そうだねえ」
「ホシノ先輩まで! まず完治してからです!」
「もちろん分かってるよ~」
普段通りの気の抜けた返事。
だが、その笑顔の奥で、別の考えが消えることはなかった。
柴大将は助かった。
他の二人も順調に回復している。
今回は間に合った。
それは間違いなく喜ぶべきことだ。
なのに、その先を考えると胸の奥が重くなる。
もし、次があったら。
もし、今度は助けるのが間に合わなかったら。
昨日まで普通に話していた人が、次の日には戻ってこなくなったら。
そんなことを考えていた時だった。
ポケットの中で端末が震えた。
「……」
画面を確認した瞬間、ホシノの目から僅かに笑みが消えた。
表示された番号に見覚えがある。
「ホシノ?」
先生が気づく。
「んー、ちょっと出てくるねえ」
「電話?」
「そんなところ」
それだけ言うと、ホシノは病室を出た。
廊下には人影がほとんどない。
少し離れた窓際まで歩き、病室の声が聞こえなくなったところで通話を繋ぐ。
「……もしもし」
『お久しぶりです、小鳥遊ホシノさん』
聞き覚えのある声。
ホシノの表情が冷える。
「またあの話?」
『さて。どの話を指しているのでしょう』
「とぼけなくていいよ」
窓の外へ視線を向ける。
「おじさんか、仮面ライダーを差し出せって話でしょ」
『ええ。覚えていていただけたようで何よりです』
「だったら答えも前と同じ」
ホシノは即座に言った。
「どっちも嫌だよ」
『そうですか』
「用がそれだけなら切るね」
『よろしいのですか。本当に?』
端末から手を離しかけたホシノの指が止まる。
「……何が?」
『柴関ラーメンの店主。貴女方へ物資を提供していた業者。そして、輸送に関わっていた人物』
ホシノの目が細くなる。
『三名とも無事だったそうですね。実に幸運でした』
「……あれも、あんた達がやらせたの?」
『私が、と申し上げるのは正確ではありません』
否定でも肯定でもない返答だった。
『ですが、それほど重要な点でしょうか?』
「重要に決まってるでしょ」
『では質問を変えましょう』
黒服の声は、どこまでも落ち着いている。
『今回、彼らが何故選ばれたのか。貴女にはもうお分かりなのでは?』
ホシノは答えなかった。
『いずれもアビドスと関係を持つ者たちです』
「……」
『学校へ物を運ぶ者。協力する者。日々の生活を支える者。そして、貴女方が大切に思う者』
「何が言いたいの」
『この先も、同じことが起こらない保証はありません』
ホシノの手に力が入る。
「脅してる?」
『いいえ』
即答だった。
『事実をお伝えしているだけです』
「同じことでしょ」
『そう捉えるのであれば、それも仕方ありません』
黒服は淡々と続ける。
『ですが、私は解決策もご用意しています』
「……解決策?」
『貴女が以前の提案を受け入れるのであれば、私からカイザー側へ働きかけましょう』
ホシノの眉が動く。
「何を?」
『アビドス高等学校、対策委員会、その関係者。そして周辺住民に対する、直接的な実力行使を停止させます』
廊下が急に静かになったように感じた。
「……本当に?」
『私とカイザーは目的を共有しているわけではありませんが、取引関係にはあります。この程度の条件であれば交渉は可能です』
「カイザーが素直に従うとは思えないけど」
『それは私が考えることです』
黒服の声色は変わらない。
『少なくとも、契約が有効である限り、今回のような方法を取らせないよう条件を設けることはできます』
「……」
柴大将の姿が頭に浮かぶ。
人工メモリに身体を変えられ、それでもセリカへ手を出さないよう必死に抗っていた姿。
さらに、病室でセリカへ笑い掛けていた顔。
『もちろん』
黒服が続ける。
『貴女自身でなくとも構いません』
ホシノの表情が変わった。
『仮面ライダーをこちらへ引き渡していただけるのであれば、同様の条件を提示できます』
「それは駄目」
今度の答えには、一瞬の迷いもなかった。
黒服が僅かに間を置く。
『……ほう』
「仮面ライダーは渡さない」
『理由を伺っても?』
「今回も助けてくれたから」
先生を。
セリカたちを。
柴大将を。
それだけではない。
これまでだって、何度も。
そして今、ホシノの胸には別の疑念も残っている。
翔が姿を消す。
仮面ライダーが現れる。
仮面ライダーが消える。
翔が戻ってくる。
偶然かもしれない。
まだ確かなことは何一つない。
だからこそ、なおさら差し出すことなどできなかった。
「少なくとも、おじさんたちを助けてくれた人を、代わりに差し出す気はないよ」
『なるほど』
黒服の声音に、ごく僅かな興味が混じった。
『では、残る選択肢は一つですね』
「……」
『小鳥遊ホシノさん』
名前を呼ばれる。
『貴女がこちらへ来てくださるのであれば、今申し上げた条件を正式な契約へ含めましょう』
ホシノはすぐには答えなかった。
病室の方から、微かに声が聞こえる。
セリカの声。
ノノミの笑い声。
シロコもいる。
先生も。
翔も。
みんな、すぐ近くにいる。
『いかがでしょう』
「……おじさんが行けば」
ようやく声が出た。
「みんなには手を出さない?」
『条件の範囲は明文化いたします』
「先生も?」
『直接的な実力行使の対象から外すよう求めましょう』
「柴大将たちみたいな、アビドスと関わってる人たちも?」
『ええ』
黒服は答えた。
『契約へ含めることは可能です』
ホシノは窓の外を見た。
砂に飲まれつつある街。
それでも、まだここで暮らしている人たちがいる。
学校に通う後輩たちがいる。
「……」
『今すぐ結論を出していただく必要はありません』
黒服が言う。
『ですが、次も今回と同じように間に合うとは限らない』
その一言だけが、妙に鮮明に残った。
ホシノの目が僅かに伏せられる。
自分でも考えていたことだった。
今回は間に合った。
次は?
「……条件を聞かせて」
『承知しました』
黒服の声に、満足とも違う静かな響きが混じる。
『正式なお話は、改めて直接行いましょう』
「場所は?」
『追ってお伝えします』
「……そう」
『では、その時に』
通信が切れる。
ホシノはしばらく端末を耳に当てたまま動かなかった。
やがて画面を落とし、ポケットへ戻す。
病室の方から、またセリカの声が聞こえた。
「だから退院してすぐ店開けるのは駄目だって言ってるでしょ!」
柴大将の穏やかな返事が続く。
ホシノは目を閉じた。
「……ほんと、元気だねえ」
小さく呟く。
それから、いつもの笑顔を作った。
病室の扉を開く。
「お待たせ~」
「ホシノ先輩、遅かったですね」
「ごめんごめん。ちょっと長引いちゃって」
「誰からだったの?」
先生が何気なく聞く。
「んー?」
ホシノは少しだけ笑った。
「大した用じゃないよ」
そう答えて、何事もなかったように皆のところへ戻る。
けれど。
胸の中では、先ほどの言葉が何度も繰り返されていた。
次も、今回と同じように間に合うとは限らない。
その可能性を、ホシノは否定できなかった。
* * *
その日の夕方、対策委員会はアビドス高等学校へ戻ると、そのまま教室で今回の事件について情報を整理した。
机の上には、廃物流施設から回収した三本の人工ガイアメモリの写真と、現場設備の記録が並べられている。現物は直接触れないよう隔離したうえで保管され、後日さらに詳しい解析へ回すことになっていた。
「やっぱり、今までのものとは違うんだね」
アヤネが端末へ表示された画像を見ながら言う。
「ああ」
翔が頷いた。
「これまで確認されてた人工メモリは、身体の外から一部分へ能力を作用させるものだった。でも今回のは生体コネクターを使って、全身へ力を回してる。真正のガイアメモリに近い使い方を、人工物で再現しようとしてるんだと思う」
「それって……かなり進歩してるってこと?」
セリカの問いに、翔の表情が僅かに険しくなる。
「少なくとも、俺が知ってる人工メモリよりは」
「嬉しくない進歩」
シロコが短く言った。
「ほんと、それよ」
セリカも同意する。
先生は別の資料へ目を落としていた。
「技術のことも気になるけど、もう一つ確認しておきたい」
画面へ三人の情報が表示される。
柴関ラーメンの柴大将。
アビドスへ資材を納入していた業者。
以前から物資輸送を請け負っていた人物。
「三人とも、対策委員会と継続的な関係があった」
ノノミの表情から笑みが消える。
「やっぱり、偶然とは考えにくいですよね……」
「うん」
先生が頷く。
「対象の選び方に共通点がありすぎる」
「学校そのものじゃなくて、周りから狙ってきた……」
アヤネが呟いた。
「そう考えるのが自然だと思う」
先生の言葉を聞きながら、ホシノは椅子の背へ身体を預けていた。
「嫌らしいことするねえ」
普段通りの緩い声音だった。
けれど、午後に聞いた黒服の声が脳裏に蘇る。
――この先も、同じことが起こらない保証はありません。
「今のところ、他に連絡が取れなくなっている人はいません」
アヤネが続ける。
「アビドスと取引のある業者や、自治区内で普段から私たちと接触している方にも確認しました。現時点では異常ありません」
「しばらくは定期的に確認しよう」
先生が言う。
「何か起きてからじゃ遅いから」
「はい」
その言葉に、ホシノは僅かに目を伏せた。
何か起きてからでは遅い。
それは分かっている。
だからこそ――。
「ホシノ?」
「ん?」
先生に呼ばれ、ホシノはいつもの笑顔を戻した。
「どうかした?」
「いやあ、ちょっと疲れたなあって。おじさん、今日はいっぱい働いたからねえ」
「一番前で二人も押さえてたからね」
「そうそう。だからそろそろ労働時間終了を要求しまーす」
「はいはい」
先生も軽く笑い、会議を切り上げた。
翌日以降の警戒方法や連絡手順だけを確認し、それぞれ帰る準備を始める。
セリカとノノミが先に教室を出て、シロコもアヤネと一緒に資料を片付けてから帰っていった。先生も最後にもう一度ホシノたちへ無理をしないよう言い残し、校舎を後にする。
翔だけは、ゲヘナへ送る調査報告を簡単にまとめるため、しばらく教室へ残った。
作業を終えた頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「……こんな時間か」
端末を閉じ、立ち上がる。
校舎の中は静かだった。
人の少ない学校だけに、皆が帰った後は昼間以上に広く感じる。廊下の照明も必要な場所だけが点いており、その先には暗い教室が並んでいた。
翔は荷物を持って昇降口へ向かいかけた。
その途中、階段の上から僅かに風の音が聞こえる。
屋上へ続く扉が少し開いていた。
「……?」
気になって階段を上がる。
扉を押すと、夜の乾いた風が頬を撫でた。
屋上のフェンス際に、人影がある。
「ホシノ?」
声を掛けると、小さな影が振り返った。
「ん?」
ホシノだった。
「翔くん。まだいたんだ」
「報告まとめてた。ホシノこそ、帰ったんじゃなかったのか?」
「ちょっと夜風に当たりたくてねえ」
「こんな時間まで?」
「おじさんにも色々あるのです」
「高校生だろ」
「細かいなあ」
ホシノが小さく笑う。
翔もそれ以上は何も言わず、少し離れたフェンスへ背を預けた。
屋上からは、夜のアビドス自治区を遠くまで見渡せた。
かつて街だった場所の多くは既に砂に覆われている。それでも完全に灯りが消えたわけではなく、遠くにはぽつぽつと建物の明かりが残っていた。
「静かだな」
「夜はいつもこんな感じだよ」
「そっか」
会話が途切れる。
気まずい沈黙ではなかった。
風がフェンスを抜け、二人の間を通り過ぎていく。
しばらくして、ホシノが口を開いた。
「ねえ、翔くん」
「ん?」
「ちょっと変なこと聞いていい?」
「内容による」
「そこは普通、いいよって言わない?」
「変なことって予告されてるからな」
「慎重だねえ」
ホシノは笑ってから、再び街へ視線を向けた。
「もしさ」
今度の声は、少しだけ静かだった。
「自分のせいで、誰かが危ない目に遭ったらどうする?」
翔はすぐには答えなかった。
「……急だな」
「変なこと聞くって言ったでしょ」
「まあ、そうだけど」
翔も夜の街を見る。
「まず、本当に自分のせいなのか考えるかな」
ホシノが横を見る。
「そこ、“俺が何とかする”じゃないんだ?」
「何でもかんでも自分のせいにしてたら、キリがないだろ」
「でも、自分が関わってなかったら、その人は狙われなかったかもしれないよ?」
先ほどより問いが具体的になる。
翔は少し考えた。
「それでも、悪いのは狙った奴だ」
ホシノの目が僅かに動く。
「自分と知り合いだったから巻き込まれたとしても、それで『俺が全部悪い』にはならないだろ。そんなこと言い始めたら、誰とも関われなくなる」
「……そっか」
「もちろん、助けられるなら助けたいし、止められることなら止めるけどな」
翔はそこで一度言葉を切った。
「でも、自分一人で全部払えば終わるって考えるのは、多分違う」
ホシノは何も返さなかった。
黒服の声が、また胸の奥へ浮かぶ。
――貴女がこちらへ来てくださるのであれば。
「例えば」
ホシノが続ける。
「自分一人が何とかすれば、周りの人にはもう手を出さないって言われたら?」
翔が眉を寄せた。
「……ずいぶん具体的になったな」
「例えばの話だよ~」
「本当に?」
「本当に本当に」
ホシノはいつもの調子で笑う。
翔は少し納得していない顔をしたものの、答えた。
「信用しない」
「即答だ」
「そんな条件を出してくる奴が、本当に約束を守る保証もないし」
「もし守る相手だったら?」
「それでも一人では決めない」
今度も迷いはなかった。
「周りに話す」
「反対されたら?」
「話し合う」
「それでも自分が行くしかないと思ったら?」
「止められると思う」
「誰に?」
「周りの奴らに」
ホシノが僅かに目を伏せる。
「……面倒だねえ」
「何が?」
「人付き合い」
「今さら?」
「一人なら勝手に決められるのにね」
その言葉に、翔はホシノを見る。
ホシノは街を見たままだった。
「でも」
翔が言う。
「一人じゃないから、勝手に決めちゃ駄目なんじゃないか?」
ホシノの表情が止まった。
「残された方は困るだろ」
「……困る?」
「当たり前だろ」
翔は少し呆れたように言う。
「突然いなくなって、『これでお前たちは安全だから』って言われても、はいそうですかって納得できるわけない」
ホシノは笑わなかった。
「ホシノなら、なおさらじゃないか?」
「何でおじさん?」
「アヤネたち見てれば分かる」
翔は肩を竦める。
「みんな、ホシノのこと頼りにしてるだろ」
「そんなことないよ。最近はみんなしっかりしてるし」
「しっかりしてるのと、いなくなって平気なのは別だろ」
返事がない。
翔は少しだけ声を柔らかくした。
「一人で何でも背負おうとするの、格好いいとは思わないぞ」
「……厳しいなあ」
「そうか?」
「そこはもっとこう、『自己犠牲って格好いいよな』みたいな」
「思わない」
「即答二回目だ」
ようやくホシノが小さく笑った。
その笑顔を見て、翔も僅かに息を吐く。
「翔くんって、意外とそういうこと言うんだねえ」
「さっきも言ってたけど、その『意外』って何なんだよ」
「もっと勢いで危ないところに突っ込むタイプかと思ってた」
「……」
翔の反応がほんの僅かに遅れた。
ホシノはそれを見逃さなかった。
「ん?」
「いや」
「翔くん?」
「必要なら危ないことする時もあるよ」
「へえ」
「何だよ、その顔」
「別に~」
ホシノは楽しそうに目を細める。
けれど、その胸の中では別のものが動いていた。
危険な場所へ入る。
人工メモリについて妙に詳しい。
そして、翔が姿を消した後に現れる黒い仮面の戦士。
考え方まで同じだ、と決めつけるにはまだ早い。
だが、違和感は少しずつ増えている。
「じゃあ今度はおじさんから質問」
「まだあるのか」
「あるよ~」
ホシノはフェンスへ肘を置いた。
「翔くんは、どうしてそんなに人を助けようとするの?」
翔は一瞬黙った。
「……そういう人を見て育ったから、かな」
「そういう人?」
「親父」
短く答える。
「警察官だったんだ」
「へえ」
「困ってる人を見たら放っておけない人だった。俺も、小さい頃からそれ見てたから」
「そっか」
ホシノはそれ以上聞かなかった。
短い沈黙が続き翔が口を開く。
「じゃあホシノは?」
「おじさん?」
「どうしてそこまで後輩を守ろうとするんだ?」
今度はホシノが黙る番だった。
「先輩だから、かなあ」
「それだけ?」
「それだけじゃ駄目?」
翔は少しだけホシノを見る。
いつもの気の抜けた表情。
けれど、その奥にあるものまでは見えない。
「……いや」
翔は視線を戻した。
「それで十分なら、いいんじゃないか」
「聞いといてあっさり引くんだ」
「話したくないことまで聞く気はないよ」
「そっか」
また風が吹いた。
ホシノの髪が僅かに揺れる。
「翔くんって、変なところで優しいね」
「変なところは余計だ」
「褒めてる褒めてる」
「絶対褒めてないだろ」
先ほどまでの重い空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
どれくらいそうしていただろう。
翔が端末の時刻を確認した。
「そろそろ帰ろう。遅くなるぞ」
「翔くん、おじさんを子供扱いしてない?」
「同い年くらいだろ」
「精神年齢ではおじさんなので」
「便利だな、その設定」
「でしょ?」
ホシノがフェンスから身体を離す。
二人で屋上の扉へ向かいかけたところで、ホシノが足を止めた。
「ねえ、翔くん」
「ん?」
翔が振り返る。
ホシノは何か言おうとして、少し迷った。
「もし……」
そこまで口にしてから、笑う。
「いや、何でもない」
「何だよ。そこまで言ったら気になるだろ」
「忘れて忘れて」
「無理だろ」
「細かい男はモテないよ~?」
「話を逸らすなよ」
「ほら、帰るんでしょ?」
ホシノは先に扉を開け、そのまま階段を下り始める。
「まったく……」
翔も後を追った。
数段下りたところで、ホシノは前を向いたまま小さく息を吐いた。
言いかけた言葉は、結局口にはしなかった。
もし、自分が何かおかしなことをしようとしていたら。
止めてくれる?
そんなことを聞けば、本当に止められてしまいそうだった。
それはきっと、困るはずなのに。
なぜか胸の奥には、ほんの少しだけ残念に思う自分もいた。
* * *
翔とホシノが屋上を去ってから、しばらくして。
階段の踊り場に残っていた人影が、ゆっくりと壁から離れた。
「……」
シロコだった。
最初から二人の話を聞くつもりだったわけではない。
始まりは、病院だった。
柴大将の見舞いの途中、ホシノは一本の電話を受けて病室を出ていった。
それだけなら、何も珍しくない。
けれど戻ってきた時。
ホシノはいつもと同じように笑っていた。
同じように話し、同じようにセリカたちを眺めていた。
それなのに、どこか違った。
何が、と聞かれてもシロコ自身うまく説明できなかった。
ただ、帰り道でも。
学校へ戻った後の会議でも。
ホシノが何かを考えている。
しかも、それを自分たちには話すつもりがない。
そんな気がしていた。
だから会議が終わった後も、少しだけ学校に残っていた。
そして、ホシノが一人で屋上へ向かうのを見た。
しばらくして翔も後を追ったため、様子を見るつもりで階段まで来た。
本当に、それだけだった。
だが――聞こえてしまった。
『自分一人が何とかすれば、周りの人にはもう手を出さないって言われたら?』
『一人なら勝手に決められるのにね』
ホシノの声。
そして翔の答え。
『一人じゃないから、勝手に決めちゃ駄目なんじゃないか?』
そこまで聞いて、シロコは屋上へ出ることができなくなった。
ホシノが何を考えているのか。
まだ全部は分からない。
けれど――嫌な予感だけは、はっきりしていた。
「……ホシノ先輩」
誰もいなくなった階段で、シロコは小さく呟いた。