青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
鈍い頭痛と一緒に、意識が戻ってきた。
「……っ」
翔が目を開けると、見慣れない天井があった。身体を起こそうとしたところで、すぐ横から声が飛んでくる。
「翔、急に起きない方がいいよ」
「先生……?」
視線を動かす。
簡素なソファの傍には先生がいて、その少し向こうにはシロコ、セリカ、ノノミ、アヤネも揃っていた。
「俺、どれくらい……」
「二十分くらい」
先生の返事を聞きながら、翔は額へ手を当てた。
そして、すぐに思い出す。
「ホシノは?」
誰も答えなかった。
それだけで十分だった。
「……行ったのか」
「止められなかった」
シロコが答える。
声はいつもと変わらない。それでも、膝の上で握られた手には力が入っていた。
セリカも俯いている。
「ほんっと、何考えてるのよ……」
「セリカちゃん……」
「分かってるわよ。今怒ってても仕方ないって」
ノノミへ返してから、セリカは顔を上げた。
「でも、連れ戻したら絶対文句言ってやるんだから」
「ん。私も」
翔は何も言わず、服の内側へ手を入れた。
ロストドライバーは残っている。
気を失う直前に見たホシノの顔が蘇った。
『本当に翔くんだったんだねえ』
完全に知られた。
それでもホシノは、他の誰にも見えないようドライバーを押し戻した。
「……あいつ」
「翔?」
「何でもない」
先生が少しだけ心配そうに見る。
「身体は?」
「頭が痛いくらい。動ける」
「ホシノ、かなり手加減してたから」
「だろうな」
翔は立ち上がった。
「なら追おう」
即答だった。
シロコも立つ。
「ん」
「私も行く」
セリカも続いた。
「もちろんです」
ノノミも武器を取る。
アヤネは少し考えてから端末を開いた。
「ただ、分かっているのはホシノ先輩が校門を出た時に向かった方角だけです」
「十分。まずそっちへ行こう」
先生も立ち上がる。
「まだ痕跡が残ってるかもしれない」
誰も反対しなかった。
* * *
校門を出た後、シロコが先頭に立った。
ホシノが最後に歩いていった方向へ進みながら、道路脇や砂の積もった場所へ視線を走らせる。
「こっち」
しばらく進んだところで、シロコが道路脇へ寄った。
砂地にいくつかの足跡が残っている。
「ホシノ先輩の?」
「たぶん」
シロコはしゃがんで確認する。
「方向は合ってる」
そこからしばらくは追えた。
だが、砂の多い道路を抜けて古い舗装路へ入ったところで、痕跡は途切れた。
しかも少し先で道が三つに分かれている。
シロコが周囲を調べるが、どの道にも確かな手掛かりはなかった。
「……分からない」
珍しく悔しさの滲んだ声だった。
アヤネが地図を確認する。
「正面は旧業務地区、西側は倉庫地区、東側は採掘設備跡へ繋がっています」
「どれも途中からカイザー関係の土地が増えるね」
先生が画面を覗き込む。
「一つずつ当たる?」
セリカが尋ねる。
「そうするしかないと思う」
まず正面の道へ向かった。
だが数分も進まないうちに、大型のゲートが見えてきた。
金属製の柵と車止め。その向こうにはカイザーPMCの車両が停まっている。
「……カイザー」
翔が呟く。
一行が近づくと、警備員の一人が前へ出た。
「ここから先はカイザー管理区域です。関係者以外の立ち入りは禁止されています」
先生が前へ出る。
「シャーレの先生です。人を探してるんだけど、この先を通してもらえない?」
「通行許可証をお持ちですか?」
「持ってないかな」
「ではお通しできません」
セリカが眉を吊り上げる。
「こっちは急いでるのよ!」
「当区域への立ち入りとは別問題です」
「何よそれ!」
先生はゲート横の表示へ目を向けた。
土地管理者、通行制限、区域内施設の管理権。いずれにもカイザーの名が記されている。
アヤネも端末で確認する。
「……先生。ここは正式にカイザー側の管理地です。道路も、この先からかなりの区間が向こうの管理下になってます」
シロコがゲートを見る。
「壊せる」
「シロコ」
「通ろうと思えば通れる」
「うん」
先生は否定しなかった。
「でも駄目」
「どうして?」
「今の時点では、向こうは自分たちの土地を閉じてるだけだから」
シロコは黙った。
「ここで私たちが武器を使って突破したら、先に攻撃したのはこっちになる」
翔も警備員たちを見る。
誰も銃を向けてこなければ、挑発もしてこない。
ただ通さないだけだ。
だからこそ面倒だった。
「……別の道を見よう」
先生が言った。
一行は一度引き返し、西側の道路へ向かった。
だが、そちらも同じだった。
途中から道路脇の土地がカイザー名義へ変わり、先には別の立入制限区域が設けられていた。
「また……?」
セリカが顔をしかめる。
アヤネが地図を拡大する。
「この一帯、思っていた以上にカイザーが土地を持ってます」
「東は?」
「確認します」
今度は東側。
そこも先へ進むほど道が細くなり、やがてカイザー傘下企業の管理区域へぶつかった。
直接繋がる道だけではない。周囲に点在する土地や施設まで含めれば、旧業務地区のかなり広い範囲へカイザーの権利が入り込んでいる。
「……最悪ね」
セリカが吐き捨てる。
「どこから行っても同じじゃない」
「道路を使わなければいい」
シロコが地図の外側を指す。
「砂漠から回る」
先生はすぐには否定しなかった。
「できるとは思う」
「なら!」
「でも」
先生がシロコを見る。
「どこへ行くの?」
シロコの動きが止まった。
「ホシノがこの三本のどれを通ったかも分からない。途中で車に乗った可能性だってある」
アヤネが地図を見ながら続ける。
「この先には施設が多すぎます。旧倉庫も、工場跡も、カイザーが使っている建物もあります。管理道路を避けて入ったとしても、目的地が分からないままだと……」
「探してる間に、もっと奥へ移されるかもしれない」
ノノミが静かに言った。
誰も続けなかった。
翔は遠くに見えるゲートへ視線を向ける。
ジョーカーになれば、あの程度の封鎖は突破できる。
宿に預けてあるバイクを引っ張り出せば砂漠を回ることだってできる。
それでも、肝心のホシノがいる場所が分からない。
力で解決できる問題ではなかった。
「……くそ」
拳に力が入る。
「翔」
「分かってる」
先生が何を言おうとしたか察して、翔は先に答えた。
「適当に突っ込んでも意味ない」
昨日、自分がホシノへ言ったことを思い出す。
一人で勝手に決めるな。
それなのに、ここで焦って一人だけ先へ行けば同じことになる。
翔は息を吐いた。
「でも腹立つな」
「うん」
先生もカイザーの管理区域を見つめていた。
「私もかなり腹立ってる」
いつもの軽さはなかった。
セリカが振り返る。
「じゃあ、どうするの?」
「一度戻ろう」
「先生!」
「諦めるんじゃないよ」
先生はすぐに続けた。
「今分かったのは、ホシノを追うにはまず行き先を見つけないと駄目だってこと」
「……」
「見つけるよ。それから迎えに行く」
シロコが尋ねる。
「見つけられる?」
先生は少しだけ間を置いた。
「絶対に」
シロコはしばらく先生を見た後、小さく頷いた。
「ん」
セリカも納得したわけではなさそうだったが、武器を下ろした。
「……早くしてよね」
「うん」
「ホシノ先輩に、変なことしてたら絶対に許さないんだから」
「それは私も同じかな」
先生の返事に、翔が横を見る。
柔らかい声音だった。
けれど、その表情は笑っていなかった。
「戻ろう」
今度は誰も反対しなかった。
ホシノの足取りは途中で消えた。
その先へ続く道は、どれもカイザーの土地に阻まれている。
追うべき方向ではなく、追うべき場所そのものを見つけなければならない。
一行は学校へ引き返した。
* * *
学校へ戻った後、対策委員会の教室には再び地図が広げられていた。
ホシノの足跡が途切れた分岐点。その先へ伸びる三本の道路と、周囲へ広がるカイザーの管理区域。
アヤネが取得できる範囲の情報を調べ続けているものの、ゲートの向こうについて分かることは少なかった。
「この旧業務地区だけでも、施設が多すぎますね……」
地図を拡大しながら、アヤネが困ったように眉を寄せる。
「倉庫や工場跡の他にも、カイザー系列の会社が使っている建物がいくつもあります。その奥となると、さらに……」
「監視カメラとかは?」
「管理区域内のものは確認できません」
「もうっ……何なのよ。土地も道路も情報も、全部カイザーじゃない」
セリカが苛立ったように机へ手をつく。
シロコは無言で地図を見つめていた。
翔も腕を組んだまま、先ほどから同じ区域を睨んでいる。
「せめて、ホシノがどの道を通ったか分かればな」
「うん」
先生も地図から目を離さない。
「そこが分からないと、まだ広すぎるね」
「風紀委員会にも連絡して、向こうが持ってるカイザー関係の情報と照らしてみるか」
「お願いできる?」
「ああ」
翔が端末へ手を伸ばした、その時だった。
シロコが窓の外へ顔を向ける。
「……誰か来た」
全員の視線がそちらへ集まった。
校庭の端。
校舎へ続く道を、一人の少女がこちらへ歩いてくる。
足元近くまで伸びた暗褐色の髪。頭には狐耳が覗き、黒を基調とした和装を纏っている。そして何より目を引くのは、顔を覆う狐の面だった。
先生が目を見開く。
「……あの時の?」
「知ってるの?」
セリカが振り返った。
「一度だけ会ったことがあるよ」
「一度だけ?」
「うん。本当に一度」
それを聞いてもセリカの疑問は晴れないらしい。
シロコはすでにライフルを手にしていた。
「警戒する」
「うん。でも、まず話を聞こう」
やがて廊下から足音が聞こえ、教室の入口で止まった。
姿を現したワカモは室内へ視線を巡らせる。
そして先生を見つけた瞬間、ぴたりと動きを止めた。
「……あなた様」
ほんの一言だった。
それまで悠然としていた雰囲気が僅かに揺らぐ。
「ワカモ……だったよね?」
「……はい」
返事までに一拍あった。
狐面で表情は隠れている。それでも、明らかに先ほどまでとは様子が違った。
「その……先日は、大変お見苦しいところを……」
「え? ああ、シャーレの時?」
「……はい」
「私は気にしてないよ」
「……そう、でございますか」
声が僅かに上擦る。
その様子を見ていたセリカが、先生へ小声で囁いた。
「本当に一回会っただけ?」
「だからそうだって」
先生自身も困惑している。
シロコは二人のやり取りには加わらず、ワカモへ尋ねた。
「何の用?」
ワカモはそこでようやく先生以外へ意識を戻した。
「少々、あなた様のお耳へ入れておきたいことがございまして」
「私に?」
「ええ」
先生の表情が引き締まる。
「聞かせて」
ワカモは軽く頷いた。
「今朝、こちらの学校からお一人で出ていかれた方がいらっしゃいましたでしょう?」
それだけで空気が変わった。
シロコが一歩前へ出る。
「ホシノ先輩?」
「小鳥遊ホシノさん――でしたか」
「ホシノ先輩を見たの!?」
セリカが思わず身を乗り出す。
「ええ」
「どこで!?」
「セリカ」
先生に呼ばれ、セリカは口を閉じた。
先生がワカモを見る。
「最初から聞かせてもらっていい?」
「もちろんでございます」
ワカモは一度、言葉を選ぶように間を置いた。
「少し前より、あなた様のお近くを嗅ぎ回る不逞の輩がおりましたので」
「……私の?」
「はい」
ワカモの声音は丁寧なままだった。
だが、先ほど先生と話していた時に滲んでいた動揺は消えている。
「あなた様へ仇なそうとしているのであれば、看過する理由もございません。ですので、少々様子を窺っておりました」
「……その人たちって」
先生が少し考える。
「カイザー?」
「その名を掲げている者もおりましたね」
まるで組織名そのものには興味がない、とでも言うような口調だった。
「カイザーが、私の周りを……」
先生は小さく呟いた。
知らなかった事実を頭の中へ加えるように、僅かに考え込む。
ワカモがどうしてそれを知っているのか、そして「様子を窺う」という言葉の裏で何をしていたのか。気になることはいくつもあったが、今はホシノの方が先だった。
「それで、ホシノとどう繋がる?」
翔が尋ねる。
「今朝も、その者どもと同じ一団の車両を見かけました」
ワカモが答える。
「その少し前に、こちらからお一人で出てこられたホシノさんが、同じ方角へ向かっておられまして」
「それで後を追った?」
シロコが尋ねる。
「ええ」
「どうして?」
ワカモは一瞬だけ沈黙する。
そして、先生へ視線を向けた。
「あなた様とご一緒にいらした方が、あなた様を狙う不逞の輩どものいる方角へお一人で向かわれたのです」
僅かに声音が低くなる。
「何事もないとは、少々考えにくうございましたので」
先生は黙って続きを促した。
「最初は徒歩でした。しばらくすると人通りの少ない道へ入り、その後、古びた建物へ入っていかれました」
アヤネがすぐに地図を開く。
「その場所、分かりますか?」
「地図をお借りしても?」
「はい」
ワカモが机へ近づく。
シロコはまだ警戒を解いていなかったが、先生が小さく頷くのを見て一歩だけ場所を空けた。
ワカモは地図を眺め、ある一点へ指先を置く。
「この辺りでございます」
「……ここ?」
セリカが目を見開く。
先ほど自分たちが入ることのできなかった区域の奥だった。
アヤネが表示を拡大する。
「旧事務施設……。現在の利用状況は確認できません」
「ホシノは一人で入ったの?」
先生が尋ねる。
「ええ。少なくとも、私が確認した限りでは」
「誰かに連れていかれたわけじゃない?」
「そのようには見えませんでした」
先生の目が僅かに伏せられる。
ホシノは自分の足でそこへ向かった。
それ自体は、彼女が黒服から条件を提示されていたという話とも噛み合う。
「それから?」
「しばらくして、先ほど申し上げた者どもの車両が数台、その建物へ入っていきました」
シロコが身を乗り出した。
「ホシノ先輩は?」
「その後、出てこられました」
「無事?」
「見た限りでは、お怪我をしている様子はございませんでした」
「……よかった」
アヤネが小さく息を吐く。
ノノミも胸元へ手を当てた。
だが、ワカモの話は終わっていない。
「ただし、建物へ入る際にお持ちだった盾と銃は、その時にはお持ちではありませんでした」
翔の表情が険しくなる。
「武装を預けたのか」
「おそらくは」
「それで?」
先生が先を促す。
「ホシノさんは、そのまま中央の車両へ乗られました」
セリカが唇を噛む。
「無理矢理?」
「いえ」
ワカモは首を横に振る。
「少なくとも、抵抗しているようには見えませんでした」
「……あの馬鹿」
「セリカちゃん……」
「だって……!」
セリカは途中で言葉を切り、俯いた。
シロコがワカモへ尋ねる。
「車はどこへ行った?」
「追いました」
あまりにも当然のような返事だった。
「途中で別の車列と合流し、さらに奥へ向かっております」
ワカモの指先が地図上を滑る。
旧事務施設から北西へ。
自分たちが調べた道路よりさらに奥、カイザーの管理区域深くへ線が伸びていく。
「この辺りまでは確認いたしました」
「ここから先って……」
アヤネが別の情報を重ねる。
「カイザーPMCの施設が集中している一帯です。訓練施設、資材保管施設、それから用途が公開されていない施設もいくつか……」
「どれに入ったかは分かる?」
先生の問いに、ワカモは首を横に振った。
「申し訳ございません。そこまでは」
「途中で見失った?」
「いいえ」
狐面の奥で、黄色い瞳が僅かに細められる。
「これ以上近づけば、私の存在を隠したまま追うのは難しいと判断いたしました」
「……攻撃しなかったんだ」
シロコがぽつりと言う。
ワカモが彼女を見る。
「ええ」
「どうして?」
「そこで私が騒ぎを起こせば、ホシノさんを別の場所へ移すかもしれません」
淡々とした返答だった。
「それに、ホシノさんは自らあの車へ乗っておられました。事情を知らぬまま私が割って入れば、かえってあなた様のお邪魔になるやもしれません」
最後の部分だけ、再び先生へ向けられる。
「ですので、まずはこちらへ」
先生は何秒かワカモを見つめていた。
目の前の少女について、先生が知っていることはまだほとんどない。
最初に顔を合わせた時には、連邦生徒会の施設で大暴れしていた。
自分の顔を見た途端に様子がおかしくなり、そのまま去っていった。
それだけだ。
どうしてここまで自分を気に掛けているのかさえ、先生には分からない。
けれど。
「ありがとう、ワカモ」
「――っ」
ワカモの身体が分かりやすく強張った。
「あなた様……?」
「教えてくれてありがとう。私たちだけじゃ、そこまで追えなかった」
「い、いえ……」
先ほどまで不逞の輩を語っていた時の落ち着きが、一瞬でどこかへ消える。
「そのような……私はただ、あなた様に仇なす者が気に障っただけでございまして……」
「それでも助かったよ」
「……っ」
ワカモは思わず狐面へ手を添えた。
顔を隠しているにもかかわらず、さらに隠そうとしているようにも見える。
「……もったいなき、お言葉でございます」
ようやく絞り出した声は、先ほどより明らかに小さかった。
先生は少し不思議そうに首を傾げたものの、それ以上は触れなかった。
「アヤネ。今の経路を地図に残せる?」
「はい。すぐに」
「シロコは車列が通れる道を確認して。ワカモが見た場所からなら、候補を減らせると思う」
「ん」
「翔」
「ああ。こっちも風紀委員会が持ってるカイザー関連の情報と照らす」
先ほどまで何もなかった地図へ一本の線が引かれていく。
ホシノが入った旧事務施設。
そこへ来た車両。
ホシノを乗せて移動した車列。
そして、その姿が消えたカイザーPMCの施設群。
最終的な場所までは分からない。
それでも、初めてホシノの足取りがカイザーへ直接繋がった。
先生が再び顔を上げる。
「ワカモ」
「はい」
「一つだけ聞いてもいい?」
「あなた様がお望みでしたら、何なりと」
即答だった。
「……そこまでしなくても大丈夫だよ」
「……失礼いたしました」
ワカモが少しだけ縮こまる。
「どうして、私たちがホシノを探してると思ったの?」
「……」
今度の沈黙は少し長かった。
「ホシノさんがあなた様の傍にいらしたことは、存じておりました」
「うん」
「その方が、お一人で不逞の輩どものもとへ向かわれた」
ワカモは静かに続ける。
「それを知れば、あなた様が放っておかれるとは思えませんでしたので」
先生が目を瞬く。
「私たち、まだ一回しか会ってないよね?」
「――っ」
ワカモが硬直する。
「……それは、その……」
「ごめん。責めてるわけじゃないよ」
「……」
狐面の奥から先生を見つめる。
何かを言おうとして、しかし結局言葉にならなかった。
「……はい」
それだけ答えた。
先生も追及しなかった。
ワカモは僅かに姿勢を整える。
「私からお伝えできることは、以上でございます」
「もう行くの?」
「ええ」
「そっか」
先生は少し考え、それから言った。
「情報、本当にありがとう」
「……はい」
また一瞬、ワカモの声が揺れる。
「それと、危ないことはしないでね」
「――」
完全に沈黙した。
「ワカモ?」
「……あなた様は、そのようなことまで……」
「え?」
「い、いえ。何でもございません」
ワカモは慌てたように首を横に振る。
「……心に留めておきます」
「うん」
それが守られるかどうかについて、先生には少々疑問が残った。
ワカモは一歩下がる。
「それでは、あなた様」
「またね、ワカモ」
「……!」
ほんの一瞬だけ、立ち去ろうとしていた足が止まる。
「……はい」
それだけを残して、ワカモは教室を去っていった。
足音が完全に遠ざかってから、しばらく妙な沈黙が残った。
セリカが先生を見る。
「……先生」
「何?」
「あの人と本当に一回しか会ってないのよね?」
「一回しか会ってないよ」
「何であんなことになってるのよ……」
「私にも分からないんだけど」
心底困ったように先生が答える。
翔も何とも言えない顔になる。
ゲームで知っていたとはいえ、実際に目の前で見ると想像以上だった。
「……まあ、それは今いいだろ」
「そうね」
セリカもすぐに表情を引き締める。
「今はホシノ先輩よ」
地図の上には、先ほどまで存在しなかった一本の線が残されていた。
自分たちだけでは辿ることのできなかった、ホシノの足取り。
行く手を塞ぐカイザーの管理区域を前に、一度はそこで途切れかけた救出への道だった。
それを再び繋いだのは、対策委員会でも、シャーレでも、翔でもない。
誰も予想していなかった第三者――ワカモだった。
まだホシノがどこにいるのか、最後の一点までは届いていない。
それでも、閉じかけていた道は確かに開いた。
あとは、その先へ進むだけだった。