青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
ワカモが残した情報を基に、地図の上ではいくつかの候補が絞られ始めていた。
「車列が最後に確認されたのは、この辺り」
シロコが地図の一角を指す。
そこから先に存在するのは、カイザーPMCが管理する複数の施設だった。
訓練区域、資材保管施設、整備拠点。そして、用途が公開されていないいくつかの建物。
「ワカモさんが見た車両の数を考えると、小さい施設は外してもいいかもしれません」
アヤネが候補を一つずつ消していく。
「でも、それでもまだ多いですね」
「そもそも、そのまま同じ車で最後まで運んだとも限らないしな」
翔の言葉に、先生も頷いた。
「途中で車を替えられてたら、今の情報だけじゃ追えないね」
「……あと少しなのに」
セリカが悔しそうに地図を見る。
先ほどまでとは違う。
何も分からなかったわけではない。
ホシノがカイザー側へ渡り、そのままPMC施設の集中する区域へ運ばれたことまでは確かになった。
それでも、最後の一点だけが分からない。
「風紀委員会の方でも調べてもらう」
翔が端末を操作する。
「カイザー関係なら、今までの疑似メモリ兵器の調査資料に引っかかる施設があるかもしれない」
「うん。お願い」
先生も机へ手をつき、地図を見下ろした。
その時だった。
――コン、コン。
教室の扉が二度、叩かれた。
全員が一斉にそちらを見る。
「誰?」
セリカが問いかける。
返事はない。
「……」
シロコが立ち上がった。
「私が見る」
「待って」
先生が先に扉へ近づく。
シロコもすぐ後ろについた。
先生が扉を開ける。
廊下には誰もいなかった。
「……いない?」
左右を確認する。
人影はない。
窓から見える校庭にも、それらしい姿はなかった。
「何なのよ、もう……」
セリカが訝しげに近づいてくる。
その時、先生が足元へ視線を落とした。
「……これ」
扉のすぐ前に、一枚の黒いカードが置かれていた。
何の装飾もない。
ただ、表面に小さな文字が記されている。
先生はしゃがみ、それを拾った。
「先生」
「うん」
シロコが警戒する中、先生はカードを裏返す。
裏面には簡素な地図が描かれていた。
アビドス自治区内の一点に印がついている。
そして、その下に短い文章。
『先生へ。
小鳥遊ホシノさんについて、お話がございます。
お一人でお越しください。』
最後に、名前が記されていた。
『黒服』
教室の空気が変わった。
「……黒服」
セリカが呟く。
ホシノが初めてその存在を口にした時のことを、全員が覚えている。
「こいつが……」
翔もカードを睨んだ。
今回、ホシノをカイザー側へ向かわせる原因を作った張本人。ゲームでもその目的や正体は詳しく語られていなかったゲマトリアの一人。
先生はカードを見たまま、しばらく黙っていた。
「罠」
シロコが言う。
「可能性は高い」
「だったら行っちゃ駄目よ!」
セリカが即座に声を上げた。
「どう考えても怪しいじゃない! わざわざ一人で来いなんて!」
「私も反対です」
アヤネも表情を曇らせる。
「黒服がどんな人物なのか、私たちはほとんど分かっていません」
「そうですね……」
ノノミも珍しく強い調子で続ける。
「先生までいなくなってしまったら……」
「行くよ」
先生が言った。
全員の声が止まった。
「先生」
シロコが先生を見る。
「行くの?」
「うん」
「一人で?」
「向こうがそう指定してるからね」
「先生!」
セリカが声を上げる。
「大丈夫なんて言わないよ」
先生は先にそう答えた。
「危ないと思う。罠かもしれない」
「じゃあ何で!」
「ホシノのことを知ってるから」
先生はカードを持ち上げる。
「ワカモのおかげで、ホシノがカイザーの施設が集まってるところまで運ばれたことは分かった。でも、そこから先が分からない」
「……」
「その最後の部分を知ってる可能性が一番高いのは、この人だと思う」
シロコはしばらく黙っていた。
「私も行く」
「駄目」
「どうして?」
「一人で来いって書いてあるから」
「だから罠」
「うん。だからこそ」
先生はシロコへ向き直る。
「向こうが何をしたいのか分からないうちに、最初から約束を破って全員で押しかけるのはよくない」
「でも――」
「黙って行ったりはしないよ」
その一言で、シロコが止まる。
先生は黒いカードを机へ置いた。
「場所はみんな知ってる。私がどこへ行くかも、誰に会うかも知ってる」
地図に記された位置を、アヤネへ見せる。
「アヤネ。ここ、記録しておいて」
「……はい」
「時間も残して。連絡が取れなくなったら、その時はすぐ動いて」
「分かりました」
「それから、私が戻るまでは勝手にカイザーの管理区域へ入らないこと」
シロコの眉が僅かに動く。
「……先生も勝手に行く」
「私は行き先を全部伝えてから行くよ」
「一人は一人」
「うっ」
先生が一瞬言葉に詰まった。
セリカが横から睨む。
「言われてるじゃない」
「……その点については反論できないかな」
「先生」
「でも、今回は会って話すために一人で行く。何か一人で決めて帰ってくるつもりはないよ」
先生は全員を見る。
「聞いたことは全部持って帰る。それから、みんなで決めよう」
シロコはまだ不満そうだった。
だが、少なくとも何も告げずに一人で姿を消したホシノとは違う。
「……絶対戻ってきて」
「うん」
「約束」
「約束する」
それでようやく、シロコは一歩下がった。
今度は翔が口を開く。
「俺も近くまで行く」
「翔」
「会う場所まではついていかない。外で待つだけなら問題ないだろ」
先生は少し考える。
「駄目」
「何でだよ」
「黒服はホシノに、自分か仮面ライダーを差し出すよう求めてたんでしょ?」
翔の胸の内側が僅かにざわついた。
先生はもちろん、翔とジョーカーが同一人物だとは知らない。
「今度の呼び出しが私だけを狙ったものなのか、それとも他にも目的があるのか分からない。誰かを近くに連れていくのは、余計な危険を増やすかもしれない」
「でも先生一人で――」
「翔」
いつもの柔らかさを残したまま、先生の声が少しだけ強くなる。
「私にも仕事させて」
「……」
「ホシノは私の生徒だから」
翔は口を閉じた。
その言葉に、妙な引っ掛かりを覚えた。
先生はまだホシノと出会って、それほど長いわけではない。
それでも迷いなくそう言った。
「……分かった」
翔は息を吐く。
「ただし、本当に何かあったらすぐ連絡してくれ」
「うん」
「一人で何とかしようとするなよ」
先生が少し困ったように笑う。
「それ、今の私が言われるんだ」
「昨日ホシノに散々言ったからな。先生まで同じことしたら洒落にならない」
「確かに」
笑みはすぐ消えた。
先生は改めて黒いカードを見る。
その脇で、シッテムの箱を手に取る。
画面には、カードに記された場所と同じ地点が表示されていた。
「……行ってくる」
誰も軽い調子で見送ることはできなかった。
「先生」
シロコがもう一度呼ぶ。
「絶対に戻ってきて」
「分かってる」
「ホシノ先輩も」
セリカが続く。
「絶対連れて帰るんだから」
「うん」
先生は今度こそ頷いた。
「そのために話してくるよ」
* * *
黒いカードに記されていた場所は、アビドスの外れにある古い建物だった。
使われなくなって久しいのか、周囲に人の気配はない。
カイザーの看板もなければ、車両も見当たらなかった。
先生は入口の前で一度立ち止まる。
手元のシッテムの箱へ視線を落とした。
表示されている位置に間違いはない。
「……ここだね」
誰に聞かせるでもなく呟く。
扉へ手を掛ける。
中は薄暗かった。
外から見た以上に奥行きがある。
人気のない廊下を進み、いくつかの角を曲がる。
やがて、一つだけ明かりの漏れている部屋が見えた。
先生はその前で立ち止まった。
扉は開いている。
中へ足を踏み入れる。
広い部屋だった。
机が一つ。
その向こうに、一人の男が座っている。
人間と呼ぶにはあまりにも異質な姿。
黒いスーツ。
黒い手袋。
そして、その顔には人間らしい表情など存在しない。
先生が足を止める。
男はゆっくりと顔を上げた。
「初めまして」
穏やかな声だった。
「シャーレの先生」
一拍置いて。
「私のことは――黒服とお呼びください」
先生は黙ったまま、その男を見据えた。
ようやく。
ホシノを追い込んだ相手と、向かい合った。
* * *
指定された場所に、人の気配はほとんど無かった。
アビドス自治区の外れ。
砂に侵食されかけた古い建物の一室へ入ると、そこで待っていた黒服がゆっくりと先生へ顔を向けた。
部屋の奥で、黒服は静かに両手を組む。
「まずは、お越しいただきありがとうございます。先生」
「ホシノは何処?」
挨拶を返すより先に、先生は尋ねた。
黒服は一瞬だけ黙り、それから喉の奥で低く笑う。
「クックックッ……随分と性急ですね」
「急いでるから」
「なるほど」
気を悪くした様子は無い。
むしろ、その反応まで観察するように黒服は先生を見ていた。
「では、本題へ入る前に一つ。先生のことは以前より存じております」
「私は貴方のこと、今日初めてちゃんと知ったけどね」
「ええ。当然でしょう」
黒服は平然と認める。
「連邦生徒会長によってキヴォトスへ招かれ、現在は連邦捜査部シャーレの先生。そして――」
黒服の視線が先生の手元へ落ちる。
「シッテムの箱の所有者」
先生は反射的に端末を握る手へ力を込めた。
『先生』
画面の向こうからアロナの声が届く。
『この人……シッテムの箱のことを知っています』
先生は表情を変えなかった。
「随分詳しいんだね」
「私どもの性分でして」
「私ども?」
「そういえば、まだそこからでしたね」
黒服がゆっくりと立ち上がる。
「私達は、観察し、探究し、研究する者です。キヴォトスに存在する神秘、その裏側。そして、この世界へ現れ始めた新たな異物についても」
「……新たな異物?」
「お分かりでしょう?」
青白い亀裂のような光が、その異形の顔で僅かに揺らいだ。
「ガイアメモリ」
先生の目が細くなる。
「知ってるんだ」
「ええ。少なくとも、存在は」
黒服の声には隠し切れない興味が滲んでいた。
「神秘とは異なる原理で超常を発現させる記憶媒体。人工物でありながら、単なる兵器とも言い切れない。そして、キヴォトスの生徒達が持つ力とは明確に異質なもの」
「神秘……」
先生にとって、その言葉をこうした意味で聞くのは初めてだった。
「ええ。この地を理解する上では、いずれ避けて通れない概念でしょう」
黒服は一度言葉を切る。
「そして、そのガイアメモリを自在に扱う黒い仮面の戦士まで現れた」
先生は何も答えない。
黒服も、それ以上追及しなかった。
「私どもは、このキヴォトスで使われている呼び名を借りています」
黒服が胸元へ手を添える。
「ゲマトリア」
「ゲマトリア……」
「ええ。そして私は、黒服とでもお呼びください」
先生が僅かに首を傾ける。
「ホシノもそう呼んでたね」
「ええ。私自身も気に入っている呼び名ですので、そのままで構いません」
「そう」
先生にとって、呼び名の由来は重要ではなかった。
「先生」
「何?」
「貴方は、この世界についてまだ知らないことが多い筈です」
「それはそうだね」
「神秘とは何なのか。キヴォトスとは何なのか。連邦生徒会長は何故貴方をこの地へ招いたのか」
さらに続ける。
「シッテムの箱。そして、ガイアメモリ。あれが何処から現れ、この世界とどのような関係を持つのか」
先生は黙って聞いていた。
「知りたくはありませんか?」
「知りたいよ」
黒服の青白い光が僅かに揺れる。
「ほう」
「分からないことだらけだからね。シッテムの箱も、ガイアメモリも、この街のことも」
「でしたら――」
「でも」
先生が遮った。
「今はホシノの方が先」
黒服が止まる。
「私は、その話を聞きに来たの」
数秒の沈黙。
やがて黒服は再び椅子へ腰を下ろした。
「……良いでしょう」
先生も黒服から目を離さない。
「では、本題に入りましょう」
黒服が指を組む。
「小鳥遊ホシノさんは、自らこちらへいらっしゃいました」
「知ってる」
「ほう?」
「途中までは追えたから」
正確にはワカモが追跡した。
だが、それを黒服へ教える必要は無い。
「そして御自身で契約内容を確認され、自らの意思で署名されています」
先生の視線が僅かに鋭くなる。
「契約には、小鳥遊ホシノさん自身から幾つか条件も加えられました」
「条件?」
「アビドス高等学校、対策委員会、先生、周辺住民。そして彼女と関係する者達への直接的な実力行使を行わないこと」
先生の眉が僅かに動いた。
ホシノが具体的にどんな条件を付けたのかは、ここで初めて知った。
「それだけではありません」
黒服は続ける。
「彼女は黒い仮面の戦士についても保護を要求しました。こちらから積極的に追跡、捕獲、研究対象としないこと」
「……仮面ライダーまで」
「ええ」
先生の頭に、ホシノの顔が浮かんだ。
自分だけではない。
最後まで、周りの誰かを守るための条件を増やした。
だからこそ。
「……その言い方、私は嫌いだな」
黒服の言葉が止まる。
「と、仰いますと?」
「『本人が選びました』って言い方」
先生の声は穏やかだった。
だが、笑ってはいない。
「何か事実と異なる部分が?」
「ホシノが自分で決めたこと自体は否定しないよ」
「でしたら――」
「でも、その選択肢しかまともに残らないように追い込んだのは誰?」
室内が静まり返った。
「最初にセリカが攫われた」
先生は一つずつ確認するように言葉を重ねる。
「アビドスには何度も圧力が掛かった。外から人を雇って襲わせて、危険な兵器まで持ち込んだ」
「……」
「民間の人まで人工メモリの実験に巻き込まれた。その挙げ句、事故だったとはいえ私まで殺されかけた」
机の下で、先生の手が僅かに握られる。
「あの子は、自分が危ないだけなら多分ここまでしなかったよ」
「それは私も同意します」
「だったら分かってるでしょ」
普段の柔らかな調子は、既に消えていた。
「自分が残っていたら、次は後輩が狙われるかもしれない。私がまた狙われるかもしれない。周りの人まで巻き込まれるかもしれない」
「……」
「そう思わせておいて、最後に『貴方一人が来れば止める』って条件を出した」
先生は黒服を真っ直ぐ見る。
「それで『本人が自分で選びました』『自分で署名しました』って言われても、私は納得出来ないよ」
「それら全てが、私の指示であったと?」
「全部なんて言ってない」
先生は即座に返した。
「でも、貴方は知ってたんじゃない?」
黒服は答えない。
「ホシノが、自分が傷付くことより他の人が傷付く方を嫌がること」
「……」
「自分が我慢すれば誰かが助かるなら、自分を差し出そうとすること」
先生の声が少し低くなる。
「そこを使った」
沈黙。
やがて黒服が僅かに首を傾ける。
「なるほど」
「……」
「先生は、彼女の意思そのものを否定しているのではない。その意思決定へ至る状況を作った我々にも責任がある、と」
「そう」
先生は短く答えた。
「ホシノは考えた。その上で、自分でここへ来ることを決めた。それは分かってる」
「ええ、最終的に決断したのは彼女自身です」
「うん」
先生は否定しなかった。
「だから連れて帰ったら、そこはホシノ本人とも話す」
「……ほう?」
「一人で全部決めて、一人で居なくなったことは、ちゃんと怒るつもり」
黒服が僅かに首を傾ける。
「自らの身を差し出し、他の生徒や先生を守ろうとしたのですよ?」
「それでも」
先生は迷わなかった。
「一人で全部背負わせるつもりは無いから」
黒服はしばらく先生を見つめた。
「……奇妙ですね」
「そう?」
「ええ」
黒服は再び机の上で指を組む。
「しかし、先生。そこまで仰るのであれば、一つ確認したいことがあります」
「何?」
「先生には、そもそも小鳥遊ホシノさんを返せと要求する立場があるのでしょうか」
「あるよ」
即答だった。
黒服の動きが僅かに止まる。
「……ほう」
「ホシノは退学届を出した」
「ええ」
「でも、私は受理してない」
今度こそ、黒服の動きが完全に止まった。
「……受理していない?」
「うん」
先生は真っ直ぐ黒服を見る。
「ホシノがアビドスを辞めたいって意思を示したことは否定しない。でも、退学の手続きは終わってない」
「……」
「だからホシノは今も、アビドス高等学校の生徒だよ」
長い沈黙が落ちる。
黒服が僅かに俯いた。
契約の内容を、頭の中で組み直している。
「……なるほど」
先程までとは違う、低い声だった。
「これは、私の見落としですね」
「貴方との契約は?」
先生が問う。
黒服は数秒置いて答えた。
「成立していません」
はっきりとした言葉だった。
「今回の契約は、小鳥遊ホシノさんがアビドス高等学校から離籍し、指定された組織へ移ることを前提にしています。その前提が満たされていない以上、契約を成立したものとして扱うことは出来ない」
先生は一度だけ頷いた。
「うん。それが確認出来れば十分」
「驚かれないのですね」
「多分そうだと思って来たから」
「なるほど」
黒服の声には、僅かな感心が混じる。
先生は椅子の背へ身体を預けた。
「これで話が単純になった」
「何がでしょう?」
「ホシノは今も私の生徒」
先生の声から、僅かに軽さが消える。
「その生徒が学校へ帰って来ない」
黒服は黙って聞いている。
「武器も無い。端末も無い。こっちから連絡も取れない」
そして。
「その状態で、貴方の研究対象にされてる」
黒服の視線が僅かに変わった。
「そこまで察しておられましたか」
「貴方、自分でホシノには価値があるって言ってたでしょ」
「ええ」
「それに、今までの人工メモリや疑似メモリ兵器の件もある」
「カイザーの研究と私の研究を同一視されるのは、少々困りますね」
「同じだとは言ってないよ」
先生は即座に返した。
「でも、無関係でもない」
セリカを攫うために使われた特殊装置。
ブラックマーケットへ流れた疑似メモリ兵器。
人体へ直接使用された人工ガイアメモリ。
生体コネクター。
地下施設から回収された研究資料。
そして、目の前の黒服。
別々に見えていたものが、同じ場所へ収束しつつある。
「貴方とカイザーは、欲しいものが違うんでしょ」
「ほう」
「貴方が欲しいのはホシノ」
「正確には、彼女が内包しているものですが」
「……内包しているもの?」
黒服が僅かに身を乗り出した。
「先程申し上げた、神秘ですよ」
先生の目が細くなる。
「ホシノの?」
「ええ」
黒服の声に、研究者としての熱が僅かに滲む。
「小鳥遊ホシノさんが内包する神秘は、非常に稀有なものです。その性質、限界、そして更にその奥に存在するもの。私にとって、彼女は極めて興味深い研究対象なのですよ」
「……」
「御理解いただけましたか?」
「貴方がホシノを欲しがる理由はね」
先生はそこで言葉を切る。
「じゃあ、カイザーは?」
「……」
「今までのやり方を見てると、あの子自身を研究したいようには見えない」
黒服はしばらく先生を見つめた。
「よく見ていますね」
「当たってる?」
「概ね」
黒服が静かに答える。
「カイザーにとって重要なのは、小鳥遊ホシノさんを研究することではありません」
「じゃあ何?」
「彼女が、アビドスに居ないことです」
先生の表情が変わった。
「……」
「貴方も彼女の戦闘能力は御存じでしょう」
「知ってるよ」
「アビドス対策委員会において、彼女の存在は非常に大きい」
単純な一人分の戦力ではない。
盾を持って最前線に立つ者。
対策委員会の中でも群を抜いた戦闘能力を持つ者。
そして最上級生として、残った四人を支えている人物。
そのホシノが居なくなる。
カイザーにとって、それだけで大きな意味がある。
「だから、貴方の取引に協力した」
先生が言った。
「ええ」
「貴方はホシノを研究出来る。カイザーは、ホシノをアビドスから引き離せる」
「利害が一致した。それだけのことです」
黒服とカイザーは一枚岩ではない。
同じ目的に向かっている訳でもない。
互いに、自分が欲しいものを手に入れるために相手を利用している。
先生にも、その構図がようやくはっきり見えた。
「でも、その前提が崩れた」
「ええ」
「ホシノはアビドスを辞めてない。だから連れ戻せる」
「その通りです」
「だったら返して」
先生は真っ直ぐ言った。
「貴方自身が、契約は成立してないって認めたんでしょ?」
「ええ」
「だったら、その契約を理由にホシノをそっちへ置いておくことも出来ない」
「仰る通りです」
「じゃあ――」
「ただし」
黒服が静かに遮った。
「契約が成立しなかったからといって、私が小鳥遊ホシノさんへの興味まで失う訳ではありません」
先生の目が細くなる。
「……返す気は無いんだ」
「少なくとも、私から進んでこの研究機会を手放す理由はありません」
先生は数秒だけ黙った。
「そっか」
「御失望を?」
「ううん」
先生は首を横へ振った。
「むしろ、これではっきりした」
「何がでしょう」
「ホシノはもう、契約に従ってそっちに居る訳じゃない」
先生は一つずつ確かめるように続ける。
「アビドスを辞めてもいない。学校へ帰って来てもいない。連絡も取れない」
「……」
「それでも貴方は、研究するためにホシノを手放さない」
一拍。
「だったら私は、あの子を迎えに行く」
「契約が成立していない以上、先生として彼女を連れ戻す、と?」
「そう」
今度は言葉を濁さなかった。
「私の生徒が行方不明になってる。それだけで十分だよ」
黒服はしばらく何も言わなかった。
やがて。
「……実に興味深い」
先生は何も返さなかった。
その視線だけが、黒服へ向けられている。
「先生」
「何?」
「貴方には、もっと多くのものを求める資格がある」
先生の眉が僅かに動く。
「連邦生徒会長不在の今、貴方が保持する権限は決して小さくない。そしてシッテムの箱。神秘。未知の技術。そしてガイアメモリ」
黒服が一つずつ並べる。
「貴方は、その全ての深奥へ触れる可能性を持っている」
「……」
「それでも、一人の生徒を優先するのですか?」
「うん」
迷いは無かった。
「真理を知りたくはない?」
「知りたいよ」
「力を得たいとは?」
「必要なら」
「でしたら何故?」
黒服の声が僅かに強くなる。
「何故、それらよりも小鳥遊ホシノさんを?」
先生は少しだけ考えた。
だが、答えは難しいものではない。
「順番を決めてるだけだよ」
「……順番?」
「真理とか、神秘とか、ガイアメモリの秘密とか。そういうのは後からでも調べられる」
先生は黒服を見据える。
「でも、ホシノは今しか助けられないかもしれない」
「……」
「だったら、今はホシノ」
黒服は黙った。
「そんなに変?」
「……私には理解し難い」
「私には普通だよ」
黒服は長い間、先生を見ていた。
理解しようとしている。
それでも、どうしても同じ答えへ辿り着けない。
そんな沈黙だった。
「先生」
「何?」
「貴方という存在を、私は少々見誤っていたようです」
先生は返事をしなかった。
黒服も、それ以上続けなかった。
その時。
『先生』
手元のシッテムの箱から、アロナの声が響く。
『今の話と、ワカモさんが教えてくれた車列の経路を照合しました』
先生は視線だけを画面へ落とす。
『候補だった施設の内、研究設備を持てる規模で、なおかつ車列の進入経路と一致する場所はかなり絞れます』
地図上で、幾つかの候補が消えていく。
『三ヶ所です』
先生の目が僅かに動いた。
黒服がそれを見逃さない。
「何か分かりましたか?」
「少し」
先生は画面から目を離さない。
「ホシノが居る場所、かなり絞れた」
黒服の青白い光が微かに揺らぐ。
『一つ目は大型の整備施設です。設備の性質から可能性は低いと思います』
一つ消える。
『二つ目は物資集積施設。でも、ワカモさんが確認した護衛車両の数を収容するには進入口が狭過ぎます』
さらに一つ。
最後の候補が画面へ残る。
『先生』
(うん)
『一番可能性が高いのは、アビドス砂漠中央寄りにあるカイザーPMCの大規模基地です。ただし、その中のどの区画かまでは分かりません』
先生は画面から顔を上げた。
「カイザーPMCの大規模基地」
黒服の動きが止まる。
「そこに居る?」
「……」
「違う?」
数秒の沈黙。
やがて黒服は低く笑った。
「クックックッ……なるほど」
「何?」
「情報はほとんど与えていないというのに、そこまで辿り着きますか」
「私一人で調べた訳じゃないよ」
「それも含めて、ですよ」
黒服は再び椅子へ腰を下ろした。
「良いでしょう」
先生が眉を寄せる。
「何が?」
「ここまで辿り着かれたのです」
両手を組む。
「最後の一つくらい、私から差し上げても構わないでしょう」
先生の表情が変わる。
「ホシノは」
黒服が告げる。
「アビドス砂漠中央部。カイザーPMC主要基地、その地下研究区画にいます」
「……地下研究区画」
「ええ」
先生はシッテムの箱へ視線を落とした。
『先生、記録しました』
「ホシノに何をするつもり?」
先生が黒服を見る。
「既に申し上げた通り、研究ですよ」
「『神秘』を?」
「ええ」
黒服は平然と答える。
「彼女が内包するもの。その性質と限界を知るために」
「本人に、何をされるか全部説明した上で同意を取った?」
黒服は答えなかった。
その沈黙だけで十分だった。
先生の目が冷える。
「……やっぱり、私は貴方達のやり方が嫌いだよ」
「そうでしょうね」
黒服は否定しない。
「それでも、場所を教えてくれてありがとう」
その言葉に、黒服が僅かに首を傾けた。
「礼を言われるとは思いませんでした」
「貴方達がホシノにしたことを許した訳じゃない」
先生の声に迷いは無かった。
「セリカを巻き込んだことも、アビドスを追い詰めたことも、ホシノをここまで追い込んだことも」
「……」
「それと、今情報をくれたことは別だから」
先生は一度、保存された地図へ視線を落とす。
そして再び黒服を見た。
「……それにしても、やけに素直に教えてくれたね」
「小鳥遊ホシノさんの居場所を、ですか」
「うん」
先生は黒服を見据える。
「地下研究区画まで教えるとは思ってなかった」
黒服は数秒だけ沈黙した。
やがて、静かな声で答える。
「出来ることなら、先生とは今後も良好な関係を保ちたいと思っていますので」
「……私、今かなり貴方達に怒ってるんだけど」
「承知しています」
黒服の声は変わらない。
「良好な関係と言っても、互いの目的や思想を全て一致させたいという意味ではありません」
「……」
「今回の件で先生が我々へ怒りを抱くことも理解しています。それでも、必要以上に情報を隠し、先生との関係を更に悪化させる理由は無い」
先生はしばらく黒服を見る。
「ホシノは返さないのに?」
「ええ」
黒服は迷わなかった。
「小鳥遊ホシノさんへの研究者としての興味と、先生との関係を無用に損ないたくないという考えは、私の中では矛盾しません」
「随分都合が良いね」
「そうかもしれません」
否定しなかった。
先生は僅かに目を細める。
「でも、さっき言った通り」
一拍。
「教えてくれたことには感謝する」
「ええ。それで十分です」
先生は黒服を信用した訳ではない。
許した訳でもない。
だが、目の前の男が単純な敵意だけで動いている訳ではないことは分かった。
同時に。
ホシノを巡る限り、両者の目的が相容れないことも変わらない。
「ただし、場所が分かったからといって、簡単に辿り着けるとは思わないことです」
黒服が静かに告げる。
「カイザーPMCの主要基地。当然、相応の防衛戦力があります」
「分かってる」
「道路も周辺土地も彼らの管理下」
「それも分かってる」
「今の対策委員会だけでは、突破は困難でしょう」
「だから、一人で何とかするつもりは無いって言ったでしょ」
先生は端末を握り直す。
「必要なら頼るよ。頼れる人達に」
黒服は答えず、その姿を見ていた。
「それと、もう一つ」
「何?」
「契約が成立していなかったという事実を、カイザー側も好意的には受け取らないでしょう」
先生の目が僅かに鋭くなる。
「彼らが欲していたものは、私とは異なると申し上げた筈です」
ホシノを研究したい黒服。
ホシノをアビドスから引き離しておきたいカイザー。
「契約が成立していない以上、小鳥遊ホシノさんがアビドスへ戻る可能性が生じた」
「……」
「それをカイザーがどう判断するか。先生にも想像が付くのでは?」
先生は答えなかった。
だが、意味は理解している。
ホシノが居ない今のアビドス。
その状況をカイザーが好機と考えているのなら。
ホシノが戻る前に、その好機を使おうとする可能性がある。
先生は席を立った。
「急いで戻る」
「ええ。その方がよろしいでしょう」
もう、この場で確認すべきことは残っていない。
先生は扉へ向かう。
手を掛ける直前、足を止めた。
振り返る。
「ホシノは連れて帰るよ」
黒服は静かに先生を見る。
「そう簡単にはいかないでしょう」
「それでも」
先生の答えに迷いは無かった。
「連れて帰る」
黒服は止めなかった。
先生はそのまま扉を開き、部屋の外へ出て行く。
扉が閉まる。
誰も居なくなった室内で、黒服はしばらくその扉を見つめていた。
先生にはもっと多くを求める資格がある。
真理を。
神秘を。
この世界そのものを。
それでも彼女は、一人の生徒を優先した。
「……先生、ですか」
先程までとは僅かに違う響きで、その呼称を口にする。
理解し難い。
だからこそ。
「実に、興味深い」
小さな声だけが、薄暗い部屋に残った。
* * *
先生がアビドス高等学校へ戻った頃には、すでに日が傾き始めていた。
校舎へ入ると、待っていたシロコが真っ先に姿を現した。
「先生」
「ただいま」
「怪我は?」
「無いよ」
シロコは先生の頭から足元まで確認するように視線を動かし、ようやく僅かに肩の力を抜いた。
「……良かった」
「心配かけたね」
「ん。かなり」
その後ろからセリカも姿を見せる。
「遅い!」
「ごめん」
「連絡は取れるし、場所も分かってるって聞いてても心配するに決まってるでしょ!」
「うん。分かってる」
「だったら次からはもう少し――」
そこまで言って、セリカは言葉を止めた。
先生の表情から、ただ話をして帰って来ただけではないと察したらしい。
「……何か分かったの?」
「うん」
先生は短く答えた。
「ホシノの居場所まで分かった」
シロコの表情が変わった。
「何処?」
「中で話そう」
二人を連れて教室へ戻る。
そこにはノノミとアヤネ、それに翔も待っていた。
「先生、お帰りなさい」
「お帰りなさい、先生!」
「ただいま」
翔は先生の様子を一通り確認すると、すぐに尋ねた。
「黒服は?」
「居たよ。話も出来た」
「何かされたか?」
「されてない。向こうも最初から話をするつもりだったみたい」
翔は僅かに眉を寄せたが、それ以上は追及しなかった。
先生は皆が集まっている机へ近付き、端末を置いた。
「先に、黒服との話から説明するね」
全員の表情が引き締まる。
「ホシノが自分から黒服の所へ行って、契約書に署名したのは本当だった」
セリカが唇を噛んだ。
「……やっぱり」
「ただし」
先生は続ける。
「その契約、成立してない」
一瞬、教室が静まり返った。
「……どういうことですか?」
アヤネが最初に反応した。
「黒服との契約は、ホシノがアビドスを辞めて別の所属へ移ることを前提にしてた」
「移籍……」
「でも、ホシノの退学届は私が受理してない。移籍の手続きも終わってない」
先生ははっきりと言った。
「だからホシノは今も、アビドス高等学校の生徒」
シロコが僅かに目を見開く。
「黒服も認めた?」
「うん。契約は成立してないって、本人が認めたよ」
セリカが机へ両手を付いた。
「じゃあ、ホシノ先輩を連れて帰れるのね?」
「連れて帰る」
先生は迷わず答えた。
「ただ、その前に知っておかないといけないことがある」
端末を操作しながら、先生は黒服から聞いた契約内容を伝えていく。
「ホシノは、自分が向こうへ行く代わりに色々な条件を付けてた。アビドスや対策委員会、私、周辺の人達に手を出さないこと。それから――仮面ライダーも追わないこと」
「……仮面ライダーも?」
翔の声が僅かに低くなる。
「うん。追跡も、捕獲も、研究対象にすることも禁止するよう求めたって」
翔は何も言わなかった。
ただ、視線だけが僅かに落ちる。
屋上で話した時。
ホシノはいつもの調子で笑っていた。
翔はそれでも、彼女が一人で何かを抱え込もうとしていることには気付いていた。
あの時、もっと踏み込めていれば。
ホシノが何処まで追い詰められていたのか、もう少し早く気付けていれば。
最後に彼女と向き合った時も、結局は止め切れなかった。
翔は膝の上で拳を握った。
腹が立った。
ホシノにではない。
あれだけ近くにいたのに手を差し伸べられなかった自分自身に。
「でも」
先生が続ける。
「契約そのものが成立してない以上、その条件も契約として相手を縛るものにはなってない」
教室の空気が変わった。
「……待って」
セリカの顔から血の気が引く。
「それって……私達に手を出さないって約束も?」
「少なくとも、その契約を根拠に保証されてる訳じゃない」
「そんな……」
「黒服自身が今すぐ何かするって言った訳じゃないよ」
先生はそこを明確にした。
「むしろ黒服は、私とは必要以上に関係を悪くしたくないって言ってた」
「じゃあ……」
「でも、カイザーは別」
先生は端末へ表示された地図を拡大する。
「黒服とカイザーは、同じ目的で動いてる訳じゃなかった」
翔が顔を上げる。
「どう違う?」
「黒服が欲しいのは、ホシノ自身が持ってる何か。黒服はそれを『神秘』って呼んでた」
「神秘……?」
アヤネが聞き慣れない言葉を繰り返す。
「私も今日初めて、そういう意味で聞いた。詳しいことはまだ分からない」
先生は余計な推測を加えず、そのまま続けた。
「黒服は、それを研究したい」
「カイザーは?」
シロコが問う。
「カイザーが欲しかったのは、ホシノがアビドスに居ない状況」
誰もすぐには言葉を発しなかった。
「……ホシノ先輩を?」
ノノミの声が沈む。
「うん。ホシノが居なくなれば、アビドスの戦力が大きく落ちる。黒服はホシノを研究出来る。カイザーはホシノをアビドスから切り離せる。それで利害が一致してた」
アヤネの表情が険しくなる。
「では、契約が成立していないとカイザーが知ったら……」
「ホシノが戻ってくる可能性が生まれる」
先生が答えた。
「黒服もそこを警告してきた。カイザーがどう判断するかは分からない。でも、今の状況を好機だと思ってるなら――」
「ホシノ先輩が戻る前に動く」
シロコが言った。
「その可能性はある」
先生は否定しなかった。
途端にシロコが踵を返す。
「行こう」
「シロコ」
「今すぐ」
先生が呼び止めても、シロコは振り返っただけだった。
「ホシノ先輩が居る場所も分かった。カイザーが動くかもしれない。待つ理由が無い」
「私も待つつもりは無いよ」
「なら――」
「でも、今の人数で突っ込んでもホシノを助けられない」
先生の声が強くなる。
シロコの足が止まった。
「場所はここ」
先生が地図を表示する。
アビドス砂漠中央部。
巨大な敷地を持つカイザーPMCの主要基地が、画面の中央へ浮かび上がった。
「ホシノは、この地下研究区画に居る」
「地下……」
セリカの表情が険しくなる。
「黒服が教えたの?」
「基地まではこっちで絞り込んだ。地下研究区画に居るって最後に教えてくれた」
アヤネがすぐに基地情報を開き始める。
表示範囲が広がり、外周道路、車両出入口、周囲の地形が映し出されていく。
「……大きいです」
「うん」
「外周だけでもかなりの警備が必要な規模です。車両用の出入口も複数ありますし、地下区画となると内部構造も分かりません」
「それだけじゃない」
翔が地図を見ながら口を開く。
「カイザーの研究施設なら、疑似メモリ兵器が配備されててもおかしくない。人工ガイアメモリの研究も続いてる」
以前、地下で見た新型の人工メモリ。
生体コネクターへ深く挿入され、使用者の全身を変貌させたもの。
「あそこで使われてた物より更に新しい物が無いとも限らない」
「……」
「ホシノの所まで辿り着くことだけ考えちゃ駄目だ」
翔は基地から周辺道路へ視線を移した。
「救出した後、全員でここから出ないといけない」
「うん」
先生も同意する。
「外周を突破して、基地の中へ入って、地下まで降りて、ホシノを見つける。それから連れて帰る」
どこか一つでも失敗すれば終わる。
「今の私達だけじゃ足りない」
ノノミが静かに言った。
「……人数も、出来ることも」
「そうだね」
先生は頷いた。
「だから、借りる」
「借りる?」
セリカが先生を見る。
「力を」
先生は全員を見回した。
「私達だけで足りないなら、助けてくれる人を増やせば良い」
それは、ホシノが選んだやり方とは正反対だった。
一人で抱え、一人で代わりになろうとしたホシノ。
先生はそうしない。
足りないなら認める。
そして、頼る。
「……風紀委員会」
翔が口を開いた。
「今回の件、もう俺個人に任されてる調査の範囲じゃない」
携帯端末を取り出す。
「疑似メモリ兵器の流通。人工ガイアメモリ。生体コネクターを使った新型。それに、地下施設で回収した研究資料。今まで報告してきた物と今回のカイザー主要基地を繋げれば、正式に動く材料は十分ある」
「ヒナ達に連絡出来る?」
「ああ」
翔は即答した。
「今までの調査内容を纏めて、ヒナとアコに送る。ホシノの件も含めてな」
「私からもシャーレとして正式に協力を頼む」
「分かった」
翔は端末の操作を始める。
「それなら話は早い」
先生も自分の端末へ視線を落とした。
「私も別の人達に連絡する」
「誰?」
シロコが尋ねる。
「まずは便利屋68」
セリカが目を見開いた。
「……便利屋68?」
「うん」
「本気?」
「本気だよ」
先生は静かに答えた。
「前にカイザー側から仕事を受けたことがある。ブラックマーケットの件でも一緒に動いた。それに、四人とも実力は十分ある」
「でも……」
「今回は正式にシャーレから仕事として頼む」
先生は言葉を重ねる。
「何をするのか、相手が誰なのか、どれだけ危険なのか。全部説明する。その上で受けてくれるなら、報酬もちゃんと払う」
翔が端末から顔を上げた。
「便利屋なら、話くらいは聞くだろうな」
「うん」
先生は頷く。
「それから、ヒフミにも連絡してみる」
「ヒフミさんに?」
ノノミが反応する。
「ブラックマーケットの件を一緒に見てるから、今回の話も無関係じゃない」
先生は少し考えてから続ける。
「いきなりトリニティ全体に大人数を出してって頼むつもりは無いよ。でも、ヒフミに事情を伝えて、向こうで相談出来る相手が居るなら話を繋いでもらいたい」
「協力してくれるでしょうか……」
アヤネが不安そうに尋ねる。
「分からない」
先生は正直に答えた。
「だから頼んでみる」
誰がどこまで力を貸してくれるかは、まだ分からない。
それでも、声を掛けなければ何も始まらない。
「先生」
シロコが地図を見つめたまま呼ぶ。
「何?」
「いつ行く?」
「準備が出来次第」
「出来るだけ早く」
「うん」
先生は頷いた。
「カイザーが先に動く可能性もある。だから、のんびり準備する時間は無い」
翔も同意するように頷く。
「こっちも急いで風紀委員会に上げる」
「お願い」
教室の中で、それぞれが動き始めた。
翔は風紀委員会への報告を纏め、アヤネはカイザー基地周辺の地形と経路を洗い直す。ノノミとセリカは現在使える装備と弾薬の確認へ向かい、シロコは先生の隣で地図から目を離さなかった。
「ホシノ先輩を連れて帰る」
小さな声だった。
だが、その言葉には迷いが無い。
「うん」
先生は同じ地図を見つめる。
「絶対に」
「絶対に」
先生は同じ言葉を返した。
行き先は、もう分かっている。
ホシノが今もアビドスの生徒であることも。
彼女を縛っていたはずの契約が、最初から成立していなかったことも。
なら、残っているのは一つだけだった。
どうすれば、あの場所からホシノを連れて帰れるのか。
足りないなら頼る。
届かないなら手を借りる。
一人で背負わせるのではなく、皆で迎えに行く。
先生は端末を手に取り、最初の連絡先を開いた。
便利屋68。
今度は、誰かに利用されるための仕事ではない。
小鳥遊ホシノを連れて帰るための仕事を、正式に依頼するために。