青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
ようやくアビドス編も終盤です。
研究員は周囲を警戒しながら、先生たちのもとへ近づいてきた。
「あの……その少年は、大丈夫なんですか?」
彼の視線は、シロコとセリカに支えられている翔へ向けられていた。
先生は翔のそばに膝をついたまま、顔を上げる。
「意識を失ってる。すぐに医療班のところへ連れていきたいんだけど、昇降機が止められていてね」
「やはり……。先ほどから、主要な搬送設備は中央管制室の指示で停止したままです」
研究員は閉ざされた昇降機を一瞥すると、再び翔へ視線を向けた。
「……あの方に、助けていただいたんです」
「え?」
先生が思わず聞き返す。
「先ほど、黒い仮面の戦士と、剣を持った異形の男が戦っていましたよね。その時、頭上の搬送設備が壊れて、私のところへ落ちてきたんです」
研究員は自分の肩を押さえながら、言葉を続けた。
「逃げようにも間に合わなくて、もう駄目だと思いました。でも、あの仮面の戦士が飛び込んできて、私を助けてくれたんです。代わりにあの方が設備の下敷きになりかけて……」
「……そんなことがあったんだ」
先生は、意識を失っている翔へ目を向けた。
マネーとの戦いに駆けつけた時、彼はすでに負傷していた。それでも詳しい事情を話す暇もなく、ノノミのライフコインを取り戻すために戦い続けていたのだ。
「それで、保守室へ避難した後、施設の監視映像を確認していたんです。あの戦士が無事なのか、気になって……」
研究員はそこで一度、言葉を詰まらせた。
「黒い姿から銀色の姿へ変わったところも、マネー・ドーパントを倒したところも見ました。そして、最後に変身が解けて、倒れてしまったところまで……」
先生は研究員の顔を見た。
「……それで、翔だって分かったんだね」
「はい。まさか、こんなに若い方だったとは思いませんでした」
研究員は翔の前へ進み出ると、申し訳なさそうに眉を寄せた。
「私を助けた時も、すでに怪我をしていたんです。それなのに、あれほど激しい戦いを続けて……」
「……そっか」
先生は小さく息を吐き、翔の顔を見つめた。
「まったく、翔は……」
呆れたような言葉とは裏腹に、その声には心配が滲んでいた。
研究員はしばらく翔を見つめていたが、やがて何かを決意したように顔を上げた。
「……皆さん、こちらへ来てください」
彼は自分が出てきた扉を振り返る。
「この先は設備保守用の通路です。一般の職員には開けられない扉もありますが、私の職員証なら、少なくとも地上の保守搬入口付近までは案内できます」
「本当に?」
「はい。ただ、私が開けられるのは保守区画だけです。警備システム全体を解除することはできませんし、地上側の状況も分かりません」
「それで十分だよ。地上には、私たちの仲間がいるから」
先生が答えると、研究員は安堵したように息を吐いた。
「では、急ぎましょう。私の命を救ってくださった方です。今度は私に、できることをさせてください」
先生は頷き、すぐにアヤネへ顔を向けた。
「アヤネ、アコに連絡して。設備保守用の通路から、地上の裏側にある搬入口へ向かうって」
「はい!」
アヤネが端末を操作している間に、研究員は保守通路の奥へ引き返した。
「少し待っていてください。負傷者用の担架があります。運搬用の車輪も付いているので、この通路なら使えるはずです」
研究員はそう告げると、保守通路の奥へ足早に引き返した。
待っている間、先生は翔のそばに膝をつき、もう一度呼吸と脈を確かめた。意識は依然として戻らないが、先ほどから大きな変化はない。左肩に施した応急処置を確認し、できるだけ身体を動かさずに済むよう、シロコとセリカに支えてもらう。
「先生、翔は……」
セリカが心配そうに尋ねる。
「今のところ、呼吸も脈もあるよ。でも、詳しいことはお医者さんに診てもらわないと分からない。なるべく早く地上へ出よう」
「……うん」
セリカは翔へ視線を落とし、その身体を支える手に少しだけ力を込めた。
やがて研究員が戻ってきた。押しているのは車輪の付いた折り畳み式の担架で、保守区画内で負傷者を搬送するための備品らしい。
「お待たせしました。こちらへ乗せましょう」
先生とシロコが協力し、翔を慎重に担架へ移す。左肩に負担が掛からないよう研究員も手を貸し、固定用のベルトを締めた。
「……よし。シロコ、私と一緒に翔を運ぼう。セリカは周囲の警戒をお願い」
「ん」
「任せて!」
「アヤネはホシノとノノミについていて。二人とも、まだ無理はしないでね」
「はい。ホシノ先輩、ノノミ先輩、ゆっくり行きましょう」
ホシノは担架に横たわる翔へ目を向けた。
「……うん」
何か言いかけたものの、結局、静かに頷くだけだった。
研究員が職員証を認証装置へかざすと、保守通路の扉が開いた。
「こちらです。足元に段差がありますから、気をつけてください」
先生たちは翔を載せた担架を押し、細い通路へ入っていった。
天井には太い配管が走り、壁際には電気設備や点検用の装置が並んでいる。搬送ホールと違って人の気配はなく、時折、遠くで警報が響いていた。
研究員は先頭に立ち、扉を開けるたびに周囲の安全を確認した。
「途中の点検区画を抜ければ、地上の保守搬入口に繋がる搬出通路へ出られます」
「そこから外へ出られるんだね?」
「通常なら。ただ、今は中央管制室が設備を停止させています。途中の防火シャッターまで閉じられているかもしれません」
「そっか。じゃあ、その時は別の方法を考えよう」
先生は頷き、シロコと歩調を合わせて担架を押した。
翔の意識は、まだ戻らない。
彼の顔を見るたびに、先生は研究員から聞いた話を思い出した。ナスカとの戦いの最中、敵側の職員を助けるために、自分の身を危険に晒したという。
翔らしいといえば、あまりにも翔らしい。
けれど、その無茶が今の負傷に繋がっているのだと思うと、素直に感心してばかりもいられなかった。
研究員が少し先の角を曲がり、ある扉の前で足を止めた。
「あ……そうだ。皆さん、少しだけこちらへ寄れますか?」
「どうしたの?」
「この先は搬出待機区画です。押収された装備なども、地上へ運ぶ前に一時保管されることがあります。あなたの装備も、ここにあるかもしれません」
研究員の視線がホシノへ向けられた。
「……私の?」
「はい。拘束した方から取り上げた武器や通信機は、通常、研究区画へ持ち込めません。こちらへ回されている可能性があります」
ホシノが思わず顔を上げる。
先生は翔の様子をもう一度確認してから、研究員へ頷いた。
「通り道なら、確認しよう。ただし、長居はしないよ」
「もちろんです」
研究員が職員証をかざすと、搬出待機区画の扉が開いた。
中には大小のコンテナや、管理番号の付けられた保管棚が整然と並んでいた。研究員が案内板を確かめる間、シロコとセリカは周囲を警戒し、先生は翔の担架のそばに残る。
やがて、シロコがある一角で足を止めた。
「……先生、これ」
そこには、一挺のショットガンと大きな盾が置かれていた。
「あ……」
ホシノの口から、小さな声が漏れる。
見間違えるはずがなかった。
毎日のように手入れをし、アビドスのみんなを守るために使ってきた、自分の装備だった。
「ホシノ先輩のだ!」
セリカが駆け寄る。
盾の隣には、小さな袋に入れられた通信機も置かれていた。
「通信機もあります!」
アヤネが声を上げた。
保管棚には封印が施されていたが、研究員によれば、ここは地上への搬出前に物品を整理する区画であり、封印自体は簡易的なものだった。彼から工具を借りたシロコが固定具を外し、慎重に装備を取り出す。
「ホシノ先輩」
シロコがショットガンを差し出した。
ホシノはゆっくりと手を伸ばし、その銃身へ触れた。
冷たい金属の感触が、指先に伝わる。
「……そっか」
小さく呟き、隣に置かれた盾へ視線を向けた。
捕らえられた時から、ずっと手元になかったもの。もう二度と持てないかもしれないと、考えないようにしていたもの。
それが、今は目の前にある。
「……本当に、帰れるんだね」
「当たり前じゃないですか!」
セリカが答えた。
「そのために、みんなでここまで来たんですから!」
「ん。帰ろう、ホシノ先輩」
シロコも静かに頷く。
ホシノは二人の顔を見て、少しだけ目を細めた。
「……うん。ありがとう」
そして、もう一度、自分の盾へ触れた。
今すぐ、これを構えて戦う必要はない。今日は、後輩たちに頼ってもいい。
「シロコちゃん、悪いんだけど……もう少しだけ、持っててもらっていい?」
「ん。任せて」
シロコは盾を引き受け背に背負う、セリカがショットガンと通信機を確保した。移動や戦闘の邪魔にならないよう、研究員の手を借りて担架の空いた荷物台へ固定する。
ホシノは二人へ礼を言うと、再び翔のそばへ戻った。
先生はその様子を見届け、研究員へ頷いた。
「ありがとう。もう行けるよ」
「では、こちらへ」
一行は搬出待機区画を後にした。
その先で、保守通路は緩やかな上り坂になっていた。地上へ近づくにつれ、遠くから銃声や車両の走行音が聞こえてくる。
やがて、研究員が足を止めた。
「……やはり、閉まっていますね」
目の前には、大きな防火シャッターが下りていた。
脇にある認証装置には、中央管制室による閉鎖を示す赤い表示が灯っている。研究員が職員証をかざしても、扉は開かなかった。
「駄目か……」
先生が周囲を見回す。
引き返して別の道を探すには、時間が掛かりすぎる。
「何とか開けられる?」
「非常時用の手動開放装置があります。ただ、少し時間が必要です」
「お願い。私たちで周囲を警戒するから」
研究員は頷き、壁際の点検パネルを開いた。
その時だった。
「先生。向こうから足音!」
通ってきた通路の奥へ、セリカが銃を向ける。
複数の足音が近づいていた。
シロコも銃を構え、先生へ目を向ける。
「追っ手かもしれない」
先生は通路の幅と、両側に並ぶ配管設備を素早く確認した。
「二人とも、曲がり角の手前で足止めをお願い。無理に倒そうとしなくていいから、近づかせないようにして」
「ん!」
「了解!」
シロコとセリカが前進し、遮蔽物になりそうな配管設備の陰へ身を寄せた。
程なくして、通路の向こうに武装した警備員たちが現れた。
「いたぞ! 逃がすな!」
声と同時に銃撃が始まる。
シロコは素早く身を引き、配管設備の陰から応射した。セリカも反対側へ移動し、二人で相手の進路を牽制する。
狭い通路では、一度に前へ出られる人数が限られる。敵に突破を急がせないよう、先生は二人の射撃と後退のタイミングを調整した。
「シロコ、右側の配管を遮蔽物にして! セリカは撃ったら一度下がって。追いかけなくていい!」
「ん!」
「分かった!」
一方、研究員は点検パネルの奥にある手動開放装置を操作していた。
「……もう少しです!」
金属が擦れる音と共に、シャッターが僅かに持ち上がり始める。
先生は翔の担架をシャッターの近くへ寄せ、アヤネへ声を掛けた。
「アヤネ、ホシノとノノミを先に通して。翔はその次に運ぶよ!」
「はい!」
ホシノは担架に横たわる翔を気にしていたが、先生と目が合うと頷いた。
「……分かった。向こうで待ってるね」
シャッターが人の通れる高さまで上がったところで、研究員が声を上げる。
「開きました! 早く!」
アヤネに付き添われ、ホシノとノノミが先に通り抜ける。続いて先生が担架の前方を持ち、研究員と協力して翔を慎重に通過させた。
「シロコ、セリカ! 撤収!」
先生の声に、二人が順番に後退する。
セリカが先にシャッターを潜り、最後にシロコが短い牽制射撃を加えて通り抜けた。
研究員が手動装置を戻すと、シャッターがゆっくりと下り始める。
追ってきた警備員たちが駆け寄ってきたものの、閉じていくシャッターを突破することはできなかった。
「……よし。今のうちに行きましょう」
研究員は額の汗を拭い、通路の奥を指差した。
そこには、外へ続く最後の扉が見えていた。
アヤネの端末から、アコの声が響く。
『アヤネさん! そちらの保守搬入口を確認できました。現在、こちらから部隊を回しています!』
「ありがとうございます! もうすぐ地上へ出られそうです!」
『負傷者の搬送準備も整っています。出口の周囲はこちらで確保しますので、急いでください!』
先生はその言葉に頷くと、翔の担架を押して扉へ向かった。
研究員が最後の認証装置へ職員証をかざす。
短い電子音。
重い扉が、ゆっくりと開いた。
地下の人工照明とは違う、外の光が差し込んでくる。
「……あ」
ホシノが目を細めた。
開いた扉の向こうには、地上の搬入用道路が広がっていた。
そして、その先に立っていたのは、ゲヘナ風紀委員会の面々だった。
「先生!」
アコが真っ先に駆け寄ってくる。
その後ろには、ヒナとチナツ、救護用品を積んだ車両が待機していた。
「みんな、無事……!」
アコは一行を見渡し、すぐに担架の上の翔へ視線を止めた。
「……翔さん!?」
チナツも駆け寄り、先生から翔の状態を聞きながら担架のそばへ膝をつく。
「意識は?」
「戻ってない。呼吸と脈はあるけど、左肩を負傷してる。ほかにも打撲があると思う」
「分かりました。すぐに診ます」
チナツは救護班へ指示を出し、翔の状態を確認し始めた。
ヒナは担架に横たわる翔の姿を見て、一瞬だけ表情を強張らせた。
しかし、すぐに委員長として周囲へ指示を出す。
「アコ、搬入口の警戒を継続。イオリたちにも、こちらへの接近を防ぐよう伝えて。チナツは翔と、救出された生徒たちをお願い」
「了解しました!」
アコが通信機を手に取り、イオリたちへ連絡を入れる。
ヒナは救護班が翔を引き受けるのを見届けると、先生へ向き直った。
「……救出できたのね」
「うん。みんなのおかげで、何とかね」
先生は後ろを振り返った。
ホシノはノノミとアヤネに付き添われながら、ようやく地上の光を浴びていた。傍らにはシロコとセリカが立っている。
ヒナは静かに頷く。
「そう。……よかった」
そして、もう一度翔へ視線を向けた。
担架に横たわる少年は、まだ目を覚まさない。
「……まったく」
小さく呟き、ヒナはチナツへ尋ねた。
「翔の容体は?」
「詳しい検査が必要ですが、今のところ呼吸と脈は安定しています。左肩の負傷と、全身の打撲が心配です」
「……そう」
ヒナは僅かに目を伏せた。
それから、先生へ向き直る。
「救護はこちらで引き受けるわ。先生たちも、まずは安全な場所へ移動して」
「ありがとう、ヒナ」
「……お礼は、全員が無事に帰ってからにして」
その言葉に、先生は小さく笑って頷いた。
研究員は少し離れた場所から、救護班が翔を運ぶ様子を見守っていた。
「……本当に、ありがとうございました」
先生が声を掛けると、研究員は首を横に振った。
「いえ。私は、助けていただいたお礼をしただけです」
彼は担架へ目を向けた。
「どうか、あの方にも伝えてください。助けてくださって、本当にありがとうございました、と」
「うん。翔が起きたら、必ず伝えるよ」
先生はそう答え、研究員へ微笑んだ。
チナツたちが翔の担架を救護車両へ運び込む。
ホシノはその姿を、じっと見つめていた。
自分を迎えに来てくれた少年が、今度は自分たちに助けられている。
胸の奥に、様々な感情が入り混じっていた。
それでも、もう一人で背負い込もうとは思わなかった。
「……先生」
ホシノが顔を上げる。
「翔くんも、ちゃんと連れて帰ろうね」
先生は強く頷いた。
「もちろん」
ノノミがホシノの手を取り、セリカとシロコもその隣に並んだ。アヤネは地上部隊との通信を終えると、全員が揃っていることを確かめる。
地下施設からの脱出は、こうして終わった。
* * *
最初に感じたのは、消毒液の微かな匂いだった。
次いで、窓から差し込む柔らかな日差しと、誰かが小さな声で話しているのが分かった。
「……ん……」
翔はゆっくりと目を開けた。
白い天井。傍らのカーテンと、枕元の棚に置かれた水の入ったコップ。しばらくぼんやりと眺めていたが、身体を起こそうとした途端、左肩に鈍い痛みが走った。
「……痛っ」
「あ、翔くん!」
すぐ近くから声がした。
顔を向けると、ベッドの隣に座っていたホシノが、目を丸くしてこちらを見つめていた。
「起きた! 先生、翔くんが起きたよ!」
「えっ、本当!?」
慌ただしい足音が聞こえ、カーテンの向こうから先生が顔を覗かせた。
「翔! 私が分かる?」
「……先生?」
「うん、よかった。今いる場所は?」
翔はもう一度、周囲を見回した。
「……保健室?」
「正解。アビドス高校の保健室だよ」
「アビドス……」
そこでようやく、地下施設での出来事が頭の中に戻ってきた。
黒服との戦い。初めて使ったMETALメモリ。そして、マネー・ドーパントを倒した後、急に身体が動かなくなったこと。
「……そうだ、みんなは!?」
翔が勢いよく起き上がろうとする。
「痛っ!」
「ほら、動かない!」
先生が慌てて肩を支えた。
「左肩を怪我してるんだから。しばらく安静にしてなきゃ駄目だよ」
「いや、でも……」
「みんな無事。ノノミも、ホシノもね」
その言葉を聞いて、翔はようやく力を抜いた。
「……そっか」
「おじさんなら、ここにいるよ~」
ホシノがいつもの調子で片手を上げる。
けれど、その目元には少しだけ疲れが残っていた。
「……おはよう、翔くん」
「ああ。おはよう、ホシノ」
「まったく、ずいぶん心配させてくれたねえ」
「……ごめん」
「ほんとだよ。おじさんたちを助けに来てくれたのに、最後は自分が倒れちゃうんだもん」
ホシノは軽く頬を膨らませた。しかし、すぐに表情を緩める。
「……でも、ありがとうね。翔くん」
その声は、いつもより少しだけ静かだった。
「おじさん、ちゃんと帰ってこられたよ」
翔は彼女の顔を見つめ、それから小さく笑った。
「……よかった」
「それはこっちの台詞だよ。翔くんまで帰ってこなかったら、どうしようかと思ったんだから」
「……面目ない」
「うへへ。しっかり反省してもらわないとねえ」
そう言いながら、ホシノは翔の無事を確かめるように、もう一度その顔を覗き込んだ。
先生は二人のやり取りを見届けると、ベッドの脇に椅子を引き寄せた。
「さて。まだ聞きたいこと、いっぱいあるでしょ?」
「ああ。俺が倒れた後、どうなったんだ?」
「じゃあ、順番に説明するね」
先生は地下施設からの脱出について話し始めた。
昇降機が閉鎖されていたこと。設備保守担当の研究員が現れ、職員証で開けられる保守通路を案内してくれたこと。そして、その途中でホシノのショットガンや盾、通信機も取り戻せたこと。
「……あの研究員が?」
「うん。実は、翔に助けられたんだってね」
翔は一瞬、目を丸くした。
「……ああ。無事だったのか、あの人」
「無事だよ。保守室へ避難した後も、翔のことが気になって監視映像を確認してたみたい。マネーを倒したところも、その後に変身が解けて倒れたところも見てたんだって」
先生は少しだけ頬を膨らませた。
「それにしても、そんなことがあったなら、ちゃんと教えてほしかったな」
「……いや、あの時はノノミのこともあったし」
「それは分かってるけど、怪我の程度くらいは教えてよ。研究員さんから話を聞いて、びっくりしたんだから」
「……ごめんなさい」
翔が素直に謝ると、先生は小さく息を吐いた。
「まあ、そのお説教は後にしようか。研究員さんも、翔が目を覚ましたらお礼を伝えてほしいって言ってたよ」
「……そっか」
翔は安心したように微笑んだ。
「俺からも、ありがとうって伝えたいな」
「うん。元気になったらね」
研究員は地上へ出た後、事情を聞くために別途保護されたらしい。今は事件の調査にも協力してくれているという。先生は翔の正体について、不必要にほかの職員へ話さないようお願いしたことも伝えた。
「それから、地上で合流した後のことだけどね」
先生は続けて、風紀委員会の救護班が翔を引き受け、チナツによる応急処置と医療施設での検査を受けたことを説明した。
「幸い、命に関わるような状態ではないって。ただ、左肩の怪我に加えて、脇腹や背中の打撲もあるし、かなり無理をしてたみたい。しばらくは安静にすること」
「……了解」
「ちなみに、あれから一晩経ってるよ。昨夜のうちに、ここの保健室へ運んでもらったんだ」
「……そんなに寝てたのか」
翔は包帯の巻かれた左肩を見た。
「チナツにも、後でお礼を言わないとな」
「うん。それと、ヒナにもちゃんと連絡すること。すっごく心配してたよ」
「……ああ。怒られるだろうな」
「アコも、なかなか大変だったみたい」
「……アコが?」
先生は思い出したように笑った。
「翔の容体が落ち着いたって聞いた時、『委員長にこれ以上心配を掛けないでください! どうして毎回、そうやって無茶ばかりするんですか!』って、ずいぶん怒ってたよ」
「……あいつらしいな」
「その後も、チナツに翔の怪我の具合とか、いつ目を覚ましそうかとか、いろいろ確認してたみたい」
翔は思わず苦笑した。
「……それ、戻ったら絶対に説教されるやつだ」
「うん。私もそう思う」
先生は楽しそうに頷いた。
「それから、マスターにも連絡してあるよ。翔が無事だって伝えたら、帰ってきてからゆっくり話を聞くって」
「……マスターにもか」
翔は天井を見上げた。
ニャン次郎がどんな顔で自分の帰りを待っているのか、何となく想像できてしまう。電話越しには、きっと普段と変わらない調子だったのだろう。だからこそ、実際に顔を合わせた時には何を言われるのか、少し怖い。
「……ちゃんと帰らないとな」
「うん。みんな待ってるよ」
先生はそう答えると、少しだけ表情を引き締めた。
「それと、事件の後始末の話もしておこうか」
「まず、ライフコインのことなんだけど」
「ああ。ノノミ以外の人たちのコインは?」
「全部、無事に持ち帰ってるよ。今は安全な場所で保管して、持ち主を特定するための準備を進めてるところ」
先生は、セリカが回収した複数のライフコインについて説明した。
ノノミのコインは無事に本人へ返すことができたが、残りのコインについては、誰から奪われたものなのか分かっていない。施設から確保した資料や関係者の証言を調べ、被害者を探す必要があるという。
「……よかった」
「ただ、今回回収できたのは、あの時マネーの身体に残っていたものだけだからね。ほかの場所に保管されていたものや、すでに使われたものがないかも、これから調べないと」
「……そうだな」
翔は静かに頷いた。
あの男がこれまで何人から生命力を奪ってきたのか、その全容はまだ分かっていない。それでも、今回取り戻したコインを持ち主へ返せれば、少なくともその人たちは助けられる。
「……そうだ。理事の方は?」
「身柄を確保できたよ。今はヴァルキューレに引き渡されて、事情聴取の準備が進められてる」
「……確保できたのか?」
翔は少し意外そうに目を瞬かせた。
地下施設に残っていたカイザーの兵力は、決して少なくなかった。理事本人を倒したとはいえ、組織全体の戦力が失われたわけではない。むしろ、まともにぶつかれば、こちらの方が圧倒的に不利だったはずだ。
「あの状況だし、てっきりカイザー側に回収されると思ってた」
「うん。だから、こっちも急いで動いてもらったんだ」
先生によれば、地下施設から脱出する際、アヤネを通じて地上の風紀委員会へ連絡を入れていたらしい。
マネー・ドーパントを撃破したこと。そして、変身が解除された理事が、地下の搬送ホールで意識を失っていること。
その報告を受けたアコは、すぐにヒナと対応を協議した。
「それで、イオリたちが理事の確保に向かってくれたんだ」
「イオリたちが?」
「うん。風紀委員会は、その時点ですでに地上の主要な搬入口と、その先の経路を確保してくれてたからね」
イオリは少数の部隊を率い、確保済みの搬入口から地下へ向かった。
先生たちが利用しようとした貨物用昇降機は停止していたが、搬入口側には警備員用の連絡通路が残っていた。イオリたちはそこを使って搬送ホールへ回り、まだ意識を取り戻していなかった理事を発見したという。
「理事が倒れたことで、現場の指揮系統も混乱してたみたい。もちろん、それだけでカイザーの兵隊がいなくなったわけじゃないから、イオリたちも長居はしなかったけどね」
周辺の警備部隊が態勢を立て直すより早く、理事を拘束して撤収する。あくまで確保済みの経路を利用した、短時間の行動だった。
「……なるほどな」
翔は感心したように息を吐いた。
「でも、それでカイザーが黙って引き下がるとは思えないけど……」
「うん。実際、問題はそこからだったんだ」
先生は少しだけ表情を引き締めた。
地下施設には、依然として多数の警備部隊が残されていた。カイザーが保有する戦力も、あの施設に配置されたものだけではない。
理事を奪還するために増援を差し向けられれば、風紀委員会だけで長時間対抗するのは難しかった。
「だから、リンに緊急連絡を入れたんだ。今回の事件について報告して、持ち帰った資料や映像も提出したよ」
ホシノの誘拐と監禁。地下施設で行われていた実験。そして、ライフコインを利用した生命力の強奪。
さらに、疑似メモリ兵器の開発や流通にカイザーが関与していることを示す資料もあった。すべてを解明できたわけではないものの、少なくとも今回の事件について、カイザーの責任を追及するだけの材料は揃っていた。
「リンも、すぐに動いてくれたよ。連邦生徒会からカイザー本体へ正式に抗議して、事件の調査への協力と、理事の身柄引き渡しを要求したんだ」
「……連邦生徒会が直接?」
「うん。それに、要求を拒否したり、風紀委員会へ攻撃を仕掛けたりした場合は、ヴァルキューレによる武力介入も検討するって」
その話を聞いて、翔は小さく息を吐いた。
「……なるほど。さすがに、そこまで話が大きくなれば……」
「うん。カイザーも、簡単には手を出せなくなったみたい」
カイザーが保有する戦力は、依然として強大だった。実際に武力衝突となれば、風紀委員会だけでなく、連邦生徒会やヴァルキューレにも相応の被害が出る可能性はある。
しかし、今回の事件に関する証拠が連邦生徒会へ渡った以上、理事一人を取り戻すために公然と交戦すれば、カイザーという企業全体がさらに厳しい追及を受けることになる。
最終的に、カイザー上層部は残存部隊へ交戦停止を指示。理事の身柄についても、連邦生徒会の要求を受け入れたという。
「……つまり、カイザーが理事を切り捨てたってことか」
「少なくとも、今回の件ではそういう判断をしたみたいだね」
先生は頷いた。
「その後、理事はヴァルキューレに引き渡されたよ。今は今回の事件について、正式な調査が進められてる」
「……そっか」
翔はようやく安堵したように息を吐いた。
あの理事が再びホシノたちを狙う可能性を、ひとまず遠ざけられた。それだけでも、今回の戦いには大きな意味があった。
もっとも、先生の話はそこで終わらなかった。
「ただし、カイザーそのものがなくなったわけじゃないよ。施設全体を制圧できたわけでもないし、関係者の中には、所在が分からなくなった人もいるみたい」
「……だろうな」
「押収できなかった資料もあるし、疑似メモリ兵器の流通についても、まだ調べなきゃいけないことが多い。連邦生徒会も、引き続きカイザーへの調査を進めるって」
翔は静かに頷いた。
理事がいなくなったからといって、カイザーの研究や計画がすべて止まるとは考えにくい。ブラックマーケットを中心に広がり始めた疑似メモリ兵器についても、これから対処していく必要があるだろう。
それに、黒服もまだいる。
あの男が何を考え、これからどう動くのか。METALメモリを渡してきた意図も含めて、分からないことは山ほど残っていた。
「……まあ、全部を今すぐ何とかするのは無理か」
「そういうこと。だから、翔はまず怪我を治すこと」
「……はい」
先生の言葉に、翔は苦笑した。
「それから、地上で協力してくれた人たちのことも話しておこうかな」
先生は続けて、便利屋68とトリニティ側の動きについても説明した。
便利屋68は、地下での救出作戦が進んでいる間、施設の外周で敵部隊の動きを警戒し、撤収経路の確保にも協力してくれていたらしい。
「アルたちも協力してくれたんだな」
「うん。カヨコが中心になって、外側の状況をいろいろ教えてくれたよ。私たちが地上へ戻った後も、しばらく周辺を警戒してくれてたみたい」
「……そっか」
翔は、便利屋68の面々の顔を思い浮かべた。
最初はカイザーの依頼を受けてアビドスを襲撃していた彼女たちが、最後には救出作戦へ協力することになった。何とも不思議な巡り合わせだった。
「それで、アルたちは?」
「必要な情報を伝えた後、風紀委員会と鉢合わせする前に撤収したみたい。カヨコが上手く判断したんだろうね」
「ああ……それは正解かもしれないな」
翔は思わず苦笑した。
イオリたちと正面から顔を合わせれば、せっかく終わった救出作戦の後に、また別の騒動が始まりかねない。
「もっとも、今回の件でカイザーから受けていた依頼については、改めて整理しなきゃいけないこともあるだろうけどね」
「……まあ、あいつらにも事情があるだろうしな」
「うん。そこは必要な報告をまとめてから考えようと思ってる」
先生はそう答えると、今度はトリニティ側について話し始めた。
「それから、ナギサも外側から連絡や物資の調整を手伝ってくれたんだ。今回の件はアビドスだけで収まる問題じゃないから、トリニティとしても情報を共有したいって」
「……ナギサも動いてくれてたのか」
「うん。直接施設へ来たわけじゃないけど、いろいろ助けてもらったよ」
ナギサはトリニティ側の窓口として、救出作戦に必要な物資や連絡の調整を進めていたという。また、事件の証拠やカイザーの関与についても、先生を通じて情報を共有することになっていた。
「ヒフミも、安全な場所で待っててくれたよ。ホシノたちが戻ってきた時は、すごく喜んでた」
「……そっか。ヒフミも心配してくれてたんだな」
「うん。落ち着いたら、ちゃんとお礼を言ってあげてね」
「ああ。ナギサにも、改めてお礼を伝えないとな」
翔はそう答え、枕へ身体を預けた。
便利屋68に、ゲヘナ風紀委員会。そして、トリニティや連邦生徒会。今回の救出作戦には、思っていた以上に多くの人たちが関わっていたらしい。
自分が黒服やマネーと戦っている間も、それぞれができることをしてくれていたのだ。
「……本当に、いろんな人に助けられたんだな」
「そうだね。もちろん、翔にもたくさん助けてもらったよ」
先生は柔らかく笑った。
「でも、これだけの人が協力してくれたんだから、今度は一人で全部背負おうとしなくてもいいんじゃないかな」
「……耳が痛いな」
「ふふっ。翔だけじゃなくて、ホシノにも言ってるんだけどね」
「うへっ!?」
突然話を振られたホシノが、わざとらしく肩を跳ねさせた。
「な、何のことかなあ? おじさん、ちょっと分からないねえ」
「ホシノ?」
「……はい」
先生にじっと見つめられ、ホシノは観念したように両手を上げた。
その様子がおかしくて、翔は思わず笑ってしまう。
「ははっ……痛っ」
「ほら、笑うのもほどほどに!」
「いや、先生が……」
「私のせいなの!?」
今度はホシノまで笑い始め、保健室に久しぶりの明るい声が響いた。
先生は二人を見比べると、呆れたように肩をすくめる。
「……まったく。二人とも、今は安静にしてなきゃ駄目なんだからね」
「はーい」
「……了解」
翔とホシノが揃って返事をすると、先生はますます何とも言えない表情になった。
そんなやり取りをしていた時、保健室の扉が開いた。
「あっ! 翔、起きたの!?」
真っ先に顔を出したのはセリカだった。その後ろから、シロコとアヤネ、そしてノノミが姿を現す。
「ん。おはよう、翔」
「よかった……! まだ起きないから、心配してたんですよ!」
「翔さん、お身体は大丈夫ですか?」
次々に声を掛けられ、翔は少しだけ面食らった。
「えっと……みんな、ありがとう。俺は大丈夫だから」
「全然大丈夫そうに見えないんだけど!」
セリカがすかさず突っ込んだ。
「そもそも、あれだけ無茶して倒れておいて、大丈夫なわけないでしょ!」
「……はい。すみません」
素直に謝る翔を見て、セリカはそれ以上言い返せなくなったらしい。小さく息を吐き、ベッドの横へ近づいた。
「……本当に、心配したんだからね」
「うん。ごめん」
シロコも静かに頷く。
「翔。次は、もっと早く頼って」
「……そうだな」
「私たちも、一緒に戦えるから」
その言葉に、翔は改めて全員の顔を見回した。
ホシノ、シロコ、セリカ、ノノミ、アヤネ。誰一人欠けることなく、こうして自分の前に立っている。
先生も、すぐそばで笑っていた。
「……ああ。次は、もっと頼りにさせてもらうよ」
「もちろんです!」
ノノミが嬉しそうに微笑んだ。
その顔色も、地下施設で倒れた時とは比べものにならないほどよくなっている。まだ安静は必要らしいが、こうして元気な声が聞けるだけでも、翔は心の底から安心できた。
先生はそんな翔の様子を眺めながら、ふと思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ。翔」
「ん?」
「怪我が治ったら、またメタルの変身を見せてもらってもいい?」
「……先生」
「いや、ほら。今回は戦闘中だったから、じっくり見られなかったし……」
「駄目です。まずは俺を休ませてください」
「そっかあ……」
心底残念そうな先生を見て、セリカが呆れたようにため息をつく。
「先生も先生で、何やってるのよ……」
「だって、銀色になるんだよ? しかも、専用の武器まで出てくるんだよ?」
「そこに食いつくんですか!?」
「……先生、今度また変身する機会があっても、戦闘中に見入らないでくれよ?」
「それは大丈夫。ちゃんと指揮はするから!」
「その自信はどこから来るんだ……」
翔が苦笑すると、保健室に再び笑い声が広がった。
しばらくして、アヤネが時計へ目を向ける。
「あっ、皆さん。そろそろ翔さんを休ませないと」
「そうだね。まだ起きたばっかりだし」
先生が頷くと、セリカも名残惜しそうにベッドから離れた。
「……じゃあ、ちゃんと寝てなさいよ。勝手にどこかへ行ったりしないでね」
「さすがに、この状態で出歩いたりしないって」
「本当でしょうね?」
「……信用ないなあ」
「誰のせいだと思ってるの!」
もっともな返答に、翔は苦笑するしかなかった。
ノノミもベッドのそばへ歩み寄り、穏やかに微笑んだ。
「翔さん、ゆっくり休んでくださいね。また後で、お見舞いに来ますから」
「ああ。ありがとう、ノノミ」
「ん。おやすみ、翔」
「おやすみ、シロコ」
対策委員会の面々が順番に保健室を出ていく。
最後まで残っていたホシノも、先生に促されて椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、おじさんもそろそろ行こうかなあ」
「ああ。ホシノも、まだ無理するなよ」
「うへへ。それ、そっくりそのまま返すよ」
ホシノはそう言って笑うと、ふとベッドの傍らに置かれた自分の盾へ目を向けた。
取り戻したショットガンも、その隣に大切に立て掛けられている。
地下施設では、もう二度と手に取れないかもしれないと思ったもの。それが今は、こうして自分のそばに戻ってきていた。
「……なあ、ホシノ」
「ん~?」
呼び掛けられたホシノが振り返る。
翔は彼女の顔を見つめ、自然と笑みを浮かべた。
「おかえり」
ホシノは一瞬だけ驚いたように瞬きをした。
それから、いつもの少し眠たげな笑顔を浮かべる。
「……うん」
「……うん」
ホシノは仲間たちの顔を見回し、最後に翔へ視線を戻した。
「ただいま、翔くん」
窓から差し込む日差しが、保健室を柔らかく照らしていた。