青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
ヴァルキューレ警察学校、公安局。
その一室では、カイザーの地下研究施設で拘束された理事への事情聴取が続いていた。
無機質な壁に囲まれた部屋の中央には、向かい合うように置かれた机と椅子が二脚。机の上には録音機器と、何冊もの資料が用意されている。
理事は椅子へ深く腰掛け、苛立たしげに腕を組んでいた。
地下施設から連行されて以来、彼は何度も事情を尋ねられている。しかし、自らの関与を認めることはなく、研究や兵器の流通についても、現場の判断によるものだという説明を繰り返していた。
そんな彼の前で、事情聴取室の扉が開いた。
「待たせたな」
入ってきたのは、鋭い目つきをした一人の少女だった。
ヴァルキューレ警察学校、公安局局長。尾刃カンナ。
その後ろから別の公安局員が入り、数冊の資料を机の上へ並べる。
「今日は私が担当する。尾刃カンナだ」
「……フン。今度は公安局長が直々にお出ましか」
理事は露骨に不愉快そうな声を漏らした。
「随分と大げさな対応だな。私は何度も同じ説明をしているはずだが?」
「ああ。これまでの供述は確認している」
カンナは淡々と答え、理事の向かいへ腰を下ろした。
「ただ、今回は少し事情が違う。新しい資料が届いたのでな」
「……ほう?」
理事が、わずかに眉を動かした。
「一体、どこから?」
「カイザー本社だ」
「……何?」
その答えに、理事は初めてまともにカンナの顔を見た。
「本社、だと?」
「ああ。お前が管理していた研究施設の運営記録、研究計画の承認履歴、関連部門の予算資料。それから、兵器の製造と流通に関する内部調査の報告書も提出されている」
カンナは、一冊の資料を理事の前へ置いた。
「カイザー本社は、今回の事件について全面的に捜査へ協力する意向だそうだ」
「……フン!」
理事は、どこか得意げに鼻を鳴らした。
「当然だ! 我が社は、社会的責任を十分に理解している企業なのだからな! 君たちが余計な疑いを掛けるまでもなく、適切な対応を取るに決まっている!」
「そうか」
カンナは短く答えた。
「なら、まずはこれを読んでもらおう」
理事は、差し出された報告書へ目を落とした。
最初のページには、今回の事件に関するカイザー本社の公式見解が記されている。
研究施設における違法な実験。
外部の不良集団を利用した生徒の誘拐。
疑似メモリ兵器の不正な製造と流通。
それらの項目を確認していた理事の視線が、ある一文で止まった。
「…………」
報告書には、今回発覚した一連の不正行為が、現地責任者による独断で実行されたものと記されていた。
さらに、その後のページには、理事自身が各研究計画を承認し、部下へ指示を出したことを示すという資料が添付されている。
「……待ちたまえ」
理事が顔を上げた。
「これは、どういうことだ?」
「読んでの通りだ。カイザー本社は、今回の事件について、お前が中心となって計画し、実行したと報告している」
「馬鹿な!」
理事は、勢いよく机を叩いた。
「確かに私は、アビドスにおける事業を任されていた! だが、すべての研究や兵器の流通を、私一人の判断で進められるわけがないだろう!」
「……ほう」
カンナが、わずかに目を細めた。
「つまり、お前以外にも指示を出した人物がいるということか?」
「…………!」
理事の動きが止まった。
カンナは何も言わず、彼の返答を待った。
やがて、理事は乱暴に椅子へもたれかかった。
「……フン。くだらん。君たちは、こんな報告書を鵜呑みにするつもりなのかね?」
「だから、本人に確認している」
「何?」
「お前の認識と、本社から提出された報告書には食い違いがあるようだからな。その理由を聞かせてもらいたい」
理事は、机の上へ視線を落とした。
カンナは別の資料を取り出す。
「まず、疑似メモリ兵器の開発と流通についてだ」
そこには、ゲヘナ自治区で押収された疑似メモリ兵器の一覧と、アビドスの地下施設から回収された研究記録の照合結果がまとめられていた。
「元研究員から提供された情報を基に調べたところ、ゲヘナで流通していた兵器と、地下施設で開発されていた装置の間に、共通する研究系列が確認された」
「……それがどうした?」
「カイザー本社も、この関連性を認めている。ただし、研究成果を不正に利用し、独断で兵器の製造と流通を進めたのは、お前だと説明している」
カンナは報告書の一部分を指差した。
「ここには、ブラックマーケットを通じた試験販売についても、お前が指示したと記されている」
「……馬鹿なことを!」
理事は吐き捨てた。
「疑似メモリ兵器の開発と市場投入は、我が社にとって重要な事業だったのだぞ! 私一人が勝手に進められるような規模ではない!」
「なら、本社も承認していたということか?」
「……っ!」
理事は口を閉ざした。
カンナは、静かに資料をめくった。
「この報告書では、研究成果を横流ししたお前が、独自の流通網を構築して利益を得ていたと説明されている。ほかの自治区へ流れた兵器についても、お前が責任者だったということになっているな」
「ふざけるな!」
理事が声を荒らげた。
「私が管理していたのはアビドス方面の事業だ! ほかの自治区でどのような取引が行われていたかなど、知るものか!」
「……そうか」
カンナは淡々と答えた。
「なら、その取引を管理していたのは誰だ?」
「…………」
「本社のどの部署が関与していた? 兵器の試験販売について、誰から指示を受けた?」
理事は、しばらく黙り込んだ。
その表情からは、先ほどまでの余裕が消え始めていた。
「……君は、一体何が言いたいのだね?」
カンナは、彼をまっすぐに見た。
「本当に、全部お前一人でやったのかと聞いている」
「…………」
「本社が提出した報告書をそのまま受け取れば、今回発覚した研究も、兵器の不正流通も、アビドスでの事件も、すべてお前の指示ということになる」
カンナは、卓上に並んだ資料へ視線を落とした。
「だが、我々が独自に押収した記録には、お前の管轄外で行われた取引も含まれている。それなのに、本社はそれらについても、お前が責任者だったと説明しているんだ」
「……フン」
理事は顔を背けた。
「企業の内部調査など、まだ途中なのだろう。多少の間違いが含まれていたとしても、不思議ではあるまい」
「そうかもしれないな」
カンナは否定しなかった。
「だからこそ、お前自身の説明が必要なんだ」
カンナは、一度資料を閉じた。
「……それから、もう一つ確認しておきたいことがある」
彼女が取り出したのは、地下施設で行われていた人体実験に関する資料だった。
「今回の事件では、生徒が誘拐され、危険な研究に利用されている。さらに、お前自身が真正ガイアメモリを使用し、複数の被害者から生命力を奪っていたという証言も得られている」
「……それが?」
「こちらについては、地下施設から回収された記録に加え、被害者や現場にいた者たちからも証言が得られている。少なくとも、お前が直接関与していた部分については、説明を避けられない」
「……フン。貴様らは、あの力の価値を理解していないのだ」
理事は、不愉快そうに顔を歪めた。
「ガイアメモリは、そこらの粗悪な人工品とは違う! 長い年月を経て遺された、本物の力だ! あれほどのものを研究することに、何の問題があるというのかね!?」
「研究すること自体について、質問しているわけじゃない」
カンナは、静かに答えた。
「そのために生徒を誘拐し、生命力を奪ったことについて聞いている」
「……っ!」
「お前がその力をどう評価していたかは関係ない。実際に何をしたのか。その点については、きちんと説明してもらう」
理事は、ぎり、と歯を食いしばった。
「……くだらん。結局、君たちには何も理解できんのだ」
「そうかもしれないな」
カンナは短く答えた。
「だが、少なくとも、被害を受けた者たちがいることは理解している」
理事は、何も言い返さなかった。
カンナは再び報告書を手に取ると、彼の前へ差し出した。
「問題は、ここからだ」
「……まだ何かあるのかね?」
「ああ。この報告書には、地下施設で行われていた研究についても、お前がすべて指示したと記されている」
そこには、カイザー本社が独自にまとめたという、研究計画の承認履歴が添付されていた。
しかし、理事はその内容を読み進めるにつれ、徐々に表情を険しくしていった。
「……これは……」
「どうした?」
「……この計画まで、私が承認したことになっているのか?」
「そうだ。少なくとも、本社から提出された資料にはそう書かれている」
「……馬鹿な」
理事は、震える指で資料の一部分を指差した。
「この研究は……」
そこで、言葉が途切れた。
カンナは、その反応を見逃さなかった。
「この研究は、何だ?」
「…………」
「お前が承認したものではないのか?」
理事は、しばらく資料を睨みつけていた。
やがて、乱暴に紙を机へ置く。
「……知らん!」
「そうか」
「私は何も知らん! そもそも、こんなものを私が承認する必要など……!」
「なら、そのことを正式に供述してもらいたい」
カンナの声に、理事は動きを止めた。
「……何?」
「お前が関与していない研究まで、責任を負わされようとしている可能性がある。その点について、詳しい話を聞きたい」
カンナは少しだけ身を乗り出した。
「誰が研究を進めていたのか。誰から指示が出ていたのか。お前が把握している範囲でいい。説明してくれ」
「…………」
「裏付けになる記録があるなら、それも教えてほしい」
理事は、カンナを睨みつけた。
「……貴様。まさか、私が本社を売るとでも思っているのか?」
「売るかどうかの話ではない」
カンナは、まっすぐに理事を見つめた。
「自分がやっていないことまで、認める必要はないと言っているんだ」
その言葉に、理事の表情がわずかに揺らいだ。
カンナは、さらに続けた。
「お前が実際に行ったことについては、当然、責任を負ってもらう。被害者の証言も、地下施設から回収された資料もある。それが消えるわけじゃない」
「……ならば、何のためにこんな話をしている!」
「事実を明らかにするためだ」
カンナの返答には、迷いがなかった。
「もし、お前が上からの指示を受けていたのなら、そのことも調べる必要がある。自分の意思で行ったことと、命令されたこと。あるいは、関与すらしていないこと。それらを区別しなければ、正しい捜査にはならない」
「…………」
「事情を明らかにし、裏付けとなる証拠を出せば、今後の処分で考慮される可能性もある。だが、ここで何も話さなければ、こちらは今ある証拠を基に捜査を進めるしかない」
理事は、机の上に並べられた資料へ目を落とした。
そこには、カイザー本社の印が押された報告書がある。
彼自身が見覚えのある記録もあれば、知らないはずの研究について、彼の承認を示す資料も含まれていた。
「……フン」
理事は、小さく鼻を鳴らした。
「随分と親切なことだな、公安局長」
「お前のためだけではない。これで事件が終わったことにされては、困るからな」
「……何?」
カンナは、わずかに声を落とした。
「今回の事件には、まだ分からないことが多すぎる。兵器の開発と流通についても、地下施設の研究についても、お前一人の判断だけで進められたとは考えにくい部分がある」
理事は、黙って彼女の話を聞いていた。
「それなのに、本社はこれほど短期間で、すべての責任をお前に集中させる資料を揃えてきた」
「…………」
「お前は、それを不自然だと思わないのか?」
理事は答えなかった。
カンナは、その沈黙を見つめていた。
実際、彼女自身も今回の動きには疑問を抱いていた。
地下施設の事件が発覚してから、まだそれほど時間は経っていない。それにもかかわらず、カイザー本社は膨大な研究記録を整理し、今回の事件について独自の調査を終えたという報告書まで提出している。
しかも、その内容は不自然なほど整っていた。
発見された違法な兵器も、人体実験も、外部の不良集団を使った工作も、すべて現地責任者の独断で説明できるようになっている。
さらに、連邦生徒会の防衛室からも、今回の事件について早期の収拾を求める意向が伝えられていた。
カイザーが現地責任者の不正を認め、全面的な捜査協力を表明した以上、これ以上の企業活動への影響は避けるべきだというものだ。
防衛室長、不知火カヤ。
彼女の名で届けられた文書には、カイザー本社が提出した報告書と、よく似た説明が記されていた。
もちろん、それだけで両者の間に不正な繋がりがあるとは断定できない。
しかし、カンナには、どうにも引っ掛かるものがあった。
まるで、事件をどこまで調べ、誰に責任を負わせるのか、最初から結論が決まっているかのようだった。
「……一つ、言っておく」
カンナは、理事へ向き直った。
「今、カイザー本社が提出している資料をそのまま受け取れば、お前は今回の事件だけでなく、関連する研究や兵器の流通についても、責任を問われることになる」
「……フン。随分と脅してくれるではないか」
「脅しているわけじゃない。状況を説明している」
カンナは、机の上に置かれた報告書を指差した。
「本社は、すでにお前一人の責任だと主張している。こちらがその説明を覆す証拠を得られなければ、捜査はその方向で進んでいくだろう」
理事は、わずかに顔を歪めた。
「……我が社が、そのようなことを……」
「現に、この資料を提出してきたのは、その会社だ」
「…………」
「お前が何も話さないのなら、本社の主張に反論する材料を得る機会も失われる」
カンナは、少しだけ間を置いた。
「もう一度聞く。お前は、本当にすべてを一人でやったのか?」
理事は何も答えなかった。
カンナは、そのまま待った。
長い沈黙が続く。
やがて、理事はゆっくりと顔を上げた。
「……フン」
その口元には、再び傲慢な笑みが浮かんでいた。
「くだらん。君たちは、企業というものを何も理解していないのだな」
「……何?」
「私はカイザーの理事だぞ? これまで、どれほどの利益を生み出してきたと思っている! 今回の件で多少の問題が発生したからといって、我が社が私を簡単に切り捨てるはずがあるまい!」
理事は、机の上の資料を乱暴に押し返した。
「この報告書も、事態を収拾するための一時的な措置に決まっている! いずれ本社から、正式な説明があるはずだ!」
「……そうか」
カンナの声が、わずかに低くなった。
「それがお前の答えなんだな?」
「当然だ!」
理事は、再び椅子へ深くもたれかかった。
「私がわざわざ、社内の機密情報を君たちへ提供する必要などない! そんなことをすれば、かえって事態が面倒になるだけではないか!」
「…………」
「それに、君たちが持ち出してきた証拠とやらも、所詮は本社の内部調査に過ぎん! 今後の対応については、我が社の法務部門と相談させてもらう!」
カンナは、しばらく理事を見つめていた。
彼の表情には、自らの立場が崩れ始めていることへの焦りと、それでもカイザー本社が自分を守ってくれるはずだという、根拠の薄い確信が入り混じっていた。
「……分かった」
カンナは、ゆっくりと資料を閉じた。
「では、今日の聴取はここまでにしよう」
「フン! 最初からそうしていればよかったのだ!」
「弁護人との相談についても、手配を進める」
カンナは席を立った。
「ただし、もう一度確認しておく。今日、私が尋ねたことについて、後からでも話したいことがあれば申し出てくれ」
「……何度聞かれても、私の答えは変わらん!」
「そうか」
カンナは、それ以上何も言わなかった。
同席していた公安局員が録音機器を停止させ、資料をまとめ始める。
理事は、不愉快そうに顔を背けたままだった。
* * *
事情聴取室を出ると、カンナは廊下で小さく息を吐いた。
同行していた公安局員が、心配そうに声を掛ける。
「……局長。結局、最後まで話しませんでしたね」
「ああ」
カンナは、手元の報告書を見下ろした。
「……あいつは、まだ本社が自分を助けてくれると思っているらしい」
「ですが、本社から提出された資料には……」
「すべてあいつの責任だと書いてある。しかも、あいつの管轄外で行われていたはずの取引についてまでな」
カンナは、報告書の一ページを開いた。
「おかしな話だと思わないか?」
「……と言いますと?」
「企業が自ら不正を認めて資料を提出すること自体は、何もおかしくない。だが、今回はあまりにも話が整いすぎている」
彼女は、別の書類を取り出した。
連邦生徒会の防衛室から届けられた、事件の早期収拾を求める文書だった。
「それに、こちらの動きも気になる」
「……防衛室、ですか?」
「ああ。まだ捜査が終わっていない段階で、企業活動への影響を最小限に抑えるよう求めてきている。カイザーから提出された報告書についても、随分と好意的な見解のようだ」
カンナは、わずかに眉を寄せた。
「まるで、これ以上調べる必要はないと言いたげだな」
「……では、防衛室がカイザーと?」
「まだ分からん。憶測だけで判断するな」
カンナは即座に答えた。
「だが、調べる必要はあるだろうな」
そう言って、手元の資料を閉じる。
「今回の事件について、あの理事が罪を犯したことは間違いない。生徒の誘拐に関与し、危険な研究を行い、自らガイアメモリを使用して被害を出した。その責任については、きちんと追及する」
カンナの声は、静かだった。
「だが、それと、カイザー本社が進めていた事業の責任まで、すべてあいつに押し付けることは別の話だ」
「……はい」
「本社から提出された資料は、押収済みの記録と照合を続けろ。特に、あいつの管轄外で行われていた取引については、独立した裏付けを取る必要がある」
「了解しました!」
「それから、資料の提出経緯についても確認しておいてくれ。どの部署が作成し、誰が内容を確認して、いつ提出を決定したのか。可能な範囲でいい」
部下は、すぐに端末へ指示を記録した。
「……局長。あの理事が、最後まで何も話さなかった場合は?」
カンナは、しばらく黙っていた。
「……それでも、我々の仕事は変わらない」
彼女は静かに答えた。
「話さないからといって、本社の説明がすべて正しいことにはならない。こちらは、こちらで調べるだけだ」
もっとも、それが簡単なことではないのも理解していた。
相手は巨大企業であり、すでに連邦生徒会の防衛室まで、事件の早期収拾を求めて動き始めている。理事本人が一切の協力を拒み続けるのであれば、カイザー本社の責任を追及するために必要な証拠を集めることは、さらに難しくなるだろう。
それでも、カンナは手元の資料を抱え直した。
「……リン首席行政官にも、今日の結果を報告しておこう」
「承知しました!」
部下が足早にその場を離れていく。
カンナは一人、廊下の窓から外へ目を向けた。
今回の事件で、カイザー理事が責任を逃れられるとは思っていない。
だが、彼が黙り続けることで、ほかの責任者たちが何事もなかったかのように日常へ戻るのだとしたら、それは果たして正しい結末なのだろうか。
「……まったく」
カンナは、小さく息を吐いた。
「厄介な事件になったな」
その言葉を最後に、彼女は再び公安局の執務室へ向かって歩き始めた。
その後も理事が口を割る事は無かった。
カイザー本社から提出された内部調査報告書は、連邦生徒会の関係部署にも正式に受理された。
アビドスで発覚した違法な研究、外部の不良集団を利用した誘拐事件、そして疑似メモリ兵器の不正な製造と流通。カイザーは、それらの責任が現地の理事による独断にあったと説明し、捜査への全面的な協力を表明した。
事業の一部停止と関係者の処分も発表され、表向きには、企業自ら不正を正そうとしている姿に市民たちからは好意的な声が上がった。
ヴァルキューレ公安局による捜査も、連邦生徒会の防衛室から中止命令が下されたことで、一時凍結を余儀なくされた。
カンナは、机の上に置かれた命令書を険しい表情で見つめていた。
カイザー本社から提出された資料には、明らかに不自然な点がある。理事一人にすべての責任を負わせるには、事件の規模も、関与した組織も大きすぎた。
そして何より、捜査がまだ終わっていない段階で、その幕引きを急ぐ防衛室の動きが気に掛かっていた。
だが、疑惑だけでは動けない。
正式な命令が下された以上、公安局長である自分が、それを無視して捜査を続けるわけにはいかなかった。
「……これで終わりにしろ、ということか」
カンナは命令書を閉じ、深く息を吐いた。
罪を犯した理事が裁かれることに異論はない。
しかし、その背後にいる者たちが責任を逃れ、何事もなかったかのように事業を続けることまで、認めたわけではなかった。
自分たちは警察だ。目の前に疑惑が残っていると知りながら、上からの命令一つで追及を止めなければならない。その現実に、カンナはやり場のない憤りを覚えた。
彼女は机の引き出しを開け、これまで集めた資料を大切にしまい込んだ。
捜査は凍結された。だが、疑惑が晴れたわけではない。
カンナの中には、カイザーへの疑念と、その幕引きを後押しした防衛室への不信が、消えることなく残り続けていた。
* * *
カイザーPMC本部。
総司令官ジェネラルの執務室には、アビドスで発生した事件に関する報告書が積み上げられていた。
現地理事の拘束、地下研究施設の摘発、違法な兵器開発と流通の発覚。それらに伴う損失の報告に加え、今後の事業計画を見直すための資料も届いている。
ジェネラルは、その中から一冊の報告書を取り上げた。
ヴァルキューレ公安局による捜査の一時凍結。
続くページには、拘束された元理事が、その後の事情聴取でもカイザー本社の関与について一切供述しなかったことが記されていた。
「……クックックッ。最後まで口を割らなかったか」
ジェネラルは報告書を閉じた。
理事が自分の関与を認めなかったこと自体は、特に驚くような話ではない。しかし、彼が本社の指示についても黙り続けたのは、カイザーにとって好都合だった。
提出済みの内部調査報告書には、理事自身が行った不正だけでなく、本来は別の部門が担当していた事業についても、彼の独断だったと説明する資料が含まれている。
その内容を疑っていた公安局長も、正式な中止命令を受けた以上、今すぐ捜査を続けることはできない。
むろん、カイザー本社が完全に疑惑を免れたわけではなかった。それでも、ひとまず予定どおりの結末へ向かっている。
「……会社のために、最後まで役割を果たしてくれたというわけだな」
元理事がその言葉を聞けば、どのような顔をしただろうか。
ジェネラルは、特に興味もなさそうに次の資料へ手を伸ばした。
その時、執務机の通信端末が鳴った。
表示された相手を確認すると、彼は通信を接続した。
「……私だ」
『ごきげんよう、ジェネラル。随分と落ち着いていらっしゃるようですね』
連邦生徒会防衛室長、不知火カヤ。
いつもどおり丁寧な口調だったが、その声には隠しきれない苛立ちが混じっていた。
「クックックッ……防衛室長か。ちょうど、こちらからも連絡しようと思っていたところだ」
『それは奇遇ですね。私も、今回の件について、そろそろ説明していただきたいと思っていたところです』
「ほう? 報告書に不備でもあったかね?」
『……よくもまあ、そんなことが言えますね』
カヤは小さく息を吐いた。
『ヴァルキューレの捜査は、一時凍結されました。現地理事も、最後まであなた方の関与については何も話さなかったようです』
「ああ。聞いている」
『おかげで、こちらも予定どおりに手続きを進められそうです。カイザー本社が事件の責任を認め、関係者の処分と事業の一部停止を発表した以上、これ以上の混乱を招く必要はありませんから』
「それは何よりだ。君の協力がなければ、ここまで迅速には進まなかっただろう」
『……感謝していただけるのであれば、今後はもう少し慎重に行動していただきたいものですね』
「もちろんだ。我々も、今回の一件から多くのことを学んだよ」
『その言葉を信じたいところですが……』
カヤは一度言葉を切った。
『尾刃カンナについては、どうお考えですか?』
「……公安局長か」
『ええ。あの人は最後まで、今回の事件が理事一人の独断だったという説明を疑っていました。正式な中止命令が下された以上、今は従うでしょうが……』
「いずれ、再び捜査を始めるかもしれない。そう言いたいのだな?」
『少なくとも、あの人が今回の結論に納得しているとは思えません』
ジェネラルは、机の上の報告書へ目を向けた。
「構わんさ。疑問を抱くことと、それを証明することは別問題だ」
『……ほう?』
「彼女がどれほど熱心に調べようと、正式な証拠がなければ話は進まん。まして、今回の件については、当事者である理事自身が何も話そうとしなかったのだからな」
『その理事を見捨てたのは、あなた方でしょう?』
「クックックッ……ずいぶんな言い方をするじゃないか、防衛室長」
『事実ではありませんか?』
「我々は、問題を起こした現地責任者を処分し、捜査へ協力した。それだけの話だ」
ジェネラルは平然と答えた。
「企業が存続するために、時には不採算事業を整理し、責任者を交代させる必要もある。君も、組織を管理する立場なら理解できるはずだが?」
『……なるほど。そういう説明で押し通すつもりなのですね』
「君のおかげで、その説明が通る状況になった。礼を言うよ、防衛室長」
『……本当に、いい性格をしていらっしゃいますね』
カヤは不愉快そうに呟いた。
しかし、それ以上この問題を追及しようとはしなかった。
彼女自身、今回の事件をこれ以上長引かせるつもりはない。カイザー本体への捜査が拡大すれば、その過程で自分との繋がりまで明らかになる危険があるからだ。
もっとも、だからといって、今回の不始末をすべて許したわけではなかった。
『……さて。こちらの話はひとまず終わりにしましょう』
「ほう。まだ何かあるのかね?」
『ええ。むしろ、ここからが本題です』
カヤの声音が、わずかに低くなった。
『ガイアメモリというものについて、説明していただけますか?』
ジェネラルは、手元に置いていた資料から視線を上げた。
「……ガイアメモリ、か」
『とぼけないでください。今回の事件で、初めて耳にした技術です』
カヤは、はっきりと不快感を示した。
『あなた方が新型兵器を開発していることは承知していました。ですが、人間を怪物へ変える遺物や、他人の生命力を奪う能力を持つ存在については、何も聞かされていません』
「……なるほど。そのことか」
『そのこと、ですか?』
カヤの声が、さらに冷たくなる。
『私がどれほど危険な立場に置かれたか、理解していらっしゃいますか? あのような技術の存在を事前に把握していれば、今回の事件についても、別の対応ができたかもしれません』
「我々としても、研究段階の技術を不用意に開示するつもりはなかったのでね」
『……研究段階?』
「ああ。ガイアメモリは、古代の遺跡から発掘された特殊な遺物だ。極めて強力な能力を秘めているが、その性質については、今なお不明な部分が多い」
ジェネラルは、淡々と説明を続けた。
「今回の事件も、現地理事がその力を過信した結果、引き起こされたものだ。あの男は、研究対象である遺物そのものに、少々入れ込みすぎていたらしい」
『……あくまで、あの理事個人の問題だと?』
「少なくとも、我々が想定していた運用方法とは異なる」
『ふふっ……なるほど。それで、あなた方は何も知らなかったということにしたわけですね』
「好きに解釈してくれて構わんよ」
ジェネラルは、少しも動じなかった。
カヤは、しばらく黙っていた。
『……では、もう一つ。疑似メモリ兵器については、どうなのです?』
「ほう?」
『報告書を読めば、その技術がガイアメモリの研究成果を応用したものだということくらい分かります。あれも、単なる試作品だったと仰るつもりですか?』
「いや。そちらは、実用化を目的として開発を進めていたものだ」
『……ずいぶんと、あっさり認めるのですね』
「隠す必要がないからな。すでに相当数が市場へ流通している。今さら存在を否定したところで、何の意味もあるまい」
カヤの眉が、わずかに動いた。
『……それで、今後はどうするつもりなのですか?』
「当然、事業の見直しを行う」
『全面的に開発を中止する、ということでしょうか?』
「クックックッ……まさか」
ジェネラルが、低く笑った。
「我々は企業だぞ、防衛室長。これほど有望な技術を、今回の一件だけで放棄する理由がどこにある?」
『……あなたという人は』
「無論、以前のように派手な実地試験を行うつもりはない。ヴァルキューレや風紀委員会の目が厳しくなった以上、しばらくは慎重に動く必要があるだろう」
ジェネラルは、机の上に置かれた市場調査の報告書を開いた。
「しかし、すでに市場へ出回った疑似メモリ兵器が、今さら消えてなくなるわけではない」
『……それが?』
「その性能を知った者たちが、簡単に購入を諦めると思うかね?」
カヤは、すぐには答えなかった。
「今回の事件が大きく報道された以上、表立って我々の製品を欲しがる組織は減るだろう。正規の販売経路についても、当面は縮小を余儀なくされる」
ジェネラルは、まるで他人事のように続けた。
「だが、それは表向きの話だ」
『……地下市場ですか』
「ああ。ブラックマーケットをはじめ、すでに形成された取引関係はいくつもある。今後も特殊な兵器を求める者たちは、いくらでも現れるだろう」
『つまり、裏の販売経路は残すつもりなのですね』
「需要がある限り、市場は存在する。そういうことだ」
ジェネラルは、短く答えた。
疑似メモリ兵器の試験販売そのものは、すでに一定の成果を上げていた。
その性能を実際に確認した不良集団や武器商人も多く、複数の仲介業者を経由して各自治区へ持ち込まれた製品の数も、決して少なくない。
今回の事件によって、カイザーが製造元であることを疑う者は増えるだろう。
しかし、それを理由に購入を取りやめる者がいる一方で、出自など気にせず、より強力な兵器を求める者たちも存在する。
表向きの需要が減少したとしても、そうした顧客まで失われるわけではなかった。
『……なるほど。経済的な打撃は、思ったほど大きくないというわけですか』
「アビドスにおける事業の損失は、確かに小さくない。研究施設も失い、現地で進めていた計画についても、大幅な見直しが必要になった」
ジェネラルは、そこで一度言葉を切った。
「だが、カイザー全体から見れば、致命的な損失ではない。既存の事業は健在だし、疑似メモリ兵器についても、市場そのものが消滅したわけではないからな」
『……随分と、都合のいい話ですね』
「商機を失わないことも、企業を率いる者の務めだ。君も、使えるものは最大限に利用する主義だろう?」
『……それとこれとは、話が別です』
カヤは、すぐに言い返した。
『あなた方が再び問題を起こせば、その後始末をするのは私なのですよ。これ以上、余計な仕事を増やされては困ります』
「安心したまえ。今回の件で、我々も大規模な実地運用には相応の危険があることを学んだ」
『……本当に、学んでくださったのであればいいのですが』
「クックックッ……少なくとも、同じ失敗を繰り返すほど愚かではないさ」
カヤは、ため息をついた。
『……それで、今後の研究開発については、どうするおつもりなのですか?』
「ほう。興味があるのかね?」
『当然でしょう。ガイアメモリという未知の技術を、私に知らせず研究していたのですから』
カヤは、少しだけ声を強めた。
『今後も協力関係を続けるのであれば、最低限、あなた方が何をしようとしているのかくらいは把握しておきたいものですね』
「……なるほど」
ジェネラルは、机の上に置かれた別の報告書へ目を向けた。
そこには、疑似メモリ兵器とは異なる、新たな研究計画の概要が記されていた。
「ならば、一つだけ教えておこう」
『……何でしょう?』
「今後、我々は人工ガイアメモリの研究に、これまで以上の資源を投入する予定だ」
『人工……ガイアメモリ?』
「ああ。今回の事件で使用された本物のガイアメモリは、確かに強力だった。あれほどの能力を持つものは、我々の既存の兵器と比較しても、極めて高い価値がある」
ジェネラルは、報告書の一部分を確認した。
「だが、問題がある」
『……何です?』
「数が少なすぎるのだよ」
その答えに、カヤはわずかに目を細めた。
「本物のガイアメモリは、古代の遺跡から発掘された希少な遺物だ。新たに発見される保証もなく、必要になったからといって簡単に調達できるものではない」
『……なるほど』
「どれほど強力な兵器であろうと、安定して供給できなければ、その価値を最大限に生かすことはできん。まして、一部の人間しか所有できない遺物など、我々の事業にとっては扱いにくい存在だからな」
『それで、人工的に再現しようというわけですか』
「その通りだ」
ジェネラルは、淡々と答えた。
「これまでの人工メモリは、真正ガイアメモリと比較して、まだ性能も安定性も十分とは言えなかった。能力の再現度にも限界があり、使用者への負担も大きい」
実際、過去の研究では、人工メモリの使用による暴走や、ガイアメモリ特有の毒素が人体へ及ぼす影響が、繰り返し問題となっていた。
今回の事件で、元理事が使用した真正メモリの性能が実戦で確認されたことにより、両者の差は一層明確になった。
「だからこそ、今後はそこを改善する」
『……具体的には?』
「真正ガイアメモリの性質を、可能な限り詳しく解析する。能力の再現度、出力の安定性、使用時の負荷。それらを見直し、人工メモリを限りなく本物に近づけていくのだ」
ジェネラルは、机の上の研究計画書を指先で叩いた。
「本物のガイアメモリが希少である以上、今後も安定して供給できる人工メモリの研究は欠かせん。仮に、真正メモリに匹敵する性能を持つ製品を開発できれば、その価値は計り知れないだろう」
『……それは、随分と魅力的な話ですね』
カヤの声音が、わずかに変わった。
『ですが、今回の事件で問題になったのは、まさにそのガイアメモリの研究ではありませんか? また同じようなことを繰り返すつもりなのですか?』
「だからこそ、今回は研究体制を見直すのさ」
ジェネラルは、あくまで落ち着いた口調を維持していた。
「現地理事のように、強力なメモリを手に入れたことで冷静な判断を失うような者に、研究を任せるわけにはいかん。今後は、より厳格な管理の下で開発を進める必要がある」
『……厳格な管理、ですか』
「ああ。疑似メモリ兵器については、既存の技術を改良しながら、今後も市場の需要を確認していく。一方、人工メモリについては、真正メモリの解析結果を基に、より高い性能を実現するための研究を進める」
『……なるほど。二つの研究を、別々に進めるというわけですね』
「そういうことだ」
ジェネラルは、短く答えた。
疑似メモリ兵器は、機械や兵器へ特殊な機能を付与する技術だ。使用者の身体へ直接作用しないため、すでに生徒たちが扱う兵器にも組み込まれ、実戦での運用データが蓄積されている。
一方、人工ガイアメモリは、使用者自身に能力を発現させることを目的とした技術だった。
キヴォトスの生徒が持つ神秘との適合性や、毒素による身体への悪影響など、解決できていない問題は多い。それでも、真正ガイアメモリに近い性能を人工的に再現できれば、既存の兵器とは異なる、新たな力を生み出せる可能性がある。
真正メモリは、手に入れようと思っても簡単には手に入らない。
だが、人工メモリであれば、研究さえ進めば、将来的には製造数を増やすこともできるだろう。
ジェネラルにとって、その違いは何よりも重要だった。
『……それで、その人工メモリは、すでに実用化できる段階なのですか?』
「いや。まだ解決すべき問題が多い」
『……随分と正直ですね』
「事実だからな。真正メモリの性能を完全に再現できるのであれば、今さら研究費を増額する必要もあるまい」
ジェネラルは、低く笑った。
「だが、今回の事件で得られた資料は、決して無駄ではなかった。研究施設の設備を失ったことは痛手だが、これまでに蓄積されたデータのすべてが失われたわけではないからな」
『……なるほど。まだ、研究を続けるだけの余裕があるというわけですか』
「ああ。資金も、研究員も、必要な設備も、我々にはまだ残されている」
ジェネラルは、少しだけ間を置いた。
「それに、今回の事件で、真正ガイアメモリがどれほど強力な存在であるかは、十分に確認できた。ならば、次に目指すべき方向も明確だろう?」
『……本物に匹敵する人工メモリの開発、ですか』
「クックックッ……その通りだ」
カヤは、しばらく黙っていた。
ガイアメモリという技術が、どこまで実用的なものなのか。彼女自身、まだ十分に理解しているわけではない。
しかし、もしジェネラルの言うことが事実なら、カイザーは今後、従来の兵器とは比較にならない力を量産できる可能性を持つことになる。
それは、彼女にとっても決して無視できない話だった。
『……一つ、約束していただけますか?』
「何だね?」
『今後、その人工メモリの研究が進展した場合は、私にも報告してください。今回のように、何も知らされないまま問題に巻き込まれるのは御免ですので』
「……なるほど」
ジェネラルは、わずかに声を低くした。
「君も、あの力に興味を持ち始めたというわけか」
『……勘違いしないでください。私は、今後の協力関係を維持するために、必要な情報を求めているだけです』
「クックックッ……そういうことにしておこう」
『……本当に、あなたという人は』
「安心したまえ、防衛室長。研究が実用化の段階へ進んだ際には、君にも有益な提案ができるだろう」
『……期待していますよ』
カヤは、そこで一度言葉を切った。
『ただし、今後は今回のような失態を繰り返さないでください。尾刃カンナの件もあります。これ以上、連邦生徒会の内部で余計な疑惑を持たれるわけにはいきません』
「承知している。我々も、しばらくは慎重に動くつもりだ」
『……それなら結構です』
「では、協定は継続ということで、よいのだな?」
ジェネラルの問いに、カヤは小さく息を吐いた。
『……ええ。こちらも、今さらあなた方との関係を断つつもりはありません』
「ほう?」
『今回の件は、ひとまず片付きました。ですが、私たちが本来進めようとしていた計画は、まだ終わっていないのですから』
「……クックックッ。そうだな」
『引き続き、よろしくお願いしますね。ジェネラル』
「ああ。こちらこそ、頼むよ。防衛室長」
短い電子音とともに、通信が切れた。
* * *
ジェネラルは通信端末を机へ戻し、しばらく無言で報告書を眺めていた。
カヤがガイアメモリに関心を持ったことは、予想外ではなかった。むしろ、今後の協力関係を考えれば、いずれ何らかの形で研究成果を示す必要があるだろう。
しかし、すべての情報を共有するつもりはない。
真正ガイアメモリの詳しい性質も、その発掘に関する記録も、今のカヤに教える必要はなかった。
必要なのは、彼女がカイザーとの協力関係に価値を見いだし続けること。それだけだ。
「……さて」
ジェネラルは端末を操作し、研究開発部門へ通信を繋いだ。
『総司令官。ご用件でしょうか』
「ああ。今後の研究方針について、いくつか変更がある」
『……研究方針、ですか?』
「疑似メモリ兵器については、当面、大規模な試験販売と目立った実地運用を控えろ。市場へ流通した製品については、引き続き動向を確認し、既存の販売経路を維持する」
『承知しました。では、人工ガイアメモリの研究については、いかがいたしましょうか?』
「……そちらは、これまで以上に力を入れる」
ジェネラルは、机の上に置かれていた研究計画書を開いた。
「真正メモリの解析を優先しろ。出力の再現性、能力の安定性、使用者への負担。現在の人工メモリが抱えている問題を、可能な限り解消するのだ」
『……つまり、真正メモリの性能へ近づける方向で、研究を進めるということでしょうか?』
「ああ。真正ガイアメモリが希少である以上、我々が目指すべきは、その性能を人工的に再現することだ」
ジェネラルは、淡々と続けた。
「現状の人工メモリでは、真正メモリの代替品として不十分だ。ならば、研究を進めるしかあるまい」
『……承知しました。ただ、真正メモリについては、まだ解明できていない部分も多く……』
「分かっている。だからこそ、研究の優先順位を引き上げるのだ」
ジェネラルは、少しだけ声を低くした。
「今回の事件で、真正メモリが持つ力の一端は確認できた。あれほどの能力を、発掘されたわずかな遺物だけに頼るのは、あまりにも非効率だろう?」
『……確かに、その通りです』
「新しい研究計画をまとめろ。必要な予算については、私の方で調整する」
『承知しました!』
通信を切ると、ジェネラルは椅子へ深く腰掛けた。
今回の事件で、カイザーは確かに損失を被った。
アビドスにおける事業計画は大幅な見直しを迫られ、研究施設も失われた。現地理事の逮捕に加え、ヴァルキューレやゲヘナ風紀委員会からの警戒も、以前より厳しくなっている。
しかし、会社そのものが失われたわけではない。
疑似メモリ兵器は、すでに市場へ流通している。表向きの需要が減少したとしても、地下市場には今後も購入を希望する者たちが現れるだろう。
そして、真正ガイアメモリの研究もまた、終わったわけではなかった。
むしろ、今回の事件によって、その強大な力を改めて確認できたことは、今後の研究にとって大きな意味を持っている。
「……クックックッ」
ジェネラルは、低く笑った。
「真正メモリが希少だというのなら、人工的に再現すればよい。あの力を、我々の技術でどこまで再現できるのか……」
彼は、机の上に置かれた研究計画書へ目を向けた。
その表紙には、新たな人工ガイアメモリ開発計画の概要が記されている。
現段階では、真正メモリの性能を完全に再現することなどできない。人工メモリの安定性も、安全性も、まだ十分とは言えなかった。
それでも、研究を止める理由にはならない。
希少な遺物を発掘し、その力を一部の使用者だけが扱う時代から、強大な能力そのものを人工的に生み出す時代へ。
もし、その技術を完成させることができれば、カイザーはこれまでとは比較にならないほどの価値を持つ兵器を手にすることになるだろう。
「……次は、我々の方が上手くやらせてもらおう」
ジェネラルは、静かに呟いた。
アビドスでの計画は失敗に終わり、現地理事は切り捨てられた。
しかし、それはカイザーという巨大な組織にとって、一つの事業が頓挫したにすぎなかった。
そして今、その失敗から得られた研究成果を基に、次なる計画が動き始めようとしていた。