青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
アビドスから帰ってきて、数日が経った。
ゲヘナ自治区の一角にある喫茶店「ひだまり」では、今日もいつもどおりの朝が始まっていた。
窓から差し込む日差しが店内を明るく照らし、厨房からは食欲をそそる香りが漂ってくる。開店からしばらく経ち、朝食を済ませた常連客たちが帰っていくと、店内には穏やかな時間が流れ始めた。
「……よし、終わった」
風間翔は、片手に持っていた布巾を畳み、拭き終わったテーブルを眺めた。
左腕はまだ三角巾で吊っているものの、アビドスにいた頃と比べれば、痛みは随分と落ち着いている。セナからは順調に回復していると言われていたし、普通に歩き回る分には何の問題もなかった。
ただし、それと仕事をさせてもらえるかどうかは別の話だった。
「翔。次は何をするつもりだ?」
厨房から声が掛かる。
「ん? とりあえず、こっちの食器を片付けようかなって」
「それは俺がやる。お前はレジを頼む」
「いや、皿くらい運べるって。右手は普通に使えるし」
「そう言って、昨日は棚の上にある食器を取ろうとしていただろう」
「……見てたのか」
「見ていた。医学部部長に何と言われた?」
「……肩に負担を掛けるなって」
「なら、言われたとおりにしていろ」
反論の余地はなかった。
翔は諦めて布巾を置き、レジのあるカウンターへ戻る。
マスターは小さく息を吐くと、洗い終えた皿を棚へ戻した。
「今日は注文と会計だけでいい。疲れたら休め」
「分かってるって。……でも、マスターだけに全部任せるのも悪いだろ?居ない間、任せっぱなしだったし……」
「お前が居ない間、誰がこの店をやっていたと思っている?」
「……マスターです」
「なら問題ないな」
いつもの落ち着いた口調で返され、翔は苦笑した。
そのままカウンターの端へ目を向けると、見覚えのある紙袋が置かれていた。
「あ、そうだ。昨日渡したお土産、食べた?」
「アビドスでもらった菓子のことか?」
「ああ。ノノミが、マスターにもよろしくって」
「食べたぞ。なかなか美味かった。今度、礼を伝えておいてくれ」
「了解」
アビドスを離れる際、ノノミが持たせてくれた焼き菓子だった。店に戻ってから二人で食べたが、まだいくつか残っている。
「それにしても、向こうでも随分と世話になったみたいだな」
「まあな。アビドスのみんなには本当に助けられたよ。先生にも」
「そうか。今度は遊びにでも行ってこい。仕事じゃなくてな」
「そのつもり。シロコにもサイクリングに誘われてるし」
「なら、その肩を先に治さないとな」
「……結局そこに戻るんだな」
「当然だ」
翔は笑いながら頷いた。
こうして店の仕事を手伝い、マスターと他愛もない話をしていると、アビドスで過ごした日々が少し遠い出来事のように感じられる。
あちらで知り合った人たちと、これからも会う約束がある。そして、帰ってくれば、いつもどおりの生活が待っている。
どちらも、今の翔にとって大切なものだった。
「……さて。今日は昼過ぎまで、そんなに忙しくなさそうだな」
店内を見渡しながら呟いた、その時だった。
からん、と入口のベルが鳴った。
「やっほー! 翔っち、いるー?」
聞き慣れた、明るい声。
翔が振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた夜桜キララと、その後ろから顔を覗かせる旗見エリカの姿があった。
「おっ、キララにエリカ。久しぶり!」
「翔っちー! おかえりー!」
キララは翔を見つけるなり、大きく手を振って駆け寄ってくる。
ところが、その視線が翔の左肩へ向いた瞬間、ぴたりと足を止めた。
「……って、えっ!? 翔っち、その腕どうしたの!?」
「あー……ちょっと怪我してさ」
「ちょっとって、それ全然ちょっとじゃなくない!?」
キララの後ろから近づいてきたエリカも、翔の肩を見て眉を寄せた。
「帰ってきたって聞いてたけど、そんな怪我してたんだ。大丈夫なの?」
「ああ。もう結構治ってきてるから。心配掛けてごめんな」
「もう……帰ってきたなら、ちゃんと連絡してよね」
「いや、キララたちにも連絡しようとは思ってたんだけど、帰ってから色々あってさ」
「もー! あたしたち、翔っちに話したいこといっぱいあったのに!」
キララが頬を膨らませる。
翔は苦笑しながら、二人をいつもの席へ案内した。
「悪かったって。今日はゆっくりできるんだろ? 好きなだけ話していけよ」
「……ほんと?」
「ああ」
その返事を聞いた途端、キララの顔がぱっと明るくなった。
「やった! じゃあ、今日は超重大発表がありまーす!」
「……重大発表?」
翔が首を傾げる。
その横で、エリカが早くも苦笑していた。
「キララちゃん。それ、注文してからでもよくない?」
「あっ、そっか! じゃあ、いつものお願いしまーす!」
「はいはい。エリカは?」
「私もいつもの。あと、翔もちゃんと座っててね。怪我人なんだから」
「……今日、俺の味方いなくない?」
「まともなことを言っているだけだ」
厨房から、マスターの声が返ってきた。
「マスターまで!?」
キララとエリカの笑い声が、店内に響く。
「……今日、俺の味方いなくない?」
「まともなことを言っているだけだ」
厨房から、マスターの声が返ってきた。
「マスターまで!?」
「ちょうど客も落ち着いたところだ。二人の注文は俺が用意するから、お前は少し休憩してこい」
「……分かったよ」
キララとエリカの笑い声が、店内に響いた。
翔は注文をマスターへ伝えると、二人が座っているテーブルへ向かった。エリカが向かいの椅子を引き、ここに座れと言わんばかりに手で示している。
「はいはい。座ればいいんだろ、座れば」
「そうそう! 翔っち、今日はあたしたちといっぱいおしゃべりしよ!」
「さっきから、それは伝わってるって」
翔が腰を下ろすと、キララは待ちきれないといった様子で身を乗り出してきた。
「ねえねえ! さっき言ってた重大発表なんだけど!」
「おっ、そうだった。何かあったのか?」
「ふっふっふー! それはね……!」
「キララちゃん。せめて飲み物が来てからにしない?」
「えー!? もう言っちゃいたいんだけど!」
そんな二人のやり取りを眺めているうちに、マスターが飲み物を載せたトレーを持ってやってきた。
「待たせたな。いつもの二つだ」
「ありがと、マスター!」
「ありがとうございます」
マスターは二人の前にグラスを置くと、翔にも飲み物を用意してくれた。
「お前も少し休んでいろ。何かあれば呼ぶ」
「ああ。ありがとう、マスター」
翔が礼を言うと、マスターは小さく頷き、カウンターへ戻っていった。
それを見届けたキララが、待ってましたと言わんばかりに胸を張る。
「ではでは、改めまして! 翔っちに超重大発表がありまーす!」
「おう。今度こそ聞かせてもらおうか」
その隣で、エリカが早くも苦笑していた。
「翔、びっくりすると思うよ」
「……そんなに?」
「うん。キララちゃん、今日ずっとこの調子だから」
「ちょっとエリカちゃん! もっと盛り上げてよー!」
「はいはい。すごーい。何があったのかなー?」
「棒読みじゃん!」
翔が思わず吹き出すと、キララは仕切り直すように一度咳払いをした。
「このたび、あたしたちは新しい部活を立ち上げましたー!」
「……えっ、部活?」
「そう! その名も……キラキラ部!」
キララが両手を広げる。
「……キラキラ部?」
翔は少しの間、その言葉を頭の中で反芻した。
名前は聞き覚えがある。ただ何をする部活だったか記憶が朧気で定かではない。
「そうそう! どう? めっちゃよくない?」
「いや、名前は分かったんだけど……何する部活なんだ?」
「それはね、毎日いろんなキラキラを見つけて、ワクワクすることをいっぱいやる部活!」
「……なるほど?」
分かったような、分からないような。
翔が首を傾げると、エリカが笑いながら補足した。
「まあ、キララちゃんらしい部活だよね。楽しいことがあったら何でもやってみよう、って感じかな」
「ああ、そういうことか。……って、それ、今までとあんまり変わらないだろ?」
「翔っちー! そこは言っちゃダメなやつ!」
「いや、だって、いつも楽しそうなこと見つけて二人で出掛けてるだろ?」
「うん。私も最初はそう思った」
「エリカちゃんまで!?」
三人が笑っていると、マスターが追加の水を持ってきた。
「随分と楽しそうだな。部活を作ったのか?」
「そうなんですよ、マスター! あたしたち、今日からキラキラ部なんです!」
「そうか。おめでとう」
「やったー! マスターが一番ちゃんとお祝いしてくれた!」
「……俺もおめでとうって言おうとしてたんだけど」
「じゃあ、言って言って!」
「キラキラ部、設立おめでとうございます」
「ありがとー!」
キララは満足げに頷くと、グラスに口をつけた。
その様子を見ながら、翔はもう一度尋ねた。
「でも、急にどうしたんだ? 二人とも、今まで帰宅部だったよな」
「それがさー、最近見た映画が超よくて! 放課後にみんなで集まって、部活に打ち込む青春って、めっちゃキラキラしてるじゃん?」
「あー、なるほど。それに憧れたのか」
「そうなの! だから、エリカちゃんと一緒に、いろんな部活を体験してきたんだ!」
そこから始まった二人の話は、翔の想像以上に賑やかなものだった。
万魔殿ではイブキと遊び、給食部では料理作りに挑戦し、さらには救急医学部にまで足を運んだらしい。
「……ちょっと待て。救急医学部?」
「そそ! 翔っちも知ってる? セナさん!」
「むしろ、さっきまで話題にしてたくらいには知ってる。こっちに戻ってきた時も診てもらったし」
「あ、そっか! 翔っち、今セナさんのお世話になってるんだ!」
「お世話になってるっていうか……お世話にならない方がいいんだけどな」
翔が苦笑すると、エリカも頷いた。
「それは本当にそう。セナさんのお仕事は大事だけど、翔は怪我しないでよね」
「はい……」
「でねでね! 給食部もすっごかったんだよ!」
「ああ、前に俺が手伝ってたところ、お前らも見に来てたよな」
「そそ! 翔っち、あの時めっちゃ忙しそうだったじゃん!」
「……まあ、色々あったからな。で、今回は二人も料理を作ったのか?」
「うん! フウカちゃんたちに教えてもらいながらね!」
そこで、エリカが何とも言えない表情を浮かべた。
「……ジュリちゃんの料理、見てるだけの時と自分で作る時じゃ、全然違うね」
「……あー、なるほど」
翔は、その一言ですべてを察した。
「動くって分かってても、いざ自分で作ってみると大変だろ?」
「そうなの! あたしたち、前に翔っちが手伝ってるところ見てたから、心の準備はできてたつもりだったんだけど!」
「実際に体験すると、やっぱりびっくりするよね……」
エリカの言葉に、翔も苦笑した。
「まあ、ジュリは普通に美味しい料理を作ろうとしてるんだけどな」
「そうなんだよねー! すっごく頑張ってるんだけど、出来上がった料理がさ!」
「……元気いっぱいなんだよな」
「翔っち、それ褒めてる!?」
「一応、褒めてるつもりなんだけどな」
三人は顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
「でも、二人とも楽しめたみたいでよかったよ」
「うん! でね、今度は翔っちも一緒に給食部の体験しようよ!」
「……俺、もう手伝ったことあるんだけど?」
「だからこそだよ! 経験者がいたら心強いじゃん!」
「ジュリの料理に経験者も何もあるか!?」
翔の抗議にも、キララは楽しそうに笑うばかりだった。エリカまで乗り気になっているあたり、今後また給食部の手伝いをすることになるかもしれない。
「……で、給食部以外はどうだったんだ? ほかにも色々回ったんだろ?」
「もちろん! どこもめっちゃ楽しかったよ!」
「うん。普段はなかなかできないことも体験できたし、知らなかったこともいっぱいあったよね」
エリカが頷くと、キララも嬉しそうに身を乗り出した。
「そうそう! それに、みんな自分の部活が大好きなんだなーって思った!」
「へえ。じゃあ、体験してるうちに入りたい部活も見つかったんじゃないか?」
「それがねー……」
キララはエリカと顔を見合わせ、揃って苦笑した。
「どこも楽しくて、逆に決められなくなっちゃったんだよね」
「あー、なるほど。そういうことか」
そんなふうに様々な部活を回った二人だったが、どの部活にもそれぞれ魅力があり、結局一つには決められなかったのだという。
「で、キララちゃんが言い出したんだよね。やりたいことがいっぱいあるなら、自分たちで部活を作ればいいんじゃないかって」
「だってさ、一つに決めちゃったら、ほかの楽しいことを見逃しちゃうかもしれないじゃん? だったら、全部楽しめる部活を作ればいいんだよ!」
「……なるほどなあ」
翔は、改めて二人の顔を見た。
毎日を楽しみたいから、自分たちで部活を作る。あまりにも自由な発想だが、確かに二人らしい。
「いいじゃん、キラキラ部。俺は結構好きだぞ、そういうの」
「……ほんと!?」
「ああ。やりたいことがいっぱいあるなら、最初から一つに絞る必要もないだろ」
「でっしょー!?」
キララは嬉しそうにエリカの肩を叩いた。
「ほらほら! 翔っちも分かってくれた!」
「うんうん。でも、最初から翔も賛成してたと思うよ」
「まあな。二人が楽しそうなら、それでいいと思うし」
そう答えると、キララがにやりと笑った。
「……というわけで、翔っち!」
「ん?」
「キラキラ部、入っちゃわない?」
「……俺が!?」
思わず大きな声が出た。
その反応が面白かったのか、キララはますます楽しそうに笑っている。
「そうそう! 翔っちも一緒だったら、絶対もっと楽しいじゃん!」
「いや、ちょっと待て。俺、そもそもゲヘナの生徒じゃないけど」
「あ、そっか」
「今気づいたのかよ!」
翔が思わず突っ込むと、エリカが口を挟んだ。
「じゃあ、特別ゲストってことにすれば?」
「それいい! キラキラ部、最初の特別ゲストは翔っちで決定!」
「……俺の意見は?」
「えー? 嫌なの?」
キララが、わざとらしく寂しそうな顔をする。
「いや、嫌とは言ってないけど……」
「じゃあ決まり!」
「早いな!?」
エリカが楽しそうに笑った。
「まあ、正式に入部してもらうわけじゃないし。今までと同じように、一緒に遊びに行けたらいいよね」
「それなら全然いいよ。肩が治ってからになるけどな」
「もちろん! 今すぐ連れ回すつもりはないから」
エリカが翔の左肩へ視線を向ける。
「キララちゃんも、ちゃんと分かってるよね?」
「分かってるってば! 翔っちには早く元気になってもらわなきゃだし!」
「……ありがとうな、二人とも」
翔が笑うと、キララも満足そうに頷いた。
「それじゃあ、これからは三人でキラキラな思い出、いっぱい作ろー!」
キララが拳を突き出す。
エリカも笑いながら、それに自分の拳を軽く合わせた。
翔も右手を伸ばし、二人の拳へそっと触れた。
「おう。よろしくな、部長さん」
「えへへ! 任せて、翔っち!」
結成したばかりのキラキラ部に、早くも一人の特別ゲストが加わることになった。
もっとも、部室も活動予定も、まだ何一つ決まっていなかったのだが。
* * *
しばらくして、三人の会話が一段落した頃。
マスターが、厨房から小さなトレーを持って出てきた。
「ちょうどいい。三人とも、少し試食を頼めるか?」
「……試食?」
翔が振り向くと、トレーには小ぶりなグラスが三つ並んでいた。
透明なグラスの中には、白いヨーグルトクリームと、砕いたビスケット、色鮮やかなベリーのソースが層になっている。上には数種類の果実が飾られ、見た目にも華やかなデザートだった。
「わっ、何これ! めっちゃ可愛い!」
キララが身を乗り出す。
「新しいメニュー?」
「まだ試作中だ。少し酸味が強いかもしれないから、感想を聞かせてほしい」
「えっ、いいんですか!?」
「ああ。ちょうど三人いるからな」
「やったー! マスター、ありがと!」
キララは目を輝かせながらグラスを受け取り、すぐさま携帯端末を取り出した。
「待って待って! 食べる前に写真撮りたい!」
「……やっぱりな」
エリカが笑いながら、自分のグラスをキララの方へ寄せる。
「せっかくだし、三つ並べて撮ろうよ」
「いいね! 翔っちのもこっち!」
「はいはい」
翔がグラスを寄せると、キララは角度を変えながら何枚も写真を撮り始めた。
「……あのさ、キララ」
「んー?」
「もしかして、それもキラキラ部の活動なのか?」
「……あっ!」
キララの動きが止まった。
そして、ぱっと顔を上げる。
「それだ! ひだまりでのキラキラ部、第一回活動!」
「……えっ、俺が言ったの!?」
「翔っち、ナイスアイデア!」
エリカも、楽しそうに頷いた。
「まあ、結成記念のタピオカはもう飲んできたけどね」
「あ、そうだ。二人とも、もう活動してたのか」
「そそ! さっきまで飲んでたんだよ! 部活設立のお祝い!」
「……じゃあ、今日だけで随分と飲んだり食べたりしてるな」
「キラキラ部だからね!」
「その理屈、万能すぎないか?」
三人が笑っていると、マスターがスプーンを置いた。
「溶ける前に食べたらどうだ?」
「あっ、そうだった! いただきまーす!」
キララが最初にスプーンを口へ運ぶ。
「……んんっ! おいしー!」
その反応を見て、エリカも一口食べた。
「ほんとだ。甘すぎないし、これなら食後でもいけそう」
「どれどれ……」
翔も右手でスプーンを持ち、グラスの中身をすくった。
ヨーグルトの爽やかな酸味と、ベリーの甘酸っぱさがよく合っている。砕いたビスケットの食感もアクセントになっており、見た目よりも軽い仕上がりだった。
「……うん。美味い。俺は結構好きだな、これ」
「そうか。酸味はどうだ?」
「俺はこのくらいでいいと思う。キララたちは?」
「めっちゃ好き! でも、もうちょい甘くてもいいかも!」
「私は今のままでもいいかな。甘い飲み物と一緒に頼むなら、このくらいがちょうどよさそう」
「なるほど」
マスターは二人の感想を聞きながら、手元のメモに何かを書き込んだ。
「では、クリームの甘さだけ少し調整するか」
「あとあと! 名前も考えようよ!」
キララが元気よく手を挙げた。
「名前?」
「そう! こんなに可愛いんだから、メニュー名も可愛くしたいじゃん!」
「……確かに。今のままだと、ベリーとヨーグルトのグラスデザート、だもんな」
翔が呟くと、キララは両手を組んだ。
「うーん……キラキラベリーパフェとか!」
「……それ、部活の名前を付けただけじゃない?」
エリカが冷静に突っ込む。
「えー! 可愛いじゃん!」
「可愛いけど、何でもキラキラ付けちゃってない?」
「だってキラキラ部だし!」
「いや、店のメニューだからな?」
翔も思わず笑ってしまった。
「じゃあ、翔っちは? 何かいい名前ない?」
「俺?」
突然話を振られ、翔は改めて目の前のグラスを眺めた。
白いクリームに、鮮やかな赤いベリーソース。見た目も華やかだし、せっかくなら一度聞いただけで印象に残る名前がいい。
……赤、ベリー、衝撃。もう少しこう、響きに迫力が欲しいよな。
考えているうちに、頭の中ではいつの間にか、好きな仮面ライダーの必殺技が参考になっていた。
「……クリムゾン・ベリー・ブレイク、とか?」
「…………」
「…………」
キララとエリカが、揃って動きを止めた。
「……ぷっ! あはははっ! 何それ、翔っち!」
「ちょっと待って! デザートの名前だよね!?」
「えっ、そんなに変か? 結構格好いいと思ったんだけど」
「いや、格好いいけどさ! 何かの必殺技みたいじゃん!」
キララはスプーンを構えると、勢いよく振り下ろす仕草をした。
「くらえっ! クリムゾン・ベリー・ブレイク!!」
「おい、やめろって!」
「……あははっ! キララちゃん、それじゃデザートを真っ二つにしちゃうよ!」
エリカも笑いをこらえきれない様子だった。
「ねえ、翔。なんで普通のパフェにそんな物騒な名前を付けようと思ったの?」
「物騒って……ほら、何かインパクトあるだろ?」
「インパクトありすぎだって! 注文する時、絶対恥ずかしいよ!」
「えー、あたしはちょっと注文してみたいかも! クリムゾン・ベリー・ブレイク、一つくださーい!」
「……だから、普通に言ってくれ!」
キララが楽しそうに笑う一方で、翔は少しずつ自分の失敗に気づき始めていた。
……しまった。完全にそっちの方向に引っ張られてた。
普段から変身音声や必殺技の名前に慣れ親しんでいるせいか、格好いい名前を考えようとすると、どうしても似たような発想になってしまう。
「ふふっ、良いと思うぞ必殺技ならな」
マスターまで、口元を押さえて笑っている。
「……マスターまで笑わなくてもよくない!?」
「いや。なかなか印象に残る名前だと思うぞ」
「絶対そう思ってないだろ!」
「注文するには少し勇気が要りそうだな」
「ほら、やっぱり!」
「翔っち、マスターにも却下されちゃったじゃん!」
「分かったよ! もう少し普通の名前にするって!」
「えー、でもさ、もしその名前で出すなら、メニューの写真もめっちゃ格好よくしたいよね!」
「キララちゃん、本当に気に入っちゃったの?」
「うん! 名前だけ聞いたら、どんなデザートが出てくるのか全然分かんないところが面白い!」
「……それ、メニュー名としてどうなんだ?」
翔のもっともな疑問にも、キララは笑うばかりだった。
結局、三人でしばらく考えた末、デザートの名前は「午後のベリーパフェ」に落ち着いた。
もっとも、キララは最初の案がよほど気に入ったらしく、その後も何かにつけて「クリムゾン・ベリー・ブレイク!」と叫んでは、翔とエリカを笑わせるのだった。
翔が顔を赤くすると、二人はますます笑い始めた。
「……絶対、あとで誰かに言うだろ」
「えー? 言わないよー?」
「目を見て言ってみろ」
「あははっ!」
その反応を見て、翔は諦めたように天井を仰いだ。
今日の出来事は、しばらく二人にからかわれる材料になりそうだった。
ひとしきり笑ったところで、エリカが思い出したように口を開いた。
「そういえば、私たちの話ばっかりしてたけど、翔はアビドスでどうだったの?」
「ああ、そうだった! 翔っちのお土産話、まだ聞いてないじゃん!」
「お土産話って言ってもなあ……」
翔は少し考えてから、アビドスでの出来事を話し始めた。
どこまでも続く砂漠の景色。今も営業している柴関ラーメンのこと。そして、アビドス高等学校で知り合った対策委員会の面々。
「へえー! ラーメン屋さんがあるんだ! 行ってみたーい!」
「美味いぞ。そこの柴大将って人が作ってるんだけど、結構世話になってさ」
「じゃあ、今度三人で行っちゃう?」
「……いや、結構遠いぞ?」
「えー、でもさ、せっかくなら行ってみたいじゃん!」
キララは早くも乗り気だったが、エリカが呆れたように笑った。
「キララちゃん。まずはゲヘナの中で活動しようよ。いきなり遠出したら、翔の肩も治らないでしょ?」
「あ、そっか。じゃあ、アビドスは今度のお楽しみ!」
「……もう活動予定に入ってるのか」
「もちろん!」
翔が笑うと、キララも楽しそうに頷いた。
「ほかにはほかには? アビドスで友達とかできた?」
「ああ。さっきも話したけど、サイクリングに誘ってくれた奴がいてさ」
「えっ、サイクリング!? いいじゃん!」
「シロコっていうんだけど、自転車が好きみたいでな。肩が治ったら一緒に走る約束してる」
「へえー。翔っちって、バイクだけじゃなくて自転車も乗れたんだ?」
「いや、普通に乗れるだろ!?」
「でもでも、バイクと自転車って結構違くない?」
「それはそうだけど……まあ、久しぶりだし、ちゃんと走れるようにしとくよ」
キララが楽しそうに笑う。
その横で、エリカが少し考えるように首を傾げた。
「……それにしても、結構仲良くなったんだね」
「そうだな。最初は仕事で行ったんだけど、向こうのみんなには色々と世話になったし。今度は普通に遊びに行きたいと思ってる」
「いいじゃん! そういうの、めっちゃ青春って感じ!」
「キララちゃん、最近何でも青春って言ってない?」
「だって青春だもん!」
翔は、そんな二人を見ながら笑った。
アビドスでの出来事をこうして何気なく話せることが、少し不思議だった。
砂漠の向こうで知り合った友人たちの話を、ゲヘナで待っていてくれた友人たちに聞いてもらう。それだけで、二つの場所が以前よりも近くなったような気がした。
* * *
午後も半ばを過ぎた頃、ひだまりには数組の客が訪れていた。
翔は二人との会話をいったん中断し、マスターに頼まれてレジの対応へ向かう。怪我をしてからは、こうした軽い仕事を任されることが増えていた。
その背中を見送っていたキララが、ふと口を開く。
「……翔っち、元気そうでよかったね」
「……うん」
エリカも、静かに頷いた。
先ほどまではあんなに楽しそうに笑っていた二人だったが、翔が席を離れると、少しだけ表情が変わった。
「正直、あんな怪我してると思わなかったよ」
「だよねー……」
キララは、ストローでグラスの中の氷を軽くかき混ぜた。
「帰ってきたって聞いた時はさ、またいつもみたいに、普通にお店にいるんだろうなーって思ってたんだけど」
「……うん。私も」
エリカは、カウンターで客の会計をしている翔へ目を向けた。
右手で器用にレジを操作し、客と笑顔で話している。時折、マスターから何か言われては、苦笑しながら返事をしていた。
いつもと変わらない光景だ。
けれど、左肩を吊る三角巾が、彼が普段とは違う状態であることを思い出させる。
「……翔、前からそういうところあるよね」
「そういうところ?」
「困ってる人がいたら放っておけないっていうか。自分が大変でも、先にそっちを助けようとするじゃん」
「……あー、分かる」
キララが小さく頷いた。
「翔っち、何だかんだ優しいもんね。あたしたちといる時も、結構気に掛けてくれるし」
「うん。でも、それで自分が怪我してたら意味ないじゃん」
「……だよね」
キララは、少しだけ頬を膨らませた。
「せっかく帰ってきたんだし、しばらくは楽しいことして、ゆっくりしてほしいなー」
「……そうだね」
エリカも微笑んだ。
「また、普通に遊びに行けるようになるといいね」
「うん! そのためにも、キラキラ部の活動はしばらくお店でやろっか!」
「それ、翔の仕事の邪魔にならない?」
「あっ、そっか!」
キララは少し考え込んだ。
「……じゃあ、翔っちが休憩してる時に来ればよくない?」
「私たちが休憩時間を決めるわけじゃないんだから……」
「えへへ。じゃあ、来た時に決めよ!」
結局、いつものキララらしい結論に落ち着いた。
そんな二人のところへ、ちょうど翔が戻ってきた。
「お待たせ。……ん? 何の話してたんだ?」
「えっ!? いやー、別に?」
キララが、妙にわざとらしい笑みを浮かべる。
翔は、思わず眉を寄せた。
「……何だよ、その反応」
「翔っち、次の活動いつにしよっかなーって!」
「……本当にそれだけか?」
「それだけそれだけ!」
隣でエリカまで笑っている。
怪しい。
そう思った翔だったが、二人がそれ以上何も言わないので、結局追及することはなかった。
「まあ、いいけどさ。俺の肩が治ってからにしてくれよ?」
「もちろん! ……でも、またしばらく遠くに行く時は、ちゃんと連絡してね?」
「……ん?」
翔がキララを見る。
彼女は、いつもの明るい笑みを浮かべていた。
「だって、翔っちがいないと、遊び相手が一人減っちゃうじゃん!」
「……そっか」
翔は少しだけ目を丸くすると、やがて笑った。
「ああ。今度はちゃんと連絡するよ」
「約束ね!」
「おう、約束」
キララが満足そうに頷いた。
その隣で、エリカも少しだけ安心したように微笑んでいた。
* * *
夕方。
窓の外が茜色に染まり始めた頃、キララとエリカはようやく帰る支度を始めた。
「いやー、今日は楽しかった! 翔っち、久しぶりに会えてよかったよー!」
「俺も楽しかったよ。キラキラ部の話も聞けたしな」
「えへへ! まだまだこれからだからね!」
キララは、携帯端末を取り出すと、今日撮った写真を次々と翔へ見せ始めた。
新しいデザートの写真。三人のグラスを並べた写真。そして、いつ撮ったのか、少し顔を赤くして抗議している翔の姿まで収められている。
「……おい、ちょっと待て。この写真、いつ撮った!?」
「翔っちがクリムゾン・ベリー・ブレイクって言った時!」
「……消してくれませんかね!?」
「えー!? めっちゃいい写真じゃん!」
キララが楽しそうに笑う。
エリカも隣から画面を覗き込み、吹き出した。
「……あははっ! ほんとだ。翔、すごい顔してる!」
「頼むから、それ誰かに見せたりするなよ!?」
「えー? どうしよっかなー?」
「キララ!」
「冗談冗談! あたしたちだけの思い出にしとくって!」
信用していいものか、非常に怪しい。
翔が何とも言えない顔をしていると、エリカが笑いながら口を開いた。
「ほら、キララちゃん。最後に三人でも撮ろうよ」
「あっ、それいい! キラキラ部、記念写真!」
「……俺、特別ゲストなんじゃなかったっけ?」
「細かいことはいいの!」
キララは翔の右側へ回り込み、携帯端末のカメラを起動した。
エリカも反対側から近づき、三人が画面に収まるように位置を調整する。
「よーし! 翔っち、もっと笑って!」
「……これでいいか?」
「もっともっと!」
「要求が多いな!?」
そんなやり取りをしているうちに、シャッター音が鳴った。
画面に映っていたのは、満面の笑みを浮かべたキララと、楽しそうに微笑むエリカ。そして、その真ん中で少し困ったように笑う翔の姿だった。
「……うん! めっちゃいい感じ!」
「ほんとだ。いい写真じゃん」
エリカも満足そうに頷く。
「翔にも送っとくね」
「おう。ありがとな」
翔が礼を言うと、キララは端末をしまい、改めて二人へ向き直った。
「じゃあ、翔っち! 肩が治ったら、今度こそ三人で遊びに行こ!」
「ああ。どこ行くか考えといてくれよ」
「任せて! もう行きたいところ、いっぱいあるから!」
「……多すぎても困るからね?」
エリカが、すかさず釘を刺す。
「えー! いいじゃん、いっぱいあっても!」
「翔の肩が治ったばっかりなのに、朝から晩まで連れ回すつもり?」
「……それはダメか」
「当たり前でしょ」
翔は、二人のやり取りを聞きながら笑った。
「まあ、無理しない範囲でなら、どこでも付き合うよ」
「……言ったね、翔っち?」
「……あっ」
しまった。
そう思った時には、すでに遅かった。
キララは満面の笑みを浮かべると、エリカの手を取った。
「よーし! じゃあ、次の活動計画、エリカちゃんと一緒に考えとくね!」
「……私も巻き込まれてるんだけど」
「だって副部長じゃん!」
「えっ、私、副部長だったの!?」
翔は思わず吹き出した。
「……お前ら、まだそこも決まってなかったのかよ!」
「今決まった!」
「自由すぎるだろ、キラキラ部!」
店内に、三人の笑い声が響いた。
やがて、二人はマスターにも挨拶をすると、ひだまりの扉へ向かった。
「じゃあね、翔っち! また来るねー!」
「翔も、ちゃんと怪我治してよね!」
「分かってるって! 二人とも、気をつけて帰れよー!」
翔が右手を振ると、キララとエリカも大きく手を振り返した。
からん、と入口のベルが鳴る。
二人の姿が通りの向こうへ消えていくまで見送ってから、翔はようやく店内へ戻った。
「……いやー、賑やかだったな」
「そうだな」
カウンターの向こうで、マスターが小さく笑った。
「楽しそうだったじゃないか」
「ああ。キラキラ部、かあ……」
翔は、先ほど二人が座っていた席へ目を向けた。
テーブルはすでに片付けられ、そこにはいつもどおりの光景が広がっている。
「……何か、あいつららしいよな」
「そうだな。いい友達じゃないか」
「……ああ」
翔は、自然と笑みを浮かべた。
キヴォトスへ来てから、随分と多くの人と知り合った。マスターやキララ、エリカ。風紀委員会のみんなに、アビドスで出会った対策委員会の面々。
最初は、知り合いなど誰もいない世界だった。それが今では、少し留守にしただけでも、帰ってきたことを喜んでくれる人たちがいる。
……何だか、不思議な感じだな。
そんなことを考えていると、携帯端末が短く鳴った。
画面には、キララから送られてきた先ほどの写真が表示されている。
『今日はありがとー! 次は元気な翔っちと、もっとキラキラしよーね!』
続けて、エリカからもメッセージが届いた。
『ちゃんと肩を治してからだからね。マスターの言うこと聞くんだよ!』
「……あいつらまで、それ言うのかよ」
翔が苦笑すると、マスターが不思議そうにこちらを見た。
「どうした?」
「いや、何でもない。……ただ、早く肩を治さないとなって」
「その調子だ。明日も無理はするなよ」
「……はいはい」
「本当に分かっているのか?」
「分かってるって!」
いつものやり取りを交わしながら、翔は携帯端末をしまった。
ひだまりの外では、夕暮れの街を生徒たちが楽しそうに歩いている。店内には、淹れたばかりのコーヒーの香りが漂い、厨房からはマスターが夕食の仕込みを始める音が聞こえてきた。
特別なことなど、何も起こらなかった一日。
けれど、こうして友人たちと笑い合い、また会う約束をして、一日を終えられる。
今の翔には、それだけで十分だった。
「……さて、マスター。そろそろ閉店準備、手伝っていいか?」
「レジだけだ。それ以外は俺がやる」
「……ですよね」
翔の情けない声が、再び店内に響いた。
そして、ひだまりの一日は、いつもどおり穏やかに過ぎていった。