青の記録 ―二つの記憶が交わる時―   作:きままに投稿

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登録して下さった方、有難うございます!
ブルアカは3週連続メインストーリ更新だとか!
最高ですねー。
今からオデュッセイアのストーリーが楽しみですよ。そもそもどんな学園でどんな生徒たちがいるのか!自分的には薄細だったサユリちゃんとデコ出しの海賊っぽい服装だった子がビジュアルが好きで気になっておりますね。


第9話 それでも、行く

 

 

 ゲヘナ自治区。

 

 救急医学部の医療施設には、朝早くから慌ただしい空気が流れていた。

 

 廊下を行き交う白衣姿の生徒たち。

 

 薬品や包帯、医療器具を載せたワゴンが絶え間なく運ばれ、病室からは患者の状態を確認する声が聞こえてくる。

 

 昨日、ゲヘナ自治区を騒がせた正体不明の怪物。

 

 その影響は、一夜が明けた今も残っていた。

 

「次の方をこちらへ」

 

 騒がしい廊下に、淡々とした声が通る。

 

 氷室セナ。

 

 救急医学部の部長である彼女は、手元の記録へ視線を落としながら、次々と指示を飛ばしていた。

 

「外傷の確認を優先してください。頭部を強打している場合や意識障害が見られる場合は、軽傷に見えてもすぐに報告を」

 

「はい!」

 

「こちらの方は?」

 

「軽い脱水症状があります。ただ、大きな外傷はありません」

 

「では水分補給を。念のため、しばらく経過観察してください」

 

「分かりました!」

 

 返事を確認すると、セナはすぐに次の患者へ向かう。

 

 簡易ベッドの上。

 

 一人の生徒が、毛布を肩まで掛けて座っていた。

 

 目立った怪我はない。

 

 しかし、顔色はまだ悪く、疲労の色が濃い。

 

「体調はいかがですか?」

 

「……大丈夫です」

 

 少女が小さく答える。

 

「どこか痛む場所は?」

 

「ちょっと足が……でも、歩けます」

 

「無理をする必要はありません」

 

 セナはしゃがみ込み、少女の足へ視線を向ける。

 

「後で念のため診てもらいましょう。痛みが強くなった場合は、すぐ近くの救急医学部員へ伝えてください」

 

「はい……」

 

 少女が頷く。

 

 セナは手元の記録へ書き込んだ。

 

 彼女は。

 

 昨日まで行方が分からなくなっていた生徒の一人だった。

 

 ここ最近、ゲヘナ自治区で相次いでいた行方不明。

 

 風紀委員会による地下の捜索範囲拡大によって、複数の生徒が地下空間から発見されたのだ。

 

 幸いにも。

 

 現時点で救助された者の中に、命を落とした者はいなかった。

 

 それでも、長時間暗い地下へ閉じ込められていた影響は小さくない。

 

「それで」

 

 記録を確認しながら、セナが尋ねる。

 

「行方が分からなくなる直前のことを覚えていますか?」

 

「……少しだけ」

 

「話せる範囲で構いません」

 

「はい……」

 

 少女は毛布を握りしめながら、記憶を辿るように視線を落とした。

 

「普通に帰ろうとしてたんです」

 

「はい」

 

「いつもの道を歩いてて……そしたら、急に地面が揺れて」

 

「地震のような揺れですか?」

 

「最初は、そうだと思いました」

 

 少女の指に力が入る。

 

「でも……下から、何かすごく大きなものが動いてるみたいな音がして……」

 

「下から?」

 

「はい」

 

 ゴゴゴゴ、と。

 

 地面の下を。

 

 巨大な何かが通り過ぎていくような音。

 

「そのあと……道路がいきなり崩れて」

 

 少女が息を呑む。

 

「気づいたら、地下に落ちてました」

 

「…………」

 

「周りは真っ暗で……上から瓦礫も落ちてきて……」

 

 幸い、直撃はしなかった。

 

 だが。

 

 地上へ戻る道は完全に塞がれてしまった。

 

 通信も繋がらない。

 

 助けを呼んでも。

 

 返事はない。

 

「それから何度か……変な音を聞きました」

 

「音?」

 

「ものすごく大きな……鳴き声みたいな」

 

 セナのペンが止まった。

 

「……例の怪物を見ましたか?」

 

「いえ」

 

 少女はすぐに首を横に振る。

 

「見てません」

 

「では、直接襲われたわけでは?」

 

「はい」

 

「誰か、あるいは何かに連れ去られたということも?」

 

「ないです」

 

「……分かりました」

 

 セナは再び記録を取る。

 

 同じような証言は。

 

 一人だけではなかった。

 

 突然、地面が揺れた。

 

 地中から何かが移動する音が聞こえた。

 

 道路や建物の一部が崩れ。

 

 その崩落へ巻き込まれた。

 

 地下へ落ちた。

 

 そして。

 

 遠くから。

 

 何度も咆哮を聞いた。

 

 しかし。

 

 少なくとも、救助された生徒たちの中に。

 

 例の怪物から直接襲撃を受けた。

 

 あるいは。

 

 怪物に連れ去られたと証言する者はいない。

 

「…………」

 

 セナは集められた記録へ目を落とした。

 

 風紀委員会との戦闘で確認された能力。

 

 あの怪物は。

 

 地中を高速で移動することができる。

 

 ならば。

 

 行方不明になっていた生徒たちは、意図的に連れ去られていたのではない。

 

 怪物が地下を移動したことで発生した崩落へ巻き込まれ、地上へ戻れなくなっていた可能性が高い。

 

 ただ。

 

 それが分かったところで。

 

 肝心の怪物については、まだ何も分からない。

 

 何者なのか。

 

 なぜゲヘナに現れたのか。

 

 何を目的としているのか。

 

 そもそも。

 

 目的などというものが存在するのか。

 

「…………」

 

 セナは静かに記録を閉じた。

 

 確かなことは。

 

 一つだけ。

 

 あれがゲヘナの地下を動き回り続ける限り。

 

 同じような被害が。

 

 再び起こる可能性がある。

 

「次の方を」

 

「はい!」

 

 セナはすぐに立ち上がった。

 

 今は。

 

 目の前の患者を診ることが、自分の仕事だった。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 同じ頃。

 

 喫茶店『ひだまり』。

 

 昨日までの騒ぎが嘘のように。

 

 店内には穏やかな時間が流れていた。

 

 厨房から聞こえる調理器具の音。

 

 コーヒーの香り。

 

 そして。

 

「翔っち」

 

「ん?」

 

「翔っちー」

 

「聞こえてる」

 

「じゃあ、こっち見てよ」

 

「……何?」

 

 翔が顔を上げる。

 

 カウンター席。

 

 キララが頬杖をつきながら、じーっとこちらを見ていた。

 

「なに?」

 

「それ、こっちの台詞なんだけど」

 

「?」

 

「さっきからずーっとぼーっとしてるじゃん」

 

「あー……」

 

 翔は手元を見る。

 

 カップ。

 

 布巾。

 

 そして。

 

 さっきから同じ場所ばかり磨いている自分の手。

 

「……ほんとだ」

 

「でしょ?」

 

 キララが笑う。

 

「考え事?」

 

「まあ、ちょっと」

 

「昨日の怪物?」

 

 今度はエリカだった。

 

「…………」

 

 翔の手が止まる。

 

 その反応だけで十分だった。

 

「あ、図星じゃん」

 

 キララが笑う。

 

「俺、そんな分かりやすい?」

 

「かなり」

 

「そんなに?」

 

「そんなに」

 

 エリカまで迷いなく頷く。

 

「……マジか」

 

 翔は苦笑した。

 

 厨房ではニャン次郎が仕込みをしている。

 

 包丁が規則正しくまな板を叩く音。

 

 いつもの朝。

 

 いつものひだまり。

 

 けれど。

 

 翔の頭からは。

 

 昨日見たものが離れてくれなかった。

 

 T-REXドーパント。

 

 テレビ画面の中。

 

 父と一緒に何度も見た、昔の記憶。

 

 それが。

 

 昨日。

 

 このキヴォトスで。

 

 現実のものとして現れた。

 

 最初は。

 

 ただ混乱した。

 

 どうして。

 

 なんで。

 

 ここはブルーアーカイブの世界じゃなかったのか。

 

 どうして、そこに仮面ライダーWのドーパントがいる。

 

 そんな疑問ばかりだった。

 

 けれど。

 

 落ち着いて考えてみれば。

 

 一つ。

 

 とても大事なことを忘れていた。

 

 ――あれは、最初から怪物だったわけじゃない。

 

 ガイアメモリ。

 

 それを使用した何者かが。

 

 T-REXドーパントという姿へ変わっている。

 

「……翔っち?」

 

「ん?」

 

「またぼーっとした」

 

「……悪い」

 

「重症だねー」

 

「ほっとけ」

 

 翔は苦笑してカップを置いた。

 

「ちょっと気になってるだけだよ」

 

「風紀委員会がまだ探してるみたい」

 

 エリカが言う。

 

「昨日の戦闘のあと、逃げたんでしょ?」

 

「ああ」

 

「ヒナ先輩相手にあれだけやられて、まだ逃げられるってすごいよね」

 

 キララが頬杖をついたまま言う。

 

「でもさ、次に見つかったら、さすがに捕まるんじゃない?」

 

「……そうだな」

 

 翔は答える。

 

 けれど。

 

 何かが引っ掛かった。

 

 ――捕まる。

 

 当然だ。

 

 あれだけ暴れた。

 

 怪我人も出た。

 

 街も壊した。

 

 危険な存在なのは間違いない。

 

 放っておくことなんてできない。

 

 でも。

 

 捕まえる。

 

 倒す。

 

 それだけで終わっていいのか。

 

 昔。

 

 父と一緒に見た映像。

 

 父が持っていたディスク。

 

 休みの日に二人で見た。

 

 父の隣に座って。

 

 画面の中で戦う仮面ライダーを夢中になって見ていた。

 

 細かな台詞や出来事まで。

 

 全部覚えているわけじゃない。

 

 何年も前のことだ。

 

 それでも。

 

 覚えている。

 

 仮面ライダーに倒されたドーパント。

 

 怪物の身体から。

 

 ガイアメモリが排出される。

 

 そして。

 

 メモリが砕け。

 

 怪物だった者が。

 

 元の姿へ戻る。

 

 ――そうだ。

 

 確か。

 

 そうだった。

 

「…………」

 

 なら。

 

 あのT-REXドーパントも。

 

 ただ倒すしかない怪物じゃない。

 

 ガイアメモリを。

 

 どうにかすることができれば。

 

 ――元の姿に戻せるんじゃないか。

 

 そんな考えが。

 

 翔の中に。

 

 はっきりと形を持ち始めていた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 それから。

 

 しばらくして。

 

「じゃ、またね翔っち!」

 

「ああ。またな」

 

「次来た時は、ぼーっとして注文間違えたりしないでよ?」

 

「今日一回も間違えてないだろ」

 

「今日はね」

 

「信用ないなぁ……」

 

 翔が呆れる。

 

「じゃあね、翔くん」

 

「またな、エリカ」

 

 エリカが小さく手を振る。

 

 キララも大きく手を振り。

 

 二人は店を出ていった。

 

 カラン――。

 

 扉が閉まる。

 

 さっきまでの賑やかな声がなくなり。

 

 ひだまりに。

 

 静かな時間が戻ってきた。

 

「さて……」

 

 翔は二人が使っていた食器を集める。

 

 厨房へ。

 

 流し台。

 

 食器を水へ浸ける。

 

 蛇口を捻ろうとした。

 

 その時だった。

 

「翔」

 

「ん?」

 

 ニャン次郎。

 

 声。

 

 普段と。

 

 少し違う。

 

 翔が振り向く。

 

「何?」

 

 ニャン次郎は。

 

 仕込みの手を止めていた。

 

 包丁を置き。

 

 前足を拭う。

 

 そして。

 

 翔を見る。

 

「昨日から気になっていたんだが」

 

「……?」

 

「お前」

 

 一拍。

 

「あの怪物について、何か知っているのか?」

 

「…………」

 

 翔の手が。

 

 止まった。

 

「……なんで?」

 

「ニュースを見た時のお前の反応だ」

 

「…………」

 

「初めて見たものに対する反応には見えなかった」

 

 ニャン次郎は淡々と言う。

 

 責めるような口調ではない。

 

 だが。

 

 その視線は。

 

 いつもより鋭かった。

 

「それに昨日」

 

 続ける。

 

「店の端末で、随分と妙な言葉を調べていただろう」

 

「……見てたのか」

 

「自分の店だからな」

 

「そりゃそうか……」

 

 翔は小さく息を吐いた。

 

 どうする。

 

 何て答える。

 

 ドーパント。

 

 ガイアメモリ。

 

 自分がそれを知っている理由。

 

 正直に話すなら。

 

 全部。

 

 説明しなければならない。

 

 俺がいた場所では。

 

 この世界そのものがゲームだった。

 

 そして。

 

 T-REXドーパント(あいつ)は。

 

 別の映像作品に登場した怪人だった。

 

 ――いや。

 

 無理だろ。

 

 自分で考えても。

 

 意味が分からない。

 

 そもそも。

 

 今ここで話すべきなのか。

 

「…………」

 

 翔は少し迷った。

 

 そして。

 

「……俺のいた場所に」

 

 慎重に。

 

 言葉を選ぶ。

 

「あれと似たようなものがあったんだ」

 

「……似たようなもの?」

 

「ああ」

 

 ニャン次郎の目が。

 

 僅かに細くなった。

 

「実際に見たことがあるのか?」

 

「いや……」

 

「なら、どういう意味だ」

 

「そこは……」

 

 翔は頭を掻く。

 

「ちょっと説明しづらい」

 

「…………」

 

「別に、マスターを信用してないとかじゃないんだ」

 

 翔は付け加える。

 

「ただ……俺自身、どう説明すればいいのか分からないっていうか」

 

「そうか」

 

 ニャン次郎は。

 

 それ以上。

 

 追及しなかった。

 

 そのことが逆に。

 

 翔には少し意外だった。

 

「でも」

 

 翔が続ける。

 

「あれが何なのかは……たぶん知ってる」

 

「何だ?」

 

 翔は。

 

 ニャン次郎を見る。

 

「ドーパント」

 

「……!」

 

 ほんの一瞬。

 

 ニャン次郎の瞳が。

 

 揺れた。

 

 ほんの僅か。

 

 普通なら。

 

 見逃したかもしれない。

 

 でも。

 

 今の翔は。

 

 ニャン次郎の反応を見ていた。

 

「……マスター?」

 

「続けろ」

 

「……ああ」

 

 何だ。

 

 今の反応。

 

 胸に。

 

 小さな疑問。

 

 それでも。

 

 翔は話を続ける。

 

「あれは、ガイアメモリっていうものを使って変身した姿だったはずだ」

 

「…………」

 

「だから」

 

 翔は言う。

 

「あいつは、最初からあの姿だったわけじゃない」

 

「…………」

 

「ガイアメモリを使った何者かが、あの姿になってる」

 

 ニャン次郎は。

 

 何も言わない。

 

 ただ。

 

 翔の話を聞いている。

 

「俺の記憶が間違ってなければだけど……」

 

 翔は。

 

 少し考えてから続けた。

 

「メモリをどうにかできれば、元の姿に戻せるはずだ」

 

「…………」

 

 短い沈黙。

 

「……そうか」

 

 それだけ。

 

「…………」

 

 翔の眉が。

 

 僅かに寄る。

 

 やっぱり。

 

 おかしい。

 

 ドーパント。

 

 ガイアメモリ。

 

 初めて聞いたなら。

 

 もっと何か。

 

 聞いてくるんじゃないか。

 

 なのに。

 

 マスターは。

 

 まるで。

 

 言葉の意味を理解しているみたいに――。

 

「マスター」

 

「何だ」

 

「マスターこそ」

 

 翔は。

 

 ニャン次郎を見る。

 

「なんでそんなこと聞くんだ?」

 

「…………」

 

 今度は。

 

 ニャン次郎が。

 

 黙る番だった。

 

「ニュース見た時もそうだったけど」

 

「…………」

 

「マスターも、何か知ってるんじゃないのか?」

 

「…………」

 

「マスター?」

 

 数秒。

 

 ニャン次郎は。

 

 翔を見ていた。

 

 やがて。

 

「いや」

 

 視線を外す。

 

「何でもない」

 

「何でもないって顔じゃないけど」

 

「気にするな」

 

「いや、気になるだろ」

 

「仕事をしろ」

 

「誤魔化したな?」

 

「食器が残っているぞ」

 

「絶対誤魔化しただろ」

 

「早く洗え」

 

「…………」

 

 翔は。

 

 じーっと。

 

 ニャン次郎を見る。

 

 だが。

 

 それ以上。

 

 ニャン次郎が答える様子はない。

 

「……分かったよ」

 

 翔は諦める。

 

 蛇口を捻る。

 

 水音。

 

 食器を洗い始める。

 

 けれど。

 

 胸の中。

 

 一つの疑問が。

 

 はっきりと残った。

 

 ――マスター。

 

 もしかして。

 

 ガイアメモリのことを知ってるのか?

 

 そして。

 

 同じ疑問を。

 

 ニャン次郎も抱いていた。

 

 ――翔。

 

 お前は。

 

 なぜ。

 

 そこまで知っている。

 

 友人が遺した研究資料。

 

 そこに記されていた。

 

 ガイアメモリ。

 

 ドーパント。

 

 そして。

 

 メモリを破壊することで。

 

 変身者を元の姿へ戻すことができるという記録。

 

 それと。

 

 翔の口から出てきた言葉。

 

 本来なら。

 

 繋がるはずがない。

 

 キヴォトスの外からやって来た少年。

 

 数年前まで。

 

 カイザーの研究施設内部でさえ。

 

 限られた者しか知らなかったはずの情報。

 

 それを。

 

 なぜ。

 

「…………」

 

 ニャン次郎は。

 

 黙って。

 

 翔の背中を見つめた。

 

 まだ。

 

 聞けない。

 

 そして。

 

 自分も。

 

 話すことはできない。

 

 ただ。

 

 互いが隠しているものの輪郭だけが。

 

 少しずつ。

 

 見え始めていた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 ゲヘナ自治区ー地下ー。

 

 地上の喧騒など。

 

 ここには届かない。

 

 薄暗い空間。

 

 崩れた地下通路。

 

 亀裂の走った壁。

 

 剥き出しになった鉄骨。

 

 崩れ落ちた瓦礫。

 

 そして。

 

 その奥。

 

「ヴ……ァ……」

 

 低い声。

 

 荒い呼吸。

 

 巨大な影が。

 

 暗闇の中で。

 

 僅かに動いた。

 

 T-REXドーパント。

 

 その異形の身体には。

 

 無数の傷が残っていた。

 

 風紀委員会の集中射撃。

 

 そして。

 

 空崎ヒナ。

 

 彼女との戦闘。

 

 その影響は。

 

 確実に残っている。

 

「ヴ……ァ……」

 

 息。

 

 荒い。

 

 身体。

 

 僅かに揺れる。

 

 昨日までのような。

 

 荒々しい動きはない。

 

 それでも。

 

 まだ。

 

 活動を続けている。

 

 その時。

 

 ――カツン。

 

「ヴ……?」

 

 反響した音が響く。

 

 遠く。

 

 もう一度。

 

 カツン。

 

 カツン。

 

 それが足音だと気づいた。

 

 T-REXドーパントの巨大な頭部が上がる。

 

 暗闇の奥。

 

 光が一つ。

 

 二つ。

 

 三つ。

 

 複数のライト。

 

『目標を確認』

 

 機械越しの声。

 

『対象、地下区画にて発見』

 

 無線での通信の後に光の向こうから複数の影が現れる。

 

 カイザーPMC。

 

 完全武装した回収部隊。

 

 その手には銃器、拘束装備、計測器等が握られている。

 

 その後方には。

 

 研究員。

 

『実験体の状態は?』

 

『活動を確認。全身に損傷多数』

 

 研究員が。

 

 端末を見る。

 

『ただし、メモリの反応は維持されています』

 

『了解』

 

 一人が。

 

 通信機へ。

 

『対象を確認』

 

 返ってくる。

 

 冷たい声。

 

『最優先目標を確認しろ』

 

『メモリの回収です』

 

『そうだ』

 

 一拍。

 

『実験体については?』

 

『二次目標だ』

 

 迷いはない。

 

『可能であれば生存状態で確保しろ。継続実験に利用できる』

 

『了解』

 

『ただし』

 

 声。

 

 さらに。

 

 冷たくなる。

 

『実験体の生命維持とメモリ回収が競合した場合、メモリを優先しろ』

 

『……了解』

 

『実験体が死亡した場合でも構わん。T-REXメモリと記録データだけは必ず持ち帰れ』

 

『了解しました』

 

 通信が切れる。

 

 ガシャッ──。

 

 銃口が一斉にT-REXドーパントへ向けられる。

 

「ヴ……」

 

 怪物が、彼らを見る。

 

 そしてある一点で視線が止まった。

 

 回収部隊の装備。

 

 そこに刻まれた。

 

 カイザーの企業章。

 

「ヴ…………」

 

 怪物の身体が。

 

 僅かに震えた。

 

『……?』

 

 研究員が端末を見る。

 

『対象に変化』

 

『何だ?』

 

『生体反応が上昇しています』

 

「ヴ……ァ……」

 

『心拍上昇』

 

「ヴ……ァァ……!」

 

『対象、興奮状態へ移行!』

 

「ヴァァァァァァァァァッ!!」

 

 咆哮。

 

 地下通路。

 

 空気が震える。

 

『撃て!』

 

 銃声。

 

 暗闇の中でマズルフラッシュが光る。

 

 一斉に放たれた弾丸が、T-REXドーパントの身体へ次々と命中する。

 

「ヴァァァァァッ!!」

 

 それでも怪物は前へ出た。

 

『対象接近!』

 

『散開!』

 

 地面を蹴る。

 

 その巨体に見合わぬ速度で一気に加速。

 

『速い――!』

 

 激突。

 

 ドゴォンッ!!

 

 地下の土壁が砕け散る。

 

『拘束装備!』

 

『了解!』

 

 ワイヤーが一斉に射出され身体へ絡みつく。

 

「ヴァ……!」

 

『固定しろ!』

 

 その合図と共に何人かがワイヤーを締め上げる。

 

 しかし。

 

「ヴァァァァァァァッ!!」

 

 雄たけびと共にワイヤーが一気に引き千切られた。

 

 フィジカル任せの強引な力による脱出。

 

 引き千切られた衝撃で何人かのカイザーPMCが地面を転がる。

 

『拘束失敗!』

 

『距離を取れ!』

 

 そんな指示もつかの間。

 

 接近した怪物の左腕が振るわれる。

 

『うわっ――!』

 

 一人が壁へ叩きつけられる。

 

『対象暴走!』

 

『火力を上げろ!』

 

 総員での集中銃撃。

 

 それでも。

 

 止まらない。

 

「ヴァァァァァァァァァッ!!」

 

 怒りなのか。

 

 恐怖なのか。

 

 あるいは。

 

 もっと別の何かなのか。

 

 怪物へ変わり果てたその身体の奥。

 

 そこに残っている何かが。

 

 カイザーという存在へ。

 

 激しく。

 

 反応しているかのように。

 

『記録を続けろ!』

 

 後方の研究員が指示を飛ばす。

 

『カイザー識別章を視認した直後、攻撃性が急激に上昇しています!』

 

『原因は?』

 

『不明です!』

 

『過去のデータと照合しろ!』

 

『該当する反応はありません!』

 

 目の前で。

 

 怪物が暴れる。

 

 それでも。

 

 研究員たちは。

 

 記録を止めない。

 

 なぜ。

 

 カイザーを見た瞬間に反応したのか。

 

 何を感じたのか。

 

 何を覚えているのか。

 

 そんなことには。

 

 興味を示さない。

 

 彼らが見ているのは。

 

 実験データ。

 

 そして。

 

 回収すべき。

 

 T-REXメモリ。

 

「ヴァァァァァァァァァッ!!」

 

 咆哮。

 

 衝撃波。

 

『ぐっ!』

 

『下がれ!』

 

 地下空間が揺れる。

 

 そして。

 

 壁に亀裂。

 

『……まずい!』

 

 研究員が。

 

 上を見る。

 

『天井が崩れます!』

 

『退避!』

 

 直後。

 

 轟音が響いた。

 

 天井の崩落。

 

 大量の土砂と共に流れ落ちる瓦礫の雨。

 

『視界不良!』

 

『対象を見失うな!』

 

『反応は!?』

 

 研究員が。

 

 端末を見る。

 

『……移動しています!』

 

『どこへ!?』

 

『地中を高速移動!』

 

『追跡しろ!』

 

『待ってください、この進路――』

 

 研究員の声が。

 

 止まる。

 

『どうした』

 

 端末。

 

 反応。

 

 上。

 

『……上です』

 

『何?』

 

『対象』

 

 一拍。

 

『地上へ向かっています!』

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 午後。

 

 喫茶店『ひだまり』。

 

 店先。

 

 翔は箒を手に。

 

 入口の周囲を掃いていた。

 

 ザッ。

 

 ザッ。

 

 一定の音。

 

「…………」

 

 けれど。

 

 頭の中では先ほどの会話が繰り返し、離れない。

 

 ――ドーパント。

 

 あの言葉を出した時。

 

 マスターが明らかに反応した。

 

 ガイアメモリについて話した時も驚いてはいた。

 

 でも。

 

 知らない言葉を聞いた反応じゃなかった。

 

 ――マスター。

 

 何か知ってる。

 

 たぶん。

 

 間違いない。

 

 でも。

 

 何を?

 

「…………」

 

 翔は箒を動かす。

 

 その時。

 

 ――ドン。

 

「……?」

 

 足元が。

 

 僅かに揺れた。

 

 翔が地面を見る。

 

「地震……?」

 

 もう一度。

 

 ドン。

 

 今度は、はっきり。

 

 下から。

 

「…………」

 

 嫌な予感。

 

 そして。

 

 遠くからそれが木霊する。

 

「ヴァァァァァァァァァッ!!」

 

「――!」

 

 翔の顔色が変わる。

 

 忘れるはずがない。

 

 あの声。

 

「あいつ……!」

 

 振り返る。

 

 店内。

 

 ニャン次郎も動きを止めていた。

 

 その直後。

 

 店内のモニターで流れていた番組が途切れる。

 

『――緊急速報です!』

 

 画面が切り替わる。

 

 そこに映り込むのはクロノス報道部。

 

 シノン。

 

『ゲヘナ自治区から緊急情報です! 昨日、風紀委員会と交戦した正体不明の怪物が再び確認されました!』

 

 画面に映る映像。

 

 遠く。

 

 立ち上る土煙。

 

 逃げる生徒。

 

 崩れた道路。

 

『現在、現場周辺では地面の崩落も確認されており、風紀委員会が急行しています! 付近にいる皆さんは絶対に近づかず、風紀委員会の指示に従って安全な場所へ避難してください!』

 

 報道するシノンの後方。

 

 そこで再び。

 

 土煙が上がる

 

『なお、昨日の戦闘後からこの怪物は行方が分からなくなっており、風紀委員会が捜索を続けていました! 正体、目的ともに依然として不明! 昨日、風紀委員長の空崎ヒナさんとの交戦から逃走した個体と同一と見られ――』

 

「…………」

 

 翔は。

 

 画面を見る。

 

 昨日までなら。

 

 怪物が出た。

 

 止めなければ。

 

 そう……考えたかもしれない。

 

 でも。

 

 今は。

 

 少し違う。

 

 あれは。

 

 最初から怪物だったわけじゃない。

 

 ガイアメモリを使った何者かが。

 

 あの姿になっている。

 

 そして。

 

 自分の記憶が。

 

 正しいなら。

 

 元の姿へ。

 

 戻せる可能性がある。

 

「…………」

 

 翔は。

 

 箒を置いた。

 

 店の外へ。

 

 足を向ける。

 

 そのまま足を踏み出しかけた、その時。

 

「翔」

 

 背後の声。

 

 止まり。

 

 振り返る。

 

 ニャン次郎。

 

「どこへ行く」

 

「……あいつのところ」

 

「行ってどうする」

 

「…………」

 

 言葉が詰まる。

 

 何ができる。

 

 自分に。

 

 武器はない。

 

 力もない。

 

 ヘイローだってない。

 

 風紀委員会ですら。

 

 何人もかかって。

 

 ようやく動きを抑えた。

 

 ヒナですら。

 

 完全には仕留めきれなかった。

 

 そんな怪物を相手に。

 

 自分が。

 

 何をする。

 

「……分からない」

 

 翔は。

 

 正直に答えた。

 

「だったら行くな」

 

「…………」

 

「ここには風紀委員会がいる。それに大事になれば、ヴァルキューレの警察連中だってな」

 

 ニャン次郎は言う。

 

「お前が行く必要はない」

 

「……分かってる」

 

「分かっているなら――」

 

「でも」

 

 翔は。

 

 拳を握った。

 

「あいつだって、最初から怪物だったわけじゃないんだ」

 

「…………」

 

「俺の記憶が正しいなら」

 

 一度。

 

 息を吸う。

 

「元に戻せるかもしれない」

 

「だから何だ」

 

 ニャン次郎の声が。

 

 少しだけ強くなる。

 

「お前が行ったところで何ができる」

 

「…………」

 

「風紀委員会でも苦戦した相手だ」

 

「……分かってるよ」

 

「翔!」

 

「分かってる!」

 

 思わず声が強くなる。

 

 でも。

 

 怒っているわけじゃない。

 

 悔しい。

 

 ただ。

 

 それだけだった。

 

「俺じゃ何もできないことくらい……!」

 

 拳を。

 

 さらに。

 

 強く握る。

 

 あの日。

 

 目の前。

 

 怪物。

 

 逃げる生徒たち。

 

 助けたい。

 

 そう思った。

 

 なのに。

 

 自分には。

 

 何もできなかった。

 

 何も。

 

「……嫌ってほど分かってる」

 

 翔の声が。

 

 少し。

 

 小さくなる。

 

「俺が行ったところで、あいつを止められるわけじゃない」

 

「…………」

 

「風紀委員会みたいに戦えるわけでもない」

 

「…………」

 

「何ができるかなんて……俺にも分からない」

 

 それでも。

 

 翔は。

 

 顔を上げる。

 

「でも」

 

 ニャン次郎を見る。

 

「だからって」

 

 一拍。

 

「あいつをただの怪物だって決めつけて」

 

「…………」

 

「見なかったことにはできない」

 

 ニャン次郎の目が。

 

 僅かに。

 

 見開かれた。

 

 翔は。

 

 それ以上。

 

 何も言わなかった。

 

「……ごめん、マスター」

 

「翔」

 

 背を向ける。

 

「おい!」

 

 走る。

 

 店の外へ。

 

「翔!」

 

 カラン――!

 

 扉が。

 

 大きく揺れる。

 

「…………」

 

 ニャン次郎は。

 

 追わなかった。

 

 いや。

 

 すぐには。

 

 追えなかった。

 

 閉じた扉。

 

 その向こう。

 

 翔が。

 

 遠ざかっていく。

 

 ――見なかったことにはできない。

 

「…………」

 

 ニャン次郎は。

 

 目を閉じた。

 

 馬鹿だ。

 

 何もできないと。

 

 自分で分かっている。

 

 それなのに。

 

 行った。

 

「……本当に」

 

 小さく。

 

「馬鹿な奴だ」

 

 そして。

 

 ニャン次郎の脳裏に。

 

 一つの場所が。

 

 浮かんだ。

 

 店の奥。

 

 普段。

 

 誰も入らない場所。

 

 そのさらに奥。

 

 誰にも見つからないよう。

 

 何年もの間。

 

 隠し続けてきた。

 

 一つのケース。

 

 その中に。

 

 眠っている。

 

 二つの遺物。

 

 友人が。

 

 命と引き換えに。

 

 自分へ託したもの。

 

 ロストドライバー。

 

 そして。

 

 ジョーカーメモリ。

 

「…………」

 

 あれを。

 

 誰かに渡すつもりなどなかった。

 

 誰にも。

 

 使わせるつもりなどなかった。

 

 友人から託されたから。

 

 捨てることもできず。

 

 カイザーへ渡すことなど。

 

 なおさらできず。

 

 ただ、隠した。

 

 ずっと。

 

 それでいいと思っていた。

 

 使われなければ。

 

 何も起きない。

 

 あの力へ。

 

 誰も関わらなければいい。

 

 そう。

 

 思っていた。

 

 なのに。

 

「…………」

 

 ――俺じゃ何もできないことくらい。

 

 翔の声。

 

 ――見なかったことにはできない。

 

「……翔」

 

 ニャン次郎が。

 

 小さく。

 

 その名を呼ぶ。

 

 まだ。

 

 決めたわけではない。

 

 まだ。

 

 渡すと。

 

 決めたわけではない。

 

 けれど。

 

 長い間。

 

 決して触れようとしなかった。

 

 あのケースへ。

 

 ニャン次郎の意識は。

 

 確かに。

 

 向いていた。

 

 止まっていたものが。

 

 また一つ。

 

 僅かに。

 

 動き始めていた。

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