青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
いや本当、どうして新規勢にも優しくないこのタイミングで持ってきたんですかねぇ。
ロア編の追加ストーリーも楽しみですな。
数日後。
翔が再びアビドス高等学校を訪れると、校舎へ入ってすぐ、いつも使われている教室の机の上に見慣れない封筒が置かれていることに気づいた。
「何、それ?」
「あ、翔さん。ちょうどよかったです」
端末を確認していたアヤネが顔を上げる。
「先生から届いたものなんです」
「先生から?」
翔が机へ近づくと、アヤネは封筒から六枚の券を取り出した。青を基調とした券面には、水中を泳ぐ魚たちの写真とともに水族館の名前が印刷されている。
「水族館の招待券?」
「はい。シャーレの方でいただいたものらしくて。ただ、使用期限が今週末までなんです」
「結構ギリギリだな」
「先生も使うつもりだったらしいんですけど、まだミレニアムの方を離れられないみたいで……」
アヤネが端末の画面を翔たちへ向ける。
そこには先生から送られてきたメッセージが表示されていた。
『せっかくの招待券なのに、このまま期限切れにするのももったいないからね。翔もまたアビドスに行くって聞いたし、みんなで使ってきたら? 私はまだミレニアムから抜けられそうにないから、私の分まで楽しんできて』
「先生、まだミレニアムにいるのか」
「みたいですね。昨日も遅くまで向こうにいたそうです」
「そっか」
前に連絡した時も、先生はまだ向こうの用事に付きっきりだった。カイザーや妙な兵器の話はなく、その後も特に連絡は来ていない。
翔は端末から目を離した。
「それで、どうするんだ?」
アヤネが答えるより少しだけ早く、教室の奥から声がした。
「行くなら、期限切れる前がいいよねえ」
長机に頬杖をついていたホシノが、いつの間にかしっかり顔を上げていた。
「今週末までなんだよね?」
「はい。今日を含めても、もうあまり余裕はありません」
「今日って何か予定あったっけ?」
「午後は特にありません」
「じゃあ、いいんじゃない?」
セリカも招待券を覗き込む。
「無料ならちょうどいいじゃない。交通費くらいなら、そんなにかからないし」
「せっかく先生が譲ってくださったんですし、使わない方がもったいないですよね~」
ノノミも楽しそうに頷く。
「ん。行きたい」
シロコも迷いなく賛成した。
「翔さんはどうしますか?」
「俺?」
アヤネに尋ねられ、翔はもう一度六枚の招待券を見る。
「先生もそのつもりで六枚送ってきたんだろ?」
「そうみたいです」
「だったら行くよ。せっかく遊びに来てるんだし」
「決まりですね~」
ノノミが嬉しそうに手を合わせる。
その横では、ホシノがすでに水族館の案内ページを端末で開いていた。
「へえ……大水槽があるんだ。深海魚の展示もあるみたいだねえ」
「ホシノ先輩、もう調べてるの?」
「せっかく行くんだから、何がいるかくらい見ておこうかなって」
「さっきまで机に突っ伏してたのに……」
「うへ~、おじさんにも興味があるものくらいあるよ~」
気だるげな返事をしながらも、指は画面を滑っていく。
「こっちは期間展示……あ、骨格標本もあるんだ」
セリカはその横から画面を覗いた。
「……ほんとに好きなのね」
「魚?」
「水族館」
「まあねえ」
ホシノは画面から目を離さないまま答えた。
「じゃあ、今から出れば次の便に間に合いそうですね」
アヤネが交通機関の時刻を確認する。
「そこを逃すと少し待つことになります」
「じゃあ、それで行きましょうか~」
「私、飲み物持ってくる」
セリカが席を立つ。
「ん。私も準備する」
シロコも自分の荷物へ手を伸ばした。
「翔さんも大丈夫ですか?」
「ああ。俺はいつでも」
「では、行きましょう」
アヤネが招待券を封筒へ戻す。
その間にも、ホシノはまだ館内案内を見ていた。
「ホシノ先輩、置いていくわよ」
「今行くよ~」
ようやく端末をしまったホシノも立ち上がり、六人は揃って校舎を出た。
* * *
最寄りの公共交通機関を使って移動し、そこから少し歩くことになった。
六人で同じ車両に乗ると、自然と席も近くなる。
翔は窓側の席に腰を下ろし、その向かいにシロコとセリカ、少し離れてアヤネとノノミ、ホシノが座った。
アビドスを離れるにつれて、窓の外に広がっていた砂の色が徐々に減っていく。
「こうして見ると、やっぱり景色全然違うな」
翔が窓の外を見ながら言う。
「ん。アビドスは砂が多いから」
シロコも窓へ視線を向けた。
「まあ、それは見れば分かるけど」
セリカが少し笑う。
「事実」
「うん、事実ね」
「こういうところまで来るのも久しぶりですね」
アヤネが窓の外を見る。
「学校のことがあると、どうしても遠出する機会は減っちゃいますから」
「そうですね~。今日は先生にも感謝しないといけませんね」
「ん。招待券がなかったら来てなかったと思う」
「それは私もそうかも」
セリカも頷いた。
「でも、来られてよかったわ」
「はい♪」
ノノミが嬉しそうに笑う。
向かいではホシノが窓枠に頬杖をついている。眠そうに見えるが、端末には水族館の館内案内が表示されたままだ。
「まだ見てるの?」
セリカが気づいて声をかける。
「んー? 館内のお店も見てただけだよ~」
「そっちまで調べ始めたんだ」
「せっかく行くんだからねえ」
セリカは呆れるでもなく、また少し笑った。
やがて車内に到着を告げる案内が流れた。
「次ですね」
アヤネが立ち上がる。
駅を降りて少し歩くと、水族館の大きな案内板が見えてきた。
「着きましたよ」
目の前には、ガラス張りの壁面を持つ大きな建物がある。入口付近には色鮮やかな海の生き物を描いた装飾が並び、休日ということもあって家族連れや学生の姿も多かった。
「結構大きいな」
翔が建物を見上げる。
「ん。想像より広い」
シロコも館内案内図を見ている。
「全部ちゃんと回れるかな」
「まだ時間はありますし、気になるところから見ていきましょうか」
アヤネが答えた直後、横からホシノが案内図を覗き込んだ。
「大水槽は二階からも見られるみたいだねえ。骨格展示はこっちか」
「ホシノ先輩、もう見る場所を決めたんですか?」
「決めてないよ~。ちょっと気になっただけ」
そう答えながら、普段より少しだけ速い足取りで入口へ向かっていく。
セリカもその横へ並んだ。
「ホシノ先輩、ちょっと歩くの速くない?」
「そう?」
「うん。まあ、私も早く入りたいけど」
「じゃあ問題ないねえ」
「そういうことにしておく」
二人の少し後ろをシロコが歩き、その隣に翔が並ぶ。
ホシノは入口のすぐ手前で一度だけ振り返った。
「みんな、早くおいでよ~」
「やっぱり楽しみにしてる」
シロコが呟く。
「だな」
六人は招待券を受付へ渡し、揃って館内へ入った。
照明が一段暗くなり、外の明るさから一転して、水槽から漏れる青い光が周囲を満たす。
気温まで少し下がったように感じられた。
「おお……」
翔の口から自然に声が漏れる。
最初の展示区画には小型の魚が泳ぐ水槽が並んでいた。色鮮やかな魚の群れが岩の間を抜け、光を反射しながら向きを変えていく。
「わぁ、綺麗ですね~」
ノノミがすぐに水槽へ近づく。
「見てください、セリカちゃん。あの小さい子、可愛いですよ~」
「ほんとだ。すごく鮮やかね」
セリカも隣へ並び、水槽の中を目で追う。
「写真撮ります?」
「まだ入ったばっかりだし、もう少し見てからでいいわ」
「分かりました~」
ノノミは自分で水槽を一枚撮ると、今度はその奥を覗き込んだ。
少し先ではシロコが別の水槽の前で足を止めている。
「速い」
「魚?」
「ん。止まってるように見えたのに、動き出す時が速い」
「シロコはそういうところ見るんだな」
「翔は?」
「俺は普通に色とか見てた。綺麗だし」
「ん。それも分かる」
「ほら、あっちの黄色いのとか」
「目立つ」
「だろ?」
「外敵にも見つかりやすそう」
「そこまで考えてなかったな」
翔が苦笑する。
二人が話している横で、小さな魚の群れがほとんど一つの生き物のように一斉に向きを変えた。
「すごいですね。あれだけ近いのに、全然ぶつからないんですね」
アヤネが感心したように言う。
「魚は水の流れとか振動も感じ取れるからねえ」
ホシノが何気なく答えた。
「近くの仲間がどう動いてるかも分かるんだよ」
「そんな感覚があるのか」
「側線っていうの。水の中じゃ結構大事なんだよ~」
「へえ……」
「ホシノ先輩、詳しいですね」
「まあ、おじさんこういうの好きだからねえ」
ホシノは軽く肩を竦め、水槽の中を泳いでいく魚をまた目で追った。
少し進んだ先で、今度はセリカが足を止める。
「あれ、ずっとあのままなの?」
砂から細長い身体を伸ばしている魚を指差した。
「チンアナゴだねえ。身体の大半は砂の中だよ」
「じゃあ、見えてる部分ってほんの一部なんだ」
「うん」
セリカは水槽へ少し身を寄せる。
「思ったより長いのね」
「砂の中じゃ見えないけどねえ」
「全部出てるところも見てみたいかも」
「分かります。少し気になりますよね~」
「でしょ?」
ノノミも隣へ顔を寄せる。
「でも、なかなか出てきてくれそうにありませんね」
「そうね。これは待ってても難しそう」
二人はもうしばらく眺めてから、次の水槽へ移った。
その少し先では、岩陰からほとんど出てこない魚をシロコがじっと見つめていた。
「動かないな」
「ん」
「さっき速い魚見てたと思ったら、今度は全然動かないやつ?」
「いつ動くか見てる」
「なるほど」
翔もその横に立った。
十秒。
二十秒。
魚は動かない。
シロコも動かない。
「長期戦になりそうだな」
「待てる」
「だろうな」
少し先へ行っていたセリカが振り返った。
「シロコ先輩、翔。私たち先に見てるから、あとで追いついてね」
「ん」
「ああ」
セリカが皆の方へ戻った直後、岩陰の魚が僅かに位置を変えた。
「動いた」
「……ほんとにちょっとだけな」
「ん」
シロコの口元が僅かに緩む。
「もういい?」
「いい」
「じゃあ行くか」
二人も皆の後を追った。
先へ進むと、ノノミが水槽へ端末を向け、アヤネは説明板を読み込んでいた。セリカはその隣で見慣れない魚の名前を一度口の中で読み、もう一度表示へ目を戻している。
「これ、名前長くない?」
「本当ですね……」
「覚えられる?」
「今なら、多分」
「じゃあ後で聞くわね」
「えっ」
アヤネが困ったようにセリカを見る。
「冗談よ」
二人の間に小さな笑いがこぼれた。
* * *
館内の中央にある大水槽は、吹き抜け二階分ほどの高さがあった。
通路を抜けた瞬間、視界の大部分が青に変わる。
大型の魚やエイがゆっくりと泳ぎ、その周囲を小さな魚の群れが流れるように移動していた。
「すごいですね……」
アヤネが足を止める。
手にしていた案内図が自然と下がり、顔は水槽へ向いたままだ。
その横顔を見たノノミが、そっと端末を構える。
「アヤネちゃん、そのまま」
「え?」
小さなシャッター音が鳴った。
「撮ったんですか?」
「はい。すごく綺麗だったので~」
「私じゃなくて水槽が、ですよね?」
「どっちもです♪」
アヤネは少し困ったように笑いながら、ノノミの端末を覗き込んだ。
その横ではシロコが魚群の動きを追い、セリカはガラスの下側を覗き込んでいる。
そこへ、大きなエイがゆっくり近づいてきた。
「……近い」
思わず一歩下がったセリカだったが、エイが目の前を通り始めると、今度は自分からガラスへ近づいた。
「下から見ると、顔みたいに見えるのね」
「本当ですね~」
ノノミも隣へ並ぶ。
「ちょっと可愛いかも」
「写真撮る?」
「うん。エイがちゃんと見えるようにお願い」
「任せてください~」
ノノミが何枚か撮影し、セリカがすぐ横から画面を覗く。
「これ、いいじゃない」
「上手く撮れましたね~」
「あとで送って」
「はい♪」
少し離れたところでは、ホシノが水槽を眺めていた。
大きな魚が正面を横切ると、その動きに合わせて視線もゆっくり横へ流れていく。次に近くを通った小さな魚の群れにも気づき、僅かに口元を緩めた。
翔はその隣へ立つ。
「結構楽しんでるな」
「うん。かなりねえ」
ホシノは素直に答えた。
「翔くんは?」
「俺も楽しいよ。こういうところ、久しぶりだし」
「そっか。それなら良かったよ」
それだけ言うと、ホシノはまた水槽へ向き直った。
翔も同じ方向を見る。
頭上近くを一匹のエイが通り過ぎ、その影が二人の前をゆっくり横切った。
「ホシノ先輩、翔。次も見に行くでしょ?」
先へ進んだセリカが少し離れたところから振り返っている。
「行くよ~」
「俺も行く」
二人も皆の後へ続いた。
* * *
深海生物の区画では照明がさらに暗くなり、青や紫の光に照らされた水槽が並んでいた。
水槽ごとに雰囲気も変わり、先ほどまでの色鮮やかな魚とはまるで違う生き物が静かに泳いでいる。
「これ、本当に魚なの?」
身体に対して大きすぎる口を持つ魚を見て、セリカが眉を寄せる。
「説明にはそう書いてありますね」
アヤネが説明板を確認する。
「深いところだと餌が少ないから、大きな口で見つけたものを逃さない種類もいるんだよ」
ホシノが補足すると、セリカは改めて魚を見る。
「生きる場所が違うと、こんな姿になるのね……」
「うん。面白いよねえ」
「ちょっと怖いけど、見てる分には面白いかも」
セリカは魚が向きを変えるのに合わせ、少し身体をずらす。
ノノミも水槽を覗き込んだ。
「暗いところで急に見えたら、びっくりしそうですね~」
「こうしてじっくり見られるならいいけどね」
「ん。近くでも見たい」
シロコが横から言った。
「シロコ先輩ならそう言うと思った」
セリカが笑う。
「見つけたら教えてね。私はちょっと離れて見るから」
「ん」
その先では、今度はアヤネがクラゲの水槽の前で足を止めていた。
「アヤネ」
シロコが声をかける。
「えっ? あ、はい!」
「何かいた?」
「このクラゲ……何だか、ずっと見ていられるなと思って」
透明な身体がゆっくりと収縮し、淡い照明の中を漂っている。
「本当ですね~。綺麗です」
ノノミも隣へ並ぶ。
翔も少し離れた位置から水槽を見る。淡い光を透かしたクラゲが、流れに乗ってゆっくり上下していた。
「じゃあ、もう少し見てれば?」
「でも、皆さんを待たせるわけには……」
「別に急いでないだろ」
アヤネは一度周囲を見回した。
ホシノは別の水槽を覗き、シロコもその場から動く様子はない。
「……そうですね。では、もう少しだけ」
「はい。ゆっくり見ましょう、アヤネちゃん」
ノノミもその場に残る。
セリカは隣の水槽へ目を向けた。
「あ、こっちのも綺麗」
「どれですか?」
「これ。小さい方」
アヤネもセリカが指した先へ顔を向ける。
「本当ですね。光が透けて……」
「色も少し違って見えるわね」
シロコも二人の間から覗き込んだ。
「こっちは動くのが少し速い」
「そこ見るのね、シロコ先輩」
「ん」
ホシノもいつの間にか戻ってきて、そのまま近くの水槽を見上げる。
誰も次へ進もうとはせず、しばらく淡い光の中でクラゲが漂うのを眺めていた。
「アヤネちゃん、写真撮ります?」
「はい。お願いします」
「分かりました~」
ノノミが端末を構える。
アヤネも今度は自分から少し位置を変え、クラゲが綺麗に映る場所を探した。
次の区画ではペンギンが泳いでいた。
陸上ではゆっくり歩いていた個体が、水へ飛び込んだ途端、別の生き物のような速さで水中を横切っていく。
「速っ」
翔が思わず声を上げる。
「ん。かなり速い」
シロコの目もすぐに追いかけた。
「陸と全然違うな」
「身体も水の中を進みやすい形になってる」
「泳ぎ方を見ると、ちょっと鳥が空を飛んでるみたいだな」
「ん。分かる」
一羽が急角度で方向を変える。
シロコの目がその動きを追う。
「曲がるのも速い」
「ほんとにそういうところ好きだな」
「翔も見てた」
「まあ、見てたけど」
その隣では、セリカがガラスのすぐ近くまで寄ってきた一羽を見ていた。
水中から上がってきたペンギンが、身体をぶるっと振って水滴を落とす。
「……可愛い」
ペンギンはそのまま数歩歩き、隣の個体に軽く身体をぶつけるようにして並んだ。
セリカの目がそちらへ移る。
「ノノミ先輩、あっちの子も見て。歩き方ちょっと面白い」
「あ、本当ですね~」
「泳いでる時はあんなに速いのにね」
「その違いも可愛いですね♪」
「うん」
また一羽が水へ飛び込み、セリカはその姿を目で追った。
「写真撮っておこうかな」
「撮ります?」
「お願いしていい?」
「もちろんです~」
ノノミが端末を受け取る。
「さっきの子、またこっち来るかな」
「少し待ってみましょうか」
「うん」
二人が並んで待っていると、先ほどの一羽が水中から戻り、ガラスの近くへ上がってきた。
「今です、セリカちゃん」
「お願い」
何枚か撮ったあと、ノノミが画面を見せる。
「こんな感じでどうですか?」
「いいじゃない。ありがと、ノノミ先輩」
「どういたしまして♪」
アヤネも横から覗き込む。
「綺麗に撮れてますね」
「でしょ? 泳いでるところも撮ればよかったな」
「次に来た時ですね~」
「そうね」
セリカは端末を受け取ると、もう一度ペンギンの方へ向けた。
それからも一行は館内をゆっくり回った。
巨大な骨格標本の前では、ノノミが真上を見上げて目を丸くする。
「こんなに大きいんですね~」
「生きてる時に目の前で見たら、もっと大きく感じそう」
アヤネも首を傾けるほど上を見る。
「水の中だと距離感も違いそうだな」
翔も骨格を目で辿った。
「翔さんでもびっくりします?」
「俺を何だと思ってるんだよ。普通に驚くよ」
アヤネが小さく笑う。
「翔さん、あまり驚かなさそうなイメージがあって」
「いや、普通に驚くからな」
「ん。今日は何回か驚いてた」
シロコが補足する。
「シロコが見てたなら間違いないな」
「ん」
その後に立ち寄った触れる展示では、翔とシロコが揃って水へ手を入れた。
「冷たっ」
「ん。冷たい」
セリカが隣から覗き込む。
「そんなに?」
「結構冷たい」
「ん」
「じゃあ私も」
セリカも手を入れる。
「……ほんとに冷たい」
「だろ?」
「思ったよりずっと冷たいわね」
水から手を抜くと、指先についた水滴を軽く振る。
「私も触ってみたいです~」
ノノミが袖を少し上げ、その隣ではアヤネも水面を覗き込む。
「思ったより深いですね」
「アヤネちゃんもやってみましょうよ~」
「では、少しだけ……」
結局、全員が順番に手を入れることになった。
「冷たいです!」
「だから言っただろ?」
「聞いてはいましたけど、思っていたより……」
慌てて手を引いたアヤネに、セリカが笑う。
「私も同じ反応したから分かる」
「本当に冷たいですね……」
そんなふうに足を止めているうちに、時計の針も随分進んでいた。
* * *
一通り展示を見終え、休憩スペースへ向かおうとしたところで、館内放送が流れた。
『ご来館中のお客様へ、本日の来館記念キャンペーン当選番号をご案内いたします』
「キャンペーン?」
セリカが足を止める。
「あ、そういえば入口に書いてありました」
アヤネが思い出したように端末を取り出した。
「今日の入館券に番号が振られていて、その中から何名かに記念品が当たるそうです。招待券も対象みたいですね」
「へえ。そんなのやってたんだ」
翔もポケットから招待券の半券を取り出した。
皆もそれぞれ半券を確認する。
館内放送から、いくつかの番号が読み上げられていった。
「まあ、そう簡単には当たらないよねえ」
ホシノが呟く。
「だろうな」
翔もそう返しかけたところで、聞き覚えのある数字が耳に入った。
「……ん?」
「どうしました、翔さん?」
「今の番号……俺のじゃない?」
アヤネも横から券面を確認する。
一桁ずつ指で追い、最後まで見たところで目を丸くした。
「……本当です! 翔さんの番号ですよ」
「翔さん、すごいです~!」
「ん。運がいい」
セリカも翔の手元を覗き込む。
「こういうの、本当に当たるのね」
「俺が一番びっくりしてるよ」
「何がもらえるんでしょうね」
「交換場所は向こうみたいですよ」
アヤネが館内案内を確認する。
「じゃあ行ってみるか」
六人揃って記念品交換所へ向かった。
受付で半券を渡すと、スタッフが番号を確認し、奥から大きな袋を持ってくる。
「本日の特別賞です。こちらは今回の期間限定キャンペーン限定品になります」
袋から出てきたのは、大きめのくじらのぬいぐるみだった。
丸みのある身体に小さな胸びれ。柔らかそうな生地でできており、腕に抱えるにはちょうどいい大きさだ。
「おお……」
すぐ近くから、小さな声が聞こえた。
翔が横を見る。
ホシノはぬいぐるみへ向けたまま、目を少しだけ大きくしていた。
「ホシノ、くじら好きなの?」
「ん? まあ、好きだよ。海の生き物の中でも結構ねえ」
「じゃあ、これ」
「……え?」
翔は受け取ったばかりのぬいぐるみを、そのままホシノへ差し出した。
「やるよ」
「いやいや。翔くんが当てたんだから、翔くんが持って帰ればいいでしょ?」
「俺の部屋にこれ置いてあるところ想像してみろよ」
ホシノがぬいぐるみと翔を交互に見る。
「……うへぇ、あんまり似合わないかもねえ」
「だろ?」
「自分から聞いておいて、その反応はどうなの?」
ホシノが笑う。
翔も笑い返しながら、もう一度ぬいぐるみを差し出した。
「ほら。欲しいやつが持ってた方がいいだろ」
「でも、限定品なんでしょ?」
「だからだよ。それに、これ貰って一番喜ぶのホシノだろ」
ホシノの視線がぬいぐるみへ戻る。
少し迷ってから、両手を伸ばした。
「……じゃあ、もらおうかな」
「どうぞ」
ぬいぐるみが翔の手からホシノの腕へ渡る。
「ありがと、翔くん」
「ああ」
ホシノは腕の中で収まりのいい位置を探すように、くじらを一度抱え直した。
「わぁ、ホシノ先輩。似合ってますよ~」
ノノミが素直に笑う。
「そう?」
「はい。可愛いです♪」
セリカもくじらとホシノを見比べる。
「似合うじゃない、ホシノ先輩」
「そうかなあ」
「うん。なんかしっくりくる」
ホシノは手元のくじらを見下ろし、もう一度抱え直した。
「じゃあ、ありがたく持って帰ろうかなあ」
そう言って歩き出しても、くじらは腕に抱えたままだった。
* * *
窓の外から差し込む光も少し傾き始めた頃、六人は休憩スペースへ入った。
飲み物を手に席へつくと、翔は椅子の背へ身体を預けた。
「結構歩いたな」
「自転車より疲れた?」
シロコが聞く。
「使う筋肉が違う感じ。今日は走ってないけど」
「今度走る?」
「今日くらい自転車から離れろ」
シロコは少し考える。
「分かった。今日はやめる」
「今日だけ?」
「次は走る」
翔は少し笑った。
「それはもう約束したもんな」
「ん」
その向かいでは、ホシノがくじらのぬいぐるみを膝の上に置いていた。
「ホシノ先輩、それ、すっかり気に入ったみたいですね~」
ノノミが言う。
「せっかく翔くんにもらったからねえ」
ホシノは飲み物へ口をつける。
隣の椅子は空いているが、くじらは膝の上に乗せたままだ。
「でも、本当に結構広かったですね」
アヤネは今日撮った写真を端末で確認していた。
「予定よりかなり長くいました」
「アヤネ、途中から時間見るの忘れてたもんな」
翔が言う。
「……はい」
アヤネが少し恥ずかしそうに笑う。
「クラゲ、かなり気に入ってた」
シロコも続ける。
「そうですね。自分でも、あんなに見ているとは思いませんでした」
「写真も綺麗に撮れてますよ。ほら」
ノノミが端末を見せる。
「わ……」
アヤネが顔を寄せる。
「本当に綺麗ですね」
「アヤネちゃん、これ送りますね~」
「ありがとうございます、ノノミ先輩」
その横で、セリカも自分の端末を見ていた。
「セリカちゃんはペンギンの写真ですか?」
ノノミが尋ねる。
「うん。さっき撮ってもらったやつ」
「よく撮れてます?」
「結構いい感じ。ほら、これ」
セリカが端末をノノミへ向ける。
「可愛いです~」
「でしょ? この子、泳いでるところも撮ればよかったな」
「次に行った時ですね♪」
「そうね」
セリカは何枚か写真を送りながら、口元を少し緩めている。
「シロコ先輩は何が一番良かったですか?」
アヤネが尋ねる。
「魚の群れ。あと、ペンギンが泳ぐところ」
「やっぱり動きなんだな」
翔が言う。
「ん。でもペンギンは可愛かった」
「そこは別なんだ」
「別」
シロコは真顔で頷く。
「翔さんは何が一番よかったですか?」
今度はアヤネから話を振られた。
「一個って言われると難しいな」
「大水槽とか?」
「それも良かったし、深海魚も面白かったし……」
翔は言葉を切る。
目の前では、ホシノがくじらを膝に乗せ、セリカとノノミがペンギンの写真を見比べている。アヤネの端末にはクラゲの写真が開かれ、シロコはその横から覗き込んでいた。
「みんなで来たこと自体が一番面白かったかも」
「それ、展示の感想じゃないじゃない」
セリカが笑う。
「そうなんだけど」
「でも、言いたいことは分かるわ」
「ん。私も」
シロコも頷いた。
「ふふっ、私も分かります~」
「私も……そうですね」
アヤネも少し笑う。
「先生も一緒に来られればよかったですね」
その言葉に、ホシノがくじらから顔を上げた。
「うん。次は先生も一緒に来られるといいねえ」
「その時も招待券があると助かるけど」
セリカが苦笑する。
「そこは大事なのね、ホシノ先輩」
「大事だよ~、セリカちゃん」
「まあ、それはそうだけど」
「そうだ。せっかくですし、最後にみんなで写真を撮りませんか?」
ノノミが端末を持ち上げる。
「先生にも送りたいですし~」
「いいですね」
「ん。撮ろう」
「だったら、大水槽の前がいいんじゃない?」
セリカの提案に全員が賛成し、席を立った。
* * *
六人は再び大水槽の前へ戻った。
夕方が近づいたためか、先ほどより人の数は少し減っている。
「ここなら綺麗に入りそうですね~」
ノノミが位置を確認する。
「誰が撮る?」
シロコが尋ねた。
「近くのスタッフさんにお願いしてみましょうか」
アヤネが声をかけると、快く引き受けてもらえた。
「もう少し皆さん寄ってくださーい」
言われるままに並ぶ。
翔の隣にはシロコが立ち、その反対側にはセリカ。ノノミとアヤネもそれぞれ位置につき、ホシノはくじらのぬいぐるみを腕に抱えている。
「翔、もう少しこっち」
「ん?」
「端に寄りすぎ」
シロコに袖を軽く引かれ、一歩近づく。
「このくらい?」
「ん」
「セリカちゃんも、もう少しこちらです~」
「これくらい?」
「はい。大丈夫です」
ノノミが全体を確認する。
「アヤネちゃんは?」
「入ってます」
「ホシノ先輩、そのくじらもちゃんと見せてくださいね~」
「くじらまで?」
「せっかくですから」
「じゃあ、こうかなあ」
ホシノがくじらを少し持ち上げる。
「撮りますね。はい、チーズ!」
シャッター音が鳴る。
念のためもう一枚。
最後にノノミの希望でもう一枚撮り、スタッフへ礼を言ってから全員で画面を覗き込んだ。
青い水槽を背に六人が並んでいる。
ホシノはくじらを抱え、シロコの口元は僅かに緩んでいた。セリカもいつものように自然に笑い、ノノミとアヤネも楽しそうに写っている。
「わぁ、いい写真ですね~」
「はい。先生に送りますね」
翔も横から画面を覗いた。
少し見てから、ぽつりと言う。
「……何か俺、普通に混ざってるな」
セリカが顔を上げる。
「今さら何言ってるのよ」
「いや、こうやって改めて写真で見るとさ」
「今日だって最初から翔の分まで招待券があったんでしょ? シロコ先輩とも遊びに来て、柴関にも来てるし」
「まあ、そうだけど」
「だったら別にいいじゃない」
セリカは何でもないことのように言い、もう一度画面へ視線を戻した。
「ん。今さら」
シロコも短く付け加える。
「翔さん、もう十分一緒に遊んでますからね~」
「そうですね。今さら一人だけ気にすることでもないと思います」
「……そっか」
翔はもう一度写真を見る。
今度は何も言わず、少しだけ口元を緩めた。
「ほら、アヤネちゃん。先生にも送るんでしょ?」
「うん。今送るね、セリカちゃん」
アヤネが写真を添えてメッセージを送信する。
返事はすぐには来なかった。
「忙しいんだろうな」
「そうですね」
少しして、アヤネの端末が鳴った。
「あ、先生からです」
全員が自然とそちらを見る。
『楽しそうでいいなあ。やっぱり私も行きたかった』
その下に、もう一通。
『次は私も誘ってね。こっちはもう少しかかりそうだけど、今のところ大丈夫だから』
「まだミレニアムなんだな」
「先生も大変ですね……」
「でも、元気そうで良かったです~」
「ん。それならよかった」
ホシノも小さく笑った。
「じゃあ、次は先生も一緒だねえ」
「また行けるといいわね」
セリカも頷く。
「先生にも今日の写真、いっぱい見せたいですね~」
「うん。ペンギンの写真も送ろうかな」
セリカが自分の端末を見る。
「いいと思います~。アヤネちゃんのクラゲの写真も送りましょう」
「それなら、大水槽の写真も……」
アヤネも写真を選び始める。
「先生、かなりの枚数見ることになりそうだな」
「来られなかった分まで、たくさん見てもらいましょう♪」
ノノミが笑う。
「これも送っていい?」
セリカがペンギンの写真をアヤネへ見せる。
「もちろん。こっちもいいですね」
「じゃあこれも」
「セリカちゃん、すっかりペンギンがお気に入りですね~」
「うん。可愛かったし」
セリカは特に気にする様子もなく、次の写真を選ぶ。
「シロコ先輩の魚の群れもある?」
「ある」
「それも送ろう」
「ん」
数枚だったはずの写真は、気づけばかなりの数になっていた。
「……先生、見るの大変じゃない?」
セリカが送信前の枚数を見て言う。
「たぶん喜ぶと思います~」
「先生なら全部見る」
シロコが答える。
「それもそうね」
アヤネが写真をまとめて送信し、端末をしまう。
「帰りの時間もありますし、そろそろ行きましょうか」
「そうだな」
六人は出口へ向かって歩き出した。
「次はどこがいいかなあ」
ホシノがくじらを抱えたまま言う。
「もう次の話?」
セリカが横を見る。
「いいじゃん。決めるだけならタダだよ~」
「それはそうだけど」
「ん。サイクリング」
「それはシロコ先輩と翔で行ってきて」
「みんなでもできる」
「私は遠慮しておくわ」
「そんなに嫌?」
「シロコ先輩の『サイクリング』って距離が信用できないの」
「普通」
「その普通が信用できないのよ」
セリカは笑いながら答える。
「じゃあ、別の場所も考えましょうか」
アヤネが言う。
「先生にも聞いてみたいですね~」
「そうだな」
翔も頷く。
自動扉が開くと、夕方の光が差し込んできた。
「翔くん、帰りも同じ電車でいいよねえ?」
「ああ」
「それじゃ、行こっか」
ホシノを先頭に、六人は駅へ向かう。
少し先では、セリカがノノミにさっきのペンギンの写真をもう一度見せ、シロコとアヤネが次に行く場所の候補を話している。
翔もその後ろを歩きながら会話に加わった。
またこんな一日があればいいと、翔は素直にそう思った。