青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
セミナーの執務室には、端末のキーを叩く音と、空調の低い駆動音が絶え間なく響いていた。
机の上に積まれた書類を片づけながら、ユウカは次の資料を画面に呼び出す。数字を追う目は真剣そのもので、あと少しで区切りがつきそうだったところへ、来客を告げるノックが響いた。
「どうぞ。開いてますよ」
入ってきたのは先生とゲーム開発部の四人だった。
「先生? それに、みんなも。……どうしたんですか、そんな揃って」
ユウカは手を止め、五人の顔を順に見渡した。
モモイは何か言いたそうにそわそわしているし、アリスはいつになく真面目な顔つきで、ユズとミドリも普段の部活動帰りとは違う雰囲気をまとっている。先生まで少し考え込むような表情を浮かべているのだから、ただ遊びに来たわけではなさそうだ。
「ちょっと、確認してもらいたいことがあってね」
いつもと違う先生の真剣な表情に、ユウカも手元の書類から顔を上げた。単なる事務的な確認ではなさそうだ。彼女は書類を脇に置き、先生の話を待った。
「……確認、ですか? 何か問題でもあったんですか?」
ユウカに尋ねられ、先生は少し間を置いてから口を開いた。
「実は、ミレニアムの山間部で、施設らしきものを見つけたんだ」
「施設?」
ユウカは椅子の背から身を起こした。
「ええ。岩壁に偽装された入口があって、脇にはプレートが取り付けられていた。そこに書かれていたのが――」
先生が名前を口にした瞬間、ユウカの表情から仕事中の気軽さが消えた。
「……FOUNDATION X?」
聞き間違いではないか確かめるように復唱し、彼女はすぐさま端末へ向き直る。ミレニアムの管理区域にある施設なら、少なくとも所在地や用途に関する何らかの記録が残っているはずだ。山間部には一般の生徒が立ち入らない区画もあるが、だからといって管理の対象外というわけではない。
検索画面を開き、該当する区域の登録情報を呼び出す。施設名、過去の管理番号、閉鎖済みの建造物に関する記録まで範囲を広げたものの、画面に並ぶ結果の中に、それらしいものは見つからなかった。
ユウカは検索条件を変えてもう一度調べる。念のため別の管理記録も参照したが、結果は同じだった。
「……ありませんね」
納得がいかないという顔で、彼女は画面を見つめた。
「少なくとも、現在の管理記録には該当する施設がありません。登録そのものがされていないのか、それとも過去の記録から抜け落ちているのか……」
「やっぱり、秘密の研究所なんじゃないかな!」
待ちきれなくなったモモイが、机の向こうから勢いよく口を挟む。
「山の中に隠されてて、入口も岩みたいになってて、しかも管理記録にも載ってないんだよ? これで何もない方がおかしいって! 絶対、何かすごいものがあるよ!」
「お姉ちゃん、まだ何もわかってないから」
ミドリがたしなめるものの、その視線もユウカの端末へ向いていた。姉の想像に呆れているというより、自分も知りたい気持ちを抑えながら、確かな情報が出てくるのを待っているようだった。
「でも結局、何のための施設なのかは分からないままですね……」
ミドリが考え込むように呟くと、モモイが身を乗り出した。
「そうなんだよ、ミドリ! 中に何があるのか、気になるよね!」
その言葉を聞いて、アリスも口を開いた。
「アリスは、あのパネルに表示されていた言葉が気になっています。『休眠状態:維持』です」
「休眠状態……。施設全体のことなのか、内部の設備を指しているのかもわからないわね」
ユウカは腕を組み、端末に表示された検索結果をもう一度眺めた。記録にない施設、稼働している装置、そして意味のはっきりしない表示。どれも単独なら説明のつくことかもしれないが、ひとつの場所に重なっているとなれば話は別だ。
「先生、確認させてください。入口を発見したところまで、ですよね? 中には入っていませんよね?」
「うん。入口と、その周辺を確認しただけだよ。内部がどうなっているのかはわからない」
「それなら、ひとまずよかったです」
ユウカは安堵の息を漏らしたが、すぐに四人へ向き直った。その目つきには、先ほどまでの困惑とは違う、はっきりとした厳しさが宿っている。
「みんなも、今後は勝手に戻らないでください。管理者も用途もわからない施設で、入口の装置だけは動いていたんでしょう? 内部に何が残っているのかもわからないのに、無闇に立ち入るわけにはいきません」
「えーっ! でも、せっかく見つけたんだよ? 中に何があるのか、気にならない?」
「……私だって、気にならないわけじゃないわ」
ユウカの返答に、モモイがぱちぱちと瞬きをする。
「でも、気になるからって、危険かもしれない場所に踏み込むわけにはいかないでしょ。装置が動いてるなら、セキュリティが生きている可能性もあるし、古い研究設備が何を起こすかも分からない。何かあってからじゃ遅いのよ」
「うっ……それは、そうだけど……」
モモイは口を尖らせた。反論したい気持ちはあるらしいが、さすがに今回は強く言い返せないようだった。
ユウカが心配しているのは、単に規則を守らせたいからではないのだろう。得体の知れない施設へ自分たちだけで踏み込めば、どんな事態になるかわからない。普段なら冒険心をくすぐるような謎も、現実に人が傷つく可能性がある以上、ゲームのように気軽に挑戦できるものではなかった。
それでも、四人がすぐに納得できない理由も、ユウカには伝わっていた。
彼女たちは誰かから調査を命じられたわけではない。自分たちで山を歩き、偶然あの入口を見つけたのだ。岩壁に隠された施設を目の前にして、その先に何があるのか確かめたいと思うのは、ごく自然なことだった。
「……あの、ユウカさん」
それまで黙っていたユズが、控えめに声を上げた。
「私たちも、危ないかもしれないっていうのはわかっています」
言葉を選びながら、ユズは膝の上で握っていた手を少し緩めた。
「でも、どうしてあんな場所に隠されていたのかは知りたいです。誰が造ったのか、何のための施設なのか……。あそこに何があるのか、誰が造ったのか……。何もわからないままなのは、やっぱり気になって」
ユズの言葉に、アリスもこくりと頷いた。
「アリスも同じ気持ちです。隠されたダンジョンを見つけたのに、入口でクエストを中断するのは心残りです」
「そうそう! 調べるだけならいいよね? 記録を見たり、どういう施設なのか考えたり!」
モモイがすかさず話に乗ると、ユウカは額に手を当てた。
「……まだ現地に行っていいなんて一言も言ってないでしょ」
ユウカがすかさず声を上げる。モモイはきょとんとした顔で振り返った。
「だって、もう一回ちゃんと見たら何かわかるかもしれないじゃん!」
「そうやってすぐ行動しようとするんだから、もう……!」
先生は、なおも言いたげなモモイと、そんな彼女たちを前に頭を悩ませるユウカを見比べた。ゲーム開発部のみんなにとって、自分たちが見つけた施設の正体は気になって仕方がないのだろう。かといって、ユウカが危険を心配するのも無理はない。
「ユウカ、私からもお願いしていいかな?」
「先生まで……。まさか、ゲーム開発部と一緒になって調査を認めろなんて言うつもりじゃありませんよね?」
「もちろん、安全を確かめずに中へ入るのは駄目だと思う。でも、みんなが見つけたものを自分たちで調べたいって気持ちも、大事にしてあげたいんだ」
先生の言葉に、ユウカは小さく眉を寄せた。反論しかけたものの、先生が何を提案しようとしているのか確かめるように、ひとまず続きを待つ。
「私が監督役として同行する。それから、この施設について何かしら知っているかもしれない人にも協力を頼んでみるよ。その人の話も聞いたうえで、まずは施設の外から調べる。それならどうかな?」
「……その人は、詳しいんですか?」
「私も全部を知っているわけじゃないけど、以前の事件でこの名前に関しては心当たりがあるみたいだったの。今回の施設についても、何か手掛かりか情報を持っているかもしれない」
ユウカは少し考え込んだあと、ゲーム開発部の面々へ目を向けた。モモイは期待を隠しきれない様子でこちらを見ており、ミドリとユズも先生の返事を待っている。
「分かりました。ただし、調査は先生の同行が前提です。それと、最初は施設の外から確認できる範囲に限ります。内部へ入るかどうかは、装置の状態や安全性を調べてから判断しますからね」
「うん、ありがとう、ユウカ!」
先生に続いて、ゲーム開発部の面々も礼を言う。ユウカは念を押すように一同を見回した。
「いい! 許可したのは、あくまで条件付きの調査。勝手に先へ進んだりしたら駄目よ!特にモモイ!」
「分かってるってば!」
返事をするモモイの声には、さっきまでの不満はもう残っていなかった。
その後、先生はセミナーとの話を終えると、スマートフォンを取り出した。財団Xについて協力を頼める人物――風間翔に連絡するためだった。
以前の事件を通じて財団Xのことを知る翔なら、ミレニアムで見つかった施設についても何か分かるかもしれない。
先生は翔との連絡画面を開き、施設で発見された「FOUNDATION X」のプレートと、装置に表示されていた「休眠状態:維持」という情報を伝えたうえで、相談したいことがあるとメッセージを送った。
彼女たちが記録をまとめるための相談を始めるのを見届けてから、ユウカは改めて先生へ向き直った。
「それでは先生、ゲーム開発部の引率と調査の監督をお願いします。私も現地の記録を整理しておきますから、何か分かったことがあれば必ず共有してください」
「うん、任せて」
「それと、みんなも聞いて。今回は先生が一緒だからといって、何をしてもいいわけじゃないからね。調査は施設の外から確認できる範囲まで。入口の装置には勝手に触らないこと。少しでも危険を感じたら、すぐにその場を離れて先生に報告すること。いい?」
「「「はーい!」」」
モモイたちの返事を聞き、ユウカは念を押すように先生へ視線を戻した。
「先生も、よろしくお願いしますね」
「分かってる。みんなの安全を第一に考えて行動するよ」
先生はスマートフォンを取り出し、風間翔の連絡先を開いた。
先生がメッセージを打ち始めると、執務室ではゲーム開発部の四人が、さっそく覚えている情報を出し合っていた。モモイが入口のパネルについて話し、ミドリが記憶の曖昧な部分を確認し、ユズが道順を思い返す。アリスはそれらを記録するため、端末を開いて待ち構えていた。
施設の正体は、まだわからない。
けれど、山中に隠されていたあの場所は、見つけた四人の好奇心だけでは済まない問題を、すでにミレニアムへ持ち込んでいた。
* * *
ゲヘナ自治区の繁華街から少し離れた通りには、古い倉庫や小規模な業者の事務所が並んでいる。昼間でも人通りは少なく、荷物を積んだ車両が時折通りを横切る程度だった。
その通りに面した喫茶店『ひだまり』のカウンターで、風間翔は休憩時間を利用して端末を操作していた。画面に並んでいるのは、自治区ごとの掲示板や個人の投稿をまとめたページだ。検索語を変えながら、目撃された怪物の特徴や、正体不明の存在が見せたという異常な力についての書き込みを拾い集めていく。
――見慣れない怪物を見た。
――夜の倉庫街で、何かに襲われた車両が見つかった。
――路地裏で、何かを手にした正体不明の存在が、周囲のものを破壊するほどの力を見せたらしい。
どの投稿も情報は乏しく、添えられた写真から正体を見極めることもできない。目撃者の説明が食い違っているものもあれば、伝聞に憶測が加わり、話が大きくなっているようなものもあった。
翔がこうした噂を調べ始めたのは、数日前、店を訪れたキララとエリカから話を聞いたことがきっかけだった。二人が注文を待つ間に話していたのは、知人から聞いた怪物の目撃談や、ネットで見かけた奇妙な事件の噂。
最初はよくある都市伝説の類いだと思っていた。しかし、複数の自治区から似たような話が上がっていると知り、気に留めるようになった。正体不明の何かを手にして異常な力を発揮したという証言には、翔の知るある事件を思わせるものがあった。
――ガイアメモリが関わっているのかもしれない。
今の段階では、そう考えるだけの確証はない。目撃された存在の正体も、証言に出てくる品物の実態も分からず、ガイアメモリが関係していると断定するには情報が足りなかった。それでも、もし本当に関わっているのなら、噂として片づけてしまうわけにはいかない。
「……もう少し、手掛かりが欲しいな」
翔はスマートフォンを手に取り、イオリに電話をかけた。以前から気にかけていた怪物の目撃談について、風紀委員会が把握している情報も確認しておきたかった。
『おう、翔。どうした?』
「この前話した、正体不明の怪物や妙な力を見たっていう噂のことなんだが。そっちで何かわかったか?」
『ああ、あれか。ゲヘナの中で調べられる範囲は確認したけど、今のところ目立った情報はないな』
「カイザーが関わっている可能性は?」
『そっちも証拠は出てない。今回の噂とカイザーを結びつけるような情報は、ゲヘナでは見つかってないぞ』
翔は聞き取った内容を手元のメモに書き加えた。アビドスでの一件を踏まえれば、カイザーの関与は気になるところだったが、現時点では疑いを裏付けるものはないらしい。
「ガイアメモリに関する痕跡も、見つかってないのか?」
『はい。そちらについては私も確認しましたが、風紀委員会が把握している範囲では、関連する痕跡も物証もありませんでした』
電話越しに答えたのはアコだった。どうやら、イオリと一緒に調査結果を確認していたらしい。
「わかった。調べてくれてありがとう。こっちでも引き続き情報を集めてみる」
『何か新しいことがわかったら、こっちにも知らせてくれ。こちらで何か見つけた場合も連絡する』
イオリと約束を交わして通話を終えると、翔はメモを見直した。ゲヘナでは、カイザーの関与もガイアメモリの痕跡も確認されていない。噂の正体を探るには、まだ情報が足りなかった。
「どうだった?」
店の奥からニャン次郎が声をかけた。翔はスマートフォンをしまいながら答える。
「風紀委員会でも、まだ手掛かりは見つかってないらしい。カイザーの関与も、ガイアメモリの痕跡もなしだ」
「そうか。まあ、すぐに答えが出る話でもないだろ。考えるのはその辺にして、先に仕事を片づけちまいな」
「ああ、わかってる」
翔はメモをまとめ、いったん調べ物を切り上げた。今はこれ以上考えても答えは出ない。カウンターへ戻ると、手を止めていた作業を再開した。
* * *
夜も更け、ひだまりの客足も落ち着き始めた。翔は残っていた仕事を片づけながら、店内の様子を確かめる。カウンターに戻されたカップを下げ、テーブルを拭き終える頃には、そろそろ店じまいに取りかかれる時間になっていた。
使った道具を片づけ、閉店に向けて準備を進めていた翔のスマートフォンが、着信音を鳴らした。画面に表示された名前を見て、翔は手を止めて通話に応じる。
「先生? どうしたんだ?」
『ごめんね、翔。ちょっと気になるものが見つかって、連絡したの』
「気になるもの?」
『ゲーム開発部の子たちが、ミレニアムの山中で妙な施設を見つけたんだって。写真を送るから、見てもらえるかな』
届いたメッセージを開き、翔は添付された写真を確認した。山中に建つ施設の入口が写っている。建物の外観だけでは用途も詳しい状態もわからないが、入口付近のプレートに目を留めた瞬間、翔の表情が変わった。
そこには、FOUNDATION X と記されていた。
「……財団X」
アビドスでの一件を通じて知った組織の名だった。翔はもう一枚の写真を開く。施設内にあるらしいパネルが写っており、その表示には「休眠状態:維持」とあった。
「先生、この施設について、ほかに何かわかってることは?」
『まだ詳しいことはわかっていないの。ゲーム開発部の子たちが見つけたばかりだから。ただ、完全に放棄された施設なのかどうかは、気になっているんだ』
「確かに、この表示だけじゃ判断できないな……」
休眠状態を維持しているという文言は気にかかる。とはいえ、それだけで施設が今も稼働している、あるいは誰かに管理されていると断定することはできなかった。
「写真を送ってくれてありがとう。財団Xの名前があるなら、俺も調べてみたい。もう少し詳しい状況がわかったら教えてくれ」
『うん。こちらでも確認してみるね』
通話を終えた翔は、もう一度写真を見つめた。
ゲヘナで調べていた怪物の噂と、ミレニアムで見つかった財団Xの施設。今のところ、両者に関係があるという根拠はない。それでも、財団Xの名を目にした以上、無視して済ませるわけにはいかなかった。
翔は写真を保存すると、スマートフォンをしまい、残っていた店じまいの作業に戻った。頭の片隅には、あの施設のことが引っかかったままだった。