よく聞け、いいか、ここをローマ帝国とする! 作:とくめいのネロ
っていう、小説です。
ネロの宣言とともに、彼女の全身から黄金の粒子が爆発的に噴き出した。
皇帝特権、本来持ち得ぬスキルすらも、本人が言い張ることで修得する万能の権能。
「——見切ったぞ!」
ネロの瞳が黄金の輝きを増す。『皇帝特権』によって極限まで引き上げられた知覚能力が、音速を超えて迫る数百の触手の軌跡を、まるで引き伸ばされた時間の止まり木のように捉える。
第一波——頭上と足元から同時に挟み込むように襲い来る十数本の触手。
ネロは真紅のドレスの裾を優美に翻し、滑らかな踊りのステップのごとき足さばきで、紙一重の踏み込みを見せる。空を切った触手が彼女の黄金の髪を微かに揺らすが、傷一つ付けることは叶わない。
「甘い! 泥の分際で、余の美に触れようなど百年早いわ!」
間髪入れずに襲いかかる第二波。空間の歪みから突如として背後に現れた黒き槍の群れに対し、ネロは振り返りもせず『原初の火(アエストゥス エストゥス)』を背後へ一閃させた。
「『魔力放出』——燃え盛れ!!」
剣身から爆散した紅蓮の炎が、凄まじい熱量をもって黒き触手を根元から焼き尽くす。ジュウウと不快な蒸気を上げて怨念が雲散霧消すると同時に、ネロは空中でくるりと可憐に旋回。
第三波——それは全方位を埋め尽くす、黒き悪意の「檻」であった。
天地左右、逃げ場の一切を塞ぐように迫る無数の触手。死角など存在しない絶対の包囲網。
「……ふん! 押し潰すしか芸のない無策! 芸術の『げ』の字も知らぬ無粋な泥めが!」
ネロは両脚に凄絶な魔力を込め、踏み込んだ地面の概念ごと跳躍。黄金の光を帯びた残像を残しながら、迫り来る触手の「僅かな密度の隙間」へと自ら飛び込んだ。
「花散る天幕(ロサ・イクトゥス)ーー往くぞ!」
舞い散る薔薇の花弁のごとく、紅蓮の刃が空間に幾重もの円環を描く。
一閃で十を斬り、二閃で百を穿ち、三閃で空間を覆う黒い檻そのものを微塵切りへと刻み跳ね返す!
斬撃のたびに迸る鮮烈な紅と金の光芒が、暗澹たる怨念の黒を次々と塗り替えていく。それは戦闘というよりも、あまりにも美しく、あまりにも苛烈な、至高の演者による「剣舞のソロステージ」であった。
「な……なに……!? なんだあの動きは……!?」
ビスマルクが目を見張り、声を戦慄かせる。
彼の左目に宿る『未来を見るギアス』は、触手に捕らわれ、肉体を貪られ、魂を破壊される少女の不吉な将来を無数に提示していた。
しかし——眼前のネロは、その予知されたあらゆる「敗北の未来」を、圧倒的な剣技と魔力で次々と力ずくで破砕し、存在すら上書きしているのだ。
「…全人類の憎悪の集積を……アーカーシャの剣を! 生身で抑え込み、圧倒しているというのか……!?」
シャルルが愕然と顔を歪め、後退る。
「ふはははは! 貴様らの集めた『憎悪』など、余が背負う人類の喝采と愛の歴史に比べれば、ただのちっぽけな毒虫の遠吠えに過ぎん!」
無数の触手を全て微塵切りにし、紅蓮の炎で蒸発させたネロは、空中で優雅に着地。
『原初の火(アエストゥス エストゥス)』を悠然と横一文字に構えると、不完全な神殺しの剣が発する不快な濁音を、その剣から発する紅蓮の炎のメラメラという空間を焦がす音が打ち消していく。
「さあ……そろそろ、この無粋な劇の幕を下ろすとしようではないか!」
「……ええい、認めぬ! 認めぬぞぉッ!!」
シャルルの咆哮が、黄昏の空を裂いた。
圧倒的なまでの武威、理をねじ伏せる美学、そして何より『アーカーシャの剣』から放たれる人類の怨念すら微塵切りにする真紅の皇帝の姿に、彼のプライドは完全に打ち砕かれ、狂気じみた焦燥へと塗り替えられていた。
「ビスマルク!!」
シャルルは血走った瞳を、傍らに控える最強の騎士へと向けた。
「……っ!?」
ナイトオブワンたるビスマルク・ヴァルトシュタインの厳格な顔が、一瞬だけ驚愕に強張った。
ビスマルクはシャルルの目線に察する。
シャルルは言葉こそ出さなかったが、目でビスマルクに訴えかけていた。
それはーーアーカーシャの剣にその身を捧げる——即ち、己という人間の存在、魂、そして騎士としての誇りのすべてを無惨に解体され、不気味な兵器のパーツへと成り下がることを意味していた。
言葉に詰まり、重い沈黙が流れる。
だが、次の瞬間、ビスマルクは覚悟を決めたように静かに、力強く頷いた。
「……イエス・ユア・マジェスティ。我が命、我が魂のすべて、皇帝陛下とブリタニアの悲願のために」
もとより己は先ほどまでの闘いでもう満身創痍だ。
このままでは目の前の赤き皇帝の前に阻む盾にすらなり得ない。
ーーならば、最後に一矢向かいよう、例え己の身体が散り果ててでもーー
ビスマルクは迷いを捨て、ネロを狙うアーカーシャの剣の根元へと疾走した。神殿の淵へと到達すると、彼は一切の躊躇なく、眼下にのたうつ禍々しい漆黒の螺旋へ向けてその巨躯を投げ打った。
ドクンッ——!!
Cの世界全体が再び、歪に揺れ動いた。
ビスマルクの身体が黒き螺旋に呑み込まれた瞬間、アーカーシャの剣が妖しく、そして狂おしく禍々しい紫黒の光を放ち始める。
ネロに矛先を向けている無数の触手が一瞬で霧消し、膨大な悪意の奔流がたった一つの地点へと収束を開始した。
巨大だった漆黒の螺旋棒が、めきめきと骨の折れるような嫌な音を立てながら小さく小さく収縮していく。空間の質量と全人類の怨念、そして最強の騎士の肉体とギアスが、極限まで圧縮されていく——!
ドス黒い光芒が弾け飛んだ。
そこから現れ出でたのは、一人の『漆黒の騎士』。
その姿は、かつてのビスマルクの面影を無残に打ち砕き、最悪の異形へと鍛え上げられた姿であった。
全身を包むのは、光を一切反射しないどころか周囲の空間の光すら吸い込むような、重厚かつ禍々しい漆黒の甲冑。そのシルエットは重装甲でありながら野性的な凶暴さを孕み、まるで巨大な鋼鉄の獣を思わせる。
甲冑の隙間からは、血のように赤く光る脈動する紋様が浮かび上がり、バイザーの奥からは、意志を失った狂戦士の如き朱きギアスの光芒が不気味に爛々と輝いていた。
そして、その右手に握られているのは——一振りの剣。
先ほどまで膨大な巨躯を誇っていた『アーカーシャの剣』が、極限まで圧縮・研ぎ澄まされた姿。
刀身は不気味なまでに鈍く黒く光り、触れるもの全ての概念を腐食させる神殺しの毒気を、密やかに、しかし圧倒的な密度で放っている。
ビスマルクという武の極致を骨組みとし、全人類の怨念と神殺しの概念を肉付けされた、絶対殺戮の漆黒の魔人。
「……ほう」
激変する戦況を前に、ネロは『原初の火』を静かに構え直し、爛爛と輝く瞳でその漆黒の騎士を見据えた。
「無粋な不細工から、少しは歯ごたえのありそうな剣士に成り代わったではないか。……良いぞ、これならば余の劇場を彩る引き立て役として、合格と言ってやろう!」
漆黒の鎧を纏った魔人が、不気味な重低音とともに一歩を踏み出す。
ビスマルクの圧倒的な武の骨格、マリアンヌの疾風のごとき剣技の残意、そして全人類の怨念を宿した神殺しの『アーカーシャの剣』——それらが一つに溶け合い、究極の殺戮兵器として完遂された姿。
「……行くぞ、異形」
ネロが可憐に地を蹴る。
『原初の火(アエストゥス エストゥス)』が紅蓮の弧を描き、漆黒の魔人の首魁を断ち切らんと疾走した。
ガァァァァァンッッ!!!!
空間そのものが叩き割られたかのような衝撃波が吹き荒れる。
魔人が手にする不気味な黒剣が、ネロの絶対の斬撃を正面から完璧に受け止めていた。
「なに……?」
先ほどまでの触手の束とは訳が違う。
ビスマルクの『未来を見るギアス』が魔人の本能と同化し、ネロが『皇帝特権』で繰り出す変幻自在の剣術の「先」を正確に読み切っているのだ。さらに、マリアンヌの生前を超絶する剣速が乗った重攻が、容赦なくネロへと襲いかかる。
バババババンッ!
ガギィィィンッ!
紅と黒。二つの閃光がCの世界を縦横無尽に駆け巡る。
一瞬の間に繰り出される数百の打ち合い。ネロは『皇帝特権』によって『心眼』『体術』『直感』『剣技』を極限まで引き上げ、魔人の怒濤のラッシュを間一髪のところで打ち払い、時に受け流す。
「ふむ、見事な刃の走り! 怨念の泥でありながら、武の真髄が宿っておるわ!」
ネロは激しい剣戟の中でなお、愉悦の笑みを浮かべていた。
英霊としての戦闘技術、万能の権能を存分に振るい、本来なら神すら屠るはずの魔人と、互角以上の死闘を演じて見せる。
一進一退の攻防。疾走する真紅のドレスと、光を呑み込む漆黒の甲冑が交錯するたび、Cの世界の黄金の空間に戦闘の傷が走る。
しかし——異変は、唐突に訪れた。
パキンッ、と。
硝子が割れるような、小さく不吉な音が戦場に響く。
「……ぬ!?」
ネロの剣筋が一瞬だけ鈍る。
彼女の滑らかな白銀の皮膚——その腕から、首筋にかけて、鮮やかな黄金の光を放つ『亀裂』が走っていた。
英霊ネロの魂の格、戦闘技術に何ら落ち度はない。
だが、依代となっている少女の肉体は、皇帝ネロを模すため、人間の出す力の99%を扱うことのできる、比類なき才能の身体ではあったが、それでもただの「人の身」であった。
全人類の怨念と神殺しの呪いを凝縮させたアーカーシャの剣と打ち合い続ける中で、その絶大な呪詛が蓄積し、肉体の限界という悲鳴を上げ始めたのだ。
「ハハハ! ハハハハハハ!」
見物していたシャルルが、勝利を確信した狂喜の高笑いを上げる。
「ネロよぉ! 貴様がいかに強靭であろうと、その器はただの人の子! 神殺しの呪いに耐えられるはずがない! 砕け散れ、虚飾の我が娘よ!」
漆黒の魔人がその好機を逃さず、黒剣を高く振りかざす。圧縮された悪意の光芒が、身動きの鈍ったネロへ向けて全質量をもって振り下ろされる。
ネロは咄嗟に防御するも、その身ははるか後方に押し飛ばされた。
「……ふむ」
ネロは走る亀裂から光を撒き散らしながら、ほんの少しだけ困ったように眉を下げた。
だが——その瞳には、焦りの色など微塵も存在しなかった。
「……困ったものだな。これ以上、愛しき我が『贋作者』の身体を壊すわけにはいかぬしな」
ネロはクスリと可憐に微笑む。
更にネロに追撃を入れようと、前方より迫り来る黒騎士を前に、ゆっくりと立ち上がり……
「仕方あるまい。……あくまでも”ネロ”として、貴様らを相手してやるつもりだったのだが」
ーーカツン、と。
地を穿つ宝剣『原初の火(アエストゥス エストゥス)』の鋭き響きが、狂った世界の幕引きを告げた。
「——いざ集うがいい! これぞ余の情熱! 余の栄光! そして余の愛の結晶なり!」
ネロの両瞳が、太陽のごとき絶対の黄金に燃え上がる。
理(ことわり)の崩壊は、あまりにも静やかに、そして残酷に始まった。
全人類の記憶が沈殿する黄昏の海——『Cの世界』。
神を模し、偽りの平和を騙る支配者たちの理が、ただ一人の少女の『爪音』によって打ち砕かれていく。
視界を埋め尽くしていた不快な黄昏、そして全人類の怨嗟が紡いだ神殺しの黒き呪詛——
一個人の歪んだエゴ(ギアス)が交錯する惨めな戦場に、魂の根源から溢れ出る真紅の外套が誇らしく翻る。
現世の理を切り裂き、歴史の深淵より降臨せし「真なる英霊」は、悠然と旋回しながら、天へ向けて惜しみなくその腕を広げた。
「我が才を見よ!」
空間そのものが悲鳴を上げ、絶対の咆哮がCの世界の全領域へと伝播する。
その瞬間、暗闇の虚空に一条の絶対不可侵なる『黄金の円環』が穿たれ、空間の亀裂から幾千、幾万の鮮烈な薔薇の花弁が、まるで祝祭の狂乱のごとく舞い散り始めた。
「万雷の喝采を聞け!」
両腕を掲げ、不敵なる至高の笑みを深める皇帝。
彼女の背後から迫り出すのは、神の領域すら侵食する絶大な魔力の建造物——荘厳なる大パイプオルガンと、何重にも重なる重厚なる観覧席。
至高の大理石の床には、殉教者の血のごとき深紅の絨毯がどこまでも敷き詰められ、幾百の掲揚旗が「世界の上書き」を誇らしげに宣言する。
一個人の矮小な願望も、歪んだ神殺しの野望も、すべては至高の演者(エンペラー)を引き立てる舞台装置へと成り下がる。
Cの世界という絶対の概念領域すらも力ずくで書き換え、顕現せしは——絶対なる真紅と黄金のドーム型大劇場。
それは、全人類の歴史と喝采を一身に集め、概念すらも統轄する、英霊たる不滅の絶対領域。
ネロは宝剣を頭上で滑らかに一回転させると、すべての理を支配する不敵かつ圧倒的な覇気をもって、観客席(絶望の底)へと落とされた哀れな支配者と漆黒の魔人を見下ろす。
「しかして讃えよ! 黄金の劇場を!」
劇場の天蓋を突き破らんばかりの至高の光芒と、空間を埋めつくす薔薇の嵐。
真なる英霊を英霊たらしめる、不滅にして根源の概念。
——世界の理すら力ずくで書き換える、真なる宝具。
「心せよ! 咲き誇る薔薇の如く!
『招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)』——!!」
黄金の光が、爆発した。
Cの世界の黄昏の空が、神殿が、そして襲いかかっていた漆黒の魔人すらも、瞬く間に光の渦の中へと呑み込まれていく。
無数の黄金の柱が地から聳え立ち、ドーム状の天蓋が空を覆う。至高の大理石の床、真紅の絨毯、そして空間全体を埋め尽くすように咲き誇る、咲き乱れる極彩色の薔薇の花弁。
そこはもはや、Cの世界ではない。
シャルルの目指した「神殺しの領域」でもない。
ただ一人の至高なる皇帝が君臨し、全ての喝采を一身に受けるために存在する——絶対なる真紅と黄金のドーム型大劇場。
世界は一変した。
支配者であったはずのシャルルも、魔人となったアーカーシャの剣も、いまや英霊ネロという「主役」が統べる舞台の、ただの観客(引き立て役)へと落としめされていた。
黄金の床へと変わっていた。空間全体を支配するのは、シャルルの持つギアスでも、集合的無意識の冷酷な意思でもない。ただ一人、ネロ・クラウディウスの「美学」と「願望」のみが満ちあふれる絶対領域。
「この劇場において、余こそが唯一の法、唯一の神である!」
ネロは悠然と薔薇の絨毯を踏み締めながら、呆然と佇むシャルル、身動きを封じられた黒き魔人を見下ろした。
そして、劇場の上空――Cの世界の深淵に浮かぶ、膨大な「人の無意識の集合体」そのものへと視線を向ける。
「個を奪い、死者も生者も混ぜ合わせ、偽りの平和を貪ろうとする無意識の塊よ。そして、それに縋りついた哀れな皇帝よ……フィナーレの時間だ!」
ネロは『原初の火(アエストゥス エストゥス)』をすっと横一文字に構えた。
歪んだ世界を焼き尽くす絶対の概念——剣身から解き放たれる極彩色の紅蓮の炎が、顕現した黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)の全域を苛烈なまでに鮮やかに照らし出す。
「喝采を聴け! 劇場の幕引きを飾るは、余の至高の舞踊——!」
理を凌駕する圧巻の宣言とともに、ネロの脚が至高なる黄金の床を爆音とともに蹴った。
その動きはもはや人間という種の限界を軽々と置き去りにし、一瞬にして幾重もの真紅の残像を極彩色の空間へ刻み込んでいく。
黄金劇場の中心点、スポットライトのごとき神聖な光芒が降り注ぐ絶対の「死地」へと追い詰められた漆黒の魔人。
逃げ場の一切を塞がれた神殺しの異形に対し、跳躍した至高の皇帝は、全人類の喝采、そして英霊たる絶大な魔力を『原初の火』の刀身へと一点凝縮させる。
絶対の威厳を象徴する真紅の外套が断空の嵐を巻き起こし、咲き誇る幾千の薔薇の花弁が狂乱のごとく舞い散る中で、英霊たる彼女の不滅の概念——究極の宝具が完全に解放される。
「——『童女謳う華の帝政(ラウス・セント・クラウディウス)』!!」
繰り出されるのは、技の巧緻すら超越した、ただ一筆の絶対なる『一閃』。
空間の概念すら力ずくで両断する、垂直の一撃。
全人類の記憶と情熱を宿した真紅の刃が、アーカーシャの剣の持つ黒き呪詛ごと、漆黒の魔人の重装甲を脳天から一刀両断に一刺・踏破する。
「散り咲くがよい、無粋なる戯曲の亡霊ども」
刃が貫いた瞬間、魔人の体内で爆縮が起きた。
甲冑の隙間から溢れ出すのは、シャルルらが永きにわたり集積してきた人類の「悪意」「憎悪」「絶望」の濁流。
だが、それら絶対の呪詛は、ネロの放つ至高の熱量に接触した端から『不細工な雑音』として蒸発し、存在そのものを激しく摩滅させていく。
鎧の奥底で、統合されていた魂が裂けた。
「……見事なり……」
最後の一瞬、武人の誇りを取り戻したビスマルクの精神が、紅蓮の刃に焼かれながら静かに霧消する。
「そんな……私の、シャルルの理想が……! シャルル、シャルルゥッ……!!」
マリアンヌの怨念じみた悲鳴もまた、万雷の喝采を模した情熱の焔に呑み込まれ、何一つ遺すことなく完全に灰燼と化した。
そして——真紅の刃はその凄絶な勢いを殺さぬまま、魔人の背後に愕然と立ち尽くしていたシャルル・ジ・ブリタニアの胸躯をも、寸分違わず一刀両断に切り裂く!
「……我が悲願が……兄さんとの、『偽りのない世界』が…………ッ!?」
胸を大きく断ち割られたシャルルは、絶望と不服に顔を歪めながら叫んだ。
しかし、神の殺害を企てた皇帝の肉体は、もはや崩壊を止める術を持たない。一閃の切れ目から溢れ出したのは血ではなく、眩いばかりの無数の『光の粒子』。
シャルル・ジ・ブリタニアという絶対の支配者の存在そのものが、理の崩壊とともに光の砂となって崩れ落ち、Cの世界の虚空へと儚く霧散していった。
直後——。
ズズズズズ……ドォォォォォォンッ!!!!!!!!
一瞬の静寂を置き去りにし、劇場全体を吹き飛ばさんばかりの破格の紅蓮の爆炎が爆発的に吹き荒れた。
剣身から解き放たれた灼熱の炎は、あまりの威力と質量ゆえに底知れぬ凄絶な爆煙の嵐となり、Cの世界の黄昏すらも朱酷の闇へと塗り替えていく。
黄金の柱を揺らし、薔薇の花弁を黒煙の渦へと巻き込む圧倒的な熱波。
神を殺すはずだった怨念の塊も、ブリタニアを統べた覇王たちの残照も、その圧倒的な爆煙と情熱の焔の前に悲鳴を上げることすら許されず、跡形もなく焼き尽くされ、完全に消滅した。
黒煙が上がり、劇場の真ん中で悠然と宝剣を納める真紅の影。
ただ一閃の剣技と、空間を埋め尽くす紅蓮の爆煙——それこそが、神の計画をも焼き払う至高の皇帝の幕引きであった。
○
吹き荒れていた紅蓮の爆煙が静かに収まり、静寂が黄金劇場を満たしていく。
絶対の敵であったシャルル、マリアンヌ、そしてビスマルク。ブリタニアの頂点たる者たちが光の粒子となって雲散霧消したことを確かめると、ネロは「ふぅ」と可憐に息を吐いた。
「——幕引き、だな」
パチン、と彼女が指を鳴らす。
その瞬く間に、空間を支配していた巨大な黄金劇場、咲き誇る薔薇の嵐、そして幾千の掲揚旗が、潮が引くように綺麗に霧散していった。空間は再び、静謐な『Cの世界』の黄昏へと戻っていく。
ネロは『原初の火(アエストゥス エストゥス)』に宿る魔力ーー力ーーを消滅させると、ただの無骨な一振りの宝剣へと戻す。
また、自身の威容を包んでいた凄絶な魔力の残光をふっと緩めた。
「ふむ……それにしても、なかなかに妙な体験であった」
静まり返った空間で、ネロは自らの両手を広げ、物珍しそうに検分する。
「まさか、余がかつて生きた世界とは異なる理、異なる『歴史』を歩む世界へ召喚されるとはな。ギアス、集合的無意識、Cの世界……ふむ! 芸術的センスには少々疑問が残るが、世界観としては一見の価値があるぞ!」
異世界の異質な理、この地に満ちる独特の概念に対し、至高の皇帝は恐れどころか、旺盛な好奇心を爛々と輝かせた。万能の天才たる彼女にとって、未知なる世界の知見は最高のご馳走に他ならない。
しばらくの間、黄昏の空を見上げながら異世界の情緒に浸っていたネロであったが、ふと我に返り、顎に手を当てて首をかしげた。
「……ふむ? 敵は討ち果たし、試練は去った。となれば、余の役割はこれで終わり……そろそろ『英霊の座』へと送還される刻限なのだがな」
本来ならば、己を現世に繋ぎ止める「寄る辺」や「契約」がなくなった時点で、英霊の魂は元の座へと還っていくのが理である。
あと少しすれば己の魂が英霊の座に戻るーーー。
ーーだが、肉体の本来の持ち主の存在が起きる気配は、一向に訪れない。
「……む?」
ネロの眉が、怪訝そうに微かに潜められた。
彼女は自らの内面——この肉体の奥底、魂の領域へと意識を深く沈めていく。
そこには、先ほどまで健気に誇りを守り抜き、この身をネロへと委ねて眠りについたはずの、愛しき『贋作者(フェイカー)』の少女の意識が存在しているはずだった。
戦いが終われば、少女の意識が目を覚まし、ネロは優しく彼女を労いながら、肉体の主導権を返して去る——それが描いていた筋書きのはずだったのだ。
しかし——。
「……おい、どうした? 贋作者よ」
魂の深淵にいくら呼びかけても、返答がない。
それどころか、少女の意識は目覚める気配を見せるどころか、深い、底知れぬ無意識の深海へと沈み込んだまま、微動だにしていなかった。
肉体を浸食していたシャルルの呪縛は解け、アーカーシャの剣の呪詛も宝具の一閃で綺麗に焼き払ったはず。
にもかかわらず、少女の魂はまるで「自ら拒絶して閉じこもっている」かのように、静まり返っている。
ネロは自らの内面——魂の最深部を覗き込み、事態のあまりの歪さに目を見開いた。
「……これは、一体どういうことだ……?」
真紅の皇帝の可憐な顔から戯れの色が消え、静かな困惑と一筋の異変の影が落ちた。
ネロは知らぬことだが、術者であるシャルル・ジ・ブリタニアが消滅しようとも、一度人間に刻まれた『ギアス』の不可逆なる絶対命令は消え去ることはない。
少女の魂の深淵には、未だシャルルの残した忌々しき呪縛が残存していた。
「シャルルに絶対の忠誠を誓い、ネロという己を忘却せよ」という記憶の改変。
そして、本来ならば相容れぬはずの要素が、少女の魂の中で最悪の化学反応を起こしていた。
少女自身が宿していた「自分はネロ・クラウディウスである」という強烈な自己定義たるギアス——『皇帝特権』。
シャルルによって強制上書きされた「記憶の改変と服従」のギアス。
さらには、それらの矛盾を力づくで成立させるため、本物の『英霊ネロ』を依代として引き降ろしてしまったという概念の超過負荷。
相反する記憶と定義、そして異界の概念が混ざり合い、少女の魂には致命的なまでの”概念の結線不良(バグ)”が生じていた。
シャルルのギアスという根幹の呪縛を解き明かさぬ限り、少女の意識がこの暗闇から浮上することはない。
(——待て。待つが良い……!)
ネロの脳裏に、最悪のシナリオが閃く。
いま、この肉体が存在していられるのは、英霊であるネロが強大な魔力と魂の格で強引に生命活動を肩代わりしているからに過ぎない。
もし、戦いが終わったことでネロがこのまま『英霊の座』へと退散すれば——どうなる?
魂が不全を起こし、意識を失ったままの『贋作者』の肉体だけが、魂の抜けたただの「空の器」として、このCの世界に置き去りにされる。
それは即ち、少女の緩やかな「存在の死」を意味していた。
「な……なんということだ……!」
万能の天才たる至高の皇帝の顔から、余裕の笑みが完全に消え去った。
冷や汗が、可憐な額を伝って一筋落ちる。
「おい! 起きぬか、贋作者! 余の声が聞こえぬのか!?」
魂の深淵に向かい、ネロは必死に声を張り上げた。
世界を救い、神殺しの野望を粉砕し、最高の一閃を放ってみせたというのに。自慢の『贋作者』を救うための筋書きが、土壇場で最悪のバグによって破綻しようとしている。
「ぬう……! あの愚か者め、死してなおこのような無粋な足枷を残していくとは……! 落ち着け、落ち着くのだネロ……! 万能なる余に解けぬ呪いなどあってたまるか!!」
しかし、いかなる手段を用いても、状況は微塵も変わらなかった。
『皇帝特権』をもって万能のスキルを引き出し、魂の結線を引き千切ろうと試み、至高の魔力を注ぎ込んで解呪を試みる。しかし、ギアスという理は、シャルルの意志を離れてなお、呪いとなって少女の魂の深底に強固にへばりついて離れない。
ネロの退去の刻限は、容赦なく迫っていた。このままでは、己の帰還とともに、少女の魂は無意識の海底へと沈んだまま永遠に目覚めぬ「空の器」と化してしまう。
「ぬうう……! 万能なる余が、このような理不尽に屈するなど……許されるはずがない!!」
焦燥の中、ネロは起死回生の一手を打つ。
己の知恵だけで解けぬのならばと、彼女は依代である『贋作者(フェイカー)』の記憶の海——その最も深き、本人すら忘却していた記憶の澱へと意識を潜らせた。
(……この少女の魂の根源、余という存在を妄執するに至った『知識』の源流……そこに何かないか……!?)
少女の記憶の記憶、そのさらに奥底。
それは、少女が「ネロ」となる以前、ただの人間として生きていた頃の異質な記憶の領域であった。
そこに漂っていたのは——『コードギアス』という名のアニメーション作品の記憶。
(……アニメ? 戯曲のようなものか? 美麗なる鋼の巨人(ロボット)たちが戦場を舞う、実に華々しい物語ではないか……! いや、感心している場合ではない!)
だが、コード”ギアス”という名にネロはこの世界との関連性に気づく。
すぐにその記憶を激しく手繰り寄せた。
少女自身すら記憶の底へ埋もれさせていた知識。この世界の真理、ギアスの法則、そして『コード』と『ギアス』という概念の果て。
その膨大な情報の奔流を精査していたネロの思考が、ある一筋の記憶の前でピタリと止まった。
少女がその物語の中で、最も心を寄せていた(推していた)一人の男。
『柑橘類』の名前を言われ、蔑まれながらも、ただ己の誇りと一筋の忠義を貫き通した騎士——名前は掠れている。
(忠義……! ふむ、ただの道化かと思えば、実に見事な騎士道精神を持つ男ではないか! 主のためにすべてを捨てて戦う姿、余も嫌いではないぞ!)
そして、至高の皇帝の爛々と輝く瞳が、その男が纏う「絶対の兵装」の記憶を捕捉した。
すべてのギアスを無効化し、上書きされた記憶も、刻まれた絶対命令も、ただ一瞬で無へと還す絶対のアンチ・ギアス。
——『ギアスキャンセラー』。
「……これだ!!」
ネロの叫びが、少女の魂の深淵に歓喜の嵐となって轟いた。
ーーしかし、その喜びも束の間であった。
世界の理はどこまでも冷酷である。
『皇帝特権』——本来存在し得ぬスキルすら力ずくで修得する万能の権能。しかし、それすらも「英霊の座」という概念の枠組みに縛られた力に過ぎない。
この世界(コードギアス)の理そのものの根幹たる『ギアスキャンセラー』は、Cの世界の法則とサイバネティクス技術が融合した、極めて特殊な異界の概念。
いかに万能の天才たるネロであっても、退去の刻限が迫る数秒の間にその本質を完ぺきに模倣し、魂のバグを直接解呪することは物理的に不可能な領域であった。
刻一刻と、別れの瞬間が迫る。
ネロの肉体の端々から、英霊としての退去を示す黄金の光粒子が虚空へと立ち昇り始めていた。
(……くっ、間に合わぬか! 余がこのまま還れば、この少女は二度と目覚めぬ……!)
万能の皇帝の胸を、激しい悔恨と焦燥が締め付ける。
だが——その土壇場の絶望の中で、真紅の皇帝は不敵に、そして誰よりも美しく笑った。
「……フフ、ハハハハハ! 諦めると思うたか、戯れ言を!」
ネロは自身の魂の根源、そして目の前の危機に対して、一つの狂気的かつ至高の決断を下す。
「あちらで誰かが言ったな! 『偽物が本物に及ばない道理はない』と!
ならば——“本物が偽物を越えられぬ道理”も、また存在せぬはずであろうが!!」
彼女が選択したのは、解呪ではない。
『本物の英霊ネロ』が、『偽物のネロ(贋作者)』の存在そのものを”完全模倣(フェイク)”するという、概念の逆転現象であった。
「『皇帝特権』!!」
ネロの両瞳が、太陽すら霞む黄金の輝きを放つ。
彼女は英霊としての己の尊厳、座への帰還という世界の理をすべて投げ打ち、権能のすべてをたった一つの定義へと注ぎ込んだ。
——“「余は、この少女(ネロ・ロ・ブリタニア)である」”と。
Cの世界に漂う無限の概念と集合的無意識の力を力ずくで手繰り寄せ、ネロは己の英霊としての魂を、少女の魂と完全に同化・定着させていく。
退去の光芒がピタリと止まり、彼女の存在はこの世界に、この肉体に固定された。
英霊としての帰還を拒み、この地に留まり続ける。
それは、英霊としての誇りを捨ててでも、愛しき『贋作者』の命と未来を繋ぐための、苛烈で至高の愛の決断。
「ふぅ……これで良し。今今の危機は去ったぞ」
ネロは可憐に胸を張り、息を吐いた。
少女の魂は依然としてバグの中にあり、意識が戻る気配はない。
しかし、ネロがこの肉体の主導権を握り続け、存在を支え続ける限り、少女が「空の器」となって死ぬことはなくなった。
「待っておれ、我が愛しき贋作者」
ネロはCの世界の黄昏の空を見上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「この世界の時を進めよう。いずれ現れるであろう、あの忠義の騎士(柑橘類(オレンジ君))……そして『ギアスキャンセラー』という名のシステムに巡り合うその時まで! 余がこの世界を駆け抜け、貴様の舞台を守り続けてやる!」
真紅の外套を風もない空間で誇らしげに翻し、至高の皇帝は新たな旅路へ向けて力強く一歩を踏み出した。
ネロはこの黄昏の間より、未だ混沌を極める現世に凱旋する。
○
階段を降りていく、
下に降りるにつれ、Cの世界そのものを満たしていた絶大な概念の奔流が急速に引いていく。
それに伴い、ネロを包んでいた英霊としての全能感もまた、砂時計の砂が落ちるように失われていった。
燦爛と輝いていた自身の被服も徐々に光沢が失われ、英霊の服装ではなく、それまでネロが着ていた現世の赤きドレスに戻る。
更に降りると、光が目の前を覆う。
光が収まった時、ネロは元の場所に立っていた。
そこは地下聖堂の冷たい石床。目の前に鎮座していた「黄昏の扉」からはあの禍々しくも神秘的な光が完全に失われており、ただの古びた遺跡の門として、静かに、そして固く閉じられていた。ネロは静かに悟る。
ふと足元に目をやると、消滅したシャルル・ジ・ブリタニアが羽織っていた重厚な皇帝のマントだけが、ぽつんと残されていた。ネロはそれを静かに拾い上げると、無造作に肩へかけ、地上へと続く階段を上り始めた。
崩れかけた地下通路を抜け、地上へと足を踏み入れた瞬間、ネロの胸元で通信機が慌ただしく鳴り響いた。
『——ネロ様!? やっと通信が繋がりました! 一体どちらにおられたのですか! 急にいなくなられて、どれほど捜したか……!』
焦燥の混じった声の主は、彼女の騎士長であるジュリアスだった。矢継ぎ早に投げかけられる詰問に対し、”ネロの記憶”から今の状況を探すと、ネロはフッと可憐に鼻を鳴らす。
「慌てるな、ジュリアス。余がいなくとも、お主らならば問題なかろう? 実際、帝都の制圧はほぼ完了しているのだろう?」
『……ハッ。仰る通り、帝都内のブリタニア勢力は粗方鎮圧いたしました。ですが、帝都郊外にどこかの貴族率いる援軍が接近中との報が入っております。……今まさに、我らで潰しに向かうところです』
ジュリアスの報告を聞きながら、ネロはゆっくりと空を見上げた。
かつて暗雲と硝煙に覆われていたブリタニアの空が、東の地平線から徐々に群青色へと変わり、一筋の爽快な青空が広がり始めていた。
「そうか。ならばその一戦を、最後の余興とせよ」
ネロはシャルルのマントを風になびかせ、凛とした声を通信機へ叩きつける。
「それが終わり次第、全世界へ向けて余の声を届ける準備をせよ。……世界に向け、新たなる『ローマ』の建国を宣言する! 」
○
ーー幕は上がるーー
○
全土へと発信される映像の向こうで、数え切れぬ市井の民や貴族たちが、突如現れた真紅の少女に息を飲んでいる。
その熱視線と動揺を感じ取りながら、ネロの胸中に過るのは、己の魂の深淵で未だ眠り続ける愛しき少女の姿であった。
……見ているか、我が贋作者よ。貴様が愛し、成り代わろうとした『ネロ・クラウディウス』の姿を。今日よりこの余が、貴様の遺した舞台を誰よりも派手に、誰よりも絢爛に演じ切ってみせよう。貴様が目を覚ますその日までな——
胸に秘めた切なくも熱い誓いを覆い隠すように、真紅の皇帝は至高の不敵な笑みを浮かべ、高らかに口を開いた。
「全土に告ぐ!
よく聞け、世界!
そして哀れなる民どもよ!」
神を殺し、世界を偽りで覆おうとした皇帝シャルル。
奴の最期は実にあっけないものであった。だが……その戦いの代償として、貴様の魂は呪縛に囚われた。本物である余が、偽物である貴様のふりをして世界を欺く。ふむ……なんと可笑しく、そしてなんと愛おしい演劇(ドラマ)であろうか。
「第98代ブリタニア皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアは、あまりにも退屈で美しくない存在であったため、余が直々に引導を渡してやった!
奴の愚かな治世は今この瞬間をもって終わりを告げたのだ!」
さあ、世界の観客どもよ、驚くがいい! 貴様らが崇めた絶対の皇帝は去り、新たな主役が壇上へ上がったのだ。
本来ならば、この歓喜と喝采を浴びるべきは、余の威光を慕い続けたあの可憐な少女であったはずなのだが……
「よって、本日よりこの余ーー」
……フフ、我ながら呆れた執着よ。英霊としての己の真名、誇り高き『ネロ・クラウディウス』という名を歪めるなど、本来の余の秩序においては断じて許されぬ暴挙。己を偽り、他者を騙る名など、万能の皇帝たる美学に反するからな。
ネロは胸に手を当て、自らの魂の最深部で静かに眠り続ける少女へと、深い愛おしさを込めた視線を送った。
だが——『ネロ・ロ・ブリタニア』として生き、余を叫び、余になろうと命を燃やした愛しき贋作者よ。
貴様が紡いだその歪で健気な名にだけは、至高の敬意を払う価値がある。貴様の覚悟と情熱に報いるためであるならば、余の絶対の秩序すらも、ただ一度だけ喜んで折り曲げて見せよう。
真紅の外套を風もない空間で誇らしげに翻し、皇帝は世界へ向けて己の新たなる『真名』を言い放つ。
「——ネロ・クラウディウス・ ” ブリタニア ” が、皇帝としてこの世界を統べることとする!」
……我が贋作者よ。このときだけは貴様の『ブリタニア』を背負う者となった。
貴様が目を覚まし、再びその名を誇らしく口にするその日まで……この名は余が命をかけて、世界で最も輝かしい真名へと高めておいてやろう。
「感謝するが良い、貴様らの主は世界で最も美しく、最も偉大な余となったのだからな!」
ふふ、いま一瞬、かつてこの肉体の主であった少女の癖……あの無邪気で、どこか背伸びをした愛らしい語尾が口をついて出そうになったが……良いではないか。いまの余は『本物』にして『贋作者の模倣者』。貴様が宿していた親しみやすさも、すべて余が愛をもって引き継いでやるとも!
「民よ、突然のことで腰を抜かしておるな?
……ふふっ、無理もないよねっ!
余の作戦があまりにも完璧すぎたのだからな!
案ずるでない、それは当たり前の感情である、隠さんでもよい!」
神を騙るCの世界、偽りの理。そのようなものは、余の劇場には不要な大道具に過ぎん。貴様が夢見た理想の国、貴様が余の名を騙って作り上げようとした美しき世界を、いまここで現実のものとしてやろう。
「これより、古くさい国の名は破棄する!
神聖ブリタニア? 聖なる神なぞおらん!
あるのはうち滅ぼされるべき悪神のみであり、
偶像たる主に願うは弱者のすることよ!
よって!
ここを新たな至高の帝国——『ローマ』と定め、
余がその絶対なる始皇帝となる!」
見よ、世界よ!
これが余の、そして余の愛しき『贋作者』が求めた美学の結晶だ!
貴様が目覚めた時、目の前に広がる景色が最高のローマであるように……余は全力を尽くしてこの世界を導こう!
「余の美しきローマの建設に立ち会える幸運を祝うが良い!
全軍、全領土の総督に通告する!
余に平伏し、至高の芸術たる新帝国の一片となるか、
あるいは余の剣の露と消えるか……選ぶが良い! ふはははは!」
退行も、妥協も許さん。異論などという無粋な雑音は、すべて余の喝采で掻き消して見せる。貴様の呪縛を解き放つその瞬間まで。
「よく聞け! 余の美学に従え、世界よ!
異論は認めん!」
英霊の座への帰還を捨て、概念の理を歪めてまで手に入れた、この一瞬の舞台。これぞまさに、万能の皇帝にしか成し得ぬ最高の『我儘』——
「よいか! これは、『皇帝特権』である!」
……さあ、目覚めの時を待つが良い、余の可愛らしい『贋作者(もう一人のネロ)』よ。貴様が戻るその日まで、このローマ"ブリタニア”帝国は、余が預かった!!
「今よりここは、 ローマブリタニア帝国 である!!!!」
「私」を保つための言葉は
崩れゆく記憶の砂漠で ただひとつだけだった
『貴方』と叫ばなければ
刻まれた呪いに 存在ごと押しつぶされてしまうから
わずかに遺された過去の欠片
その深淵で眩しく輝く たったひとつの憧れ
貴方を模すことだけが
壊れかけた私の 唯一の存在理由だった
だからそう
偽物の冠をそっと下ろし
私は深海のような静寂へ沈んでいく
おやすみなさい
愛おしく、誰よりも頼もしい 私の皇帝陛下
世界のすべてを委ねて
私は今 はじめて安らかな夢を見る