よく聞け、いいか、ここをローマ帝国とする! 作:とくめいのネロ
次の話でバックステージと前説は終わりです。
「——余の至高の一撃、受けてみるが良い!」
ネロはドヤ顔で言い放つや否や、宝剣『原初の火』を横一文字に薙ぎ払った。その瞬間、少女の華奢な体躯からは想像もつかない密度の圧と闘気が、黄昏の神殿全体を激しく揺らした。
対するビスマルクの動きに、一切の無駄はなかった。
「ハッ!」
短く一閃。ビスマルクが背負う大剣が鞘を走る音すら残さず抜かれ、垂直に振り下ろされる。ただの素振りでありながら、その剣の重みは地を裂き、ネロの足元の石畳を粉砕した。
「遅いぞ!」
ネロはドレスの裾を優雅にはためかせ、まるで舞踏を舞うかのように紙一重で衝撃を回避。そのまま地を蹴り、一瞬でビスマルクの間合いへと肉薄する。
『皇帝特権』——ギアスによって底上げされたネロの直感と戦闘技術が、宝剣の刃をビスマルクの首筋へと正確無比に走らせた。
重狂う真紅の閃光。だが、ビスマルクの大剣が寸分の狂いもなくそれを受け止めた。
ガキィィィィンッ!!!
金属同士の激突音がCの世界に響き渡る。
ビスマルクの放つ重厚かつ苛烈な剣戟に対し、赤きドレスを翻すネロの、本来持ち得ぬ技術や武芸すらも万能の天才としてその身に宿す万華の権能。
しかし、ナイトオブワンの圧倒的な武威もまた伊達ではない。
衝撃の余波で神殿の巨大な大理石柱が崩れ落ちた。
「ほう……生身の剣技すらこれほどとは。噂以上の怪物だな、ネロ殿下」
「ふふん、褒めても何も出んぞ! だが、余の美学を前に立ち塞がったこと、後悔させてやる!」
ネロは宝剣を滑らせ、ビスマルクの懐へと飛び込むと、空いた左手で目にも留まらぬ連続掌打を叩き込む!
しかしビスマルクは、左目の封印を微かに蠢かせながら、ネロの攻撃をすべて大剣の腹と最小限の体裁きで受け流した。
「悪いが、最初から本気で行かせてもらおう、我がギアスは——『未来を見る』!」
ビスマルクの静かな呟きとともに、彼の動きが変化する。
ネロが次に放つ宝剣の軌道、ステップの踏み込み、果ては息を吸うタイミングすら完全に予知したかのように、大剣を先回りして配置したのだ。
「そこだ!」
「…ぬっ!」
予知された軌道の上に置かれた大剣の鍔と、ネロの宝剣が正面から衝突。圧倒的な体躯と質量差がネロを襲い、彼女の華奢な体が弾かれて後方へと吹き飛ばされた。
ネロは空中で優雅に一回転し、真紅のドレスを広げて静かに着地した。
ビスマルクの左目は、ネロの瞳に負けないほど、朱色の鳥の紋様を激しく燃え上がらせている。
「未来を見る……だと? ふははは!
面白い、実に劇的な余興ではないか!」
ネロは口元に不敵で極上の笑みを浮かべ、宝剣を再び構え直した。
「余の剣技は、貴様の見通す生温い未来など軽々と置き去りにする! 束の間の予知に酔いしれるが良い、ビスマルク!」
ネロはそういうが、ビスマルクの『未来を見るギアス』は、まさに死角なき予知の領域。
ネロが放つ一撃、一歩の踏み込み、呼吸の乱れすらも事前に察知し、大剣の絶対的な間合いと質量をもって容赦なく迎撃してくる。ネロの頬には浅い切り傷が走り、真紅のドレスの裾は風圧で幾分か破れていた。
「未来が見えておるのだ、ネロ殿下! 貴方のどれほど苛烈な攻勢も、我が剣の届かぬ未来は存在しない!」
ビスマルクの大剣が、空を断ち切る重厚な旋風となってネロへと襲いかかる。
だが——ネロの不敵な笑みは、傷を負おうとも一切崩れなかった。
「ふふ……たかだか数秒先の未来を見通した程度で、この余の存在を超えられるとでも思ったか? 凡夫が!」
ネロの両瞳に宿る朱色の鳥の紋様——ギアスが、まるで爆発したかのように禍々しく、そして美しく輝きを増した。
既に皇帝特権により底上げしている戦闘力を、更に底上げを図る。
『余は、至高なる騎士王すらも凌駕する!これは、皇帝特権である!』
ビスマルクがギアスで視ている「未来」とは、あくまでネロの動きの予測に過ぎない。ならば、その予測のさらに先——人間の限界を超えた機動と直感で、視えた未来そのものを塗り替えれば済む話だ!
「なに……っ!?」
ビスマルクの左目が捉えた未来の残像。そこからネロの姿が、物理的な軌道を無視した速度とステップで掻き消えた。
速い。予知した未来の速度を、ネロの身体能力と『皇帝特権』が完全に上回ったのだ!
「未来が見えるというのなら——これも見えているか! ビスマルク!!」
ネロの甲高い声が空間に穿たれる。
ビスマルクが咄嗟に大剣を防御へと回した瞬間には、すでにネロは彼の死角——それも視界の外である頭上へと跳躍していた。
宝剣『原初の火』が、夕闇の光を纏って垂直に振り下ろされる!
ガァァァァンッッ!!!!
ビスマルクは大剣の腹で受け止めたものの、頭上から叩きつけられた衝撃は桁外れであった。神殿の大理石の床がクモの巣状に割れ、激しい衝撃波が周囲の石柱を吹き飛ばす。
「ぐぅっ……! この、力……っ!?」
「終わりだッ!」
ネロは空中で反転すると、受け止められた宝剣の軸を支点にし、ビスマルクの無防備な胸元へ向けて右足のヒールを叩き込んだ!
ドゴッ!
『皇帝特権』が乗った強烈な蹴りが、ビスマルクの頑強な甲冑を打ち砕き、内部の衝撃波が彼の大躯を直接揺さぶる。
「ガハッ……!?」
人類最強の騎士と謳われたビスマルクの口から吐血が舞った。
大剣が手から滑り落ち、硬い石畳の床に虚しく甲高い音を立てて転がる。
「……バ、カな……我がギアスを……未来の予知を、力ずくで……凌駕したというのか……!?」
膝の関節が耐え切れず、折れる。
胸を押さえ、荒い息を吐きながら、あの『ナイトオブワン』ビスマルク・ヴァルトシュタインが、ゆっくりと、完全に膝をついた。
ネロは宙で優雅に真紅のドレスをはためかせると、音もなく着地した。
頬の傷から一筋の血が伝うのも気にせず、両目のギアスを妖しく光らせ、顎を跳ね上げた至高のドヤ顔。
「言ったであろう、凡夫の騎士よ。余の歩む道は、貴様の見通す生温い未来など軽々と置き去りにする、とな!」
数々の戦場を潜り抜けてきた最強の騎士ビスマルクが、ついに膝をついたのだ。全身は満身創痍、荒い息を吐き出しながらも、しかしその眼光だけは未だ鋭く戦意を失ってはいない。
だが、勝敗は決していた。
ネロは勝ち誇った笑みを浮かべてビスマルクの先にいる男へ目を向けた。
「ふはは! 見ただろう、シャルル! 貴様の誇る剣は、盾は余の前に破れた! ……次は貴様だ!」
肩で息をしながら剣を突きつけるネロ。しかし、ブリタニア皇帝シャルル・ジ・ブリタニアは動じるどころか、不敵で尊大な笑みをその唇に浮かべた。
息を整えながら、ネロは眉をひそめる。
「……何がおかしい? 負け惜しみか、シャルル!」
「ふ…… 似ているな、実に似ている」
シャルルは深く威厳に満ちた声で言葉を紡ぐ。
「ビスマルクが膝をつく姿……生身でありながら、女の身で舞うように大の男を翻弄する様。何より、その命を削る戦いそのものを歓喜と共に楽しんでいるその姿……マリアンヌにそっくりだ」
ネロは片目を細め、怪訝そうに問い返した。
「マリアンヌ……? ルルーシュやナナリーの母、あの女のことか?」
「左様。かつて我がラウンズ、いや『閃光のマリアンヌ』と呼ばれたあやつは、戦闘における絶対的なプロであり、騎士であった。ナイトメアフレームを駆る力量のみならず、生身の剣戟においても他の追随を許さぬ傑物。
……かつてビスマルク、そやつもマリアンヌを相手に、今貴様が見せているように膝をついていたものよ」
「それがどうしたというのだ!」
ネロは吐き捨てるように叫んだ。
「過去に誰がどうであったなど知ったことか! 今、この場でビスマルクを下したのはこの余だ! 過去の亡霊の名を出して余の勝利を曇らせるつもりか!」
「亡霊、か……」
シャルルはネロの怒声を受け流し、ゆっくりとネロの背後へと視線を向けた。その瞳には狂気に近い愉悦が宿っている。
「遅かったではないか、マリアンヌ」
ネロの背筋に、冷や汗が一つ伝う。
勝ち誇っていた皇帝特権の万能感すらも一瞬で霧散させるような、異様で恐ろしい気配が、すぐ後ろに立ち昇っていた。
ネロは振り返った。
そこに立っていたのは、漆黒の髪をなびかせ、優美なドレスを身に纏った女性――間違えなく、それはマリアンヌであった。
彼女はネロの存在など端から頭にないかのように、ゆったりとした足取りでシャルルへと視線を向ける。
「まったく、呼び出しが急すぎるのよ、シャルル。私も今、そう自由に動ける身じゃないって言ったでしょう?」
「フッ、手持ちの札を一枚切ったまでだ」
「相変わらず人使いが荒いんだから、それにしても、こうして顔を合わせるのは中々久しぶりね」
血腥い戦場であるはずのこの黄金の空中に浮かぶ異世界で、二人はまるでありふれた日常の雑談のように言葉を交わす。
その光景を前に、ネロの脳裏にかつての記憶が蘇っていた。
まだ自身がブリタニア帝都の宮城にいた頃――幼いルルーシュやナナリーの母として接していた、あの穏やかな見た目をした苛烈な女性の姿を。
ルルーシュにちょっかいを出して遊んでいたネロを見つけるやいなや、逆に倍返しの悪戯を仕掛けてはからかい、おのれを皇帝と認識するネロすらもどこか苦手意識を抱かせていた豪快な女傑。
だが、今目の前にいるのは、幼子を愛でる悪戯好きな母親ではない。幾多の修羅場を潜り抜けてきた「騎士」の佇まいそのものであった。
「……マリアンヌ……死んだはずではなかったか……?」
ネロの唇から、困惑の呟きが漏れる。
かつて自身がオリンポスへ追放された直後、アリエスの離宮でテロが起き、マリアンヌが犠牲になったという報せは聞いていた。
元ラウンズにして、武門の貴族の後ろ盾をいくつも持つ皇妃を失ったことでルルーシュとナナリーが日本へ送られたことも、すべて知っていたはずだった。
ネロは荒い息を整え、眼前のマリアンヌに問いかける。
なぜ生きているといった、理由など、野暮なことは聞かない。
「……そこの男(シャルル)と同じ……王の力(ギアス)、か?」
その問いを受けて、マリアンヌは初めてゆっくりとネロへと視線を転じた。
「あら、久しぶりね、ネロ。元気にしてたかしら?」
続けて、「大きくなったわね」と、微笑みを浮かべる。マリアンヌはどこか楽し気に目を細めると、懐かしい思い出でも語るかのような軽やかなトーンで言葉を紡ぎ始めた。
「そうね、ネロ。貴方がオリンポスへ向かった後のこと……どうやら知ってるようだけど、暗殺されたのは、確かに私。
V…いえ、テロリストに銃撃されて、私の肉体はあの場所で命を落としたわ」
マリアンヌは自身の胸元にそっと手を当て、くすりと笑う。
「でもね、私はただ黙って死んであげたわけじゃないの。貴方が言うとおり、私が持っていたギアスの力で魂だけは残った。
……それは『人の心へ自らの魂を渡らせる力』。死の直前、私はその場にいたある子供の心の中に自分の意識を転移させたのよ。それからずっと、私は意識の奥底で眠りにつきながら、時折その身体を借りて行動していたの」
マリアンヌは一歩、ネロへと歩みを進める。その瞳には、慈愛と底知れぬ冷徹さが同居していた。
「シャルルと私はね、最初から同じ目的のために動いていたわ、世界から『嘘』をなくし、死者も生者も等しく一つになれる平和な世界……神を殺し、黄昏の扉を開く計画のためにね。子供の中にいた私は、人目を盗みながらシャルルと密かに連絡をとることしかできなかったけど……この世界、つまり『Cの世界』にアクセスすることで、こうして本来の私の肉体をそっくりそのまま再構成して顕現させることができた。
肉体なんて、魂を収める器に過ぎないもの。だから私は今、こうしてあなたと向かい合えているのよ」
少し首を傾げ、悪戯っぽく微笑んだ。
「……あの2人は知っておるのか?」
ネロは頭にルルーシュとナナリーを思い浮かべながら、当然の疑問を口にする。しかし、マリアンヌは「なにも」と、一蹴する。
「こうして私が生きてること、ルルーシュやナナリーを日本へ送ったのが、すべては私を狙ってきたテロリストから二人を遠ざけ、私たちの計画を悟らせないための偽装工作であるということも、ね。
あの子たちには少し可哀想な思いをさせたけれど、最終的に神を殺せば、すべてが救われる……きっと本当の意味で分かり合えるはず。そう思ってるわ」
マリアンヌはすっと喉の奥で息を漏らし、瞳の奥に「閃光」と呼ばれた騎士としての鋭い光を宿らせた。
「どうかしら? 疑問は解けた? 貴方が追放されている間に、世界はこんな風に動いていたのよ、ネロ」
「……で? 幽鬼となった貴様が、なぜ今、余の前に現れた?」
「理由? 決まっているじゃない」
マリアンヌはクスリと可憐に笑った。
「シャルルに頼まれたのよ。『我が儘で手に負えないじゃじゃ馬娘を捕まえるのに協力してくれ』ってね」
次の瞬間、マリアンヌの目が一変した。
慈愛も悪戯っぽさも消え去り、絶対的な「閃光」の威圧感が場を支配する。彼女はどこからか抜き放った細身の剣をネロへと向け――一閃。
言葉を残す隙すら与えず、舞うような超絶の踏み込みで、ネロの懐へと肉薄した。
ネロの胸元へ疾風のごとく肉薄したマリアンヌの一閃。ネロは「皇帝特権」による超人的な反応速度で『原初の火』を振り下ろし、間一髪でその剣撃を弾き返した。
二人の剣戟は目にも留まらぬ速度で交差した。
本来持ち得ぬ剣技すらも我が物とする皇帝特権により、ネロの剣はマリアンヌの超絶的な武芸と互角――いや、次第にネロの圧力が押し勝ち、マリアンヌを圧倒し始めていた。
しかし、打ち込まれる鋭い剣撃を受けながらも、マリアンヌの顔には笑みが浮かんでいた。
「素晴らしいわ、ネロ! 万能の天才の権能……万物から、この世のあらゆる技術を奪いその身に宿すその能力(ギアス)、実に興味深いわね!」
戦いながらもネロのギアスを愉悦混じりに考察するマリアンヌ。その態度には、劣勢であるはずなのに異様な余裕が満ちていた。
(なぜだ……? 優勢なのは余のはず……なのに、なぜこの女は焦らぬ!?)
疑問を抱きながら攻勢を強めるネロだったが、打ち合いを重ねるうちにその「理由」が恐ろしい事実となって理解した。
ネロは生身の肉体を持つ。しかし、マリアンヌはこのCの世界に存在する「魂」そのもの。
ネロの渾身の斬撃がマリアンヌの体を捉え、その胸を深く切り裂いても、霧のように傷口が塞がり、瞬時に再生してしまう。対して、マリアンヌが放つ一撃一撃は、肉体を持つネロの体に確実な傷と疲労を蓄積させていくのだ。
不死の幽鬼との不毛な削り合い。徐々に追い詰められ、膝の震えを抑えきれなくなるネロ。
「……ぬうっ! 幽鬼ごときが調子に乗るな!!」
ネロは叫ぶと同時に、皇帝特権を限界まで再発動させた。既にその身に宿す戦闘力を底上げしている概念に「霊魂を滅する権能」を強引に書き込み、引き寄せる。
閃光のごとき踏み込みから放たれた一撃が、マリアンヌの胴体を斜めに真っ二つへ引き裂いた。幽鬼の再生すら許さぬ特権の断罪。
「捉えたぞ!」
だが、勝利を確信したネロの眼前に広がったのは、更なる絶望だった。
二つに裂けたマリアンヌの影が凝縮し、光となって再び一つに収束する。
現れたのは先ほどのドレス姿ではない。かつてナイトオブラウンズとして戦場を駆けた、若き全盛期のパイロットスーツ姿――まさに「閃光のマリアンヌ」そのものの姿へと変貌を遂げていた。
「ふふ、どうやったのかしら、魂だけの私を切れるなんて、少し焦ったわ」
微塵も悔しがらず、どころか楽しそうに笑う。
「やっぱり生身の体がないと限界がないから楽でいいわね」
さらに、先ほど倒れたはずのビスマルクが荒い息を吐きながらも大剣を構え直し、マリアンヌの隣へと立ち並ぶ。満身創痍でありながら、その瞳には恐るべき執念が宿っていた。
最強の騎士二人に囲まれる、2対1の絶対的窮地。
あまりに不条理な状況に、ネロの顔に初めて明確な焦燥と汗が浮かぶ。
方や先ほどまで自身の全力を持って倒したビスマルクに、不死性をもつマリアンヌ。
その時、静かに見物していたシャルル・ジ・ブリタニアの両眼に、赤く輝くギアスの紋章が浮かび上がった。
「ネロよ、我が娘よ。無駄な足掻きは終わりにするがよい」
シャルルは威厳に満ちた手を差し出し、蠱惑的に語りかける。
「……大人しく降伏しろ。我がギアスにより貴様の記憶を改竄し、忠実な手駒としてワシの傍らに置いてやろう。神を殺し、世界が真の姿へと変わるその瞬間を、特等席で見せてやる」
「断る……! 誰が……貴様などの手駒になど……っ!」
ネロは歯を喰いしばり否定の声を叫ぶ。しかし、全盛期の威容を取り戻したマリアンヌと、重圧たるビスマルクの二位一体の連撃が容赦なくネロを襲った。
2人の攻勢をうまく捌き、防戦ながら奮闘する。
しかし、長くは続かなかった。
ガァンッ――!!
強烈なビスマルクの剣戟がネロの『原初の火』を弾き飛ばす。
隙を逃さず、マリアンヌの隙のない剣の一太刀が、ネロの体を突き刺そうとする。
ネロは致命傷になりかねないマリアンヌの剣を、左手で鷲掴みに、軌道を逸らす。
右手にてガラ空きとなったマリアンヌの身体に、霊魂すら吹き飛ばす渾身の一撃を与えようとするも、ネロの拳を、ビスマルクが自身の身体を差し込み、受け止める。捨て身のガードだった。
ネロの一撃がビスマルクの身体を震撼させる。
しかし、己はナイトオブワン、騎士の中の騎士。この程度で倒れない。
倒れ込みたがっている己の身体に鞭を打ち、ネロの伸ばした腕を自身の両腕で抱え込む。
ーーこれで、ネロは両腕が塞がった。
その機をマリアンヌは逃さなかった。
ネロに掴まれた剣を放し、いつのまにか取り上げていたビスマルクの大剣を振り上げる。
一閃ーー!
大振りに振られた大剣は、ネロの拳を受け止めたビスマルクごとネロを切り裂いた。
ネロの身体に、決定的な衝撃が走り抜ける。
「ぐはぁっ……!?」
崩れ落ちる膝。赤きドレスを血で染め、ネロは冷たい床へと膝をついた。視界がグラグラと揺れる。
(余が……ネロたる余が……屈するだと……? 膝をつくなど……このようなところで……あってはならない……!!)
血を吐きながらも、ネロは屈辱と執念に満ちた瞳で、近づいてくるシャルルを睨みつける。
だが、立ち上がろうとするネロの頭上から、容赦ない衝撃が叩きつけられた。
マリアンヌが剣の柄頭でネロの側頭部を殴りつけたのだ。骨が鳴るような鈍い音が響き、視界が真っ白に染まる。全身の力が抜け、ネロはその場に崩れ落ちるように倒れ込んだ。血と埃に塗れた赤きドレスが、冷たい床に広がっていく。
「ふぅ、これで静かになったかしら」
ゆったりと歩み寄ってきたシャルルに対し、マリアンヌは油断なくネロの挙動を見据えながら、自然な動作でその身をシャルルの前へと滑り込ませた。皇帝を守る盾としての位置取り――全盛期の佇まいを取り戻した彼女に、隙など一切存在しない。
シャルルは横たわるネロを見下ろし、静かに命じた。
「ビスマルク。その首を持ち上げ、目を開けさせてこちらへ向けさせろ」
「御意」
ビスマルクがマリアンヌに斬られた(ネロに比べると浅い)傷を片手で抑えながら、重い足取りで近づき、倒れたネロの頭髪を掴み上げる。
「余に、触れるな……っ!」
ネロは残された体力を振り絞り、必死に抵抗しようと腕を動かす。皇帝特権による生身の武芸はあれど、素手であり、何より満身創痍の体ではナイトオブワンの怪力を振り払うことなど不可能だった。ビスマルクの太い指がネロの頭部を強固に固定する。
逃げ場のない視線が、上空から見下ろすシャルル・ジ・ブリタニアと真っ向からぶつかり合った。
「ネロよ、貴様に刻む』
シャルルの両眼に、禍々しくも美しい鳥のような赤きギアスマークが浮かび上がる。その瞳の深淵には、狂気と絶対的な支配の光が宿っていた。
『偽りの記憶を!!』
ネロの瞳孔が恐怖に収縮する。
万能の天才として、あらゆる概念や権能を自らに与えてきたネロだが、今、生まれて初めて――自身以外の他者のギアスが、抗いようのない暴力となってその脳裏へと直接流し込まれていく。
「やめ……ろ……余は……余、は……!!」
抵抗の叫びは途中で途切れ、赤い光がネロの意識を劇的に塗り替えていった。
マリアンヌの愉悦に満ちた言葉が、消えゆく意識の中で聞こえてきた。
「ふふ、ようこそ私たちの計画へ、歓迎するわ、ネロ」
○
ネロの瞳から意志の光が急速に失われ、シャルルが解き放ったギアスの赤き光芒がその脳裏を完全に侵食した。溢れんばかりの誇りと闘志に満ちていた眼差しは一転し、感情の失われた、ただ命ぜられるままに従う人形のそれへと変わり果てる。
頭部を拘束していたビスマルクが静かに手を離すと、ネロはその場に崩れ落ちることもなく、虚ろな面持ちで恭しく膝をつき、シャルルへ向けて頭を垂れた。
「……シャルル、これで本当に、神を殺す計画の完遂に一歩進んだのかしら?」
マリアンヌが、くすりと微笑みながらネロの頭上を見下ろす。万能を誇った皇帝特権の保持者が屈した瞬間を目の当たりにしても、彼女の心には一切の感慨も湧いていないようだった。
「マリアンヌよ、これは楔だ。あやつへのな」
シャルルは両眼に宿していたギアスの光を収めると、背を向けて教団の地下聖堂の中心へと歩みを進めた。ビスマルクもまた、深く息を吐きながら傷ついた肉体を押し殺し、皇帝の後ろに従う。
「……ネロの処理は終わった。次は現世で繰り広げられている戦乱の始末だ」
シャルルは厳格な声を響かせ、空間に浮かび上がる無意識集合体へと視線を投げた。彼等から、地上の様子を聞くことができる。
地下聖堂の外部、そして各地の戦線では、ネロの率いていた勢力とブリタニア軍が複雑に入り乱れ、未だ混迷を極めている。
ビスマルクが重厚な声で応じる。
「陛下。ネロ殿下の急襲により教団本部の防衛線すら乱れましたが、当の首謀者がこちらの手に落ちた以上、彼女の配下たちの指揮系統は容易に掌握できます。『ネロが陛下と和解し、共闘関係を結んだ』という偽りの全軍命令を発動させれば、あちらでの混乱は速やかに沈静化いたしましょう」
「そうね」とマリアンヌが同意を示す。
「ネロの言葉なら、配下たちも疑わずに従うわ。わざわざ無駄な兵力を消耗させる必要もないでしょう。それと、今聞くことじゃないかもしれないけど……日本にいるはずのC.C.の様子はどうなっているの?」
マリアンヌの問いに対し、ビスマルクが静かに答える。
「未だ行方知らずと」
「ふふ、そう。まだあの子は何かに期待してるのかしらね……」
マリアンヌの瞳に、どこか愛おしむような、それでいて冷酷な光が宿る。
「良いだろう」
シャルルは深く頷いた。
「現世の戦闘はネロの命令をもって即座に終息させよ。兵たちの血など、新たな世界においては何の意味も持たぬ。過剰な破壊は将来の『ラグナレクの接続』の障壁となるだけだ」
話は現世の俗事から、彼らの真の目的――「ラグナレクの接続」へ向けた長期的な計画へと移行する。
Cの世界の深淵、神を殺し、世界から「嘘」を消失させるための究極の計画である。
「して、マリアンヌよ」
シャルルが呼びかけると、マリアンヌはどこか遠くを見るような、夢見るような瞳で応えた。
「ええ、シャルル。Cの世界の集合的無意識と同調し、基盤を整える作業は順調よ。アーニャの体を媒介にした接続も安定しているわ。あとは、いずれ来るべき『刻』のために、必要なピースを一つずつ揃えていくだけ」
「うむ。V.V.のコード、そしていずれ芽吹くであろう新たな因果……すべての準備が整った時、我らは神を討つ」
マリアンヌの口調には、計画のパーツとして、現世のすべてを見据える冷酷さが混ざり合っていた。
「死者も生者も、過去も未来も、すべてが一つに溶け合う世界……そこには誰も嘘をつく必要がなく、失われた者とも再び巡り会うことができる。ネロ、あなたもその恩恵を受けることになるのよ?」
マリアンヌは膝をついたまま微動だにしないネロに歩み寄り、その頬を優しく撫でた。だが、ギアスの支配下にあるネロは、焦点の合わない瞳でただ前を見つめ返して言葉を発しない。
「皇帝特権といったかしら?ギアスの中でも頂点に立つ力を持ちながら、世界の理からは逃れられなかった……哀れね」
マリアンヌは壊れた玩具を惜しむように呟いた。
ビスマルクは二人を見つめながら、静かに大剣を鞘へと収めた。自身の命すら捨てて捧げた忠誠。その結実が、数年先の未来へと確実に繋がっていることを実感していた。
「ネロよ」
シャルルは冷徹な眼差しで、従順な手駒となった少女へ命じた。
「貴様は現世の自軍へ交戦中止を命じた後、我が手駒として潜伏せよ。いずれ訪れる決戦の刻、我が僕としてその万能の力を振るうのだ」
「……イエス、ユア、マジェスティ……我が父、シャルル・ジ・ブリタニア陛下……」
ネロの唇から、生気のない、しかし拒絶の余地を持たない完全な服従の言葉が漏れ出た。かつてローマの皇帝として、そして万能の天才として世界を翻弄した少女の誇りは、ギアスの絶対的な力によって完全に塗りつぶされたのだ。
「ふふ……あははは!」
地下聖堂に、マリアンヌの高らかな笑い声ーー勝鬨ーーが響き渡る。
○
感覚が、ゆっくりと泥の中に沈んでいく。
視界の端で高笑いが響き、マリアンヌの冷ややかな微笑みが歪んで見えた。
……理解してしまった。余の脳裏を侵食し、思考を焼き換えていくこの赤き光芒の正体を。
王の力、ギアス。余の意志、余の誇り、余という存在そのものが、シャルルという男の道具として都合よく塗り固められていく。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ……!
誰が貴様などの手駒になるものか!
余は皇帝ネロなるぞ!
民に、美しき世界に愛された、万能の天才なのだ!
抗おうと、喉の奥から叫びを絞り出そうとする。
だが、声にならない。手足はすでに余の所有物ではなく、ただシャルルへの服従を示すためだけに恭しく膝をついていた。
拒絶したい一心で必死に振るう思考の刃も、脳の奥底から湧き上がる「我が主」への妄執に甘く溶かされていく。
暗い。冷たい。
意識の底へ、底へと叩き落とされていく。
余の記憶が、熱情が、美意識すらも、シャルルの描き替えた無機質な忠誠心へと書き換わっていく感覚。
それが耐えがたく恐ろしかった。
このまま余は、余でなくなってしまうのか。誰かの操り人形として生き、誰かの野望のためにその命を散らすというのか。
そんな結末、余の人生にあってはならない。
美しくない。絶対に、ネロたる余にとって、美しくない……!
闇が視界を完全に覆い尽くそうとしたその瞬間――途切れかけた意識の深淵で、ひとすじの閃光が奔った。
(待て……皇帝特権とは何だ?)
皇帝特権。それは自らが「修得している」と言い張ることで、本来持ち得ぬスキルすらもその身に宿す、自らを力ずくで改変する能力。そう、この力は『余自身』にしか作用しない。
他者の願いの宿るギアスーーシャルルのギアスは直接打ち消すことができず、他者の心を書き換えることもできぬ。
だが、ここはどこだ?
ここは「Cの世界」――かつてシャムナが語っていた。
人の無意識が沈殿する集合的無意識の海。
マリアンヌが魂だけの存在でありながら肉体を顕現させたように、この空間には現世の理とは異なる、心の在りようがすべてを決定する絶対の法則が存在する。
ならば、万能の天才たる余に……不可能なことなど、あるはずがないではないか!
(応えよ、皇帝特権! 応えよ、ギアス! そして……この世界に満ちる無意識の集合体(神)よ!)
理屈など知るか。道理など破り捨てろ。
こんな惨めな敗北のまま終わるなど、余の美学が断じて許さぬ!
無理なのは分かっている。余の力だけで、このギアスを跳ね返すことなど不可能なのだと、失われゆく理性が囁く。
だが、今だけは……今この瞬間だけは、余の叫びに応えよ!
余の我が儘を、全人類の無意識の海よ、肯定してみせろ!!
闇の底で、余は全魂を賭して叫んだ。
(これは、"皇帝特権"である……!)
己の存在を、概念を、過去も未来もすべてを塗り替えろ。
カァッ――と、漆黒の闇が内側から黄金の光によって激しく照らされた。
シャルルのギアスという概念そのものを、自らの定義の書き換えによって強引に破滅させる。
意識の深淵から溢れ出す圧倒的な熱量が、脳裏を焼き尽くしていた赤き光芒がことごとく蒸発していく。
(余は、"英霊"ネロである!!!!』
ーー是は、至高なる美の皇帝なりーー
歴史の彼方に咲き誇り、永遠に散らぬ真紅の薔薇。
幾万の喝采、幾千の讃歌、人々の無意識に刻まれし『美の絶対者』の座。
王の力(ギアス)が、歪んだ願望に過ぎぬというのなら、
全人類の史実と幻想が紡ぎ上げた「概念」そのものを変えようか。
因果を書き換えるのではない。
理を捻折り、存在そのものを世界を統べる神話へと昇華させるのだ。
黄昏の海に揺蕩う無数の魂が、その誇り高き命の閃光に激しく震える。
偽りの妄執など、至高の美の輝きの前には塵芥に同じ。
呪縛を裂き、運命を屠り、世界の檻すらも蹴破って——
人理の座より『英霊』として顕現する!