よく聞け、いいか、ここをローマ帝国とする! 作:とくめいのネロ
集合無意識とはなにかーー
シャルル・ジ・ブリタニアが「神」と呼び。
マリアンヌが魂を渡らせた領域——『Cの世界』。
過往から未来に至る全人類の記憶、思想、願望、そして無意識が集積・沈殿する絶対の精神領域である。
ギアスとはなにかーー
人間が扱う「ギアス」とは、その巨大な無意識の海から汲み出された個人の「エゴ」が引き寄せる、切なくも醜い歪んだ切望ーーただ一人のための小さき理である。
ーー人間は望む。
ある男は、都合のよい偽りで世界を塗り替えることを望んだ。
ある女は、他者など投げ打ち、自身のみが永劫に生きることを望んだ。
生きていない青年は、冷徹な仮面を被り、すべてを駒として従える絶対遵守を望んだ。
奴隷だった少女は、孤独の果てに、ただ誰からも無償で愛されることを望んだ。
国と家族の行末を嘆く王女は、過ちを許せず、己の悔やんだ過去そのものを無へと還すことを望んだ。
孤独な少年は、奪われた絆に焦がれ、自らの刻(とき)を止めてでも他者の時間を奪い去ることを望んだ。
勝利を望む騎士は、敗北を恐れ、絶対の勝利を手繰り寄せるための未来を見通すことを望んだ。
愛を知らない男は、静寂を拒み、愛する者の心の声のすべてを知り尽くすことを望んだ。
貴族の少女は、愛憎の連鎖を絶つべく、繋がれた心で絶望を乗り越える奇跡を望んだ。
ーー人はみな、己の欠落を埋めるために、王の力(ギアス)という名の呪いに手を伸ばす。
ならば。
英霊とはなにかーー
端的に言えば”全人類の無意識の海に刻まれた不滅の『概念』そのもの”である。
特定の誰かの願いではない。
千有余年の歴史の中で、何億、何十億という人類が、歴史に、神話に、物語に、思いを馳せ、人理の底に刻み込んできた”人類共通の不滅の概念”。
歴史を揺るがし、記憶に刻まれた英雄の魂は、死してなお『Cの世界』の最も深き層ーー英霊の座ーーに、絶対的システムとして鎮座する。
××××は、本来はただの人間であった。
この世界においては、超越者あるいは観察者とも呼ぶべき、超常なる異なる世界で生まれ、育った記憶のある、紛うことなき異物ではあるが……
その本質は紛れもなく、只人であった。
しかし、「己は至高の皇帝ネロである」と強く信じ込む異質な我執を持ち、与えられた身体は、その名は、世界の悪戯か、限りなくネロであった。
世界はそんな彼女を肯定した。
世界に認められたギアスの変質——『皇帝特権』により、彼女は自らの存在を更に「ネロ」へと力ずくで近づけていく。
そして、肉体の限界を迎え、シャルルの絶対的なギアスによって記憶、自我、精神の変質を強制されたその極限の瞬間ーー
心が形を成す『Cの世界』において、少女の絶望的な哀号と世界の力(皇帝特権)が、全人類の無意識の奥底に眠る”英霊”ネロ・クラウディウスの概念と完璧な共鳴を果たす。
本来はありえない、あり得てはならない、世界の壁を超えた共鳴。
しかし、世界の壁を超えた先を知る、××××の、その英霊に対する果てなき願望と羨望が、あり得てはならない世界の壁を容易く破った。
全人類の歴史と喝采を背負う『英霊』の輝きの前に、
一個人のエゴに過ぎないシャルルのギアスなど、吹き荒れる暴風に散る一粒の塵芥に過ぎない。
願望(ギアス)を遥かに超越した、人類史そのものが生み出した「概念(英霊)」の降臨。
時空を超え、Cの世界の深淵から”英霊ネロ”という神話の概念が、
ネロという少女の身体を依代として、ここに顕現する。
ーー問おう、貴様が余のーーーーー。
○
ー 英霊ネロである! ー
声なき声が、響いた気がした。
魂だけのマリアンヌは、少しの違和感を覚えた。
そして、その違和感はすぐに大きな違いとなって、知れるところとなった。
世界は——全人類の精神が集う『Cの世界』という理そのものは、確かにその咆哮を聞き届けていた。
黄昏の刻芒を宿す静寂の空間が、激しい断末魔の如く鮮烈な紅へと狂おしく鳴動する。
これまでの常識では天地が覆ろうとありえなかった、空間の法則そのものが崩壊を始めるという異変。
絶対の支配者として君臨していたシャルル・ジ・ブリタニアが驚愕に目を大きく見張り、その傍らに佇むマリアンヌと、ナイトオブワンたるビスマルクの詰まるような息を呑む音が静寂を切り裂いた。
彼らの目の前で、世界が一変するーー
シャルルらの目の前に跪いていたネロを中心に、極彩色の黄金の光芒が弾け飛び、まるで砕け散った無数の硝子細工のようにCの世界の空間全体を埋め尽くした。
光と風の奔流にシャルルたちは顔を庇いながら、後ずさる。
ビスマルクはシャルルとマリアンヌの盾となるように前に出るが、その力を受け止めきれない。
その光の嵐の中心で、少女——ネロ・クラウディウスの存在そのものが劇的な変貌を遂げていく。
痛々しく打ち苛まれていた華奢な身体へ、肉体の限界など軽々と置き去りにする凄絶な『存在の格』という絶対の概念が注ぎ込まれていく。
先ほどまでその華奢な肉体を苛んでいた無数の痛々しい傷、血と埃に塗れて無惨に破れかけていたドレス——敗北と屈辱の痕跡のすべてが、荒れ狂う眩い閃光の暴風の中に跡形もなく雲散霧消していった。
そして、つい先ほどまでは、シャルルの絶対的なギアスによって虚ろに揺らぎ、完全に光を失っていた少女の瞳が、歴史の深淵から溢れ出す赤き薔薇のごとき情熱と、絶対の覇気を孕んだ焔が、再び苛烈に灯り直す。
黄金の風が吹き止む。
光の渦から現れ出でたのは、至高にして絢爛たる姿。
そのドレスの色や姿形は似ているが、先ほどまでと本質が異なっていた。
纏うは、現世の陽光を極限まで凝縮したかのような眩い輝きを放つ、洗練された深紅の衣装。
傷一つ残っていない滑らかな白磁の如き肌を包むのは、雪を思わせる白のドレス。
その上から重ねられた深紅の外套は、肩より流れ落ち、裾に至るまで炎の如く広がっている。
華美にして、しかし媚びるところはない。
胸元を飾る黄金の装飾。幾重にも交差する紐飾りは細い腰を縛り、白と赤の境界を際立たせる。スカートの裾には金糸の刺繍が走り、一歩を踏み出すたび、王冠にも似た輝きを零していく。
婚礼のための衣装にも見える。
王座に座るための正装にも見える。
だが、――戦場に立つ王のためのモノ。
――これは礼装であり、鎧であり、同時に彼女自身が掲げる王旗でもある
深紅とは血の色。
白とは、何者にも染まらぬ王の色。
黄金とは、万人の上に立つ者だけに許された輝き。
三つの色彩を身に纏い、少女はただ静かに佇む。
紅蓮の外套が翻る。
風の存在するはずのない異界の空間において、まるで意志を持つかのように悠々と揺らめいている。
そして彼女は、己が王であることを証明するように、ただ一振りの宝剣を携える。
その右手に握られているのは、先ほどまでの「それなりに実用性のあった飾りの宝剣」ではない。
真なる主の覚醒に狂喜し、己の輪郭すら焼き切らんばかりに紅蓮の炎を纏わせた宝剣、否、”宝具”——『原初の火(アエストゥス エストゥス)』。
刀身から迸る灼熱の焔は、Cの世界を満たしていた集合的無意識の冷酷な気配すらも一瞬で圧し去り、彼女こそがこの戦場における唯一絶対の皇帝であることを、その場に集う者たちの魂へ誇らしげに、そして苛烈に刻みつけていた。
静寂のなか、覚醒した存在がその可憐な唇を開く。
「……ネロ・クラウディウス」
静かに、しかしCの世界の深淵まで届くほどどこまでも澄み渡る重厚な響き。
「時空の理を越え、魂の呼び声に応じ——この身を依代として、今ここに推参した!」
明らかに、これまでの「ネロ」とは画然と異なる。
そこに居るのは、一個人の願望を超え、人理の歴史そのものを背負う真なる英霊。
「うむ……よくぞ、この余を呼んだ!」
その声ははっきりと、凜々しく、そして黄金の如き絶対の威厳に満ち溢れていた。
「……流石は、余を模し、余を夢見た、愛しき余の”贋作者(フェイカー)”よな」
厳格な皇帝の面持ちが一瞬だけ揺らぎ、声の端々に溢れんばかりの誇らしさと、愛おしさが愛らしく滲み出る。
自らの手を開閉し、降臨した肉体の感覚をたしかめるように、彼女は優雅に胸を張った。
「この身体……うむ! 驚くほど余によく馴染むぞ!
記憶も、熱量も、美意識すらも……完璧だ。良くぞここまで、ただの人の身でありながら己を磨き、余という存在を研鑽したものよ。……まこと、天晴れであるな!」
暗澹たる危機に瀕しながらも、泥底で美しくあらんとし、ついに「本物の概念」を手繰り寄せた小さき乙女の努力を、至高の皇帝は心から絶賛した。
そして、不敵な笑みを浮かべながら周囲の状況を一瞥する。
「ふむ……しかし、なかなか興奮させる状況ではないか!」
一瞬にして戦場の本質を見抜き、彼女は爛爛と両瞳を輝かす。しかし、ーーその瞳に、偽りの力、ギアスの灯はない。
あるのは英霊として、皇帝としての揺るぎのない熱。
「見事な舞台よ! 黄金に染まる黄昏の空、そこに浮かぶ厳かな神殿……ふふ、この至高なる余が降臨する劇場としては、決して悪くはないぞ!」
視線を巡らせ、愕然と立ち尽くすシャルル、マリアンヌ、そしてビスマルクを見下ろす。
3人を見るその瞳には恐れなど欠片もなく、ただ最高峰の演者としての愉悦のみが宿っていた。
「まあ……いささか、余の美学にそぐわぬ無粋な者たちも混ざっているようだがな! ふはは! なんとまあ、物語のクライマックスに真打ち登場、というヤツではないか!」
絶体絶命の敗北を、一瞬で最高の劇的な開幕へと塗り替えた至高の英霊。
彼女は絶望の泥底で眠りについた「もう一人の己」の意識へ向け、誰よりも可憐に、そして心強い笑みを投げかけた。
「——よくやったな、大義であった!」
泥を舐め、傷つきながらも最後まで誇りを捨てなかった小さな”贋作者(フェイカー) “へ贈られた、至高の皇帝による惜しみない讃歌。
眠りについた少女の意識を包み込むように、真紅の外套が風もない空間で誇らしく翻る。
「苦難の幕は降りた! あとはすべて……この余に任せるが良い!!」
ここに、万能の天才たる英霊ネロ・クラウディウスは降臨した。
ネロ・ロ・ブリタニアの「願望」の為、至高なる薔薇の皇帝は剣を取るーー。
○
「な……なに……!?」
ビスマルクが思わず言葉を詰まらせ、大剣を握る太い指に凄まじい力が込められる。
自身の巨躯でネロの拳を受け止め、マリアンヌの一閃によって彼女の肉体は致命的な深手を追い、頭部の傷も浅くはなかった。
にもかかわらず、いま眼前に佇む少女からは、傷一つ、血の一滴すらも見出せない。どころか、まとっている空気そのものが別物に成り代わっていた。
「……あり得ないわ」
マリアンヌが可憐な顔を驚愕に歪め、細身の剣を構え直す。全盛期の佇まいを取り戻し、魂の存在としてCの世界に留まる彼女だからこそ、肌で理解していた。
いま眼前にいるものは、先ほどまで打ち合っていた「ネロ」ではない。
肉体の構造、魔力の密度、そして何より——魂の格そのものが、あまりにも隔絶しすぎている。
「貴様……記憶を書き換え、ブリタニアへの、ワシへの絶対なる服従の因果を刻みつけたはずのギアスを……いかにして破った!?」
シャルルの重厚な声が、Cの世界の黄昏の空に激しく響き渡る。その両眼に宿るギアスの紋章が、破綻の証のように赤く明滅していた。絶対遵守や過去の改変と同等、いやそれ以上に不可逆であるはずの「記憶改変」が、完全に霧散したのだ。皇帝としてのシャルルのプライドが、この不条理を許容できない。
ネロは、シャルルの威圧的な問いかけに対し、くすりと可憐に可笑しそうに笑った。
彼女の脳内には、この身体の主——眠れる『贋作者』が蓄積してきた記憶が完璧に網羅されている。
ギアスというこの世界の理における力。
シャルル・ジ・ブリタニアという男がこの国の頂点に立つ皇帝であり、この身の遺伝子的な父親。
目の前のマリアンヌやビスマルクとともに「神ーー無意識集合体ーーを殺す」計画を進めていることも、すべて知識としては理解していた。
しかし——それは英霊ネロ・クラウディウスにとっては、あくまで「依代となった少女の記憶」に過ぎない。他人の記した歴史書を読み進めた程度の、極めて他人事な感覚であった。
「ふむ、……シャルルとやら、そしてそこの幽鬼(マリアンヌ)に、凡夫の騎士(ビスマルク)よ」
ネロはまるで遠い異国の戯曲の登場人物に話しかけるかのように、悠然と顎をしゃくった。
「貴様らの都合や画策など、余にとっては劇場の客席から眺める駄作の筋書きに過ぎん。……問われたな、『いかにしてギアスを破ったか』と」
ネロは『原初の火』の剣先を軽やかに揺らし、シャルルを嘲笑うかのように目を細めた。
「答えは至極単純よ。皇帝とは、至高なる美の体現者。全人類の喝采を一身に浴び、世界の先頭を歩む者なのだ。そのような存在が、たかだか一国の王の都合よき玩具に成り下がるはずがなかろう! 貴様が刻もうとしたのは服従という名の屈辱。だが、余の尊厳、余の美学は、そのような生温い呪縛など毛ほども受け入れぬ! 世界の理すら余を害することは叶わぬのだ!」
「そのような戯言で誤魔化せると、ワシを欺けるとでも!?」
シャルルが怒号を飛ばす。
「王の力——ギアスは、人の無意識の集合体たるCの世界から与えられし絶対の理! 個の意志などという曖昧なもので凌駕できる道理がない! お主は何か別の……このCの世界の法則そのものを歪める仕掛けを使ったな!?」
シャルルは鋭く見抜こうとしていた。ギアスという体系を超越した「何か」が起きたのだと。
だが、ネロが「英霊の座」や「人理の概念」、あるいは「この世界とは異なる世界における、歴史上の本物の英霊ネロである」などという種明かしをするはずもない。
「仕掛け、だと? ふはははは! どこまでも器の小さい男よ、シャルル!」
ネロは胸を張り、ドヤ顔で言い放った。
「己の理解できぬ現象をすべて『仕掛け』と片付けるか! 貴様のいう理など、余の歩む歴史の前には砂の城に過ぎん! 良いか、世界が余を肯定するのではない。余が世界を肯定するのだ! 皇帝が『屈せぬ』と言えば屈せぬ! 皇帝が『勝つ』と言えば勝つ! それこそが唯一絶対の真理であろう!」
「妄言を……!」
シャルルは苦々しく顔を歪める。だが、ネロの言葉には、道理を力ずくでねじ伏せる圧倒的なまでの「自負」が満ちていた。
「貴様」
ネロの声から戯れの色が消え、底知れぬ威厳が宿る。
「余に先ほど言ったな、『嘘のない世界』を目指すと。死者と生者を混ぜ合わせ、過去と未来を一つにし、争いのない平和を創ると。……ふっ、実につまらん。実に醜悪だ!」
「何だと……!?」
「偽りのない世界だと? 完璧な世界だと? 戯れ言を抜かすな! 劇に演出(嘘)がなくて何が面白い! 人生に葛藤や悲劇、それを乗り越える歓喜という名の『彩り』がなくて、一体何が美しかろうか! 死者は死者だからこそ美しく、生者は限りある命を燃やすからこそ愛おしいのだ!」
ネロは宝剣を大きく振りかざし、Cの世界の空間全体を指し示した。
「傷つくことを恐れ、失敗を拒み、すべてを無味乾燥な泥の中に溶かし込もうとする……それは平和などではない。ただの『全人類の停滞』、怠惰なる死に過ぎん! 貴様の目指す世界には、喝采も、讃歌も、情熱の薔薇も一輪として咲き誇らぬ! そのような不細工な世界、万能の天才たる余が金頭子の価値も認めぬわ!」
「……っ!?」
シャルルの顔が屈辱と憤怒で激しく歪む。己の数十年を捧げてきた「神を殺す計画」を、一蹴されたのだ。
「問答は終わりだ」
ネロは不敵に微笑み、姿勢を低くした。
「貴様らの美学の欠如、十分に理解した。……さあ、開幕のベルは鳴ったぞ。余の至高の舞踏をもって、貴様らの不細工な夢に引導を渡してやろう」
頭上の冠を誇らしげに戴き、ネロは紅蓮の剣先を一直線にシャルルへ突きつけた。その佇まいには、もはや一切の陰りも、敗北の焦燥も存在しない。あるのはただ、万華の天才が誇る、揺るぎなき絶対の美学のみであった。
黄金の光芒は衰えることを知らず、全盛の威容を取り戻し、深紅と純白の絢爛たる衣装を纏ったネロ・クラウディウスは、眼前に立つ三人を悠然と見下ろす。その瞳には、すべてを支配する絶対的な皇帝の眼光が宿っていた。
問答の間に、ビスマルクとマリアンヌはいつでも動けるよう、準備を整えていた。
そして、決裂した。
「ビスマルク! マリアンヌ!」
シャルルの喝声に応じ、二人の騎士が同時に地を蹴った。
ビスマルクが大剣を横一文字に構え、残された全魔力と闘気を解き放つ。彼の左目の封印が完全に弾け飛び、鳥の如き朱色のギアスが激しく燃え上がった。
『未来を見るギアス』——数秒先の未来の軌跡を完全に予知し、死角なき迎撃を行う絶対の予知。
「……容赦はしないわよ、ネロ!」
マリアンヌの体が、まさに「閃光」と呼ぶに相応しい速度で空間を滑る。生前、ナイトメアフレームすら生身で凌駕したという伝説の武芸。さらには魂だけの存在となったことで肉体の限界を失った不死性の攻勢。
二位一体。現世のいかなる英雄、いかなる最新鋭兵器であっても一瞬で微塵切りと化す、絶望的な挟撃であった。
しかし——ネロの口元には、変わらぬ至高の微笑みが浮かんでいた。
(……ふむ、なるほどな)
降臨した英霊ネロは、自身の状態を瞬時に把握していた。
依代となっていた『贋作者』の少女が持っていた「ギアスとしての皇帝特権の力」は、シャルルによって改変されかけた衝撃と、本物の英霊が降臨したという概念の上書きによって、既に消滅している。
だが——そんなものは、何の問題にもならなかった。
なぜなら、いま彼女の身に宿っているのは、ギアスなどという一個人の歪んだ願望によって得た仮初の力ではない。
歴史と人理の座に刻まれた、真なる英霊ネロ・クラウディウスの力そのものなのだから。
ガァァァァァァンッッ!!!!
激突音がCの世界に轟いた。
マリアンヌが解き放った目にも留まらぬ突きと、ビスマルクが上段から振り下ろした渾身の大剣。その二つの必殺の軌跡を、ネロは『原初の火』の一閃だけで完全に弾き返したのだ。
「……くっ!?」
ビスマルクが目を見張る。彼の左目が捉えていた未来の残像において、ネロは彼の斬撃を回避できずに崩れ落ちるはずだった。
しかし、ネロは予知された未来の軌道そのものを、強引に上書きするような超絶的な反応速度と剣術で力ずくで破砕したのだ。
「未来が見えると言ったな、凡夫の騎士よ!」
ネロは真紅のドレスを華麗に躍らせ、旋風のごときステップでビスマルクの間合いへと踏み込む。
「貴様の見ている未来など、余が『書き換える』! 追いつけると思うなよ!」
「ぐっ……!? 未来が……偏差しているだと……!?」
ビスマルクのギアスが捉える未来の映像が、ノイズを起こしたように激しく乱れる。
ガガガガガガガガッ!!
紅蓮の炎を纏う宝剣が、ビスマルクの大剣と激しく火花を散らす。
一撃、二撃、三撃。
「っ!? 先ほどまでと余りにも違っ!?」
打ち合うたびに、ビスマルクの腕の骨が鳴り、頑強な甲冑がひび割れていく。
先ほどの戦いでも、剣術の技量としてビスマルクは劣勢であった。しかし、腕力においては僅かとはいえ分があったはずだ。
しかし今は、圧倒的な質量の差があった。
ネロの放つ「英霊としての絶対的な力」がビスマルクを力ずくで押し潰していく。
ーー剣の残心から、紅蓮の炎が踊り舞う。
「ビスマルク! 伏せなさい!」
横あいからマリアンヌが超絶的な踏み込みで割って入る。細身の剣が、ネロの無防備な首筋へと疾風のごとく走る。
不死の体を持つマリアンヌには、相打ちなど何の痛痒もない。捨て身の極致。
だが、ネロは振り向きもせず、空いた左手をそっと滑らせた。
「無駄だと言っている、幽鬼よ!」
英霊として自身が持ち合わせている概念ーー『対魔力』ならぬ『対霊的防御』の力。
ネロの左手から放たれた黄金の衝撃波が、マリアンヌの剣撃を正面から相殺し、彼女の華奢な体をはるか後方へと吹き飛ばした。
「くっ……!? なぜっ!私にこれほどのダメージが……!?」
空中を一回転して着地したマリアンヌの顔に、初めて明確な焦燥が走る。
傷ついても瞬時に再生するはずの彼女の魂の肉体に、黄金の光による「焼け焦げ」が残り、再生が著しく遅れていた。
概念として全人類に、世界に刻まれる英霊にとって、概念ですらない魂だけの一匹狼程度に特別な力はいらない。
「ふはははは! これぞ万能の天才、至高の皇帝ネロの真骨頂なり! よくわかったか? ローマを知らぬ子羊ども」
ネロは宝剣を頭上で優雅に一回転させると、勝ち誇った笑みを浮かべて二人を見下ろした。頬に傷一つなく、ドレスに汚れ一つない。
最強の騎士ビスマルクと、閃光マリアンヌ。二人がかりの全力を、ネロはただ一人、素の力だけで完全に圧倒していた。
「なぜだ……!?」
階段の上で見守るシャルルの声が、微かに震えていた。
英霊ネロ・クラウディウスの圧倒的な武威の前に、ブリタニアの頂点として絶対の支配を誇ってきたシャルル・ジ・ブリタニアの顔から、ついに余裕の色のすべてが削ぎ落とされていた。
「なぜっ……なぜだネロ!! Cの世界の理を、人類の無意識の集積を、なぜ小娘1人という矮小なものが、凌駕できる!!」
シャルルの声には、かつてない焦燥と動揺が色濃く混じっていた。
自らが積み上げてきた「偽りのない世界」への計画。それを支える絶対の力であったギアスが、記憶改変が、服従の暗示が、目の前の少女……いや、その身に降臨した「何か」の前には全く通用しない。
「言ったであろう」
ネロは至高のドヤ顔で、誇らしげに胸を張った。
「余の前に立つ者に必要なのは、貴様の矮小な願望(ギアス)ではない。余の美しさに平伏し、心からの喝采を送るという気概のみよ!」
真紅の外套が風もない空間で堂々と翻り、紅蓮の宝剣が狂おしく咲き誇る。
「マリアンヌ!!」
シャルルは血走った眼で、後方で息を荒らげるマリアンヌへと叫んだ。
「『アーカーシャの剣』を使え! あの異分子は、根源ごとここで消すのだ!!」
「……っ!? シャルル、何を言っているの!?」
その命を聞いた瞬間、マリアンヌの美貌が驚愕に引きつった。彼女は咄嗟に否定の声を上げる。
「正気なの!? アーカーシャの剣は『神』——集合無意識を討つための、神殺しの概念! ラグナレクの接続の為の思考の通路、こんな個人の存在へ向けて使うような代物ではないわ! それに……! 今はまだ条件が揃ってない!」
マリアンヌの悲鳴のような拒絶には、正当な理由があった。
この世界における『アーカーシャの剣』とは、Cの世界——全人類の無意識の底に沈殿する、神を呪い、理不尽な運命を恨み、神を滅ぼしたいと切望した人間たちの「憎悪」「怒り」「悲しみ」「怨念」といった苛烈なネガティブの記憶だけを抽出・凝縮して鋳上げられた、正真正銘の神殺しの剣である。
神を殺した後に、その怨念を使い、人類の思考と集合無意識を繋がることで達成されるラグナレクの接続。
V.V.がコードを継承して以来、長年にわたり静かに、そして陰湿にCの世界へ干渉し続けて作り上げてきた最終兵器。
本来ならば、Cの世界に完全な形で干渉・接続できる「コード保持者」が二名揃って初めて、確実に制御できるはずの禁忌の力であった。
いまのこの場には、C.C.はもちろんのこと、V.V.すら不在。
これより未来、コードギアス原作における2年後の「神殺し」の決行日には程遠く、アーカーシャの剣はあまりにも未完成、あまりにも不調和な猛毒の塊に過ぎなかった。
「C.C.もV.V.もいないこの状況で起動すれば、どんな反動が起きるか……! うまくいかなければこれまでの成果すら……!」
「構わん!!」
シャルルはマリアンヌの制止を不遜な咆哮で遮った。
「あやつは……”あの”ネロは、もはや我らの理の枠外におる! このまま放置すれば神殺しの計画そのものが瓦解する! 異質には異質を! 神を殺す刃をもって、悲願の成就を阻む愚か者をここで滅する!!」
「シャルル……」
シャルルの瞳に宿る真摯なまでの狂気を感じ取り、マリアンヌは深く息を吐き出した。
彼がここまで追い詰められた姿を見るのは、長い年月の中で初めてのことであった。
「……分かったわ。貴方がそこまで言うのなら」
マリアンヌは覚悟を決めたように瞳を閉じると、両腕を静かに広げた。
コード保持者が不在のいま、不完全なアーカーシャの剣を顕現させる道はただ一つ。
Cの世界に魂として留まり、わずかにその領域へ直接干渉できるマリアンヌ自身が、触媒としてその身を捧げることだった。
「シャルル、ラグナレクの接続の先で待ってるわ……」
マリアンヌの肉体が、内側から溢れ出す不吉な漆黒の光によって徐々に崩壊を始める。
「……マリアンヌ、様」
ビスマルクは身体を僅かに強張らせながら、静かに目を閉じた。
マリアンヌの肉体ーー魂は光の粒子へと離散し、Cの世界の空間全体へと溶け込んでいった。
自らの存在と引き換えに、Cの世界の最も深く重い底——人類の怨念が溜まる泥の海へと手を伸ばす。
ーードクン、
Cの世界全体が、まるで巨大な心臓が歪みに歪んで脈動したかのような気味の悪い重低音を響かせた。
黄昏の間にそびえ立つ神殿のさらに奥深き闇。
空間そのものが歪み、裂け、そこから「それ」は姿を現した。
神聖さなど微塵もない。
全人類が歴史の中で吐き捨ててきた殺意、絶望、呪詛がどろどろと不気味に蠢き、捻れ合って凝固した、漆黒との醜悪なる螺旋の棒。
幾重にも重なる怨怨たる念の奔流が、空間の法則すらも腐食させていく。
未完成ゆえに制御の利かぬ「神殺しの剣」——『アーカーシャの剣』が、暴走寸前の禍々しい威容を誇って降臨した。
コードギアスという原作において、『Cの世界』の根源、神のへと届くはずの完璧な機構とは程遠かった。V.V.というコード保持者の不在と、2年の歳月を欠いた未完成品。世界の頂へと至る穿孔の力は到底持ち得ていない。
しかし——一個人を噛み殺し、無残に屠るにはあまりに過剰で、あまりに苛烈な「悪意の渦」であった。
千有余年の人類史において死に際した人々が撒き散らした「絶望」「憎悪」「怨嗟」そのものの凝縮体——人類史の底に沈殿する呪詛を限界まで抽出し、強引に形を成した漆黒の螺旋棒。
本来ならば天を仰ぎ、神という概念そのものを貫くはずの矛先が、ぎちぎちと歪な嫌な音を立てて水平に曲がる。
標的は、シャルル・ジ・ブリタニアの目の前に優然と佇む真紅の少女。
「……アーカーシャの剣よ! あやつを滅するのだ!」
シャルルの狂気じみた咆哮に応え、漆黒の螺旋棒から解き放たれたのは、単なる物理的攻撃ではなかった。
ドス黒いオーラのような光を纏わせ、嫌な擦過音を響かせて空間を穿つ無数の人の腕を模した触手。
触手が掠めるだけで、Cの世界の黄金の空間が腐食し、無機質な黒へと変質していく。
一個人の魂など、一触するだけで正気を破壊され、概念ごと汚泥の海へ引きずり込まれる絶対の死。
音もなく、しかし光を置き去りにする圧巻の速度で、ネロへと襲いかかった。腕の一本一本が、一個人の魂を概念ごと汚濁させ、摩滅せしめる『神殺しの劇薬』。
本来の「贋作者」の少女であったなら、ギアスによる皇帝特権の力をもってしても、なす術もなく魂を汚され、存在ごと肉泥へと成り果てていたであろう。
だが——いま、そこに立つのは「英霊ネロ」。
別なる世界において、これよりも遥かに醜悪で、遥かに巨大な「世界を呑み込む獣(ビースト)」や、星そのものを滅ぼす異形の怪異と刃を交えてきた、人類史の守護者たる英雄であった。
「ふん……不細工な。怨念を煮詰めれば神を殺せるとでも思ったか? 芸術の『げ』の字も知らぬ、実に浅はかな発想よ!」
ネロの瞳に怖気など欠片もない。ただ、美意識を汚されたことへの高貴なる不快感のみがあった。
触手が目前に迫る。その瞬間、ネロの身体から溢れる力が変質した。
手の宝剣を両手で握る。
ただ、それだけの動作だった。
されど次の瞬間、ネロの周囲を取り巻く空気が変わった。
知らぬはずの技術。
修めたはずのない剣理。
幾千、幾万の鍛錬の果てにのみ辿り着くはずだった、一つの極致。
それらが、まるで最初から彼女の内に在ったかのように、鮮明に蘇る。
「――余を誰と心得る」
紅き瞳が細められる。
それは自惚れではない。
まして虚勢でもない。
皇帝とは、己が出来ると宣言したものを、出来るものとしてしまう者だ。
「ローマ帝国を統べし、至高なる皇帝である。そしてーー」
これは、ギアスという、願いで生まれたのもではない。
これは、新たな力を生み出すものではない。
己の内に眠る可能性を、英霊の権能によって強引に引きずり出す。本来ならば、長き年月を費やして得るはずだった技術。
それをネロは、ただ一言――『余には出来る』。
その傲慢だけで、手中に収める。
剣を振るう。
一閃。
空気そのものが裂けた。
その一撃は、ネロには、英霊ネロには、存在しなかったはずの力。
だがネロにとっては、それこそが当然だった。
出来ない理由などない。
何故なら。
ネロは皇帝なのだから!
——『皇帝特権』を持つのだから!
『余は”英霊”ネロである!!!』
ーー今度は、世界に間違いなく響いた。
終わる終わる詐欺。
次が本当最後です。もう一話、少し手直ししたら投稿します。
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