洞窟カフェの夜。
今日も開店中。
ギデオンが、大きな黒曜石の前に立っている。
黒い石の表面を。
じー…。
あなたは、すこしだけ離れたところから様子を見ている。
「どうしたの?」
ギデオンの羽根が、ぱたと少し動く。
黒曜石の中に。
あなたの姿が、ぼんやりうつっている。
ギデオンは振り返らずに。
「ちょっとだけ…見てた。」
「何を?」
少し間。
「…ぼく」
黒い石の表面は。
暗いまま。
洞窟の灯りをほんの少しだけ、返している。
そこに。
ギデオンの影もある。
でも。
黒い髪も。
黒い角も。
揺れているしっぽも。
石の色に溶けてしまって。
輪郭は、よくみえない。
ギデオンが少し、首をかしげる。
「ぼくって。」
「鏡の中でも、ぼくなのかな…。」
あなたは黒曜石を見る。
「…うん。」
「たぶん。」
指先で、黒曜石の表面に触れてみる。
向こう側からも。
よく見えない姿で。
覗き込んでいる。
「でも。」
「鏡の中のぼくって。」
「こっちにいるぼくのこと」
「知らない気がする。」
「…。」
「声も届かないし。」
「触れられないし。」
黒曜石の中のギデオンを見る。
「ずっと。」
「向こう側でひとりでいるみたい…。」
「ぼくがここから離れても。」
「次に覗いたら。」
「また、そこにいるから」
小さく息を吐く。
黒曜石には、あなたの姿の方が。
ギデオンよりもはっきりと映っている。
その隣にいるはずのギデオンは。
黒い石の中に。
ほとんど消えていた。
「…ひとりぼっちみたい」
ぽつり。
その時。
洞窟の入り口から。
なにかが聞こえてきた。
もち。
…もち。
ギデオンのしっぽがゆらり。
「…?」
もち。
もち…。
あなたも音のする方を見る。
洞窟の曲がり角。
月の灯りの差す方向から。
何かが少しずつ、近づいてくる。
「…何の音?」
ギデオンが黒い鏡から離れる。
もち。
…もち。
やがて。
暗がりから。
毛糸玉が現れた。
ころころ…、ではなく。
もち。
もち。
すこしずつ。
こちらに歩いてくる。
「…。」
あなたとギデオンは顔を見合わせる。
毛糸玉も。
たぶん。
こちらに来ている。
「毛糸玉…。」
ギデオンがつぶやく。
「歩いてる…。」
もち。
毛糸玉が止まる。
…。
よく見ると。
毛糸の隙間から。
何かがはみだしていた。
小さな。
柔らかそうな足。
もち。
「…足?」
ギデオンがしゃがみ込む。
毛糸玉に顔を近づける。
「これ。」
「中に誰かいる。」
毛糸玉がわずかに動いた。
もち。
貴方もしゃがみ込む。
「ほどいてみようか。」
「…うん。」
あなたが毛糸玉の端を探す。
ギデオンも反対側から。
絡まった糸を。
くるくる。
ゆっくりほどいていく。
する…。
もち…もち。
「こっち。」
ギデオンが糸を引く。
「…あ。」
少しだけ。
中のなにかが見えた。
茶色い。
柔らかそうな体。
もちもちした触手のような足。
でも。
まだほとんど毛糸に埋まっている。
「…動かないでね。」
もち…もち。
「…聞いてる?」
……。
もち。
「たぶん…聞いてない。」
あなたがもう一本ほどく。
するする…。
毛糸玉がすこしずつ。
小さくなっていく。
ギデオンの手元にも。
あなたの膝の上にも。
ほどけた毛糸がまた玉になる。
やがて。
最後の一本が。
するり。
外れた。
ぽて。
中から。
小さな生き物が現れる。
丸くて。
茶色くて。
柔らかそうで。
クラゲみたいな形をした。
もちもちした精霊のようななにか。
…。
ギデオンが固まる。
その生き物もギデオンを見る。
じー…。
もちもち。
「…。」
ギデオンがすこしだけ顔を上げる。
「…ガヴィア?」
小さな生き物が。
もち。
「ガヴィア……。」
「君なの?」
少し間。
…。
そして。
「…ぷ。」
ギデオンがぱちくりする。
「…。」
あなたを見る。
もう一度。
生き物を見る。
「…返事。それだけ…なの…?」
「…ぷ。」
もち。
もち。
ギデオンが困ったように眉を下げる。
「似てる。」
「すごく。」
茶色いからだ。
丸いほっぺ。
装飾。
「でも…。」
「いつものガヴィアより…。」
少し考える。
「クラゲ…。」
小さな生き物が。
「…ぷ。」
「クラゲみたい…。」
「ガヴィアに似てるし…。」
しばらく。
じー…。
「…じゃあ。」
ギデオンが。
くすりと笑って。
「クラゲガヴィア……。」
少し間。
「どう…?」
「…ぷ。」
もち。
クラゲガヴィアは。
そのままギデオンの足元に移動する。
ぺた…。
「……。」
「気に入ったのかな……。」
クラゲガヴィアは答えない。
ただ。
もち……。
もち……。
とギデオンの足元で揺れている。
「そうなんじゃないかな…?」
あなたはしゃがみ込む。
少しして。
ギデオンが。
さっきの黒曜石を見る。
「…。」
黒い表面に。
しゃがみ込んだあなたが映っている。
その横には。
やっぱり。
よく見えないギデオン。
そして。
その足元に。
もう一つ。
よく見えない影があった。
「…あ。」
ギデオンが近づく。
クラゲガヴィアも。
もち。
もち。
ついてくる。
黒い鏡の前で。
ふたつならぶ。
「…。」
ギデオンが目を細める。
「クラゲガヴィアも…。」
「あんまり映らないね…。」
茶色い身体は。
黒曜石の暗い表面に溶けて。
丸い輪郭がほんの少しだけ見える。
「…ぷ。」
「…ふふ」
ギデオンが少しだけ笑う。
「君もなんだ。」
クラゲガヴィアが。
もち。
と。
黒曜石に近づく。
たぶんよくわかっていない顔。
ギデオンも隣に立つ。
黒曜石の中には。
よく見えないギデオンと。
よく見えないクラゲガヴィア。
二つの影。
どちらも。
輪郭は曖昧で。
どこからどこまでが自分なのか。
よくわからない。
それでも。
隣にいることだけは。
なんとなくわかる。
ギデオンが。
黒曜石の中を見る。
「…今日は。」
「ひとりじゃないのかも…。」
その時。
洞窟の外から。
細い月明りが差し込んだ。
黒曜石の表面を。
少し撫でるくらい。
ほんの一瞬。
ギデオンの顔が映った。
その隣には、あなたと。
小さな茶色い影。
「…あ」
ギデオンが目を見開く。
月明りは。
すぐに雲の向こうに隠れていく。
また。
黒曜石の鏡は。
深い黒に戻った。
ギデオンは。
しばらくその場所を見ていた。
「…向こうのぼくも。」
すこしだけ。
しっぽが揺れる。
「気づいたのかも。」
黒曜石の中の小さな影も。
もち。と動いた。
「…ぷ。」
洞窟の奥で。
水滴が一つ落ちる。
…ぽつ。
それから、誰もなにも言わなかった。
ただ。
洞窟の中には6つの息遣いが残っている。
大きな黒曜石はもう黒いまま。
それでも。
昨日よりも、ほんのすこしだけ。
その黒い鏡の中は。
寂しくないように見えた。