洗脳系TS魔法少女 作:悪魔的逆数提示
硝子の砕けるような甲高い音が響く。瞬間、突風が商店街の奥から吹き抜け、砂埃と共に、巨大なタコが地面を割った。
「なによ、これ……!」
リリスが絶句したような声をあげる。
「なんで海洋系の魔物がこんな内陸部にいるのよ!」
彼女の悲鳴も尤もな意見だろう。目の前に現れた触手の化物は、私も以前に見たことがある。
「東京湾を落とした奴だ」
「東京湾ってどういうことよ! あそこはもう10年も前に閉鎖されたじゃない!」
もはや激昂することでしか冷静さを維持することが出来ないのか、リリスは半ば自暴自棄なほどに怒鳴り散らしていた。
「機構のアーカイブ見たことないの? かつて駿河湾と東京湾に出現して、そのどちらも壊滅させた上に、打ち漏らして逃走してた個体だよ」
「は!? じゃあどうするのよ! 勝てるわけないじゃない!!」
「いや、勝てるよ。私なら何とかできる。出来るけど、問題はそこじゃない」
内心で歯噛みする。
海洋系魔物が内陸部いることは問題ではない。本来であれば海にいるはずの彼らが陸にいるのは、人間が海の中で戦闘するような物だ。
魔物本来の戦闘能力を発揮できない場所での戦闘など、いくらレベル5と言えども、そのレベルは4程度に落ちるだろう。
だが。
「問題は、さっきリリスが言ったように、何故彼が陸にいるかだよ」
「何故って、海には人がいないからじゃないの?」
「それなら、駿河湾然り、沿岸地域を襲えばいい」
「それは」
つまり考えられるのは、海で何かがあったという事だ。海中で何かがあり、陸地でも何かがあった。
追い詰められて空腹になり、限界に達したため人を襲った後、レベル4の狼を団地に送り込んで、私たちを誘い込む罠を張った。魔物からすれば、非戦闘員の弱い魔法少女など、ついでに魔力も補給できる良い栄養食品なのだ。
だがそれは、そこまでしなければならない程に追い詰められていたと、言い換えることが出来る。
「——ヴォオオオオオオッ!」
リリスの言葉を遮るように、タコが低い雄叫びをあげた。
空気が震え、その振動が肌に伝わるほどの衝撃を帯びた声。
もう、悠長に話している時間はなさそうだ。
「ねぇ、蒼依」
一頻り騒いで冷静になったのか、泣きつかれた子供のような声でリリスが言う。
「あれの足止めを頼めるかしら。私たちはその隙に逃げる」
姿が見えている以上、逃げた別分隊を追う事は出来ない、と判断したのだろう。
懸命な判断だった。ここにいる15人の魔法少女の内、あれとまともにやり合えるのは恐らく私だけだ。
非戦闘員の魔法少女がほぼ全員を占め、列強末席であるリリスは、少し走っただけでも息切れするようなお飾り魔法少女。さらに水瀬は研修を終えたばかりの新人と来ている。
足手まといを複数連れるより、私一人で対処した方が効率がよさそうだった。
それに、
「わか――」
「待ってください!」
了承しようとした瞬間、水瀬が割り込んできた。
「私も、残ります……!」
「は? ダメに決まってるでしょ! まともに実戦できてないアンタが残っても、一瞬で食い殺されるだけよ!」
「それは、わかってるけど、! けど、彼女を一人で残すのはもっとダメです!!」
凄まじい正義感だな、とどこか他人事のように感心した。
「お願いします、私に、戦わせてください……!」
水瀬が深々と頭を下げる。リリスはしばらく唸った後、私の方に視線を送った。
「……いいよ、彼女は私が何とかする」
「——やった!」
最悪、死にかける前に洗脳を掛けて戦線離脱させればいいのだから、実質一人みたいな物だ。特に問題はない。
あるいは、水瀬が類まれな才能を持っている可能性だってある。
「……わかったわ。みんなを逃がしたらすぐに戻るから、それまで待っていなさい。死んじゃだめよ、ネメシア」
「わかってます、リリスさん」
リリスにとって、水瀬は一応、直属の後輩となる。いくら横暴で怠惰なリリスにしても、流石に後輩を手放しに殺すのは躊躇われるらしい。
「彼女を任せたわ、蒼依」
「リリス、一応聞いておくんだけど」
「何よ」
一呼吸、少しの間を開けてから続ける。
「——別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」
「は、はぁ? ……構わないわ、好きにしなさい」
そう言うと、リリスはその場にいる全員に、良く通る声で撤退を告げ、踵を返した。
流石に列強末席というだけあってか、指示の通りはよい。
彼女の背を見送りながら、一回言って見たかったんだよなぁ、これ。と内心ではしゃいだ。
「じゃあ、行こうか」
肩から指先へ、魔力を操作していく。血管を巡る血液を想像するように、徐々に。
禍々しい影色の魔力が迸り、それと同時に私の体を包んでいく。軈てそれらは掌へと集まり、一つのステッキの形に変形する。
『彼女を守りながら、あれと戦うんですね……?』
虚空からステッキを取り出すのと同時に、蠅が出現して肩に止まった。
『絶対、死なないでくださいね』
使い魔は、所有者である魔法少女が死ぬと、その存在が消えてしまう。元が高知能の魔物である彼ら使い魔を使役するにあたって、機構はそういった契約を結んだらしい。
正直、いくら海棲の魔物だとしても、レベル5は単騎で戦っていい相手ではない。彼らは当たり前に強者だ。人同様に知能が高く、特にタコともなれば、その良さは計り知れない。
「知ってるでしょ、ただ一人の魔物相手に私が負ける事は、万に一つだってない」
だが、私が死ぬことは決してない。
『……そうでしたね。言い換えます、絶対に彼女を、殺さないでください』
ハエがしみじみと呟く。
「シェーレさん……!」
後ろから水瀬が駆けてくる。
手で彼女を制し、「下がってて」と言い放つ。
「これは新人研修の一環だ。私はリリスじゃないから、新人にレベル4の相手も、レベル5の相手もさせない」
言いながら魔力を集める。魔物の発する瘴気にも似た、歪んだ影が放たれ、それらは徐々に、地面に無数の影を形成した。
「君はただ見てればいい。参考になるかはわからないけど」
そこからゆっくりと、獣が這い出してくる。黒い毛並みに、鋭い牙。体の至る所に傷の残る、痛々しい体躯。
「ズヴォオオオオン!」
あまりに大量の獲物が現れたからか、タコが歓喜の声をあげた。
だが、あのタコは知らない。知るわけがないのだ。
この蛇が、
「よく見てて、ネメシア。これが私の、本物の
言いながら、地面からさらに無数の狼や狐といった獣を呼び出す。その数は既に30を超え、ちょうどあのタコが捕食した人間の数と同程度となっていた。
タコはその数に狼狽えている。しきりに触手をぬるりと動かし続け、どこか落ち着かない様子で、空中に鎮座し己を睨む獣たちを見詰めていた。
不思議でならないのだろう。何故魔物が、こちらに向かって牙を剥けているのか。何故先ほどまで狩る側だった自分が、一転して狩られる側になっているのか。
軟体動物であるあのタコには、打撃の類の効果が薄い。滑りのある表面を滑るだけでなく、その分厚い皮膚によって、ありとあらゆる攻撃は無効化されてしまうだろう。
じゃあどう対処するのか? 簡単だ。その分厚い皮膚を突き破ってしまえばいいのだ。
あるいは、一息に呑み込んでしまえばいい。
「シェーレさんが一人でいるのって、こういう理由だったんですね」
後ろの方で、水瀬がそう呟いた。
その通りだ。周囲に他の魔法少女が複数人いる状況では、使役は使えない。洗脳もまた、機構上層部の人間や、代替わりしたリリス以外の列強に知られれば、安全な後方勤務というこの甘い仕事が終わりを迎え、前線での危険な仕事を任されることになってしまう。
私にはまだ足りない。手駒が、圧倒的に足りないのだ。
まだ前線に行くわけにはいかない。絶対に。いずれ来る大攻勢を前に、戦力を増強しなければ、命が危ないのだ。
『列強二位。決して姿を現さない、虚構の魔法少女』
敵を以て敵を挫く。一般攻撃魔法を持たない私にある唯一の攻撃手段は、これだけだ。
そのためには、今よりもっと手駒がいる。いくら殺されようとも尽きぬ無限の駒が。私には。
「獣たちよ、蹂躙するのだ!!」
掛け声に合わせて、30の魔物たちが一斉に進軍を開始した。