レンのエミュがはちゃめちゃに間違ってる可能性もあるし、多分間違ってると思う。
それでも大丈夫なら、読んでくれると…嬉しいかな…
小生はこの世に産み落とされたその瞬間から全てを管理されて生きてまいりました。詳しい経緯は今もって小生の与り知るところではございませぬ。ただこの身がいずれかの研究所で生まれたことだけは確かでございます。定かな記憶ではございませぬが、なんらかの実験を受けていた覚えもございます。
…いとつまらぬ日々でした。日次、同じような実験の繰り返し。それを、幾年も続けていたのでございます。しかし、其の上の小生はそれ以外の身の振り方を知らなかったが故、その場所から出たしとは所存もしなかったのでございます。
ですが事実は小説よりも奇なりとはよく言うものでございます。小生の身にも到底現実とは信じ難い出来事が起こったのでございました。
翌る日、うちつけに黒いスーツを着た男が小生のいた研究所を襲い来たったのでございます。小生は何もできず、ただ近くの机の下に隠れておりました。それだけは今も覚えております。数刻の後、小生は机の下から這い出て無人となった研究所を見回しました。
…見えたものは、研究員らしき者の骸ばかりでございました。血と肉が撒き散らされたその光景は、まさに阿鼻叫喚と呼ぶべきにふさわしいものでございました。その研究所を小生はたった一人で彷徨い歩きました。それが数刻であったのか数十刻であったのかはもはや覚えておりませぬ。向かうべき目標もなく目に見える終わりもなく、ただひたすらに歩みを進めるだけでございました。……其は今になっても変わっておりませぬ。
しかし見えずとも終わりは必ず訪れるものでございます。遠く廊下の端に黒い衣を纏った、剣を持った女の姿が目に映りました。年の頃は十六ほどに見えました。…その者が小生に敵対する気であるか否かは判断のしようがございません。かと申して、もはや逃げ出す気力も残っておりませぬ。
「…ま」
「まま?」
なぜ其のような言葉が小生の口を衝いて出たのか、今もって解せませぬ。
「…は?」
至極もっともな反応でございました。
…
その後、短いやり取りをした後、小生は女に連れられて「蜘蛛の巣」と呼ばれる入り組んだ建物へと辿り着きました。道中でその名がアラヤであることを教わり、小生もまたレンと名乗りました。
そこからの日次は、研究所に身を置いていた頃と比べれば平穏な時期であったと思うております。その間、小生は五指の親方たちに育てられていたアラヤの傍らで何不自由なく暮らしておりました。
思い出づてみると、アラヤへ向けられた親方達の態度は、愛情と呼べるものではないことが明白でございました。
その最たる例がヴァレンチーナでございます。アラヤへ暴言を浴びせ手を上げることも珍しくありませんでした。小生も、幾度か庇っていただいたことがございます。…あの者は、今でも変わっておりませぬ。
それに引き換えマティアスとカリストは傍目には愛を注いでいるように見えたことでしょう。ですがあの者らも己の理想をアラヤへ押し付けていたに過ぎませぬ。
リアンは…あの男だけは今もって解せませぬ。アラヤへ手を上げることはなく小生にも穏やかに接する珍しい者でございました。されどその奥には愛情とは別の何かが眠っている。そのような感触だけは確かにございました。
そして…最後に。地慧星、良秀。…あの者は小生のことを、大層疎んじておりました。あのヴァレンチーナですら、小生に暴言を浴びせることは稀でございませんでしたが、良秀は違いました。小生の存在がアラヤをいずれ蝕むと申して、初めて顔を合わせたその時から、小生を憎んでおりました。今思い返してみると、己と小生を引き比べて、妬んでいたのかもございません。
アラヤは、そんな蜘蛛の巣での生活に倦んでおりました。…アラヤは小生の来る前にサルという犬を飼い、そして親方達の手により失っていたそうでございます。その瞬間、この頃にはまだ幼かったアラヤも、己を育てる親方たちが何を欲しているのかを察していたのでございましょう。
できることならば、即座に蜘蛛の巣から出たかったことでしょう。しかし、小生が来てからのアラヤには許さぬものが一つございました。それが小生でございます。あの頃の小生にはアラヤが親方達に何をされ外で何をしているのか知る術がございませんでした。ゆえに小生はただ無邪気に、務めを終えて戻ったアラヤと戯れるのみでございました。
しかし、アラヤにとってもそのような時間が支えとなっていたのでございましょう。間違いなく、小生と触れ合う折のアラヤの顔は、確かに幸せそうなものでございました。
されど人生は停滞を許しませぬ。日次小生と過ごしながら、アラヤは思いを巡らせておりました。いつまでこれが続くのか、己はこのままでよいのか、そしてあの子は大人になった折に蜘蛛の巣を出ていけるのか、と。
全ての問いの答えは容易く出ました。アラヤは、小生のためならなんでも行う覚悟がございましたがゆえ。そして、同時に大人になった折に蜘蛛の巣を出ていけるのか、という問いの答が当然「否」であることにも同じく容易くしれたのでございます。
さて、昔話も終わりが近うございます。翌る日アラヤは小生を連れ、屈めばかろうじて身を収められるほどの鉄の箱の前へ参りました。……それが時間金庫と呼ばれる代物だと知るのは、いま少し後のことでございます。
「…レン。」
「はい。」
その時のアラヤの表情は、何かを決めた者の顔でございました。
「しばらく、この中で待っていてくれる?」
「どうして?」
「…この中は、静かで暗いけど、全てすぐ流れていくから。」
小生の問いに答えらしい答えが返ってくることはございませんでした。
「お母さんが何度も試してみた。」
「だから…待ってて、レン。必ず、戻ってくるから。」
「…わかった!」
かくして、小生は時間金庫の中へ入ったのでございます。
…
その中で小生が過ごした時間は、悠久とも思えるものでございました。研究所をたった一人で歩いた折と同じく孤独で、それよりもずっと長うございました。
それでも小生は、アラヤが帰ってくる日を、この金庫の扉が開く日を、いつか訪れるはずの未来を夢見て耐え続けたのでございました。……そのような日は、ついに訪れなかったにもかかわらず。
時間金庫の中には、カレンダーも、時計もございませぬ。あれからどれほど経ったのか、今が昼なのか夜なのかすらわかりませぬ。ただ、ひたすら一人で待つだけ。いつまでも、永遠に…
…そうか。
僕は置き去りにされて、お母さんは行ってしまったんだ。
この1日は、永遠に終わらない。
そんな確信が芽生えて、あらゆる闇が自分のものになった気がした、その時。小生は、自ら扉を押し開けたのでございます。
その時、もし扉の前で待つ者があったならば、それは彼女であるべきでございました。しかし…
「…やれやれ。」
「時間のもつれが起きたんだな、レン。」
そこに待っていたのは、奇妙な形の仮面をつけたリアンでございました。
さらに、小生を待ち受けていたのは、皺だらけの掌と小指の親方の座、地慧星の名、そして…赤い糸。
その時、小生は悟ったのでございます。この糸の先にいるあなたを探せば…
「おやかたになれば…」
「親方になればアラヤに会えるのか…?」
それでも、小生は待ちぼうけることをやめられなかったのでございます。
「ああ。娘は必ず家に帰ってくるはずだ。」
その一言だけでございました。アラヤが本当に蜘蛛の巣に帰ってくるかの保証など、どこにもございませんでした。
それでも…
…
小生は、それから小指の親方、地慧星として過ごしてまいりました。さりとて親方らしい務めを果たすでもございませぬ。
ただひたすら、アラヤを待つだけにございます。
…ある日、地慧星となった小生の許へ星の見習いだという少女が遣わされてまいりました。塩見ヨルと名乗り、剣を学びに参ったと申しました。
小生は先ほども申した通り果たすべき務めもございませぬゆえ、来る日も来る日もヨルに剣を教え込む日々を送っておりました。
いつしか他の親方たちも傍に子方を置き、それぞれのやり方で教えを授けておりました。小生もまた、ヨルに剣を修めさせることに熱を入れていたのでございます。
しかし、それも長くは続きませんでした。ヨルには星の名を授かるほどの才がございませんでした。小生がどれだけ剣を教えようと、その腕は伸びなかったのでございます。
されど、それだけが理由ではございませぬ。ただの勘。証拠など一つもございませぬが、アラヤが蜘蛛の巣へ来るような気がして仕方がなかったのでございます。
…それに、小生の命はもう長くはございませぬ。研究所で無理矢理に作り出された身だからでございましょう。幾月か前より血を吐くようになり、身体は日に日に衰えてまいりました。
そのような小生を看病するヨルは、小生を主様と呼び慕ってくれております。…小生はヨルに、大したものを与えてやれなかったというのに。
そして、今に至るのでございます。
LCE。過去の悪臭が満ちた場所でございました。
そこに立ち尽くすのは小生とヨル、そして薬指の子方。それに…
「…アラヤ」
小生の声は、アラヤには届かなかったようでございます。
また、アラヤは小生の正体に気づいておりませぬ。目の前にいるのが、探し続けているレンであることに微塵も思い至っておりませぬ。
「私は、私の五人の親方のせいで……この世で一番大切なものを置いてきた」
「だから…取り戻さなきゃいけない。」
その取り戻すべき存在は、今目の前にいるのでございます。しかし、小生はもう置いてけぼりではございませぬ。
ただ待つばかりの身でもございませぬ。
…
しばらく後、昇降機の前にて。
小生は奇妙な時計の義体頭をつけた男に率いられた12人の男女と、刃を交えておりました。其らは死しても蘇るという奇怪な性質こそ持っておりましたが、腕前は小生に及ぶものではございませんでしたが故、切り払うのは容易でございました。
「…それを持ってまた蜘蛛の巣に這い戻るつもり?」
「…」
「ふふ…やっぱりその口…舌がないのは、見てて気分がいいわね。」
その瞬間、小生がアラヤに抱いていた特別な何かは完全に潰えました。何かが切れた、と申すべきでございましょうか。
「…到底見ていられないな。その細・記・一を…。いまだに握りしめている姿。」
「…!」
アラヤは大層驚いておりました。当然でございましょう。自らの手にかけたはずの地慧星が生きており、切り落としたはずの舌が動いていたのですから。
「お前、どうやって、喋って…」
「どうせその頭の中は、粉々に砕け散っているだろう。何のために、それを取り戻そうと躍起になっているんだ。」
「…私の手放さなかった一本。それを辿ってここまできた。」
「違う、順・矛している。」
その糸の結ばれた先は小生でございました。小生とは違い、向かうべき目標も確かで目に見える終わりもある。それでいてアラヤは、糸の先を見誤っております。
「他のすべてが掻き回されたこそ、その感情は虚像だろう。」
「そいつの顔は覚えているのか?口調は?背丈は?何をして時間を過ごしていた?」
覚えてなどおりますまい。現に、目の前に小生がいても何も気づかぬ。
あなたとはそういうお方でございます。
…
LCEでアラヤと一太刀交えた後、小生は黄金の枝を携えて蜘蛛の巣へ戻りました。そしてヨルと共に、小生の廊下でLCを迎え撃つ支度に取りかかろうとした、その時。
「…!」
「主様!」
刀を取り落とし、口を押さえる。手の隙間から溢れたものが、白い着物を染めてゆく。
…もう時間がございませぬ。
「大丈──」
「…ヨル」
「…なんでしょう、主様。」
「小生はもう長くがございませぬ。ゆえに小生が死んだ後のこと、そなたに頼みたく存じます。」
「…わかりました。」
確かに、ヨルには才覚が不足しております。それでも…小生の代理くらいは、務まりましょう。
「…それと。」
「いかがなさいましたか?」
「アラヤの相手は、小生が一人で務めまする。」
…
翌日、小生の廊下にて。
ついにアラヤが小生の目の前におりまする。
憎しみを眼に宿した、アラヤが。
「お前…」
「その目…復讐心にかられているな。蜘・糸にかかるとわかっていながら、自ら蜘・巣に入るとは…実に愚かだな。」
「…黙れ。」
「お前は、一生わからない癖に。一生を私のせいにばかりしてきたお前には」
「は…本当にそうか?」
「何が言いたいの?」
小生はその問いに答えず、刀を抜きました。
答えを与えぬまま小生を時間金庫に閉じ込めたお方に、差し出すものなど何もございませぬ。
…地慧星刀は大太刀でございます。少しばかり、小生の細腕にとってはすぎた長さで、振るうたびに肩がなります。…それでも、間合いだけは誰にも譲りませぬ。
「…!」
何も言わずに、一気にあの方が踏み込んでまいりました。間合いを詰めて、小生が動く前に勝負を決めようという算段でございましょう。
確かに、剣技は小生よりもあの者の方が上でしょう。しかし、その刀を抜かずになまった身体で小生と戦闘を行うのは、いささか無理がございます。…怒りに身を委ねるから、このようなことになるのでございます。
「甘い。」
「っ!」
天殺星刀の鞘を弾き返し、返す手で斬りつけましたが、刃は空を切りました。身を反らして躱されたのでございます。さすがはあのお方といったところでございましょうか。やはり、一筋縄ではいかないようでございます。
そのまま後ろに引いたあの方に、時計の頭をした男が、しきりに何かを命じております。何を言っているのかは見当もつきませぬ。おそらくは勝手に飛び出したことを咎めているのでございましょう。
それを聞いたあの方は、幾らか冷静さを取り戻したのでございましょうか。他の二人を伴い、同時に斬りかかってまいりました。
他の二人の女の方は大きな鋏を得物として利用しております。男の方は……あのお方がまだ蜘蛛の巣におられた頃、剣術の講師として稀に訪れていたレイホンという男に、姿形も得物も瓜二つでございました。されど本人であろうはずがございませぬ。顔も声もレイホンとは異なっております。
…今は詮無きこと。目の前の刃に心を向けねばなりませぬ。気を抜けば、その一瞬が命取りとなりかねぬ状況でございますから。
…
それからの斬り合いは、実に激しいものでございました。三人を同時に相手取るのは小生とて容易ではなく、幾らか手傷を負いました。それに対して相手はいくら斬り殺しても時計頭が何かをすると蘇ってまいります。このままでは、少しずつ削られてしまいこちらが敗れるのでございましょう。
それを回避するためには…
「貴様が、指・官と見て間違いないな。」
鍔迫り合いに押し勝ち、アラヤの刃を弾きました。返す一刀で、背後から迫っていた女を薙ぎます。そのまま時計の頭をした男へ踏み込みました。首を落としてしまえば、もはや蘇りもございますまい。
「ダンテ!」
あの方がこの男の名であろうものを叫んでおりますが、もう遅うございます。
「…臨・終だ。」
地慧星刀がその男の首筋に迫った、その時でございました。
「全弾…撃発!」
もう一人の男が、その言葉と共に見たことのある動作で小生と時計頭の間に割って入り、入れてきた横薙ぎを辛うじて刀で受けます。受けはしたものの、押し戻されて間合いを取られてしまいました。再び間合いを詰めねばなりませぬ。
されどその刹那、男の姿が変わりました。腕に巻きついた鎖が、こちらへ放たれたのでございます。身構える間もなく、鎖は小生の体にまとわりつき、自由を奪いました。
「小・真を…!」
即座に無形斬でその鎖を斬り刻みましたが、あの方がその隙を見逃すはずもございませぬ。不利な体勢のまま、刃を押し合う形になりました。
蘇るたびに疲れを失うあの者どもと違い、小生の腕は先ほどからの斬り合いで重くなる一方でございます。加えてこの体勢では、先ほどのように弾き返すこともできませぬ。
「…お前、さっきから何のつもり?お前はこんな居合術を使わなかった。戦闘で一度抜いた刀を、再度鞘に戻すのは無意味だと考えていたはず。」
「…時折、俺がどこに立っているのかもわからなくなることがある。それは俺にも制・不で、ただ災・よ・迫・来だけ。そんな時は…ただ座って待つ。そういう時のために、刀を振るった後、鞘・戻・癖がついただけだ。」
「お前の癖なんて知りたくもない。それに、なんでそんな剣術を今更…」
「お前が戻ってきたら教えてやろうと思っていた。お前が忘れても、俺は忘れていなかったから。」
「…何回言えばいいの?私は何も忘れたことも、手放したこともないって。」
「私の息子を返せ。」
「はっ。」
あなたは本当に愚かなお方でございます。これで二度目になるというのに、いまだ小生の正体に気づけずにおられるのですから。
そのまま、辛うじてあの方を押し返しました。しかしその直後、蘇った女と男が横から迫っているのに気づいたのでございます。
「…雑・攻だな。」
二人の刃をかわし、今度こそ時計の頭をした男へ──
「…っ」
その場で、よろけてしまう。
「また何も見えなくなった…」
「何も…」
訳の分からぬ何かに蝕まれてゆくようでございました。されど刃を交える最中にこのような隙を晒せば、それは命取りでございます。
「…!」
ついに、あの方は天殺星刀を鞘から抜く覚悟を決めたようでございます。
そして、その刃が小生の胸へ…
「がはっ…」
小生の顔を覆っていた薄衣が、さらりと音を立てて床に落ちました。その下にあるのは、おそらく良秀とは似ても似つかぬ小生の顔でございます。されどあの方には、それが良秀ではなくレンであることなど分かりますまい。あの方は良秀の顔も、皺だらけになった小生の顔も見たことがないのでございます。
「は…ようやく見れたな。お前は私に、顔を見せることすら許さなかった…私のせいで醜くなった顔を隠したかったから。」
「いいや、俺がベールを被っているのは…この目に宿った世界を…ぼやけたまま見ていたいからだ。」
そうして限界に近い体を引きずり、近くにあった扉まで歩いてまいりました。ゆっくり、一歩ずつ。あの方を見据えたまま。
「待て!私は確かに、お前を…」
小生が語る番でございます。
「俺は…少しずつこの場所に嫌気が差してきていた。」
「わかってる。いつも、蜘蛛の巣に閉じ込められるのは、私のせいだって。」
「違うのか?」
「…蜘蛛の巣で育てられていたのは私。恨みたいのはこっち。」
…あまりふざけないでいただきたい。
「だが、お前は自由を求めて出ていったじゃないか!」
「…」
「私は、確かにその時お前を殺した。なんで生きてるの?」
「その記憶は確かなものか?本当に正しいのか?お前の記憶の中に確かなものは残っているのか?」
「もし大切だという感情だけが残っていて、記憶がないのなら…その感情は本当のものと言えるのか?」
言えますまい。火元のないものから生まれたのならば、それは全て偽りでございます。
「記憶されないならば、全ては消えてゆく。この都市も、蜘蛛の巣も、あいつを記憶できる心がない場所になった。それが、俺とお前のたどり着いた結末だ。」
「私にとってはそうかもしれないけど…あの子にとっては違うの。」
「レンはまだ…待っているの。」
もう、あなたは本当に本当に愚かで。
どれほど救いようがなく。
呆れるほど身勝手で。
小生の…母親で。
小生は。
小生は。
「レンは…待ってなどおりませぬ!」
最後の死力を尽くし、地慧星刀を一振りいたしました。その居合の一閃が、アラヤを除く女と男を斬り伏せます。大きな屏風も斬り捨てられ、周囲が炎に包まれました。時計の頭をした男は、殺すまではいきませぬが瓦礫の中へ吹き飛びました。あれでは意識も飛びましょう。
「…これで小生とあなただけでございますよ。」
「は?」
アラヤはいまだ現実を受け入れられぬ様子でございました。だから甘いのでございます。これは全てあなたが招いたこと、あなたのせいでございます。
「あなたは、小生をあの時間金庫に入れて、戻ってこなかった。そうでございましょう?」
「…」
「あなたは!必ず戻ると言った!」
それは嘘だった。アラヤは戻ってこなかった。小生は自分で扉を開けるしかございませんでした。
地慧星刀を構え直し、口から溢れる血を拭おうともせずアラヤと向き合います。振り過ぎた腕が痛みます。腑もどこかしら潰れている心地がいたします。右の耳は聞こえませぬ。
それでも。
「ここで!決着をつけましょう!」
もはや小生に答を待つ時間は残されておりませぬ。急ぎ決着をつけねば。この、壮大な母子喧嘩に。
そして始まった戦闘。小生が地慧星刀で切りかかるも、アラヤはようやく抜いた天殺星刀を振ろうとせず、小生の刃を受けるばかりでございます。居合で斬りかかろうと、もつれを利用して四方から切りつけようと、渾身の一撃を真正面から斬り下ろそうと。
……小生の剣が鈍っているのも一因でございましょう。それに小生の体は、負うてきた傷と病でとうに限界を超えております。先ほどの居合も、随分と身に響いたようでございます。
「私は、ただ…」
「言い訳はよしてください!」
そう叫びながら、もう一太刀と刀を振るう小生の腕は、自分でも分かるほどに震えておりました。一度振るうたびに剣筋が鈍ってまいります。
……何度申せば良いのでしょう。鈍ったとはいえ、アラヤも小生の刃を受け続けられるわけではございませぬ。そして小生の隙を見逃すお方でもございませぬ。
「あなたの息子は、あなたの元から永遠に去ったのでございます!あなたがそうしたように!」
「去って…ない…!」
絶叫しながらアラヤが刀を振るいました。されど小生は、その太刀筋を躱しませぬ。もはや躱す意味がないのでございます。そして、その刃が、小生の体に。
「今度はどんな記憶を…飛ばしましたか?」
「…」
またも返答はございませんでした。最後まで、あなたはそういうお方でございました。
それでも…
「…おかあさん。」
「…」
「おかあさんと…呼んでもよろしいでしょうか…?」
「レン…」
「レン…!」
小生を呼ぶアラヤの声が遠ざかってゆくのが感じられます。この命も、ここまででございましょう。
ああ…ぼやける視界に、アラヤが映っております。
時計の頭をした男との間の鎖を、断ち切ったようでございます。これで、アラヤを縛るものはございませぬ。赤い糸も、あの男との契りも。こうして蜘蛛の巣の刀は完成するのでございましょう。
遠くに、ヨルが、リアンが、ソラが見えます。ああ……小生のことなど捨て置いて、遠くへ逃げおおせるのがよいのです、ヨル。
元はといえば、アラヤの相手は一人で務めると申した小生が招いたことでございます。だから…ヨルは…◾️ルは…◾️◾️…
…もう、思い出せませぬ。◾️◾️の名も、顔も、声も。
ああ……これが完成した蜘蛛の巣の刀なのでございましょう。親方たちが望んだアラヤの形。小生がその完成へ手を貸し、己の目標だと、終わりだと思っていたもの。
されど。
「…おかあさん。」
このままでは終われませぬ。
確かに小生の命はもう尽きましょう。立ち上がることすら遥かに遠い今の身では、アラヤを止めることなど叶いませぬ。
されど、死した後に動けぬとは誰が決めた道理でございましょうか。
…
「そなたの名…ダンテで正しいか?」
「…レン。」
先ほどまで時計の動く音にしか聞こえなかったその男の声が、今は言葉として届きます。
「小生の命はすでに燃え尽きました。これはもうどうしようもございませぬ。失われた命は、忘れられた記憶は、二度と戻ってこないのでございます」
遠くで、アラヤが無我の境地に至り、阿頼耶識で周囲を無へと斬り刻んでおります。
「されど…アラヤは。」
「おかあさんは、まだ戻ってこられる!」
小生の時間ももつれております。もはや御しきれませぬ。
「…どうするの?」
「今アラヤが、お母さんが切ってる糸は。外から見れば全部斬れているように見えましょう。でもね!ぼくには違って見えるの!」
「どういうこと?」
「…斬るだけでは、この糸は切れないの。小生は、あらゆる道で繋がったアラヤと小生を見ることができまする。絶対に手を離さない。おかあさんの姿が見えるの!」
「…」
「あれだけの時間を、いかにして刹那のことと片付けられましょう。だから…」
「おかあさんに、会いに行って言うの。見つけてくれてありがとう…って!」
「…断ち切ろうとする強い力も、全てを切り裂く刀も。結局は守ろうとする心から始まっていたはずだ。だから…この鎖を掴んでいって。」
「行って…伝えてほしいんだ。これまで言えなかったこと全てを。」
「わかった。それに…この鎖は、十分頑丈みたいだね!」
そのダンテという男から差し出された真っ赤な鎖を、受け取って握りしめます。もはや手は震えておりませぬ。
「おかあさん待たせちゃうから、もう行くね!」
ゆっくり、ゆっくりとアラヤへ向かって歩みを進めます。
あの時のように。
されど、あの時とは違って。向かうべき目標も、目に見える終わりも持って。
おかあさんは、ぼくの大切な人だから。あの日、あの時ぼくを見つけてくれた、この世の誰よりも大切な人だから。
半透明の球体。その中へ向かう足取りは遠足に行く時のように軽やかだった。こんな僕を、お母さんを傷つけてしまうようなどうしようもない僕を思ってくれていたお母さんを救えるのだから、足も軽くなるでしょう。
小生が、全てを繋ぎ直してみせます。ここであなたを失うわけにはまいりませぬ。小生は、そのようなこと許しませぬ。
「断ち切ろう。総てを。何もかもわからないけど。誰なのかもわからないけど。」
…アラヤ。
「ぼくは、僕は、小生は、お前を、あなたを、おかあさんを、聞いております。」
戻る方向がわからないなら…一番痛かった最初の結び目を探し、たどり直してみるのが良いのでございましょう。
「アラヤ。あなたは知らないでしょうが、どの糸の上でもあなたは小生の手を手放すことはございませんでした。だから小生は、あらゆる旅の終わりと始まりが分かるのでございます」
…
「ごめん、レン。」
小生の体が、切り刻まれている感触がございます。
されど、痛くも痒くもありませぬ。
「だいじょうぶ。ぼくは…おかあさんの息子に生まれてよかったと思ってる。」
小生が、あなたの鞘となりましょう。
「だって…」
もう、嘘をつく必要はございませぬ。
「小生は、あなたとやりたかったこと、総てできましたから。」
…これにて小生の物語は終わりでございます。
次は、あなたが筆をとり、道を切り開く番でございます。
お母さん。