東京・永田町。
官邸危機管理センターの廊下を、背広の男が駆け抜けていく。
腕にノートPCを握り締め、ジェルでセットした髪を汗で乱し、必死に息継ぎをしながら、廊下の奥のドアを目指していく。
「シミュレーション、完了しました」
ノックもせずにドアをこじ開け、男は叫んだ。
会議卓の席を埋める険しい表情の面々が、一斉に男の方を向く。
ぜぇ、ぜぇ、と息を切らしつつも、ケーブルをPCに繋ぐ男。パスワードを入力し、シミュレーション映像を巨大モニターに映し出す。
標的が現在の進路を維持した場合、死者・行方不明者は20分で5000人を超える。
40分後に渋谷は壊滅状態になり、60分後には物流システムの壊滅により首都機能が停止する。
国家機能を最低限維持するためのタイムリミットは23分。
第一波攻撃の結果から、標的の無力化にはTNT換算で最低30キロトン相当の火力が必要と推定された。
「一刻の猶予もないじゃないか。今すぐに第二波を送らなければ」
「陸自の部隊を追加投入しましょう。作戦区域を渋谷付近まで拡大し、地上部隊で進路を制限する。航空支援を集中させれば、足止めくらいはできるはずです」
「ならば、避難対象区域も広げなくては」
「総理、ご決断をお願いします」
卓の奥で眉間にしわを寄せる総理大臣・久世孝則の言葉を、白髪の男の咳が遮った。
「....澤井、時間がないんだ。下らんちょっかいなら――」
「30キロトン。市街地で30キロトンだぞ。広島型の約二倍の爆発を、東京のど真ん中で起こせと?」
澤井総一郎。
防衛大臣にして、国会で一二を争う鼻つまみ者。
黒スーツ一色の会議室で、彼の濃紺のジャケットはひどく目立っていた。
「しかし、このままでは首都機能が」
「話を聞かん奴だな。都心で30キロトンなんて起こしたら、首都機能停止どころか東京にどでかい穴が開くことになる。もっとも、東京湾を拡張したいなら別だがな」
「澤井さん、冗談を言っている暇はないのですよ」
「冗談も何も、おかしなことを言ってるのはそっちだろう」
はぁ、と呆れた声が部屋の隅々から漏れ出てくる。久世はやがて組んだ腕をほどき、
「澤井君、君には策があるのかね」
「あります。首都を移動させましょう」
空気がぴりりと凍り付いた。
「も、もう一度頼む。今、何と?」
「ですから、東京を切ろう、って言ったんです」
会議室は怒号の渦に包まれた。
「澤井、いい加減にしろよ」
「あと22分しかない。この期に及んでもふざける気か」
「総理、この男をこの会議からつまみ出しましょう」
「じゃあ、やってみるといい」
他の面々の声を、澤井の声はぴしゃりと封じ込めた。
「30キロトンの爆発を起こせば、東京は二度と首都として機能しなくなる。かといって、このままだらだらと無意味な作戦に軍事力を使っても時間とカネの無駄になるだけだ。他に策があるなら、やってみればいい。だが、ここで潔くやり直す方が市民のためだろう。自衛隊を総動員して避難誘導に当たらせれば、住民の被害も最小限に済むだろう」
「東京を、捨てろと?」
「一人でも多くの市民の命を守る。それが俺たちの仕事じゃないのか」
澤井の視線が、久世へと移る。
「さぁ、総理、ご決断を」
久世はまた腕を組み、目をつむりながら天を仰いだ。
刺すような視線が、痛いほど伝わってくる。
「これで私は、首都を東京から移した総理大臣、として歴史に名を遺すのだな」
「では、総理」。澤井が言い終える前の出来事だった。
「待ってください!」
モニターに現場のライブ映像が映し出される。
そこに映っている異変が何なのか、男はうまく報告できなかった。
怪獣の口から放たれた火炎が、空中で静止しているのだ。
その先には、眩しく光る巨大な物体が。まるで、炎を遮っているかのようにさえ見える。
炎の威力が弱まるにつれ、光の中からシルエットが浮かび上がっていく。
頭。胴。脚。
現れたそれは、人の形をしていた。
胸の青い輝きが前を照らし、白い双眼が怪獣を見つめている。
やがて、それは光の中から姿をあらわにした。
銀色の肌。人間を思わせる逞しい体躯。その上を走る、赤と紫の模様。
「....巨人?」
一言で表すのなら、それが一番しっくり来た。
巨人の容姿を見るや否や、怪獣は声を張り上げた。その声に過度に反応することなく、巨人はただゆっくりと構えた。
怪獣が、再び上を向く。喉の奥が赤く変色し、再びメラメラと燃え盛っていく。
一歩。
二歩。
巨体にそぐわない軽やかなステップで、巨人は一気に距離を詰めた。
横を向く身体。地を踏み込む左脚。
上へ蹴り上げられた右脚が、空を切る。
直撃。
半開きになっていた下顎が強制的に閉じられ、喉奥に溜め込まれた炎が行き場をなくす。
ボフッ。
低く押し込まれた爆発音と共に、怪獣の喉が軽く膨れ上がった。唸り声をあげ、喉を両手で押さえながら後ずさりをする。
巨人は今度は両手を腰まで引いた。
目の前でそれを組むと、今度は真横に広げる。まるで演舞のような動きだった。
大きく広げられた両腕に吸い込まれるように、光の粒が集まっていく。
————そして。
両腕が、L字に組まれる。右腕から、凄まじい光の奔流が放たれた。
命中。
怪獣の胴に突き当たった光線は、その巨体を押し戻していく。足を踏ん張って耐えようとするも、地面に跡を残しながらその巨体はどんどん海へと押し出されていった。
そして、怪獣の身体が水面へと返されたときだった。
ピカリ。
怪獣の中から光が漏れる。
派手な爆発と共に、怪獣の身体は木っ端みじんに爆ぜ飛んだ。
海面から巨大な水柱が巻き起こり、水滴が街へと降り注ぐ。
腕を緩め、構えを解く巨人の姿を、現場のカメラは黙々と映していく。
30キロトン。
シミュレーションの数値が脳裏をよぎる。
「ひ、標的....活動停止」
沈黙が破られるとともに、堰を切ったように質問の波が押し寄せる。
「何なんだ、アイツは!?」
「ヤツも怪獣の一個体と認識すべきでは?」
「すると、アレはあの怪獣の天敵なのか?」
シミュレーション結果を持ってきたただの職員に聞いても仕方のない質問ばかりだったが、皆聞かずにはいられない。無理もないことだった。あの光景を目の当たりにした後では。
「あッ」
誰かがモニターを指さしながら叫んだ。
無数の小さな光の粒が、巨人の身体から漏れ出てきているのだ。
まるで、彼の身体が泡となっていくようだった。
そして、ふっ、と最後に大きく光を放つと、あの巨体は跡形もなく消え失せた。
「お、おい、あの巨人はどうした?」
「き、消え...ました....」
「んなこと見ればわかるだろう!」
騒ぎに包まれる会議室の中、澤井は沈黙を貫いた。
ただ、さっきまで巨人がいた場所を、モニター越しに睨みつけていた。