見覚えのない天井。
霧がかかった脳内。
騒がしく交錯する人々の声。
大吾が目を覚ましたのは、真っ白なベッドの上だった。
視界が開けるにつれ、忙しく動き回る白衣の人々の姿が映る。
「先生、円香さんが目覚めました」
女性の声がする。中年の医師が視界に入り込む。
「円香さーん。聞こえますか?」
「は...い...」
喉が渇いているのだろうか。声がガサガサでうまく話せない。
「ちょっと失礼しますねー」
片手で大吾の瞼を開きながら、小さな懐中電灯の光を当てる。
眩しい。
しかし、顔を振り払う気力が今はない。
「意識はちゃんとしてそうだね。30分様子を見て、良ければ大丈夫でしょう」
「分かりました。じゃあ円香さん、後30分安静にしててくださいね。飲み物、何かいりますか?」
「....み、水。水を...」
こくりと頷くと、看護師は大吾の横を後にした。医師も大吾の容態をもう一度確認すると、足早に去って行った。
痛みの残る頭を刺激しないように、ゆっくりと首を傾けると、横には白いベッドに横たわる人がいた。その横にも。その横にも。
大吾は、ようやく自分のいる場所が理解できた。
しばらくして、看護師がプラスチックのコップを持ってきた。
「飲めそうですか?」
大吾が軽く頭を縦に振ると、コップにさしたストローを口まで入れてくれた。
生ぬるい水が、やけにおいしく感じられる。五臓六腑にしみわたるとは、こういうことを言うんだろう。コップ一杯の水を一気に飲み干すと、大吾はふぅ、とため息をついた。心なしか、看護師の表情も少し緩んだように見える。
「本当にラッキーだったんですよ。現場にいたのに、ほぼ無傷だったなんて」
「現場?」
「え、怪獣のすぐ近くで保護されたって聞きましたけど、違うんですか?」
怪獣?すぐ近く?
そんなはずはない。なぜなら――
田中さーん。
他の看護師からヘルプがかかり、大吾はまた一人になった。
できれば、行ってほしくなかった。
説明が欲しかった。現場で保護されたって、一体どういうことだ?だって俺、健斗と地下で避難してたじゃないか。
思い出せ。思い出せ。
あの時、何があった?
あの男に外の景色を見せられて、変な石器みたいなモノのスイッチを押して。
そしたら、なんかガチャガチャそれが動き始めて....
待てよ?あの石器、今どこにあるんだ?
右ポケットを探ってみる。
ない。
いや、これは俺のズボンじゃない。入院服みたいなものを着させられてるんだ。
どこだ?俺のズボン、どこに行った?
頭のモヤモヤは、いつの間にか消え失せていた。
つたないながらも、ベッドから起き上がり、地面に足を突く。
体のだるさが、一気にのしかかってくる。信じられないくらい体が重い。
「あぁっ、円香さん、ダメじゃないですか。安静にしてなきゃ」
さっきの看護師が慌てて走り寄ってきた。
「ズボン...僕のズボン....」
「貴重品とかならちゃんと預かってますから、今はベッドで休んでてください!」
「どこに...ですか」
「退院する時に受付の人に言えばちゃんと探してくれますから。ね?大丈夫ですから」
「受....付....」
うわごとのように看護師の言葉を口にしながら、大吾はベッドに連れ戻される。
あの石器だ。答えはあの石器が握ってる。そうに違いないのだ。あれのスイッチを押してから、記憶が全部消し飛んでる。
そういえば、あれからどうなったんだろう。怪獣は?健斗は?母さんたちは無事なのか?
状況を確認したくても、スマホが近くにない。看護師さんに聞けば教えてくれるだろうか。
――午後3時のニュースをお伝えします。
テレビの音声が鼓膜に飛び込んできた。そうだ。ニュース。ニュースならあの怪獣のことを報じてくれるだろう。
本日午前8時32分ごろに巨大未確認生物が出現し、これを自衛隊が作戦の第2段階にて無力化させた件についてですが――
そうか、自衛隊がやっつけてくれたのか。最初は失敗しそうに見えたけど、ちゃんとやってくれたんだな。
――先ほどの記者会見にて、防衛大臣の澤井総一郎はこれを別個体の未確認巨大生物によるものだと公認しました。
は?
どういうこと?怪獣はもう一体いたってことか?
ニュースの画面が切り替わり、SNSに投稿された映像が映し出される。
白い光の中から、現れる巨大な人影。
自衛隊でも歯が立たなかった脅威を、巨人は一撃の内に仕留めてしまった。
「ティガ?」
大吾の口から、あの名前が零れ落ちる。
知っている。
この巨人を、俺は知っている。バラバラだった記憶の断片が、パズルのように組み合わさっていく。
光の巨人。
破滅のビジョン。
黒フードの男。
あの石器。
そして、怪獣を倒した巨人。
まさか、そんなことがあるわけがない。
だが、もし仮に、万が一に、これが本当だとして――
自分の両手を見つめてみる。
それは傷一つない、見慣れた自分の手のままだった。
それから三十分ほど経つ頃には、身体の重さもかなり引いていた。再度診察を受け、大吾はそのまま退院を許された。
「円香大吾さん、ですね?持ち物をご確認ください」
自分の持ち物が入ったカゴを渡される。あった。俺のズボン。
他の物をろくに確認しないまま、大吾は一礼してロッカー室に入って行った。
この中に、もしかしたらアレが...
恐る恐るポケットを探ってみる。
硬い。表面が少しゴツゴツしてて、若干重い。
マジかよ...
取り出してみると、やはり少し暖かい。
やっぱり、俺が...
いやいやいやいや。変なモノ拾っただけだって。
右ポケットにそれを押し込むと、大吾は思考を押し殺しながら制服に着替えた。
ブレーザーを羽織り、一階の待合い室へと降りていく。
「大ちゃん」
聞き慣れた声。その声に、大吾は目を潤ませた。走り寄る母親の身体を、力いっぱい抱きしめる。
「私の身にもなってよ...怪獣のすぐそばまで行くなんて...」
「....ごめん、心配かけて」
左肩が、涙で濡れていく。
右ポケットの違和感を、大吾はこの数秒間、忘れられた。
「疲れてるとこ悪いけど...電車、止まっちゃってるんだ」
「いいよ、母さん。今日は歩いて帰ろう」