その日の夕飯は、インスタント麺だった。
本当は出前を頼もうとしたのだが、空いている店がどこにもなかった。
「ごめんね、冷蔵庫に何もなくって」と口にしながら、一穂がどんぶりを運んでくる。
袋めんの味噌ラーメンに、卵を落とし、青ネギが少々。母の作るラーメンの卵はいつもちょっと固めで、SNSで見るような卵黄がトロっと流れ出るようなものではない。でも、これが大吾の家庭の味だった。
しょっぱくて少しショウガが効いたスープが、細いフライ麺と一緒にするすると胃袋に収まっていく。昔はこれが好きでよく作ってくれとせがんでたっけ。
「ごちそうさま」
丼いっぱいだったラーメンは一瞬のうちに空になった。大吾はコップの麦茶を飲み干すと、すさまじい眠気に襲われた。
「やっぱちょっと疲れたみたい。今日は早めに寝るよ」
「はい。スマホ弄らずにちゃんと寝るのよ」
階段を上り、部屋に入るとすぐさま布団にダイブした。
一日の疲れが一気に解放される。扉も閉めないまま、大吾はウトウトと眠りについた。
ヴ―ッ。ヴ―ッ。ヴ―ッ。
スマホの振動音に目を覚ます。健斗からの電話だった。
いつもならそのまま眠ってしまうところだったが――
「…もしもし」
「あ、もしもし?悪ぃ。寝てた?」
「ん、大丈夫。どした?」
「いや、あれから全然連絡ないからさ。お前の母ちゃんから何とか無事だったって聞いてたんだけど。一応連絡入れとかなきゃなって思って」
「そっか。ありがとな。俺はもう大丈夫だよ」
「そうか」
気まずい沈黙が訪れる。
健斗がなぜ電話をかけてきたのか分からないほど、大吾も鈍感ではない。ただ、二人とも一言目が切り出せないでいた。
「――あのさ」
健斗が沈黙を破る。
「…えーと、ニュース、見た?」
「いや、あんまり…」
「そっか。政府がさ、あの怪獣の名前を発表したんだ。『ゲノゴーグ』だって。モンハンのキャラじゃあるまいし、そんなことやってる暇あったら、なんかもっと他のことに労力使ってほしいよな」
ははは、と電話越しに笑う大吾の声は、どこか引きつっていた。
「…それでさ、もう片方の名前も決まったらしいんだ」
「もう片方?」
「その…あれ、あれだよ。巨人だよ」
「へぇー…」
「その名前がさ、マジでだせーんだよ。何て名前だと思う?『ウルトラマン』だぜ?ニーチェの超人とかなんたらから付けた、って聞いたんだけど。でももっと違う名前でもよかったよな」
「そ、そっか。みんなあいつをウルトラマンって呼んでんのか」
「お前、知ってたり…する?」
「え?」
「あの巨人の名前。お前なら知ってそうだなー…なんて」
ついにこの話が回ってきた。
やっぱり、そういうことなんだろうか。あの時の記憶はないが、俺はあの巨人に……
でも、一人だけなら、この秘密を話してもいいかもしれない。せめて、健斗なら――
「ティガ。あいつはティガっていうらしい」
さっきまでべらべら喋ってた健斗が急に口を閉ざす。
無理もない。実質、自分がティガだと自白したようなものだ。
テレビのあの光景が頭をよぎる。怪獣を蹴り飛ばし、破壊光線を放つ巨人と、自分が同一人物。
あの巨人とあの怪獣、考え方によっては同じようなものじゃないか。俺は、とんでもないバケモノを体に宿してるんだ…
「そっか。あいつ、ティガっていうんだ。ウルトラマンよりよっぽどしっくりくるな、ハハッ...」
再び、沈黙。
健斗、俺を怖がってるんだろうな。
そりゃそうだろうな。電話の向こう側には、得体のしれない奴がいるんだから。
もう、こうやって話せるのもこれが最後かもしれない。
胸の奥がきゅっと締め付けられる気がした。
「じゃあさ、せっかくだからあの石器にも名前付けようぜ」
え?
思わず声が漏れる。
「だって、お前は晴れてスーパーヒーローになったんだぜ?だったら変身アイテムにも名前がないと」
ぷぷっ。
いろんな感情がごっちゃになって、吹き出してしまった。
頭の中をかき乱していた何かが、パッと晴れたような気がした。
「おい、お前のヒーロー人生に関わることなんだぜ?変身アイテムにはそれっぽい名前がないと」
「なんで俺がまたティガになる前提なんだよ」
「だって、わかんねーよ?一度あることは二度あるっていうじゃん」
「絶対間違ってるよ、それ」
「細かいことはいーんだよ」
ありがとう。
照れて口ではそう言えなかったが、心の中で何度もつぶやいた。
「んー…でもなかなか思いつかないな。ウルトラロッド。いやダサい。マウンテンガリバー。いや、これも違う」
こんなどうでもいいことに必死に頭をひねってるのを聞いていると、感謝の気持ちも消え失せてくる。
でも、確かに名前はあったほうがいいかもしれない。俺の人生を変えるかもしれないアイテムだからな。
「ティガライザー…とか?」
小声で一番最初に浮かんだ案を口にしてみる。
「ティガ…ライザー?」
「ティガになるためのアイテムだから。これ、よくない?」
アタリの予感。この反応なら結構いい感じじゃないか?
「お前な、特撮ヒーローものの玩具じゃあるまいし。もっとしっくりくるのあるだろ」
じゃあ最初のタメは何だったんだよ。アタリっぽいリアクションすんなよな。
「光…ヒカリ…いや違う…スパーク?」
電話越しにも聞こえるほど、健斗はハッ、と息を漏らすと、
「スパーク…スパークレンス!これだ!これだよ!」
健斗の『これだ』の基準がよくわからない。似たような案なら前に何回か出したはずなんだが。
「俺のティガライザーと大して変わんねぇじゃん」
「お前、本当にセンスねーな。ティガライザーとスパークレンスでは天地の差があんだよ」
「あーはいはい。分かった分かった。スパークレンスね。はい」
こうして、人間を巨人体に変化させる超自然的装置に「スパークレンス」という中二病チックな名前が付けられた。
「いい加減にしなさいよ!病み上がりなんだから、早く寝なさい」
一穂からのお叱りを受け、大吾は慌てて電話を切った。
仰向けになりながら、いつもの天井を見つめる。
色んな思いが脳内を交錯していく。
また怪獣は現れるんだろうか?そしたらまたティガにならなきゃいけないんだろうか?そもそも、ティガっていったい何者なんだろう…
でも、今なら何とかなりそうな気がした。
ヴ―ッ。ヴ―ッ。ヴ―ッ。
電話が再び鳴る。
『父さん』
親指が受信ボタンの真上で止まる。
受信ボタンを押そうと思ったその直前、スマホは振動を止めた。
その後、電話はかかってこなかった。
大吾はそのまま電源を切り、充電器を差し込むと、布団に潜り込んで目を閉じた。