0時0分0秒 作:おじさん。
朝が来ても、渋谷は静かにならなかった。
むしろ、夜よりひどかった。
ダニエルはビルの上階にあるホテルの窓から、街を見下ろしていた。
空は薄い灰色だった。
夜の間に降ったのか、道路が濡れている。
しかし雨の匂いはしなかった。
代わりに、煙の匂いがした。
遠くに黒い煙が何本も立っている。
東京湾の方向だった。
「まだ燃えてる」
ジェームズが言った。
「何が?」
「分からない」
テレビがついていた。
日本語のニュース番組らしい。
だが、画面に映っているのはニュースキャスターではなかった。
無人のスタジオ。
カメラは固定されたまま、誰もいないキャスター席を映している。
画面の下には速報の文字だけが流れている。
何人かの外国人スタッフが画面の前に立っていた。
「これ、NHK?」
サラが聞いた。
「たぶん」
「誰もいないの?」
「分からない」
しばらくして画面が切り替わった。
録画映像だった。
東京の道路。
交差点で何台もの車が衝突している。
消防車が一台、道路脇に止まっている。
しかし消防士は降りてこない。
救急車もある。
誰も乗っていない。
映像が切り替わる。
別の道路。
炎。
煙。
走って逃げる人々。
そしてまた、無人の交番。
マークがソファに座ったまま、テレビを見ていた。
昨夜からほとんど喋っていない。
「オーストラリア政府が警告を出してる」
エミリーがスマートフォンを見ながら言った。
「何て?」
「日本から離れろって」
「どうやって?」
「……それは書いてない」
誰も笑わなかった。
ダニエルは自分のスマートフォンを見た。
通知が数百件になっていた。
オーストラリアのニュース。
アメリカのニュース。
イギリス。
韓国。
シンガポール。
どの国のニュースにも日本の文字があった。
最初の報道は「東京で大規模な混乱」
その次は「日本政府との連絡が困難」
その次は、
「日本人、世界各地で同時に消失か」
だった。
動画が添付されている。
シドニーのホテル。
日本人観光客が消える。
ニューヨークのレストラン。
日本人客が消える。
ソウルの駅。
日本人旅行者が消える。
ブラジル。
フランス。
カナダ。
ハワイ。
世界中。
同じ時刻。
同じ現象。
ダニエルはスクロールを止めた。
「見て」
全員が彼を見る。
「これ……」
地図だった。
日本国内で発生している火災を、衛星画像から推定したものらしい。
東京湾。
大阪湾。
名古屋。
北九州。
いくつもの赤い点。
時間の経過とともに増えている。
「これ、本物?」
「軍の衛星画像だって」
「誰が出したの?」
「分からない。誰かが流したんじゃない?」
マークが画面を覗き込んだ。
「東京湾って、こんなに燃えるものなのか?」
誰も答えなかった。
そのとき、外から大きな音がした。
六人は一斉に窓へ駆け寄った。
遠くで煙が上がった。
その根元から、炎が見えた。
朝日に照らされて、黒い煙が巨大な雲のように膨らんでいく。
「工場?」
ダニエルが呟いた。
テレビの画面が切り替わった。
外国人の女性がカメラの前に立っていた。
顔は明らかに疲れていた。
英語だった。
画面下に英語字幕が出る。
彼女は何度も言葉に詰まりながら話していた。
「現在、私たちが確認できている範囲では、日本人の大部分が……」
そこで彼女は一度、目を閉じた。
「……消失したと考えられています」
部屋の中が静かになった。
「日本政府からの正式な説明は、現在までありません」
マークがテレビを見つめた。
「政府も?」
エミリーが答えた。
「誰もいないんじゃない?」
マークは何も言わなかった。
テレビでは外国人記者が東京の街を映していた。
コンビニの前に、店員の制服だけが置かれている。
交番の机の上には、誰もいない椅子。
道路には放置された車。
駅には、誰もいない改札。
そして画面の隅に、昨夜の映像が映った。
渋谷。
午前0時。
女性店員の服が、ふわりと床へ落ちる。
ダニエルは目を逸らした。
「俺たち、帰れるのかな」
ジェームズが言った。
誰も答えなかった。
スマートフォンが鳴った。
エミリーが見る。
「空港、閉鎖だって」
「いつまで?」
「分からない」
また通知が来た。
今度はオーストラリア政府からだった。
日本国内に滞在するオーストラリア国民は、現在地を確認し、安全な場所で待機してください。
その下に、小さな文字があった。
日本国内の公共交通機関について、正常な運行を確認できていません。
マークがそれを読んだ。
しばらく黙っていた。
そして、小さな声で言った。
「昨日、俺……」
誰も振り向かなかった。
「日本人が嫌いだって言ったよな」
エミリーがマークを見る。
「捕鯨するから」
「うん」
「覚えてる」
「俺も」
マークは窓の外を見た。
灰色の東京。
煙。
サイレン。
止まった車。
誰もいない交番。
そして、何万人もの人間が暮らしていたはずの街。
「……こんなことになるとは思わなかった」
誰も慰めなかった。
慰める言葉が見つからなかった。
その頃、東京から何千キロも離れた場所では、世界各国の政府が同じ画面を見ていた。
衛星写真。
赤く燃える日本列島。
そして、その上に表示された時刻。
08:12 JST
まだ朝だった。
しかし日本では、すでにいくつもの都市で、昨日まで誰も想像しなかった一日が始まっていた。