0時0分0秒 作:おじさん。
時計は午前10時半をさそうとしていた。
六人はホテルのロビーに集まっていた。
ロビーにあるテレビでは同じ映像が何度も繰り返されている。
渋谷。
新宿。
銀座。
高速道路。
炎。
事故。
そして、無人の交差点。
ホテルのフロントには東南アジア系と思し召しスタッフが二人いた。
日本人はいない。
それが、もう誰にとっても当たり前になりつつあった。
「空港は?」
ダニエルが聞いた。
フロントの女性が首を振った。
「閉まっています」
「いつ再開?」
「分かりません」
「今日?」
「分かりません」
「明日?」
女性は答えなかった。
ダニエルはスマートフォンを見た。
航空会社のサイト。
全便欠航。
空港の公式サイト。
現在、空港へのアクセスを制限しています。
空港へ向かう鉄道。
運転見合わせ。
道路。
一部通行不能。
「じゃあ、港は?」
マークが言った。
全員が彼を見る。
「港?」
「船なら動くかもしれない」
「どこから?」
「横浜」
ジェームズがスマートフォンを取り出した。
「横浜港。客船ターミナル……」
検索する。
画面が表示される。
しかし読み込みが遅い。
やがてページが開いた。
最新のお知らせ。
臨時閉鎖。
「だめだ」
「品川は?」
「港っていうか……」
「東京港は?」
「調べてみる」
六人がそれぞれ検索を始める。
「横浜」
閉鎖。
「東京」
アクセス制限。
「品川」
情報が出てこない。
「千葉は?」
ジェームズが言った。
「港ならいくらでもあるだろ」
検索する。
千葉港。
川崎港。
横浜港。
東京港。
どこも状況が違う。
しかし、共通しているものがあった。
火災。
交通遮断。
群衆の集中。
そして、
港湾機能停止。
「群衆って何?」
サラが画面を覗き込んだ。
記事には、外国人観光客や在留外国人、日本国内に残った人々が港へ殺到していると書かれていた。
誰もが同じことを考えたのだ。
船なら日本から出られる。
港なら国外へ行ける。
そのために、人が集まった。
しかし、港は空港よりも脆かった。
道路が塞がる。
車が放置される。
燃料を積んだ車両が立ち往生する。
人が増える。
荷役設備が止まる。
職員がいない。
そして、その情報を整理している人間もいない。
「じゃあ、船は?」
ダニエルが聞いた。
ジェームズが検索する。
「貨物船はいる」
「乗せてもらえない?」
「分からない」
「客船は?」
「分からない」
「じゃあ、港まで行けば……」
「行ってどうする?」
誰かが言った。
その言葉で、会話が止まった。
ダニエルはもう一度画面を見た。
さっきまで開けていたページが開かない。
更新する。
エラー。
戻る。
別のサイト。
またエラー。
「さっきは見えたのに」
「俺も」
「こっちもだ」
ジェームズが言った。
「サイトが落ちてる」
「全部?」
「全部じゃない」
彼は別のサイトを開いた。
海外のニュース。
これは見られる。
日本国内の港湾情報。
見られない。
自治体のページ。
見られない。
交通情報。
見られない。
企業のページ。
いくつかは見られる。
いくつかは消えている。
ダニエルは、奇妙な感覚に襲われた。
インターネットはある。
スマートフォンもある。
世界中の情報もある。
なのに、
日本の情報だけが、少しずつ暗くなっている。
昨日まで誰かが更新していたページ。
誰かが電話を受けていた窓口。
誰かが交通整理をしていた道路。
誰かが火災を消していた消防署。
それらが一つずつ消えている。
「帰れると思ってた」
エミリーが言った。
誰も返事をしなかった。
「空港が駄目なら、港に行けばいいと思ってた」
彼女は苦笑した。
「船くらいあると思ってた」
マークが椅子に座った。
「俺も」
ダニエルは窓の外を見た。
東京の街が広がっている。
どこまでも。
ビルの向こうにビル。
道路の向こうに道路。
その先にも街がある。
港まで行く。
港から船を探す。
船に乗る。
オーストラリアへ帰る。
それだけのことだった。
ほんの数時間前までは。
しかし今、その一つ一つが遠く感じられた。
「今日は無理だな」
ジェームズが言った。
「明日は?」
誰も答えなかった。
「……明日も分からない」
ダニエルが言った。
マークが顔を上げる。
「じゃあ、どうする?」
ダニエルはホテルのロビーを見回した。
外国人観光客。
旅行者。
ビジネスマン。
家族連れ。
昨夜からここに避難している人たち。
誰もが同じ顔をしている。
帰りたい。
家族に会いたい。
自分の国に戻りたい。
しかし、戻るための道がない。
「ここにいよう」
ダニエルは言った。
「少なくとも、しばらくは」
「ホテルに?」
「うん」
「食料は?」
「まだある」
「水は?」
「ある」
「いつまで?」
「分からない」
ダニエルは少し考えた。
「でも、一人で動くよりはいい」
誰も反対しなかった。
ホテルにはまだ人がいる。
外国人スタッフがいる。
料理人もいる。
宿泊客の中には医師もいるかもしれない。
元軍人もいるかもしれない。
建設関係者もいる。
誰かは発電機を扱えるかもしれない。
誰かは料理ができる。
誰かは応急処置ができる。
誰かは日本語を話せる。
昨日までなら、ただの宿泊客だった。
今は違う。
外では、まだサイレンが鳴っている。
遠くから煙が上がっている。
テレビでは、東京湾の火災映像が流れていた。
ダニエルはスマートフォンをポケットにしまった。
母親には、まだ返信しなければならない。
でも、その前に。
今日を生きる方法を考えなければならない。
彼はホテルのロビーをもう一度見回した。
昨夜まで知らない者同士だった人々。
その中に、これから何日、何週間、あるいは何か月、一緒に暮らすことになる人がいるのかもしれない。
東京から出られないのなら。
まずは、
ここで生きるしかない。
そう思った。
ダニエルは、ロビーにいる人々を見た。
そして初めて、
ここにいる人間で、ここを維持するしかないのかもしれない。
と思った。
予感ではない、予想だった。