0時0分0秒 作:おじさん。
昼過ぎになって、ホテルの外が騒がしくなった。
最初はクラクションだった。
次に怒鳴り声。
それから、何かが割れる音。
ダニエルは窓から外を見た。
「コンビニの前、暴れてるな」
ジェームズが言った。
ホテルから二つ先の角にあるコンビニだった。
道路に人が集まっている。
若い男が二人、殴り合っていた。
いや、二人ではない。
五人。
六人。
インド系らしい若者と、中国系に見える若者が入り乱れている。
誰かがペットボトルを投げた。
ガラスが割れた。
コンビニの前に商品が散らばっている。
「何が起きてるの?」
エミリーが聞いた。
「分からない」
ダニエルは答えた。
ただ、喧嘩というには人数が多すぎた。
若者たちは互いに何かを叫んでいる。
ジェームズが窓をそっと開け、若者たちの使う言葉が断片的に聞こえるようになった。
英語。
中国語。
そして、ダニエルには分からない言葉。
誰かが両手を上げ、大声を上げる。
別の男も叫び返す。
「宗教が関係してるみたい」
サラが言った。
「ヒンドゥとイスラム……」
「なんで分かるの?」
「祈りの言葉よ」
ダニエルはもう一度外を見た。
彼には、何が原因なのかまったく分からなかった。
ただ、二つの集団が殺し合いを始めているように見えた。
「警察は?」
エミリーが言った。
誰も答えなかった。
昨日なら、数分でパトカーが来ていたはずだ。
しかし今日は来ない。
救急車も来ない。
サイレンすら聞こえない。
その代わりに、別の音が近づいてきた。
エンジン音。
大型のトラックだった。
交差点を曲がり、コンビニへ向かってくる。
「危ない!」
誰かが叫んだ。
トラックは速度を落とさなかった。
若者たちが気づいて散らばる。
しかし完全には避けきれない。
トラックがコンビニの前に横付けされる。
運転席から、初老の中国人男性が降りてきた。
その後ろから、さらに三人。
四人とも五十代から六十代くらいに見えた。
誰も武器を持っていない。
いや。
一人が何かを持っている。
太いガムテープだった。
「何するつもりだ?」
ジェームズが呟いた。
答えが出る前に、一人の若者が男に殴りかかった。
初老の男は避けた。
そして、若者の腕を掴んだ。
もう一人が後ろから押さえ込む。
さらに二人が加わる。
若者は叫んだ。
だが、四人の男たちは何も言わない。
ただ、手を押さえた。
ガムテープを巻く。
手首。
さらに足。
終わると、トラックの荷台を開けた。
若者を二人がかりで持ち上げる。
荷台へ放り込む。
「……本気?」
サラが言った。
次の若者も捕まった。
今度は中国系だった。
同じように拘束される。
荷台へ。
その次も。
その次も。
数分前まで殴り合っていた若者たちが、次々とトラックの荷台に押し込まれていく。
逃げ出す若者たち。
全員が逃げられたわけではなかった。
ひとり、またひとりと背後から捕まり地面に倒されテープを巻かれ荷台に放り込まれる。
誰も警察を呼ばない。
誰も止めない。
周囲にいた人々も、ただ見ている。
逃げ遅れた若者たち、10人ほどがトラックの荷台に、荷物のように放り込まれていた。
初老の男が扉を閉める。
大きな音がした。
ガシャン。
トラックの荷台が閉じられた。
男は周囲を見回した。
何かを中国語で叫んだ。
意味は分からない。
しかし、その声を聞いた人々が少しずつ散っていく。
トラックは走り去った。
あとには割れたガラスと、散乱した商品だけが残った。
しばらく誰も話さなかった。
「……警察より早かったな」
ジェームズが言った。
ダニエルは答えなかった。
もう一度、外を見る。
コンビニの前には、さっきまで何十人もいた。
今は誰もいない。
「彼ら、あの人たちをどこへ連れて行ったんだろう」
エミリーが言った。
「さあ」
ジェームズが答える。
「でも、たぶんもう二度とあそこで喧嘩はしない」
ダニエルは窓から離れた。
怖かった。
警察が来ないことが怖い。
消防車が来ないことも怖い。
しかし、それとは別の種類の恐怖があった。
警察がいないなら、誰かが警察になる。
誰かが道路を守る。
誰かが店を守る。
誰かが食料を管理する。
誰かが暴力を止める。
その「誰か」が、もう現れ始めている。
ホテルのロビーでは、宿泊客たちが集まっていた。
誰かが食料の在庫を書き出している。
誰かが水を数えている。
誰かが発電機を確認している。
昨日までなら、ホテルの仕事だった。
今は違う。
ダニエルは、窓の外に消えていったトラックの姿を思い出した。
東京から出られない。
警察もいない。
政府も見えない。
それでも、人間は勝手に集まり始める。
そして勝手にルールを作り始める。
ダニエルはそれを見ながら、ふと考えた。
日本人がいなくなった東京は、無秩序になるのではない。
別の秩序が生まれるのだ。