従順な巨人と嬌声の美姫   作:岩塩ゴロゴロ

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第1話

目を覚ますと、視界の端に粗い石の壁があった。天井は低く、かび臭い藁の匂いが鼻をつく。体を起こすと、首に何か硬いものが巻かれているのに気づいた。鉄の首輪だ。重く、冷たい。

 

——ここはどこだ。

 

記憶を手繰ろうとするが、まるで霧がかかったように思い出せない。自分の名前と、日本人だったこと、25歳だったこと、身長が2メートルあって筋肉質だということ。それだけは確かだった。だが、なぜこんな場所にいるのか、どうやって来たのか、一切わからない。

 

外から聞こえてくる言葉は、知らない言語のはずなのに、不思議と意味の断片が頭に浮かんだ。「水を運べ」「小麦を磨け」「早くしろ」。命令の言葉ばかりが、やけに明確に理解できた。

 

抵抗する気は起きなかった。いや、起きなかったというより、起きる気力がなかった。日本での生活を思い出す。毎日満員電車に揺られ、上司の理不尽な叱責に頭を下げ、終電で帰る。眠るためにだけ帰る家。社会の歯車として磨り減っていく日々。あの地獄に比べれば、ここでの単純労働はむしろ清々しかった。

 

気づけば俺は奴隷として働かされていた。身分など知れたものではない。だが、不思議と不満はなかった。言われた通りに働けば、最低限の食事と寝床は与えられた。頭を使わなくていい。考えることをやめられる。それが、こんなにも楽だとは知らなかった。

 

「お前は本当に良い奴隷だな」

 

ある日、奴隷頭が俺の肩を叩いた。立派な体で、文句も言わず、黙々と働く。それが主人の耳にも届いたらしい。奴隷部屋には、外から必ず鍵がかけられる。俺はそれを当然のこととして受け入れていた。

 

あの日も、いつもと変わらない夜のはずだった。

 

けたたましい鐘の音と怒号で目が覚めた。廊下は混乱に満ち、煙の匂いがする。火事だ。誰かが叫んでいる。足音が乱れ、悲鳴が聞こえる。俺は部屋の隅で、外の様子を静かに窺っていた。奴隷部屋の扉は外から鍵がかけられている。逃げようなどとは思わなかった。

 

その時、ガチャリ、と錠が外れる音がした。

 

扉が勢いよく開かれる。そこに立っていたのは、見知らぬ男たちだった。黒い布で顔を隠し、手には鈍く光る刃物。奴隷を解放して暴れさせ、その隙に金品を奪う——盗賊だ。

 

男たちは檻のように並ぶ奴隷部屋の鍵を次々に外し、叫んだ。

 

「自由だ! 外に出て、好きに暴れろ!」

 

だが、奴隷たちは戸惑い、立ち尽くすばかりだった。自由と言われても、どうしていいかわからない。俺もそうだった。けれど、盗賊の一人が奥の部屋へ向かうのを見て、体が勝手に動いた。あの先には、主人の家族がいる。

 

火の粉が舞う廊下を走り、盗賊たちに襲いかかる。拳を振るい、蹴りを叩き込む。奴隷の中には、その混乱に乗じて暴れ出す者もいた。俺は彼らをも制圧し、盗賊の首魁と思しき男の胸に、奪った短剣を深く突き立てた。

 

主人とその家族は、燃え盛る屋敷の中で震えていた。俺の姿を見て、主人は一瞬、奴隷が反乱を起こしたのかと思ったらしい。だが、俺の背後で倒れている盗賊たちと、主人の幼い息子を抱きかかえて避難を促す俺の姿に、ようやく理解したようだった。

 

「……なぜ、お前が我々を守る?」

 

主人の問いに、俺は短く答えた。

 

「ここの生活は、前の人生よりマシだったから」

 

主人はしばらく沈黙し、それから深く頷いた。

 

火事の後、俺は奴隷から解放され、平民として屋敷に残ることになった。主人の護衛として雇われたのだ。奴隷だった俺に、主人は並々ならぬ興味を示した。特に、俺の「血」に。

 

「お前の血は、我が家に繁栄をもたらす。そう直感した」

 

主人はそう言って、一人娘のリリアを俺の正妻に据えた。彼女は火事の日、俺に助けられたことで本気で惚れたらしく、それはもう献身的に尽くしてくれた。食事も、身の回りの世話も、夜の閨でも。

 

だが、問題があった。彼女は快楽に弱く、声を我慢できない。毎晩、屋敷中に響き渡る嬌声は、使用人たちの寝不足の原因になり、主人を大いに悩ませた。

 

そして数ヶ月後、リリアが妊娠したとわかった時、主人は心の底から安堵の息を漏らした。

 

「これで当分は、あの声を聞かずにすむ……」

 

屋敷の書庫で、主人はほっとしたようにワインをあおった。その隣で、俺は黙って、窓の外に広がる夕焼けを眺めていた。かつて奴隷だった男は、今や屋敷の婿として、新しい命の誕生を待っている。

 

不思議なものだ。あの日、奴隷部屋の鍵が開かなければ、俺は今もただの奴隷のままだった。だが、あの時、自分の意思で動いたのは、恩義でも正義感でもない。ただ、ここでの生活が、日本での社畜生活より、ほんの少しだけマシだったから。それだけのことだった。

 

それなのに、人生はこんなにも変わる。

夕暮れの光が、俺の太い腕をオレンジ色に染めていく。遠くで、リリアが俺の名を呼ぶ声がした。腹をさすりながら、にこやかに手を振っている。俺は静かに立ち上がり、彼女のもとへ歩き出した。

 

俺が死んでから、どれほどの時が流れたのかはわからない。だが、俺の人生は「実話」として国中に広まった。奴隷として従順に働けば平民に戻れる。美女を娶れる。それが、まるでおとぎ話のように語り継がれた。あの火事の夜、盗賊を殺し、主人を守った行為が、いつしか「忠義の巨人」の物語として、人々の口に上るようになった。

 

面白いことに、俺が生きている間、この国では一度も奴隷の反乱が起きなかった。俺の存在が「希望」になっていたらしい。死後、その人生は奴隷たちの憧れとして、舞台や絵画の題材になった。

 

ある絵画には、美化された俺が妻の背後から抱きつき、臨月の腹を支えている姿が描かれている。妻は人前に出る時、なぜかいつも妊婦だった。生涯で二十人もの子を産んだため、「子沢山な美女」という印象が後世に強く刻まれてしまった。実際の彼女は、いつも腹が大きかったわけではないのに。

 

俺の血筋は、奴隷制廃止の旗印となった。大きな体で、大きな声で、平和的に訴えたという。大きな体は俺の特徴で、大きな声はリリアの特徴だ。俺は寡黙だったが、彼女の声は本当に大きかった。毎晩の嬌声は屋敷中に響き渡り、使用人たちは寝不足に悩まされた。その声量が、いつしか演説に向いているとされ、平和的な奴隷解放運動の象徴として語られるようになった。

 

やがて、俺たちの物語は海を渡り、ハリウッドで映画化された。タイトルは「従順な巨人と嬌声の美姫」。主演を務めたのは、俺の血を引く大柄な男性俳優。そしてヒロインを演じたのは、マイクが不要と言われるほど声の通る小柄な美女だった。映画の予告編では、彼女の叫び声だけで観客が震え上がったという。

 

さらに時は流れ、日本のゲームにも登場した。『Fate/Grand Order』——カルデアのマスターに召喚されるサーヴァントとして。

 

英霊となった俺は、後世のイメージによって誰よりも巨大な体を持つ存在になっていた。自分より大きな敵が現れれば、それよりも大きくなれる。さながら怪獣大決戦のように、ストーリーでは様々な巨大エネミーと戦い、果てはORTという化け物すら足止めした。主人を守る巨人のイメージが、マスターを守る英霊の在り方にぴったりだと評判になった。

 

一方、妻のリリアは小柄で可愛らしい容姿の英霊として現界する。そして強化されるたびに、彼女の腹部は臨月に近づいていく。母よりも大きい二十人の子供たちが彼女を守る。生涯で二十人の子を産んだリリアが、妊婦の姿で、既に大人になった二十人の我が子に囲まれているのは、後世のイメージが強すぎるせいだろう。英霊とはそういうものだ。

 

彼女の攻撃方法は大声による衝撃波。毎晩の嬌声が誇張され、音圧で敵を粉砕する。彼女の宝具は、敵味方の強化を回収し、デバフを撒き散らした後、大抵の敵を即死させるほどの全体攻撃を放つ。それは、毎晩の嬌声で屋敷中の人間を寝不足に追いやったのに、彼女だけは翌朝も絶好調だったという逸話の具現らしい。

 

「ふふ、今夜も声を我慢しなくていいのね」

 

リリアは朗らかに笑う。その隣で、二十人の子供たちが武器を構え、その背後には巨大な影がそびえる。マスターは苦笑いしながら、耳を塞いだ。

 

——あの奴隷部屋で目覚めた朝から、こんな未来が来るとは、誰が想像しただろう。

 

俺は静かに拳を握り、戦場へと歩き出す。

 




aiのべりすとで遊んでいたら、上手く出来たと思ったので投稿しました。
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