「……ずいぶん派手にやってるな」
俺と詩乃は、警報音の鳴り響く通路を奥へ進んでいた。
一般の探索者向け地図では崩落による封鎖区画になっているが、実際には人間が意図的に塞いでいただけらしい。岩壁には金属製の補強材が打ち込まれ、天井を太いケーブルが這っている。
アスモダイによれば、この施設自体は以前から把握していたそうだ。
(本当に放置してたんだ?)
『害がなかったからな。人間どもが集まり、能力を使って実験を繰り返す。何もせずとも虚素を吐き出す場所を潰す理由がない』
(中で何してるかも知らないのに?)
『人間の研究など興味がない』
「ダンジョン管理、結構適当だったんだな」
『貴様、今の声に出してまで言う必要があったか!?』
怒鳴り声を聞き流しながら歩いていると、隣から詩乃が俺の顔を覗き込んできた。
「またアスモダイと喧嘩しておりますの?」
「喧嘩じゃないよ。前の管理者が適当だったって話」
『聞こえているぞ!』
「なるほど。では、今の管理者にはしっかりしていただきませんと」
「詩乃まで俺を管理者扱いするようになったな」
「壁を動かし、魔物を配置し、探索者から虚素を集めておいて、今さら何をおっしゃいますの?」
反論できない。
首元の黒いチョーカーへ軽く触れながら、詩乃は当然のように俺の隣を歩いている。
数時間前まで普通の探索者として一緒に潜っていたはずなのに、随分と状況が変わったものだ。
ただ、俺としてもこの面白そうな管理権を手放すつもりはなかった。
(そういえば、俺が管理者になったことって他の悪魔や天使にも分かるの?)
元々、地球には原初の神々が居たとアスモダイは言っていた。それを
つまり、アスモダイの言うことを信じるならば、アスモダイの他にも神もとい悪魔がいるわけで。
『すぐに、とは限らぬ。しかし隠し通すことは不可能だろう。近隣のダンジョンを持つ者はいずれ異変に気づく。天使も同様だ』
「その時、悪魔たちが取るであろう行動は?」
『ここを奪いに来る者もいるだろうな』
「へえ」
『ずいぶん軽い反応だな。管理権限を奪うのであれば、現在の管理者――つまり貴様を殺すのが最も簡単な方法なのだぞ』
つまり、新宿ダンジョンだけでなく俺自身も狙われる可能性があるということか。
それなら話は単純だった。
俺も他の悪魔に会ってみたいと思っていたところだったし、向こうから来てくれるならありがたい。
(じゃあ、今のうちに育てた方がいいな)
『……迷宮をか?』
(他人に取られるのは気に入らないからね)
虚素を集める。
管理できる範囲を増やす。
侵入者を早く察知できるようにして、必要ならモンスターや迷宮そのものを使って迎撃する。
まだ何ができるのかも把握しきれていないが、方向としてはそれでいいだろう。
「皇牙様、何か決まりましたの?」
「このダンジョン、ちゃんと育てることにした」
「急ですわね」
「俺ごと狙われる可能性があるらしいから。防衛するなら、自分の家の中に何があるかくらい知っておかないと」
「いつから新宿ダンジョンがお家になりましたの?」
「俺のものなら似たようなものだろ?」
「それはそうかもしれませんけど……」
詩乃が呆れたところで、通路の様子が変わった。
その直後。
「いやあああああっ!」
奥から絶叫が響いた。
俺たちは顔を見合わせ、声のした方へ走る。
巨大な実験区画へ出た瞬間、濃い血の臭いが鼻についた。
「これは……」
詩乃が言葉を失う。
研究室だったらしい部屋は、半分ほど壊滅していた。
分厚い防護壁には人間数人が並んで通れそうな穴が開き、鉄骨まで途中から丸ごとなくなっている。
床には白衣姿の死体がいくつも転がっていた。
上半身そのものが消えた男。
腹部だけを失い、胸から上と腰から下が離れている女。
壁際には腕と頭部しか残っていない死体まであり、大量の血が白い床を赤黒く染めている。
「こうなったのは、切断系の能力じゃないな」
刃物で斬ったなら断面が残る。
これは違う。
まるで食いちぎられたかのように、まとめて消えている。
そして部屋の中央に、その原因らしき少女がいた。
「皇牙様、あれ……」
「あぁ」
俺たちと同じくらいの年齢だろう。
小柄な身体を白い検査着で包み、裸足のまま血溜まりの中に立っている。肩より少し長い銀白色の髪にも返り血が付着し、大きな赤紫色の瞳は怯え切っていた。
その周囲を、四つの黒い球体が浮いている。
「違う……わたしじゃない……」
少女は震えながら首を振っていた。
「お願い……もうやめて……」
「黙れっ、化け物が……!」
部屋の端で生き残っていた白衣の男が叫んだ。
目は充血し、握っている拳銃も震えている。
「お前が全部やったんだろ! 死ね!」
「やめて……撃たないで……!」
発砲音が響いた。
銃弾が少女の額へ飛ぶ。
だがその間へ、彼女の周囲に浮いていた黒球が滑り込んだ。
それが触れた瞬間、弾丸が消えた。
「なっ……!」
男がさらに二発、三発と撃つ。
すべて同じだった。
銃弾は少女へ届く前に黒球へ触れ、その場から消失する。
「やめて! もう撃たないで!」
少女が叫ぶ。
男は止まらない。
「死ね! 死ねよ、この化け物!」
再び銃口が上がった瞬間、黒球が動いた。
今度は防御じゃない。
一直線に男へ向かう。
「ひっ――」
黒球が右肩を通過した。
文字通り、肩から先が消える。
「ぎゃああああああっ!」
噴き出した血を押さえる暇もなく、もう一つの黒球が胸を通り抜けた。胴体の中央が大きく失われ、男は大量の血と内臓を撒き散らしながら崩れ落ちる。
「いやああああっ!」
少女の方が悲鳴を上げた。
「やめて! 殺さないで! お願いだから、もう誰も来ないでよ!」
別の職員が恐怖に耐えきれず銃を構えようとする。
黒球が即座にそちらへ向いた。
「待っ――」
頭部が半分消えた。
残った身体が床へ倒れる。
それを最後に、生きている職員はいなくなった。
「もう嫌……たすけて……」
少女は頭を抱え、その場へしゃがみ込む。
黒球だけが彼女を守るように浮かんでいた。
「うん。大体どんな能力か分かった」
俺は少女へ向かって歩き出した。
「お待ちください! 危険ですわ!」
「攻撃しなければ来ないよ。今のところ、あの子への攻撃に反応していただろ?」
「だからといって近づく必要はございませんでしょう!」
詩乃に腕を掴まれた。
「皇牙様には、もう少しご自分のお身体を大切にしていただきたいのです。わたくしの将来にも関わりますので」
「将来?」
「そこを拾わなくて結構です!」
仕方なくその手を外し、少女へ近づく。
俺に気づいた少女が顔を上げた。
「来ないで……!」
涙と返り血で顔が濡れている。
「お願い……あなたまで死んじゃう……」
「大丈夫」
「大丈夫じゃない! みんな死んだの! わたしに近づいた人、みんな……!」
「俺は殺そうとしてないよ」
それでも黒球の一つが俺の前へ移動した。
俺は右手を伸ばす。
「触っちゃ駄目!」
指先が黒球へ触れた。
瞬間、【解析】を走らせる。
なるほど。
物質を文字通り無へ変えているわけじゃない。
接触と同時に対象へ干渉し、構造を分解。さらには異常な密度まで圧縮することで、外からは一瞬で消えたように見せている。
――なら、対応はできる。
破壊されるより早く自分の情報を【データ化】で補完し、黒球からの干渉へ合わせて再構築する。
結果。指は消えなかった。
「……え?」
少女が目を見開く。
俺は黒球へ触れたまま、その表面を軽く撫でた。
「ほら。大丈夫だった」
「なんで……?」
「仕組みが分かったから」
「でも……そんなの、私を調べた人も今まで誰も……」
黒球の反応条件にも干渉する。
俺が少女への敵意を持っていないと認識させると、激しく動いていた四つの球体がゆっくり静止した。
「止まった……?」
「止まったよ」
「本当に……もう、誰も死なない……?」
「少なくとも今はね」
その言葉を聞いた途端、少女の身体から力が抜けた。
膝をつき、両手で顔を覆う。
「よかった……よかったぁ……」
泣き声が漏れる。
安全だと判断したのか、詩乃も警戒しながら近づいてきた。
「お名前を伺っても?」
「……く、久我……
「俺は
依織が涙を拭っている間に、俺は改めて壊れた実験室を見る。
今見た黒球は防御と反撃。
依織へ危害を加えた相手だけを正確に狙っていた。
でも、それでは説明できない場所がある。
「ねえ、依織」
「……はい?」
「お前、中にもう一人いるな?」
「え?」
詩乃まで俺を見る。
「皇牙様、なにをおっしゃって……」
「この黒い球、攻撃へのカウンターとして動いてる。でも、それならどうやってあの檻から出たのかな?」
大穴の開いた隔離室を指差す。
外から壊された形じゃない。
内側から黒球をぶつけ、意図的に道を作っている。
「それは……」
「ここだけ明らかに自分から攻撃してる。それに」
俺は自分の胸へ軽く触れた。
「俺も自分の中に別の奴がいるから、なんとなく分かるんだ」
『我を一緒にするな!』
アスモダイの抗議は無視した。
「今の依織とは別に、この球を自分の意思で動かせる奴がいるだろ?」
依織が俯く。
銀白色の髪が、その顔を隠した。
少しして。
「……すごいね」
声が変わった。
依織が顔を上げる。
涙に濡れていた赤紫色の瞳が、今度は楽しそうに俺を見ていた。
口元が大きく弧を描く。
「アンタ、面白いじゃん。初めてアタシを
四つの黒球が浮かび上がる。
自動迎撃とは違う。
すべてが俺だけを狙っていた。
「ねえ」
依織は嬉しそうに笑った。
「今からアタシと