「今からアタシと
依織が楽しそうに笑った直後、俺の周囲に浮かんでいた四つの黒球が一斉に動いた。
「皇牙様、お下がりください!」
詩乃が黒い金属杖を構えるが、それより先に黒球の一つが弾丸のように飛んでくる。
俺は半歩だけ身体をずらした。
黒球は肩の横を抜け、背後にあった金属製の棚へ接触する。
直後、棚の中央部分だけが崩れる間もなく消え、上下に分断された残骸が床へ落下した。
「避けんなよ。さっきは触ってただろ?」
「触るのと、まともに食らうのは違うからね」
「じゃあ、避けられなくしてやるよ――
依織が指を動かすと、今度は三つが左右と正面へ散った。
表の依織とは明らかに扱い方が違う。先ほどまでの黒球は、彼女へ危害を加えようとした相手に反応して自動的に動いていた。だが今は、一つ一つが俺の進行方向を予測しながら配置されている。
左右から二つ。正面から一つ。
俺が後ろへ退こうとした瞬間、残る一つが床へ潜り込むように触れた。
足元の石床が大きく欠ける。
「なるほど。表の人格が【浸蝕】ですべてを分解・圧縮する黒球を生み出し、裏の人格が【操作】でコントロールしているのか」
普通はひとりにつき、一つの系統しか能力は使えない。だが彼女は人格が分かれていることを利用して、同時に二つの能力を使用しているわけだ。……ふむ、面白いな。
「キヒヒヒッ、いいねぇ。その余裕ぶってる顔を早く泣かせたいぜぇっ!」
依織は不満そうに言いながらも、赤紫色の瞳はますます楽しそうに輝いている。
次は黒球そのものを当てるだけではなく、俺が移動しそうな方向の壁を削った。破壊された壁材が崩れ、通路を狭める。
「さいっっ、こうにキモチイイィ! イッちまいそうだぜ~!」
「ははっ、このバトルジャンキー女が」
「てめぇだって実はアタシと同類なんだろ?
両手を赤く染まった頬に当て、ゾクゾクと身体を振るわせている依織。危険な香りしかしないのに、妙な色気があって俺まで頭がおかしくなってきそうだ。
戦うことには慣れているらしい。
それなら、もう少し見てみたい。
「皇牙様!」
詩乃の声が飛んでくる。
「もう十分ではございませんか!? その方は明確に皇牙様を殺そうとしております!」
「でも面白い能力だよ、とても勉強になる」
「能力のお話ではございません!」
「そこのメスブタ、うるせえな」
依織が横目で詩乃を見る。
詩乃の表情は上品な微笑みを保っていたが、杖を握る指だけが少し強くなった。
「メスブタ……ふふっ、ふふふふっ。良いでしょう、一度は許して差し上げましょう。ですが覚えておいてくださいませ。わたくしは皇牙様の婚約者候補でございますわ」
「なんだ、合ってんじゃん。コイツに犯されるメスブタ候補だろ?」
「皇牙様、今すぐ交代いたしましょう。わたくしがそのメスガキをこの手で調教してやりますわ」
その答えに依織が一瞬きょとんとし、すぐに笑った。
「アンタんとこの女、面白えじゃん」
「詩乃は昔からこんな感じだよ」
「皇牙様まで何をおっしゃいますの!?」
その間にも、四つの【
一つが正面から迫り、残る三つが逃げ道を塞ぐように散る。俺は最小限の動きでかわし続けながら、黒球へ触れた時に読み取った情報と、今までの戦闘で得た情報を重ねていった。
(滅茶苦茶な能力だが、明確な”欠点”があるな)
最初に気づいたのは、消費する【虚素】の量だった。
【暴食無月】は、ただ黒い球体を作って飛ばしているわけではない。触れた物質や能力へ干渉し、その構造を分解しながら取り込み、そこから得た【虚素】を自分自身の維持へ回している。
つまり、何かを呑み込んでいる間は長く存在できる。
反対に――。
「そこ」
「っ!」
俺は身体を捻り、脇腹を狙った黒球をかわす。
そのまま壁へ当たりそうになった球も、依織が慌てて軌道を変えた。壁を食わせれば多少は維持できるはずだが、俺へ当てることに夢中で、そこまで考える余裕はないらしい。
やがて四つの黒球の輪郭が揺らぎ始めた。
「はぁ……はぁ……クソッ……!」
依織の呼吸も明らかに荒くなっている。
一つが消え、続いて二つ目が消失する。
「もう限界?」
「まだ……やれる……!」
「イクの早いね」
「はぁ……はぁ……うるせぇ……!」
言い返してはきたものの、いつもの勢いはない。
残っていた二つも数秒後には崩れ、黒い粒子となって消えた。
「何だよ……アンタ。なんで全然当たらねえんだよ……」
「だって軌道が読みやすいから。それに黒球を維持するのに精いっぱいで、集中しきれてないだろ?」
依織が顔を上げる。
「……は?」
「人間も、壁も、飛んできた攻撃も。飲み込んだものから虚素を取って維持してる。でも何も食えなければ、自分の虚素だけで維持することになる」
依織は黙った。
どうやら本人も感覚的には理解していたらしい。
「だから途中から、何も食わせないようにしたんだよね」
「……アタシの能力の攻略法、戦いながら見つけたってのかよ」
「うん」
「ムカつくな、アンタ……」
そう言いながら、口元には笑みが浮かんでいた。
「でもさ」
「なんだよ」
「依織、能力の使い方が結構雑だね」
「……喧嘩売ってんの?」
「四つともあんなに大きくしたまま出し続けたら、燃費悪いに決まってるだろ」
依織が眉を寄せる。
「デカい方がいっぱい食えるし、当てやすいだろ」
「必要な時はね。でも人間一人を狙うのに、ずっとあの大きさで四つ必要?」
「…………」
「例えば一つだけ、今の半分くらいで出してみて」
「半分?」
「もっと小さくてもいいよ」
依織は少し考え、片手を持ち上げた。
現れた【暴食無月】は先ほどまでより遥かに小さい。拳より少し大きい程度の黒球が、彼女の手の横へ浮かぶ。
「どう?」
「……軽い。消費も減ってるカンジするわ」
依織の目つきが変わった。
「マジかよ。じゃあ、小さくした分だけ数増やせんじゃねえの?」
「できると思う」
「それで一個だけ勝手にアタシ守らせて、残りを攻撃に回すとか?」
「表の依織がやってた自動迎撃を真似すればできそうだね」
「……それいいな」
依織の顔に、さっきまでとは別の興奮が広がっていく。
小さな黒球が二つ、三つと増えた。
そのうち一つが依織の周囲をゆっくり回り始める。
「これで攻撃来たら、こいつに勝手に食わせりゃいいのか」
「全部自分で操作するより楽だろ?」
「じゃあ残りは……」
依織が指を振る。
二つの小さな黒球が、さっきまでとは比較にならない速度で飛んだ。
一つが壁を浅く抉り、もう一つは金属製の机の脚だけを呑み込む。
「速っ……!」
「小さい分、動かすのも楽みたいだね」
「だったら弾丸みたいに飛ばせるじゃん。もっと増やして周りに置いとけば、避ける方向も潰せるし……」
もう俺が教えなくても、自分から次を考え始めている。
「あとさ」
「まだあるの?」
「これ、拳にくっつけられねえ?」
依織が自分の右手を見た。
「黒球の形にする必要がないなら、できると思うよ」
「マジ?」
右拳の表面へ黒い虚素が集まっていく。
完全な球体にはならず、拳を薄く覆うように【暴食無月】の干渉領域が形成された。
依織はそれを見た途端、笑った。
「キヒヒッ……これ最高じゃん!」
近くの金属棚へ踏み込み、拳を叩き込む。
殴った部分だけが一瞬で分解され、拳大の穴が開いた。
「遠くから球飛ばしてるだけより、こっちの方がいいな。自分で殴った方が楽しいし」
「依織らしいね」
「脚にもできるよな? 蹴ったところ食わせて……あと身体そのものも操作できるなら、踏み込みとかもっと速くできんじゃねえの?」
「そこまで考えた?」
「だって操作する能力なんだろ? 黒球だけ操作するって誰が決めたんだよ」
さっきまで息を切らしていたのが嘘みたいだった。
依織は俺のすぐ前まで寄ってくると、俺の腕を掴んだ。
「なあ、ほかは? アンタまだ気づいてんだろ?」
「近いよ」
「いいから教えろって!」
赤紫色の瞳が期待に輝いている。
数分前まで本気で俺を殺そうとしていた相手とは思えない。
「皇牙様」
少し離れた場所から、詩乃が静かに俺を呼んだ。
「ずいぶんと意気投合なさっておりますのね」
「うん。依織、覚えるの早いから面白いよ」
「……そうですか」
「詩乃の【言実化】を初めて見た時も面白かったよ」
先回りして答えると、詩乃がわずかに目を細めた。
「まだ何も申しておりませんけれど」
「顔に『褒めろ』って書いてあったから」
「でしたら今後は、もう少し読みにくい顔を心がけます」
声から少しだけ不満が抜ける。
そのやり取りを見ていた依織が、俺の腕を掴んだまま急に黙った。
「……なあ、アンタ」
「何?」
「アタシが怖くねえの?」
さっきまでの勢いが消えていた。
「なんで?」
「なんでって……アタシ、人殺してんだぞ。アンタのことだって、本気で殺そうとした」
「でも俺、生きてるし」
「そういう話じゃねえよ」
「それに、俺は今の依織も嫌いじゃないよ」
依織が固まる。
「能力の話をしてる時、すごく楽しそうだし。一緒に戦ったら面白そうだ」
「……アタシ、が?」
「うん」
依織はしばらく俺を見ていた。
やがて何か言おうとしたが、その前に身体が大きく揺れる。
「……あ?」
「どうしたんだ依織?」
「あっちの依織が帰れってうるせぇんだよ……ちょっ、待てよ! もう少しだけ――」
俺が肩を支えると、依織は目を閉じた。
腕から力が抜ける。
「白馬の王子様……?」
「「え?」」
数秒後、再び開いた赤紫色の瞳からは、先ほどまでの好戦的な光が消えていた。