「とりあえず、今回は終わりかな」
研究施設へ戻ってきた依織を迎えながら、俺は改めて新宿ダンジョン全体の状況を確認した。
侵入してきた九人の【
新たな侵入反応もない。
依織も銀白色の髪や服に埃がついている程度で、大きな怪我はしていなかった。
「お疲れさま、依織」
「……はい。皇牙さんも、ありがとうございました」
俺が軽く手を上げると、依織は少し嬉しそうに笑う。
さっきまで通信越しに詩乃から追及されていたせいか、その直後に詩乃と目が合うと、急に視線を逸らした。
「依織さん?」
「な、なんでしょう?」
「いいえ。何もございませんわ」
詩乃はいつも通り上品に微笑んでいる。
怖いなあ。
『たかが人間九匹程度を退けただけで、随分と大げさなことだ』
アスモダイの声が頭の中へ響いた。
『我であれば、侵入した時点ですべて殺して終わりであったぞ』
「でも、それをずっとやってた結果が今の状況なんでしょ?」
『貴様は一言多い!』
「冗談だって」
半分くらいは本気だけど。
「皇牙様は、あまり勝ったという感じがいたしませんのね」
詩乃が不思議そうに俺を見る。
「いや十分に満足してるよ。今回はね」
俺は研究施設に残された資料へ視線を向けた。
依織を兵器として扱っていた研究。
人間へ人工的な処置を施し、能力出力や攻撃性を引き上げた【凶行者】。
そして、その技術の中にはアスモダイが天使由来だと断言したものまで含まれていた。
人間と天使がどこまで一緒に動いているのかは、まだ分からない。でも少なくとも、これで終わりではないだろう。
「今回の連中は、この場所への入り方を知ってた。それに普通の能力者を改造して、あそこまで戦えるようにしてる」
「……同じように、また来ますか?」
依織が不安そうに聞く。
「来ると思って準備した方がいいだろうね。ただ今回の結果が向こうへ伝われば、次は同じやり方じゃないかもしれないけど」
相手だって馬鹿じゃない。
一度失敗すれば、次は原因を調べる。
こちらの能力を知れば対策する。
それは異世界でも何度も経験した。
「でしたら、まず先に迷宮管理局を調べた方がいいでしょうね」
詩乃がさらりと言う。
「これほどの研究施設ですもの。少なくとも新宿支部の人間が一切関与していないとは考えにくいでしょう?」
「そこは俺も調べたい。でも、いきなり管理局全部を敵にするのは嫌だな」
「と言いつつ皇牙様なら、戦えない相手ではないでしょう?」
「戦えるかどうかと、戦うべきかは別だよ」
新宿だけでも管理局には大勢の人間がいる。
受付の職員から現場の探索者、研究者、上層部まで、全員がこの施設や天使について知っているとは思えない。
「敵が誰なのか分からないのに、巨大な組織を丸ごと殴るなんて怖いよ」
「……皇牙様が怖いとおっしゃいますと、少々説得力に欠けますわね」
「俺、結構臆病者だよ?」
詩乃は昔から俺を知っているだけに、納得していない顔だった。
まあ、この話はもう少し相手の正体を掴んでからでいい。
「それより依織」
「は、はい」
急に名前を呼ばれたせいか、小さな身体がぴくりと跳ねた。
「依織はこれからどうしたい?」
「これから……」
「ここへ残るのは危ないし、管理局へそのまま渡すのも怖い。家に戻っても、また回収しに来る可能性がある」
研究施設の人間たちにとって、依織は対悪魔兵器だった。
今回わざわざ【凶行者】を送り込んできた以上、簡単に諦めるとは思えない。
「だから、依織自身が決めていいよ」
依織はしばらく黙っていた。
赤紫色の瞳が俺と詩乃の間を何度か行き来する。
そして胸元で両手を握ると、少し緊張した様子で顔を上げた。
「……皇牙さんのところに、いてもいいですか?」
「いいよ」
「えっ」
「どうしたの?」
「もっと考えるのかと……」
「嫌なら断るけど」
「嫌じゃないです!」
思ったより大きな声が研究室に響いた。
依織自身も驚いたらしく、慌てて口元を押さえる。
「その……むしろ、ここにいたいです」
「じゃあ決まりだね、歓迎するよ依織」
あっさりしていると依織は言うけれど、俺としては使える駒が多いに越したことはないからね。
まあ、本人には内緒だけど、
命を助けた礼ということで、ありがたく使わせてもらおう。
「皇牙様」
隣から妙に静かな声がした。
「はい」
「念のため申し上げておきますけれど、新しい女性を拾ってくることまでダンジョン経営ではございませんからね?」
「でも依織って、ダンジョン防衛にかなり向いてるよ」
侵入者の能力や装備だけを【暴食無月】に食わせれば、生け捕りにも使える。
実際、今回それを証明してくれた。
「はぁ……そういうところですわ」
詩乃が呆れたように息を吐く。
「……私、役に立てるように頑張ります」
依織が小さく呟く。
「無理に役に立たなくてもいいよ」
「でも……皇牙さんのそばにいる理由が欲しいので」
「依織さん?」
「な、何でもありません!」
どうやら聞かなかったことにした方が平和らしい。
俺は意識をダンジョン全体へ向けた。
さて。
依織の問題がひとまず片付いたところで、今度は俺の問題だ。
「
「集計中です」
黒い猫耳を持つ小さなαが、空中へ情報を並べていく。
「隔壁、通路、モンスターに複数の損耗を確認。【虚素】消費量についても算出を進めています」
「いっぱい使ったよ!」
空中を飛ぶ
「キメラ作ったからね!」
「そこは自慢しなくていいかな」
「じゃあ、今度はもっと効率よく作ろう!」
大きなゴーグルを額に乗せた
「壁も罠もモンスターも、全部改造しちゃおうよ!」
「無計画な改造には反対します」
「もぅ、αは堅いんだから!」
「γが雑なのです」
三人のやり取りを聞きながら、今回の戦闘を思い返す。
侵入者には気づけた。
分断もできた。
モンスターも作れた。
でも実際には、そのほとんどを俺自身が判断して操作している。遠隔監視も、ずっと意識を向け続けなければならない。
「……やっぱり問題だらけだな」
「勝ったばかりですのに?」
「勝ったから分かったんだよ」
侵入者を自動で発見する仕組み。
一般の探索者と敵を区別する方法。
防衛区画。
罠。
モンスター配置。
【虚素】の消費と回収。
それだけじゃない。
一般探索者が危険すぎて来なくなったら、それも困る。
安全に休める場所や、潜る価値のある報酬、採取できる資源も必要になる。
「皇牙様……」
「何?」
「顔が楽しそうですわよ」
詩乃に指摘され、俺は自分でも気づいて笑った。
「こういうの、結構好きなんだよ」
敵が来るなら、次はもっと楽に勝てるようにすればいい。
俺がいちいち指示を出さなくても、このダンジョンそのものが侵入者を見つけ、分断し、対処できるようにする。
「本格的に作り直そうか。新宿ダンジョン」
『待て! いつから完全に貴様の迷宮になった!』
「それと天使の方も調べないとね」
アスモダイの抗議を無視して続ける。
「迷宮管理局の内部で、今回の件を知ってる人間と、知らない人間を分ける。研究資料も複製して、消されても困らないようにしておこう」
天使が敵なら、天使だけを敵にすればいい。
人間まで全部まとめて敵にする必要はない。
そのためにも、まずは足元からだ。
「よし。最初はこの家の戸締まりから始めようか」
「防衛計画の作成を開始します」
「モンスター増やしていい?」
「罠ならアタシに任せて!」
『だから勝手に話を進めるな!』
アスモダイの怒鳴り声を聞きながら、俺は新宿ダンジョンの全体図を広げた。
さて。
どこから手をつけようかな。