数時間ぶりに地上へ戻ると、太陽の光が妙に眩しく感じた。
研究施設を見つけ、依織と出会い、【
けれど、新宿迷宮管理局へ戻ってみれば、俺はまだ今朝登録されたばかりのGランク新人探索者だった。
「
笑顔の受付職員が探索者証と端末の情報を見比べる。
「無事に初探索から帰還できましたね! お疲れ様です!!」
「ありがとうございます。お姉さんのアドバイス通り、無茶せず戻ってきました」
「えへへ、偉いです! 私も嬉しいですよ~!」
受付職員は、まるで自分のことのように喜んでくれた。
異世界を救ったことも、アスモダイを取り込んだことも、新宿ダンジョンの管理者になったことも、当然ここには書かれていない。
そこにいるのは、【解析】しか使えない新人探索者の天御門皇牙だけだ。
『随分と楽しそうではないか』
(便利だからね、この立場)
頭の中でアスモダイへ答えながら、隣を見る。
詩乃は長い黒髪をきれいに整え直し、いつもの落ち着いた姿へ戻っていた。ついさっきまで【凶行者】と戦っていたようにはとても見えない。
「それでは、お気をつけてお帰りください」
「あ、そういえば、局の方から顔を出すように言われているんですけど……」
「え? ――あ、本当ですね。えっと、それではこちらへどうぞ」
そうして案内されたのは、白い壁に机と椅子だけが置かれた小さな応接室だった。
事情聴取という言葉ほど物々しい雰囲気ではない。
俺と詩乃が並んで座ると、向かいに二人の職員が腰を下ろした。
「まず、通信が途絶えた場所について確認させてください」
質問は予想していた範囲だった。
どこで通信が切れたのか。
地図と違う通路を見たのか。
どんなモンスターに遭遇したのか。
どうやって戻ったのか。
「通路を進んでいる途中で壁が閉じました。その後は端末も使えなくなっています」
「壁が閉じた?」
「はい。ただ、迷宮変動なのか別の原因なのかまでは、俺の【解析】では分かりませんでした」
嘘ではない。
俺は原因を知らなかった時点の話をしているだけだ。
「西園寺さんも同じ認識ですか?」
「ええ。わたくしも、皇牙様と共に突然地図から外れた区域へ入りましたわ」
詩乃の返答にも迷いはない。
事前に細かく口裏合わせをしたわけではない。それでも俺が何を隠すつもりなのか、詩乃は理解してくれている。
こういうところは昔から助かる。
質問が続く間、俺は職員たちの様子を見ていた。
能力を使う必要もない。
研究施設に関係しそうな話になるたび、質問する二人は資料を確認している。本当に情報を持っていない人間の反応だ。
途中、別の職員が部屋へ入ってきた。
「失礼します。救助担当の者です」
制服姿の職員は俺たちの前まで来ると、深く頭を下げた。
「今回、通信途絶を確認してから現場へ向かいましたが、地形変動が激しく、お二人を発見できませんでした。申し訳ありません」
「いえ、生きて戻れたので大丈夫ですよ」
俺が答えると、職員は少しだけ安堵した顔をした。
少なくとも、この人は俺たちを殺そうとしていた側ではない。
その後も地図管理や迷宮変動の担当者が資料を持って出入りしたが、似たようなものだった。
みんな普通に仕事をしている。
普通に困惑している。
普通に、俺たちが無事だったことを喜んでいる。
研究施設で人間を兵器へ作り変えていた連中と、同じ組織の人間には見えなかった。
しばらくすると、詩乃が俺の方へわずかに身体を寄せた。
「皇牙様」
「うん?」
「この方々まで、あの施設について知っていたようには思えませんわ」
声を潜めている。
「俺も同意見」
「……では、やはり管理局そのものが敵というわけではないのですね」
「だから面倒なんだよね」
制服が同じだから敵。
そんな単純な相手なら楽だった。
巨大な組織には色々な人間がいる。
知っていて協力する人間。
利用されている人間。
何も知らない人間。
それどころか、知らないまま本気で人を救おうとしている人間までいる。
「失礼します」
再び扉が開いた。
今度に入ってきたのは、これまでの職員とは少し雰囲気が違った。
細身の眼鏡を掛け、手には薄い資料端末だけを持っている。胸元の所属表示には、内部監査を示す文字があった。
「少しだけ、私から確認しても構いませんか?」
「どうぞ」
職員は俺の向かいへ座ると、最初の質問から別方向へ切り込んできた。
「封鎖区域周辺で、管理局職員以外の人間を見ませんでしたか?」
へえ。
「管理局職員以外、ですか?」
「はい。探索者でも構いません」
「何人か人とは会いました。ただ、所属までは分かりませんでした」
「その中に、明らかに通常の探索者とは異なる装備をしていた者は?」
「どうでしょう。俺は新人なので、装備を見ただけでは判断できません」
相手の目がわずかに細くなる。
「最近、新宿ダンジョンで行方不明になった探索者について何か聞いたことは?」
「いいえ」
「封鎖区域へ、人員や物資が定期的に運び込まれているところを見たことは?」
「ありません」
なるほど。
この人は研究施設で起きたことについて、ある程度知っていそうだ。
だけど依織の行方を知らないから探している。
誰か協力者がいるかもしれない。
そこまでは自力で辿り着いているらしい。
俺が相手を観察していると、向こうも俺の顔をじっと見ていた。
「何か?」
「いえ。随分と落ち着いていらっしゃるので」
「そうですか?」
「初探索で地図外区域へ迷い込み、通信まで途絶えた方には見えません」
俺は笑う。
「怖かったですよ、死ぬかと思いました」
「そうは見えませんが」
「顔に出にくいんです」
詩乃が横で口元を押さえた。
「西園寺さん?」
「申し訳ございません。子供の頃からムスッとしていた皇牙様の顔を思い出してしまいましたの」
……余計な援護が入った気がする。
それ以上、内部監査の職員は踏み込まなかった。
事情聴取を終えて管理局の外へ出ると、空は夕方の色へ変わり始めていた。
今朝、ここで探索者証を受け取った時とは、同じ場所とは思えないくらい一日の密度が違う。
「皇牙様」
「何?」
「もし皇牙様が本当にお望みでしたら……あの建物そのものを制圧することも可能なのでしょう?」
詩乃が振り返る。
ガラス張りの管理局庁舎では、大勢の職員が今も働いていた。
「んー、まぁ。できるかもしれないね」
「でしたら、なぜなさらないのです?」
「やった瞬間、受付の人も救助隊も技術者も全員敵になるから」
詩乃が黙って続きを待つ。
「警察も行政も探索者も動く。そのうち軍や研究機関まで出てくるかもしれない。俺一人を倒せなくても、今度はどうすれば倒せるか考え始める」
「皇牙様でも、人間をそこまで警戒なさるのですね」
「人間全部を敵にするほど、俺は血気盛んじゃないよ」
俺がそう言うと、詩乃は少し不思議そうに俺を見た。
「昔から皇牙様は、喧嘩そのものを避ける方でしたわね」
「嫌いだからね。面倒だし」
「勝てないから避けていらしたわけではございませんでしたけれど」
詩乃が柔らかく笑う。
そう言われると、なんとなく照れくさい。
「やっぱり詩乃には隠し事しにくいな」
「今さらお気づきになりましたの?」
詩乃が嬉しそうに俺の腕へ寄った、その時だった。
「天御門さん」
背後から声を掛けられた。
振り返ると、さっきの内部監査の職員が立っている。
俺たちの横を通り過ぎる瞬間、何かが手の中へ押し込まれた。
小さな紙片。
外部通信の接続先らしい数字だけが書かれている。
そして、俺にだけ聞こえる声で言った。
「今日ここで話したことを、支局長へ直接報告しないでください」
それだけだった。
相手は振り返らず、管理局の中へ戻っていく。
俺は紙片を指先で弄びながら、その背中を見送った。
「皇牙様?」
「いや」
紙片をポケットへ入れる。
「少しだけ、味方にできるかもしれない人を見つけたかも」
敵を見つけるより、そっちの方がずっとありがたい。
「今日はもう帰ろうか」
「まあ。ようやくお帰りになる気になりましたのね」
「初探索で朝から夕方まで潜ることになるとは思ってなかったよ」
「わたくしもですわ。メイドの玲子さんも心配していらっしゃるのではなくて?」
「だろうね」
今朝送り出されたばかりなのに、地図外区域へ迷い込み、通信まで途絶えた。玲子なら表情には出さなくても、相当機嫌を悪くしているはずだ。
それに、依織の着替えや生活用品も用意しなければならない。
俺はもう一度、管理局の建物を振り返った。
敵はいる。
でも、敵ではない人間もいる。
なら全部まとめて殴る必要はない。
まずは家へ帰ろう。
今度は、地上側の足場も少しずつ整えていけばいい。