探索者証をしまってロビーへ向かうと、入口近くに見慣れた少女が立っていた。
腰まで伸びた艶のある黒髪に、紫がかった黒い瞳。白を基調にした探索服は和装を思わせる意匠が入り、周囲の武骨な装備をした探索者たちの中でも目を引いている。
西園寺詩乃。
俺と同い年の幼馴染であり、両家から婚約者候補として扱われている少女だ。
「皇牙様、お疲れさまでした。もう少しかかると思っておりましたけれど、ずいぶん早かったのですね」
俺を見つけると、他人に向けていた上品な表情が少しだけ柔らかくなった。
「待たせなくてよかったよ。詩乃の方こそ、ずいぶん早く来てたんじゃない?」
「今日は皇牙様が初めてダンジョンへ入られる日ですもの。遅れてから慌てるくらいでしたら、早く来る方がよろしいでしょう?」
「相変わらず真面目だね。玲子にも聞かせてあげたいな」
「玲子さんが時間に遅れるとは思えませんけれど?」
「まあ、普段はね」
今朝の姿を思い出したが、説明する必要はないだろう。
詩乃が不思議そうに首を傾げていると、近くにいた新人探索者たちの声が聞こえてきた。
「あれ、西園寺詩乃じゃないか? 十八歳でDランク探索者になったっていう」
「能力も超レアな第二等級の能力持ちだろ。天御門の家が護衛に雇ったのか?」
「そりゃ
「だよな、婚約者とか言ってたが冗談に決まってる……!!」
詩乃の眉がわずかに動いた。
「どうやら僕の護衛だと思われてるみたいだけど、今日はそういうことでいいの?」
「よくありません。わたくしは皇牙様と一緒に探索するために来たのです。もちろん危険があれば前には出ますけれど……護衛は不要でしょう?」
戦うすべはないと言っているのに、意味ありげな言葉を投げかけてくる。
勘が鋭いな、俺が何かを隠していると察しているらしい。
「親の決めた婚約者候補だからといって、自分の身を危険に晒す必要はないんだよ?」
「……皇牙様は、本当にそう思っているのですか?」
詩乃がじっと俺を見る。
「本心に決まってるじゃないか。君の綺麗な顔に傷でも付いたらどうする」
「……そういう意味ではありませんわ」
詩乃は小さく息を吐き、わずかに視線を逸らした。
「わたくしが婚約を望んだという話をしているのですけれど……まぁいいでしょう。雑談は帰ってからゆっくりいたしましょう」
詩乃は不満げにため息をついた。
「ですので、ダンジョンの探索はさっさと済ませましょうね?」
「だから俺は新人だって言ってるんだけどなぁ」
「皇牙様なら、ちょちょいのちょいですわよ」
幼い頃から付き合いが長いだけあって、俺が世間で言われているほど単純な《解析》能力者ではないと、彼女はなんとなく察している。
ただし、どこまで知っているかと言えば、おそらく何も知らないに等しい。
それでいい。
俺自身、
同行手続きを終え、俺たちは新宿ダンジョンへ続く地下通路を歩く。
「皇牙様が探索者になられる日を、わたくしはずっと楽しみにしておりました。てっきり大学では能力研究の方へ進まれると思っていましたけれど」
「研究するにしても、自分で見た方が早いからね。それに、知らないものを他人から聞くだけで済ませるのは昔から好きじゃないんだ」
「ええ。それはよく存じております」
詩乃は何気なく答えた。
その言葉に、少しだけ懐かしくなる。
彼女の知らない時間を、俺は長く生きてきた。
数か月前まで、俺はこの日本どころか、地球にさえいなかった。
高校在学中、ある出来事をきっかけに別の世界へ飛ばされたからだ。
地球で経過した時間は短い。
だが向こうでは、もっと長い年月を過ごした。
魔法が存在し、地球とはまったく異なる生物や国があり、人間同士の戦争だけでは済まない世界だった。
何度も死にかけた。
それでも生き残り、戦い続けた。
そして最後には、あの世界を滅ぼそうとしていた存在を倒し、俺は元の世界へ帰ってきた。
向こうで世界を救うまで戦えた理由の一つが、《解析》だった。
いや、正確には違う。
《解析》は俺の力のほんの一部でしかない。
異世界で俺が使いこなした力、《データ化》。
対象を解析し、その仕組みを自分の中へ取り込み、使える形にする。
炎を見れば炎を。
防御魔法を見れば防御魔法を。
必要なら複数の魔法を組み合わせ、自分にとって使いやすい形へ変える。
それを繰り返した結果、帰還する頃には、俺の中には異世界で手に入れた大量の魔法が残っていた。
もちろん、そんなことを現代日本で公表するつもりはない。
十八歳。
高校を卒業したばかり。
第五等級《解析》を持つ、戦闘には向かない新人探索者。
今の俺は、それで十分だ。
「皇牙様、中へ入りましたら、しばらくはわたくしの近くにいてくださいませ。初級区域でもモンスターは出ますし、実戦経験がないうちは油断なさらない方がいいですわ」
巨大な隔壁の前で、詩乃が長い髪を邪魔にならないようまとめ直した。
「分かったよ。今日は詩乃に任せるから、好きに戦ってくれていい」
「任せてくださいませ。皇牙様に初めてお見せするのですから、わたくしも少しくらい格好をつけたいですもの」
「それは楽しみだな。《言実化》を実戦で見るのは僕も初めてだし、今日はちゃんと見せてもらうよ」
詩乃の固有能力、《言実化》。
詳しい性質までは俺も知らない。
だから興味がある。
地球の能力は異世界の魔法と同じように解析できるのか。
できるなら、《データ化》でどこまで取り込めるのか。
それに、わざわざ異世界の魔法を使わなくても、《解析》しかできない新人としてどこまで遊べるのか。
確かめたいことはいくらでもある。
「それでは、行きましょうか。皇牙様」
「うん。久しぶりに面白くなりそうだ」
隔壁が開く。
その先には、東京の地下とは思えない石造りの迷宮が続いていた。
異世界を救って帰ってきた俺が、今度は新人探索者として現代のダンジョンへ潜る。
世間には、まだ《解析》しか見せるつもりはない。
それでも十分だろう。
まずはこの世界が、俺をどこまで楽しませてくれるのか。
確かめてみよう。