「お帰りなさいませ、皇牙様」
天御門家の屋敷へ戻った俺を出迎えた玲子は、いつも通り完璧だった。
黒髪はきっちりまとめられ、銀縁眼鏡の奥の目も冷静。皺ひとつない黒いスーツ姿で頭を下げる様子だけ見れば、朝に俺を送り出した時と何も変わっていない。
「ただいま、玲子」
「随分と長い初探索でしたね」
声も穏やかだった。
ただし、目が笑っていない。
「色々あったんだよ」
「そのようですね。初探索へ出たと思えば通信が途絶し、迷宮管理局からは救助対象として扱われ、ようやく帰還したとの連絡が入ったと思えば、そのまま事情聴取。随分と充実した一日を過ごされたようで」
「怒ってる?」
「いいえ」
「怒ってるね」
「いいえ」
これは怒っている。間違いない。
俺が靴を脱いで屋敷へ上がると、玲子はすぐ後ろについてきた。
「お怪我は?」
「ないよ」
「本当にですか?」
「脱いで見せようか?」
「そういう冗談で誤魔化されると思わないでください」
そう言ったわりに、一瞬だけ玲子の視線が俺の胸元へ落ちた。
分かりやすい。
「じゃあ部屋で確認してもらおうかな」
「……皇牙様」
「怪我してないか心配なんだろ?」
「ええ。それが”私のつとめ”ですので」
玲子は真顔のまま答えた。
付き合いが長いと、この程度のやり取りでお互い何を考えているのか大体分かる。
自室へ戻り、扉が閉まる。
俺が上着を脱ぐと、玲子は何も言わずに近づいてきた。
胸元。
腕。
背中。
指先で確かめるように身体を触っていく。
「本当に傷はありませんね」
「だからそう言っただろ?」
「皇牙様は昔から、自分にとって大したことではない怪我を怪我として数えませんので」
玲子の手が止まった。
「……本当に、ご無事でよかったです」
仕事中の硬い声ではなかった。
俺は玲子の腰へ腕を回して引き寄せる。
「心配かけてごめんね?」
「はい……」
今度は否定しない。
「朝、送り出した時には……夕方まで連絡がつかなくなるとは思っておりませんでしたから」
「悪かったよ」
「でしたら、少しくらい反省してください」
「してる」
「その顔で言われましても」
玲子の眼鏡を外して机へ置く。
普段は隠されている目元が露わになり、彼女の表情が少しだけ頼りなく見えた。
「皇牙様……」
「玲子」
名前を呼ぶと、それだけで玲子の抵抗がなくなる。
唇を重ねる。
最初は確認する程度だった口づけが、すぐに深くなった。
玲子の腕が俺の首へ回る。
朝まで同じベッドにいた相手なのに、まるで何日も会っていなかったみたいな抱きつき方だった。
「心配させた罰でも受けようか?」
「でしたら……今夜は、わたくしの言うことを聞いていただきます」
「それ、罰になってる?」
「皇牙様」
「分かった、分かった」
けれど玲子が主導権を握れたのは、最初だけだった。
ベッドへ押し倒すと、玲子の強気な態度はすぐに崩れる。
「ま、待ってください。先ほど、わたくしの言うことを聞くと……」
「聞いたよ」
「でしたら――」
「玲子が俺に会えなくて寂しかったって話なら」
「そのようなことは申し上げておりませんっ」
「じゃあ違う?」
「…………」
黙った。
俺が笑うと、玲子は悔しそうに唇を噛む。
こういう顔を見ると、つい意地悪したくなる。
「朝もしたのに、そんなに俺が欲しいの?」
「皇牙様がお戻りになるか分からない状況だったのです。同じではありません」
「じゃあ、もっと安心させないとな」
「そういう意味では――んっ……」
その先の抗議は口づけで塞いだ。
しばらくして。
俺のシャツは床に落ち、玲子のブラウスもかなり乱れていた。
玲子が俺の胸へ顔を埋め、息を整えている。
「……皇牙様」
「何?」
「今度、連絡が途絶えるような場所へ行かれる際は、事前にお知らせください」
「できるならね」
「できなくてもしてください」
「無茶言うなあ」
その時。
ガチャリ。
扉が開いた。
「皇牙、帰ってるって聞いたけど――」
声と同時に、一人の女性が部屋へ入ってくる。
肩まで流した艶のある黒髪。細身ながら鍛えられた身体に、帰宅したばかりなのか探索者用のジャケットを羽織っている。
俺の姉、
二十四歳。
現役の探索者だ。
紫苑姉さんはベッドの上の俺と玲子を見た。
数秒の沈黙。
「……せめて鍵くらい掛けなさい」
「姉さんがノックすればいいんじゃない?」
「自分の家で弟の情事に警戒しながら扉を開けたくないのよ」
「し、紫苑様……!」
慌てて身体を隠している玲子の方が、俺よりよほど焦っている。そして最悪なことに、紫苑姉さんの背後からもう一つ顔が覗いた。
「何してるの、姉さ――」
俺と同じ黒髪を肩口で切り揃えた少女が固まる。
天御門
俺とは双子で、一応俺の方が兄だ。
雛菊も探索者として登録している。
「……また玲子さんとエッチなことしてる!?」
「また、とは失礼ですね」
「だって朝も一緒だったでしょ!? っていうか兄さん、今日ずっとダンジョン行ってたんじゃないの!?」
「行ってたよ」
「帰ってきて最初にすることがそれ!?」
「無事を確認してもらってた」
「どこの怪我を確認したらそんなことになるの!?」
もっともな疑問だった。
「婚約者の詩乃さんに言いつけてやるからね!」
「詩乃なら俺と一緒にダンジョンへ行ってたよ」
「そこじゃない!」
紫苑姉さんがため息をつきながら、雛菊の頭を軽く叩いた。
「その話は後にしなさい。それより皇牙、初探索で行方不明になったと聞いたわよ」
「行方不明というほどじゃないよ。通信が切れただけ」
「管理局の救助班が出た時点で十分、おおごとよ」
紫苑姉さんの声が少し低くなる。
「第五等級だからって焦る必要はないんだから。危険な区域へ行く時は私を呼びなさい」
「姉さんを?」
「何よ、その顔」
「いや。頼もしいなと思って」
「当たり前でしょう。あなたより何年探索者をやってると思ってるの?」
「じゃあ、本当に困ったらお願いするよ」
それは嘘ではない。
俺一人で全部解決する必要なんてない。
使える力が身近にあるなら、必要な時に借りればいい。
「ところで玲子」
「は、はい」
ようやく服を整えた玲子が眼鏡を掛け直す。
「中学生くらいの女の子が着られる服って用意できる?」
「……依織?」
玲子が止まった。
雛菊も止まった。
紫苑姉さんまで俺を見る。
「身長百五十三くらい。かなり小柄なんだけど」
「兄さん」
「何?」
「なんでダンジョンから帰ってきた日に、知らない女の子の服が必要なの?」
「新しく一人、ダンジョンで拾ったから」
三人の声が綺麗に重なった。
「「「拾った?」」」
説明すると長くなる。
とりあえず今は、全裸でいる問題から片付けよう。
今日はまだゆっくり休めなさそうだ。