翌朝。
俺は玲子に用意してもらった大きなバッグを片手に、詩乃と一緒に新宿ダンジョンへ入っていた。
(それにしても、昨日が初探索だったとは思えないくらい濃い一日だったな)
地図にない区画へ迷い込み、アスモダイを取り込み、研究施設を発見して依織と出会った。そのうえ最後には、九人の【
一晩眠っても、全部が昨日一日の出来事だったという実感が薄い。
「皇牙様、そのお荷物はすべて依織さんのお洋服ですの?」
「ん? あぁ、だけど服だけじゃないよ。洗面用品とか下着とか、玲子が必要そうなものを一通り入れてくれた」
「……女性用の下着まで皇牙様がお持ちになっているのですね」
「俺が選んだわけじゃないけど」
「そこは疑っておりませんわ」
なぜか最後だけ声が少し冷たかった。
研究施設へ着くと、白い検査着姿の依織が俺たちを見つけて駆け寄ってくる。
「皇牙さん!」
「おはよう、依織。約束してたもの、持ってきたよ」
「これ……全部ですか?」
「必要そうなものを玲子に選んでもらった。着替えも何種類か入ってるよ」
「わぁ、ありがとうございます!」
依織は大きなバッグを両手で抱え、そのまま奥の部屋へ向かった。
しばらくして戻ってきた時には、黒いパーカーとショートパンツへ着替えている。小柄な身体には少し余裕のあるサイズで、長めの袖から指先だけが覗いていた。
「……どう、ですか?」
「似合ってるよ。そっちの方が依織らしい」
「本当ですか?」
依織は嬉しそうに袖口を握った。
「皇牙さんが持ってきてくれた服、大切にします」
「選んだのは玲子だけどね」
「…………」
「あ」
「皇牙様」
詩乃が呆れたように俺を見る。
「今の一言は必要でしたの?」
「事実だから……って言い訳は無理があるか」
「女性との会話では、事実を正確に伝えることより大切なものもございますわ」
依織が明らかに落ち込んでしまった。
「じゃあ、次は俺が選ぶよ」
「本当ですか!?」
すぐに顔が上がる。
「だったら私、皇牙さんが好きな服を着てみたいです」
「俺が好きな服?」
「はい。その……皇牙さんが可愛いと思うような……」
「依織さん?」
詩乃が穏やかな笑顔で名前を呼ぶ。
「い、一般的な意味です!」
「何が一般的なのか、あとで詳しく伺いたいですわね」
昨日よりは打ち解けているようだし、仲が良いということにしておこう。
俺は二人から視線を外し、管理領域へ意識を向けた。
防衛を強化するには、とにかく【虚素】が大量にいる。
モンスターを作るにも、罠や設備を動かすにも必要だ。昨日のような襲撃が繰り返されることを考えれば、消費を抑えるだけでなく、安定して稼ぐ仕組みも用意しておきたい。
「今日は一つ、あることを試してみよう」
「何をなさいますの?」
「探索者が、自分から戦いたくなる場所を作る」
「自分から?」
「戦えば得をするようにするんだよ」
選んだのは、一般探索区域にある円形の広間だった。
広間自体には大きく手を加えず、中央へ石造りの台座だけを設置する。
「
「宝箱にする!?」
「台座のままでいいよ」
「じゃあ開く時に光らせる!」
「んー、まぁそれくらいならいいかな」
「やった!」
ゴーグルを額に乗せたγが嬉しそうに作業を始める。
「
「了解しました」
「
「いっぱい複写した方が喜ぶよ?」
「配りすぎたら赤字になるでしょ」
「ケチー!」
俺がやりたいのは慈善事業じゃない。
探索者に戦ってもらえば、身体活動や能力使用によって【虚素】が発生する。そこで回収する量が、報酬を用意するための消費量を上回ればいい。
『また人間へ餌を撒くのか』
(餌とは人聞きが悪い。報酬だって)
『言い換えただけであろう』
アスモダイの抗議を聞き流していると、三人組の探索者が広間へ入ってきた。
中央の台座を警戒していたものの、現れたのが見慣れた低級モンスターだと分かると戦闘を始める。
「よしよし、ここまでは順調だ」
能力が使われるたびに【虚素】が動き、その一部がこちらへ蓄積されていく。
そして五体目が倒れた瞬間、台座が淡く輝いた。
『おい、なんか開いたぞ!』
『魔石と素材……? 追加報酬ってことか?』
『もう五体倒してみようぜ!』
狙い通り、三人は帰らず戦闘を続けた。
「……楽しそう」
その様子を見ていた依織が呟く。
「依織もやってみたい?」
「戦うのは嫌いじゃないです。でも……それだけじゃなくて」
赤紫色の瞳が、相談しながら進む探索者たちを追っている。
「探索者になれば、どこへ行くかも、誰と戦うかも、自分たちで決められるんですよね」
「うん」
「それがなんだか、いいなって……」
「?? じゃあ、依織も探索者になれば?」
「私がですか?」
「資格を取って、自分で潜ればいい。能力なら十分すぎるくらいあるし」
依織は少し迷ったあと、俺を見上げる。
「その時は……皇牙さんと一緒に行けますか?」
「もちろん。予定が合えばね」
「でしたらその際には、わたくしも同行いたしますわ」
すぐに詩乃が加わった。
「三人で?」
「皇牙様と依織さんを二人きりにする理由がございませんもの」
「ただの探索だよ?」
「ええ。探索ですわよね」
笑顔なのに、なぜか念を押された。
そこへαから声が届く。
「
映像を確認すると、最初の三人がすでに十五体以上倒していた。それでも帰ろうとせず、台座の近くへ居座っている。
さらに別のパーティまで入ってきた。
『悪いけど、ここ俺たちが使ってるから』
『は? ダンジョンの広間を貸し切れるわけないだろ』
「なるほど。美味しすぎると独占するのか」
『ならば――』
「殺し合わせるのは却下」
『まだ何も言っておらぬ!』
「アスモダイの言いそうなことは、だいたいもう分かるよ」
問題は報酬そのものではなく、ここへ居続けるのが一番得になっていることだ。
「一組が受け取れる回数を一日三回までにしよう。それ以上倒しても台座は開かない」
「三回だけー?」
βが不満そうに頬を膨らませる。
「今日全部取らせる必要はないよ。また明日来てもらえばいい」
さらに報酬も固定しない。
魔石、素材、回復薬、装備品。
最低限の報酬は必ず出すが、内容には差をつける。ごく稀に少し価値の高い物も混ぜておけば、次は何が出るのかという楽しみも生まれる。
とかやっていると、γが勝手に台座へ光の演出を追加していた。
候補が次々と浮かび、最後に一つへ決まる。
「……なんだかパチンコみたいですわね」
「何が出るか最初から分かってるより楽しいだろ?」
「そのうえ三回まででしたら、良い物が出なくても『次こそは』と思ってしまいそうですわ」
「ふふ。そう、それが狙い」
毎日、少しだけ挑戦できる。
最低限は得をする。
運が良ければ、もっと良い物が手に入る。
同じ設備を何か所かへ分散させれば、一つの場所を占有する意味も薄くなる。
「まるで商売ですわね」
「商売だよ。こっちは【虚素】をもらって、向こうは報酬を持って帰る。お互い得なら何度でも続けられる」
『迷宮の主とは思えぬ発想だな』
(褒め言葉として受け取っておくよ)
そこでαが別の映像を表示した。
「
映ったのは、身体硬化能力を持つ【
人工的な笑いを浮かべながら、実際には戦うことを怖がっていた男だ。
目を覚ました彼は拘束された自分の身体を確かめ、やがて両手へ視線を落とす。
その指が震え始めた。
「……俺、また人を殺したのか?」
俺は映像を閉じ、立ち上がる。
「行こうか」
殺さずに残したのは、話を聞くためだ。
何をされたのか。
誰に命令されたのか。
今度は本人の口から聞かせてもらおう。