「……俺は、また人を殺したのか?」
拘束された男は、自分の両手を見つめたまま震えていた。
昨日、硬化させた拳でストーンエイプを殴りつけ、笑いながら「殺したい」と叫んでいた【
けれど今、その顔に笑みはない。
「何を覚えてる?」
俺が尋ねると、男はしばらく答えられなかった。
「分からない……戦っている途中から、頭がおかしくなるんだ。本当は怖いはずなのに、殴ってる時は楽しいって感じるようになって……」
「昨日もそうだったよ。君は笑ってたけど、手は震えてた」
「ちくしょう。どうして俺は、こんなことを……?」
「それを確かめるためにも、まずは何をされたのか聞かせて」
責めたところで情報が増えるわけじゃない。かといって、下手に慰めるつもりもなかった。
【解析】を使えば、客観的な情報は得られる。
それでも俺が知りたいのは、この男自身が何を見て、何を聞き、何を経験したのかだった。
「最初は……ただの仕事だった」
男は途切れながら話し始めた。
探索者向けの高額報酬案件。
一定期間の訓練と治験を受ければ能力を強化でき、成功すればまとまった金まで支払われる。
生活に困っていた男は、自分から応募したという。
「集合場所に行ったら、その場でスマホ端末を預けさせられた。車に乗せられて……途中から窓もないやつに変わった。着いた先じゃ名前も使われなくて……俺はずっと番号で呼ばれてた」
最初は身体検査。
次に薬を打たれ、能力を使わされる。
硬化できる範囲も時間も、少しずつ伸びていった。
「訓練相手も最初はモンスターだった。でも途中から人間になって……俺、怖くなって嫌だって言ったんだ」
男の指先が強く握られる。
「命令に逆らうと、身体が痛くて息もできなくなる。でも殴れば……気持ちいいんだ。怖いのに、もっとやりたくなる。途中から、自分が分からなくなった」
なるほど、そんな経緯があったのか。
「それで――」
俺は改めて男を見る。
「君はこのあと、どうしたい?」
「……どうって?」
「外から付け足されたものなら、外せる可能性があるんだけど」
男の顔が上がる。
「ただ、完全に元通りになる保証はない。それに俺が勝手に人格を作り替えるつもりもない。研究施設の連中が加えた部分だけを、可能な限り取り除くってだけ」
「ほ、本当か!? 戻れる可能性があるのか!??」
「やってみないと分からない」
男は長い間、自分の手を見つめていた。
やがて小さく息を吐く。
「……戻りたい」
声が震えている。
「普通に怖がって、普通に嫌だって思える人間に戻りたい。たとえ、可能性が低くても。自分が死ぬリスクがあっても」
「……分かった。じゃあ試してみよう。
三つの小さな光が現れた。
「まずα。現在の状態を全部【保存】。それから元からあった情報と、後付けされたものを分けて」
「了解しました」
黒い猫耳を揺らしたαの周囲へ、男から読み取った情報が次々と並ぶ。
「外部から処置されたと推定される情報群を分類しました」
「β。そっちだけ別に複写して切り離して」
「これだけこっちに移せばいいの?」
「うん。元からある部分にはなるべく触らないで」
「りょーかい!」
小さな角と尻尾を持つβが楽しそうに飛び回り、人工的に追加された情報だけを別領域へ移していく。
「最後、γ」
「任せて!」
ゴーグルを下ろしたγが待ってましたとばかりに前へ出る。
「強化された能力もったいないし、これは残しておく?」
「もちろん戻す。元の身体じゃ負担がかかるし、死んだら意味ないからね」
「じゃあ元の状態に合わせて組み直すね!」
【解析】で見分け、【保存】する。
【複写】で後付けされた情報だけを分離し、【構築】で残った情報を元の状態へ近づけていく。
男の身体が一度強く震え、やがて力が抜けた。
「……っ、う」
床へ吐きそうになりながら蹲る。
しばらくして、自分の手を何度も握った。
「な、なんだ? 今まで頭にかかっていたモヤが、急に晴れて……」
「どう? 今も暴れたい?」
「……嫌だ。もう、誰も殴りたくない」
「なら、たぶん成功だね」
『そこまでして人間一匹を残す意味があったのか?』
アスモダイが呆れたように言う。
(いや、単純に試してみたかっただけだよ)
『……は?』
(人間の能力を分離して、必要なものだけ残して、もう一度組み直す。モンスターを作る時にも、能力を付けたり外したりできるようになるかもしれないだろ?)
俺は男の状態を確認しながら、少しだけ興奮していた。
(これなら硬化能力だけ抜き出したり、別の性質と組み合わせたりできる。モンスターの改造にも使えそうだ)
『貴様、人間を使って実験したことを、よくもまあ楽しそうに語れるな』
(人間だから慎重にやったんだよ。モンスター相手なら、もっと気軽に試せる)
『そういう問題ではない』
(でも成功した。これで【データ化】の使い道が一つ増えた)
『……本当に呆れた奴だ』
(褒め言葉として受け取っておくよ)
アスモダイは、それ以上何も言わなかった。
「さ、無事に元へ戻れたことだし。あの人に連絡してみようかな」
◇
その日の午後。
昨日、管理局を出る際に俺は、内部監査の男性職員から連絡先を渡されていた。そこへ「会って話がしたい」とDMすると、管理局から少し離れた雑居ビルを指定された。
待っていたのは、細身の身体に眼鏡を掛けた男だった。
「改めて名乗っておきます。新宿迷宮管理局、内部監査室の
「
「もちろん。第五等級【解析】のGランク新人探索者として、ですが」
「そこまでご存じなら話が早い」
俺が笑うと、相良さんは眼鏡の奥から探るようにこちらを見た。
こちらが提出したのは【凶行者】本人の証言と、研究施設から抜き出した記録の一部。
相良さんから出てきたのは、消された探索者記録、用途の確認できない予算、封鎖区域へ密かに運び込まれていた人員と物資の情報だった。
「この五人……こちらの行方不明者記録と一致します」
「やっぱり」
「ですが私が確認した時点では、記録上は全員『自主的な探索者資格の失効』として処理されていました」
「誰かが消したってことですか?」
「少なくとも、通常の手続きではありません」
こちらで見つけた人間。
管理局から消えた人間。
別々だった情報が繋がった。
「一つ、聞いても?」
「どうぞ」
「
「全部は知りませんよ。だからあなたに会いに来たんです」
「では、支局長が関与している可能性については?」
「かなり高いと思ってます。でも今すぐ行動するつもりはない」
相良さんの表情が変わる。
「なぜです?」
「支局長を一人捕まえて終わるなら簡単です。でも今回の研究は、それだけじゃ済まないでしょう?」
施設。
人材。
予算。
被験者の募集と移送。
それらを何年も続けていたのなら、支局長一人だけで成立するはずがない。
「今ここで支局長を追及すれば、その上にいる連中は証拠を消して逃げるかもしれない。じゃあ俺が強引に解決を図ったら? その場合は『探索者が管理局を襲った』って事実だけが残る。それじゃあ俺に何のメリットもない」
「……だからあえて泳がせると?」
「そう。支局長が誰と繋がってるのか知りたいんです」
相良さんの眉間にわずかに皺が寄り、呆れたように息を吐いた。
「あなたはもっと、自分の力ですべて解決する人間だと思っていました」
「殴るだけで解決するなら楽なんですけどね」
「では何を目指しているんです?」
「んー、世界平和?」
そう言うと、相良さんがジト目になった。
酷いな、本心なのに。
その時、αから通信が入る。
【管理者権限】がある間は、ダンジョンの外にいても、α・β・γとだけは念話に近い形で会話できる。三人の姿を直接呼び出すことはできないが、意識を繋いでおけば、距離に関係なく声を届けられるのだ。
「
「どんな?」
「本来なら
「……なんでそんなことに?」
「
人間社会の方では、ようやく敵と味方を分け始めたばかりだ。
どうやら今度は、新宿ダンジョンにも同じことを教えないといけないらしい。