『行く必要などない』
横浜ダンジョンの悪魔、フォルネウスとの通信が切れてから、アスモダイはずっと不機嫌だった。
俺は送られてきた情報を【解析】しながら、その声を聞き流す。
最初は横浜ダンジョンの位置でも送られてきたのかと思ったが、そんな単純なものではない。
内部の全体的なマップまである。
オマケに休憩できそうなポイントから、出現するモンスターの簡易説明まで。
「随分とご丁寧な地図だな。なるほど、参考になる」
管理局でもらえる地図が完成度30%とするなら、これは80%くらいある。これをポンとくれるとは、フォルネウスも随分と太っ腹だなぁ。
「ダンジョンへの招待状みたいなものか」
『罠の間違いであろう』
「その可能性もあるね」
『ならば行くな!』
頭の中では、長い黒髪に褐色の肌をしたアスモダイが腕を組み、露骨に顔をしかめている。
「でも、フォルネウスは天使について何か知ってるんだろ?」
『知っているから信用できるとは限らぬ!』
「だから直接会って確かめるんだよ。それとも、そんなに俺のことが心配?」
アスモダイが黙った。
あの悪魔が嘘をついている可能性もあるし、俺を利用するつもりかもしれない。
それでも、アスモダイとは違う立場から天使を知る相手と接触できる機会を、何もせず捨てる方がもったいない。
「
「はい、
呼びかけると、黒い猫耳を持つ小さな少女が俺の前へ姿を現した。
「少し新宿を留守にする。その間の監視をお願い」
「了解しました。一般区域、防衛区域、研究施設周辺を優先して監視します」
「
「はーい!」
小さな角と尻尾を持つβが元気よく手を挙げる。
「
「改良もしていい?」
「俺がいない間は駄目」
「えー!」
大きなゴーグルを額へ乗せたγが頬を膨らませた。
「新しい機能を試して、帰ってきたらダンジョンの形が変わってました、とか嫌だからね」
「ちょっとしか変えないよ?」
「その『ちょっと』が信用できない」
γは不満そうだったが、最後には渋々頷いた。
昨日までなら、新宿ダンジョンを空けるという選択肢自体がなかった。
けれど今は違う。
侵入者は行動に応じて監視、誘導、警告、拘束、迎撃へ振り分けられるし、俺が一つずつ命令しなくても三人が動ける。
「もし想定してない異常が起きたら、無理に勝とうとしなくていい。侵入者を深部へ近づけないよう時間を稼いで、俺へ連絡して」
「撃退を最優先とはしないのですね」
「うん。留守番中にキミらが全滅されたら意味がないから」
「承知しました」
αが真面目に頷いた。
これで新宿側の準備はいい。
「さて。あとは誰を連れていくかだけど」
「わたくしは準備できておりますわ」
振り返ると、詩乃が当然のように立っていた。
「まだ何も聞いてないよ?」
「皇牙様がお一人で向かわれるはずがございませんもの」
腰まで届く黒髪を整え、探索用の装備まで身につけている。
「まぁ詩乃は誘わなくても来ると思ってた」
「よくお分かりで」
満足そうに微笑まれた。
そこへ、少し離れたところから依織も近づいてくる。
研究施設の検査着ではなく、動きやすい黒のパーカーにショートパンツ姿だ。小柄な身体に最低限の荷物をまとめ、どうやら彼女も準備をしていたらしい。
「依織も来る?」
「……いいんですか?」
「本人が行きたいなら」
依織は一度俺を見上げてから、胸元で両手を合わせた。
「行きたいです。知らないダンジョンも見てみたいし……皇牙さんと一緒に横浜に行きたいので」
「そっか。じゃあ一緒に行こう」
「はい!!」
表情がぱっと明るくなる。
「わたくしも皇牙様とご一緒できるので楽しみですわ」
すぐ横から詩乃の声が入った。
依織がそちらを見る。
「詩乃さんも、それ言います?」
「いけませんの?」
「いけなくはないですけど……」
「なら問題ございませんわね」
上品に微笑む詩乃に、依織は小さく唇を尖らせた。
本人たちは張り合っているつもりなのだろうけど、俺としては二人とも来てくれるならありがたい。
『貴様、女連れで敵地へ遊びに行くつもりではあるまいな』
(詩乃も依織も普通の護衛より強いよ)
『そういう意味ではない!』
何が不満なのかはよく分からなかった。
◆
横浜ダンジョンへ入って、最初に感じたのは湿気だった。
新宿より空気が軽くて過ごしやすい。
石造りの通路の脇には細い水路が走り、その水がさらに下層へ流れ落ちている。壁には青白く発光する鉱物が点々と露出し、照明が少ない場所でも足元が見えた。
少し進むと、通路の一部は膝の高さまで水に沈んでいる。
「新宿と全然違いますね」
依織が水面を覗き込む。
「管理者が違えば、ここまで変わるんだ」
俺も周囲を【解析】したくなるのを少し我慢して歩く。
何より意外だったのは、人の多さだ。
前方では四人組の探索者が水中から何かを採取しているし、別の一団は濡れた装備を休憩場所で乾かしている。
「ここ……悪魔が管理してるんですよね?」
「そのはずなんだけどね。彼ら、まるで潮干狩りしにきてるみたいだ」
「もっと危ない場所を想像してました」
「わたくしもですわ」
詩乃も周囲を見回している。
外から見れば、普通のダンジョンにしか見えない。
それどころか探索者がこれだけ集まっているなら、かなり人気があるのかもしれない。
『ようこそ』
突然、頭の中へ低い声が響いた。
『アスモダイを取り込んだ人間』
『貴様! その呼び方を続けるつもりか!』
アスモダイが即座に怒鳴る。
「着いたよ。どこへ行けばいい?」
『我のところまで来てみせろ』
その声と同時に、【管理者権限】を通じて新しい情報が流れ込んできた。
通常の探索者用地図には存在しない通路。
俺たちが立っている場所から、さらに深部へ続く経路だ。
「これか」
入口はすぐ近くにある。
水路の向こう側。
何の変哲もない岩壁だと思っていた場所に、俺にだけ薄く道筋が見えていた。
足を向けようとした瞬間、アスモダイが低い声で止める。
『待て』
「どうしたの?」
『罠かも知らぬ』
さっきまで怒っていた声から、わずかにふざけた調子が消えている。
『以前のフォルネウスなら、そのような隠し通路など、小細工はしなかった』
俺は改めて、岩壁の先へ続く情報を【解析】した。
フォルネウスがわざわざ俺たちのために用意した道らしい。
「なるほど」
歓迎だけで済ませる気はないようだ。
「面白くなってきたね」
『だから喜ぶな、人間!!』