「じゃあ、対価が一つ足りないね」
拾い上げた端末を指先で軽く振ると、フォルネウスはすぐには答えなかった。
『何を望む』
「まず説明かな。どうして人間がここまで入ってきたのか。それを知ってたのに、なんで黙ってたのか」
『我と取引していたからだ』
意外なほどあっさりと答えが返ってくる。
「人間と?」
『数年前からな』
『だから信用するなと言ったであろう!』
アスモダイがここぞとばかりに声を上げた。
『悪魔が人間と密かに通じるなど、ろくな理由ではない!』
「アスモダイも俺とは話してるけど」
『貴様は勝手に我を取り込んだのであろうが!』
それは確かにそうだった。
「それで、何を取引してたの?」
『我が横浜で得られる資源の一部を渡し、代わりに地上の情報を受け取っていた』
「地上の情報って?」
『探索者制度の変更、管理局内部の動向、各地のダンジョンで発生した異常、人間どもの研究。地上へ自由に出られぬ我には、それなりの価値がある』
悪魔だから人間と敵対する。
そんな単純な話ではなかったらしい。
「人間と普通に取引してるんだ」
『普通かどうかは知らぬ。互いに必要なものを交換していただけだ』
「その人たちは、横浜が悪魔に管理されてるって知ってた?」
『当然だ。知らずに我と交渉できるものか』
つまり人間側にも、悪魔の存在を知りながら取引していた者がいる。
新宿で見てきた管理局とは、また別の繋がりだ。
「横浜って探索者が多いですよね」
依織が周囲を見ながら尋ねた。
「フォルネウスは、人間を殺さないんですか?」
『殺す必要があれば殺す』
返答は冷たい。
『だが、人間を殺して得られる【虚素】は一度きりだ。生かして働かせれば、何十年も利益を運んでくる』
「……利益」
『探索者は勝手に入り、戦い、能力を使い、【虚素】を落としていく。そのうえ資源を持ち帰れば、次も来る。仲間まで連れてな』
俺は少し前に自分が考えていたことを思い出した。
というか、俺とかなり近い。
探索者を殺して一度に稼ぐより、生きて帰して何度も来てもらう。
だから安全地帯を作った。
報酬を用意した。
違うのは、その理由だ。
「人間を守りたいわけじゃないんだね」
『なぜ我が人間を守らねばならん』
「ですよね」
依織が複雑そうな顔になる。
フォルネウスにとって探索者は、大事なお客というより、長く利益を生む資源なのだろう。
「考え方は嫌いだけど、運営は参考になるな」
『貴様、私を褒めているのか貶しているのかどちらだ』
「両方かな」
『我ならば褒められているとは受け取らぬぞ』
アスモダイまで口を挟んでくる。
「でも結果だけ見れば、探索者にとっても悪くないですわね」
詩乃が静かに言った。
「危険を避ければ生還しやすく、採取できる資源もある。フォルネウスに慈悲がなくとも、人間側にも利益はございます」
「そうなんだよね」
善人でなくても、利害が一致していれば共存できる。
少なくとも今の横浜は、それで回っているらしい。
「じゃあ、その取引相手がここへ天使の残滓を持ち込んだ?」
『断定はできぬ』
フォルネウスの声が少し低くなる。
『最初の数年、取引に問題はなかった。しかし途中から、連中が持ち込む物が変わった』
「どう変わったの?」
『我の知らぬ術式。悪魔の管理情報へ干渉する器具。そして、以前の人間では扱えなかったはずの技術だ』
「天使からもらった?」
『今回はその可能性を疑った』
フォルネウスはその取引を打ち切ろうとした。
直後、この深部に白い構造物が発生し始めたという。だから俺に救援を求めた、と。
『初めは小さな異常だった。だが我が排除しようとするほど侵食が強まり、現在に至る』
「ずいぶん都合のいい被害者みたいに聞こえるね」
詩乃がちらりと俺を見る。
依織も黙っている。
『疑うなら好きにしろ』
「そうするよ」
フォルネウスが嘘をついている可能性は残っている。
取引相手を利用していたのも事実だし、何かまだ隠しているかもしれない。
なにより、いまだにフォルネウスが姿を見せないのも気になるし……。
『それでも調査を続けるのか?』
「続ける」
白い結晶へ近づき、もう一度【解析】を通す。
「確かに怪しい……でも、この技術は調べたい」
表面だけでは分からなかった情報が、少しずつ見えてくる。
【虚素】の吸収。
自己維持。
管理領域への接続。
情報の上書き。
一つずつ構造を【保存】していく。
「皇牙さんって……危ないものを見ると嬉しそうですよね」
依織に言われて顔を上げた。
「そう?」
「はい。さっきからずっと」
「昔からでございます」
詩乃が即答する。
「昔からなんですか?」
「ええ。普通の方なら近づかないものほど、皇牙様は中身を確かめたがりますもの」
「言い方が悪いなあ」
「事実ですわ。よくその調子で今まで命を落とさずに済んだと、不思議に思っております」
詩乃が少し得意そうに微笑む。
「ま、そういうわけで皇牙様についてでしたら、依織さんよりずっと長く存じておりますわ」
「……それ、また言います?」
依織が詩乃を見る。
「事実ですから」
「でも今の皇牙さんについては、私もこれから知れます」
「あら」
「一生一緒にいるつもりなので」
依織は言い切ったあと、自分で口にした意味に気づいたのか、少しだけ俺から視線を外した。
詩乃の微笑みが深くなる。
「でしたら、競争ですわね」
「競争になるんだ?」
「皇牙様は黙っていてくださいませ」
「なんで?」
俺だけ会話から外された。
『女どもまで呑気だな』
(平和でいいだろ?)
『敵地の深部で言う台詞ではない!』
その直後だった。
目の前の白い構造物が強く発光した。
「下がって!」
俺が声を上げると同時に、通路の奥から水が激しく跳ねる音が響く。
『何だ?』
フォルネウスの声にも初めて明確な動揺が混ざった。
水路の奥から、何体ものモンスターが姿を現す。
さっき見た水棲種とは違う。
目が白く濁り、身体の一部へ同じ結晶が食い込んでいる。
『止まれ』
フォルネウスが命令する。
だが、一体も止まらない。
『……我の命令が通らぬだと?』
白い結晶が、さらに明るく輝いた。
どうやら侵食されているのは、壁や床だけじゃなかったらしい。