「じゃあ、まずは条件を決めようか」
フォルネウスから持ちかけられた提案に、俺はその場で頷かなかった。
横浜と新宿が互いに敵対しない。それ自体は悪くないが、同盟という言葉だけでは範囲が広すぎる。
「互いのダンジョンへ勝手に干渉しない。天使について得た情報は共有する。資源の交換は、その都度条件を決める。それから、どちらかが別の相手と戦争を始めても自動参戦はなし」
「随分と細かいね」
フォルネウスは短パンのポケットへ両手を入れたまま、眠たそうな金色の瞳を俺へ向ける。
「仲良しになる契約じゃないからね。後から『そんな意味じゃなかった』って言われる方が面倒だろ?」
「それは同感。私もキミのために死ぬ気はないし」
『ほら見たことか! 最初から信用できぬ女だと言っておろう!』
アスモダイの声が頭に響く。
「でも、そのくらいの方が信用できるよ」
『意味が分からん!』
「できないことを約束されるよりマシってこと」
さらに、お互いが保護している人間や一般探索者へ意図的な攻撃を加えないことも条件へ入れた。
フォルネウスは少し考えたあと、あっさり頷く。
「いいよ。それで」
こうして、新宿ダンジョンと横浜ダンジョンの限定的な協力関係が成立した。
完全な味方ではない。
けれど、当面は敵でもない。
今はそれで十分だ。
「じゃあ約束の報酬」
フォルネウスが指を鳴らすと、円形台の一角へ青緑色の結晶がまとめて現れた。
【潮晶】だ。
ほかにも横浜固有のモンスター情報、水量によって通路や生息区域を切り替える管理方式、白い侵食構造物の一部が提供される。
俺は順番に【解析】し、必要な情報を【保存】していった。
「これだけあれば、新宿でも色々試せそうだな」
『横浜ダンジョンの情報を丸ごと持ち帰るつもりか』
「良い部分だけね」
「別にいいんじゃない」
フォルネウスは気怠そうに肩をすくめた。
「他のダンジョンにも興味があるなら見て回ればいい。まぁ、生きて帰れる保証はしないけど」
「いいね、ますます行きたくなるな。場所ごとに全然違うものがありそうだ」
『我ら悪魔の住処を、観光地巡りのように言うな!』
アスモダイは怒っているけれど、俺としてはかなり大きな収穫だった。
新宿だけを見ていては思いつかなかった仕組みが、外へ出ればいくらでも見つかる。
それを持ち帰り、新宿へ組み込める。
次に出ていく時は、今より強い拠点を残せるわけだ。
「そうだ」
報酬を確認し終えたところで、フォルネウスが俺を見る。
「もう一つ、裏の報酬をあげる」
「まだあるの?」
「人間の男は、女を抱くのが何よりの報酬なんだろう?」
「……どこで仕入れた知識、それ?」
「人間と取引してる間に聞いた」
偏っている。
かなり。
「少なくとも、全人類共通ではないと思うよ」
「でもキミは嫌いじゃなさそう」
フォルネウスがそう言った瞬間、足元の景色が消えた。
「皇牙様!?」
「皇牙さん!」
詩乃と依織の声が遠ざかる。
次に見えたのは、薄暗い小部屋だった。
壁も床も横浜ダンジョンとは違い、外へ続く扉すらない。
「強引だなあ」
「邪魔されたら面倒だから」
目の前のフォルネウスが、短い青髪を指で払う。
銀色のピアスが揺れ、黒いベストジャケットの前を少し緩めながら俺との距離を詰めてきた。
「私は見た目も、人間には悪くない方だと思うけど」
「自分で言うんだ?」
「違う?」
「否定はしないかな」
ぱっちりした金色の目が俺を見上げる。
長身だからほとんど目線の高さは変わらない。
「報酬として不足?」
「いや、嬉しいけど。悪魔って、そういうものを報酬にするんだって思って」
「嫌ならやめるけど」
そこだけははっきり確認してくる。
俺が笑って「いいの? 俺ってアブノーマルって言われがちなんだけど」と答えると、フォルネウスは「そっか」と短く返し、首へ腕を回してきた。
「じゃあ、好きにしていいよ」
『待てえええええ!』
アスモダイの怒声が頭の中に響いた。
◆
「……なるほど」
しばらくして。
フォルネウスはベストジャケットを着直しながら、ニーハイソックスの位置を整えていた。
「人間がこの行為を好む理由は少し分かった」
「感想が研究報告みたいだね」
「私には初めてだったから」
いつもの眠そうな顔のまま、こちらを見る。
「悪くなかったよ。また対価が必要なら使っていい」
『ふざけるな!』
「まだ怒ってたんだ」
『当たり前だ! なぜ我がずっと貴様らの声を聞かされねばならぬ!』
「なら、キミも抱いてもらえば?」
『誰がこのような人間に!』
即答したアスモダイへ、フォルネウスが淡々と返す。
「じゃあ私だけでいいんだ?」
『…………』
長い沈黙。
「アスモダイ?」
『呼ぶな!』
フォルネウスが小さく笑う。
「この空間なら、一時的に外へ出してあげられるけど」
「できるの?」
「キミが持ってる管理権限と、アスモダイ本人の情報があるからね。ここ限定だけど」
フォルネウスが手をかざす。
黒い光が集まり、やがて俺の前に一人の女性が現れた。
長い黒髪。
褐色の肌。
頭部から伸びる角。
久しぶりに俺とは別の身体を得たアスモダイは、開口一番こちらを睨んだ。
「貴様などに触れられたいわけではない!」
「じゃあ戻る?」
「……待て」
「ん?」
アスモダイの勢いが止まる。
フォルネウスがわざと俺の腕へ身体を寄せると、褐色の頬が露骨に険しくなった。
「ほら。私は別にもう一回でもいいよ」
「貴様は黙っておれ!」
「じゃあどうするの?」
俺が聞くと、アスモダイはしばらく黙ったあと、俺の服を指先で摘んだ。
「……我も」
「聞こえない」
「二度も言わせるな!」
それでも待っていると、アスモダイは悔しそうに眉を寄せる。
「我も……可愛がれ」
「最初からそう言えばいいのに」
「うるさい!」
抱き寄せると、今度は振り払わなかった。
◆
「……もう少し」
アスモダイの長い髪を撫でていると、胸元から小さな声が聞こえた。
「さっきまであれだけ怒ってたのに?」
「うるさい」
「そろそろ戻る?」
「……まだ戻らぬ」
どうやら随分と気に入ったらしい。
フォルネウスは少し離れた場所で、その様子を面白そうに眺めている。
「意外と素直なんだね」
「殺すぞ、フォルネウス」
「はいはい」
しばらくしてアスモダイが離れたところで、俺は本題へ戻した。
「そういえば、あの異形に入ってた悪魔側の情報。結局、誰のもの?」
フォルネウスの表情から少しだけ気怠さが消えた。
「名前はまだ言わない。でも、一つ教えておく」
悪魔の中には、天使を敵だと考えていない者もいる。
利益のために天使と取引する者。
さらに、人間社会と直接繋がっている者まで。
「その悪魔は、天使に何を渡してる?」
「ダンジョンから採れる素材。能力を宿した人間。それと、管理領域から抽出した【虚素】」
依織がいた研究施設が頭に浮かんだ。
能力増幅。
人間の身体への人工的な処置。
材料があれば、できることは増える。
「悪魔だからキミの味方だとは、思わない方がいいよ」
「うん。安心した」
「……安心?」
「その方が分かりやすい。人間も悪魔も、一人ずつ見ればいいんだから」
フォルネウスは少しだけ笑った。
◆
新宿ダンジョンへ戻ると、詩乃と依織が待っていた。
「随分と長く二人きりでいらっしゃいましたわね?」
「……何してたんですか?」
「追加報酬をもらってた」
『余計なことを言うな!』
(アスモダイも報酬だったの?)
『殺すぞ!』
すっかり元通りだ。
横浜から持ち帰った情報を
内部監査室の
「天御門さん。以前の【凶行者】とは別件で、確認していただきたいものがあります」
送られてきたのは、一人の探索者の検査資料だった。
身体能力。
能力出力。
血液や組織の解析結果。
その中に、ついさっき横浜で見たものと似た情報がある。
「同じような探索者が、他にもいる可能性があります」
俺はフォルネウスから聞いた話を思い出した。
「なるほど」
どうやら新宿だけで終わる話ではなかったらしい。
「悪魔から仕入れた材料を、人間に入れてるってことか」